第3話
再現ドラマが終わった。画面はスタジオに切り替わり、さっきまで鴻巣がいた場所には勇樹ちゃん失踪事件の担当刑事が座り、どんな小さな情報でもいいいので寄せてほしいと鴻巣同様に深々と頭を下げた。男性司会者が情報を受け付けている電話番号を案内すると、カメラがスタジオ内にあつらえられたテレフォンブースを映しだした。新人らしき若いアナウンサーが緊張した面持ちで失踪当時の勇樹ちゃんの服装を紹介し、画面はイラストで描かれた勇樹ちゃんの姿に切り替わった。赤い無地のTシャツに、モスグリーンのショートパンツ、靴は当時はやっていたアニメのキャラクターがプリントされたものをはいている。画面の片隅にはふたつの顔写真が並んでいた。勇樹ちゃんと、勇樹ちゃんの兄のようにみえるその写真は、失踪当時の写真と、成長した現在の想像図とを並べたものだった。画面は再びテレフォンブースにかわり、アナウンサーが番号を復唱する。その背後で、オペレーターたちが次々となる電話を取っていた。
「で、どうなんだよ。情報ってのはきてんの?」
スメラギは鴻巣の頭を下げた結果を尋ねた。
「いたずらがほとんどらしいぞ。それでもこっちは仕事柄、無視できねえけどな。たまに使い物になる情報ってのがまぎれているらしいが、それを見分けるのが一苦労なんだって。まあ、俺の担当事件に関してはお前も知っている通り、寄せられる情報の十のうち十がガセだけどな」
富士見台一家殺人事件は犯人逮捕に至らないまま時効を迎えてしまった。引き続いて起こった被害者遺族の殺人事件でも同じように遺体の一部が持ち去られた点から、当局では同一犯による犯行と断定し、事件を追っている。だが、スメラギも鴻巣も、犯人は決して捕まらないだろうと知っている。二つの事件の犯人は別人である。富士見台一家殺人事件に関していえば、犯人は死亡している。この事実を知っているのは、スメラギと鴻巣だけだ。二つ目の事件の犯人については、鴻巣は何の見当もついていないが、スメラギはその正体を知っている。鴻巣とスメラギだけが知る、二つの事件の犯人は別人という真実は世に出せないので、表立っては鴻巣も同一犯として追っているようなポーズを取ってみせるしかなかった。
コマーシャルがあけた。スタジオの男性司会者のすぐ隣には若い男が座っている。黒いシャツに黒い光沢のあるネクタイをしめ、スタジオ内だというのにサングラスをかけている。全身黒ずくめの服装のせいで、肩までの金髪がひときわ輝きを増している。
画面には彼の名前と肩書きが表示されていた。
スピリチュアルリーダー
東雲青竜(しののめ せいりゅう)
「霊能者ぁ? んなもん、インチキだぜ」
鴻巣と話しているスメラギの声が裏返った。スタジオにいる鴻巣から男についての詳しい紹介があった。夏休みの間中、各局で放送されていた心霊スポットめぐりだの、心霊写真を検証するテレビ番組で霊視能力をひけらかし、中性的で妖艶な外見のおかげもあって一躍時の人となった人物だという。
「じゃあ、おメェは何だってんだよ。霊能者じゃねぇのか? 霊がみえんだろ?」
「俺の他に霊視ができるやつがいたっておかしかねぇが、テレビに出るような奴らなんざ、全部ウソもんだぜ。最近、近しい人を亡くされましたねとかなんとか口火を切って、それでカモがほいほい『ええ、母が』とか何とかしゃべり始めたら、後から『実はお母さんの霊がさっきから私に話しかけてきて』とか言うんだぜ。見えてるなら、最初っから、あんたのおっかさんが、って言えるじゃねえかよ。それができないってことは、見えてないからっつーわけで、んなもん、霊能者でも何でもねえって」
専門用語ではコールドリーディングという。あらかじめ、いくつか普遍的な質問を用意しておき、対象者に投げかけていく。たとえば、「身近に亡くなった人がいますね」と質問されたら、対象者は思い当たる人物を思い浮かべる。大抵の人間は、誰かしらを失っている。「はい」と答える。その際、「はい」という回答だけではなく、「叔母が亡くなって」などという情報が得られたらしめたものである。対象者の年齢などから叔母の年齢は推測できるし、その後のやりとりから関係の深さなども推し量ることができる。後ははったりで「~ですね?」「~ではありませんか?」と語尾をあげての会話を続ければいい。まぐれあたりなら相手は驚くし、外れたとしても「いいえ、××です」と相手の方が次につながる情報を口にする。このトリックは占いにも用いられている。若い女性なら、悩みは十中八九、恋愛だろう。「彼とうまくいっていませんね―」(うまくいっていたら誰かに相談しようなどとは思わないはずだ)口火を切るのはこの一言で、後の火は相手が勝手に燃やしてくれる。
