第2話錆びついた力





Wizardry

錆びついた力



人生において、諸君には二つの道が拓かれている。一つは理想へ、他の一つは死へと通じている。


   シラー










  ジンナーからの挑戦状を受け取った空也は、風呂から上がるとふかふかのベッドに横になった。


  一定時間だけ文字が浮かびあがり、すぐに羽根ごと燃え上がってしまったため、手元には何も残っていない。


  バタバタと足を動かしていると、うるさいと注意され、仕方なく動きを止めていたが、またすぐに足をバタバタと動かせる。


  掌を広げれば、そこから徐々に人型のものがよいしょよいしょと出てきた。


  地図から抜き取った文字が人型になったものを、ベッドの上に家来にバレないように乗せると、ベッド全体に地図が浮かび上がり、人型がそれぞれの場所に移動する。


  「なるほどなるほど。」


  すぐに地図を消し、人型も掌に隠すと、空也は暇そうに歌を歌いだしたため、あまりの大声に、家来たちは部屋の外へと出ていった。


  部屋の窓際まで行くと、大きな窓を豪快に開け放ち、肺いっぱいに空気を吸った。


  「さーてぇ?どうするか・・・。」


  調子に乗るなと思ったのはいいが、国王救出に関しての計画など全くたてておらず、空也一人で助けに行けたとして、国王の身体の蟲はどうしようか。


  蟲はあまり触りたくない空也は、誰か一人、蟲を掴める人を一緒に連れて行こうかとも考えたが、そもそも家来と空也しか、国王がいなくなったことを知らないのだ。


  長老たちに知らせた日には、心臓発作で倒れる者が現れるかもしれない。


  国民が知れば、力も無いくせに国王を助けに行くなどと言いはじめるに決まっていることも、空也は知っている。


  かつて、空也の祖父が、一度木の実を食べて体調を崩したときにも、その木の管理者を出せだの、土地の者を縛りつけろだのと、大騒ぎだったのだ。


  実際に、祖父に木の実を渡したのは空也で、ポカン、とした顔でその様子を見ていた。


  国王というだけで、少しでも何かがあれば守られてしまうこと自体が、空也にとっては気に入らないことでもあり、自分が後継ぎになりたくないと思う理由でもあった。


  『国王の息子』、『未来の国王』などと、世間は良い様に解釈しているのかもしれないが、こういう家系に生まれてきたからといって、必ずしも幸せとは限らない。


  成績優秀で当たり前、何でも出来て当たり前、気が利いて当たり前、国民を助けて当たり前、国民には平等に接するのが当たり前・・・・・・。


  何でもかんでも“当たり前”にされてきて、それが日常になっていた。


  「だー!やってられるかっての!!!」


  周りの人から受ける視線が怖かった。


  他人からの評価を耳にするのが嫌だった。


  それだけなのに、人を避ける度に、あいつは調子に乗ってるとか、生意気だとか言われてきたのだ。


  ふつふつと込み上げてきた怒りで部屋を壊さないように、大きくて弾力のあるクッションを作り、それを何度も何度も殴りつける。


  なんとか苛立ちを全て吐ききると、そのままベッドにダイブして寝ることにした。








  空也が寝始めたころ、ナルキは調べ物をしていた。


  本棚から漁ってきた本を見つけると、部屋にある机の上に置き、椅子に座ってペラッと一ページを捲る。


  過去に起こった事柄が書かれているその本は、一見、ナルキが読むには難しそうなのだが、内容は単なる歴史のため、難なく読み進める事が出来る。


  「ああ、これかな。」


  見つけたのは、ナルキが五歳のころの記述で、魔法界において三つに指に入る大事件とされていたものだ。


  ジンナーの赤黒い髪の毛を見ていて、何か引っかかるものを感じていたナルキだが、それが魔法界で起こった事件では無いかと予想をし、本を探していたのだ。


  直接ジンナーは関係ない事件だが、ジンナー以外に、あの髪の色を見た事がある気がする。


  「え、っと・・・。十三年前、当時の国王は空也の祖父で・・・あれ?確か・・・。」


  ペラペラと少しだけページを捲ると、今の国王に変わったのも十三年前だったということが記載されていた。


  ということは、ナルキが五歳の時に、空也の祖父は亡くなったという事だろう。


  「で、ええと・・・。」






  十三年前、雹空(当時の国王)の暗殺事件が起こった。


  魔法界のトップが殺されたと言うことは、あっという間に国中に広まって行き、次々に国民が最期の顔を見に来た。


  犯人は見つからないまま終わると思われていたが、犯行を見ていた一羽の鷹が、国中に犯人の名を言って飛びまわった。


  犯人は、当時国王の側近であった蒙知という男だった。


  暗殺の記憶はすでに誰かの手によって消されていたが、実行犯がこの男であることに間違いは無かった。


  蒙知は自らの起こした罪を、自ら喉を切り裂く事で償った。


  だが、蒙知の記憶を消し、更に言えば、操っていたかもしれない人物は見つからず、半年が過ぎようとしていた。


  ふと、魔法界のとある酒場で酒を呑んでいた男が、自分が操っていたのだと自慢気に言っていたという情報があり、その男はすぐに捕まった。


  蒙知を操り、雹空を暗殺するよう仕向けたのは、大金持ちの魔術家として名を馳せていた家の主人だった。


  雹空が貧乏人を助けるためにかけた魔法が、気に入らなかったということだ。


  人は皆平等などと言っていた雹空は、貧しい人には土地を与え、実力も無いのにお金で魔法を買っていた者達から、魔法を取りあげるなどしていたため、恨みを買ったのだ。


  新国王となった空也の父親が、男を捕えて処罰を与えようとした。


  公開処刑となったその男は、死際にこう言い放った。


  「馬鹿なじじィを殺して、何が悪い!!!」


  国王が手をスッとあげて処刑を促すが、どこからか冷たい風が吹いてきて、先程の去勢はどこへやら、男はガクガクと震えだした。


  一歩一歩、ゆっくり男に近づいて来たのは、当時四歳の空也だった。


  ゆらり、と長い金髪を揺らしながら男に近づくと、ニヤリ、と四歳児とは思えないほど不気味に笑い、牙を向ける。


  獲物を見つけた獣のように、涎を垂らして舌でベロリと舐める。


  「ひいぃぃぃぃぃぃぃぃいッ!!!!ゆッ、赦してくれぇぇええぇッ!!!」


  国王が急いで止めようとするが、空也の魔法によって近づく事が出来ないでいた。


  目を真っ赤に充血させて、空也は確実に男に近づいていき、男との距離はあと一mも無いというところまで来た。


  空也が目の前に来た途端、男は口から泡を吹いて気絶してしまった。


  それを見て、なおも口元の歪みを止めない空也は、物凄い脚力で男の許まで飛ぶと、鋭い爪で喉仏を一気に貫いた。


  いきなりの惨劇に、その場にいた国民は目を疑い、皆が一斉に逃げ出した。


  鬼が現れた、あれは鬼神などではなく、正真正銘の鬼だと言われていても、もはや今の空也には何も聞こえてはいない。


  空也を止めようとした家来たちに向かい、国王も叫ぶ。


  「止めろ!近づくな!」


  すでに理性の欠片も無い空也は、敵味方関係なく襲いはじめ、わずか十五分後には、辺りは死体の山となってしまった。


  それでも血に飢えた様子の空也は、綺麗な黄金色の髪の毛が黒く染まっていた。


  正確には黒では無く、浴びた血の色が錆びた為、黒色に見えるだけなのだが、不気味に笑うその姿は、鬼でもなく、悪魔でもなく、夜叉でもない。


  『怪物』それが一番似合うかもしれない。


  狂った空也と止めたのは、天からの光と、大地からの風だったという。


  浄化されるように、空也の身体から煙のような何かが出て行き、次第にいつもの空也の姿に戻って行った。


  国王はこれからのことを考え、夜に国中に魔法をふりかけて、その日のことを記憶から消したそうだ。


  だが、過去を全て無かったことになど出来ないと、書物に記載はしたものの、その本自体の存在さえも、忘れ去られていったのだ・・・。








  「・・・そうか。だから・・・。」


  空也の人に対する接し方と、人が空也に対する接し方に温度の差があるように感じたのは、このことだったのだと、ナルキは納得する。


  国王は消したつもりなのだろうが、きっと空也の記憶から、その日の記憶は消えてはいない。


  本能が空也を守るために、降りかかる国王の魔法から空也を守ったのだろうが、結局のところ、空也を守れてはいない。


  本を閉じると、それを本棚の奥の方へと閉まった。


  ガタッと椅子から立ち上がると、険しい顔で髪の毛をガリガリとかき、部屋を出てシャワーを浴びに向かった。








  コツコツ、とブーツで部屋まで向かって歩いている。


  部屋に入ると、一旦は窓の近くまで行って、外を眺めながらポケットを漁り、中に入っているアーモンドを口にする。


  カリカリと良い音を奏でると、妖しく喉を鳴らして笑う。


  窓際とは真逆の床には魔法陣が書かれており、壁には一人の男が乱れた呼吸を繰り返しながら、やっとの状態で立ちつくしていた。


  倒れたくても、魔法によって倒れられないようにしてあるため、身体を横にすることも出来ずにいる。


  「はぁ・・・はぁ・・・。」


  苦しそうに呼吸をする男を見て、アーモンドを咥えた人影の口元はさらに歪む。


  「お疲れのようだな?」


  窓枠に両肘を置き、口をモゴモゴ動かしながら男に訊ねれば、男は力無く目を開け、一睨みすると視線を床に落とす。


  「ジンナー・・・そんなに、憎んでいるのか・・・。」


  アーモンドをゴクリ、と呑みこむと、ジンナーは男に近づいていき、男の髪の毛を思い切り掴みあげ、自分の方を向かせる。


  「憎む?ハッ!笑わせんな。憎んでも何も変わらねぇことくらい、俺だって知ってるぜ!ただ、俺は不老不死になって、俺の家系を蔑んできた連中が死んでく様を、この目で見てやりてぇだけだ・・・・・・!」


  バッ、と勢いよく男の頭を払うと、ジンナーはハンカチを取り出して、それをナイフに代えると、自分の腕を軽く切って魔法陣に落とす。


  パァッ、と魔法陣が光ったかと思うと、男がうめき声をあげて更に苦しそうに表情を歪める。


  そんな男を横目に見て、ジンナーはポリポリとアーモンドを食べ始め、足を窓の方に向けると歩き出し、窓から見える月を嘲笑う。


  「君は・・・勘違いを、して・・・る。」


  「・・・・・・ああ?」


  機嫌良くアーモンドを食べていたというのに、背中から聞こえてきた男の言葉に、ジンナーは不機嫌を露わにする。


  再び男に近づくと、拳を作り、男の顔スレスレを通って壁を殴りつける。


  壁がボロボロに崩れだすが、ジンナーも男も平然とした顔で睨み合い、というよりも、ジンナーが一方的に睨みつけている。


  拳を自分の許に戻すと、静かに笑いだしたジンナーだが、徐々に声は大きくなっていき、掌を自分の目元に当てて、天井を仰ぐように顔を上に向ける。


  「君の高祖父は、偉大な薬使いだった・・・・・・。あの時代の法が、間違っていたのだ・・・・・・。」


  「・・・せぇよ。」


  「心から謝罪しよう。本当に、すまなかった。そして、君にも・・・。」


  「うるせぇって言ってんだろ。」


  低く落ち着いた声なのだが、心臓を鷲掴みされているような感覚に陥るような、下腹部にビリビリと響く声だった。


  ジンナーの怒りは物理的な感情表現となって男に伝わってきた。


  身体中から静電気のようにピリピリとした空気を出し、収まりきらない怒りがジンナーの足下から数本の線の形で姿を見せる。


  「あんたは此処で黙って見てろよ。国王であるあんたの前で、あんたの国が無くなるところをさ。本当は、空也の奴にも見せてやりてぇとこだけど、あいつは俺の手で消してやらねぇとな・・・・・・。」


