第三章【夢見草】
第三章【夢見草】
出会えた喜びはいつも一瞬なのに
どうして別れの悲しみは永遠なの
峯田和伸
「どうしたんだい。君はもっと強いはずだろ?」
「・・・ッ」
夜焔は、鳳如の身体をうつ伏せにし、その背中に乗っていた。
腕は動かせないよう背中側で固定している。
「お」
すると、鳳如はエビ反りのように身体を動かすと、夜焔と自分の背中に空間を作り、腕を捻って夜焔の腕を今度は自分が掴み、夜焔を押さえつけようとする。
しかし、夜焔は鳳如の首をとん、と軽く押し、鳳如の身体は吹き飛ばされる。
空中で身体を捻り、なんとか激突は免れた鳳如は、足で身体を制止させながらすぐさま夜焔を見る。
「(おいおい、話が違うぜ)」
『夜焔?誰だそれ』
『俺もよく知らねえ』
『あ?ふざけてんのか』
『ふざけてねぇよ。けど、気をつけろ。あいつ、俺にも制御出来ねえから』
『お前、なんのためにその椅子に座ってんだよ』
『んなこと言ったって・・しょうがないじゃないか。似てた?』
『誰にだ』
『とにかく、俺も調べちゃいるんだが、どうにも情報が手に入らなくてよ。まったくもって詳細不明だ。お前んとこにも顔出しにいくかもしれねえ』
『顔出しってなぁ』
『まあ、戦うことになっても、強くはねえとは思うだけど・・・。知らねえけど。戦ったこともねえし。あんまり関わりたくねぇし』
『そんな適当な情報もらったってどうしようもねえぞ』
『とにかく、そいつが現れたらお前が相手しろ。他の奴には多分無理だ』
『性格的にか』
『それもあるが、未知だからな。なにせ、あいつはいつだって裏から手を回すだけで、自分から動くことはねえ』
『なら大丈夫だろ』
『あ、そっか。確かに』
少し前に話したことを思い出していた鳳如は、目の前にいる夜焔をじっと見つめる。
その視線に気付いた夜焔は、攻撃をしてくるわけでもなく、距離を縮めることもなく、鳳如に声をかける。
「やっぱり、君も人間だね」
「・・・まあな」
「ちょっと期待外れだったな。ここが辻神の空間だからかな?けど、君たちの領域で戦ったとしても・・・たかが知れてるかな?」
「喧嘩売ってんなぁ。いつもならくだらねえ喧嘩は買わねえ主義だが。ここまでコケにされて黙ってるわけにもいかねえ」
「君はここの空間にいる恐ろしさを知っているはずだよね?」
「まあな」
「じゃあ、まずはここからどうやって出るかを考えるべきだね」
「わかりゃ苦労しねえよ」
「ははは。正直だね」
ふと、ドサ、と大きな音が聞こえて来た。
鳳如だけでなく、そこにいた多分全員が、その音の方を見た。
「・・・!!!」
そこには、血の海の中に漂う琉峯がいた。
「琉峯!!!!」
片腕で戦い続けていた琉峯だが、ガラナはそんな琉峯の足や身体にダメージを与えていた。
身体のあちこちの肉が削がれ、皮が剥がれ、意識を保つだけで精一杯だった。
避けたはずの攻撃を受けてしまい、それは眼球さえ傷つけたかもしれないが、なんとかすぐに避けることが出来たため、瞼より少し深く切った、といったところだろうか。
血がどんどん流れていき、頭がクラクラしてくる。
「よく頑張ったよ、うん。再生能力をもってもなお、まだ修復出来ていないのが残念だが」
修復が間に合わず、琉峯は傷口を塞ぐことすら出来ていなかった。
「どうだ?諦めて、俺に渡す気になったか?その力」
「・・・嫌だ」
「頑固だな。昔はもっと素直だったのにな」
「・・・・・・」
クラクラしているのと、自分のことを知った風に言って欲しくないのとで、琉峯は少しムッとしてしまう。
そんなことをすれば、ガラナが喜ぶのは目に見えているのだが、無意識に出てしまう感情は仕方ない。
倒れたままの琉峯に近づいて行くと、ガラナは腕を伸ばして琉峯の傷口にそのまま突っ込んでいく。
「・・・!!!!ああああああああ!!!」
「ははははははは!!!!ほらほら、ちゃんと大きな声を出せるじゃないか!いつも自信なさそうにしているから心配してたんだぜ?」
「ッッッ!!!!!!」
「あれ?また黙っちゃった」
ぐり、と少し動かすだけで、琉峯からは信じられないほどの血と声が出てくる。
声などすでに枯れるのではないかと思うほどだったが、ガラナはそれが楽しかったのか、さらに角度を変えるなどして弄ぶ。
「くそっ!琉峯!」
琉峯のもとへ行こうとした帝斗だが、辻神の動きを封じることに手いっぱいだ。
それは麗翔たちも同じことだった。
自分が琉峯の元へ行けば、自分が今止めている相手が何をするか分からない。
「ほら鳳如、助けてあげなよ」
「・・・ックソ野郎」
「はは。口が悪いなぁ」
鳳如は鳳如で、夜焔の攻撃を肩に受け、さらにそこに槍のようなものを刺されていた。
引き抜かれてしまえば血が吹きだし、それをまた鳳如に突き刺そうとした夜焔だが、鳳如が夜焔の腕を蹴りつけたため狙いが外れる。
「まったく。優しく殺してあげようと思ったのに」
そう言うと、槍は回転を始め、さらには熱を持ち始める。
「どこに穴を開けてほしい?」