いかにインチキ霊能者が世の中で幅をきかせているかをスメラギが鴻巣相手に延々と語っている間中、生姜焼き定食に手もつけずに画面に見入っていた美月だったが、突然、ケータイ片手のスメラギの袖を軽く引いた。
「あんだよ?」
「この男、スギさんと同じこと言ってる――」
東雲青竜はサングラスに手をやっている。司会者をはじめ、ゲストやスタジオ観覧客の視線はそのサングラスにむけられている。
東雲青竜の説明によれば、サングラスにみえたその丸メガネは黒水晶を磨いたもので、霊視を防止するためにかけているのだという。
スタジオに霊がいるかと司会者にきかれ、東雲青竜はメガネをほんの少し鼻の下にむかってずらしてみせ、「いますね、だからかけてないと人間をみているのか霊をみているのか判断がつかない」と言った。とたんにスタジオ中にどよめきがわき起こった。スタジオのどこに霊がいるのか、もしかして自分のすぐそばにいやしないかと、誰もがそわそわと左右を見回したり、背後を振り返ったりと落ち着かない様子でいる。
司会者やゲストたちは、メガネを外した東雲青竜の目元に注目していた。それはカメラの向こう側にひかえる視聴者たちも同じだっただろう。視聴者の要望を受けたかのようにカメラは東雲青竜の顔をアップに映し出した。長い金髪とは対照的に黒々とした眉毛は丁寧に整えられており、目元は、瞳の色と同じ青色のアイシャドウに黒のアイラインで縁どられ、妖し気な雰囲気をかもしだしている。目立つようにと髪は染めたもの、青い瞳もコンタクトレンズなのだろうが、それにしては透明度が高く、瞳の放つ煌めきが自然でまっすぐだった。
スメラギは、東雲青竜に本当に霊がみえているのかどうかを見定めるように画面に食い入った。
スメラギが知る霊能力者はすべて、皇(すめらぎ)家の人間に限られる。父、慎也はもちろん、その父、そのまた父と、霊視能力は皇の血に深く潜み、子に孫にと受け継がれている。そういう血が他に流れていてもおかしくはない。霊視能力をもつ人間には、霊は生きた人間と変わりなく見える。霊を見ているとは気づかず、霊能力者としてではなく普通に生活している人間もいるかもしれない。霊視能力を持って生まれたスメラギは、紫水晶で作られたメガネをかけていないと生きた人間と霊との区別がつかない。
霊がどのようにこの世に存在しているかについては、見えている人間にしかわからない。生きている人間と変わりない姿でいると言い切った東雲青竜は、ひょっとすると自分同様、“本物”の霊能力者なのかもしれない。仲間であるかもしれないとおもうとスメラギは肌の粟立つほどの興奮を感じずにはいられなかった。
司会者に促され、東雲青竜はスタジオでの霊視を始めた。まだ若い、二十代前半ぐらいの女性をじっと見ていたかと思うと、東雲青竜は「最近親しい人を亡くされましたね」と言った。女性は眉をひそめ、「ええ」とだけ答えた。どうやらコールドリーディングを警戒し、身構えているようである。東雲青竜はかまわずに質問を続けた。
「随分と親しい仲でしたね」「男性。亡くなったのは、そう、この半年の間?」
だが女性は言葉少なに「ええ」と返事するだけだった。あまり語りたくないことなのか、心を閉ざしているようでもある。
「その方ですが、今、あなたのそばにいますよ」と東雲青竜が言うと、スタジオ中がざわついた。女性は思わず自分の背後を振り返った。
「その方からのメッセージです。自分を責めることはない。君は自分の幸せを求めてほしい。そうでないと安心してあの世にいけない。それから、指輪を身につけるのはやめて、海でも流してくれと言っています。海での事故だったんですね。波が……ずい分高い……ああ、サーフィン」
とたんに女性は泣き崩れ、堰切ったように話し出した。亡くなったのは恋人で、サーフィンをしていて高波にのみこまれてしまったのだという。そろいで買った指輪を、女性はペンダントとして常に身につけていた。女性が胸元からその指輪を取り出して見せると、カメラが寄っていった。
「彼は本物の霊能者かなあ、スギさん。スギさんにも彼女の恋人の霊がみえるかい?」