  ゆっくりと窓に近づいていくと、コンコン、と部屋をノックする音が聞こえてきて、返事も待たずに流風が入ってきた。


  国王の方を見向きもせずに、ジンナーの許に行くと、国王の持っていたネックレスの解析結果を報告する。


  「これは、不老不死の薬ではありませんでした。」


  「あん?じゃ、何だったんだ?」


  「中身はただの水でした。」


  「水・・・・・・?」


  怪訝そうな顔でネックレスを受け取り、耳元で振ってみたり、中を確認して匂いを嗅いだりしてみたが、何も分からない。


  ジンナーの問いかけに対して、流風はただコクン、と一回頷いただけだった。


  カプセル型のネックレスを掌で握りつぶし、パラパラと破片だけが虚しく床に散らばっていくのを、国王はじっと見ていた。


  視線をジンナーに戻すと、早速国王に笑いかけながら聞いてきた。


  「何処だ?」


  「何がだ。」


  「ばっくれてんじゃねぇよ。薬の在処だ。」


  てっきり、ジンナーは薬を持っているのが空也だと知っていたと思っていた国王は、一瞬目を見開き、驚いた表情を見せる。


  空也が持っていることを知らなかったということは、なぜ空也の前に何度も姿を現したのだろうか。


  その疑問は、すぐに解決することになる。


  「んだよ・・・。空也を倒すのに、さっさと呑んじまおうと思ってたのに。」


  つまり、魔法界のエースと言われている空也が嫌いで、単に嫌いで、私情的なことで、顔を出していたようだ。


  このくらいの年頃になると、何を考えているのか分からないが、これほどまでに読みにくいとは思っていなかった・・・・・・。


  だが、そんな国王の表情で、逆にジンナーに在処を知らせることになってしまった。


  「・・・・・・ああ、まさか、その大事な薬、持っているのは空也なのか・・・・・・?」


  無言のままいると、それを肯定と取ったジンナーは、高らかに笑いだす。


  「ハハハハ!!!そうか!なんだよ、いつでもチャンスはあったってことか・・・・・・!!!馬鹿らしい・・・。じゃ、このおっさんは本当に人質ってことか。」


  空也をおびき寄せるためだけだったはずが、薬を手に入れるチャンスに代わったことで、ジンナーは嬉しそうにアーモンドを次々に頬張る。


  まさか、大事な薬を空也に持たせているとは思っていなかったため、唇をペロッと舐めて、夜空に手を翳す。


  「ああ・・・・・・。今日は興奮して眠れそうにねぇな・・・・・・。」








  夜が明けて、空也が目を覚ますと、すでに朝食が準備されていた。


  ここが家では無く城であったことを思いだし、欠伸をしながら食事を観察し、適当にパンを一欠片口に入れる。


  ライ麦のパンと米粉のパン、普通のパンがあったが、空也は迷わずに米粉パンに手を伸ばした。


  着替えを済ませて外出しようとしたが、家来が常に空也の周りを囲んでおり、好きに動けない状態だ。


  きっと、国王に言われているのだろうが、それにしても、今まで好き勝手に動き回っていた分、息苦しくて仕方ない。


  後ろを黙ってついてくるだけの家来に、いい加減イライラしてきた空也は、ピタッと足を止める。


  「あのなぁ!俺はお前らより強ぇから、心配すんな!そんでもって着いてくんな!金魚のフンみたいにゾロゾロと・・・!」


  「で、ですが・・・国王にお守りするようにと・・・。」


  「だから!いらねぇ!」


  そう叫びながら、空也はビュンッ、と風に乗って城から抜けだしてしまった。


  城から家来たちが何やら言っているのが聞こえるが、そんなこと一々気にしていられず、とりあえず木を見つけて、そこに止まることにした。


  ガサッ、と小さな音を立てて木の上に止まると、指先で空気中に四角を描き、そこに地図を浮かび上がらせる。


  掌の中から人型を取り出すと、その場所を確認する。


  位置を頭に叩きこむと、地図を消して人型も隠し、木から葉っぱを一枚拝借し、それに魔法をかけると、掌サイズの葉っぱは直径二mほどの巨大な葉っぱになった。


  葉っぱに乗ると、前方にカーナビくらいの大きさの地図を出す。


  「よし!行け!」


  腕を振って方向を示すと、風に乗って葉っぱは飛び始めた。


  「うんうん。なかなかの乗り心地。」


  魔法界全体を眺めながら、空也は欠伸を繰り返し、徐々に近づいてくる目的地を目を細めて見つめる。


  軽く舌打ちをし、ゆっくりと下降していく。








  「空也がいなくなった・・・!?」


  「ああ、城でも大騒ぎだ。」


  「でも、何処に行ったんだ?俺達のとこにも来てないとなると・・・。」


  空也が城から逃げ出した直後、ナルキたちにも空也の行方が分からなくなったことが広まり、それはより広い範囲へと伝わっていく。


  ナルキはソルティやデュラ、海斗たちと合流して、空也のいそうな場所を探して見たが、一向に見つからない。


  手分けしようとも思ったのだが、手分けしたところで結果が変わるわけでも無いと、薄々ながら思っていたナルキは、ひとまず城へと向かう事にした。


  だが、空也の話を聞こうとしても、家来たちはそう簡単に口を割らない。


  城を後にしたナルキは、一人悶々と何かを呟きながら考え事をしていた。


  ふと、視線を少し上げると、何かを思い立ったように表情を明るくし、地面に直接触れて、空也の足取りを追う事にした。


  空也がどんな道を通って行ったのか、いつごろその道を通って行ったのか、土から石、草木にも意識を集中させて聞いていくと、次第に空也の姿の情報が入ってくる。


  ―空也、飛んで行ったよ。


  ―うんうん。飛んで行った。


  ―東の方向に、行った。


  ―葉っぱ、飛んで行った。


  「そうか。ありがとう。」


  御礼を言って手を離すと、ナルキも木から葉っぱを一枚貰い、自分が乗れるほどの大きさに変えると、それに乗って飛んで行った。


  東の方向とは言っていたものの、範囲が広すぎる。


  どこから探していこうかと思っていると、ふと視界の端の方に、見覚えの無い建物が目に入った。


  「あんなの、あったんだっけ?」


  不思議に思い、少しずつ高度を下げて行き、建物の周りを二、三周して警戒しながらも、こうしていても埒が明かないと思い、思い切って下りてみる。


  建物の近くの林の中に下りると、葉っぱを元の大きさに戻して風に乗って帰らせる。


  遠巻きから眺めているだけでは、物音一つ聞こえない静かな場所で、動物の鳴き声も駆け抜ける音も、風の吹く音さえもしない。


  不気味さを感じながら、ナルキはゆっくり建物に近づいていく。


  ふと、無意識に触った木の幹から、危険信号が伝わってきた。


  ―危険だよ。危険だよ。


  ―後ろ、後ろ。


  それを聞いて、顔を動かそうとしたとき、首筋にビリッ、という痺れる感覚が襲いかかり、ナルキはそのまま地面に倒れた。


  ガサガサ、と草をかき分ける音は、倒れたナルキに見向きもせずに、建物の方へと歩いていった。


  「・・・余計なこと、すんなってーの。」








  建物の中で、なぜか迷子になっていた空也は、必要以上に色んな部屋に入り、寛いだり休憩したり寝たりしていた。


  螺旋階段を上っていくと、頭も目もぐるぐる回っているような感覚に酔いはじめ、下を見るとさらに気持ち悪さが増す。


  やっとの思いで辿りついた部屋は、大広間のようにだだっ広い部屋であった。


  だが、部屋と呼ぶにはあまりに殺風景で、必要最低限の物さえもこの部屋には用意されていない。


  一歩部屋に入ってみると、カツン、と思った以上に足音が部屋中に響き渡る。


  窓から見える景色は最高で、魔法界が一望できるような、城ほどではないが、それでも十分すぎるほどに高い場所だ。


  目的も忘れて景色に見とれていると、誰かの掠れた声が聞こえてきた。


  クルッ、と上半身を捻って声が聞こえてきた方を見ると、そこには、自分が助けに来た相手である、国王の姿があった。


  「おお、忘れるところだった。」


  トントン、とリズム良く国王に近づき、床に書かれている魔法陣を見る。


  その一部の上に手を翳し、掌を擦り合わせると、空也の掌からは灰がサラサラと落ちてきて、魔法陣に覆いかぶさっていく。


  落ちた灰をブーツで一面に広げて行くと、徐々に魔法陣が消えてくる。


  倒れたくても倒れられなかった国王は、力尽きたように一気に床に跪いて、途切れ途切れの息で空也に話かけた。


  「空也・・・すまん。こんなことに、なって・・・・・・。」


  「わーったから。あんま喋んな。」


  呼吸を整えると、自分の肩に国王の腕を回し、部屋を出て行こうとしたが、そう上手くはいかなかった。


  「待てよ。」


  ドアに寄りかかって腕組をしながら立っていたのは、国王を攫って行った張本人のジンナーであった。


  赤黒い長い髪の毛の先をいじっていたが、ニヤッと口元を歪めると、寄りかかっていた背中を離して、空也と国王の許まで歩み寄ってくる。


  数メートルの距離を置くと、空也を見下す様に顎を突き出し、鼻で笑う。


  「折角来たんだし、もうちょっとゆっくりして行けって。」


  「悪いな。早く帰って愛犬の散歩に行かなくちゃいけねぇんだ。」


  「まだ早いだろ?お茶出すからさ。」


  「いやいや。俺が勝手に来たんだ。おかまいなく~。」


  そう言ってジンナーの脇を通り抜けようとしたが、そう素直に通らせてくれるわけもなく、空也の喉元にナイフを突きつけ、不気味に笑う。


  空也は国王を自分から離すと同時に、突きつけられたナイフを手で掴む。


  空也の手から血が出てくるのを見ると、ジンナーはナイフをしまい、空也自身は掌に出来た傷を舐め、たちまち傷跡を消した。


  口に残った血液をプッ、と吐き出すと、それを合図にしてジンナーが床に向けて手を翳す。


  すると床から棒状のものが徐々に出てきて、ある程度の長さになると、それをジンナーはギュッと掴むと、空也に向けた。


  ヒュンッ、と空也の頭を目掛けて振られた棒は、バック転した空也スレスレの風を切る。


  だが、ただの棒だと思っていた棒が、次に見た時には大鎌の姿となっていて、反動を利用して再び空也の首を狙う。


  「うほッ!おっそろしい!」


  天井に手を向けて紐を作りだし、それに掴まりながら攻撃を避けると、空也は空いている方の手で火焔を出す。


  鎌はボロボロになり、空也は紐で反動をつけながら、ジンナーの上空を移動して背後に立った。


  「さて・・・・・・?もう終わりか?」








  後ろを取られたジンナーだが、肩を上下に振るわせて笑っている。


  目の前で揺れ動く赤黒い髪の毛が、嫌に目障りであり、不思議と心臓がギュッ、と握られている感覚に陥る。


  ふと、誰かが階段を上ってくる音が聞こえてきたかと思うと、部屋のドアがバンッ、と開いた。


  「はぁ・・・はぁ・・・空也!生きてるか!?」


  「あれま。ナルキかよ。」


  入口に立っていたのはナルキで、ドアに手を置き、腕で身体を支える様にして何とか立っているナルキに、空也は近づいていった。