「・・・はっ。どこも御免だな」
「・・・・・・」
琉峯の上に、ガラナが跨っていた。
「どう死にたい?」
「・・・・・・」
「目をくりぬくか?舌を抜くか?首を絞めるか、脳に穴開けるか。それよりもまずは、抵抗出来ねえようにもう片腕も落としとくか」
ガラナは腕をチェーンソーにすると、琉峯の残っている方の腕に近づけて行く。
斬られると思った琉峯だが、ふと、何を思ったのか、ガラナが琉峯から下りてどこかへ向かい歩き出した。
その間に琉峯は上半身を起こし、ガラナの動向を窺う。
すると、ガラナは落ちていた琉峯の腕を拾い上げた。
そして何をするかと思っていると、その琉峯の腕をねっとりと一通り眺めたあと、その腕をもって琉峯のもとへ戻ってくる。
まだ片膝を立てた状態だった琉峯だが、ガラナは目の前にいる琉峯ではなく、自分が手に持っている琉峯の腕を口元まで持ってくると、舌を出して笑う。
「先にこっち喰っておくか」
「!!!!!?」
何を言っているんだと思っていたが、ガラナは至極真面目らしい。
すでに本体の意思では動かないソレを手にしたまま、切り口から滴る血液に舌を近づけると、べロリと舐めとる。
すでにその腕の感覚などないはずなのに、琉峯は思わずゾクッとする。
「うん。美味くはない」
あまりに気持ち悪い光景を間近に見ていて、琉峯は吐き気を覚える。
「腕から食うのもありだが、やっぱり俺は心臓が肝だと思うんだ」
「・・・・・・」
「心臓を喰ってから様子を見ることにするか」
急に目つきがギラリと変わったガラナに、琉峯は刹那、呼吸を止める。
一歩一歩近づいてくるガラナに身の危険を感じ、いや、今までも感じてはいたのだが、さっきのたった一瞬で、空気が変わった。
弄んで殺そう、から、すぐに殺して心臓を食べよう、になったのだ。
琉峯は後ろ向きで距離を保ちながら下がって行くのだが、地面に溜まっている自分の血で滑ってしまい、その場に尻をついてしまう。
自分の腕を未だ持ったままのガラナは、尻もちをついてしまった琉峯と目線を合わせるように両膝を曲げて座ると、琉峯の腕は自分の方に乗せる。
自分の腕の断面が見えている琉峯だが、今はそんなこと気にならなかった。
「・・・大丈夫か?心拍数が上がってるぞ?」
「・・・・・・」
「瞳孔も開いてるぜ」
「・・・・・・」
「助けを呼ぶか?誰かを代わりに差し出すか?」
「・・・・・・」
「無理だよな。お前の仲間だって、すぐに死ぬ。期待して助けを待っているなんて愚の骨頂。1人1人順番にあの世に送ってやるから。まずはお前ってだけだ。ただの順番の話だ」
「・・・・・・」
「どうした?怖くて声が出ねぇか?」
「・・・すな」
「あ?」
「・・・みんなには、手を出すな」
「・・・はあ?」
やっとの思いで振り絞った声は、思っていた以上に低かった。
そして、思っていた以上に落ち着いていた。
「お前の目的が俺だけなら、俺を殺したあと、手を出すな」
「・・・はっ。お前馬鹿か?ここにいるのは俺だけじゃねえ。わかるな?他の奴らがどうなるかなんて知らねえよ。そもそも、俺がお前と約束してそれを守る義理なんてねぇぞ」
「それでも、手を出すな」
「・・・怖くて狂ったか?」
泣くことも喚くこともせずにガラナにそう伝える琉峯の目は、真っ直ぐだった。
思わずガラナもポカンとしてしまったが、まあ、適当に頷いた。
「じゃあ、大人しくしてろ。ぎゃんぎゃん喚かれると面倒くせェ」
そう言うと、ガラナは琉峯の胸あたりに手を置く。
「さっさと終わらせるか」
「ぬらりひょん、どうにかならんか」
「どうにもならんわ」
「大丈夫かのう」
「ワシらとて万能ではない」
「わかってはおるが、事態は最悪じゃ」
「・・・・・・」
「何か策はないのか」
「策があるならとうに動いておる」
「座敷わらしはどうなんじゃ。あ奴の泣き声でどうにかならんのか」
「試したがダメじゃった」
「やはり、こういう“時空”というのはいつの時代も厄介なもんじゃのう」
「おろちはどうした」
「珍しく酒をきらしたらしく買い出しに行きおった」
「何をしとるんじゃこんな時に」
「鳳如は破り方を知っておるのか?」
「さて。知っておっても、そう簡単にはいかんじゃろう。奴とて元は人間。死なない身体を持ってしても、解決出来ぬことはある」
「ならば、尚更どうにかしなくては」
「閻魔がのう」
「閻魔?」
「あ奴がのう・・・もうちっとのう」
「ぷしっ!!!」
「閻魔様、どうなさいました。変なくしゃみをして」
「そこ?風邪ですか?の心配じゃなくて変なくしゃみのとこ?」
「はい。変でしたので」
「ひえー。出たよ。小魔のナチュラル毒舌」
「では引き続きこちらの書類とこちらを今日中にやっていただきたく・・・」
「あー、誰か俺の噂してんな」
「大丈夫です。悪名は無名に勝ると言いますから」
「・・・・・・え?どういう励まし?」
「意味ですか?」
「意味じゃねえよ。意味はわかるよ。そもそも悪名ってなに?俺って悪名なわけ?」
「みなさま、怖い印象を持っておられますから」
