第3話重ならない未来 







Wizardry

 重ならない未来 




 深海にいきる魚のように自ら燃えなければどこにも光はない。 明石海人










  空也とジンナーが色々大変なころ、一人黙々と救出にあたっていた海斗。


  「俺、存在を忘れられてる気がする・・・・・・。」


  置き去りにされていることをそれとなく知りながらも、国王の周りを何度も何度も回っては何かを調べていた。


  「やっぱりそうか。・・・・・・うーん。」


  首を捻りながら顎に手を当てる海斗に、国王はちょっと不安気に声をかけようとする。


  だが、海斗があまりに真剣にブツブツと独り言を言っているため、黙って海斗が動きだすのを待つことにした。


  「よし!」


  元気よく声を出し、両手で頬をパチンッと叩いて気合いを入れ直すと、海斗はまず、自分と国王を別の空間に移動させた。


  別の空間と言っても、自分たちの周りに外からは見えない空気の壁を作っただけだ。


  中はカラフルというにはあまりに汚く、色んな絵具を適当に合わせた壁が回転しているだけの空間だ。


  海斗が両手を広げてブンブンと弧を描き始めると、辺り一面に時計が現れた。


  時計の形はそれぞれで、丸いものもあれば四角もあり、デジタルもあればアナログもあるのだが、共通していることは、それらの時計の針がとても速く進んでいること。


  「これは・・・・・・。」


  これから海斗が何をしようとしているのか国王は気付き、大人しくその場にいることにした。


  両手を合わせて何か呪文を呟くと、海斗の手の中へと、周りの時計が次々に吸い寄せられていき、手の中に収まる。


  ゆっくり手の中の時計を解放すると、時計は国王の周りへと飛んでいき、触れるか触れないかくらいの場所でピタッ、とくっつく。


  「じゃあ、いきます。多少身体の方に負担がかかるかもしれませんけど・・・・・・。」


  「ああ、承知している。構わん。やってくれ。」


  「わかりました。」


  時計たちは海斗の指示を待っていたかのように、海斗が頷くと同時に、ぐるぐると高速で動きだした。


  国王の顔色はみるみる生気が抜けていき、気持ち悪そうに口を手で覆った。


  ピタッ、と時計の針が止まると、海斗はすぐに空間を解き放ち、国王の腕を自分の肩に回して地面へと下りていく。


  久しぶりの地面の感覚をそっと踏みしめると、国王は安心したように息を吸い、肺にいっぱいの酸素を取り込んだ。


  「海斗君、ありがとう。」


  「い、いいえ。」


  国王に御礼を言われ、海斗は恥ずかしげに頬をかきながら、肩にまわしていた国王の腕を下ろした。


  「それにしても、私の為に禁忌を使わせてしまったね。申し訳ない。」


  「緊急事態ですからね。でも・・・その・・・。」


  「安心してくれ。君を咎める心算は無い。」


  海斗の使った魔法は、時間を進めるという禁忌のもの。


  国王の周りの空気の時間だけをジンナーは止めていたため、国王は空中に磔にされているという、不思議な光景が出来たのだ。


  この魔法は、魔法をかけた当人が解くか、外側から魔法を解いてもらうしか方法が無い。


  時間の止まった空間の中にいる人間は、その中で動けることは出来ても、魔法を解くことは出来ないからだ。


  禁忌とは言っても、それほど使われる機会は無い。


  相手が動いている状態では、この魔法はとてもかけにくく、リスクの方が高くなってしまうため、あまり使われない。


  「空也達、大丈夫ですかね。ちょっと見てきますか?」


  地面に来てしまったので、部屋の中の様子が全く見えなくなってしまった海斗は、一応空也も含め、ナルキやソルティの事も気になっている。


  「いや。ここで待とう。」


  そう国王に言われてしまい、海斗は行きたい気持ちを抑えて、その場で待つことにした。








  ここで待とう、そう決めた海斗だったが、重要な事を思い出した。


  「あ。」


  「どうした?」


  「あの、傀儡蟲・・・・・・。取り除いた方がいいんじゃ・・・・・・。」


  国王が宙で磔、それにばかり脳が意識を向けていて、国王の体内を蝕んでいる傀儡蟲の存在を、すっかり忘れていた。


  痛みは無いのか、国王はケロッとした顔で答えた。


  「私も忘れていたよ。道理で身体がモゾモゾするわけだ。」


  ハハハ、と軽く笑いはじめた国王だが、自体は急を要する。


  傀儡蟲は主人にとても忠実である代わりに、忠実であるが故に、危険が迫っても逃げないという習性を持っている。


  つまり、住処を与えてくれた、それだけの関係の主人のために、自己犠牲も厭わないのだ。


  住処となった人間の身体を蝕む能力は強いが、場所によっては蝕む時間が限られている。


  特に胃酸といった、消化されやすい場所にいる場合、傀儡蟲の殻も強固とはいっても溶けないわけではないため、溶けだしたら簡単に消えてしまう。


  人間の身体は未知数で、身体を守るために様々な細胞やシステムなどが備わっているのだ。


  それを活用出来るか出来ないかは、人間次第であり、良くも悪くも人間の身体は進化し続けている。


  「傀儡蟲は白血球に発見され、今頃は消化されているか、攻撃されているかだろう。」


  「え、そんなんで大丈夫なんですか!?あんなに重大そうな感じで会話に出てきていたのに!?」


  「もともとこの蟲は、別の住処を与えてやればすぐにいなくなる。傀儡蟲にとって何より大事なのは“居場所”だ。忠誠心は感謝の気持ちにすぎない。」


  「なんか、可哀そう。」








  思い通りに動かない身体に鞭を打ち、ジンナーは上半身をなんとか起こす。


  片方の足は伸ばしたまま、もう片方の足は膝を折り、その膝の上に肘を乗せ、顔は下に向けたまま呼吸を繰り返す。


  悔しそうに唇を強く噛んでいると、微かに血が滲んでくる。


  まだ身体が重く感じているジンナーは、ただただ少し距離を置いた場所に立っている空也を、睨むことしか出来ない。


  「“死ぬ覚悟”、だと?空也、お前何を寝ぼけたことを言ってる?死ぬのに覚悟なんていらないだろ。覚悟が必要なのは“生きる”方だ。」


  荒げたままの呼吸音が部屋に小さく響き、ジンナーの胸元も前後に動いているのが分かる。


  自分の胸倉を掴むようにして息をするジンナーに、鋭い獣の瞳を見せる空也の目が、酷く痛く突き刺さる。


  「生きる覚悟は最低条件であって、それが無い奴はこの世に生を受けない。この世に命を授かった奴は皆、生きる覚悟があると、判断されて産まれてきたんだ。どう生きるか、どういう生き方を選んでいくかは個人の問題。考えかた次第だ。」


  「随分、乱暴だな。」


  徐々に呼吸が整ってきたジンナーは、ふらつく足下を見ながらゆっくり立ちあがり、床を這っていく視線は、最後に空也に行きついた。


  二人の視線が交わった瞬間、二人の間の空間に空気の渦が生じた。


  それは瞬間的なもので、決して長い時間続いていたわけでは無いのだが、その一瞬の出来事によって、壁や床、天井には真新しい深い切れ目が出来る。


  「死ぬこと前提に生きろってか?それは“生”にとっての冒涜だと俺は思うぜ。そんな人間、一人だっているわけ無い。お先真っ暗で生きてても、何も楽しく無いだろ?違うか?」


  「・・・・・・。お先真っ暗だと思っているのは、勝手にそう感じてるだけだ。」


  「事実だ。現に、この世の中を見てみろよ!正直者は馬鹿を見て、嘘吐き共が良い夢見られる、そんな世の中だ。いいか、世の中を動かしているのは、金、権力、名声、この三つだ。無責任な言葉並べて知らん顔。弱者を捌け口にして、自分は強いんだとオーバーに主張。幸福な立場にいながらも、自分は不幸なんだと勘違い。そんな世の中で、誰もが死ぬことなんて考えちゃいない。」


  調子が元に戻ってきたのか、饒舌になってきたジンナーを、相も変わらず不愉快そうに見ている空也。


  身体も言う事を聞いてくれようになり、ジンナーは空也に近づこうとする。


  だが、先程のこともあるからか、一歩歩を進めたところでジンナーはピタリ、と足を止めた。


  仕返しをするために拳を作り、タンッ、と靴で床を踏みつけると、床から蔓がニュルニュルと伸びてきて、空也の足下に絡みつこうとした。


  蔓は段々空也の上半身にまで伸びてきたが、空也は焦ることなく口を開く。


  「人は無力だ。」


  「・・・・・・ああ?」


  自分の身体に巻き付いてくる蔓に目をやりながら発した空也の言葉に、ジンナーは思いっきり顔を歪める。


  空也の首にまで蔓が到達したことを確認すると、ジンナーは空也の首を絞めるように指示を出した。


  ゆっくりと喉を圧迫していく蔓に、口元に弧を描いて喜びを表現したジンナー。


  それは悪魔と呼ぶには生易しいもので、目の前の冷酷な光景を見ている感情表現としては、通常のものとは真逆のものだ。


  「そうだな、空也。人は無力だ。」








  確かに喉を絞められている。


  酸素を肺に送り込む最初の経路である喉が、確かに首が若干くびれているほどに締められているはずなのだ。


  それにも係わらず、空也本人は至って普通だ。


  苦しそうに喚くわけでも無く、助けてほしいと乞うわけでも無く、自分の喉を解放しようと動き出すわけでも無い。


  それどころか、今までよりもずっと鋭い視線でジンナーを見つめている。


  「人は死ぬことを無意識に覚悟している。だから楽しく生きようとしているんだ。本能として、生と死を受け入れている。だからジンナー、お前もそれを恐れて薬を欲している。」


  空也を締めつけている蔓が、なぜかユルユルと首から離れていく。


  首に痕は残ってしまったものの、空也の喉は無事に解放され、酸素も十分に供給されるようになった。


  「未来は暗いかもしれない。世の中は汚いかもしれない。つまらないかもしれない。どうでもいいと思うかもしれない。不幸なんだと嘆くかもしれない。それでも、ジンナーが言うように、今を楽しく生きようとしている。」


  床から出てきた蔓は完全に姿を消してしまい、ジンナーは何事かと思いもう一度呼び出そうとするが、蔓だけでなく、他の植物たちも出てくる気配すら無かった。


  空也に睨みをきかせてみるが、睨んでいるジンナーの方が後ずさってしまうほど、今の空也には近づいてはいけないと、本能が察知した。


  「人間はそうやって無力を力に変えてきた。」


  「無力を力・・・?何言ってんだ?」


  「その力を見せびらかして振り回すから、時に自然の脅威に遭う。」


  自然の脅威、例えば台風や地震、津波に火事、洪水に竜巻、落雷や吹雪、嵐などが挙げられるだろうか。


  人間がそれほど知恵や知識を出そうが、打ち勝てないものの方が多い。


  自分達の居場所を作るために、他の生き物の居場所を壊したり、生活を便利にしようとすればするほど、聞こえない泣き声が響き渡る。


  “言葉”というものは凶器や武器といった類にもなり得る。


  簡単に傷付ける事が出来、怯えさせる事も、泣かせることも、笑わせることも、嘘をつくことも出来るようになった。


  それを使えば、自分を強く見せる事も、優しく見せることも容易だ。


  「自然が牙を向けば、人間は涙を見ることになる。」


  空也は自分の首に指を滑らせて、先程蔓に巻かれた部分を左右に摩る。


  「自然を壊した代償として、無差別に、無作為に抽出された人間の命を奪う。その時やっと、人間は己の行いを悔やみ、命の尊さを知る。“後悔”という罰を与えることによって、自然は常に警鐘を鳴らし続けている。」


