第3話
「公爵閣下、よろしくお願いいたします」
スカートを裾をつまみ、会釈をする。
作業着を着てやる挨拶ではなかったかな。
不思議そうな顔をしている。
「何かお気に召さないことをしてしまいましたか?」
私が何かをやらかしてしまったら、国家に損失を与えてしまうかもしれない。
そう思うと、声が震えそうになる。
「失礼。貴女に身分を明かした覚えがなかったもので」
そう言われて、思わず口をおさえた。
「そのバッジから推測しました。お忍びでしたら申し訳ありません」
「いえ、気になさらなくて結構です。しかし公爵閣下と言われてしまうと身構えてしまうので、そうですね、キュリーと呼んでください」
まるで少年のような無防備な笑顔を見せてくる。
吸い込まれそうだ。
キュリー。
下の名前だろうか。
いや、そんなわけないじゃない!
何を考えているんだろうか。
「貴女の名は?」
「あ、申し遅れました! マリ・ラ・ジョリオと申します」
「なるほど。子爵殿でしたか。さぞ、お父様はご立派な方なのでしょう。礼儀が行き届いていらっしゃる」
「こ、光栄でございます」
名乗り忘れていた私に、その言葉は過分すぎる。
恥ずかしい。
「堅苦しくならず。ここではただの見学人です。普通に接してください」
そうもいかないとも思うが、その一言で気持ちが軽くなった。
「それでは、案内をお願いします」
「ヴェールランドが技術的にどういう国か存じているか」
歩き出したところで、私の歩調に合わせて侯爵が小声で話しかけてきた。
歩き出したのはいいものの、ルートも決まってないし、公爵閣下と多くの護衛の先頭に立つということに緊張しきりだったので、
「かなり先進的であると聞いてます」
聞いているだけじゃない。
ヴェールランドの輸入品をうちでも取り扱っているが、あの純度はもはや芸術だ。
「かなり、か。その通りだ。……そんなヴェールランドと技術的な提携を結ぶことになった」
「………!」
あのヴェールランドと…!
ヴェールランドの技術は、私なんかでは推し量れないくらい高みにいる。
そんな人たちと一緒に仕事をできるなんて、考えただけでワクワクする!
「………!」
そういえば私、クビになってた……。
この案内が、最初で最後の仕事で、ヴェールランドと関わる最後の機会になるのか……。
「どれくらい話をしていいのですか? 同盟国ではありますが」
「すべて手のうちを見せてもかまわんよ。どうせ後追いだ」
たしかにヴェールランドの後追いなのかもしれないが、なぜそんな言い方をするのだろう。
国全体をあげて支えなければいけない事業なのに。
技術の発展なくして国の発展はない、って言ってたのに。
「わかりました」
ともかく、制限なく話ができるのはうれしい。
ヴェールランドの話を聞けるかもしれない。
「締結し終わってはいるが、あまりに技術格差があると思われたら今後に響く。よろしく頼んだよ」
そう言われて、事の重大さに我に返る。
よろしく頼むと言われても、どうしたらいいかわからない。
侯爵にもケルヴィにも思うところはあるけど、この国のことは大好きだ。
とにかく、案内役をまっとうすることに集中しよう。
「こちらが会議室です。国から要望を受けて、プロジェクトを立ち上げます。こちらは……」
無難に会議室から、順々に説明していく。
どの話も、ヴェールランドのひと昔前のレベルでしかないのではないか。
そんな不安がよぎるが、私にできることは丁寧に話をするだけ。
「
案内するのが一番恥ずかしいところにきてしまった。
ヴェールランドの品質とは桁外れに悪い。
設備を見て、原始人だと思っているだろう。
「
「……そうです。原始的な方法ですみません」
公爵閣下の質問は、ちゃんと分かっている人の質問だ。
だから、この研究所のレベルにきっとあきれているだろう。
「とんでもない! 木炭であの純度を出せるのはすごい! 炉の構造に秘密があるのですか?」
興奮したような口調で、まるで少年のようなキラキラした目で聞いてくる。
「はい! 図を描いて説明してもいいですか?」
こんなところを見てくれる人はいなかった。
もしくは、公爵閣下の人柄にあてられてしまったのかもしれない。
だから、こんな事態になってしまったのかもしれない。
…………
……
「丁寧な説明をありがとうございます」
公爵閣下がそう言った。
気づいたら1時間も経っていた。
「ごめんなさい、しゃべり過ぎました……」
こんな見境なく自分がしゃべり続けるとは思わなかった。
仮にも貴族の女性なのに、恥ずかしい。
「とんでもない。こんな楽しい時間は久しぶりです。思わぬ収穫でした」
社交辞令なのか、本当にそう思ってくれているのかわからない。
いや、どう考えても社交辞令だろう。
「貴女の担当はここですか?」
「いえ、私は何の成果も出せていない
「考えた? 貴女がこれを?」