「・・・確かに」
「あと、こちらは浮幻からの報告ですので目を通してください」
「ほいほい」
「あと、こちらは雲幻からの文句ですので目を通してください」
「ほいほ・・・文句?」
目を閉じて、その時を待った。
死ぬその瞬間まで、その男の顔など見ていたくなかったから。
瞼に大事な人たちを思い浮かべ、このまま終えられるならと。
「琉峯」
耳に残るのは、温かい声で。
「琉峯」
思い出にあるのは、いつだってみんなで。
「琉峯」
どうでもいいと思っていた今を、笑い合いながら生きたいと思う様になった。
我儘を言えるなら、もうちょっとだけ、みんなと一緒にいたかった。
それが叶わないなら、せめて、みんながここから無事に出られるようにと。
「 」
何か、聞こえた気がした。
聞き覚えがあるのに、いつもと違う。
「琉峯」
「!」
まるで夢から覚めたかのように、起きた。
いや、寝てたわけではないが、感覚としては起きたというところだ。
「え・・・?」
ガラナが貫いていたのは、琉峯の身体ではなかった。
確かにそこにあったはずの自分の身体はすこし移動していて、代わりにガラナに貫かれていたのは―
「え、煙桜・・・?どうして」
煙桜の心臓の位置からは少しズレてはいたものの、煙桜の身体を貫いている腕は確実に致命傷だ。
「・・・・・・抜けねえ」
腕を引きぬこうとしたガラナだったが、煙桜がその腕を掴んでいるため、引き抜くことが出来なかった。
煙桜は口から血を流しながらも、ガラナの腕を強く掴み、そのまま折った。
折られた感覚のあるガラナは、悲痛な顔をしながら、思い切り腕を引く。
そこから溢れ出て来た血の量に驚いていると、先程まで煙桜が相手をしていた酒吞童子も近づいてきて、倒れそうな煙桜の身体の脳に一発、光の玉のようなものを当てた。
煙桜の足元はぐらつき、さらに酒吞童子がガラナが空けた身体の穴にも、光の玉をぽん、と当てる。
煙桜の身体の中では振動が起き、その大きな身体が傾く。
「・・・!!」
しかし、煙桜は踏みとどまり、ガラナと酒吞童子の前に立つ。
「見事じゃ。まだ立っておるか」
「あれ?こいつこんなに動き速かった?」
「やられたのう、ガラナ」
「まあいいや。順番に殺していけばいいだけだから」
そう言って琉峯の方を見るガラナの目に身体が竦んでいると、煙桜が琉峯とガラナたちの前に立ちはだかる。
「・・・煙桜」
「・・・!!」
鳳如もそちらに向かおうとするが、夜焔がたちはだかる。
ふーふー、とかろうじて呼吸をしている状態で、煙桜は掠れた声を出す。
「琉峯、お前・・・ッ、何、絶望してんだよ」
「へ?」
琉峯の方を一切見ないまま、煙桜は琉峯に向けて言葉を紡ぐ。
「若ェくせに、この世を全部知ってるみてぇな顔してよ。1人で背負うなんて、馬鹿野郎が」
「・・・っ」
それぞれが辛い想いをしてきた。
それぞれが信じる道を歩んできた。
認められずとも、ここにいることで自分を証明しようとしていた。
「お前は器用で、よく細かいとこにも気付く。まるで姑だ」
「な、なにを言って・・・!」
「若ェのにしっかり立ってるよ。てめぇの足でな。俺がお前くらいの歳の頃は、んな上手く生きられなくてよ。よくぶつかってたもんだ」
「煙お・・・」
「大丈夫だ、琉峯。お前には、俺達がいる」
強いところも弱いところも知っている。
一緒に戦って、一緒に負けて、一緒に勝って、一緒に鳳如に怒られて。
「お前が特別?んなことねぇな。お前はただの琉峯だ。お前1人差し出して俺達が助かることなんてねぇし、んなことされて喜ぶ奴はいねぇ」
酒吞童子が、煙桜の心臓を掴み、そのまま圧迫をする。
煙桜の口や腹の傷口からは更に血が溢れてくるが、煙桜は歯を見せて笑う。
止めをさそうとした酒吞童子だったが、足元に零れていた酒がいきなり燃えだし、慌てて距離を取る。
「麗翔・・・」
「まったく。煙桜がいつも都合よく私の火を煙草の火つけに使おうとするから、マッチ持ち歩いてたけど、正解だったわね!!!」
「ちっ」
麗翔はそのまま意識を失い倒れてしまった。
火が苦手なのか、ただ着ている着物が燃えてしまうのが嫌なのか、酒吞童子は恨めしそうに火を見つめる。
「俺達が見てる世界っつーもんは、狭いよなぁ」
少し上の方を見て、煙桜が言う。
「俺ぁここに来るまで、一生俺と酒を飲むような奴ぁいねぇと思ってた。どいつもこいつも人様の顔色ばっかり窺いやがって、しょうもねぇ」
「煙桜!喋るな!!!傷口塞げ!」
未だ辻神を押さえつけている帝斗が叫ぶも、煙桜は聞こえているのかいないのか、口に火のついていない煙草を咥える。
それを見て、ムジナが答える。
「傷口を塞いだところで助からない」
「じゃな。人間らしい。他人を庇うなど、愚かじゃ」
煙草を咥えながら、煙桜は苦しそうに呼吸をする。
「俺ぁ、別に庇ったわけじゃねえ」
浅くしか呼吸が出来ないのか、それともすでに呼吸することさえ難しいのか。
煙桜の小刻みになっていく呼吸を、琉峯は近くで感じながらも、何も出来ずにその言葉に耳を傾ける。