  首を摩る指を止めてブラン、と重力に従って腕を下ろすと、空也はジンナーの足下を眺める。


  じっと見ていると、ジンナーの足下からはいきなり剣山が現れ、ジンナーの腕や足の間で交差し、喉元スレスレの場所で止まった。


  ゴクリ、と息を呑んだだけで、切っ先の冷たい感覚が皮膚に伝わってくる。


  冷や汗もタラリ、と静かに流れると、剣山の先からゆっくりと刃筋を通り、床に僅かなシミを作った。


  「ジンナー。」


  「・・・・・・なんだ?」


  「自然を弄べば、それもいずれは脅威となる。」








  「おいおい、空也。自分だって弄んでるだろ。それに、俺達は弄んでいるわけじゃなく、自然の力を借りてるんだ。要は、言い方の違いだろ?」


  動かない、否、動かせない身体を硬直させたまま強気に話すジンナーだが、手足から吹き出る汗は止まらない。


  「自然とは共存しているんだ。そうだ!これだ!聞いたか空也?俺達は共存相手として、自然を選んだんだ!」


  自分の閃きに自分でトキメイたのか、ジンナーは嬉しそうに言葉を綴る。


  共存というワードを連呼し始めたジンナーを止めるべく、空也は剣山に包まれたジンナーを見ながら遮る作業に入る。


  「自然との共存は大切だ。」


  「だろ!?」


  「昔は人と自然は上手く調和してきた。自然の力を借りて生活の潤いとし、代わりに自然を守っていくことを当たり前に行ってきた。」


  「ほらみろ。立派じゃないか。」


  「でも、今の状況は共存とは言わない。」


  自分の考えを真っ向から否定され、ジンナーは唇を尖らせて、まるで子供のように不機嫌を露わにする。


  「じゃあ、なんて言うんだ?」


  明るくなった口調から、一気にトーンダウンした声色で空也に問いかけると、剣山がぐにゃりと曲がりだした。


  ゴムのような感触になったため、首に当たっても痛くなく、ジンナーは身体を自由に動かせる様になった。


  解放されたと思った矢先、ジンナーの身体は再び動かなくなる。


  視線の先にいる、動かなくなった原因を作ったと思われる張本人を見ると、ニッと口だけに笑みを描いた。


  「寄生、だな。」


  「寄生?お前馬鹿か。馬鹿だな。馬鹿って言うと可哀そうだな。じゃあ、ちょっと頭が弱いお方ですね・・・・・・?」


  「馬鹿はお前だ。寄生してるのは人間の方だ。自然という再生可能だと思い、信じている大きな存在にしがみ付いて離さない、完全な寄生だ。」


  馬鹿だと言われると、また拗ねそうになったジンナーに、空也は呆れたように目を細める。


  空也が指をパチン、と鳴らすと、ジンナーの身体はまた急に動かせるようになり、ジンナーはそれを確かめるのに腕をブンブン振りだす。


  掌を開いて閉じてを繰り返しているジンナーを見ることなく、空也は欠伸をする。


  「寄生ね~。お前、変わってるとは思ってたけど、そこまでとはな。」


  「寄生は、宿主が死ねば自らの命も途絶える事を知っていなければならない。その点で言えば、寄生虫以下だな。そのことさえ未だに分かっちゃいない。」


  ニヤニヤと余裕そうに笑ってはいるものの、警報を鳴らし続けている本能を無視できないでいるジンナー。


  「寄生虫以下・・・か。よくもまぁ、自分たちのことをそこまで言えるな。」


  じわじわと忍び寄ってくる空也の違和感に、掌の汗を必死に服で拭い去ろうとするが、次々に出てくるため、追いつかない。


  空也が一歩近づいてくると、身体が勝手に一歩後ろへと動く。


  自然への寄生虫だと言われ、普通であれば否定するところなのだろうが、実際問題、自然の恵み無しには生きていけないだろう。


  ジンナーも口では否定しているが、ちゃんとそこは理解しているし、自覚している。


  恩恵を受けつつ、同じ過ちを犯し続ける人間に対し、常に自然は警報を鳴らしてはいるものの、それに気付く者は少ない。


  当たり前だと思っている生活が、決して当たり前では無いこと。


  空也の言っている事を認めてはいるが、どこか悔しいのか、ジンナーは簡単に同意をしない。


  「自分のことだから、そこまで言わないといけない。自分に甘くなるから、未来が暗いだのなんだの言い出すんだ。」


  一気にケリをつけようと、ジンナーは空也の脳を狙う算段をつける。


  まずは、天井と空也の背中側の壁から鎖をつくり、空也の首、手首、足首、腰を固定させる。


  次に行ったことは、床を土に変えて水分を含ませ、空也の足が鎖ごと向う脛まで沈んだところで、再び土からコンクリートに戻した。


  これで大体は身動きを封じたことになるが、それでもまだ心配だったジンナーは、鎖の周りに水を纏わせると、一気に氷点下まで下げ、凍らせる。


  ジャラジャラと音すらしなくなった鎖は、さらに冷たさを増す。


  徐々に空也の肌の変化が始まり、寒そうにゆっくりと息を吐き出しながらも、空也の唇は紫になりかけている。


  「正直、俺は寄生してようが別にいいんだよ。生きるための寄生なら仕方ないだろ。賢い生き方だ。人に依存しようが、物に依存しようが、自然に依存しようが、生きていくのに手段を選んでなんかいられない。」


  フッ、と自嘲するジンナーは、ゆっくりと肩腕を上げ始め、自分の目線の高さまで持っていく。


  人差し指と親指を立てて他の指を折りたたみ、空也の額に照準を合わせると、ジンナーの掌にはいつの間にか銃が握り締められていた。


  黒光りするその銃を軽く掴み、人差し指を引き金にかける。


  空也の額に×印をつけて外れないように準備を整えると、ふと、空也の右人差し指に光る、まだ外していない残りの指輪に目が向かう。


  銃を構えたまま空也に近づき、器用に指輪を外そうとする。


  だが、空也が掌をグーに握ってしまったため、指輪が取れなくなってしまい、ジンナーは意地でも取ろうと、額に向けていた銃で空也の指を撃った。


  掠めただけだが、空也の手から力が抜けるのには十分で、銃を額に戻しながら、空いている方の手で指輪に手をかける。


  「さてと、どっちからやるかな。」


  ふむ、とジンナーは指輪にかけた手と、空也の首にかかっているカプセル型のネックレスを交互に見ながら、何か考え始めた。


  どうやら、指輪を外して空也に止めを刺してから薬を奪おうか、薬を奪ってから指輪を外してみようか、悩んでいるようだ。


  どちらでもいいのだが、ジンナーにとっては愉しめるか愉しめないかの大きな問題のようだ。


  「ん。ここは賢いところを見せるためにも、まず薬を飲んでから、ってことにしよう。」








  力付くで空也のネックレスを引き千切ると、銃をプカプカ宙に浮かせて、ジンナーはカプセルを開けた。


  中に入っている少量の透明の液体を見ると、妖艶に笑って一気に喉へと流し込む。


  「ん~?何か変化あるのか、これ?わかんねぇな。」


  本当に不老不死になったのかなど、今すぐに分かるわけがなく、ジンナーは首を傾げたまま銃に手を戻す。


  「ま、いいか。」


  引き金に指をかけて、空也の指輪を外す作業に取り掛かる。


  指の根基まで入っていた指輪は、徐々に指先の方へと移動して行き、完全に空也から離れるというとき、ふいに空也が口を開いた。


  「薬使いは、禁忌を犯した。」


  「あ?」


  自分の高祖父の罪を掘り返されたジンナーは、ピクッ、と眉を上げて空也を見下す。


  「お前の高祖父は確かに立派な薬使いだった。禁忌さえ犯さなければ、きっと現代にもその名を轟かせていただろう。」


  「・・・だから何だ?今更命乞いでも始めたのか?それで助かるとでも思ってるのか?」


  「お前の高祖父と俺の高祖父は、信頼し合っていた。だから俺の家系が薬を受け継いできた。」


  「信頼し合っていた?ハッ。何を言ってんだか・・・・・・。お前の先祖のせいで俺の先祖は磔にされたんだ!裏切ったんだろ!?自分の地位を守るために!!!」


  銃口を空也の額に密着させ、感情の赴くままに行動するジンナーを、冷静に見ているだけの空也。


  「それでお前の先祖は英雄となった・・・・・・!!!一方、俺の一族は魔法界の一角で生活をするように強制された。他には誰も住んでいない、荒れ果てた荒野でな!」


  「違う。」


  「何が違う!?言ってみろ!!!」


  凍傷しそうな自分の身体に鞭を打って、空也は細く小さくなった声で、ジンナーと視線を交えながら話す。


  「ジンナーの高祖父は、自害したんだ。」


  「・・・・・・!!?」


  耳を疑う言葉が空也の口から出てきたことにより、なんとか保っていたジンナーの理性は簡単に切れた。


  銃口を、額から足や手と、ランダムに持っていくと次々に撃っていった。


  銃声が鳴る度に悲痛めいた顔をする空也だが、決して声を出すことは無く、ただひたすらジンナーが落ち着くのを待っていた。


  そうはいっても、ジンナーの持っている銃は銃弾が入っているわけではなく、ジンナーの意思と共鳴しているため、なかなか終わることは無い。


  正確なことは分からないが、数十発にも及ぶ銃声が鳴り響いたあと、やっとジンナーの荒い呼吸音だけが聞こえてきた。


  銃の扱い方が下手なのか、それともワザと外してくれたのか、空也にはほとんど当たっていないことが、せめてもの救いだろうか。


  「自害・・・だと?そんなわけ無いだろう!!!?」


  「俺の高祖父直筆の手紙を見つけた。そこには、お前の高祖父との思い出が書かれていた。それから、お前の高祖父は自害して、自害なんて不名誉なこと世間に知らせるわけにはいかないと、俺の高祖父は自らが磔にしたような物語を作らせたことも。当時、国民を磔にするなど、国王のすべき行為では無いと批判もあったそうだ。それでも、お前の高祖父の不名誉を隠す為に、悪役を買って出たんだ!」


