心霊探偵スメラギ - 神隠しの森

あじろ けい

第1話

「いらっしゃい!」

 のれんをくぐるなり、威勢のいい中年女性の声を浴びせかけられた。声の主は、定食屋“よろず”のおかみである。おかみは両腕に料理の乗った皿をいくつもかかえ、狭い店内を器用に動き回っていた。

 厨房から顔をのぞかせている店主が

「いいサンマが手に入ったんだ。塩焼きがうまいよ」

 と言うので、スメラギは軽くうなずいてみせた。それが注文の合図だった。

 “よろず”との付き合いはスメラギが中学生の頃からだから、もう10年以上になる。母とは幼い頃に死に別れ、父は家庭を、というよりスメラギを顧みない男だった。当然、料理などするわけもなく、食事はインスタント食品が主で、よくて定食屋へ連れてこられた。それが“よろず”だった。

 ひとり暮らしをするようになっても食生活に変わりはない。インスタントや冷凍食品に飽きると、よろずの味が恋しくなる。金がなくなればインスタント食品に後戻りするのいったりきたりをスメラギは繰り返している。

 10年以上もの間、月の半分も顔を出していれば家族も同然で、黙っていても白飯は大盛りで、漬物だの煮物だの、メニューにはないおかずの小鉢が一、二品ついてくる。おかみは、口では食べないといけないといいながら、スメラギが嫌いなトマトの付け合わせはよけておいてくれる。子どものいない夫婦にしてみれば、スメラギは息子も同然に思えるらしく、何かと気をまわしてくれる。実際、スメラギほどの年の子どもがいてもおかしくない年齢の夫婦だった。実の親ほど距離は近くなく、しょせんは店主と客という、断とうとおもえばいつでも切れる関係がかえって心地よく、スメラギはつい二人に甘えてしまう。今晩の夕食は旬のサンマの塩焼きに、サトイモとインゲンの煮物、ホウレンソウの胡麻和えの小鉢がついてきた。

「相変わらず、上手いね」

 サンマをつついていると、魚の食べ方がきれいだと褒められた。幼馴染の美月龍之介だった。仕事帰りによろずに寄ったものとみえ、白衣びゃくえに浅葱色の袴姿である。美月の家は代々、富士野宮神社の神主を務めている。現在の宮司は美月の父親で、美月自身はその補佐役の禰宜ねぎの職に就いている。

「きれいに食ってやらねえと成仏できねえだろうからな」

 スメラギは箸先を器用に操って骨から身をはがして口に運んだ。

「スギさんほどきれいに食べてやれないことだし、僕は生姜焼き定食にするかな」

 壁にずらりと並んだ品書きに一通り目をやり、美月は水をもってきたおかみに注文を告げた。

「お前が外食なんて珍しいな。おやじさんはどうした?」

「町内会の集まり。遅くなるから出先で食ってくるって」

「妹は? 最近料理始めたって言ってなかったか?」

「高校の修学旅行で、今いないんだ」

「ふたりともか?」

「うん」

 美月もまた数年前に母親を亡くしていた。美月には姉がいるが、その姉はすでに他所へ嫁いでいる。母親が亡くなってからは必要にかられて台所にたつようになった妹たちはふたりともに留守とあっては、美月とて独身ひとり暮らしのスメラギとかわりない。だが、スメラギと美月には決定的な違いがあった。

「女は? つくってくれる女ぐらい、いんだろ?」

「今はいないねえ」

 美月はふいと横をむいてしまった。美月はもてる。美月とは中学時代からの知り合いだが、その頃から美月は彼女という存在を欠かしたことがない。背が高く、柔和な面立ちで、やさしい物腰だから女の方が美月をほうっておかない。同じ背が高いのでも、スメラギとは大違いである。スメラギとだけは女の話はしまいと決めているかのように、この手の話になると美月の口は重くなる。それを知っていながら、スメラギはわざと話をふっかけるのが常だった。

「この間、みかけた女は?」

「もう終わったんだ……」

 一週間前、スメラギは女づれの美月をみかけた。3か月前とは違う女だった。もてる美月だが、もてるからこそだろうが、関係が長続きしたためしがない。

「お前なあ……お前みたいなんが女とっちまうから、こっちにまわってこねーんだよ。少しはこっちへまわすようにだな」

「スギさんに?」

 向き直った美月の目が大きく見開いていた。スメラギに女を紹介するなど、おもいつきもしなかったと言わんばかりの驚きようである。

「嫌だね」

 美月の物言いははっきりしていた。冗談にしてはやや険のある声音だった。

「スギさんには絶対女がいかないようにしてやる」

 そう言い放って美月はそっぽをむいたが、口元が少しほころんでいた。幼馴染のスメラギにだけ彼女ができないようにする企みが楽しくて仕方ないと笑いをかみ殺しきれずにいるらしい。

 食べ物を粗末にするなとおかみに叱られるのを承知で、サトイモのひとつでも投げつけてやらないと気がすまないと一番大きなイモをさがしていると

「ああ、鴻巣さんだ」

 スメラギに横顔を向けたまま、美月がふとつぶやいた。その視線の先には天井から吊られたテレビがあった。

「誰だって?」

 つられてテレビ画面を見上げるスメラギの目に、緊張した面持ちの四十がらみの男の顔がうつった。

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