「俺が今出来んのは、若ェ奴らの芽を摘ませねえことだ」
今までならば、こんなことはしなかったかもしれない。
ただ自分のためだけに動いて、誰かを助けることも助けられることも考えていなかった。
「てめぇに出来ることをした。ただそれだけだ」
「煙桜っ」
「いいか琉峯」
「え・・・・・・」
いつもと変わらない煙桜の口調に、琉峯はなぜか安心する。
「まだまだ先は長ェぞ。こんなところで勝手に自己犠牲決めて、勝手に絶望してんじゃねぇぞ」
「でも」
「そのうちな、てめぇがここで生かされた理由が分かるときが来る」
煙桜が話す度、溢れんばかりの血が流れてきて、それは近くにいる琉峯の足元にまで辿りつく。
ぐらつきはするものの、決して倒れない煙桜の背中に、琉峯は涙ぐむ。
「色々あるさ。生きてりゃあな」
「・・・っ」
「悔しいときもありゃあ打ちひしがれるときもある。嬉しいときも辛ェときも、大声出して笑う時も声枯らしてもがくときもな」
ふと、何処からか風が吹く。
その風を思い切り吸い込むが、思わず咳込んでしまう。
「必死にもがけよ」
いつになく、優しい声で。
「絶望すんのは、その後だ」
「話は終わったか?」
ガラナの声が、まるで雑音に感じた。
琉峯は涙目になりながらガラナに向かおうとするが、ガラナの腕が、煙桜の心臓に届く。
これ以上流す血があるのかと思うほど溢れてくる血。
それでも、煙桜は咥えた煙草を放さない。
「死ぬのは怖いだろう」
「・・・っ思ったより怖かねぇな」
「強がりを」
「あいつらが来てからよぉ、思ってたんだ」
「まだ言うか」
「俺にもまだ“信念”ってもんがあるならよ、貫きてェんだよ」
掠れ気味の声だが、琉峯たちにも確かに聞こえる。
「そのてめぇの信念を曲げなきゃ生きられねえくらいなら、信念貫いて死んでやるよ」
「・・・見事だ、とでも言っておこうか?」
「てめぇに言われても嬉しくねぇな」
ガラナがニヤリと笑い、煙桜の心臓を引きぬこうとしたそのときだ。
「おい、何してんだここで」
「あ?」
どこからか、ヌッと男が現れた。
その男は青い髪に金の目、グレーのシャツにサスペンダーと黒のスラックス、そして茶色の皮靴を身につけていた。
男は酷く不機嫌そうな顔をしたまま着地すると、その場にいる全員を一通り見る。
それから大きなため息を吐くと、舌打ちをしてから、顔を引き攣らせて笑みを作る。
「どういうわけでこちらにいるんでしょうねえ?みなさま?」
「君は、誰だろうね?」
男に突っかかっていったのは、夜焔だ。
「誰だぁ?まずはそちらから名乗るべきでは?」
「これは失礼。夜焔と申します」
「夜焔?知らねェな。・・・おい、そいつを離せ」
「あ?」
男は、帝斗によって身動きを封じられている辻神のことを指さした。
今ここで動かれたら厄介だと、帝斗は拒む。
しかし、男は帝斗の首根っこを掴んで引きはがしたかと思うと、辻神の目線を自分を合わせる。
「おい。どういう了見でここにいる?」
「・・・・・・」
辻神が何も言わないため、夜焔が代わりに答える。
「ここは辻神の領域では?あなたこそ何者ですか?」
男は夜焔のことを睨みつけるような目つきをしたあと、辻神の方を横目でジロリと見る。
「こいつが居座れるのは、俺の空間の一部にすぎない」
「一部?どういうことです?」
「説明する義理はない。単刀直入に言えば、俺が宇宙でこいつは地球だ」
「はい?」
男の言っていることが理解出来ていない夜焔は、男に対して何かしようとしたのだが、男が夜焔を見ただけで、夜焔の力はなぜか使えなくなる。
そして、男は辻神にこう告げる。
「とっとと出て行かねえと、封印するぞ」
「・・・・・・」
すると、すぐに辻神の空間は消えていく。
徐々に視界が開けてきて、鳳如たちはもといた場所へと立っていた。
「閻魔にぬらりまで・・・お出迎え御苦労さまだね」
戻ってきたその場所には、閻魔やぬらりひょん、天狗が待っていた。
「お、やるか?」
ガラナは戦闘体勢に入るが、夜焔はすぐに一歩引く。
「ここは引きましょう。分が悪い」
「あ?分が悪い?んなわけあるか。相手はたった3人だぜ?」
「厄介な3人です」
夜焔が手をあげると、それは解散の合図だったようで、それぞれすぐに散っていく。
1人残った夜焔は、髪を靡かせながら閻魔を見つめている。
そして、ぼそっとこう言った。
「邪魔しやがって」
誰にも聞こえなかったが、夜焔はにっこりと微笑むと、消えていった。
「煙桜!!今助けます!!!」
「阿呆。お前も治療受けろ」
「・・・ッ」
琉峯が、自分の力で煙桜を助けようとしているのだが、その力が足りていなかった。
麗翔は出血多量で気を失い、現在治療を受けており、帝斗はなんとか意識はあるものの、重症のため治療されながら煙桜のもとへ向かう。
鳳如も、思っていたよりダメージがあり、骨も折れ、内臓がやられていたが、応急処置のみ済ませて煙桜のもとへ来ていた。
琉峯の部下が、琉峯の腕や身体を治療しているが、失った腕は戻らないだろう。