「霊ってのは、テレビにはうつんねえからなんとも言えねえなあ」
ケータイの向こうの鴻巣からも同じ質問をされ、スメラギは美月にも鴻巣にもこたえたととれる返事をした。
東雲青竜には見えたという、若い女性の恋人の霊がスメラギには見えなかった。目には生きた人間と変わりなく見える霊はしかし、テレビなどには映らないので、東雲青竜が霊能者であるかどうかの判断は保留となった。
仲間を失って落胆したというと奇妙になる。東雲青竜がスメラギと同類であるかははっきりしなかったのだから、そもそも仲間を得てはいない。それでも、手にしたとおもったものが指先をかすめていってしまったさびしさをスメラギは感じずにはいられなかった。
司会者がコマーシャルがあけに東雲青竜が勇樹ちゃん失踪現場を霊視と予告し、画面はコマーシャルに切り替わった。一分もしなかったはずのコマーシャルだが、スメラギにはやけに長く感じられた。いつの間にか、よろずの他の客たちも口は動かしながら目はテレビにくぎ付けになっていた。
コマーシャルがあけた。勇樹ちゃん失踪事件を再びざっとふりかえり、画面はスタジオから失踪現場となった勇樹ちゃんの自宅へと切り替わった。
自宅周辺に他の民家は見当たらない。秋の日の落ちは早い。撮影のためのライトがなければ自宅の裏にある山林は、たちはだかる深い闇の塊としか見えなかった。テレビクルーの一行はライトを手に山の奥へと進んでいった。東雲青竜が先へと促したからである。東雲青竜によれば、やはり勇樹ちゃんは山へと入って行ったのだという。だとすればその姿を母親が見ているはずの矛盾点については誰も指摘しなかった。
スタジオから東雲青竜は現場のクルーたちに行き先を告げた。「右へ――」「左へ――」。彼は、山にさまよう霊たちから情報を得て当時の勇樹ちゃんの行方を追っているのだという。やがて見えてきた「私有地につき立入禁止」の看板をクルーたちが通り越すと、東雲青竜はさらに先へ進むように指示した。
一行は先を急ぐ。看板からほどなくして広場のような場所に出るはずだと東雲青竜は予告していた。一行はその場所を目指している。落ち葉を踏みしだく乾いた足音と虫の音、現場の様子を伝えるリポーターの男性の押し殺した声以外に何も聞こえない。撮影ライトの光が闇を切り裂き続けていくこと数分、突然林が途絶え、一行は広場に行き当たった。まるで木々がそこだけむしりとられたような空間ができている。雲間からの月の光がそこだけ強くあたっていた。どうやらそこが東雲青竜のいう“広場のような場所”であるらしい。
「そこに勇樹ちゃんは眠っています――」
ワイプ画面でうつっている両親の顔がこわばった。
画面はいきなりコマーシャルに切り替わった。スメラギの気のせいなどではなく、今度は本当に長い間コマーシャルが流され続けていた。同じ清涼飲料水のコマーシャルが間にスポーツクラブのコマーシャルを挟んで三度流れ、その局でこの秋から始まるというドラマの宣伝が立て続けに二度流れた後にようやく番組が再開した。
画面にはスコップで地面を掘っているスタッフたちの姿が映しだされた。その様子をリポーターが小声ながらも滑舌よく伝えている。ワイプ画面にはスタジオにいる東雲青竜、自宅にいる勇樹ちゃん両親とがかわるがわるに映し出されていた。東雲青竜は自分の仕事は終えたとばかりに両目をかたく閉じて微動だにしない。勇樹ちゃんの両親は固唾をのんで現場の様子を見守っている。
突然、地面を掘っていたスタッフのひとりの動きが止まった。スコップの刃先に何か感触を得たようで、声をあげて人を呼んだ。とたんに他のものは作業の手を止め、声をあげたスタッフの周りに集まった。揺れ動いていた画面がようやく落ち着いたかとおもうと、その中心にはどすぐろい地面が映し出された。掘り返されたばかりでしっとりと艶めいた地面の底に、かすかに白いものがみえていた。スタッフのひとりが底にかけおり、素手で丁寧に白いものの周囲をかきだしはじめた。底を見下ろすスタッフやリポーターたちの姿が画面のはじにうつっていたが、リポーターはもはや語ることをやめて黙りこんでしまっていた。深い秋の夜に、求愛の虫の音ばかりがかまびすしい。
やがてほりかえされたものは、小さな人間の頭がい骨だった。
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