「いえ、そんな、私はただ思い付きを口に出しただけで、みんなの力です」
「このアイディアはどこから?」
「アイディアだなんて、そんな大それたものではなくて、召使が風呂をわかすときに、
「なるほど、すばらしい」
公爵閣下の人柄なのか、本当によく感心される。
本当に少年のようだ。
「貴女は、管理者じゃなくて、実際に職員として働いているのですか?」
そう質問された。
昨日のケルヴィの言葉を思い出した。
「はい。変、ですよね。ごめんなさい」
「なぜ謝るのですか?」
「女性が錬金術をやるなんて、おかしくないですか?」
「この国の思想ではそうなんですか?」
「公……、あなたの国では違うんですか?」
「違いますね。錬金術に性差があるという発想すらなかったです」
そうなんだ。
隣の国というだけで、そんなに考え方が違うんだ。
「現に、貴女は優秀でいらっしゃる」
「優秀? 私が?」
一度もそんなことを言われたことがない。
うれしい。
いや、社交辞令に何を真に受けてしまっているんだろう。
会って数時間も経っていないというのに、何が分かるわけでもないだろう。
この人といると、なんだか普通に物事を考えられない。
「……ありがとうございます」
「何か、気に障るようなこと言ってしまいましたか?」
公爵閣下を不安にさせてしまうような顔をしてしまっているのだろうか。
なぜこうも、私は愛想よく応答ができないのだろう。
「すみません。そのようなことを言われたことがなかったもので、戸惑ってしまって」
「そうでしたか」
公爵閣下は考え込むしぐさを見せる。
「貴女の説明は、深く理解している人の説明だ。誰にでもできることじゃない。しかもこの幅広い研究の、どの分野にも明るい。優秀という言葉も軽いくらいです」
「そうでしょうか」
言葉を正面から受け取ってはいけないと思いつつ、顔が緩みそうになる。
別にほめてほしくて、この仕事をやってきたわけじゃない。
でも仕事のことでほめられることが、こんなにうれしいだなんて思わなかった。
「女性に錬金術がふさわしくないという文化があるのに、貴女のような研究員を育て雇用しているとは、すばらしいですね。今はどのようなプロジェクトにかかわっているのですか?」
「…………」
どうしよう。
私がもうクビになっていると言うべきではない気がするけど、どう答えるべきか。
「解雇になりました。今日が退職日です」
こういうときの自然な流し方もわからない。
正直に言うのが一番だという結論になった。
「それはそれは」
公爵閣下は口元をおさえた。
やはり、気をつかわせてしまっている。
私は本当に会話が下手だ。
「閣下、そろそろ」
一番近くにいた護衛の人が、そう耳打ちした。
「すみません、時間が来てしまったようです。楽しい時間をありがとうございました」
私も楽しかった……。
じゃなくて
「こんなに長く、しかも不十分な案内になってしまい申し訳ありません!」
所内の半分も案内しきってない。
あの1時間を思い出すと赤面しそうになる。
「不十分? とんでもない。しかし、もっと貴女の話を聞きたかったというのはありますね」
「ありがとうございます」
どんな言葉も、恥ずかしくて死にそうだ。
「少々お待ちを」
そう言って公爵閣下は護衛に耳打ちをした。
護衛から白い封書を受け取り、ペンでさらさらと何かを書くと封書に入れた。
「ささやかなお礼です」
「そんな」
「ヴェールランドのしきたりのようなものです。受け取ってください」
貴女のような
思わず耳を抑える。
ありえないくらい耳が熱を持っている。
こんな距離で男性から言葉をかけられた記憶がない。
「それでは、お元気で」
私の手を握りしめた。
…………
……
公爵閣下が去るまで、去ったあともずっと立ちすくしていた。
我に返って、お礼も挨拶も見送りも何もできなかったことに気づいた。
死にたくなった。
握りしめられた手をじっと見る。
分かってる。
これはヴェールランドの握手というやつだ。
ただの他国の文化なんだ。
いったいどうなってしまったんだろう私は。
馬鹿みたいに封書を握りしめて立ち尽くして……。
部屋に戻ろう。
荷物の整理をしなきゃ。
そういえば、親になんて言おう。
部屋に着いたら、封書を開けていた。
精密な絵が描かれたパピルス紙が入っていた。
たしか、ヴェールランドの
パピルスが金貨などと同等の価値をもつと聞いたことがある。
そう思って紙幣を取り出すと、メッセージカードが出てきた。
社交辞令的なお礼のメッセージが書かれているのだろう。
それだけなはずなのに、おかしいくらい心臓が高鳴っている。
指が震えて落としてしまった。
拾い上げて、メッセージ面を上にする。
『今夜、20時にパスレルホテルで。貴女とお話ししたい』
全思考が停止した。
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