第8話

 東京駅構内、地下深く潜っていくエスカレーターには人々が連なり、長蛇の列を成していた。最後尾はエスカレーターの乗り場からはるか遠く離れた改札の外にまでのびている。先を急ぐスメラギは人のいない右側をかけおりていった。時折、スメラギを追い越そうと左側をかけていく人間もいる。彼らはエスカレーターに立ち並ぶ人々をすり抜けていった。

 ラッシュアワーをとうに過ぎた午後二時、エスカレータに立ち並んでいるのは通勤客ではない。並んでいるのは死者の霊たちだ。エスカレーターの先はそのまま地獄へと続いている。彼らは地獄の閻魔王に死後の行き先を融通してもらおうと長い列を連ねているのだった。

 死者たちの間をすり抜け、プラットホームにたどりついたスメラギは、エスカレーターの下部にあいた窪みに身を寄せ、「関係者以外立入禁止」と朱で書かれた小部屋の扉を入っていった。扉の向こうはあの世とこの世の境につながっている。薄暗い廊下の突当りが、スメラギの目指す閻魔庁の執務室だった。陳情の死人の列が廊下を埋め尽くし、執務室のドアまで続いている。

 ノックもせず、執務室の扉をあけると、今まさに閻魔王と死人とが死後の行き先について話し合いをしているところだった。

「社員をこき使って金儲けしてきたやんか。あんたに殺されたも同然な社員はぎょうさんおんねんで。ほかにも、あんた、金になるとなったら悪いことしてきてるやんか。そりゃ、地獄行きやわ。さんざん悪いことしておいて、いざ死んだら天国行きたいって、そんな虫のいい話――でも、あんたの出方ひとつで、天国へ行き先を変えてやってもええんやで――」

 地獄の閻魔王こと夜摩はそう言って、目の前にいる死者に妖艶な眼差しを向けた。地鳴りのような低い声とはいえ、金髪の美女に色目をつかわれ、死者はドギマギしている。

「ど、どうすれば……」

「地獄の沙汰は金次第や。わかるやろ」

 夜摩はしなをつくって死者の男のもとに歩み寄り、その顔に自分の胸を押し当てた。豊満な胸に押しつぶされながら、男は何度も頷いてみせた。金を払うという承諾のサインだった。

「それでええんや。ほな、こっちの言うだけの金出しなはれ」

 とたんに夜摩は男を突き放し、補佐役に命じてメモのようなものを男に手渡した。そのメモに書かれてあったのは金額だったのだろう。男はたちまち目を大きく見開いて、首を今度は横にふった。

「こんなに?! 出せませんよ!」

「出せる、出せないの問題やないでー。出さなあかん。出せないんやったら、地獄行き決定や――」

 やや間があった。夜摩はどさくさまぎれに男に揉みしだかれた胸を気にしていた。胸が本来ある位置より腰よりにずれ落ちている。

「……出し…ます」

「それでええんや」

 夜摩は嫣然と微笑んだ。しきりといじっていた胸もあるべき場所に落ち着いていた。豊満な胸は実は地獄に落ちた女から切り取って付けているもので、夜摩はれっきとした男である。だが、人の皮をなめして血で染めたという真紅のボディースーツはメリハリのある体の線を強調してみせ、黙っていさえすればふるいつきたくなるほどの美女である。

「みての通り、忙しいんや。相手してる暇はないで」

 男が出ていき、次の死者が執務室に入ってくる間、夜摩は、スメラギに一瞥をくれただけだった。

「別にあんたに用ってわけじゃねえし。ちょっと調べてもらいたいことがあってだな――」

「タダでとは言わんやろな」

「金なら振り込んでおいたぜ」

 とたんに夜摩の真赤な唇の口角があがった。

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