  ゆらっ、と身体を動かして、ナルキも空也に近づいていくと、その間にジンナーがその場でゆっくりと振り返る。


  「ボロボロじゃねぇか。そっちこそ大丈夫か?」


  「まぁね。なんとかって感じだよ。」


  再びジンナーの方を向くと、ジンナーは不敵な笑みを浮かべたまま空也を見つめていた。


  国王は膝をついたまま、もう何も出来ないことを横目で確認すると、空也は指輪を外そうと、腕を持ち上げた。


  ・・・はずだった。


  背中に感じる違和感と、感触、バランスを失いぐらついた足下、視界に映る歪んだ口元。


  足に力を入れてグッ、と踏ん張らせながら、後ろの人物を確認する。


  そこには、さきほど話をしたばかりのナルキの姿があり、その表情はいつものナルキとは違い、不気味なほどに綺麗な笑顔だった。


  まさに、「他人を嘲笑う」には十分すぎるほどの笑みだ。


  空也は自分の背中に触れて、自分のものと思われる真っ赤に染まった血液を見ると、自嘲気味に笑う。


  「バーカ。」


  「馬鹿はお前だ。この野郎。」


  背中の傷を治癒しようとするが、その間にもジンナーやナルキから攻撃され、なかなか治癒に専念出来ない。


  ちょっと動いただけでも傷口は広がってしまい、なかなか身体の重心を決められない。


  傷口の周りに薄いベールのようなものを纏う事で、直接の攻撃を受けないようにしてはいるが、それもいつまでもつか分からない。


  どうしようかと考えていると、ジンナーが空也に笑いかけながら攻撃をしてきた。


  それを避けた空也は、自分に向けられたその攻撃が、本気では無いことにすぐに気付くと、攻撃の本当の狙いを直感的に判断した。


  空也の直感通り、空也を狙ったはずの攻撃は、空也が避けたことによって弧を描き、そのまま国王へと向かって行った。


  急いで国王の前に壁を作ろうと、空也は片膝を床につけて、両手を床に押しつけると、国王の前には壁から作りあげられた壁が出来た。


  ジンナーの攻撃は、壁にぶつかって砕け散る。


  だが、空也が背中を向けた瞬間、さらに深く、床から生えてきた槍によって、空也の脇腹を突きさした。


  「・・・ッッッ!!!」


  痛みに耐えた空也だが、身体は一気に舌打ちをする。








  「どうした、空也?もうお手上げか?」


  空也が崩れて行くのを見て、ジンナーは歓喜の雄叫びを部屋中に響かせる。


  国王の前に出来た壁も、空也の力が抜けて行く度に徐々に小さくなっていき、ついには丸見えになってしまう。


  背中と脇腹を押さえながら、空也は床に顔を向けて、目を瞑った状態で何度も浅い呼吸を繰り返した。


  肩は上下に動き、押さえている手の指の隙間からは、自らの血がドクドクと出てきている。


  その生温かさを直に感じ、空也は自分自身を鼻で笑う。


  「ついに気が狂ったか。」


  ポケットに手を突っ込みながら、ナルキが空也の許まで歩み寄り、空也の頭に足を置いてグリグリと踏みつけた。


  そんなことをされても、空也は抵抗することも無く、大人しくその場でされるがままだ。


  何も言ってこない、何もしてこない空也に、ジンナーとナルキは首を傾げて、頭に乗せていた足をどかすと、空也の身体を蹴飛ばした。


  コロン、と石ころのように簡単に倒れた空也の身体は、まるで抜け殻のようだ。


  仰向けに倒れた空也は、目を開ける事も無いまま、浅くなる呼吸を繰り返し、手に残っている血の感触を確かめる。


  「ハハハッ!!もう身体も動かないみたいだな?」


  しかし、空也からは何の反応も返ってこない。


  深呼吸を一回すると、空也はゆっくりと目を開いて、天井を見上げながらしばらくボーッとする。


  数分後、痺れを切らしたナルキが、天井に手を翳し、空也に向けて天井を落とし始めた。


  ガラガラガラ・・・・・・


  物凄い音を出して落ちた天井だったが、煙に紛れて空也の姿が見えなくなってしまった。


  だが、気配を消しもせずに移動したため、ジンナーにもナルキにも、空也がどこをどうやって移動したのか、すぐに分かった。


  「哀れなクルミ割り人形だな。そろそろネジ巻かねぇと、本当に動かなくなっちまうんじゃねぇのか?」


  「安心しな。俺はソーラー電池式だ。」


  ジンナーとナルキの背後を取った空也の身体には、背中にも脇腹にも傷跡は残っていないことから、倒れている間に治療していたのだろう。


  だが、それでも完全には治癒していないようで、まだ少し痛そうに表情を歪めながら、空也は眉間にシワを寄せて笑う。


  「ちゃんちゃらおかしくて、臍で茶が沸かせるぜ。」


  「余裕ぶってても、空元気なのがバレバレだぜ?空也。」


  背中を向けながらも、背中に顔があるかのように、背中に笑われている感覚になった空也だが、掌を額に当てて、呆れたように笑い続けた。


  「茶番はそこまでだな。」








  ジンナーとナルキに対して強気な発言をした空也だが、まだまだ形勢逆転とはいかない。


  「おいおい、空也。そんな身体で無茶すんなって!簡単に罅入るぞ?」


  指先をクイッと動かすと、窓ガラスがガシャン、と割れて、粉々になって床に落ちて行くのを、空也は横目でちらっとだけ見た。


  まばたきをしつつ、視線をジンナーたちに戻した空也は、指の間に感覚を作り、その手の形のまま額に持って行くと、髪の毛を優雅にかきあげる。


  サラッと靡いた髪の毛は、フワッと元の位置に戻っていく。


  「俺の身体だ。動いてもらわねーと困るんだよな。」


  「ひゅ~。」


  口笛を吹いたジンナーを挑発するように笑ってはみても、身体に受けたダメージは蓄積されていくわけであって、決して消えたわけではない。


  流れて行った血の分、体内の血液量は足りなくて、貧血気味にも感じる。


  少しだけフラフラする身体に苛立ちながら、ジンナーとナルキに攻撃をされることに対してではなく、思い通りに動かない自分の身体に、空也は喝を入れる。


  「こんのッ!!」


  小さな電気を作り、自分の動かない足を攻撃すると、一瞬だけ全身がビクリ、と反応する。


  「動け!」


  ビリビリ、と部屋から光が漏れるくらいに電気を当てた後、ジンナーとナルキの方をゆっくりと見て、指輪を外す。


  ヒュンッ、と音も無くジンナーに近づくと、お腹に掌を押しあてて、空気を圧縮して中に炎を入れたものを爆発させる。


  壁に叩きつけられたジンナーを見ずに、今度はナルキに向かって行く。


  ナルキの立っている床に命令し、後ろから膝を狙わせると、ナルキの身体はバランスを崩して、そのバランスを保とうと足に力を入れる。


  視線を自分の足に向けたナルキの首に、空也の指が絡みつく。


  首に絡ませた掌から炎を出そうと、もう片方の手を振り上げた時、その腕を誰かに掴まれた。


  「空也、もう止めなさい。」


  空也の腕を掴んだのは、膝をついて項垂れていた国王本人だったのだが、その国王に向けて、掴まれた手から炎を出した。


  勢いよく立つ炎に、国王は慌てて手を離す。


  「何をする!空也、敵とは言え、命を奪うなど・・・。」


  「俺、言ったよな?」


  「何・・・?」


  ナルキの首を離すと、ゆっくりと国王の方に身体正面を向け、炎の勢いをさらに増していく。


  天井にまで届くほどの炎を、腕を一振りさせて部屋を取り囲むように動かすと、炎はゆっくりと、しかし轟々と燃え広がっていく。


  部屋の中の温度が急上昇すると、額からは自然と汗が滴り落ちてくる。


  「『茶番はそこまでだ』って、言ったよな?」


  人差し指と中指をくっつけ、自分の頭の上まで持ってくると、空也は重力に従って腕毎下へと移動させた。


  すると、口を閉じたまま何も答えなかった国王の顔が、パカッ、と仮面が割れる様にして半分に切られた。


  「プンプン臭うんだよ。胡散臭ぇ皮被ったてめぇらは。」


  「・・・・・・ククク。」


  ペラペラの布のようなものが、床に落ちた。








  国王の顔の奥から出てきたのは、先程空也から攻撃を喰らって壁に叩きつけられたはずのジンナーだった。


  国王の格好から普段の自分の格好に戻ると、うーんと腕と身体を伸ばし始める。


  首を左右に動かすとポキポキと聞こえてきて、腰を回せばゴキゴキという音が聞こえてくる。


  ポケットに手を突っ込んで中をゴソゴソ漁った後に、掌に収まっているアーモンドを見てニヤッと笑い、口に含んでいく。


  親指で口の端を摩ると、空也の後ろにいる人物に声をかける。


  「お疲れさん。もういいぞ。」


  ジンナーの言葉を聞くと、ジンナーの格好をしていた人物が自ら顔の皮を剥がし始め、そこから無表情の流風が現れた。


  パサッ、と自分よりも一回り、二回りほど大きいジンナーの洋服を、ゴミのように床に捨てる。


  流風がジンナーの許に向かうと、チョコを取り出して口を小さく動かしながら溶かしていった。


  「てめぇもだ。いい加減早く仮面外せ。」


  床に腰を下ろしたまま、空也たちのやり取りを黙って見ていたナルキにも伝えると、両肩を竦めてその場で立ち上がった。


  ナルキの格好の人物も、面倒臭そうに自分でペリペリ剥がすと、今まで呼吸を我慢していたかのように、大袈裟に大きく呼吸をし始める。


  いつもの格好とほとんど変わっていないため、後ろに髪の毛を縛るだけ。


  縛り終わって空也を見、勝ち誇ったような笑みを見せるその相手に、空也も負けじと今出来る最上級の笑みを向ける。


  「な~んで俺もバレたわけ?そこの馬鹿な二人は別にしてさ~。」


  「それはもしかして、俺と流風のことか?」


  「もしかしなくても、そうだよ。」


  ケラケラと笑うジンナーに、特に二人の会話に興味の無い流風は、その人物に指輪を投げると、投げられた指輪を受け取り、自分の指にはめた。


  「デュラ、だから左の指輪は外しとけって言っただろ。」


  「いいじゃん。きっと付けて無くても、結果は変わらなかったと思うよ。」


  ジンナーの注意さえも軽く流したのは、空也たちと魔法界で数年間、一緒に生活を共にしてきたデュラだった。


  薄々勘付いていたのか、空也は驚くことも非難することもせず、ただ冷静に三人の行動を観察していた。


  アーモンド、チョコときて、デュラも何か食べるのかと思っていたが、何も食べないらしい。


  ちょっと期待外れだと思いながらも、空也がその場で腕を大きく十字に切ると、ジンナーに流風、デュラの指輪がカシャン、と切れた。


  見た目に変化は現れないものの、空気を振動して感じ取れる魔力の変化には、空也は嫌でも気付かされる。


  「なんだなんだ?デュラ、お前そんな力隠してたのかよ!」


  困っているような言葉を言ってはいるが、顔も声も笑いを含んでいて、さほど困っていないように感じる。


  そんな空也の態度が気に入らなかったのか、それとももとから気に入らなかったのか、デュラは空也の周りに小さな雷を作り始め、それを徐々に大きくしていくと、空也はあっという間に雷雲に囲まれてしまった。


