第2話 安住せず

 ハバラとマウラは、川沿いに半日ほど歩いてミナカタの屋敷に着いた。屋敷には大陸の宝物が並んでいるが、ハバラたちにとって珍しいものではない。


「ヌシらか、我に用事があるというのは?」


 ミナカタはマウラにも劣らぬ大きな男だった。ただ、海運国家の王とはいえ自分が船に乗ることはないから肌は白い。


「ワシは天磐船の船頭、ハバラ。縁あって、豊玉浦で天泡船あまのあわふねと同道することになった」


 ハバラは胸を張る。相手が国の王なら自分は天磐船の王。卑屈になることはないと虚勢を張っている。


「ふむ。シオツノフツと出会ったのだな?」


 ミナカタはハバラ達と視線の高さを同じくして訊いた。


「いかにも。その時、同道の礼にと、この鉄剣を譲り受けた」


 ハバラがシオツノフツからもらった剣を示すと、ミナカタがちらりとそれに眼をやった。


「シオツノフツは、どうしている?」


 ミナカタは感情を見せなかった。腹の底ではハバラ達が何事かを要求するために訪ねてきたのだろうと疑っているに違いない。


「対馬から壱岐に渡るとき、大嵐に出会った。天泡船は、天雷船あまのいかづちのふねと共に海の藻屑もくずと消えもうした」


「な、なんと……」


 ミナカタの表情がわずかに崩れた。


「……海の旅、運がなかったようだ」


 彼が口を結んだ。


 ハバラはミナカタが何か言うものと思い黙っていた。ミナカタもまた、ハバラの言葉を待っていた。


 仕方なくマウラが口を開いた。


「実は、我々は大陸から鍛冶屋の一族を乗せてきた。この国で鍛冶屋ができるのならば、置いていきたいのだが。……いかが?」


 ミナカタは表情を曇らせて立ち上がる。黙したまま遠くを見つめた。


「優れた大陸の者。住まわせませんか?」


 マウラが催促すると、ミナカタが目尻を上げた。


「天泡船の者たちの葬儀を行わねばならぬ。ヌシらの船にある鍛冶屋とやら、けがれを伴ってまいったのであろう」


 暗に、ナギたちのために天泡船が沈んだ。そんな彼らを自分の国に住まわせることはないと言っているのだ。


「そのようなことはない」


 マウラが言って立ち上がろうとするのを、ハバラは肩を強く抑えて止めた。


「されば、諦めましょう。この鉄剣は、元はといえばシオツノフツ殿のもの。必要とあれば、お返しするが……」


「シオツノフツがお主にそれを渡したのであれば、それはフツの魂。末永く帯同下され」


 ミナカタは召使を呼ぶと、ハバラとマウラを持てなして返せと命じ、自分は建物の奥に消えた。


「ワシの言い方がまずかったか?」


 出された食事をほおばりながらマウラが頭を掻いた。


「いいや。ワシが話しても似たようなものだっただろう」


「それにしてもミナカタというやつ。つかみどころのないオヤジだ。あれでモノノフ一党を率いているのだ。世の中は、不思議なものだ」


「こら。声がでかい」


「なあに、これが地声よ」


 マウラが酒で食べ物を胃袋に流し込み、さっさと立ち上がった。


「人を率いるには、何でもかんでも正直に話してはならぬのだ」


 ハバラは顔をしかめて教えた。


「腹の内を見せられぬやつに、ワシは付いて行かんぞ」


「お前は、誰の後も付いて行かないではないか」


 大股で先を行くマウラを、ハバラは慌てて追った。


「まだワシが心酔できる男がおらぬだけだ」


 マウラが足を速めた。


 道は暗くとも、船乗りには星という道案内がいる。おまけにその道は川沿いを走っているから、迷うことはなかった。深夜、ハバラとマウラは船に戻った。


 水夫もナギの家族も寝入っていて船上はひっそりとしていた。緩い波が船を揺らすのも揺りかごのようで、深い眠りをつくるのに良いのだろう。


「明日はどうする?」


 後部の甲板かんぱんでハバラは訊いた。


「決まっている。ツサ国に渡るだけだ」


 マウラの大声に気づいたナギが眼をさまし、甲板に上ってくる。後ろにはミカヅチもいた。


「その分では、話はまとまらなかったのですね」


「すまぬ。この辺りの者は、力と益にばかり気持ちが走っていていかん。明日は、もう少し東へ行く」


 ハバラがわずかに頭を下げた。


「私どものために、苦労を掛けます」


「なんの。苦労などではあるものか。我々の未来を開いておるのだ」