  「うるせぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!!!!」








  ガバッ、とジンナーは空也に向けていた銃口を自分のこめかみに当てた。


  唾を何度も呑みこんでは、緊張からか唾など出てこないはずの口内を、必死に潤そうとしている。


  「止めておけ。」


  「うるせぇッ!!俺は不老不死だ・・・。こんなことで死なないんだよ!!」


  「死ぬから、止めておけ。」


  自ら引き金を引くなど、そう簡単に出来ることでは無い。


  睨んでも睨みきれていないジンナーの目つきは、どこか不安気で怯えているのが、空也から見ても容易に分かる。


  「お前が飲んだのは、ただの水だ。此処に来る前にすり替えてきた。」


  納得いったのかいっていないのか、ジンナーは空也の言葉を疑いながらも、もしかしたら、という不安が拭いきれないでいる。


  こめかみに当てていた銃を下げていき、床を狙って一発撃つ。


  「そうか・・・残念だ。」


  途中だった、空也の指輪を外す作業を再開しようとすると、その頃にはすでに、空也の手は小刻みに振るえていて、とても冷たくなっていた。


  それに気付き、鼻で笑いながら指輪を外したジンナーだが、その表情は一変する。


  黄金色に輝いていた髪の毛は、根基から毛先に向かって黒く染まっていき、若干伸びている程度だった爪や牙が、みるみるうちに刃物のように尖っていく。


  突き刺さるような視線も、さらに深みを増して、視線だけで心臓を抉られている感覚に陥る。


  外した指輪がカランと床に落ち、ジンナーは空也との距離を離すべく、数メートルの間隔を数秒でとった。


  ざわざわと空気が淀み始め、身体に纏わりつくベタベタしたような、湿ったような雰囲気。


  首や足首、手首、腰に巻き付いていた凍った鎖は、煙を出しながらマグマに呑みこまれたかのように一気に溶け始めた。


  沈んでいた足も床の高さまで上がってきて、また目線の高さが同じになる。


  「空也・・・・・・だよな?なんだよ。真っ黒じゃねぇか。」


  「・・・・・・。」


  フー、フー、と深い呼吸をゆっくり繰り返している空也は、ジンナーを見ようともしない。


  表情は、腰辺りまで伸びた黒い髪の毛によって隠されており、よく見えないだけでなく、漂う雰囲気さえもじわじわとしか分からない。


  ジャリ、とジンナーが動いた場所にあった砂の音が響くと、空也の肩がピクッと反応し、聞こえてきた呼吸音が途絶えた。


  ゆっくり、ゆっくりと上げられた顔には、以前のような生気が感じられない。


  髪の毛の間から見えるのは、人間とは思えない真ん丸の大きな目と、三日月型に歪んだ口元、そこから覗く牙だった。


  ごくり、と息を呑みこもうとしたジンナーだが、それよりも早く、空也が息のかかるほどにまで距離を縮めてきていた。


  「・・・!?マジ・・・。」


  その異常なまでのスピードに対応しきれなかったため、ジンナーは空也の鋭く尖った爪によって身体のあちこちを切り裂かれる。


  さらに空いている手からは植物の蔓が束になって出てきて、ジンナーを壁に叩きつける。


  蔓の上にトン、と軽やかに乗った空也に攻撃をしようと、ジンナーが腕を上げると、空也はニヤッと笑い、ジンナーの腕を足で踏みつけた。


  「・・・・・・グッ!!?」


  ギリギリ、と骨の軋む音と共に、ジンナーは声にならない叫び声を上げる。


  それほど力を入れているようには見えないが、空也が足をどかすと、ジンナーの腕の一部が紫色に変色しているのが見える。


  ピクリとも動かない自分の腕を横目に見て、空也を必死に睨みつけるジンナー。


  空也が右手の指を揃えて肘を曲げると、長くなった爪をジンナーに向けながら、一気に腕を伸ばしてきた。


  目に突き刺さると思っていたジンナーだが、眼球ギリギリのところで留まっていた。


  何かと思っていると、空也がふらりと後ろを向き、その空也の背中にはナイフが数本刺さっているのが分かった。


  「許しません。」


  「・・・・・・。」








  「ナルキ、これまずいぞ。」


  「俺もそう思ってました。」


  見た事の無い空也の姿に、ナルキとソルティはすぐに避難することを考えた。


  ふと、ソルティが隣で縛られてる流風を見ると、流風のウェーブのかかった青い髪の毛が伸びていて、手の形をしていた。


  ナイフが数本握られていて、流風の視線の先にいる空也の背中に、同じナイフが刺さっているのも確認出来た。


  「避難するぞ!」


  流風の方を見てきた空也の目は、明らかに流風だけでなく、敵味方の区別もつかずに攻撃してきそうな、危ない目をしていた。


  ソルティが流風を、ナルキがデュラを連れて避難しようとしたが、出来なかった。


  流風は自らのナイフで自分を解放し、デュラの身体も自由にしすると、二人はジンナーの方へと歩いていった。


  「おい!今の空也に近づいたら、お前らどうなるか・・・!!」


  理性など無い今の空也には、言葉も感情も伝わらないことを教えるが、流風もデュラも空也に近づいていく歩を止めない。


  ナルキが走っていき、デュラの腕を強く掴むと、すでに殺気の無いいつもの笑みを返された。


  「ナルキ。俺と流風はさ、ジンナーがいてこそなんだよ。どんだけ捻くれていようと、世間に嫌われていようと、欠けたらダメな存在なんだ。」


  「だけど・・・!」


  ナルキが何か言おうとしたとき、空也が獣のような雄叫びをあげた。


  すると、物凄く強い風が渦となって部屋を満たし、流風やデュラ、ナルキとソルティにまで攻撃を始めてきた。


  背中に刺さっていたナイフも勢いよく抜けていき、空也や流風を見る。


  流風は構えたが、瞬間移動のようにいきなり目の前に現れた空也に、身体は思うように動いてくれず、片手で首を締めあげられる。


  足が床から離れると、壁へと叩きつけるように投げつけられた。


  デュラが空也の足下を炎で囲み、脇腹から強い電流を流しこもうとするが、流れてきた電気を全て静電気のように変えられてしまう。


  炎をものともせずに踏みつけ、デュラに近づいてくる。


  空也が腕を振り上げた時、なんとか蔓から抜けだす事が出来たジンナーが、空也の腕を木の根を使って止めた。


  「おめぇらよぉ、その気持ちは有り難ぇんだけど、此処は逃げてくれた方が、俺としては助かるんだが。」


  「そうはいかないでしょ。どの道、俺達は全員追放されるんだから。」


  「同感です。ジンナー様のいない人生など、酢豚にパイナップルが入っていない様なもの。」


  「・・・・・・あれ?おい流風。それっていいんじゃねえか?」


  腕に巻き付いた根を力任せにブチ切ると、空也はジンナーの折れていると思われる腕を、また強く叩きつけた。


  顔を歪ませたジンナーに、さらに追い打ちをかけるように、空也が牙を向けて首に噛みつこうとした。


  流風とデュラが同時に阻止しようとするが、空也が手を払えば、風と共に身体が壁や床に叩きつけられる。


  流風は腕を打撲、デュラも腰を強く打ったようだが、命に別条は無い。


  その光景を見ていたナルキとソルティだったが、ふと、ソルティが視線を外へ向けると、窓の外に国王と海斗がいるのが見えた。


  「ナルキ、あれ。」


  「え?・・・ああ!」


  窓際に向かうと、窓の外から二人に向かって大声を出す。


  「無事ですかー!?」


  「無事―。空也はー?」


  海斗と会話を始めたナルキは、空也のことを聞かれ、何を思ったのか、というか血迷ったのか、身体でSOSの文字を作り始めた。


  遠巻きから見ている海斗と国王は勿論、隣にいるソルティまでもが、頭に疑問符を浮かべた。


  「大変なんだ!!」


  「いや、さっきの動きは何?」


  ナルキの不可解な行動の意味が理解できていない海斗は、ボソッと疑問を呟いたが、今はそれどころでは無いらしい。


  「空也の髪が!黒くなったんだ!」


  「何だと!?」


  空也の変化を伝えると、誰よりも険しい表情になったのは国王で、空也の身に何が起こっているのか、知っているようだ。


  上から顔を出しているナルキ達に、出来るだけ大きな声で伝えようとするが、それよりも先に空也が行動に移す。


  空がどんよりと暗くなると、ナルキたちからは良く見える海が、荒荒しく波を立て始めた。


  ボンッ、と何処からか大きな物音が聞こえてきたかと思い、音のした方へと視線を向けると、魔法界の敷地内で火事が起こっているのが見えた。


  空はゴロゴロと鳴き始めると、地面に向かって一筋の刃を突き立てる。


  雨も振り出して、次第に波が高くなっていくと、次に足下が微かに揺れていることに気付く。


  「何だ?何が起こってる?」


  ソルティが辺りをキョロキョロ見ている間、ジンナーたちも急に襲ってきた寒気に、身体を振るわせる。


  それは下にいる海斗も同じだったが、隣にいる国王がぽつりと呟いた。


  「天地が裂ける。」








  「天地が・・・?」


  何を言っているのだろうと海斗が思っていると、ゴゴゴ・・・と大きな地響きが鳴り、大きく揺れ動く地震が起こった。


  立っていられないほどの強い地震は、十数秒にも渡り続いた。


  やっと治まったかと思い、身体を起こして辺りを見ると、地割れをしている個所が所々にあり、木の根が土から顔を覗かせていた。


  部屋の中では、高さのせいか、下にいる海斗たちよりも激しい揺れに襲われた。


  物が置いていなかったのが幸いし、倒れた物も無く、ただその場にいた空也以外の全員は、何かに掴まっているか、膝をついて耐えていたか、だ。


  ゆっくりと立ち上がろうとすると、まだ何か音が聞こえてくる。


  「・・・・・・!まさか!!!」


  窓の外から身を乗り出したソルティは、その光景に目を奪われる。


  ナルキも続いて顔を覗かせると、目の前に広がる脅威に、思わず開いた口が塞がらなくなってしまった。


  地震によって荒れた波は、津波となって魔法界を呑みこもうとしていたのだ。


  「海斗!津波だ!」


  「うえッ!?ほ?」


  奇怪な言葉を発しながら、海斗が海の方へと視線を向ければ、すでに数メートルにも及ぶ巨大な波が、今にも襲いかかってくるところだった。


  ソルティとナルキは、すぐに防水加工の大きな膜を作ろうとしたが、二人が作ろうとしたときには、すでに膜が出来上がっていた。


  国王が魔法界へ緊急連絡を入れたため、全ての国民で一つの大きな膜を作っていたのだ。


  海斗を含め、一斉に膜へと力を注いでいくと、どんどん膜は厚く、大きくなっていく。


  「大切なものを守るために、人は知恵と知識を求めた。」


  「え?」


  膜へと集中していた海斗の耳に、国王の声が聞こえてきた。


  「初めこそ無力であり、非力であった。自然の前では、人はただただ成す術無く嘆くことしか出来なかった。今のそれは変わらない。」


  国王は地面に掌を向けると、そこから杖が出てきて、杖を掴むと津波に向けながら、こう続けた。


  「魔法とは、技術と自然の進化の集合体。暴走するものは、人間だろうと自然だろうと、それを止める力を持っているのだ。」


  津波から空へと杖の先を向け直すと、一直線に光を指し始めた。


  その光は津波をも貫いて空へ届き、幾重にも重なる雲をも避けながら天に向かうと、天から光の柱が立った。


  徐々に津波は小さくなっていき、空も明るくなってきた。


  ぱァッと後光が刺した様な明るい光に包まれ、魔法界の人間を始め、海斗やナルキ、ソルティたちもホッと一安心する。


  「ぐあッ!!」


  ハッと、呻き声に気付いたナルキとソルティが振り返ると、地震にも動じず、津波が襲って来ている間にも、虎視耽々とジンナーたちを狙っていた空也がいた。


  見ると、流風もデュラも床に倒れており、ジンナーも片足を怪我した状態で床に横向きに倒れていた。


  自分の足を抱え込むようにして息を荒くしているジンナーに、空也は無感情に蹴りを入れていく。


  「空也!止めろ!!」


  雰囲気の変わってしまった空也を、なんとか止めようとしたナルキだが、空也の許に行こうとした腕をソルティに掴まれた。


  「止めろ。殺されるぞ。」


  「でも止めないと!」


  必死に空也を止めに行こうとするナルキに指輪をはめるように言うと、自分の指にも指輪をつけて、落ち着かせるように背中を撫でる。


  「とにかく、俺達は避難しよう。俺は流風ちゃん連れていくから、ナルキはデュラを頼む。いいな。」


  「・・・ッはい。」


  倒れている流風とデュラの許に近寄ると、素早く肩に腕を回して、窓から直接外へと避難を始める。


  それを確認したジンナーは、空也と二人になった空間で、ゆっくり身体を起こし胡坐をかいた。


  血をポタポタ垂らしながらも、両膝に手を置き、覚悟を決めたように下を向く。


  「お前の勝ちだ、空也。さっさと首でも何でも持って行けよ。」


  もはや言葉など通じないとわかっていながらも、空也に声をかけてみる。


  荒れ狂う空也の行動は、ますます勢いを増していくばかりで、一向に収まる気配は無かった。


  ジンナーの許に歩み寄ってきた空也は、死神の鎌に似たものを作り出し、ジンナーの首に鎌の中心あたりを突きつける。


  思いっきり振りかぶると、空也は舌をペロッと出して妖艶に笑う。


  スローモーションのように動く光景に、ジンナーはゆっくり目を閉じた。








  「空也は!?」


  窓から下りてきたナルキとソルティに、海斗が走って近寄っていく。