  ゴロゴロ、と雷が鳴き始めると、デュラが目を細める。


  同時に雷が空也に向かって、四方八方から雷を落としたが、雷雲の中心にいる空也は平然と笑っているだけ。


  空也に向かっているはずの雷は、なぜか空也の身体の表面を滑っていくだけで、天井や床へと流れて行ってしまう。


  「軽く火傷くらいしてくれないもんかな。」








  頭をかきながらデュラが言うと、空也はニッコリと笑う。


  「そいつぁ御免だな。世の女性たちが泣き乱れ、お前等の敵になるだろうよ。」


  「・・・・・・らしいぞ、流風。」


  「話をふらないでください。迷惑です。」


  流風が険しい顔になると、デュラのジンナーも肩を振るわせて笑ったが、それはさらに流風の不機嫌を煽るだけとなった。


  先程デュラから受けた雷を今度は空也が操って、窓ガラスに向けて投げつけた。


  瞬間、ガシャンッ、と激しい音を出しながらガラスは割れてしまい、そこから見覚えのある顔が見えた。


  「お前等が全員変装してたことは、最初から知ってたんだよ!ワザとなのかそれが実力なのか、お前ら魔法を雑に扱い過ぎだ。」


  窓ガラスから見えたのは、空中で磔状態にされている国王の姿であった。


  偽物の景色を作って国王を見えないようにしていたようだが、所詮人間の手によって作られた自然など、ちゃんと見れば違うと分かる。


  尋常ではない光景を見ても、空也は知っていたかのように平然としていた。


  一対三となった状況を前にして、ひとまず聞いておきたかったことを淡々と聞く。


  「なーんでわざわざデュラをスパイとして潜りこませた?そんなに俺の事、気になってたわけ?困るなー!俺、そういう趣味はこれっぽっちも無いぜ?」


  口角をあげながら不敵に笑って挑発をする空也に、ジンナーとデュラは互いの顔を見合せて、鼻で笑い返した。


  ジンナーは両手を肩の高さにまで上げると、掌の指先だけにググッ、と力を入れた。


  建物全体が地震のように揺れた後、窓ガラスを勢いよく突き破り、地表の木の根がどんどん成長しながら侵入してきた。


  外に見えた国王も、太く大きく異常なほどに成長を遂げてしまった根によって見えなくなり、部屋の中も根と土だらけになってしまった。


  根はクネクネとした動きを繰り返し、いつでも空也の足下を狙えるように用意している。


  「例え女だったとしても、お前は御免だ。」


  答えたデュラが行動に移し始めると、それに合わせて流風もチョコを一つ頬張り、指についたチョコをペロッと舐め取ると、指先からピアノ線を出した。


  チュッ、という音と共に出てきたピアノ線は、空也の首に巻きつこうとして自ら動き出し、流風の指によって微調整されていく。


  見え難いピアノ線を目で追おうとすれば、その隙を突かれてジンナーやデュラに攻撃されることは間違いない。


  案の定、デュラがピアノ線に触れていって何か液体のようなものをつけていく。


  テカテカと光り、少し見えやすくなったピアノ線からは、明らかに灯油の臭いが漂って来て、デュラが灯油に息を吹きかけると、そこから火がボゥッ、と燃え始めた。


  瞬く間に燃え広がっていくピアノ線は、まるでサーカスで見るライオンの火の輪潜りのようだ。


  逃げ道を探しても、ジンナーによって動かされている根が空也に迫り、さらにはピアノ線が空也の伸びた髪の毛に巻き付いてきた。


  焦げるどころの話では無くなった状況下、焦りも見せずに迫りくる火をじっと見つめていた空也・・・・・・。


  ニッ、と笑うと人差し指を目の下に持って行き、アッカンベ―をする。








  ボオォォォォォォォォォォォォォ・・・・・・


  激しく燃えながら焼かれていったのは、先刻まで余裕そうにしていた空也、ではなく、ジンナーが部屋の侵入させた根だった。


  髪の毛の絡みついたピアノ線を取り外したのは空也本人なのだが、根をこれほどまでに燃やしているのは、ピアノ線に絡まった火のせいだけではない。


  侵入してきた二人の影が、燃えている根からゴホゴホ、と咳をしながら出てきて、ポンポン、と服の汚れを軽く落とす。


  それは、根が占領していた割れた窓ガラスから入ってきた、ナルキとソルティであった。


  ジンナーの意識を受け取っている根だが、あまりにも微かに流れてきた別人からの意識に気付かず、ジンナー自身も気付く事が出来なかった。


  窓ギリギリまで近づくと、一瞬だけ意識を奪って動きを止め、ソルティが劫火を放ったのだ。


  空也は二人の気配に気づいてピアノ線を投げたが、根の先の方にクルクルと巻き付いたため、根ごと燃え上がってしまったようだ。


  部屋の中の温度は急上昇し、すぐにジンナーは火を消そうとしたが、その必要は無かった。


  今度は大量の水が部屋の中に入ってきたことと、ソルティが火を弱めていったことで、思ったよりも早く消すことが出来た。


  「お前等、物好きだな~!放っておけばいいものを。」


  前髪をかき上げながらそういう空也に、ナルキもソルティも呆れたように笑う。


  二人に目を向けた後、今度は窓の外へと顔を向ければ、そこにはいつも喧嘩をしていた海斗の姿があった。


  水の加減を間違えたのか、自らもびしょ濡れになって国王の救出にあたっていた。


  そんな三人を見て、空也は肩を一回だけ上下に動かし、歯を見せ口元は弧を描くと、次の瞬間には口を噤み真剣な面持ちになった。


  「デュラ。」


  「なんだ~?ナルキ。」


  声をかけると自分の首元を手で摩り、眉間にシワを寄せながらも口元だけは笑みを作り、宣戦布告をする。


  「お手柔らかに。」


  「根に持つな。たかが気絶させたくらいで。」


  一方、糖分摂取に勤しんでいた流風に、ソルティは距離を縮めつつ声をかける。


  「残ったもの同士だな。」


  「残り物には福がある。」


  「・・・ハハハ!そうだな。」


  ニッコリと微笑みかけるソルティに対し、流風はウェーブのかかった髪の毛をサラッと靡かせた。


  空也と向かい合っているジンナーは、ポケットからアーモンドを大量に取り出すと、口に入りきらないほど放り込む。


  アーモンドを掴んだ指を舐め取ると、パチンッ、と鳴らす。


  それが戦いの合図となり、それぞれの相手とそれぞれの戦い方で決着をつける始まりのゴングとなった。


  「じゃ、ジンナー。降参しろよ。」


  「空也こそ、潔く引くことも勇気だぜ。」


  口喧嘩から始まった空也とジンナーは、徐々にではあるが確実にヒートアップし始め、二人の周りの砕けた天井や床の破片が浮き始めた。


  頬を引き攣らせてニッコリ笑うと、互いに腹の底からのドスのきいた声を出す。


  「「くそったれ!」」








  そのころ、一人で国王救出に向かっている海斗は、何から手をつけようかと迷っていた。


  何しろ、国王が何によって浮かされているのかも分からず、下手なことをしようものなら、爆発してしまう恐れもあるからだ。


  風を操っているのかと考えたが、風を吹かせて斬る事や乗ってどこかに行くことは出来ても、その場に留めておくということは出来ないはず。


  国王に近づき、腕の部分や足を触ってみて、なにか見つかりはしないかと思ったが、その考えは甘かった。


  糸口も見つからないまま時間だけが刻々と過ぎて行く。


  「海斗くん、だったね。」


  「え?あ、はい。怪我の方、大丈夫ですか?」


  「ああ。これきしのことで、私が弱音を吐くわけにはいかないからね。」


  空也のように治療出来るだけの力はまだ持っていない海斗は、国王の傷を治す事も出来ない。


  魔法であれば何でも出来ると思われるが、各々のスキルや経験など、体質によっても魔法の質が異なるため、高等な術だとも言える。


  さらに、自分の傷は治せるものでも、他人の傷は治せないこともある。


  とにかく地に足をつける事から始めようと、必死に国王の周りをぐるぐると回り、何の魔法がかけられているかを調べる。


  「海斗くん、頼みたい事があるのだが。」


  「はい。なんですか?」


  小さな声で提案された内容は、海斗にとって驚きしか与えなかった。


  「私を爆破させるのだ。なに、簡単に死にはしない。何に囚われているのか分からないのだ。そうするしか方法は無い。」


  真剣な眼差しを向けられ、思わず唾を呑みこんだ海斗だが、きっぱりと告げる。


  「それは出来ません。俺が無事に助けます。」


  「しかし・・・・・・。」


  くしゃっ、と顔にシワを作って笑うと、海斗はまた国王の周りをまわりだし、火を使ってみたり水を使ってみたりと、色々な方法を試してみた。


  「ん?」


  何か違和感を覚えた海斗は、また国王の周りをぐるぐる回り、手を上下に振ってみたり左右に動かしたりする。


  「・・・いや、まさかなぁ・・・。」








  花に身体を覆われながら、流風は無表情にソルティを見つめる。


  ゆっくりと拳を作りながら、腕を肩の高さまで上げると、握っている拳を指を滑らせながら開ける。


  そこから出てきたのは、ハシリドコロだった。


  全草に毒を持っているものの、根は特に強い毒を持っているその植物を、流風はなんともないように持っていて、それを掌で一瞬にして液体へと変えた。


  液体となった毒の塊を身体に纏いながら、流風はソルティに向かって攻撃をし始めた。


  肌に触れればそこから毒が周り、最悪死ぬだろうとこを理解しているソルティは、反撃をするよりも先に、液体に触れないように避けていく。


  しかし、避けているだけでは終わりが見えないのも確かで、ソルティは避けると同時に炎を作り、液体を蒸発させる。


  徐々に液体は減っていき、なんとか毒を喰らわずに済んだ。


  「しっかし・・・危ねぇなぁ。」


  「ジンナー様の為、貴方を全力で滅しに行きます。」


  流風の言葉に、思わず吹きだしてしまったソルティだが、笑っている最中に流風がチョコをガリッ、と今までは鳴らさなかった音を出した事で、不機嫌になった事が分かった。


  チョコを齧りながら流風が次に出してきたのは、ハシリドコロ同様に毒を持った、ベラドンナだ。


  先程と同じように蒸発させて回避をするソルティに、流風は少しでも毒を塗り込もうと必死に距離を縮めてくる。


  ちらっと流風の手を確認すると、なぜかニラを握っていて、何かと思っていたソルティだったが、急に吐き気を催した。


  「・・・・・・ッ!!?うッ!!」


  膝を床につけて手で口を押さえるが、お腹辺りから襲ってくる胃の不快感はおさまらず、その場で嘔吐してしまう。


  吐き出した場所に炎をつくり、残骸を残すことは免れたが、口の中に残っている酸っぱい感覚は消えてはくれない。


  視線を上げられるだけ上げて流風の方を見ると、すでに別の植物を持っていた。


  「一応言っておきますけど、さっきのはニラではありません。」


  お腹を押さえながらゆっくり立ち上がるソルティに、流風は首を少しだけ傾けて説明する。


  「スイセンです。これはカロライナジャスミンと言います。毒性もお聞きになりますか?」


  自分の手にある植物の説明も始めた流風に、ソルティは苦笑いをしながら首を横に振る。


  「遠慮しておくよ。」


  黄色い姿の小さな花と、それを持っている見た目は可愛い女の子なのだが、中身はどちらも毒々しい、というより毒気に覆われている。


  ソルティの炎による蒸発を少しでも遅くするべく、流風は液体の周りにさらにスベリンを塗りたくっている。


  先程体内に入った毒を解毒するために、ソルティは自ら高熱を発生させる。


  そのため、額から顔中、身体中から汗が次々に出てきて、通常であれば倒れてしまうと思われる熱を生みだしながらも、ソルティは倒れない。


  炎を生みだすのに適した身体であるソルティは、他の人が熱いと感じる温度でも、平気で過ごす事が出来るのだ。


  とはいえ、人間の体内で発生する温度、それに耐えきれる温度などたかがしれている。


