第7話
続け様に目の前で大きな音がした後、辺りには静けさが戻った。
ヒロの身体はすっかり強張ってしまっていて、目を固く瞑ったまま動けなかった。周囲から音が消え、目の前は暗いまま。身体には痛みもなく何の異常も感じられないが、人間の意識は死んでからも続くのかも知れない。それともあれだろうか、異世界転生ってやつの途中かも知れない。ドラゴンが存在したくらいなのだから、それくらいのことがあっても不思議ではない。そろそろ神様的な存在から、なんらかのアナウンスが始まるのだろうか。数秒にも満たない間、くだらない事を考えていたが何も起こらない。
腕は顔の前で交差したまま、俯き加減で恐る恐る瞼を開いていく。薄暗くはあるが、光を感じることはできる。足元のアスファルトが目に入る。場所は変わらず日本のようだ。腕を降ろして目線を上げても、あんなに大きかった狼は視界に入ってこない。なぜか遠くのビルの谷間に、ゆっくりと頭から落下しているドラゴンが見えた。
「あーゆーおーらい」
ヒロの左側から、若い男の声が聞こえた。声のする方を向くと、ヘルメットを被りバイザーで目を隠した長身の人物が立っていた。濃紺の服を着た上に、あちこちにプロテクターを着けていて、海外の特殊部隊員のような格好をしている。そんな格好をしている割には持っているのは大振りのナイフだけ。ヒロの目にはそれが奇妙に映った。
視線を横に動かすと、その男性の傍には、倒れてすら彼の身長を上回る巨大で黒い毛並みの狼が、狼だったものが、頭と胴が離れた血まみれのグロテスクな物体となって転がっていた。あれは、そこの人物がやったのだろうか。咄嗟の事で何も答えられないでいると、今度は別の方向から女性の声がした。
「大丈夫? 君たち怪我はない」
さっきのは英語だったのかと、ようやくヒロは認識した。いつの間に近付いてきたのだろう、男性とほとんど同じ格好をしたガッチリした体格の女性が、こちらの様子を心配そうに窺っていた。
彼女はヘルメットをしていない。髪を茶色く染めてはいるものの、外見からは日本人のように見えた。身長はヒロよりも少し高そうだ。百八十センチ近くありそうに見えた。
「は、はい。とりあえずは大丈夫…… なんだと思います」
「私も、大丈夫です」
二人は答えた。ヒロがミクを助け起こす。
「でも、なんか、もう、何が起きてるのか。全然で。あ、ありがとうございます。助けて、くれたんですよね、きっと。なんか本当に、なんなんだろ。あのドラゴンみたいなのとか、そこのでかい狼みたいのとか。ヘリコプターが落っこちたのとか。お姉さんは、何か知ってますか? 街の方でも爆発が起きてたみたいだし。どうなってるんですか? 何か知ってたら教えてもらえませんか」
ヒロは恐怖と興奮と不安と安堵、一度に押し寄せてきたベクトルの異なる種々様々な感情のままに、涙目になって捲し立てた。女性は時折ゆっくりと頷きながら、ただただ彼の話を聞いてくれた。
ヒロが話し終わるのを待って、少しだけ間を空けてから、女性が一言一言ゆっくりと話し始めた。
「もう大丈夫。大丈夫だから。ここはもう安全になった。だから、安心して」
女性はヒロとミクの正面に立ち、二人を抱えるように手を広げた。二人の肩をさすりながら、女性は続ける。
「驚いているだろうけど、少しだけ落ち着いて。ゆっくり話すから、まずは私の話を聞いてね。私は里香。荒井 里香。日本人。あの男の人はアレックス。私の仲間。今日、何が起こったかは、一通り把握しています。説明してあげることも、そうね。それも、もちろんできる。でもその前に、まずはあなたたちの名前を教えてくれないかしら」
笑顔を浮かべて、ヒロとミクの目を交互に見つめながら静かに話すその口調に、浸りはほんの少しだけ落ち着きを取り戻す。
「はい。えっと、僕は。僕は雨木 弘です」
「私は小山田 未来です。助けてくれて、ありがとうございます」
「弘くんと未来ちゃんね。どういたしまして。二人ともよく頑張ったね。もう大丈夫だから安心して。まず、未来ちゃん。未来ちゃんは少し怪我をしてるみたいだから、あっちで治療しましょう。すぐそばに医療班がいるから、診てもらいましょう」
荒井里香と名乗る女性が指し示した方からは、救急隊員らしき人が二人、こちらに小走りで向かってきていた。ミクの膝からは結構な量の血が出ていた。興奮していて、それまでは本人も気付いていなかったようだったが、里香に言われて急に痛みを感じはじめたようだった。
「未来ちゃんを治療してもらう間、弘君からは少し話しを聞いてもいいかしら」
「あ、はい。でも、ちょっと。ちょっと待ってください」
「ん? 分かった、いいよ」
ミクに何か言いたそうなヒロを見て、里香は二人から少しだけ距離を取る。
「ミク、ごめん。さっきは焦って引っ張って、怪我させちゃって」
「ううん、そんなの気にしないで。それより、ヒロ。私を庇ってくれてありがとう。すごく、すごく嬉しかった。ていうか、格好良かった」
「いや、なんて言うか。咄嗟のことだったからさ。よく分かんないんだけど。ミクこそ、強いんだね。俺、なんか、なんて言うか感動したよ。あ、ごめん、足痛いよね。とりあえず俺が話を聞いておくから、とにかく一旦治療してもらってきて」
「うん、そうしてもらう。ヒロ、また後でね」
救急隊員に連れられていくミクを見送ってから、ヒロは里香に向き直った。
「お待たせしました。お願いします」
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