第11話

 ミクと別れてから十分もせずに、車は高速に入った。

 ヒロの頭の中は一抹の寂しさと、それより遥かに大きな興奮で占められていた。周囲の大人たちは、誰かと連絡を取っているか、端末を操作しているかのどちらかで、一様に忙しそうにしていた。時折リカがヒロに向かって微笑むが、尋常ではない速度で動き続ける手元を見ると、とても話しかけられる雰囲気ではない。話し相手もいないので、彼はすっかり暗くなってしまった外の景色を眺めるともなく眺めていた。

 あれだけのことがあっても、そこにあるのは、いつもの東京だった。事件の中心となった新宿や四谷あたりはほぼ無人だったが、空港へ向かう道は異常に混雑していた。

 端末には友人からの連絡がいくつか溜まっていたので、一つ一つ返事をした。詳しいことを教えてはマズい気がして、無事なことだけを伝えた。全てのやり取りが終わっても、といっても大した量ではなかったけれど、車はまだノロノロと走り続けていた。

 ようやくのことで空港に着いたのは九時を過ぎた頃だった。空港にはエスペランサの部下が待っていた。彼らは車から降りた一行を、待合ロビーではなく空港内の一室に案内した。普段は大きな会議か何かにでも使われているのだろうか、とても広い部屋だった。

 エスペランサがコンラッドとグリヤに何事か指示を出すと、二人は部屋を出て行った。アレックスは部屋に入る前に空港で待っていたアルディオン関係者と一緒にどこかへ行ってしまっていた。元々見知っていたわけではないが、少しでも見知った顔が次々といなくなってしまい、ヒロは落ち着きなく周囲を見渡した。

 リカがどこからかバーガーショップの袋を抱えてやってきた。


「冷めちゃってるけど、これ食べない?」


 ヒロが頷くと、リカは袋から包みを一つ取り出してた。忘れていた空腹を急に思い出したかのように、ヒロはそれを受け取るとガツガツとがっついた。


「まだまだあるから、残ってるのも好きなだけ食べて」


 リカは飲み物を手渡す。ヒロは口に物がいっぱいで、頭だけ下げて礼をした。

 テーブルに置かれたバーガーショップの袋から包みを次々と取り出して、ゆっくりと心ゆくまで食べると、ようやくヒロは満足した。

 必死に食べている間に、リカはまたどこかへ行ってしまった。周囲を見回しても相手にしてくれそうな人間はいなかった。

 端末のバッテリーはすっかり心許なくなっている。ミクからの帰宅報告が来ていたので、それだけには返事をした。

 ミクの無事を確認できた安心感と満腹感のせいで、ヒロはうつらうつらしだした。



「――ヒロ。おいヒロ、起きな。アンタの母さんが来てくれたよ」


 エスペランサの大声に、ヒロがハッと顔を上げる。ドアが勢いよく開く音に続いて、スーツ姿の中年女性と中学校の制服を着た少女が押し入るように部屋に入ってきた。


「ヒロ! 大丈夫? 怪我はない?」


 駆け寄りながら声を掛けてきたのは、母の春子だった。ヒロのそばまで来ると、彼の腕やら足やらをさすって、その無事を確かめている。妹の彩香はその後ろで、お兄ちゃん大丈夫そうじゃん、などと呟いている。


「母さん、大丈夫だよ。クラスメートのミクって子も途中まで一緒だったんだけど、その子も大丈夫だったし。あ、その子はちょっと怪我しちゃったけど」

「とにかく大丈夫なのね。本当に無事で良かった」


 再会を喜ぶ家族に水を指すまいと、しばらくの間、周囲は三人を暖かく見守っていた。

 ややあって春子がエスペランサに向き直ると、緊張した面持ちで言った。


「息子を助けていただいてありがとうございました。ただ、息子は家に連れて帰ります」


 春子はきっぱりとした口調で言い切った。

 表情を変えないエスペランサの前に魔法陣が浮かぶと、彼女は《翻訳》の魔法を唱えた。


「まあ、ヒロ君のお母さん。まずはそこに座って、話をしませんか」


 エスペランサはそれまでのにこやかな表情から、急に真面目な顔をして春子に言った。


「いえ。このまますぐに連れて帰ります」

「申し訳ないが、それはできません。お願いですから、一度お座りください」

「親権者の同意なく、そんなことができるわけないでしょう。誘拐ですよ、そんなこと」

「親として、あなたがそう仰る気持ちは分かります。分かりますが、息子さんには特別な力がある。我々はそれを必要としているのです。彼を我々の国アルディオンに連れて帰ることは、日本政府とアルディオン政府間での合意が既になされています。その合意は拒否できることではありません。ここに来るまでに、我々の仲間からも同様の説明があったかと思いますが」

「それは伺っています。でも、はいそうですかと言える問題じゃないでしょう。私の子供です。私たちの家族です。一体何の権利が有って、そんなこと。そもそも、日本政府との取り決めって何ですか。そんなもの信じられるわけないでしょう」

「もうすぐ日本政府の方も来るでしょうから、それで信じてもらうしかないでしょうね」

「そんな一方的な話……」


 春子が口籠ると、ヒロの妹の彩香が、不思議そうな表情をして春子の袖を引っ張る。


「アヤカ、何! 今、母さんはこの人にお兄ちゃんを連れていかないでって言ってるの」

「うん。お母さんがそう言ってるのは分かってる……」

「分かってるなら何なの!」

「何なのって。お母さん、さっきからこの女の人と言い争ってるみたいだけどさ、言ってること分かってるの?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る