  そのギリギリのラインの温度で、ソルティは解毒を続けている。


  ヒガンバナ、スズラン、トリカブトと、一気にソルティを倒すつもりで流風が調合した毒は、流風の手の上で、水晶のように綺麗にチャプンチャプン、と波打っている。


  「曼珠沙華・・・・・・。冥土の土産ってことか?」


  「そう受け取っていただいて構いません。」


  毒の水晶を持っている方の手とは反対側の手で反円を描くように動かすと、フワッ、と花弁が流風の周りだけでなく、ソルティも囲むようにして舞いだした。


  花が風に舞って揺れ動く度に、ソルティの鼻には少しずつ酢酸のようなエタノールのような塩酸のような、少しキツい臭いが鼻を掠める。


  嗅いだ事の無い人もいるかもしれないが、鼻の奥にツーン、とくる酸っぱいような臭いである。


  鼻だけでなく目にも強烈なダメージを与えるほど、喉に来ると咳が出てきて咽ることもある、出来れば避けたい臭いであることに間違いは無い。


  手の甲で鼻を押さえるソルティだが、それの効き目はほとんど無いに等しいだろう。


  徐々に頭がクラクラしてきたソルティは、目を細めて流風の動きに集中し、出来るだけ風向きを考えて臭いを飛ばそうとする。


  ガラスが割れているお陰か、換気が出来る状態は整っているため、臭いは薄くなっていく。


  気付くと、流風が毒の水晶を持ってもうすぐそこまで来ていて、ソルティは上半身を思いっきり逸らせることで回避出来た。


  仰け反らせた手を床に着き、そのままの勢いで床を蹴飛ばして、流風の持っている毒の水晶を蹴りあげた。


  バシャ―ン・・・・・・








  ソルティの蹴った毒の水晶は、流風の手から離れて床へと真っ逆さま・・・・・・。


  床一面に、とまではいかなかったものの、その被害の大きさは見た目以上に甚大で、近くで戦っている空也たちにまで被害を及びそうになった。


  「ソルティ!てめっ・・・危ねぇだろうが!!!」


  なんとか部屋の隅の方に非難したことで、流風の作りだした毒から逃れることは出来たものの、先程から鼻につく臭いのせいで、みなが鼻を覆っている。


  平気なのは流風だけかと思いきや、臭いの原因ともなった流風本人までもが、鼻を手で覆うどころか、完全に鼻をつまんでいる。


  さらには目をゴーグルで覆っていて、それでも足りないらしく、ガスマスクまで用意し始めた。


  「流風。今すぐに何とかしろ。」


  「了解しました。」


  鼻を指でつまんでいるジンナーが流風に告げれば、流風はすぐに行動に移しだす。


  テキパキとガスマスクを着用し、今度はオレンジやフレープフルーツなどといった柑橘類の香りを部屋中に満たす。


  その間に酸っぱい臭いは消えていき、一斉に息を吸ったり吐いたりし出すが、そこでふと鼻に残る違和感を覚える。


  無臭では無い柑橘類の香りでさえも、頭がクラクラすることに気付くと、ジンナーは即訂正する。


  「流風。無臭にしてくれ。」


  「先に言ってください。」


  柑橘類の香りが好きなのか、流風は明らかに不機嫌な表情をジンナーに見せると、大きくため息をついて空中を漂う香りを消していく。


  いつも通りの無臭に戻ると、流風はまたソルティと向かい合う。


  ポンッ、と手から薔薇を出した流風は、茎の部分を剣のように鋭く長くしてソルティに向ける。


  薔薇の特徴的な部分でもある棘が掌に喰い込みながらも、流風は平然と握りしめていて、ソルティも真似しようと、ポケットからハンカチを取り出すとマジックの様にポンッ、とカンナの花を出した。


  流風と同じように剣の形に変えて、花弁の部分を剣に巻き付けながら、少し細い茎を太く長く変化させていく。


  ちゃんとした剣の形になったときには、すでにカンナという花とはかけ離れた姿になってしまったが、ソルティ自身はその出来に満足そうにしている。


  流風が一気に踏み込み、薔薇の剣の切っ先でソルティの心臓を貫こうとする。


  軽く身を捻ってかわすソルティだが、固形物となっていたはずの剣が急にぐにょぐにょと動き始め、ソルティを捕えようとする。


  あっという間に棘のドームが出来てしまい、その中にソルティは閉じ込められてしまった。


  「ああ・・・・・・。出られなくなっちまった。」


  流風は止めをするべく、棘から別の花の毒を注入していき、毒ガスのようにしてソルティのいるドームの中へと噴射していく。


  充満したと判断したころ、流風が中に入った毒を中和させてからドーム型の棘をしまおうと思った矢先、ドームへと伸びている茎に触れている掌に、僅かながら熱さを感じた。


  次の瞬間、ドカンッ、と大きな音を出しながら棘のドームは爆発した。


  流風の手にまで続いている茎を伝って熱さが伝わり、その熱さに思わず流風は薔薇を手放してしまう。


  毒ガスが部屋に広がると思われたが、流風の鼻にさえも届くことは無かった。


  徐々に視界がはっきりと見えてくると、いきなり爆発した原因も、熱いと感じたわけも、部屋に毒ガスが広がらなかったわけも理解出来る。


  ドームの中に充満したガスに気付いたソルティは、しばらくガスがドーム全体に広がるのを待ち、その後小さな火花程度の炎を放ったのだ。


  ソルティ自身は身体の表面に、床から伸ばして作った防護服のようなものを着けたため、多少の掠り傷はあるものの怪我は負っていない。


  そして爆発させたと同時に気流を乱して、僅かに残った毒ガスを自分の近くに集め、防護服とともに土へと還した。


  「死んだかと思いました。」


  「死ぬわけにはいかないだろ?今この状況でさ。」


  肩を振るわせながら笑っているソルティの手にあったはずのカンナは、無残にも真っ黒焦げ、というよりも原型さえも残っていない。


  灰となったカンナがパラパラと床に落ちて行くと、ソルティの表情はほんの少しだけキュッ、と引き締まり、瞳の奥は揺れている。


  流風にもその変化は伝わり、気合いを入れる為にチョコを一口頬張ると、互いに睨み合う。


  数分、数十分かもしれないが、一定の距離を保ちながら円を描くようにして少しずつ移動していく。


  勝負をしかけたのは流風の方で、ソルティが背を向けている壁に意識を向けると、壁から大きな手が出てきて、上から一気にソルティを潰そうと振り下ろした。


  べたっ、とソルティが完璧に壁の手の下敷きになり、何度も何度も上から叩くようにして潰し、十回ほど叩いたところで流風は止めるようにと、掌を壁に向けると、大人しく戻って行った。


  死亡を確認しにソルティの身体の方へと歩み寄り、肩膝をついてソルティの手首を掴み、脈を取って確認すると、脈は止まっていた。


  「死亡を確認しました。」


  腕を床に放って遠ざかり、ポケットに入っているチョコを頬張り休憩に入ろうとした流風だが、急に風邪をひいたような感覚に襲われる。


  冷や汗が出てきて、呼吸が荒く速くなってきた。


  身体を前のめりにして膝から崩れるようにして床に座っていると、聞き覚えのある声が耳に纏わりついてきた。


  「走馬灯でも見える?」








  「・・・・・・!?」


  後ろを振り向くと、先程脈が止まったのを確認したはずのソルティが立っていて、厭味なほどの笑顔を流風に向けている。


  「流風ちゃん、だっけ?君には幾つか言おうと思ってたことがあったんだ。」


  ゆっくりと流風に近づいて、両膝を折って流風の目線と合わせるようにして腰を下ろすと、片方の手で頬杖をついてニッコリ笑う。


  「まずは、そうだな。そんなお腹出してたら冷えるよ?冷えは女性にとって大敵なんだから、温めた方がいいと思うよ。それから、ブーツもヒールが高すぎると思うな。身長を誤魔化してるのか、単なるファッションなのかは興味無いけど、発育に影響をきたすかもしれないからね。それと、チョコも食べ過ぎだね。糖尿病になっちゃうよ?」


  「よ、余計なお世話です。」


  さらに荒くなる呼吸をなんとか抑えようとするが、自分ではどうすることも出来ず、咳も出てきた。


  その様子を知っていながらも、ソルティは続ける。


  「君が潰したと思ってたのは、ただの土。魔法をかけて俺に似せた、だけどね。直接触ったときはバレるかと思ったけど、なんとかなったみたいだね。あと、これは親切心から教えるけど、多分君は喘息だと思うよ。」


  「喘息・・・?」


  「うん。魔法をかけた土の俺を触ったでしょ?あの土の近くに夾竹桃が埋まってたんだ。周辺の土壌にも毒性があるから、きっとそれだね。君、アレルギーなんだよ、きっと。」


  夾竹桃によるアレルギー反応として喘息があり、これは一九七〇年に報告されている。


  ソルティは流風の左指にしてある指輪に鎖をつけて魔力を封じてから、袋を取り出して流風の口元にあてる。


  自分の吐いた息を吸う事で、なんとか落ち着いてきた流風の身体を、今度はきつめに縛って動けないようにすると、ソルティはその横にストン、と腰を下ろす。


  「止めをさして下さい。」


  「?なんで?」


  「ジンナー様のお役に立てないなら、私の存在意義は無に等しいものです。それに、貴方方のような甘い考えの魔術者に負けたとあれば、これは屈辱以外のなにものでもありません。命乞いなど見苦しいことはしません。早く首でも刎ねてください。」


  「え。俺が嫌だよ、そんなことするの。」


  床のどこか一点に視線を向けたまま、ソルティの方を見ようともしない流風は、自ら舌を噛むという選択肢を選びそうなほど、思いつめている。


  そうならないように、流風のポケットを漁ってチョコを取り出し、口に入れてあげると、モゴモゴと口を動かし始める。


  それでも嬉しそうな顔一つせず、猫背になって床を見ている。


  「命乞いが見苦しいとは思わないけどな、俺は。」


  「それが甘いと言っています。」


  はっきりと言われると、ソルティは眉をハの字に下げて苦笑いをするしかなかった。


  「死にたいなら勝手に死ね、って言いたいところだけど、流風ちゃんが死んだら、きっと誰かが悲しむよ?」 


  「例えば誰がですか?」


  「それは俺には分からないよ。俺自身、俺が死んでも誰が悲しんでくれるのかなんて分からないからね。でも、誰かがこの世からいなくなるって、思ってる以上に寂しいことだよ?」


  「そうでしょうか。」


  捻くれているのか、それとも強がっているのか、流風の表情から読み取ることは難しいが、そんな流風の言葉にも、ソルティは笑って返す。


  「そうだよ。そうだって信じたいよ。流風ちゃんの存在意義だって、ジンナーの為だけじゃないと思うよ?まあ、それでもいいんだろうけど・・・・・・。」


  空也と戦っているジンナーの方をソルティが見ると、隣の流風もそれにつられてジンナーを見る。


  ソルティが視線を流風に戻すと、流風はソルティから顔を逸らせる。


  「もしそれ以外に見つからないんだったら、これから見つけていけばいい。人生なんて無駄に長いようにも感じるけど、実際生きてみると短くて、後悔ばっかり残ってる。」


  「屈辱という記録が自分の中に残るのであれば、ここで今倒された方がマシです。」


  「でも、試しにもうちょっと生きてみたら?」


  「・・・・・・人生はゲームではありません。試しも何もありません。」


  「じゃ、言い方を少し変えようか。生きることにチャレンジしてみたら?」


  「?」


  ソルティの言っている事が理解できない流風は、眉間にシワを寄せながら、口を半開きにして、変なものでも見ているような目つきでソルティを見る。


  ボサボサになってしまった髪の毛を後ろで束ね、器用に一つ縛りにする。


  「確かにゲームとは違う。リセットなんか出来ないからな。でも、ゲームみたいに逃げることも出来ないんだ。敗北だって何度も味わうことになるかもしれない。それでもなんとか自分なりに歩いていければ、それは人生に勝ったって考えてもいいと思う。ま、本来勝ち負けでも無いけど。」


