第2話

 警視庁捜査一課刑事、鴻巣一郎とは、とある事件を通して知り合った。時効の迫ったその事件をどうしても解決したいと鴻巣はスメラギを頼ってきたのだ。スメラギは表向きは浮気調査などを行う探偵稼業を営んでいるが、その裏では自身の特殊な才能を生かした仕事を請け負っている。

 スメラギは霊がみえる。生まれついての白髪はその特異体質と何か関係があるのかもしれない。霊視防止用にあつらえた紫水晶のメガネをかけていない限り、スメラギには、霊が生きている人間と何ら変わりない姿で見える。味噌汁をすすろうとしてくもったメガネをはずしたスメラギの目には、入り口近くの席につく老人の姿が見えている。上品な様子の老人は厨房の奥をみすえてじっとしている。テーブルの上には何も置かれていない。おかみはさきほどから近くを行ったり来たりしているが、注文をとる様子もなく、老人を無視し続けている。それもそのはず、おかみには老人が見えないのだ。

 霊のみえるスメラギは、この世に未練ある霊たちの心残りを解消し、成仏させる仕事に携わっている。鴻巣は、殺人事件の被害者の霊と話をして犯人を割り出してもらえたらとの依頼をもちこんできた。彼との付き合いはそれ以来である。その事件、子どもを含む一家全員が殺害され遺体の一部が持ち去られた富士見台一家殺人事件は思わぬ展開をみせ、もうひとつの未解決事件を生み出した。当時、富士宮署の刑事だった鴻巣は、現在は引き抜かれて警視庁の捜査一課刑事である。

 スメラギの知る鴻巣は、四十を少し過ぎた疲れた中年男だが、テレビにうつっている鴻巣は肌の艶もよく、心なしかふくよかで健康的にみえる。いつもはアイロンもろくにあてていないシャツに申し訳程度にネクタイをしめているだけだというのに、今日に限ってノリのきいた白いシャツにきちんとネクタイをしめ、地味だが清潔感のあるスーツを着ている。公務員らしいかっちりとした格好だが、シャツのすぐ下に抜き身の剣を抱えているような刑事独特の鋭さは隠し切れずにいた。

 鴻巣が出演しているテレビ番組は、未解決事件への情報提供を求めるという趣旨のものだった。事件発生から時間を経るにつれ、人々の関心は薄れ、記憶もあやふやになっていく。今一度、事件当時の記憶を呼び覚ましてもらおうと、事件のあらましを再現ドラマで説明し、解決につながる情報の提供を視聴者に呼びかけるという番組構成だった。鴻巣は、富士見台一家殺人事件と、事件関係者が殺害されたもう一つの事件との二つの事件の担当刑事として、どんなに些細な事柄でも構わないから情報を寄せてほしいと緊張した面持ちで懇願していた。

 情報を受け付けている電話番号のテロップが流れ、画面はコマーシャルに切り替わった。とたんにスメラギのケータイが鳴った。出てみれば、それはさっきまで画面を通して見ていた鴻巣からだった。

「おい、どうだったよ」

 鴻巣の声がいつになく上ずっている。上気した顔いろが容易に思い浮かんだ。

「様になってたぜ、頭下げるのが」

「何でもいいから、情報くださいって言って頭下げてこいって上から言われてきたからな」

「おっさん、化粧してたろ」

「テレビに出るってんで、なんか、塗りたくられちまってよぉ」

 生放送のテレビ番組に出演したとあって興奮気味の鴻巣とスメラギとが中学生同士のようなやり取りをしている間に、コマーシャルが終わり、番組が再開した。

 スタジオのセットで、司会役の男性タレントが次の事件を紹介している。画面は再現ドラマに切り替わった。その事件は幼児失踪事件で、通称「深山(みやま)の神隠し事件」として知られていた。

 7年前の8月、村上勇樹ちゃん(当時3歳)は、近所の子どもたちとそろって帰宅した。じきに昼食だからと玄関先の勇樹ちゃんにむかって声をかけ、母親は台所に引っ込んだ。昼食のそうめんを手に居間にやってきた母親は勇樹ちゃんがいないと気づいた。その間、わずか数分である。不思議に思い、母親は勇樹ちゃんを捜したが庭にも家のどこにも勇樹ちゃんの姿は見当たらなかった。

 自宅周辺に他の民家はない。村上家は人里離れた場所にぽつんと立つ家だった。一緒に遊んでいた近所の子どもたちの家まで、大人の足でも十五分はかかる。勇樹ちゃんの姿が見えないと知ると、母親は慌てて子どもたちの後を追った。走っていったのと、子どもたちが道草をしていたのとで、母親はすぐに彼らの背中に追いついた。母親は勇樹ちゃんが追いかけてきやしなかったかと尋ねたが、誰も勇樹ちゃんを見たものはいなかった。周囲は見わたす限りの野菜畑で視界は開けている。母親は子どもたちの後を追いながら道々勇樹ちゃんの姿を捜してきたのが、子どもが隠れるような場所はなかった。自宅に戻った母親は、今度は庭の片隅にたつ蔵の中をさがした。常に鍵をかけてあるのでまさか蔵には入っていないだろうと一旦は無視したものの、やはり気になったらしい。この蔵はその後、捜索の対象となった場所だったが、勇樹ちゃんは発見されなかった。

 ところで、自宅の裏には一家が所有する山林があった。勇樹ちゃんの自宅付近一帯にはかつて深い森の山々が連なっていたが、伐採と開発が進んだ現在は、地名としての深山(みやま)が残るばかりである。

 山とはいうものの、それほど高さはなく、せいぜい勾配のきつい坂道が続き、ところどころに樹木が茂っているといった程度のものだった。とはいえ、幼い子どもが入ったら迷うのは必至の場所には違いない。実際、勇樹ちゃんが行方不明になる1年前にも幼い男の子が付近で姿を消していた。

 母親ははじめ、勇樹ちゃんはこの裏山へ迷いこんでしまったかと疑い、とっさに縁側から山への入り口付近に視線を投げかけたが、遠目にも勇樹ちゃんの姿は確認できなかった。自宅と裏山とは少しばかり距離がある。子どもの足ではそうは遠くへ行けない。もしも勇樹ちゃんが裏山へ向かっていたとしたら、家にいないと気づいた母親が庭先から裏山の方向を見た時点で勇樹ちゃんの姿を目にしていたはずだった。それだけの時間と距離の余裕があった。にもかかわらず、勇樹ちゃんの姿はなかった。それで、母親はもしかしたら近所の子どもたちの後を追いかけていったのかもしれないと思い、慌てて家を飛び出したのだった。

 母親が昼食を用意していた数分の間に、勇樹ちゃんは自宅から忽然と姿を消してしまった。事件が神隠しと呼ばれる所以である。

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