  ナルキはどう伝えたらよいのか分からず困っていると、ソルティが国王に対して説明を始めた。


  「空也を止めるには、どうしたらいいんですか?」


  「うむ・・・。」


  「まさか、止める方法が無いわけじゃありませんよね?」


  「あるにはある。だが・・・。」


  言葉を詰まらせた国王に、不安気な顔を向けるナルキたち。


  「君たちは、その二人を治療室へ連れて行ってくれ。私が空也を止める。」


  「しかし・・・・・・。」


  「いいね。」


  向けられた鋭い眼光に、ソルティも何も言えなくなってしまい、諦めて流風とデュラを治療室へと運ぶことにした。


  ナルキはデュラを運ぼうとしたのだが、デュラを海斗に任せると、その場に留まった。


  「ナルキ君、君も・・・。」


  「俺は此処に残ります。」


  真っ直ぐ国王の方を見ていると、国王は何かを言おうとした口を開いたが、諦めて閉じ、「分かった」と一言。


  今、部屋の中では何が起こっているか分からない状態で、それはナルキだけでなく国王も当然同じだった。


  どうするのかとナルキは国王を見ていると、国王は杖を弓と矢に変えた。


  弓を引いて、部屋目掛けて飛ばせると、矢は窓まで行くと九十度に方向転換をし、部屋の中へと入っていった。


  中からピカッ、と大きな光が見えると、ガシャンと大きな物音がした。








  窓の外から矢が飛んでくると、ジンナーに向かっていた鎌に当たり、バチバチと火花を散らして空也の手から鎌が離れた。


  矢の飛んできた方向を瞬時に判断した空也は、視線をジンナーから窓の外へと向ける。


  そして、野生的な素早い動きで窓の外から下へと下りた。


  自分の首が飛ぶと覚悟していたジンナーは、目を瞑っていたため良く分からず、目を開けた時に空也の姿が無い事に疑問を持った。


  外から聞こえてきた国王の声に気付き、ジンナーは腰を上げて外を見る。


  そこには、国王と睨み合っている空也と、その傍らにいるナルキの姿が見えた為、ナルキの近くにそっと下りた。


  「おい。」


  「ん?」


  「他の奴らはどこ行った?」


  「ああ。治療室に行ったよ。」


  「で?こっちはどうなんだ?空也の奴は?」


  「なんとかなりそ・・・・・・おォゥ!?なんでお前が此処にいるんだよ!!」


  一通りの説明をナルキから聞くと、ジンナーは納得したようにため息を吐いた。


  国王と空也は向かい合って立っていると、空也が天を仰いで天に向かって大声で叫び始め、それは空気の波へと具現化し、国王たちに襲いかかる。


  木の陰に隠れているナルキとジンナーにも、激しく強く、平手打ちをされているかのように吹き乱れてくる。


  そのまま顔を国王に移動させると、空也と国王の間の地面が割れ出した。


  深い亀裂となった地面、なんとか耐え続けている木々、風によって住処から避難している小鳥などの動物達。


  ジンナーは自分の指に指輪をはめ込むと、目を細めてポケットを漁る。


  だが、目的のものは見当たらない。


  「アーモンドか?」


  「違う。あいつの指輪だ。部屋に落としてきたみたいだ。」


  簡単な話、指輪をはめれば治まるのでは、と考えたジンナーだが、そう上手く指輪をはめることなど出来ないだろうし、そもそも指輪自体持っていないことに気付く。


  肺活量の続く限り、空也は国王に向けて空気の塊を送り続けていた。


  僅かにではあるが、空也から発せられた強烈な空気の威力が、徐々に弱まっていくのを感じ取ると、国王は弓を構えた。


  「!!?」


  何の躊躇も無く弓を引いた国王に、ナルキは目を奪われる。


  気付いた時には、ナルキは国王の放った後の弓を掴んでいて、ものすごい形相で国王を睨む形になってしまった。


  「何だね?」


  「何って・・・空也に何しようとしたんですか!?」


  確かに、国王は空也に向けて弓を放った。


  それを何かと聞かれてしまっては、ナルキにもどう答えて、どう聞けばよいのか分からず、半ば怒鳴る様にして口を開いてしまった。


  すぐに謝れば、国王は許してくれたが、空也に行った自分の行動に対しては、何の説明もされることは無かった。


  その後も何度か空也に向けて弓を放つ国王は、ただ人形のように引き続けているだけだ。


  弓には何かがコーティングされていて、空也が身体中から熱を発して矢を燃やしたり、時には凍らせたり、ただ避けるだけの時もある。


  単に威力の強い風だけでは、その矢を簡単に折ることは出来ないようだ。


  「フィルターだな。」


  「え?」


  空也と国王の戦いぶりを平然と観察していたジンナーが、ふいに声を発したため、ナルキは素っ頓狂な返事をしてしまった。


  まだ傷が痛むらしく、ジンナーは地面にお尻をつけて胡坐をかきながら、顎に指を当ててまじまじと見ている。


  「フィルターつけときゃ、抵抗が少なくなる。風の流れを変えることも出来るし、逆に矢に目的地さえ指示しとけば、流れを読まれずに標的に近づける事が出来る。ほー。大したもんだ。」


  「ま、まあ。国王だしな。」


  一緒に見ていたはずなのに、どこか空也に似ているジンナーは、こんな緊迫した場面においても、淡々と冷静な判断で物事を見ていた。


  「そんな呑気なこと言ってる場合じゃないんだ。このままじゃ、空也が国王に殺されるだろ!?何とかならないかな・・・。」


  「さあな。親子喧嘩だと思って見てればいいんじゃねぇのか?」


  「そんな可愛いものじゃないだろ。どう見ても。」


  「んー、じゃあ、ちょっと過激な親子喧嘩?」


  「いや・・・そうじゃなくて・・・もういいや。」


  はぁ、と諦めてため息を吐くと、そんなナルキを見てケラケラ笑いだしたジンナー。


  やっぱりジンナーと空也は似ている、そう感じたナルキだが、もう文句を言う気力も無く、一人悶々と考え事を始めた。








  「お、起きたか。」


  「・・・・・・此処は?」


  「治療室。流風ちゃんはまだ目が覚めて無いんだ。」


  ソルティと海斗によって、無事に治療室へと運びこまれたデュラと流風だが、空也につけられた傷口がなんとも生々しく残っている。


  顔を横に向ければ、そこには背筋を伸ばして、本当にそれで疲れが取れるのかという姿勢で寝ている流風の姿。


  規則正しい呼吸音と共に、胸少し上までかかっている布団が上下に動く。


  身体を起こそうと力を入れようとするが、入れる前にガクン、と全身の筋肉が悲鳴を上げていく。


  「まだ起きない方が良い。今日一日安静にするようにってさ。」


  小さい子を寝付かせるように、ベッドの端に腰をかけて、デュラの胸までかかっている布団の上から、ポンポンと軽く叩くソルティ。


  ニコニコと笑っているソルティに、ドタドタと走ってきた海斗が話しかける。


  「様子見てきたけど、なんかよく分からなかった。」


  「そうか。うん。わかった。」


  「え。分かったのか!?今ので!?」


  空也たちの様子を見てくるようにと頼んだのはいいが、その相手として選んだのが海斗だったことが間違いであった。


  記憶力は抜群の海斗だが、どうも大雑把にしか観察できないことがある。


  だが、逆に言えば、大雑把に観察出来る程度の状況であれば、何も問題は無いと考えていたため、ソルティは空也たちに何か起こっていることを確信した。


  海斗は治療室に数脚ある椅子から一脚を選び、本棚から本を取って椅子に腰かけた。


  「あ、こっちも起きたぞ。」


  「流風ちゃん。具合はどう?」


  「・・・・・・。」


  目を開けてはいるものの、寝ているときの状況とほとんど変わっていない流風に、ソルティも海斗も互いに顔を見合わせる。


  「流風。」


  「・・・・・・。」


  デュラが声をかけても、天井をじっと見つめたまま何も答えない流風。


  「流風。」


  「ジンナー様は・・・・・・。」


  「ん?」


  微かに揺れた唇から零れてきた言葉は、流風いわく自分の存在意義ともいえる人物の名前であった。


  瞳の奥が揺れているのが見えると、ソルティはデュラのベッドから流風のベッドの近くに寄ろうとするが、流風は布団を頭まで被ってしまったため、行き場を失くした。


  仕方なくデュラのベッドにまた腰掛けると、流風の震えた声が聞こえてきた。


  「ジンナー様は・・・生きていますか?」


  その言葉に、ソルティだけでなく海斗も目を大きく開いて驚いていると、デュラは出来るだけ明るい声で答える。


  「大丈夫だ。んな泣いてると、笑われるぞ。」


  「ん・・・。」


  「ああ。ジンナーは無事だったぞ。ナルキと一緒にいたし。それは確認出来たんだ。」


  ケロッとした声色で海斗が答えると、デュラは歯を出して笑い、布団を頭まで被った流風は、声を出さずに泣いているのが分かる。


  二人にとって、ジンナーがどれほどの存在かなど知らないが、支えになっていることに間違いは無いようだ。


  換気を行うために窓際に歩み寄ったソルティは、半円の形をした窓を両方同時に開け放つ。


  一気に空気が入ってくると、少し冷たく感じる風が肌に当たってより寒くなり、ソルティは両肩を窄める。


  四人はしばらくの間、一言も発することなく、ソルティは窓の外、海斗は治療室にあった本、流風とデュラは天井を見ていた。


  「どうして二人は、そんなにジンナーに尽くしてるんだ?」


  部屋全体の換気も十分に終わり、肌寒くなってきたため窓を閉めると、ソルティがデュラのベッドに近づきながら聞いた。


  天井を見ていたデュラだが、首だけをソルティに向けながら答える。


  「尽くしてるわけじゃない。それに、その質問は、お前らがどうして空也と一緒にいるんだ?って聞かれているのと同じだ。」


  「ふーん。成程ね?」


  首を元の位置に戻し、また天井を眺め出したデュラは、鼻から息を吐くとゆっくり話し始めた。


  「俺も流風も、生贄としてだけ産まれた存在だった。」








  「生贄・・・?」


  ―古の時代から、魔法は人智を超えた力として崇められてきた。


  それは神からの恵みであり、魔法という力を手に入れることが出来るのも、自分達の先祖の良い行いのお陰だと思われていた。


  だが数百年前、とある魔術者は神を侮辱し、空を切って天を壊そうとした。


  当然、その魔術者の行為は神の怒りに触れてしまい、それ以降、神は人間に魔法という力を与えなくなってしまった。


  魔法が使えなくなってしまった人間達は集まり、どうしようかと話しあっていた。


  その時、一人の老婆がこう言い放ったと言う。


  「神を侮辱した者を殺し、神にその身を捧げよ。」


  魔法界に住む人間はみなそれに同意し、神を侮辱した魔術者をよってたかって殴り、蹴り、最後にはとうとう殺してしまった。


  まだ生温かい身体を祭壇へと運び、一か月ほど祈り続けていたという。


  すると、天から光が差し込んできて、魔法界の者はみな、また魔法を使えるようになったそうだ・・・・・・―


  だが、あくまで遥か昔の話。


  「生贄なんて、何百年前の話だ?」


  ソルティは神の毛を解き、また後ろで一つに結い始めながら言うと、デュラは鼻で笑ってソルティを軽く睨んだ。


  「確かに、全然昔の話だ。普通ならもうやらないだろうな。・・・でも。」


  目を細めたデュラは、唇もギュッと一文字に結ぶ。


  「でも、俺と流風のいた小さな村では、生贄の風習が続いていたんだ。魔力の弱い子供が選ばれるんだ。それに俺も流風も名前があがった。」


  「子供が?・・・親は?何も言わないのか?」


  「何か言えば、家族全員が生贄にされる。全員犠牲になるくらいなら、子供一人くらいの犠牲で済ませようってことなんだろ。」


  未だに残る過去の風習というものは、世界の色んなところで見られる。


  悲しい現実ではあり、受け入れ難いのもまだ事実であるが、未来は明るいと信じて疑わない無垢な少年少女たちの瞳は、いつだって輝いている。


  怒りからなのか悲しみからなのか、デュラの表情は険しく、そしてとても儚い。


  「村中が生贄の準備を始めている時、俺と流風は逃げ出した。当然すぐに気付かれて、追われた。険しい山道を登って登って登って・・・。草木が生い茂る場所に隠れた。けどバレて、祭壇まで手足に枷をつけられたまま連れて行かれた。もう駄目かと思った。そんな時だ。」


  デュラの顔から、その当時の光景が思い出されているのか、子供がヒーローショーを見ているような、そんな明るい表情が現れた。


  「ジンナーが、助けてくれた。」


  その言葉と同時に、今まで布団を頭まですっぽりと被っていた流風が、ひょっこりと顔を出した。


  まだいたいけなその顔は、感情豊かというにはまだ色々と足りないが、“ジンナー”という単語が出てくると、ほんの少し、表情が和らぐ。


  小さな子がお母さんといるときのような安心感、それと同等、或いはそれ以上の信頼関係から出来る顔だ。


  「あんな無表情な流風が、そんときばかりはワンワン泣いてジンナーにしがみ付いてた。『ついてこい』って言われて、断る理由なんて無かった。」


  「それで、か。で?なんで俺達が空也と一緒にいる理由とは違うと思うけど。」


  布団の中に隠れていた手を出すと、デュラは髪の毛の分け目あたりを行ったり来たり、ワシャワシャとかきはじめた。


  照れたように笑うと、手の甲を自分の額にくっつけ、眩しい天井の明りに目を細める。


  「結局さ、俺もお前らも、分かんない何かに惹かれてんだよ。そんでもって、誰かといたいんだよ。ジンナーも空也も、宿り木にしてはちょっと止まりづらいけど、それでも、そこが安心すんだ。」