  そう言いながら笑ったソルティは、壁にもたれかかって乱れた呼吸を整えて、一度深く息を吹きだすと、目を瞑ってしまった。


  高熱を自ら作り出したことで、体力をいつも以上に消耗したのだろう。


  規則正しい呼吸をして寝てしまったソルティを横目に見ながら、流風は縛られた状態で体育座りをし、壁に寄りかかった。


  そして、ゆっくりと目を閉じると、自然と疲れを癒す為に睡眠モードに突入した。








  一方、ナルキとデュラの戦い・・・・・・。


  「あれま。流風の奴寝てるよ。」


  「緊張の糸が解れたんじゃないかな?」


  ナルキの言葉に口角を上げて笑ったデュラは、両手を合わせてその間に雷を作ると、圧縮して一気にナルキに向かって野球のように投げつける。


  圧縮されたはずの雷は、ナルキと距離を縮めるにつれてだんだん広がり始め、正面にくるころにはすでに身体全体を覆うほどにまでなった。


  それを冷静に自分の掌に作った避雷針へと誘導し、そのまま壁に向けて落ちるように仕向けた。


  「うーん・・・・・・。そうだな。雷だけじゃあ芸が無いよな。」


  「そもそも、雷自体当たる確率も少なければ、落雷での死亡も少ないよ。」


  淡々と話されたのが気に障ったのか、デュラはピクッ、と肩眉を動かして、ナルキに向かって中指を突き立てた。


  今度は両手をガバッ、と広げて砂のような細かい粒子を出してきたデュラは、それらをナルキの周りに舞わせる。


  何かと確認しようとしたナルキだが、それが何であるのか、すぐに思い知らされることとなる。


  先程同様にデュラが雷を、それも大きめの電気を投げてきたかと思うと、ナルキの周りの粒子に向かってバチバチと勢いよく鳴いた。


  心臓などには電流が流れなかったものの、身体の表面には少し焦げ目がついている。


  デュラが前もって舞わせた粒子が磁石であったことに気付き、ナルキはすぐにそれらを取り除こうと金属の鉄の棒を作り、床に突き立てた。


  あっという間に群がった磁石によって真っ黒になった鉄の棒は、蛾の集まった蛍光灯のようだ。


  ニヤニヤと笑うデュラは、次に静電気を引き起こすために部屋を乾燥させ始め、部屋が十分乾燥したところで再び小さな電気を作り出した。


  軽くデュラが息を吹きかけただけでフワフワと浮かび上がり、ナルキの方に近づいてくる。


  「・・・!?痛ッ!?」


  体内を電気が通り抜けた感覚になったナルキは、一瞬頭がフラッシュバックしたが、デュラが出した電気が小さかったため、この程度で済んだのだとホッとする。


  「ナルキって、静電気体質だからな。自然放電が出来て無ぇんだよ。」


  ケラケラと笑いながら言うデュラに、確かにドアに触れるとバチッ、とよくなるのを思い出しながら、ナルキはブンブンと頭を振る。


  心臓を通らずに頭から足へと一直線に電気が抜ければ、命は助かるのだが、きっとデュラが心臓を目掛ければ簡単に心臓など止められてしまう。


  電気を通さない、絶縁体であるゴムやプラスチックで心臓部分を保護したナルキは、反撃するために土をモコモコ膨張させ始めた。


  すると土はデュラに迫りながらも成長し続け、徐々に何かの形に変わっていく。


  「おほッ。何だこれ。ゴリラ?」


  「・・・・・・猫なんだけど。」


  「猫ォ!?・・・・・・ナルキ、お前絵心無さ過ぎ。彫刻心か?」


  誰が見てもゴリラだと思われる形の土は、ナルキが言うには猫のつもりらしい。


  再びデュラが大きめの雷を掌で簡単に作ると、それをナルキに向けて飛ばすが、ナルキの前にゴリラ、ではなく猫がきて身体でもある土の中で全て放電する。


  「へぇ。やるじゃん、ゴリラ。」


  「猫だよ。」


  腰辺りの高さで人差し指を、デュラは自分の身体よりも後ろ側に持っていくと、指先に電気が溜まっていくのが目に見えて分かった。


  片方の足を少し引き、攻撃に備えて準備を始めるナルキに対し、デュラは世間話を始める。


  「ナルキ、お前、魔法を何の為に身につけた?」


  「え?何の為って・・・・・・。」


  ふと、ちゃんと考えた事など一度も無かったことに気付く。


  今までは、魔法を習う事が普通だと思っていて、魔術者など、両親や親戚、友達に先生、先輩に後輩と、自分の周りにも当たり前にいた。


  小さい頃から魔法が使えて、自分にあって当たり前の力になっていたからだ。


  それを今更どうしてかと聞かれても、ナルキ自身も理解していない事であって、急には答えを用意出来なかった。


  あまりにも、当たり前過ぎて・・・・・・。








  答えが見つからないことを知っていながらナルキに聞いたデュラは、困ったように手を顎に当てて真面目に考えているナルキを見て、思わず笑い出す。


  人差し指に集まってきた電気を、今度はナルキにも見えるように自分の目の前、ナルキの正面に出して見せた。


  指先には丸みを帯びた電気の塊が出来ていて、きっとその丸の中では電気が行ったり来たりと大忙しなのだろう。


  「俺達がこの力を手に入れたのは、俺達がこの世の中を変えるため。そう思わないのか?」


  「・・・・・・?」


  この男は何を言っているのだろう、と言いたそうな顔をしているナルキは、表情を歪めて下手物でも見ているような目つきになる。


  指先からバチバチと電流を流して遊んでいるデュラは、ケラケラ笑って肩を揺らす。


  「この世には、二種類の人間がいる。」


  「二種類?」


  「そうだ。魔法を扱える賢者と、魔法を扱えない、というよりもその存在自体さえ信じていない愚者だ。俺達は賢者であって、賢者というものはいつの世も愚者だと勘違いされ、毛嫌いされることが多い。だが、常に賢者は考え、行動し、未来を変えていく。つまり、俺達は今、未来を形成するためにこの力を与えられたんだ。」


  「・・・・・・。そうかな?」


  どうも考え方も価値観も何もかもが違うらしく、ナルキに返答に対して、デュラは首を横に振りながら鼻で笑い、ナルキはそんなデュラを見て首を傾げる。


  「例えば・・・・・・。」


  そう言いながら、デュラは指先で作った雷を天井に向けて軽く投げると、天井にはすぐに雨雲が出来て雷がゴロゴロと鳴く。


  次にデュラは、床に雷が落ちやすいようにと雨雲から一直線に、温度や空気の流れ、プラスマイナスを多く作るとこで道のようなものを作る。


  そして一回だけ指をポンッ、と下に向ける仕草をすれば、指示通りに雷が落ちた。


  ちゃんと雷が落ちた事に満足したのか、デュラは弧を描いていた口元をさらに大きく動かしてニンマリ笑うと、ナルキの方に視線を向けた。


  「形ある物だけでなく、無限に存在する自然界をも動かせるということは、それは神からのプレゼントだと思うべきだ。」


  「か、神?」


  思いも寄らない単語に、ナルキはド肝を抜かれた。


  なおも自分の発した言葉を疑わないデュラは、煌々とした表情で、雨雲にした雷を再び指先に呼び寄せると、音を立ててキスを落とす。


  その光景を、ポカン、と口を大きく開けて見ているナルキは、きっと正常なのだろう。


  「俺達は、この与えられた力を使いこなさなければいけないんだ。でなければ、それは神への冒涜となる。」


  「それはどうかな?」


  話に割って入ると、デュラがキッ、とナルキを睨みつける。


  あまり話したことが無いというよりも、いつもは空也ばかりが話していて、デュラは聞き役に徹していたため、これほどデュラが饒舌な人間だとは気付くことも無かった。


  相槌でも打った方が良いのかと考えたナルキだが、デュラは価値観の違いからか、それを望んでいないだろうと判断し、デュラの気が納まるまで大人しくしている事を決めた。


  「人間とは本来、実に無力な生き物だ。そして弱い。だからこそ知恵を授かり、言葉も頂くことが出来たんだ。だが、それと同時に人間は神に自分達が愚かな存在であることを教える事となった。互いを罵り合い、見下し合い、嘲笑い、自分達こそが食物連鎖の頂点に立っているのだと勘違いし始めた。武器によって動植物を狩り、金と権力にしがみつき、欲に溺れて罪を犯す・・・・・・。そんな馬鹿な人間どもを一掃するために、神は俺達に魔力を与えたんだ。だからこそ、人間の愚行を正さなければいけない。不毛な行為だと気付かせなければいけないんだ。アダムとイブが追放された楽園を取り戻す為にも、俺達は動かなければいけないんだ。なのに、なぜそれがお前らには分からない?ナルキ。」


  「え、俺?」


  まだまだ一人で話すのかと思っていたため、余所見をしたり欠伸をしたりと油断をしていたナルキは、急に会話に自分の名前が出てきて、ただ驚く。


  デュラの自論に聞き飽きて、後半の内容はほとんど耳に入っていない。


  どうやって誤魔化そうかと考えてるうちに、デュラの指先の雷が徐々に大きさを増しているのに気付く。


  「だから、俺と価値観の違うお前等は、“魔法を誤って与えられた愚者”だ。」








  ナルキが黙って聞いていれば、ベラベラと一人舞台のように話していたのに、いきなり声をかけてきて、いきなり愚者だと罵られ、さぞかしナルキは怒っていることだろう。


  と思ったが、ナルキはパチパチと数回瞬きをしただけで、怒ってはいない様子だ。


  大きくなっていく雷をナルキに当たる様に、ナルキの身体の前後左右上下に電流が流れやすい環境を作ると、デュラは雷をゆっくりと指先から離した。


  鏡の反射の要領で、ナルキの周りを一周してから、中心にいるナルキへと落ちてきた雷は、ナルキの身体を貫いていく。


  だが、ナルキの身体にはバチッ、と静電気程度の電気しか発生しておらず、しかもそれはデュラの攻撃した雷では無く、ナルキ本人から発せられたものであった。


  「・・・・・・自分から雷受けたか。どういう神経してんだか。」


  通常の身体に攻撃を受ければ免れないダメージでも、自分の身体を電気の通り易い体質へと変化させ、さらに自分からも雷を放出すれば、ダメージは格段に減らす事が出来る。


  それを淡々とやってのけたナルキは、目を細めてデュラに笑いかける。


  「ま、もともと静電気体質?ってやつだからね。体内にあった電気の量が足りて良かったよ。」


  ちょっとやってみただけだと、照れたように笑いながら言うナルキに、デュラは心なしか気分の悪そうな表情になる。


  気分の悪そうな、ではなく、実際に気分が悪いのだろう。


  顔全体からイメージ出来る感情としては、口元が笑っているためか、楽しんでいるという印象を受けるが、目だけは確実に笑っていない。


  目は口ほどに物を言うというが、まさにその言葉がぴったりだ。


  「それから・・・・・・。」


  続けて話すナルキを半分睨み、半分嘲笑いながら見る。


  「デュラたちとは価値観が合わなくてもいいよ。例え愚者と言われようとね。俺は自分を賢者だとは思って無いし、どちらかというと愚者なのかもしれない。」


  未だに静電気のせいで、身体から微かに電気が放出されているのが見えるナルキだが、一歩前に出て、柔らかく笑みを浮かべながら続ける。


  「でも、デュラの言うことは、結局、力でねじ伏せようとしているただの横暴と同じだと思うよ。それに、俺は信仰深くは無いんだ。“神”なんてものに縋って生きようなんて思っていないし、考えたことも無いよ。」