 マウラが応えた。


「未来、ですか?」


「おお。これからの時代、倭国には優秀な鍛冶が必要だ。それにワシはスサノオが気に入っている」


 マウラがカラカラ笑った。


「こら、声がでかい」


 ハバラはマウラの背中を叩いた。


「さて、ミカヅチ殿。約束通り、このフツの剣を受け取ってくれ。念のためにミナカタに確認したのだが、好きにしろということだったからな」


 ミカヅチに鉄剣を差し出す。


「俺は剣が欲しくて船を漕いだわけではない。鉄剣が欲しければ自分で作る。そんな物は要らんぞ」


 すると、マウラが剣を握った。


「心違いをするな。今となっては、これはただの鉄剣ではない。シオツノフツが黄泉の国へ行き、残されたフツの御霊のこめられた名剣よ。これはお前のためにやるのではない。お前がナギ殿の家族を守るためにやるのだ」


 彼は、改めてミカヅチの前に剣を突き出した。


 ミカヅチが主のナギに視線を向ける。


「ありがたいことだ。ミカヅチ、遠慮なくいただきなさい」


 ナギが告げた。


「ふむ……、そういうことならば、ありがたくいただこう」


 ミカヅチがフツの剣を腰しにいた。


§


 天候が悪く、天磐船が海峡を渡ってツサ国の入り江に入ったのは、イゴ国を出た翌々日になってのことだった。その周辺は山が海まで迫っていて大きなクニは少ない。猫の額のような土地にわずかばかりの人々が家を建てて畑を作り、あるいは魚や貝を取って暮らしを立てている。ツサも、そんな国のひとつだ。


 入り江には3方の山から短い川が流れ込んでいた。


「木々は豊富だ。砂鉄さえ取れれば、良い鉄も作れるだろう」


 口ではそう言ったものの、ナギはツサ国があまりにも辺ぴなことに力を落としていた。良い鉄をつくっても、それを求める人がいなければ仕事にならない。


「何はともあれ、上陸して見よう」


 マウラが真っ先に船をおり、その後にスサノオが続いた。


 ナギは砂浜の砂を手に取った。


「オッ……」


 手触りと色で、そこに砂鉄が含まれているとわかる。急な流れが岩山を削って砂鉄を運んでくるのだろう。ナ国で聞いた噂は事実だった。鉄づくりに必要な環境が整っているというのに、住人が少ないのが残念でならない。


 珍しく大型船が来たというので、海に近い家々の住人が浜辺に出てナギ達を歓迎した。彼らは、ナギ達の服装が初めて見るものなので、直接声を掛けることを躊躇い、水夫たちに「あれは誰か?」と遠巻きに尋ねた。


 大概の水夫は、漢から亡命してきた鍛冶だと話したが、マウラだけは「彼等は天から降りてきた神よ」といってナギの家族の権威を高めようとした。


「鍛冶というのは、どんな役職ですか?」


 その村のおさが遠慮がちに訊いた。


「鍛冶というのは、官吏の役職ではありません。鉄を打つ仕事をする者のことです。銅も扱いますが、これからは鉄の時代です」


 ナギが丁寧に話しても、鉄というものを知っている者が少ない。彼らの反応は悪かった。


「銅剣や銅鉾は知っているでしょう。鉄というのは、銅よりも強く、軽く、便利なものです。この砂の中に、鉄をつくる材料が含まれています」


 説明すると、長は国王の下に説明に走った。


「砂鉄はあるのか?」


 マウラがナギの元に寄って訊いた。


「イワイ王が言った通りだ。ここの砂に砂鉄が含まれている。上流から流れてくるのだろう。山も豊かだ。ここなら鉄は作れる」


 ナギは3方の山を指した。


「それは良かった。のう、スサノオ」


 マウラがスサノオを抱き上げ、自分のことのように喜んだ。


 村長むらおさの女房が進み出てきて家に案内した。その小さな竪穴式住居には、ナギの家族全員が入ることは無理で、ナギとハバラだけが入った。


 彼らは酒をふるまい、魚や貝を焼いて出した。


 村長にはエビスと同じ年頃の娘が2人いて、ナギとハバラの隣に陣取り酒を注いだ。


 村長がどんな説明をしたのか、しばらくすると頭に竹の皮で作った冠を乗せた男がころがるように走りこんで来た。


「これは、これは、アラハバキ様。大陸からわざわざお越しになられたとか……」


 アシナヅチという王の言葉は訛りなまりが強くナギには分かりにくかった。地べたに膝を折って頭を下げると両手を合わせて拝むので、最大の礼をもって受け入れているのは理解できた。


