第8話

「お待たせしました。お願いします」


 リカはとろけるような笑顔で、ヒロがミクを見送ってから表情をもう一度引き締めるまでの一部始終を見ていたが、懸命に緩んだ顔を引き締めると少し低めの声で話しだした。


「ヒロ、って呼ばれてるんだ。じゃあ、私もヒロって呼んでもいいかな?」

「あ、はい。大丈夫です」

「ありがとう、ヒロ。じゃあ、私のことはリカって呼んでね」

「なんでそんなにニヤニヤしてるんですか」

「え、おかしいな。そんな顔してる? 尊いものを見ると、人間はそういう表情になるんだよ」

「尊いって、何がですか」

「まあまあ、それはこっちの話だよ。まーずーはー、あっちでちょっと話そうか」


 リカは周囲を見回して適当に座れそうな場所を探すと、ヒロの肩を抱くようにしながら車道脇の縁石のところまで連れていった。がっちりホールドされると、ヒロより少し高いくらいの身長のリカの胸が、ヒロの二の腕に当たるのが分かった。こんな時にそんな事を意識してしまうなんて、自分はなんてバカなんだ、ヒロは思った。


「座るところもなさそうだから、ここで仕方ないわね。とりあえず腰下ろそうか」


 二人は並んで、縁石に腰を下ろした。


「さて、見たところ君に大きな怪我はなさそうね。本当に助かって良かった」

「ありがとうございます。荒井さん達が助けてくれたんですよね。あの、なんかよく分からないバケモノたちから」

「お礼なんていいのよ。ごめんね、すぐに助けてあげられなくて。空港で少し手間取って到着が遅れちゃってね。もう少し早く着けると思ってたんだけど」

「はぁ、空港で、遅れて。あのバケモノはなんなんですか? 俺、あんなデカい狼。そもそもあれ狼なんですか? あんなの見たことない。それに空飛ぶドラゴン。あれって、遺伝子操作で蘇った恐竜とか、そんな感じですか」

「あれはそんなんじゃない。本当のバケモノ。それにこの世界の生き物じゃない…… なんて言っても信じてもらえないかな。それと、私のことは荒井さんじゃなくて、リカって呼んでね」


 話しの途中から、ヒロの表情が胡散臭いものを見るような感じに変わっていくのを見てとったリカは、話を逸らして自分の名前の呼び方を注意した。

 ヒロが黙ったまま何も言わないので、リカはゆっくりと続けた。


「まあ、あれだよね。このお姉さん、綺麗だけど変な事言って頭おかしいんじゃないかなって思ったよね」

「そこまでは思ってませんけど。自分で自分のことを綺麗だって、堂々と言い切っちゃう人は少しおかしいかもしれませんけど」

「あ、そこ気になっちゃう。バケモノに襲われたくせに案外冷静だね。まあ、ミクちゃんに比べたら、ちょっと見劣りしちゃうか。でもね、女性はただ若ければ良いってもんじゃないんだよ、これからヒロも経験積んでいくうちに分かると思うけど。って関係ない話しちゃって、ごめん。まあ、いいや、このまま続けよう。ちょっと色々と説明しなきゃいけないことはあるんだけど、あなたにはこの話、割と受け入れやすいんじゃないかな。ヒロはさ、最近身の回りで変な事起きてない」

「変な事、ですか。さっきバケモノに襲われたり、ヘリコプターが落ちるのは見たりしてますけど」


 などと適当な返事ではぐらかしてはみたものの、ヒロには思い当たることがあった。今日の昼休みに、屋上で一人黄昏れていたのもそのせいだった。


「こんな事言うと変だと思われるから、今まで誰にも言わなかったんですけど。でも、今日起きた事の方がよっぽど変だし。初めて言う事ですけど、変だと思わないでくださいよ」


 リカは、にこりと微笑んで、ヒロの話しの続きを待った。

 頭の中を整理するために俯いていたヒロが顔を上げると、車道の向こうに、アレックスの姿が見えた。彼は、後から来た仲間らしき人たちに指示をして、狼の死骸を片付けさせていた。今はヘルメットを外していて、自然な風合いの明るめの茶髪を風に靡かせていた。宏は見るとはなしにそれを視界に収めながら、再び口を開く。


「最近一人でいると変なことが起きるんです。目の前の紙が燃え上がったり、シャツの裾が凍ったり。あと、いきなり風が吹いてきて自転車置き場の自転車が全部倒れたり。ああそう、風っていえば、さっきも僕たちの目の前で火の塊が吹き飛んだんですけど見てました? 火の塊が吹き飛ぶ時の風の感じが、なんかそういうのに似てた気がしたんです。だから、なんて言うかそういうのが連想されたっていうか。ちょっと何言ってるか分からないかもしれないですけど」

「全然。全然よく分かるよ。そう、やっぱりそうだよね。じゃあさ、これ見える?」


 リカが手をかざすと、緑色に光る線で描かれた図形が浮かんだ。彼女はヒロの目線が図形に注がれているのを確認して、にこりとした。それから少し間を置いて、《風の盾》と呟いた。するとヒロの周りに猛烈な風が巻き起こった。


「うわっ」

「今の見えた?」

「なんか見えた。見えました……」

「そっかそっか。ならよろしい。やっぱり君には見えるよね。さっきのも今のも私がやったの。ギリギリになっちゃって本当にごめんね」

「え? リカさんがやったんですか? 今のって何ですか? CG? いや、映像だけじゃないし、マジック的な何かですか? え、マジで何」

「まあ、とにかく君にこれが見えるから、君の居場所が分かったんだよ。何とか間に合って本当に良かった」

「ちょっと何言ってるか分からないんですけど。今の何ですか、本当に」

「まぁまぁ落ち着こうか。まっ、このままここで話すのもなんだから、もう少しゆっくりできる場所に移動しましょうか。そこできちんと話してあげる。ミクちゃんは、ちゃんと治療してもらってるから、心配しないで」


 話しをしている間に、向こうに転がっていたサイほどもあったはずの巨大な狼は、もうなくなっていた。

 イカつい車がヒロたちに近寄って来て、運転席の窓が開いた。アレックスの顔が現れて、車に乗るよう二人に向かって手招きをした。戸惑いながらも、リカに手を引かれたヒロが車に乗ると、車はゆっくりと走り出した。

 五分もしないうちに車が止まった。そこは、ヒロが今まで入った事もないような立派なホテルの前だった。車から降りると、アレックスとリカの後に続いて、ヒロはホテルに入った。フロントを素通りし、大人二人はエレベーターに乗り込んでいく。華美過ぎない調度がゆったりと配置され、敢えて明るさを抑えられたロビーに萎縮しつつも、ヒロは二人の後についてエレベーターに乗り込む。

 扉が閉まり、エレベーターは上昇を始めた。エレベーターからは、東京の街が遠くまで見渡せた。あちこちから立ち上る幾筋もの煙が、先程までの出来事が現実だったことをヒロに思い出させた。

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