  「じゃあ、ナルキは自分が生まれながらに持っている、この力は何の為に与えられたと思っている?」


  んー、と頭をかきながら眉毛を下げて笑い、床を見たり天井を見たり、視線を四方八方に飛ばせると、見つからなかった答えを、自分なりの想像で答える。


  「とりあえず、特別なものだとは思っていないかな。」


  誰しも、答えが見つからないことが自分の中に存在している。


  得意なものがなぜ得意か、不得意な事がなぜ不得意か、好きなものがなぜ好きか、嫌いなものがなぜ嫌いか、などだ。


  顔つきや口調、性格に関しても当然そうであって、普段から気にしていない限りはそれがその人にとっては普通なのだから、仕方ない。


  それはナルキにとっても同じで、生まれてから当然のようにあった力など、顔のパーツや性格と同じようなもので、所詮答えは無い。


  だが、“特別なものではない”と真正面から言われたデュラは、一瞬眉毛をピクッ、と動かせると、呆れたようにため息を吐いた。


  「だから愚者だと言ったんだ。」


  「まあ、じゃあそれでもいいや。」


  ハハハ、と乾いた笑いをナルキがすれば、デュラはそんなナルキを見下す様に高らかに笑いだした。


  しばらく笑い続けていたため、呼吸が少し乱れてきたデュラは、咳込みながら呼吸を整え始め、ナルキを一瞥する。


  ゆっくりと掌を天井に向けたまま腕を上げると、デュラの頭上が徐々に暗雲を作り出し、それは次第にナルキの方にまで広がる。


  デュラの掌を台風の目のようにして、時計周りに渦を作り始める。


  冷たい風が足下を掠めて行き、ナルキの身体も少なからずビリビリと電気が起こり始めている。


  「愚者を消すのが、賢者の役割だ。」








  台風の目となる場所に立っているデュラは何ともないが、その周りの風の強い場所にいるナルキにとっては、立っているだけでも大変な状況となってきた。


  雨も振り出してきてナルキの身体をずぶ濡れにし、そこを狙ってデュラが雷を落とす。


  電気の柱が何本も立つが、そう簡単にはナルキに当たる事は無い。


  そうは言っても、足下に水があるということは実に不都合で、落雷よりも死亡事故の多い感電を引き起こすかもしれない。


  パシャン、と水から離れようとしたナルキに、デュラはナルキに見えないように妖艶に口元に弧を描き、何かを呟いた。


  すると、雲からだけでなく、足下に出来ている水たまりからも電気が立ち始めた。


  丁度、電極と電極を繋ぐ電池のような役割となってしまったナルキの身体には、痺れる以上の感覚が襲ってきた。


  一分も無かったと思われる時間さえ、地獄と化したその場所に、ナルキは膝から崩れ落ちた。


  「フフ・・・ハハハハハ!!!ナルキ、『人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず』って言葉知ってるか?」


  目の前で心臓を掴みながら呼吸を荒げているナルキの返事を待つことも無く、デュラは言葉を続けて降らせる。


  「人は皆平等だとか言いたいんだろうが、この状況を見ろ。結局のところ、人の上にも下にも、人がいなけりゃ成り立たないんだよ。それが世の中ってもんだろ?だからよ、俺は上に立つ人間として、お前ら下にいる人間を踏み台にしてでも、神の為に世の中を変えるんだ。で、お前ら下の人間は、俺みたいな上の人間の土台になってりゃそれでいいんだ。」


  両膝を床について下を向いているナルキの方に歩み寄っていくと、デュラはナルキの髪の毛を片手で掴みあげて、無理矢理目線を合わせる。


  口角を上げて嘲笑うデュラを睨みつけることは無く、ナルキはただじっと見ていた。


  すると、何か違和感を覚え、それがすぐに何なのかを理解出来た。


  自分たちと同じだった金色に輝く髪の毛が、旋毛から毛の先に向かいながら黒へと変化していったのだ。


  キラキラと、太陽に当たれば反射して眩しいくらいだったはずの髪の毛が、あっという間に闇のような真っ黒に変わった。


  目を大きく開いて驚いていたナルキは、引っ張られている痛さをも忘れる。


  「デュ・・・ラ?なんで・・・・・・。」


  呆けているナルキを見て大笑いすると、デュラは掴んでいたナルキの髪の毛を投げ捨てるように離し、顎を目掛けて蹴りを入れた。


  それほど力を入れなかったのか、ナルキの身体は少しだけバランスを崩し、その場に尻もちをした程度で済んだ。


  「これが本来の俺だ。だいたい、金髪自体好きじゃ無かった。なんで金髪なんだ?今時流行んねぇだろ。」


  半開きになっていた口を閉じると、ナルキは膝に手をついて立ち上がる。


  「黄金に輝く髪は、太陽の象徴。全ての命を見届け、死ぬその時まで輝き続けられるように、という意味と、かつて旅人が道に迷った時、砂漠の中に金色に輝く道が現れ、その道を辿ってみたらオアシスに着けたという話から、命を繋ぐ金色の糸としての意味もある。確か、習ったはずだ。」


  「あー?そうだっけ?適当に聞き流してたから、そのへん覚えて無いなぁ。」


  再びデュラが掌で台風を作り始め、今度は先程よりも大きなものを作っていると、ナルキはあまりの強風に二、三歩後ろへと足を動かす。


  風によって目が乾燥し始めると、細めた目からはデュラがニヤリ、と笑っているのが見える。


  「そろそろ、終わりにしたいねー。」


  そう言いながら、デュラは大きくなった雨雲をナルキの頭上へと移動させ、さらに逃げられないように、床に残っている水を糊に変えて足を固定する。


  身動きが取れなくなったナルキに、デュラは喉を鳴らしてお別れを告げる。


  「もう会えないとは、実に残念だ。だが、出会いがあれば別れもある。・・・そうだろ、ナルキ?」


  バチバチ・・・ッーゴロゴロ・・・・・・ドカァァァァァァァァァァァァァンッ・・・!!!








  盛大な音を奏でて落ちた雷は、確かにナルキの身体の中心を貫いた。


  雷が落ちた瞬間、視界を覆うほどの眩しい光に襲われたため、デュラも腕で自分の目元を覆って数秒だけ目を瞑る。


  次に目を開けたときの想像をして、デュラはニヤつく気持ちを抑えながらゆっくり腕をどかし、ナルキを見る。


  だが、そこにナルキの遺体どころか姿も無かった。


  「!?」


  辺りを見ても、どこにもナルキの姿は見えず、デュラはその場でくるくると身体を回転させながら探すが、それでも見つからない。


  ガクン、と急に自分の身体が傾いたことに気付き、何が起こったのかと床に視線を向ける。


  すると、自分の足が床に呑みこまれていて、ズブズブと沼のようになった床に、自分の足が重力や体重に逆らえず沈み込んでいる。


  一旦舌打ちをして、沼のようになっている床から水分を抜き取ろうとするが、床の下からそれ以上の速さで水分が補充されていくため、どんどんバランスが取れなくなる。


  だが、デュラの身体全部を呑みこむことは無く、膝あたりまででなんとか止まった。


  ふいに感じた気配に、デュラが振り返らずに声をかける。


  「ナルキ、やってくれるな。」


  自分の身体ごと土へと変化させていたナルキは、自分にかけた魔法を解きながらデュラの前に姿を現す。


  両足を動けないようにしたとはいえ、デュラは魔法が使える状態だ。


  いつでも反撃出来る体制を取りながらナルキに話しかけるが、ナルキはもう勝っているかのように微笑んでいる。


  すぐに土から抜けだしてやろうと、デュラは自分の足を咥えている床に掌を当てて、乾燥と下からの圧力による脱出を一気に始めようとする。


  だが、なぜか足だけでなく、腕も顔も動かなくなっていた。


  何度力付くで動かそうとしても、自分の指示ではどうにもならない状態で、デュラは目の前にいるナルキを見上げる。


  見下されているからか、いつもよりも冷めた笑顔に感じる。


  「あんまり無理に動かない方がいいよ。」


  「何をした?」


  「知りたい?」


  目を糸の様に細くして笑ったナルキに、デュラは無言で肩頬を上げて笑い返すと、ナルキは肩腕を出して親指と中指でパチン、と音を出す。


  それと同時にデュラの身体が床から這い出てきて、デュラ自身も自分の身に何が起こっているのかが理解できた。


  デュラの足には電気と絡まった水が縛りついていて、さらにその上からは水によって固まりつつある土が覆っている。


  電気によって足の神経が狂わされているようで、上手く脳からの信号が行かなかったのだ。


  さらに、土からは人間のような腕が出現し、デュラの膝から上の部分にかけてを縛りつけようとした。


  抵抗するために掌を土に向け、水や火、空気や雷など様々なもので、穴でもいいから開けようと必死にやってみるが、なぜか効かない。


  水で攻撃しても玩具の水鉄砲を当てているくらいの威力でしかなく、炎で攻撃してもすぐにその場から草が生え、空気砲で攻撃しても受け流され、雷で攻撃しても自分にまでビリビリと電流が流れてきてしまう。


  攻撃をする度に身体をキツク締めあげられ、デュラは抵抗さえ出来なくなってしまった。


  「なんでこんな土なんかに・・・!!」


  未だ埋もれた土の中で、動かない足を動かないなりに精一杯動かして、自分の身体の活動を停止させている土を蹴りあげている。


  数回蹴ったところで、ナルキが重たい口を開いた。


  「土は、地は全ての基盤だ。例え炎の海に呑まれようとも、荒れ果ててしまっても、コンクリートの下に葬られようとも、動物たちに踏まれようとも、常に強く生き続けているんだ。草木も土から栄養を得る。だから本来、俺達は土をしっかり踏んで生きていくべきなんだ。」


  「ハッ。ナルキ、知ってるか?土だって、神が作ったものだ。」


  「神じゃない。何億年もの時間と動物たちによってつくられてきたんだ。」


  風を神の息吹というのなら、水は神の涙、火は神の心音、雷は神の怒り、太陽は神の瞳、そして土は、神の寝床、もしくは庭であろうか。


  もっとも、それらは自然が引き起こす現象、創造したものなのだが。


  植物だって呼吸をしていて、それは動物が生きるために行うのと同じ理由、同じ行為なのだが、どうも植物に関しては“命”という存在が蔑ろにされがちである。 


  ナルキは、デュラの身体をしめ上げている土に触れると、目を瞑りしばらく黙りこみ、数秒で目を開けると、デュラを見上げた。


  「人間の還る場所も、土(此処)なんだよ。」








  身体を捻らせてもビクともしない土に、デュラは苛立ちと諦めを交互に感じる。


  隣の指同士でさえもつけられないように、隙間に土が入っていて、身体中が正座をしている時のように痺れてしまっている。


  「ナルキに負けるのは、癪だな。」


  「俺も、デュラに負けるのはとてつもなく癪だよ。」


  最初は小さな声で互いを笑っているだけだったが、徐々に声は大きくなっていき、声の大きさを張り合いが始まってしまった。


  ゴホゴホと咳込み、やっと二人の無駄な叫び合いは終了した。


  「デュラはどうしてジンナーと組んだ?」


  「組むもなにも、俺とジンナーは幼馴染だ。組んでるっていう感覚じゃ無い。」


  「へー、そうなんだ。ま、それは置いておこう。」


  「置くな。」


  少し前までとは立場が逆になり、ナルキはデュラを見上げながらも、いつものように肩を揺らして笑う。


  そんなナルキを見てため息を吐くと、ちらっとジンナーの方を見て、すぐにまたナルキへ視線を落とす。


  「どんなに愚者が努力をしようと、賢者には敵わない。そう小さい頃から思ってた。」


  細々とした声で話始めたデュラの言葉を、聞き逃さないようにとナルキはデュラの近づき、耳をすませる。


  「大人は夢を見ろなんて言う。例え愚者であっても神を崇め続けていれば、いつか賢者にしてくれると。だから俺は夢のために神を崇めた。」


  「賢者ってやつになるためにか?」


  「小さいころから他人と比較されて、劣等感を感じずにはいられないだろ。自分よりも出来る人間なんて数えるほどいるのに、大人は常に比較をする。夢を見ろと言いながら、現実ばかりを突きつけてくる。次第に現実だけ見るようになって、どう頑張っても、足掻いてももがいても、もとから具わったものには勝てるわけが無い。俺は偽りでいいから賢者になって、賢者を叩き潰してやろうって考えたわけだ。」