「これは参った」


 ハバラが、ひれ伏すアシナヅチの様子に驚いて額を打つ。


「この辺りでは砂鉄が取れると聞いて来ました。ここで鉄を作り、国を豊かにしたい。住むことを許していただけるか?」


 ナギも膝を折って相対した。


「もちろんですとも。どこでも好きな場所を選んでお住まい下さい」


 アシナヅチが即答した。


「それはありがたい。ところで、この国に炭焼きをしている者はおりますか?」


 鉄を打つには、高熱を出せる良質の炭が必要だ。


「炭焼き? はて……」


 アシナヅチも村長も、炭を知らなかった。


「そこからか……」


 鉄を打てるようになるには時間がかかりそうだ。……ため息がこぼれた。


 とはいえ、ナギはツサ国に住み着くことに決めた。文化は遅れているが人情に厚く、ナギたちを温かく迎えてくれるだろう。


 ナギは、家族と使用人の12人が住む竪穴式住居3棟と作業場3棟を山の中腹の川沿いに建てることに決め、人々の力を借りて工事に着手した。


 誰よりも生き生きと働いているのは陸に上がり話ができることになったトリイで、水夫たちも木の伐採や運搬に手を貸した。おかげで、建物は瞬く間に出来上がった。 それから土手に炭焼き窯を二つ造った。他に斜面を耕して小さな畑を作り、大陸から持ってきた種をまいた。


 村人は優しい。手の空いた時間ができると森の木を切りだし、あるいは木製の鋤や鍬を持参して畑を耕すのを手伝ってくれた。


「鉄が打てるようになったら、鋤や鍬も鉄製にしましょう。仕事が楽になりますよ」


 ナギが夢を語ると、村人は喜んだ。


「なんとか住めるようになったな」


 出来上がった住まいと畑を見回すマウラはいつものように陽気で、ナギ達を笑わせ、安心させてくれた。船を入り江に止めてから、すでに2カ月が過ぎている。


「そろそろワシたちは、海に戻る。天雷船の家族にも、船が沈んだことを教えてやらなければならん」


 そう告げる時ばかりは、マウラの顔に陰気な影が浮いた。


「父さん。頼みがあります」


 スサノオがナギの前に座った。


「どうした。珍しく神妙だな」


「俺は、もう一度船に乗り、旅をしたい」


 スサノオの申し出にマウラの顔がぱっと輝いた。が、反対にナギとナミの顔は曇った。


「鍛冶屋ではなく、船乗りになろうというのか?」


「違う。海や世界中の国々を見たいだけだ。それから、種や機織り機を大陸から買ってこよう。できたら馬も欲しい。倭国には馬がいないそうだ」


「スサノオは欲張りだな」


 ナギは笑ったが、ナミは今にも泣きだしそうな顔をしていた。


「楽浪を出るころはまだ子供だったが、この数カ月でスサノオは見違えるほど大人になった」


 そうは言ったがスサノオはまだまだ子供だ。ナミが手放さないだろう。……ナギは考えるふりをした。


「ひとりで船に乗るなんて、いけません」


 実際、ナミは反対した。


「ヨシ」


 十分な時間を使ってから、決心したふりをしてミカヅチに顔を向けた。


「ミカヅチ。すまないが、しばらく息子の面倒を見てくれ。何かあっても、ミカヅチがいれば安心だ」


「ミカヅチがいなくとも、ワシがいるから大丈夫だ」


 マウラが言ったが、ナギは微笑んでやりすごした。彼は良い男だが他人だ。


 ナギはミカヅチにスサノオの護衛を任せ、持っていた銭をすべてハバラにやった。


「これは多すぎる」


 ハバラが遠慮するので笑った。


「倭国では銭に意味がない。使ってください」


「ならば、漢で土産を買ってスサノオに持たせよう」


 ハバラはナギの手を握ると「再見」と言って乗船した。


 干しアワビや干し魚を積みこんだ天磐船が、スサノオを乗せて入り江を出る。


「間もなく秋になる。スサノオが戻ってくるのは、春が過ぎてからだろうな」


 船を見送るナギの隣でナミが泣いていた。

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