琉峯はぼろぼろと涙を流しながら、煙桜の傍でずっと、再生能力が出るのをただ待つしか出来ない。
「もう・・・いいから」
「ダメです!絶対、絶対・・・!!なんで・・・煙桜ッ」
「ったく、いちいち泣くな・・・」
「おい煙桜!この前の勝負、俺負けたままだからな!!このまま勝ち逃げなんて許さねえぞ!!!」
「やかましい奴だな」
「何が若ェ奴の芽を摘ませねえだよ!!煙桜がいな・・・いなくなったら・・・!!これからどうすんだよ!!!ふざけんなよ!!」
帝斗まで泣きだしてしまい、叫んだせいでまた血も出てしまい、色々と大惨事だ。
それまで冷静に様子を窺っていた鳳如だが、そっち近づいてきて、胡坐をかいて座る。
「煙桜」
「よう。譲ちゃんは大丈夫か」
「ああ、一命はな」
「そうか。・・・お前までよくやられたもんだな」
鳳如は小さく微笑んで「ああ」とだけ答える。
鼻水を啜りながらもなんとか耐えようとしていた琉峯だが、目の前はもう滲み過ぎて何も見えていない。
残っている方の腕で涙を拭うと、ようやく煙桜の顔が見える。
「お前らには、感謝してる」
煙桜の部下たちもやってきたが、3人とも嗚咽交じりに泣いている。
「琉峯」
「・・・はいッ」
「お前はもっと笑え。そうすりゃ、良いことが向こうから来る」
「・・・ッッッはい」
「帝斗」
「なんだよ」
「お前は自信持て。調子には乗るな。良い成長してる。大丈夫だ」
「・・・ッ知ってるよ」
「麗翔には」
「うん」
ここにいない麗翔の代わりに、鳳如が答える。
「自分を卑下せず、仲間を頼るように」
「ああ」
「それと、都空、宙奎、蘭蝶」
「「「はい」」」
煙桜の部下は、この3人になるまでは入れ変わりが激しかった。
それは、煙桜の性格が災いしていたのだが、なぜかこの3人は煙桜のことを信頼し、慕ってくれていた。
弱々しくなっていく煙桜の声に、都空は煙桜の服を掴んでそこに顔を埋める。
すると、煙桜が都空の頭をそっと撫でる。
「お前ら、ありがとうな」
「煙桜さんっ!!」
「お前らのお陰で、退屈しねえで済んだ。・・・・・・鳳如」
「ん?何?」
「お前も、こいつらを頼れよ」
「・・・・・・」
「1人で抱えるな。俺達は、いつだって、お前に生かされてんだ」
「・・・ッ」
「俺ぁ、後悔してねぇぞ。これっぽっちもな」
「まったく。相変わらず自分勝手だな、煙桜は」
「後はお前らに任せる」
「おい!煙桜!!!」
「うるせぇぞ」
「そんなッ、遺言みてぇなこと言ってんじゃねえぞ!!許さねえからな!!」
「そうです!」
「勘弁しろよ。俺ぁお前らがここに来る前から戦ってたんだぞ。そろそろ引退させろよ」
「ダメです!こんな引退はダメです!」
「おっさん!!鳳如のお叱り受けたくねえからって、んなこと言うなよ!!!」
―ったく。本当にうるせぇなぁ。
―俺ぁそろそろ眠くなってきたんだ。
―身体が思う様に動かねえんだ。
―声だって、出なくなってきた。
「煙桜」
ふと、鳳如が口を開く。
「花見、しような」
「・・・ああ。そうだな」
「酒持って、沢山喰って、みんなで」
「最高だな。なんてったって」
―桜は散り際が一番綺麗だ。
「煙桜?」
「おい・・・おい!!煙桜!!!」
「嘘ですよね?」
「冗談止めろよ・・・、煙桜ッ!!!」
泣き崩れ、喚き散らし、天を仰いだ。
勝ちか負けかを判断しなければいけないとしたら、これは正真正銘の“負け”だ。
ある者は、自分の弱さに打ちひしがれ。
ある者は、自分の脆さに愕然とし。
どれだけの時間が過ぎようとも、決して癒えぬ傷を負う。
煙桜を取り囲む者たちは泣き続けた。
それは、時間を巻き戻したい願いと、願ってもそれが叶わないことを知っているが故の懺悔と後悔。
その頃、閻魔たちは男と会話をしていた。
「なんだったんだあいつらは」
「ん?お前の領域を侵してた奴ら」
「それ以外に何かあるんだろう。俺を利用したのか」
「利用なんてしてねえよ。俺はただ、お前の管理区域に変な奴がいるよーって連絡しただけだろ?んで、実際いたんだろ?」
「お前は昔から都合のよいときだけ俺を呼ぶからな」
「そうだっけ?」
「じゃあ、俺は戻るぞ」
「まだ見つかってないんだ?」
「あ?」
「探してんだろ?」
「・・・前に、会ったって奴が俺の店に来たんだが、結局もうそこにはいなかった」
「ま、根気良く探すんだな。俺も会ったら連絡するよ」
「期待せずに待ってるよ」
そう言って、男は去っていく。
閻魔は鳳如たちの方を見ていると、鳳如と少しだけ目があった。
鳳如は特に何も言わず、何もせず、ただ数秒だけ閻魔を見た後、視線を煙桜に戻す。
「・・・じゃあ、俺も帰るわ。小魔に仕事押し付けてきたから」
「助かった」
「いいよ。お互い様だから」
小さく笑って閻魔もいなくなると、ぬらりひょんと天狗はしばらくその場に留まった。
煙桜の身体が一旦部屋に移され、最期のときを過ごしたあと、丁重に葬られたそうだ。
このことは当然、煙桜のもとにいた虎にも伝えられる。
