スサノオ立志伝 ――少年期4・急く――

明日乃たまご

第1話 男子、立つ

 スサノオの一家を乗せた天磐船あまのいわふねは、小さな島を右手に見ながら南下した。やがて島の背後に、大きな岬がぼんやりと薄紫色の姿を現す。


もしや、あれが倭国。いや、そうであってくれ。……ナギの胸に期待が膨らむ。


「スサノオ。見ろ。あの遠くに見えるのがマツラ国だ」


 マウラがスサノオを、ボウズでもワラシでもなく、名前で呼んだのはそれが初めてだった。


「それは倭国なのか?」と、スサノオ。


「そうよ。あそこから先、イト国、ナ国と、倭国のクニが続いている」


 マウラのやり取りを聞いたナギの目には涙が浮いた。イザ村を離れて不安の日々を過ごした。家族や使用人を無事に新天地に導くことができた安堵がそうさせた。


 岬が近づく。それはナギが思ったよりも大きく、緑豊かだった。海岸には小舟が浮かんでいて、魚や貝を取る老若男女の姿があった。


「ナギ殿。マツラに用事がないのなら、このままナ国に入ろう。そこがこの辺りでは一番大きな国だ。渡来人も多い」


 船頭のハバラが珍しく自ら申し出た。


「私は詳しくないので、ハバラ様にお任せします」


 ナギは彼のアドバイスに従うことにした。


 ハバラが船の舳先をに向けた。その山は近海を航行する際の目印だ。


「あの山の周囲がイト国。漢の役人がいるから、立ち入らな方がいいだろう」


 ハバラが教えた。


 船は海流に乗って東に進み、小さな崎を回って博多湾に入った。湾の西側がナ国になる。


「わしの祖父はこの国の生まれだ。会ったこともないが」


 そう言って志賀島に鋭い眼をやるのはツクリだった。


「ナ国の王はイワイ。祖父が漢から王の印綬を得たものだから、たいそう威張っているそうだ」


 船は志賀島には止まらず、さらに湾の奥深くの多田浦に向かう。そこには賑やかな港があり、奥には粗末ながら田畑が広がっていて、多くの人口を支えるのに十分なものに見えた。多田浦の舟泊まりには大小数隻の船が繋がれていて、荷物の積み下ろしをしていたが、天磐船ほど大きな船はなかった。


「ハバラ殿、皆々様、世話になりました」


 船が港に繫がれてから、ナギは船乗りたちに頭を下げた。やっと倭国に着いたという実感と安心が胸に溢れ、再び涙がこぼれそうだ。


「ナギ殿。安心するのはまだ早い。ナ国に受け入れられるという保証はない」


 マウラが不吉なことを言ってナギとその家族を不安にした。


 ツクリを見ると、彼女はマウラの言う通りだとでも言うように、小さくうなずいた。


「我らが快く迎えられないというのですか?」


 鍛冶の腕に自信があるだけに、ナギは納得がいかない。


「ナギ殿。この国には大陸からの難民が溢れている。お前さんたちのようになぁ。渡来する者の中には、口先だけの者や悪党も多い。それらの者に騙されたり、煮え湯を飲まされたりして良く思わない者も多いのが現実だ」


「なるほど、もっともです」


 説明に得心すると、顔に心細さが映る。


 マウラが大声で笑った。


「だが、心配はするな。倭国には沢山のクニがある。ここがダメでも他がある。お前さん方のような良い家族を受け入れるところは必ずあるものだ」


 彼は励ますが、それでナギが安心することはなかった。ただ住むだけではだめなのだ。鍛冶の腕がふるえる街でなければ意味がない。


王の許しを得るため、ナギはスサノオだけを連れて奴国の王に謁見を求めた。念のためにナ国に縁のあるツクリに通訳を頼んだ。


 集落の広場で長いことと待たされた。そこは儀式を行う場所でもあるらしく、中央には火を焚いた跡があって、周囲を注連縄で囲んでいる。


 しびれを切らしたスサノオが遊びに行こうとした時、イワイが姿を見せた。彼はナギたちの前に置かれた立派な椅子に掛ける。


「お主たちが、大陸から渡来した者か?」


 イワイが値踏みするようにナギの身なりを観察する。


「ひと月ほど前に、楽浪郡の伊佐村を抜け出てきたものです」


 ナギは正直に言った。それが悪かった。イワイが眉間にシワを寄せた。


「抜け出てきたと……、な?」


「わしはアマノツクリ。祖父はこの国の生まれで、今は対馬に暮らすものです。この家族は学識もあり、心善き者達。受け入れてはもらえませぬか」


 ツクリがイワイの質問をはぐらかそうと頼み込んだ。しかし、それでイワイは更に表情を怒らせる。


「ワシは漢より奴国の王と任じられたもの。礼をわきまえろ」


 ツクリに向かって一喝する。


「伊佐村のナギよ。お主は、漢族か?」


 その質問が、漢民族以外のものを下に見ているということは明らかで、ナギの誇りを傷つけた。


「私の出自は、漢族と朝鮮族を含み、古くはワイ族になります」


 応える瞳には爛々と激しい光が宿っている。


「フン……」


 イワイが視線を逸らした。怒りを収めたものと見える。


「この者たちは、鉄を加工できる鍛冶。王がお抱えになれば、なにかと益もありましょう」


 ツクリがナギを受け入れることのメリットを説いた。


「お見受けしたところ、この国に田畑は多い。鉄を鋤や鎌に使えば畑仕事もはかどります。それを私が作りましょう」


 ナギは卑屈を押し殺し、自分を売り込んだ。


「鉄器は大陸から良質なものを仕入れておる。鍛冶がいても何の役に立とう。鉄を鍛造するのであれば、西のツサ国にでも行くがよかろう。川の上流で鉄の元が取れると聞いている」


