第10話
執務室の前の廊下には、夜摩の裁定を待つ死者たちが列をなしていた。この列は閻魔庁を抜け、東京駅の何層もめぐるエスカレーターに沿い、改札を抜けたその先にまで続いている。彼ら全員から夜摩は金をむしりとるのだろうが、死者の数からいって相当の金額になるとは明らかだった。
「夜摩のやつ、どんだけ稼ぐんだよ」
スメラギは思わず心の声を口にしていた。
「鬼籍データのシステム化の費用がだいぶかかったのでその返済にあてているんです」
篁がいうには、コンピュータその他必要なハードウェアは人間世界から購入したものだという。初期費用にずい分かかったという話で、夜摩は、人間のほうがよほどがめついとぼやいたらしい。
「でも、もうだいぶ返済し終わっているはずなんですが……」
「夜摩のことだから、自分が贅沢すんのにまわしてんじゃねーの?」
執務室では豪華なシャンデリアが存在感を主張していた。おそらくダイヤモンドだろう。革張りのソファーも特注のようだったし、夜摩は使いもしないパソコンは立派なデスクに鎮座していた。豪華なインテリアだが、金をかけるにしてもたかが知れている。差し引いても、死者たちから徴収した金はうなるほど余るはずだった。
「何に使ってんだろーな」
篁はスメラギの質問を独り言として聞き流し、後についてくるよう促した。
やがて連れてこられたデータ管理室と札の掲げられた部屋の扉の中央には、鋭い歯が剥き出しになった歯型が埋め込まれていた。それはいわゆるセキュリティロックというものだった。手を入れるなり噛まれて血が出るのだが、その血が鍵の役割を果たす。データ管理室の鍵は夜摩の血だった。
だが、夜摩は執務室にいる。どうするのかとみていると、篁はシャツの胸ポケットから小瓶を取り出した。赤くみえるのは中身の液体のせいだった。篁は小瓶の蓋をあけ、鬼の歯型の内に注いだ。歯が血に染まり、管理室のドアが静かに開いた。
「閻魔王の血です。本人にしか開けられないように鬼の歯型のロックを考えたのに、管理室に用があって出入りするたびに毎回噛まれるのは嫌だとか言って、瓶に入れたのを渡されているんです」
「それじゃ、瓶を手にした奴なら誰でも入れてセキュリティの意味がないんじゃね?」
「瓶の管理は万全です。私しか知らない場所に保管してありますから」
データ管理室の壁面は天井までの高さのある書架となって、その内には記帳がぎっりしりと並べたてられていた。書架は長方形の部屋の奥まで続き、見えない先の正面の壁もまた記帳で埋まっているだろうことは容易に想像できた。部屋の中央にはスチール製の長テーブルとパイプ椅子が並べられ、さながら試験会場のような雰囲気をかもしだしている。テーブルの上にはパソコンが並べられ、椅子に座った死者たちが一心不乱に何かを打ち込んでいた。
「古い鬼籍データを記帳から移す作業をしているんです」
「打ち込み作業はどうせ死んで地獄に落ちた奴を使ってタダ働きさせてんだろ?」
「よくわかりましたね」
「夜摩の考えそうなこった」
死者たちは壁面の書架から古い鬼籍データの記された記帳を取り出しては席に戻っていく。一冊の記帳の厚みは人の胸ほどあった。
「地獄で責め苦にさいなまれるよりはここで働くほうが何倍もましですよ」
「そういってタダ働きを正当化させようってのが夜摩らしいぜ」
夜摩への批判には何も言い返さず、篁は書架の間にスメラギを導いた。
「10年ぐらい前の記録だと本当はもうすべて電子化されているはずなんです」
「でも、検索にはひっかからなかったぜ」
「データベースそのものになかったからです」
「おいおい、それって打ち込み漏れか?」
スメラギはパソコンにむかって打ち込み作業をしている死者たちを見わたした。マシーンのように淡々と作業をしているが、元は人間であったのだから入力ミスがあってもおかしくはないのかもしれない。
「それはありません。獄卒たちがきちんと監視してくれていますから」
篁の言う獄卒とは、各テーブルの間を行ったり来たりしているものたちのことだった。彼らは入力作業はせず、時おりパソコン画面をのぞきこんだり、作業の手元をのぞいたりするだけだった。
「データベースは完璧です。私が構築したものなんですから。でもたまに書き換える不届きものがいるんです」
「書き換える?」
「死に方や死に場所、死後の行き先などを書き換えてしまうんです。死後の行き先はあらかじめ決まっていて、閻魔王の裁定を経ないと変更がきかないんです」
「それを変えちまう。データを書き換える、つまり、ハッカー?」
篁は唇を噛んでうなづいた。自身が構築し、セキュリティ対策も万全に施しているはずのデータベース内に侵入してそのデータを好き勝手に書き換えられることに対する不快感が顔にあらわれている。
「ハッカーが勇樹ちゃんのデータを消した?」
「可能性は否定できません。ですが、元データはここに管理されているはずですから」
手作業で記帳そのものから勇樹ちゃんの記録をあたればいいと、篁は言っていた。
5メートルはあるかと思われる天井まで届く書架を、スメラギは見上げた。記帳の数は膨大である。死亡した年の見当がついているため、記帳のすべてにあたるわけではないにしろ、気の遠くなる作業だった。
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