―そうか。
「早めに煙桜の代わりを見つけるけど、難しいと思う。何しろ、あいつは自分が思ってる以上に・・・」
―わかっている。俺が守っていくさ。
「俺達もしばらく動けそうにない。情けないよ、本当に」
―安静にしていろ。今はそれでいいんだ。
「時代のうねりをひしひしと感じる。あいつらをもう失わないようにするさ」
―期待していよう。
『おい帝斗』
『なんだよおっさん』
『お前、鍛錬しすぎだ』
『しすぎて何が悪いんだよ』
『若ェから体力があり余ってんのは分かるが、たまには身体休ませねえと、いざって時に本領出せねえぞ』
『うるせぇ。強くなるには鍛錬しかねぇんだよ。まだまだ経験ねえからな』
『・・・ふう。なら、俺が相手してやる』
『へ?』
『おい、何不貞腐れてんだ』
『おっさんの癖に手加減がねぇ』
『お前が休まねえからだ』
『これじゃあ休むっていうより休養じゃねえか・・・え、琉峯もいる』
『・・・別に身体が動かないほど鍛錬させられたわけじゃありません』
『おっさんの癖に体力あるよな・・いてっ』
『今敵が来たらどうすんだ』
『え、おっさんのせいじゃんか』
『俺はまだ弱いんです。ここに来てから日も浅くて、何も出来ていません』
『いいよな、おっさんも鳳如も。経験あるから。経験ほど良い鍛錬はねえよ』
『思っていたよりも鬼は来ないものですね。自分がどのくらい強くなったのか分かりません』
『だよな。ま、俺はお前より先輩だし?少しは実力わかってっけど』
『お前らよぉ、鬼が来ねえってことはいいことなんだぞ。なんでその日常を噛みしめられねえんだよ』
『俺は強くなりてェの!!!』
『俺もです』
『あのなぁ・・・』
『煙桜はどうやって強くなったんだよ?あ!あれだ!実は鳳如に手伝ってもらってるとか!!』
『頼みたくねえ』
『じゃあ、俺達に隠れてやはり鍛錬しているんですか?』
『なんで隠れる必要があるんだよ』
『じゃあどうしてんだよ!!』
『お前ら、俺がそんなに鍛錬してるの見たことあんのか?』
『『・・・・・・』』
『ねえだろ?』
『『・・・・・・』』
『俺はだいたい朝は基礎やって、午後瞑想して、夕方鳳如が鍛錬場に残したトラップ使って鍛錬してるくらいだ』
『やっぱり鳳如に手伝ってもらってるじゃんか!!!!』
『違ェよ。あいつ、そこら中にトラップしかけるだけ仕掛けて片づけねえで部屋戻るから、ただそれと利用してるだけだ。結果的には手伝ってもらってるかもしれねえけど』
『瞑想って、強くなりますか?』
『肉体的には知らねえけど、精神統一は出来るからな。どんな敵が来ようと冷静に対応するために必要だろ。相手の動き、癖、弱点とか見るのによ』
『なるほど』
『琉峯は瞑想出来ても俺は出来ねえぞ』
『断言するな』
『じっとしてるのは性に合わねえんだよ。俺は動いて学ぶタイプだから!感覚を大事にするから!!!』
『だから、その感覚を研ぎ澄ませるためでもあるんだよ』
『そうなんだ』
『強くなりてェのはわかるが、そのために近道なんてねぇんだ。まだ若ェんだから、いくらでも遠回りしろ』
『わかりました』
『ほーい』
『帝斗と琉峯を叱ったんだって?』
『叱ったわけじゃねえよ。注意しただけだ』
『良い奴らが入ったでしょ?』
『お前にしちゃあな』
『麗翔含め、みんな筋がいいからね。それに、熱心に鍛錬してるなんて健気だねぇ』
『何を生き急いで焦ってんだかは知らねえがな』
『切磋琢磨っていうの?相手が強くなっているのはわかるのに、自分が成長してるのはなかなか気付けない。だから焦るんだろうね。そこに煙桜がいるから良い刺激なんだと思うよ』
『焦り過ぎだ』
『煙桜だって、ここに来たときはあんな感じじゃなかった?』
『あそこまで青くはなかった』
『まあ、煙桜の場合は、嫌でも実践が多い時期だったしね。知らず知らず力つけてたな』
『俺だってまだまだだ』
『俺と比べたらみんなそうだよ』
『別にお前と比べちゃいねぇよ』
『じゃあ何?自分自身?』
『さあなぁ』
『何それ』
『ここでの戦いはよぉ』
『うん』
『個人戦でもあり、団体戦でもあるわけだ』
『まあ、時と場合によるからね』
『1人1人が強くなっても、そこに同じ目的や繋がりってもんが無けりゃあ、負けるときがある』
『そうだね』
『思い出したくもねえが、実際にあった』
『あの時は散々だったね』
『お前が変な奴連れて来るからだろ』
『人手不足って怖いね』
『なんであいつら連れて来た』
『え?今聞く?』
『俺をここに連れて来た理由だって適当だったろ』
『覚えてないなぁ。なんか面白そうだったんじゃない?』
『未だにお前が分からねえ』
『・・・あいつらとは上手くやれそうってことでいいのかな』
『面倒臭ぇけど、しばらく面倒は見てやるよ』
『それは良かった。ま、もともと面倒見てもらう心算だったけど』
『だろうな。お前ちっとも相手しねぇもんな』
『だって、俺とやって実力差を知って落ち込ませても悪いなーと思ってね』
『そのくらいで凹む魂ではねぇだろ』