 彼が関心なさそうに言った。


 ツサ国で砂鉄が取れる。……ナギは良いことを聞いたと勇気を得た。そこに行けば、とも思ったが、ハバラが言うにはここが一番発展した国。ツサ国で鉄を作っても需要がなければどうしようもない。それで粘った。


「申し上げます。今、大陸は激動しています。いつ何時、その嵐がこの国を襲わないとも限りません。大陸の軍と戦うとなれば、鉄の武器が必ず必要となりましょう。ツサ国で砂鉄が取れるのならば、それを仕入れて鉄を作ればいかがです」


「だからこそナ国は漢王から金印を頂き、国の安全を図っておるのだ。そのような状況で、漢を裏切って逃げてきたものを住まわせ、まして敵対する武器を作るわけにはいかぬ。そうは思わないか?」


 イワイは声を上げて笑うと席を立ってしまった。


 ナ国での交渉は失敗に終わった。期待と自信が大きかっただけに、落胆は大きい。


「とうさん。予想されていたことだ。気にするな。次の港に行けばいいではないか」


 船に戻る道すがら、スサノオが大人のような言葉でナギを慰めた。


 いつの間にか息子が頼もしく成長していることに気づき、ナギはスサノオの頭をゴシゴシと撫でて涙をこらえた。


 港に戻ったナギは、面目ない、と交渉の結果をハバラに報告した。


「ダメとわかったら長居は無用。水と食料を積んだら出港だ。渡来人の少ない東のクニに行ってみよう。彼らの方が、大陸の文化を欲しているに違いない」


 自分がナギの家族をナ国に連れてきた手前、ハバラは責任を感じているようだった。


「受け入れてくれそうなクニがありますか?」


 ナミが訊いた。


「あるともさ。ツサ国のほうに砂鉄が出るとイワイ王が言ったのだろう? ツサは遠いが、イゴ国、ツソ国と回ってみるさ。どのみち、イゴのミナカタ王には天泡船が沈んだことを知らせなければならないから、ついでだ」


「それがいいだろう」


 マウラがすかさず賛同した。


§


 天磐船は水と食料を積み込むと、志賀島をぐるりと迂回して進路を東に向けた。海流に沿うことになるから、漕ぎ手にとっては楽な航海になる。


「イゴというのは、遠いのか?」


 スサノオがきくと、「明日の朝には着くさ」とマウラが応えた。


「イゴ国は海運で栄えている国で、対馬のツクリの一族とは商売難きのような国だ。わしは感心しないが、そこがスサノオにとって住みよい国ならば、住み着くのがいいだろう」


 ツクリが難しい顔を作っていた。


 ハバラは慎重に、陸地の地形を確認しながら、夜も天磐船を進めた。


「あれがイゴの国だ」


 翌早朝、ツクリが指さした。港は河口にあって決して大きくなかったが、その隣には造船所があって作りかけの大型船が見えた。


「天泡船の報告もある。今度はワシとマウラで交渉してこよう。ナギ殿は船で待っていてくれ」


 ハバラは港に船を入れるとマウラと共に船をおり、内陸部にあるミナカタの屋敷に向かった。


 船に残されたスサノオは、相変わらず何も話さないトリイの隣に座って、港で働く者たちの様子をうかがった。


「ここには大陸の者たちも多そうだ。漢の衣装の者も多い」


「……」トリイは応えない。


「トリイ、臭いぞ」


 スサノオがからかうと、トリイの頬がひくりと動く。


「気にしているんだ」


 顔を寄せると、トリイが目を開けた。普段のぼーっとしている目とは異なる力強い目をしていた。


「げっ」


 スサノオは怒られると思い、転がるようにして距離を取った。


 立ちあがったトリイが大きく背伸びをし、胸の中に新鮮な潮風をとりこんでスサノオを見下ろした。


 スサノオの心臓がどきどきと鳴る。


「おっ」


「立ったぞ」


 暇を持て余していた水夫たちがトリイに注目した。嵐の中でも動くことのないトリイなのだ。そのトリイが理由もなく立ちあがるはずがなかった。


 ニッっと、トリイが笑った。それから、何も言わずにその場に座りなおす。


「笑ったぞ」


 水夫たちが顔を見合わせた。


「やはり、あのワラシは、ただのワラシではなさそうだ」


 水夫たちはトリイの隣に並んだスサノオの背中に眼をやった。

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