  「・・・そうだな。」


  嬉しそうに話すデュラを見て、ソルティは目を細めてニッコリと笑い返す。


  生き方も生き様も、歩んできた過去も歩んでいく未来も、それら全部が違ったとしても、たった一人傍にいてくれるだけで変われる。


  空也とジンナーの生き方も境遇も違えど、人を惹きつける何かを持っている。


  先程から何も喋らない流風の方を見てみると、若干溶けかかっているチョコをポケットから取り出し、自分の口へ入れていた。


  「ソルティ先輩!!!!」


  いきなり治療室の扉が開き、音と共に呼ばれた自分の名前に、ソルティは肩をピクッと揺らして反応する。


  「シェリアちゃん?どうしたの?」


  はぁはぁ、と息を切らし、髪の毛も服装も乱れに乱れながら、半泣き状態で現れたシェリアは、一目散にソルティの傍に駆け寄る。


  相当走ってきたのか、頬も真っ赤に染めているシェリアに首を傾げながら笑いかける。


  「せっ、先輩!怪我したって聞いて・・・!!だ、大丈夫なんですか!?ちゃんと寝てないと!!!」


  シェリアの言葉にキョトンとしたソルティだが、デュラと流風を運んで来た時、自分の治療もしてもらったことを思い出した。


  流風との戦いで負った軽い傷なのだが、シェリアがソルティのことを好きだと知っていた看護師あたりが、大袈裟に伝えたのだろう。


  おろおろとソルティを寝かせようか、傷口の具合を見ようかと挙動不審になっているシェリア。


  「大丈夫だよ。もう治癒したからね。」


  「えっ!?そ、そうなんですか!?」


  「ありがとう。心配してくれたんだね。わざわざ来てくれたの?」


  もともと赤くなっていた顔が、余計にカアァッ、と赤くなっていく。


  顔を俯かせて恥ずかしそうに誤っていると、ソルティがシェリアの頭の上に手を置いて、撫で撫でし始めた。


  その途端、シェリアはバタンキューしてしまい、空いているベッドへと運ばれた。


  「走ってきて疲れちゃったのかな?」


  自分のせいであることに気付いていないソルティは、至って悠長だ。


  ハハハ、と笑ってデュラのベッドへとまた腰掛けたソルティを、なんとも残念そうな表情で見ていたデュラは、海斗も自分と同じ視線を送っていることに気付く。


  互いに目が合うと、乾いた笑いを響かせた。








  「いつまで続くと思う?」


  「さあな?空也が射抜かれるまでじゃねぇの?」


  今のところ、国王しか目に入っていない空也は、目の前にいる国王にだけ攻撃を仕掛けている。


  だが、隠れているナルキやジンナーにも、いつ襲いかかってくるか分からない状況であるが、ナルキとジンナーはその場から離れることは無かった。


  空也と国王は互角で戦えるわけもなく、当然、理性のきかなくなった空也の方が、圧倒的に押している。


  正直、今の空也は見るに堪えない戦い方をしていた。


  国王の攻撃に対してだけでなく、自分に攻撃されたときさえも、防御もせずに突進していくため、身体には無数の傷がついている。


  魔力だけでいっても、空也の方が今は国王を上回っているため、国王も傷を負っている。


  そんな二人の戦いを見ていると、ふとジンナーが国王に声をかけ始めた。


  「おーい!おっさん!」


  「ちょっ!ジンナー!」


  いきなり失礼な話し方をするジンナーを止めようと、ナルキはジンナーの口を自分の手で覆うとしたが、それをさらに制止された。


  「援護してやるから、デュラと流風の面倒見てくれよ。」


  木の陰に隠れていた身体を空也と国王の前に出しながら、ジンナーは半ば強制的に頼みごとをする。


  ジンナーは赤黒い髪の毛を靡かせ、全く姿の変わってしまった空也を見る。


  両手を広げて息を大きく吸い込むと、地面に吸った息を全て吐きだしていき、地面はその息を吸い込んでいく。


  すると、地面からは真っ赤な棘のついた綺麗な薔薇が、至るところから出てきた。


  棘の付いた茎の部分が長く伸びていくと、空也の身体に巻きつこうとしたため、空也は自ら高温の炎を放出し、薔薇を燃やしていく。


  だが、薔薇は次々に出てくるため、徐々に空也の足首、ふくらはぎ、太ももと、絡みつく。


  「国王さんよー、さっさとやってくれ。モタモタしてたら、俺の方がモタねぇっての。」


  余裕そうに笑っているジンナーだが、よくよく見てみると、顔中から汗が滴り落ちているのが分かった。


  空也の発する熱によるものか、それとも、それほどに魔力を消耗しているということだ。


  やっと空也の足が固定された、そう思った瞬間に、空也はヒュンッ、と茨の中から移動して、ジンナーの背後に回った。


  すでにクラクラ気味のジンナーは、振り返ることも出来ないまま、空也に嬲られる。


  「ジンナー!くそっ!!」


  「ナルキくん、待つんだ。」


  「国王!」


  「今のうちに、君は逃げなさい。」


  「・・・!」


  今一番聞きたくない言葉でもあり、一番望んでいたはずの言葉でもあった。


  だが、こうして他人に言われると、胸の奥がモヤモヤしてきてムカムカもしてきて、ナルキは国王を殴りそうになった自分の拳をなんとか抑えた。


  「国王は、ジンナーを身捨てろと仰ってるんですか?」


  「そうは言っていないだろう。」


  「なら、俺にも空也を止めさせてください。」


  「遊びじゃないんだ。逃げなさい。」


  「でも・・・!」


  「もし!」


  いきなり大きな声を出され、ナルキは肩をビクッと揺らした。


  真っ直ぐナルキを見てくる国王を、睨み返す様に見ていると、両肩をグッと掴まれ、力強い声で言われた。


  「もし君が死んだりしたら、私は、君の御両親に合わせる顔が無い!君が空也を大切な友人と思ってくれているのなら、ここは私に任せてほしい・・・!」


  あまりに真剣な面持ちで言うものだから、ナルキは声を出す事も出来ずにいると、国王はナルキの肩から手をどかして、再び弓を構えた。


  「空也。」


  名前を呼ぶと、空也は足下で気絶しているジンナーを足でコロコロと弄びながら、ニヤニヤと笑う。


  ナルキは逃げようと踵を返したが、空也のこともジンナーのことも気になり、すぐに足を止めて振り返る。


  空也に向けられた矢、国王を狙っている歪な理性、変わってしまった未来と夢・・・・・・。


  弓を引いているうちも、空也がその場から離れて国王の方へと近づいて行こうとしたが、そんな空也の足を、意識の朦朧としたジンナーが引きとめる。


  掴まれていない方の足で、ジンナーを地面へとめり込ませようとする空也に、不規則な呼吸を繰り返すジンナーが言葉を綴る。


  「これじゃ、お前・・・どっちが悪者か分かったもんじゃねぇよ・・・・・・。」


  ギギギ・・・と弓を引き、狙いを空也に定めていく国王の顔は、悲しそうにも見える。


  空也の足にしがみ付いているジンナーも、まだ機能が完全に回復していない状態で、届かないだろう声を出す。


  「空也・・・今回は俺の惨敗、だな・・・・・・。けど、今のお前は、誰も守れやしねぇぞ。」


  言葉を理解さえ出来ていない空也は、自分の足を掴んでいるジンナーが気に入らず、伸びた爪を揃えて、ジンナーの首を狙って突き刺そうとした。


  だが、その前に、国王の放った矢が、空也の頭に突き刺さった・・・・・・。


  「空也―――!!!」








  ―小さい頃から、聴こえていた唄がある。


  それは、母親が唄ってくれていた唄で、昔の詩人が作った唄だと言う。


  無実の罪で捕まったその詩人は、牢屋の中で詩を作り、最期の最期まで、その唄を唄いつづけていたそうだ。


  《小さき光は羽根となり 明日へと向かう標となる


   言葉を失ったこの口で 貴方に何を伝えよう


   遠い空へと続くであろう 私の唄声を聴いておくれ


   忘れた場所なら取り戻そう 生きてゆくことを愛し


   例え光が射さぬ時が訪れようとも 我らの息吹は届くであろう


   空から海へ 風から大地へ 人から人へ 時代は流れゆく


   美しき時代の唄を 麗しき命の唄を 愛おしき貴方へ》


  死刑の直前まで、詩人はまるで死刑が他人事のように、この唄を唄いつづけていた。


  そして、膝までの高さのある台の上に乗ると、唄っていた唄をピタリと止め、こう呟いた。


  「ああ、なんて綺麗な空なんだ。」


  一番近くで、詩人の首に紐を括りつけていた執行人にしか聞こえなかったというその言葉のすぐ後、詩人の足下の床が抜けた。


  二度と聴く事の出来ないと思われていた、その詩人の遺した最期の唄は、牢屋の見張りが口ずさんだことによって広まっていった。


  過去・現在・未来と、受け継がれてきたもの、受け継がれてゆくもの、その尊さと儚さ。


  後になって分かる事なのだが、詩人は旅人だったようだ。


  様々な場所を巡り巡るために、愛する人と故郷に別れを告げ、またいつか戻ってくると約束したまま、帰らぬ人となってしまった。


  彼は最期にどんな景色を見たのだろうか、最期に思い浮かべた場所は何処なのだろうか、最期まで信じたものは何だったのか。


  優しい母親の声によって唄われた唄は、今でも子守唄のように思い出される。


  『ねえ、貴方。この子の名前、どうします?』


  『そうだな。大きくて、強い名前がいいな。』


  『フフ。そうね・・・・・・。あっ。』


  『ん?どうした?何か良いのが思い付いたのか?』


  『ねぇ、“空也”なんてどうかしら?』


  『空也?またどうして?』


  『だって、空よ?大きくて、綺麗で、堂々としていて、人と人を繋いでくれる、境界線の無い空よ?素敵でしょ?』


  『領空ってものがあるぞ。』


  『もう!そういう夢の無い事言わないで!この子は“空也”!私が決めたの!』


  『わかったから、そう怒るな。』


  魔法界に産まれた小さな灯は、小さくとも、決して消えることは無く、人々の道標となっていくであろう―








  「・・・ん?」


  眩しい光に反応し、少しずつ目を開けていくと、一気に目に入ってきた光によって、再び目を細めた。


  身体を起こそうと脳に指令を出すが、命令通りに動いてくれない。


  仕方なく、目を瞑って諦めて重いままの身体をそのまま横にしていると、眩しかったはずの目の前が急に真っ暗になる。


  眉を潜ませながら目を開けると、何も知らない子供のような顔をしたナルキがいた。


  「起きた!!!!」


  「・・・・・・・・・・・・・・は?」


  叫んだかと思うと、またすぐにナルキの姿は視界から消えて、眩しすぎる天井の電球の灯りが一気に目に入ってくる。


  バタバタと慌ただしく複数の足音が聞こえてきて、円を描くようにして、ナルキ、ソルティ、海斗、シェリア、他にも数人の魔術者が顔を出してきた。


  「本当だ!よっ!具合どうだ?」


  「顔色はいいみたいだね。」


  「寝てる間に落書きでもしとけばよかったな。」


  ワイワイガヤガヤと、起きて早々耳元でお喋りを始められてしまったため、空也はひどく不機嫌そうな表情に変わる。


  自分の身体が思い通りに動かないことも含め、まだ起ききっていない脳はパンクしまいと、せっせと回路を繋いでいる。


  「なーんだ。起きちまったのか。」


  本能的に敵であると判断したその声の持ち主は、空也の寝ていた部屋のドアに寄りかかり、腕を組んでいた。


  身体が起きないため、空也は横目でその存在を確認する。


  不敵な笑みを浮かべたジンナーと、その両隣には、まだ治療中の身である流風とデュラが立っていた。


  「お前こそ。悪運の強い奴だな。」


  「ククク・・・。お互いにな。」


  互いに笑い合い、しばらくの間睨みあっていたが、先にジンナーが目つきだけ真剣なものに変わり、口を開く。


  「借り、作っちまったな。」


  「・・・・・・お互いにな。」


  まだ怪我をしている流風とデュラだが、包帯を巻いたままで一歩後ろへと引く。


  空也の言葉に苦笑すると、ジンナーは寄りかかっていた身体を起こし、赤黒い髪の毛を靡かせながら空也たちに背を向けて歩き出す。


  ドアを一歩出たところで立ち止まると、振り返ることもなくじっとしていた。


  流風とデュラは、そんなジンナーの両脇でじっと待っていて、何を思ったか、ジンナーは口角を上げてニヤッと笑い、ポケットから新しく入れておいたアーモンドを取り出す。


  だが、それを口に入れることはなく、掌で弄ぶだけ弄ぶ。


  パシッと弄んでいたアーモンドを手に収めると、再びポケットの中へと戻していく。


  「礼は言わねぇぞ。」


  「期待しちゃいねぇよ。・・・それに、それもお互い様だ。」


  まだ硬いが、動くようになった筋肉を動かして両腕で腕枕を作ると、空也は自分の頭の裏へと持っていく。


  その間に何処かへと行ってしまったジンナーの後を、流風とデュラが着いていく。


  三人が何処へ行ったのかは分からないが、魔法界で三人の姿を見るのは、これが最後になるとは空也も思っていなかった。


  「で?」


  「?何が?」


  ジンナー達が去っていった後、空也は眉間にシワを寄せたまま天井を睨み、特定の誰かにではなく、その場にいた全員に訊ねた。


  「何で俺は生きてんだ?」








  「空也、頭を矢で射られたんだ。覚えてる?」


  「さっぱりだ。誰にだ?胸糞悪いな。」


  「・・・・・・空也の親父さん。」


  「へぇ。成程・・・・・・・・・・・・はあぁぁぁぁぁぁァァァぁァぁァァアァ!!!!?なんっっっっっっっで親父なんだよ!?普通息子を矢で射るか!?」


  驚いた空也は急に身体を起こしたため、ゴキゴキと大きな音を出しながら、一気に身体を前のめりに倒す。


  それを見て、ソルティが背中をトントンと叩いてあげると、徐々に身体を正位置へと戻す。


  「矢には、脳の働きを止める魔法がかけられてたみたいなんだ。まあ、睡眠薬みたいな感じかな。俺も吃驚したよ。あの時だけは、空也が死んだと思ったね。」


  「親父になんか殺されてたまるか!!一夫多妻制を実現するまでは、俺は絶対に死なねぇぞ!!!」


  「あ、そこなんだ。」


  目を炎の形に変えて、メラメラと燃えたぎる欲を隠しもせずに口に出す空也を見ると、安心したように一斉に笑いだした。


  徐々に部屋から人が出ていくと、残ったメンバーはナルキだけになってしまった。


  「空也。」


  「あー?」


  「後で、ソルティ先輩と海斗に御礼言いなよ。」


  「なんで。」


  「なんでって・・・あ、そういえば、空也のお袋さんも来てたはずだけど、何処にいるのかな?親父さんと来るって言ってたんだけど・・・・・・。」


  すると、廊下の方から高めの女性のものと思われる叫び声が聞こえてきて、どんどん声が近づいてくると、ドアから空也の母親と父親が現れた。


  「空也!」


  空也の顔を見るなり、ダッシュしてきて上半身を抱きしめると、あまりの力強さに、空也は苦しそうにもがき始めた。


  バタバタと両手両足を動かしていると、ゆっくりと近づいてきた父親、もとい国王が止めに入る。


  「止しなさい。」


  「貴方は黙ってて。」


  「過保護も大概にしなさい。空也だってもう立派な魔術者だ。」


  いつもは大人しそうに見える母親のためか、異常なまでに空也を溺愛している今の母親の姿に、思わずぽかん、としてしまう。


  国王と睨み合っていたが、渋々空也から離れると、入れ替わりに国王が傍に寄ってきた。


  「元気そうだな。」


  「ったりめーだ。」


  部屋の前に、空也のお見舞いに来た女の子が数人いたが、国王に寄って視界を遮られていた空也は気付く事が出来なかった。