『よくわかってるねぇ、あいつらのこと』
『あいつらな、お前と似てんだよ』
『へえ。どのへんが?』
『“自分を大事にしねぇとこ”とかな』
『・・・・・・』
『なんだその顔は』
『煙桜は、自分はそれが出来てると思ってるんだなぁと思って』
『あ?』
『俺から言わせればね、一番自己犠牲が過ぎるのは煙桜だよ』
『何言ってんだ』
『若者を育てる方法は幾つかあってさ、俺は手取り足取り教えるより、見せるのが自分には合ってると思うわけ』
『見せてんのか?』
『そこは置いといて。で、煙桜はそれの合わせ技が似合うと思うんだよ』
『合わせ技ってなんだ』
『たまに鍛錬して手合わせするけど、あとは俺の背中見とけよ、みたいな?』
『適当だな』
『意外と面倒見いいからね、煙桜は。でもあいつらはちゃんと見てるよ、お前の背中』
『どうだかな』
『これから楽しみだな。ちゃんと見届けろよ、人生の先輩として』
『面倒臭ぇなぁ』
サラサラと流れる川の見える丘。
少し冷たい風が、男の黒く艶やかな長い髪の毛を撫でるように吹く。
大きな岩の上に座っている男は、2つの御猪口を並べると、片方ずつに酒を注いでいく。
酒の入っていた瓶を岩の上に置くと、男は自分の方に置いた御猪口を持ち、もうひとつの御猪口にカチン、とぶつける。
誰もいないその場所を見たあと、明るい夜空でこちらを見ている月を仰ぐ。
手に持っていた御猪口を月に向けて掲げると、また風が吹く。
「献杯」
くいっと、御猪口に入ってた酒を一気に飲み干すと、男の瞳は少し潤む。
男が1人月を見ながら酒を飲んでいるとき、別の場所ではこんなやりとりがあった。
「おろちは大丈夫かのう」
「あ奴、酒を買いに行くとか言っておいて、閻魔の使いで何か調べていたようじゃから」
「相当きておるのう」
「何も出来ぬとは、辛いものじゃ」
「まさか辻神が出てくるとは思わなんだ。仕方あるまい。ワシらとて出来ぬことくらいある。座敷わらしはずっと泣いておるし」
「みな意気消沈といったところじゃのう。特に琉峯は・・・」
これまでにも厄介や者たちを相手にはしてきたが、全く手出し出来ないのは今回が初めてかもしれない。
ぬらりひょんと天狗は、煙桜の亡骸を前に泣き叫ぶ彼らに、どんな言葉をかけることも出来なかった。
閻魔の使いから戻ってきたおろちは、初めその事実を聞かされたとき、受け入れられずに何度も何度も冗談だろうと確かめてきた。
酒呑み同士だった2人は、ぬらりひょんたちが知らないところで時々一緒に酒を飲みに会っていたらしい。
それに、煙桜は長くその職務に就いていた。
実力があるのにひけらかさず、面倒見が良いがためにキツいことも言ってしまうのが災いし、なかなか部下が育たず続かなかった。
それでもついてきた今の仲間は、煙桜にとって唯一無二だったはずだ。
煙桜の部屋に来た鳳如は、最初こそ片づけをする心算だったのだが、椅子に座り、ただ部屋を見渡す。
煙草の臭いが部屋にしみついている。
本棚には小説やら文献やら、鳳如にも負けず劣らずの量の本が並んでいる。
軽い筋トレは部屋で出来るようにとマシーンが置いてあり、布団は腰に負担がかからない優しいものだ。
綺麗好きというわけではないが、きちんと整理整頓されていて、引き出しを開けてみれば、ペンや報告書、個人的に書いている日報が並んでいる。
そして何よりー
「・・・・・・まだこんなもん飾ってたのか」
デスクの前に置いてあるコルクボードには、いつだったかみんなで撮った写真。
それを見て、鳳如はまた微笑む。
片づけが出来ぬまま30分ほど経ったとき、部屋に帝斗が入ってくる。
「どうした」
「ここにいるかと思って」
「何かあったか?」
「・・・・・・」
帝斗は黙ったまま部屋に入り、煙桜のベッドに腰かける。
「琉峯は?」
「まだダメそう」
「麗翔は?」
「とりあえず意識戻るの待ってる」
「お前は?」
「・・・あんま大丈夫じゃねえ」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
2人して黙ってしまい、鳳如は顔を上げない帝斗をじっと見る。
「前にさ」
小さな声で、帝斗が話し出す。
「前に、鳳如が眠らされたときあっただろ。悪魔が襲って来たとき」
「ああ」
「そんとき、俺、全部終わったって思ったんだよ。勝てるわけねえって」
「廃人みたいになったってな」
「後から琉峯に聞いたんだけど、あんとき、煙桜がこう言ってたって」
『俺ぁここが正義だとも思っちゃいねえし、ここが絶対だとも思っちゃいねぇ。だが、この場所で生きてこの場所で死ぬって決めてる。これは覚悟じゃねえ。決意だ』
『負けたままってのも性に合わねえ。例え負けが見えてる勝負だとしても、戦わなきゃならねえ時がある。それで死んだとしても、俺ぁ後悔なんざしねぇ。戦わねえでここが乗っ取られるくらいなら、戦って潔く散ってやろうじゃねえか』
「煙桜がいなかったらさ、俺と琉峯と麗翔だけなら、もう、とっくにここ終わってたよ」
「・・・・・・」