  さらに、部屋の中のただならぬ雰囲気を感じ取った女の子たちは、特に声をかけることもなく帰ってしまったのだ。


  女の子と話せば、空也はすぐに具合など良くなるだろうと思ったナルキだが、声には出さない、というより出せない。


  もしも口を滑らせれば、どうなるか・・・・・・想像しただけでも恐ろしい。


  「親父、ジンナー達はどうなるんだ?」


  「・・・・・・。その事か。」


  言い難そうにしている国王を見て、空也はその原因が内容だけでなく、母親の存在もあることに気付く。


  「母さん、もう帰って。」


  「・・・・・・。」


  目を大きく開き、口を大きく開けて空也を見る。


  「じーちゃんとばーちゃんには、元気だって伝えておいてよ。まともに動けるようになったら帰るから。」


  「・・・わかったわ。」


  少し寂しそうな顔をしながら部屋を出ようとした時、ナルキの方を見て、「空也のこと、よろしくね」と言うと、颯爽と帰っていった。


  ナルキも気まずくなって帰ろうとしたが、国王と二人の空間は耐え難いと空也に言われた為、仕方なく残ることになった。


  ふぅ、と息を吐くと、国王は重い口を開いた。


  「デュラ、流風の二人は魔法界追放と騒がれたが、追放だけはなんとか免れそうだ。ただし、魔法界の敷地から少し離れた場所での生活を余儀なくされるだろう。」


  「・・・ようするに、結果的には追放同然ってわけだ。」


  「仕方ない。通常であれば、追放だけでなく、魔力奪略の処分も加わっていた。」


  主犯では無いと言っても、魔法界に並々ならぬ衝撃と波紋を生みだし、目的は魔法界の乗っ取りであったというのだから、その処分さえも甘いと言える。


  ただ、国王はジンナーに、二人の事を頼まれたため、精一杯、国王の意見に反発し批判する長老たちを抑えたのだ。


  頭まで下げたという話は、後から耳にする事となるのだが・・・・・・。


  「ジンナーは?」


  「ジンナーは・・・・・・。」








  とある日、空也は空を仰いでいた。


  快晴とまではいかないまでも、良く晴れた空では雲が風に乗って流れていく。


  背中には、芝の少し痛い感覚があるが、なんともそれが心地良くも感じる。


  空也の視野には、全体的に青々とした空を背景に、薄く白い雲が、まるで一つの絵画のように鮮やかに映っている。


  「なに黄昏てるの?」


  「べっつに~?」


  「親父さんが呼んでたよ。」


  「えー!?またかよ!」


  国王に頼まれたのか、善意からなのか、空也を呼びに来てくれたナルキは、空也の隣に座ることなく、立ったまま会話をする。


  仕方なく上半身を起こして国王の許に行こうとした空也だが、何を思ったのか、城とは真逆の方向へと歩き始めた。


  「ちょっと、空也?」


  「寄り道してから行くって、伝えてくれや。」


  ヒラヒラと掌を気だるそうに振りながら、空也はどこかへと向かって行く。


  そんな空也の後ろ姿を見ているだけのナルキは、空也のマイペース加減に慣れているのか、ただ小さくため息をついた。


  ゆっくりと振り返り、元来た道を歩いて戻ろうとしたとき、ふと誰かの声が聞こえてきた。


  何だろうと思い向かってみると、そこには、憧れの存在であるソルティに魔法を教わっているシェリアがいた。


  話しかけようとも考えたのだが、あまりにシェリアが熱心に練習していたため、邪魔になってはいけないと、何も言わずに去っていくことにした。


  ソルティはナルキに気付いたようだが、その時にはすでに、ナルキが去っていくところだった。


  城へと真っ直ぐ歩いていると、空から何かが落ちてきた。


  ドスーン!と大きな物音を立てて落ちてきたのは、大きな鳥に乗っていた海斗であり、お尻から落ちたらしく、痛そうにお尻を摩っている。


  治療室へ運んだ方が良いのかと悩んでいたナルキだが、じっと見ているうちに、海斗は自ら立ち上がって再び乗り出したため、空高く飛んでいった鳥と海斗を眺めるだけだった。


  なぜ鳥と仲良くなったのかは不明だが、すぐに他人と仲良くなれるのは海斗の良いところだ。


  うんうん、と一人で頷いていると、あっという間に城に戻ってきてしまった。


  「空也は?」


  「ええと、寄り道をしてくるそうです。」


  「寄り道?」


  「はい。・・・・・・わかった。すまなかったね。」


  「いえ。」


  城から出て新鮮な空気を吸うと、ナルキはのんびりと散歩をし始めた。


  毎日毎日歩いているはずの道、毎日飽きるほどに見ているはずの景色、毎日気にした事の無かった自然が、いつもと違うように感じる。


  「ナルキ。」


  ふと、名前を呼ばれた方へと顔を向けると、そこには先程シェリアの練習に付き合っていたソルティがいた。


  「なんですか?」


  「いや何、用は無いんだけど。ただ、さっきも見かけたからさ。何してるのかな、と思って。今日は何も用事無いの?」


  「はい。暇人なんです。」


  ハハハ、と明るく笑ったソルティにつられ、ナルキも笑いだす。


  「暇なら、ちょっとシェリアちゃんの練習に付き合ってくれない?」


  「いいですよ。」


  一見、上達したような雰囲気は感じられなかったが、実際にシェリアに魔法を使わせてみると、とても安定しているのが分かった。


  いつもなら、ソルティを見るだけで不安定になってしまったというのに、今はそれがほとんど無い。


  ほとんど無い、ということは、少しはあるということだ。


  「ちょっとは上達したんだからね!」


  そう言いながらも、ソルティに褒められるとまたすぐに不安定な魔法が出来上がってしまう。


  「違うの!今のはちょっと違うの!」


  「慌てないで。大丈夫だよ。」


  ナルキになんとか認めさせようと、上達したところを見せようと焦るシェリアは、あたふたとしていてなかなか練習通りに上手くいかないようだ。


  優しくソルティに触れられると、またシェリアの顔は茹でダコのように真っ赤になり、魔法が暴走を始めてしまう。


  「相変わらずだな、シェリアは。」


  「もうっ!」


  「よし、じゃあナルキに手本を見せてもらおう。」


  「えッ!?見本、ですか?」


  「ナルキはもう心配する事無いだろう?ちょっとでいいからさ、ね?」


  そんな他愛も無い会話をしては三人で笑いあい、少しの雑談のあと、練習を始める。








  「お譲ちゃん!この魚なんかどうだい?」


  「あらあら、この宝石なんか似合うわ~。」


  「僕、リンゴが食べたいよ!」


  「ねえ、これなんかいいんじゃない?あ!こっちも可愛い~!」


  「でさ~、俺怒られたんだけどさ~。」


  賑やかな街と人が大勢いるが、ここは決して魔法界では無い。


  人並み外れた力など持っていない、“人間”の集まる場所、それを魔法界から言わせてみると、人間界と言うだろう場所だ。


  楽しそうに買い物をし、お喋りをし、食事をしている風景は、魔法界をさほど変わらず、ただ、ここにいる人間は皆、特別な力を持っていないくらいだ。


  もうすぐ冬になるのだろうか、厚手の洋服を着ている人を多く見かける。


  洋服店のディスプレイにも、女性用のお洒落なコートやブーツ、男性用のダウンなどが並べられている。


  街に流れるBGMはクリスマスのもので、ケーキ屋さんにも“クリスマスケーキ予約受付中”という貼り紙がしてある。


  親子で買い物をしている人もいれば、カップルで歩いている人もいる。


  温かい飲み物を口にしながら、目の前に出された食事に手を伸ばす赤ちゃんは、フォークやナイフなど使わずに、手づかみで自分の口まで運んでいく。


  日が暮れるのも早くなってきて、午後四時を過ぎるころには、徐々に空が黒に染まりはじめると、路地裏には人が少なくなってくる。


  そんな路地裏で一人、店の奥の厨房で皿洗いをしている若者がいた。


  「兄ちゃん、こっちも頼む。」


  「はい。」


  手際良く食器を片づけていく若者は、短く清潔に整えた髪の毛を持ち、スラッとした体形をしている。


  いつもどの程度のお客さんが入る店かは知らないが、ひっきりなしにお客さんが来るため、休む暇も無かった。


  結局、その日若者が仕事を終えたのは、すっかり辺りも暗くなった午前一時の頃。


  店の鍵閉めをすると、自分の家へと向かって歩き始める。


  「あの~・・・・・・。」


  「?はい?」


  借りているアパートの前まで来ると、こんな夜遅いというか、朝早い時間にも係わらず男性が一人立っていた。


  疑問を持ちながらも返事をすると、とても困ったように聞いてきた。


  「すみません。この辺にコンビニとかって、ありませんか?」


  「コンビニ?ええと、確か・・・・・・。」


  街中なのだから、コンビニなど歩いていれば嫌でも見つかるだろうに、親切にも若者は一番近くのコンビニを思い出していた。


  道を教えようとしたが、説明が面倒であることに気付くと、いっそのこと連れて行ってやろうと考える。


  「こっちです。」


  今すぐにでも部屋でぐっすり眠りたいところだが、このまま放っておくのは、人としてどうなのだろうと思ったようだ。


  コンビニまで連れていく途中、ふと、感じたことのある空気を思い出す。


  間違いであると自分に言い聞かせてはいても、自分の中にある動物的な本能が、好奇心に引き寄せられるように強く引っ張られる。


  「こんな時間に、コンビニですか?」


  「え!?ええ・・・まぁ。最近越してきたもので・・・。小腹が空いてきたので。」


  「そうですか。」


  目的のコンビニに到着すると、男性を置いてアパートに帰ろうとした。


  だが、食べたいものがすぐに見つかったのか、男性はすぐに若者の後ろを追って来て、買ってきた肉まんを渡してきた。


  そして、また二人で並んで歩きだした。








  アパートの近くの公園まで来ると、ベンチに座って肉まんに齧り付く。


  男性はその隣に座って、同じように肉まんを美味しそうに頬張ると、若者が先に口を開く。


  「何の真似だ。」


  若者の言葉に、男性は目を丸くさせてキョトンとした顔を見せる。


  残りの肉まんを一気に口の中へと押し込み、もぐもぐと頬を膨らませると、男性を見ること無く、公園の遊具ばかりを眺める。


  「何のことです?夜中にコンビニに行く事ですか?」


  「そうじゃねぇよ。」


  横目で睨むようにちらっと男性を見ると、男性は観念したように首を左右にフルフルと振った。


  「いやー、どこでバレたかな?」


  瞬きをした一瞬のうちに、男性の顔は、見知らぬ他人の顔から見覚えのある顔へと変わった。


  「変装までして、俺を笑いに来たか?空也。」


  猫背にしてひ弱そうな格好から、でーんと足を組んで偉そうな格好へと変わると、首をくるくる回し始める。


  「お前が自分で人間界に来たんだろ?あ、髪切ったんだな。ま、折角なんだし、ここで勝負でもしてみるか?」


  「馬鹿か。魔力のあるお前と無い俺じゃ、勝負にならないだろ。」


  「分かんねーよ?」


  そういって、空也はいきなりベンチから立ち上がると、シュッシュッとボクシングの真似を始めた。


  仕方なく、今は何と呼ばれているか分からないが、ジンナーも立ち上がった。


  ニッと口角を上げて笑う空也と、疲れ気味のジンナーの喧嘩が始まると、寒い夜にも係わらず、汗が途切れることなく溢れてくる。


  渾身の一撃をジンナーに入れようと、拳に力を込めて殴りかかった空也。


  だが、いつの間にか空也の身体は宙を舞っていて、冷たい地面へと、背中から叩きつけられた。


  「はれ?」


  「魔法が使えなくなった分、ちゃんと鍛えてるんだ。」


  見事な一本背負いをかましたジンナーは、自慢気に両手を腰に当てて、倒れている空也を見下す。


  「で?なんで魔力捨てたんだよ。もったいねぇだろ。」


  「俺なりのけじめだ。」


  「けじめ・・・・・・。なんか、お前格好いいな!俺もソレ言いてぇ!」


  反動をつけて身体をぐるんと回し寝返りを打つと、両腕を地面につけて勢いよく立ち上がり、ジンナーと向かい合う。


  ベンチへと戻って、先程と同じベンチに同じ配置で座り直すと、空也は足を組んですぐにくしゃみをする。


  ゴソゴソと鞄を探ったジンナーは、そこから出てきた缶コーヒーを出すと、空也に渡した。


  「・・・。冷てぇんだけど。」


  「文句言うな。もうかれこれ十時間以上経ってるからな。」


  何が楽しくて、寒い場所で寒い飲み物を口にしなければいけないのかと思いつつ、喉が渇いていたのもまた事実。


  小刻みに動く指先に何とか力を入れて、缶コーヒーのプルタブを開ける。


  喉から通って胃に届く冷たいコーヒーは、寒さを増大させたが、温かいものを飲んだときのように、空也は息を吐く。


  空を仰ぐ空也の隣で、ジンナーは足を広げ、その間に缶コーヒーを持った手を置いて地面を見ている。


  「なんでお前は、恵まれた環境にいながら、その上を目指さない。」








  「はぁ?」


  小さくも堂々と輝く星を見ていた顔の傾きをそのままに、ジンナーへと軽く首を動かして視線を送ると、未だにジンナーは地面ばかり見ていた。


  大きくため息を吐くと、空也は再び首を動かして空を見る。


  「お前の言う“恵まれた”ってのが、何を言ってるのかは知らねぇが、そんなにいいもんじゃねぇぞ?」


  「才能にも家にも恵まれて、何が不満なんだよ。」


  んー、と悩みながら、空也は残った缶コーヒーを一気に流し込み、上の部分を指先で持って、ベンチの上でカラカラと遊ぶ。


  その動きを止めること無く、今度は小さくため息を吐く。


  「才能、ねぇ・・・・・・。」


  消え入りそうな掠れた声で呟くと、自嘲気味に肩を揺らして笑う。


  手に持ったままだった缶コーヒーを、公園の隅にあるゴミ箱へと投げ込むと、綺麗な弧を描いてカラン、と中へ入った。


  「才能に恵まれようが家に恵まれようが、俺にとっちゃどれもこれもくだらないな。」


  「羨ましい事だな。」


  「まあ聞けよ。」


  ケラケラと笑いながらジンナーの肩をポンポン叩くと、空也は鼻を啜ってから話を始める。


  「無いよりはあった方が良いかもしれないけどな、あって当然だと思われるってのも、なかなか疲れるんだぜ?俺だって、別に何もせずに楽して強くなったわけじゃねぇんだ。でも、どんなに頑張ったって褒めてなんてもらえない。それが“当然”だからだ。俺は国王の息子だから、俺は未来の国王だから、俺はそういう血を受け継いでいるから、俺は才能があるから・・・・・・???なんとも馬鹿馬鹿しい理由だ。」


  「・・・お前、頑張るって言葉を知ってたんだな。」


  「一回殴っていいか?マジで。」


  ちらっとジンナーを見てみると、地面を見ていた顔を上げていて、ようやく視線が交わった。


  肩眉を上げてジンナーを睨むが、般若のような顔をすることに疲れたようで、すぐに力を抜いて白い息を吐いて遊び始めた。


  「最初は魔法なんて嫌いだった。俺自身を繕って窮屈にさせて縛りつけるだけの、そんな道具だと思ってた。・・・けど、なーんか楽しくなってきてよ。」


  「・・・あいつらに逢ったからか?」


  「さあな。認めたくはねぇんだけど、多分そうなんだろうな。俺よりも魔法使うの下手なくせに、毎日必死に練習しててよ、ちょっと上手くなると嬉しそうに見せてくるんだよ。それから、なんとなく楽しく思えてきたんだ。だから、競って手に入れるようなもんじゃねぇんだよ、魔法は。」