「煙桜がいなかったらさ、俺、元に戻れなかったかもしれない」
「・・・・・・」
「変なおっさんだったけど、俺にとっては現実的に目指せる人だった。俺のこと理解して、認めてくれて、ちゃんと叱って、ちゃんと褒めてくれる人だった・・・」
ずび、と鼻を啜る音が聞こえてきたが、鳳如は帝斗ではなく、窓から見える景色を眺めていた。
「なんで煙桜なんだよ・・・っ。なんで俺じゃなくて煙桜がッ「帝斗」」
ぽん、と帝斗の頭の上に手を置く。
「煙桜は、そういう心算で俺達を助けたんじゃない」
「わかってるけどッ」
「煙桜は、自分が命を懸けてでも、お前たちを守りたいと思ったんだ。そういう存在になってたんだ」
「俺なんてッ」
「・・・帝斗、琉峯のところ行くぞ」
「へ」
琉峯は、片腕の無い状態で放心していた。
どこを見ているのかも分からず、まるで、以前の帝斗のようだ。
食事はおろか、水も飲んでいないらしい。
琉峯の部下たちを部屋から出すと、鳳如は帝斗を連れて部屋に入りドアを閉める。
「琉峯、顔あげろ」
「・・・・・・」
「琉峯」
「鳳如、まだ無理・・・」
「俺はな、煙桜みてぇに優しくねぇぞ」
琉峯に向けて言っているのか、もしくは帝斗に向けて言っているのかわからないが、鳳如の声は低かった。
「腕が一本無くなろうが、片目失くそうが、まだ戦わなきゃならねえんだ」
まだピクリとも動かない琉峯に、鳳如は続ける。
「失ったことをいつまでも引きずるな」
「!!!!!」
その言葉に、帝斗が動きだそうとするが、それよりも先に琉峯が鳳如を睨みつけ、その胸倉をつかんだ。
「煙桜は俺のせいでッ!!!」
「・・・・・・」
涙をボロボロ流しながら、琉峯はまた下を向いてしまった。
鳳如の胸倉を掴んでいた腕も放し、また力無く椅子に座る。
「琉峯」
鳳如の、まるで子供をあやすかのような優しい声が聞こえる。
「お前は、煙桜のためにこれから何が出来る?」
「・・・・・・」
「煙桜から何を教わった?」
「・・・・・・」
「煙桜から何を学んだ?」
「・・・・・・」
「煙桜の何を見てきた?」
「・・・・・・」
「煙桜と何を見てきた?」
「・・・・・・」
「思い出せ。考えろ。探せ。見つけろ。迷うな。澱むな。濁すな。忘れるな。その身体と目に焼きつけた、刻みつけたもんを無駄にするな」
「・・・・・・ッ」
「お前らが煙桜から感じたこと全てをここから先の未来に繋げ。希望を創れ」
「・・・・・・ッ」
そこまで言うと、鳳如は部屋から出ていく。
部屋に残された帝斗は、泣き続ける琉峯を見て、何かを決意する。
そして、両膝を曲げて琉峯と目線を合わせるように座って肩に手を置く。
「俺達が、煙桜が生きてきたって、煙桜の生き方は間違ってなかったって、証明してやろう」
「俺は、まだ弱い・・・」
「ああ。俺もな。でも、俺達は煙桜に沢山ビシビシ鍛えられて、沢山、煙桜の背中見て来たんだ。だろ?」
「・・・はい」
「大丈夫だ!な!俺は煙桜の次に古株だぞ?その俺が言ってるんだ!」
「・・・・・・」
「いや、そんな不安そうな顔すんなよ」
「・・・すみません」
「ったく。お前はまず食事だ!このままじゃ死んじまう」
「はい」
「よし。じゃ、俺は行くぞ。ちゃんと飯食うんだからな!確認するからな!」
「はい」
部屋から出た帝斗だったが、もう帰ったと思っていた鳳如が腕組をしてこちらを見て笑った。
「なんだよ、いたのか」
「まあね。さっきの俺に吐いた弱音はどこにいったのかと思って」
「・・・煙桜が繋いだ命、俺が守っていくんだ。俺が、煙桜の代わりになれるようにな」
「どうだろうねぇ」
「まだ若いけどな!ホープだからな!」
「煙桜の代わりは難しいよ?」
「まあな。けど、俺は俺のやり方で、煙桜に近づけるように頑張る。そう簡単にはなれ
ねえだろうけど、煙桜はまだ俺達の中にいるからな」
「・・・・・・」
「なんだよ」
「帝斗ってそういうクサイ台詞言うんだ―と思って」
「文句あんのか」
「ないよ。俺もフォローはしていくけど、あんまり期待しないで」
「してねぇよ。俺がリーダーシップ発揮してやらぁ」
「そりゃ楽しみだ」
2人で軽く笑い合っていると、琉峯が部屋から出てきて、2人を見てキョトンとしていた。
琉峯を連れて3人で食事をしていると、麗翔が目を覚ましたと報告が入る。
急いで様子を見に行くと、涙や鼻水を流しながらも、部下が運んでいた食事を口にしていた。
「ま、腹が減ってるってことは、本能が生きようとしてるってことだ」
その日、鳳如はみなが寝静まったころ、1人月を眺めていた。
思い出そうとしなくても溢れてくる記憶に、鳳如はそっと目を閉じる。
「 」
ふと、声が聞こえた気がした。
部屋を見渡すが、誰もいない。
月に視線を戻したとき、季節でもないのに桜の花びらが目の前に落ちてきた。
鳳如は目元を押さえたかと思うと、その揺れる瞳で月を見つめる。
「馬鹿野郎」
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