  星の輝きが魔法界よりも小さい夜空を見ながら、空也は微笑んだ。


  「上目指すのは、立派な事だとは思うぜ?でも、上なんて幾ら見上げても追いつかないほどあるんだ。疲れちまうだろ?」


  「疲れるって・・・そういう問題か。」


  「そういう問題だ!俺は今の位置が丁度いいんだよ。もしも、いつか目指さなくちゃいけない時が来たら、そんとき頑張っからよ!」


  「それを世間一般では“怠惰”って言うんだぜ。今のうちにやっておいた方が良い事だろ。」


  「ヤだよ!怠惰でも何でもいいから、俺は今を楽しく生きるんだよ。」


  「最近の若者はそういう傾向があるらしいな。だから汗水流して働こうって奴が少ないんだ。これだから世の中の世間知らずの若者は・・・・・・。」


  「お前、歳幾つだ。」


  自分と同じ歳であるはずのジンナーの口から出てきた言葉に、空也は思わずツッコミを入れる。


  魔法界と同じ人間の行動、異なる行動、価値観や性格など、愚痴を話すジンナーの口は、一度開いたらなかなか閉じない。


  アルバイトの女の子の話を始めると、空也は耳をダンボにして目をランランと輝かせる。


  だが、内容を聞いてみると、可愛いことをいいことに、遅刻しても間違いをしてもすぐに泣いてしまい、店長も諦めて許してしまうとか。


  息を吸ってはため息、また息を吸ってはため息と、呼吸するリズムでため息を吐くジンナーは、相当、精神的にも肉体的にも疲れが溜まっているようだ。


  一方の空也は、女の子の中にはそういう子もいるのだと、諭す様にジンナーに話した。


  今までは、女の子といっても、主に流風としか接しておらず、さらに流風は女の子の中でも変わっているためか、今とても戸惑っているらしい。


  ここぞとばかりに、空也が女の子の接し方をレクチャーしようとすると、ジンナーに拒否された。


  「ま、あの流風って子、確かに年頃の女の子にしては大人しかったよな。結構体系もメリハリついてて大人びてたけどな。」


  「・・・油断も隙もあったもんじゃないな。」


  あの緊迫した状況の中で、空也が流風の体系までチェックしていたことを聞くと、娘を持った父親の気分になるジンナー。


  「断じて盗み見をしてたわけじゃねぇぞ。自然と視界に入ってきたんだ。そうだ。無意識の行動だから。」


  「余計に性質が悪い。」








  肩を揺らし目を細めて笑っている空也は、何かを思い出したように笑いを止める。


  「不老不死、まだ諦めてねぇのか?」


  「当然だ。」


  「俺には分かんねぇな!不老不死になりたいなんてよ~。長生きして何をするってんだ。」


  反動をつけてベンチから立ち上がると、肩をぐるっと一回回す。


  両腕を頭を裏に持っていき、そのままの体勢で帰る方向へと向かい始める空也に、声を張ってジンナーは止める。


  「てめぇの骨、拾ってやるから安心しろ。」


  「へへ。それは御免だな。俺の骨は女の子しか触れないっていう遺言を遺すからよ。」


  スタスタと公園の出口に向かって歩いている空也の背中を眺めていると、あと数歩で出口という場所で、空也は足を止めた。


  頭の後ろにあった腕を下ろして、今度はポケットに突っ込む。


  顔を上げて夜空を堪能している空也を見て、ジンナーも自然と顔を上げて、黒い空に輝く星たちを見つめる。


  魔法界の夜空の方が星が近くに見えたが、今はその場所のずっと下、星が小さく見えるだけでなく、他の人工的な灯りに邪魔されて綺麗とは思えない。


  二人して夜空を眺めていたが、空也が寒そうに身ぶるいをして、口を隠す様に洋服の襟を運ぶと、その中で息をする。


  「お前が決めた道だ。止めもしないし、否定もしない。」


  少し籠った声がジンナーの耳に届き、ジンナーが空也の方を見てみるが、空也は相変わらず振り返らない。


  「魔法が無いと生きられないわけでも無い。そんなもん無くても、こうして、ここにいる人間は皆ちゃんと生きてる。人生を満喫しているかは別問題だけどな。」


  空也がどんな表情で話しているのか、ジンナーの位置から確認することは出来ないが、きっと眉間にシワでも寄せて、寒さに耐えていることだろう。


  完全防備をしているジンナーは、鞄に入っている手袋とホッカイロを取り出し、握りしめる。


  「ま、せいぜいこの世界で、死なないってことがどういうことか、学んで味わって悔やむといいだろうよ。」


  「味わえないだろうが。」


  「俺もお前も、どいつもこいつも、月日が経てばじーさんばーさんになるんだ。亀の甲より歳の甲って言葉もあるくらいだ。歳とるってのも、悪いもんじゃねぇと思うぜ?」


  止めていた足をまた動かし始めながら、空也は指先を擦り合わせて指を鳴らす。


  すると、公園内にある大きな木から、一枚の木の葉がその姿を何十倍にも大きくしながら空也に向かって飛んでいく。


  葉柄の部分を掴むと、腕の力と土を蹴る力で葉の上に飛び乗る。


  「じゃー、ま、もう会わないかもしれねぇけど、またな。」


  「どんな別れ方だ。」


  次の瞬間、ヒュウッ、と強い風が吹いたためにジンナーが目を瞑ると、目を開けた時にはすでに空也の姿はどこにも無かった。


  飛んでいったのであろう暗い空を見上げて、白い息を吐きだす。


  「此処で魔法使うのは禁止のはずだろうが。」








  早朝、魔法界の隅の方、誰も来ないような場所にて。


  「流風。・・・流風?」


  朝ごはんを食べようと起きてきたデュラだが、いつもであればいるはずの流風の姿が、部屋のどこを見ても見当たらない。


  朝食当番をはじめ、掃除当番や庭の手入れなど、交代制にしているデュラと流風。


  どちらが料理が上手かと聞けば、きっと周りの人は迷わずにデュラだと答えるだろうが、流風はそれを認めない。


  だが、間違いなくデュラの方が上手であろう。


  初めて流風の朝食当番の朝、デュラが起きてきて気持ちよくご飯を食べようとした時、魔女のようにぐつぐつと怪しい釜で怪しい物を投入している流風の姿を目撃。


  そのあまりの衝撃に、一瞬腰を抜かしたそうだ。


  どんなに料理が苦手な人が作っても、絶対に作れないであろう色、見た目、味を作り出し、それを平然と自らの口へと運ぶ流風を見て、デュラは顔を引き攣らせていた。


  そんな流風の姿が見えないため、最初は料理を投げ出したのかと思ったデュラだが、庭に出てみると、そこに流風の姿があった。


  何をしているのかは見えないが、青いウェーブを風になびかせながら、しゃがみ込んでいる。


  「流風、どうした?」


  蟻の行列でも見ているのかと思いつつ、流風の隣に同じようにしゃがみこんだデュラは、流風の視線の先を追って行く。


  そこには、蟻の行列などでは無く、何とも可愛らしいスノードロップの花が咲いていた。


  花の名前など知らないデュラだが、遠慮がちに俯いて咲いている花を見ると、心なしか愛おしさが増してくる。


  純粋さを思わせる白い花弁を眺めていると、流風が口を小さく開く。


  「スノードロップは、春を告げる花。」


  「へー、そうなのか。」


  「人へ贈る花としてはタブー。でも、“逆境の中の希望”という花言葉を持ってる。」


  淡々と話す流風の言葉の真意を感じ取ったデュラは、そのまましばらく流風と一緒にスノードロップの花を眺めていた。


  どのくらい経った頃だろうか、流風のお腹の音が聞こえてきた。


  ハハハ、と笑って流風の頭をわしゃわしゃとかき回すと、ゆっくり立ちあがり、流風に手を差し伸べる。


  「ほら、さっさと飯食うぞ。」


  「そういえば、薬草を取ってきた。早速朝食に入れる。」


  「わー!!!!待った待った!!!それは止めておこう。な?」


  「・・・・・・理由を簡潔に十秒以内に述べよ。」


  「え、何その問題形式は。ええと・・・。」


  通常の食材を使っても、あれだけ口内と胃と鼻を刺激出来る料理を生み出せると言うのに、どこから取ってきたかも分からない薬草など使われては困る。


  流風の心を傷つけないような解答を、懸命に考えているデュラの目の前で、口でチッチッチッ、と時間経過を知らせる音を発する。


  その音の感覚が徐々に速まってきて、デュラは適当に答える。


  「明日使おう!!!」


  答えた瞬間に後悔したデュラだが、他の答えが思い付かなかった。


  そーっと流風の顔色を窺ってみると、眠たそうに目を細めて瞬きを数回すると、首を縦に一回振り下ろす。


  OKの合図だと解釈すると、デュラはホッと胸を撫で下ろす。


  スタスタと帰っていく流風の後姿を見てため息を吐くと、明日の事を想像しながら、トボトボと後を着いていく。


  「・・・明日はなんて理由を付けよう・・・。」








  魔法界に戻った空也は、何事も無かったかのように国王の部屋へと入っていく。


  「よー。来てやったぜ。」


  「・・・・・・空也、そこに座りなさい。」


  片手をあげてシャアシャアと現れた自分の息子に対し、床を指さして座れと命じれば、空也は「どっこいしょ」と声を出して座る。


  胡坐をかいた空也に、正座で座れと言うが、足が痺れると話を聞く集中力が無くなるという理由で拒否された。


  「はぁ・・・・・・。空也、どこを寄り道したらこんなに遅くなる?」


  「さー?ほら、俺って自由奔放だろ?人間にも自然にも動物にも愛されているわけだ。何処に行っても人気者だから、しょうがねぇんだよ。」


  「わざわざ人間界まで下りてか?」


  以前、空也が国王を助けるために使った魔法、作った地図の中に現れる様々な人物の名前を頼りに、空也の動きを見張っていたようだ。


  掌から空也の姿をした小さな人形が落ちると、床にスゥッ、と消えていった。


  それを、片手で頬杖をつき、もう片手で肘を九十度に曲げて膝を掴んでいる空也は、ニヤリと大袈裟に笑ってみせる。


  「息子の動きを逐一調べるとは、国王ってのは暇なんだな。」


  「口の減らない息子だ。」


  「誰に似たんだかな~?」


  「・・・・・・お婆様か?」


  「おい。そこ別に真剣に考えるなよ。しかも婆さんの方か。」


  話の論点が完全にズレているのだが、気付いていながらも空也は話を元に戻そうとはしていない。


  国王がコホン、と咳払いをして話を元に戻すと、空也は生欠伸を見せつけるようにする。


  「王位継承の時期についてなんだがな・・・・・・。」


  “王位継承”の言葉に確実に反応を見せると、空也は明らかに不愉快そうな顔になり、頬杖をついている掌で口を隠す。


  一人っ子で無く、さらに兄でもいれば状況はくるりと変わったのだろうが、現実問題、空也は一人っ子の上に性別男。


  余程の問題でも無い限りは、空也が国王になることに間違いは無い。


  こればかりは面倒だと言っても嫌だと言っても、避けられないことを知っているが、それでも何とか逃げられないかと考えている。


  「空也。逃げるんじゃない。いつかはなるんだ。」


  「・・・知ってるよ。けど、何でこのタイミングなんだよ。」


  「放任主義を止めるようにと、お前の母親に言われたんだ。」


  「良く言うぜ。放任どころか、ほったらかしだろーが。それに、王位継承は代々、二十歳になってからってキマリがあるはずだぜ?」


  二十歳の生誕祭の時に、正式に国王への受け継ぎが決定され、それも兼ねてお祝いされるのが通常。


  あと三年は遊んで・・・いや、勉強出来ると思っていたためか、空也は酷く顔を顰める。


  「特例として承諾を得た。早速だが・・・・・・。」


  「あーあーあーあーあーあー!!!!!」


  これから自分が聞くであろう内容を察知した空也は、自分の両耳に手を当ててパタパタさせながら、国王の言葉を遮る。


  その場に勢いよく立ち上がると、スキップして立ち去ろうとする。


  「空也!」


  国王が名前を叫ぶと、ドアの横に立っていた家来たちが、持っている槍を交差させて空也の帰宅を阻止しようとする。


  だが、空也がニコッと笑って両手を家来たちに向けると、家来たちは風によって壁に吹き飛ばされる。


  それを見た国王が、自ら空也を止めようと掌を向けたが、振り返った空也が告げた。


  「親父、俺はまだガキでいたいね。大人になんていつかなるんだ。そんな慌てなくても、親父の跡は継いでやっからよ!」


  バタン、とドアが閉まると、国王は呆れたようにため息を吐いて、椅子にドスン、と座る。


  「まったく・・・。」








  「フフ~ン♪フフフ~ンフンフン♪フンフフ~ン♪」


  機嫌良く鼻歌を唄いながら空也が家路を歩いていると、何かの気配を感じた。


  ゆっくり歩いて近くに引きつけて、いっきにバッと後ろを振り向けば、そこにはグレートピレニーズ犬の子供がいた。


  野良犬かと思い、しゃがんで喉元を指で撫でていると、そこに首輪があることに気付いた。


  「おい、お前どうしたんだ?迷子か?」


  当然、何か言葉を発するわけ無く、犬は大きな目で空也を見つめたまま、尻尾を振っている。


  首輪に名前が書いていないか確認すると、そこには犬の名前は勿論、この犬の、つまりは飼い主の住所が書かれていた。


  「あれ?此処って・・・。」


  立ち上がって書かれている住所まで歩いていくと、犬も自然と空也の後ろを着いてくる。


  「・・・お前、可愛いな。」


  自分の家が近くなってきたのが分かるのか、犬は次第にピョンピョン飛び跳ねながら歩き出し、それでも空也から離れて先に行くことは無かった。


  チャイムを鳴らせば、すぐに目的の人物が現れる。


  「空也!?あ、クルミ。また勝手に出ていったのか。」


  「海斗、お前と違って可愛いな、この犬は。見ろ!こんなに俺に懐いている!」


  自分の足下でお座りをしているクルミを抱きかかえ、空也が鼻高々に告げると、海斗はクルミを空也から引きはがして自分の胸元に隠す。


  「クルミは誰にでも懐くんだよ!阿呆!」


  「クルミクルミって、お前はクルミの何を知ってんだよ!」


  「お前こそ何知ってんだよ!!!」


  「あ、そういや、昔“クルタ”っていうビデオあったの知ってるか?」


  「堂々と話を逸らしたな。」


  玄関で大声で言い争っていたためか、海斗の家族がリビングのドアから玄関を覗いてきた。


  丸見えなのだが、きっと見えていないと思っているのだろう。


  海斗の母親が玄関まで来ると、空也を見て挨拶をし、夜の外は寒いから中に入って話すといいと優しく二人に言う。


  クルタを海斗から離して家の中に連れていくと、海斗も渋々空也に中に入る様に促す。


  折角にお誘いを丁重にお断りすると、空也は急に真剣な表情を見せる。


  「海斗。」


  「なんだよ。」


  「・・・・・・迷惑かけたな。」


  「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・へ?も、もう一回・・・。」


  空也の口からは聞き間違いかと思わせる言葉が聞こえ、海斗はもう一回言って欲しいとお願いするが、拒否される。


  「ほー・・・。明日は雪でも降るか。いや、槍が降るな。」


  「なんで俺の周りには、こうも失礼な奴ばっかりいるんだ。」


  「それはお前が失礼奴だからだな。」


  うんうん、と頷きながら、当たり前のように言う海斗の横腹を軽く蹴飛ばすと、目を細めて海斗を睨む。


  白い息をため息として吐き出すと、風に乗って空へと消えていく。


  「ま、お前に世話になんのなんて、今回限りだろうからな。」


  「いやいや、分かんねえぞ?大体、空也はいつも誰かしらに迷惑かけてるだろ。特にナルキとか。」


  「・・・・・・てめぇ・・・。灰にしてやろうか。」


  「ま、そういうわけだ。今更迷惑かけただのなんだの言うな。空也らしくなくて、逆に気持ち悪いから。」


  またもや失礼な事をいう海斗を蹴ろうとしたが、寒いのに無駄な動きは止めようと思った空也は、そのまま踵を返して帰り道を行く。


  口元が緩み、いつもより柔らかい笑みを作っていたことは、空也自身も気付いてはいない。


  家に着いて母親と祖母、祖父に挨拶をしてから寝室に向かうと、ベッドに仰向けになりながら唄を唄った。


  それは、かつて詩人が大切な人の為に作った唄。


  届いて欲しいと願い、聴こえてほしいと祈り、自分の愛したもの全てに対する感謝の意も込めて奏でた旋律。


  「空也?貴方が唄ってたの?」


  「ああ。なんで?」


  「最近はあまり聴かない唄だから、珍しいと思って。」


  部屋をノックして顔だけ覗かせた母親が、空也の唄っていた唄を懐かしそうに口ずさみながら出ていった。


  「相変わらず、少し音がズレてる。」








  一つの命が芽吹くことは、奇跡にも近い。


  自分が生まれるためには、母親と父親が出会わなければいけず、さらには二人が生まれて来なければいけない。


  もっと遡ると、祖母と祖父が出会うことも必須条件であり、祖母と祖父が生まれてくることもまた、必要な奇跡となるからだ。


  奇跡が重なって初めて手に入れた命を、なぜ自ら絶つ必要があるだろうか。


  運命という言葉を用いるならば、この世は奇跡が起こる運命にあるのだ。


  人生と言うだけならば簡単だが、実際に生きてみると、楽しい事も辛いこともあり、人によってその感じ方の比率は異なる。


  痛みも知らない、言葉のナイフを振りかざす、周りが右を向けば自分も右を向く。


  忙しそうに生きている人混みの中で、助けを求めて叫ぶ人にも気付かない、気付いても気付いていないフリをする。


  死ぬ事が怖いのは当然で、誰もが出来るなら長く生きていきたいと思う事だろう。


  誰かに支えられていること、誰かを支えていること、生きるとは傷を負うこと、傷を負いながらも未来を見据えて生きていく強さを得ること・・・・・・。








  「空也いますか?」


  「あらナルキ君。ちょっと待ってね。まだ寝てるのよ。」


  「ああ、じゃあいいです。用があるわけでも無いので。」


  「そう?じゃ、紅茶でも飲んでいく?」


  「いえ、おかまいなく。じゃ、失礼します。」


  朝早く起きてしまったナルキが、暇を持て余していたため空也の家に行ってみたが、まだ能天気に寝ているようだ。


  玄関がパタンと静かに閉まり、空也の母親は洗濯を始める。


  ゴウンゴウン、と空也の部屋にまで響く音を出している洗濯機に、まだ寝ていたい空也が怒るだろうかと様子を見に行くと、寝ているはずの空也はすでに起きていた。


  ボーッと寝惚けた顔で、Tシャツの下に腕を入れてお腹をかいていた。


  「やだ空也。まだ若いのに。」


  覚めていない頭は、母親の言葉をキャッチ出来なかったらしく、何も言わずに大きな欠伸を見せた。


  「洗濯物出しておいてね。あ、それとさっきナルキ君来たのよ。」


  「ん。」


  やっと出した声は掠れていて、半開きの目はさらに細くなっていくのを見た母親は、そっと部屋から出ていった。


  猫背のまま目を瞑ろうとしかけた空也だが、外から聴こえてきた風の音に耳を傾ける。


  しばらくじっと、窓の外を眺めていた空也は、眠くは無いのに目を細めた。


  「・・・・・・寒い。」


  のんびりと亀のようにゆっくりした動きで窓際に向かうと、手で照り輝く太陽の光を遮り、鼻歌を唄う。






《小さき光は羽根となり 


明日へと向かう標となる


言葉を失ったこの口で 


貴方に何を伝えよう


遠い空へと続くであろう 


私の唄声を聴いておくれ


忘れた場所なら取り戻そう 


生きてゆくことを愛し


例え光が射さぬ時が訪れようとも 


我らの息吹は届くであろう


 空から海へ 風から大地へ 


人から人へ 時代は流れゆく


 美しき時代の唄を 麗しき命の唄を 


愛おしき貴方へ




 尊き灯憂う夜 儚き産声包む朝


 貴方を失ったこの場所で 


私は何を口ずさむ


 広い海へと続くであろう 


希望の地平線渡っておくれ


 例え闇に呑まれた時代を生きようとも 


我らは鼓動を紡ぐであろう


 海から空へ 大地から風へ 


人から人へ 命は繋がれる


 美しき未来の為に 


麗しい明日の為に 


愛おしき貴方と》







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