  「それでそんなに捻くれちゃったんだね。」


  あからさまに同情をしたナルキだが、表情はそれとは逆に単調だ。


  もう抵抗もしなくなったデュラを見ると、身体を固定していた土を少しずつ緩めていき、折角捕まえたというのに、自由に動けるように解放してしまった。


  指を動かしたり足首を回しているデュラを見ながら、ナルキは目を細める。


  晴れて自由の身となったデュラは、隠しきれない笑いを声と動きによって露わにし、掌を目元にあてて下を向く。


  「本当にお人好しだな。そんなんじゃ、世の中生きていけないぜ?汚い思考や裏切りを知っていないと、上に立つ人間にはなれない。」


  「これでも世渡り上手だと思ってたんだけどな。」


  「言ってろ。」


  力を抜いて笑うナルキを見て、デュラは掌で覆い隠した顔をゆっくりと出し始め、ペロリ、と掌を舐めてニヤリと笑う。


  一気にナルキの背後に移動すると、洋服の背中部分を押して、自分の掌から焼印のような印をつけた。


  デュラの掌からも煙が出ていて、満足気に笑うと、ナルキと少し距離を置く。


  「旧友に会えなくなるとは、悲しいね。悲劇だ。」


  「俺も同感だよ。」


  自分の背中につけられた焼印が何なのか知っているナルキは、落ち着いた状態で返事をする。


  両手の指先全てから針らしきものを伸ばし、その針の尖った先からは気味の悪い色の液体が流れている。


  それは毒物の類である察しのついたナルキは、困ったような笑みを作って自分の背中に直に触れてみる。


  肌にまでついてしまった焼印を感覚で理解すると、ため息を吐く。


  「縁があったらいずれまたな。」


  「無いんじゃないかな。」


  指先につくった毒針を一斉に飛ばせると、綺麗に弧を描きながら、ナルキの背中についた焼印目掛けていく。


  先程つけられた焼印はこの時の為、攻撃を確実にするため的としての役割を果たす。


  何とか避けていくが、ナルキが避ければまた迂回して背中目掛けて飛んでくる。


  「・・・・・・。やんなっちゃうな。」








  ボソッと呟いたナルキの言葉がデュラの耳に届く間も無く、いきなりナルキの身体がデュラの目の前で炎上をし始めた。


  ゴウゴウと悲鳴を上げながら火柱の如く燃えて行く。


  しかし、それはほんの一瞬の出来事でしかなく、夢でも見ていたかのように、火柱はすぐに消えて、ナルキも姿を現した。


  ゴホゴホと咳をしているし、身体も黒く焦げているが、デュラの毒針も一掃されてしまったようだ。


  よく見ると服も焦げていて、焼印がくっきりついていたはずの背中にも火傷の痕があったが、それは同時に、焼印が消えているということでもあった。


  服だけならば脱ぐなり破るなりすれば良かったが、直接肌にまで印をつけられてしまったため、強引な方法ではあったが、最も手っ取り早い方法を取ったのだ。


  「調子に乗ってると、痛い目に合うよ。」


  「どうだかな。」


  ヒリヒリする背中から目の前のデュラへと意識を集中させると、解かれた土への魔法が再開され、再びデュラに襲いかかる。


  のろのろと動く土を鼻で笑ってすぐに避けようとしたが、なぜか身体が言う事を聞かない。


  じわじわデュラの足から、腰、胸、そして首までをがっちり固定すると、今度は全身を圧迫してくる。


  軋みだした身体に、歯を食いしばって耐えようとするデュラだが、今にも骨が折れそうだ。


  冷や汗を垂らしながらナルキを見れば、ニコリともせずに口を一文字に閉じたままデュラを眺めていた。


  「なんでこうなったかな?ナルキ?」


  自分の追い込まれた状況の説明を聞けば、ナルキは口許だけ緩めた。


  「さっきデュラが使った毒針、炎を出した時に毒が抜けたから、俺が預かってたんだ。その毒針を再利用して、デュラの身体を縫わせてもらったんだよ。」


  「縫っただァ?」


  「電気を細くして糸代わりにしたんだ。通常は身体が痺れたりして分かっちゃうけど、デュラはその前の攻撃で、身体の感覚がまだ正常に戻って無いと思ったから。電流を強くして一瞬でも動きを停止させられれば、と思ってね。さっき使ったんだ。」


  一度目の土での拘束は、デュラの身体を土で覆い見えないようにし、その中で電気を使って縫う為の時間だったのだ。


  そして時間差の魔法で身体に強い電流が流れ、身体の動きが止まったというよりは、鈍くなってしまったようだ。


  徐々に軋む身体に限界を感じ、デュラは降参しながら自嘲する。


  意識が飛ぶか飛ばないかくらいの力が加えられたとき、ふと圧迫が止まり、解放はされないまでも、力が緩められた。


  「何の真似だ?負けた俺に同情する気か?」


  「違うよ。」


  「じゃあ何だ。俺はこう見えても潔いぞ。」


  デュラの言葉に目をキョトンとさせると、鼻から息が抜けるように笑ってはにかみ、親指で顎を数回摩る。


  「同情なんかしないよ。ただ、負けてはい、終わり、ってわけにもいかないよね。ここで止めを刺すのは簡単だけど、それで済む事じゃない。」


  身動きの取れないデュラに近づいていき、ニッコリと満面の笑みを浮かべると、ナルキはいきなりデュラの頬をグーで殴った。


  動きが取れないため、当然逃げる事も、身体に与えられた力を受け流すことも出来ない。


  一発だけだったが、それはデュラにとって口の中を切ってしまうほどの痛みでもあり、ナルキにとっても慣れない痛みであった。


  脳がしばらくグラグラ揺れていて、自然と頭ごと視界が動く。


  「いたたた・・・。まぁ、ちょっとスッキリした。」


  「そりゃあお前、グーで思いっきり殴りゃな。」


  「おあいこ、ってことにしようか。」


  「俺は殴ってねぇだろ。」


  なぜか殴った方のナルキの方が痛そうな表情をしていて、手をブラブラさせて痛みを緩和させようとしていた。


  殴られた方のデュラは、口の中を舌で舐めて血が出ていることを確かめると、一旦口の中に血を溜め、一気に吐き捨てた。


  床に叩きつけられた血は、みるみるうちに黒へと変色していく。


  「それくらい俺は傷ついたのかもしれないよ。」


  「かも、かよ。そんなアバウトな理由で殴られたら、たまったもんじゃねぇな。」


  互いを見て笑い合いと、ナルキは掌から何か粉末状のものを取り出し、デュラの方へとハラハラかけてきた。


  口や目、鼻などを通ってデュラの体内へ入っていくと、だんだんとデュラの目がトロン、としてきたのが分かった。


  ナルキに対して何か言おうとしていたようだが、眠気に襲われたデュラは、そのまま意識を手放してしまった。


  完全に寝た事を確認すると、土からデュラの身体を解放し、床に横に寝かせる。


  「紳士的だな、ナルキ。」








  ふと視線を後ろへと向けると、そこにはすでに勝負を終えていたソルティがいた。


  一定時間ごとに、縛られている流風にチョコを与えていて、なんとも滑稽な光景だ。


  デュラの身体を安全な場所へと移動させると、ナルキもソルティの隣に腰を下ろし、肩をぐるぐると回し始めた。


  ポケットからゼリービーンズを取り出して見たが、ふにふにと可愛らしいカラフルだったお菓子は、見るも無残に焼き菓子のようで、色も茶色になっていた。


  しばらく眺めて、意を決して口の中に放り込めば、苦い味しかしない。


  食感もボリボリと歯ごたえの良い音を奏で、ナルキはそんなセリ―ビーンズを、何度も何度も噛み続けていた。


  「俺、気にした事無かったんですよ。」


  「?何をだ?」


  ふいに話し始めたナルキに、ソルティは流風にあげるチョコの包み紙を開けながら、顔も動かして返事をする。


  天井をじっと見つめたままのナルキは、すぅっ、と目を閉じて、息を深く鼻から吸って吐き出していく。


  「自分が誰に勝っていようと劣っていようと、気にした事無かったんです。」


  「ああ、俺もそんなに無いかも。」


  「空也に才能があることは確かで、それはどうやってもきっと俺には越えられない壁でもある。でもそれは、俺にはまだ強くなれる可能性があるってことで、劣等感とか感じる必要性は無いと思ってたんです。」


  「正論だな。最近は競争社会だからな。他人を蹴落とすことしか頭に無いんだよ。」


  「人なんて十人十色。そんなこと気にしてたら、キリが無いでしょう。人生を楽しく生きたいと思うなら、勝ち組になることを目指すんじゃなくて、小さな幸せを見つける事が先決だと思うんです。」


  「おお。ナルキらしい答えだな。ハハハ!空也にも爪の垢を煎じて飲んでほしいな!」


  二人でのほほんとお喋りをしながら、重くなってきた瞼を感じ、重力に従って身体からは力が抜け、視界も暗くなっていった。








  「だからな、俺はひじきが好きなんだよ!だからといって、洋風や中華が嫌いなわけでもねぇぞ?ドリアとかパスタも好きだし、餃子も回鍋肉も好きだ!」


  「いいや、俺の方が食を愛してると言えるな。最近は食に手を抜いている輩が増えてきているが、けしからん話だ。俺のようにしなやかで且美しい姿形を手に入れたいのなら、まずは朝食・昼食・夕食としっかり食べることから始まる。」


  「お前の場合はしなやかっていうよりも、華奢なだけだろ。誰もが振り返るほどの美しさというのは、この俺の事だ!フハハハハハハ!」


  「変な笑い方するな。」


  「お前こそ。」


  「いやお前こそ。」


  つまらない、なおかつくだらない会話を繰り広げている空也とジンナーは、どこからどう間違ったのか、食に関しての話をしていた。


  空也はひじきが好きだと言えば、ジンナーは食は美だと訴える。


  正直、傍から見れば馬鹿馬鹿しい内容を熱弁している馬鹿なのだが、当人たちからしてみれば、こだわりがあるのか、ないのか・・・・・・。


  「はぁ、まあいいや。で、空也。俺達もさっさと終わりにしようぜ。」


  「賛成賛成。」


  空也の首に繋がっているカプセルを奪うため、ジンナーは片方の手をお腹に置き、もう片方の手を空也に差し出す様に出す。


  「お前の骨、拾ってやるから安心して散れ。」


  「拾われるなら、可愛い女の子たちに拾われたいね~。」


  差し出した手からはボコボコと泡が噴きこぼれ、ジンナーと空也の周りをぐるりと一周していく。


  泡が触れた部分の床は徐々に腐っていき、爛れていく、という表現が合っているかもしれない。


  ゴソゴソとポケットの中からアーモンドを出して口に入れると、噛み砕きながら一気に空也に向かい、肘を一回引いて、その勢いのまま身体を突く。


  洋服を少し掠りはしたものの、空也は宙を舞ってジンナーの背後につき、床からナイフを作り出してジンナーの背中を狙って振りかざす。


  振り向かずにナイフを手で掴むと、ジンナーはゆっくり振り返って空也と視線を交わす。


  ナイフを掴んだ手とは逆の手で、空也のお腹を狙って殴ろうとすると、ナイフがぐにゃりと溶け出した。


  力のバランスが崩れたうちに、空也はナイフから手を離してジンナーと距離を置く。


  互いに笑って挑発し合うも、互いに距離を保って先手先手を読んでいるため、なかなか仕掛けられない。


  「その薬は、空也が持ってても仕方無いものだ。大人しく俺に渡せ。」


  「持ってても仕方ない?俺が長生きするって意味か?それがな、良い男は長生きしねぇんだよ、これが。だから、俺が持っててもイイじゃねぇ?」


  「不老不死に興味あるわけでもねぇだろ。それとも、一応次世代国王としの自覚が芽生え始めたか?」


  風に靡いた赤黒く光る髪の毛が揺らされると、ジンナーは自分の親指を舐めた後、軽く歯で噛んだ。


  次に履いているブーツでトン、と床を押すと、空也の脇腹から背中にかけて何かが出てきた。


  それはいつの時代かの拷問器具でもあるアイアン・メイデンに似ているが、形は全く平凡な棺のように長方形なのだが、中身は鋭いものが突き刺さっている。


  箱の中から糸の様な、バネのようなものが出てきて、空也の身体は引きずり込まれてしまった。


  蓋が少しずつ閉まっていく中で、空也はジンナーを見て無表情でいる。


  完全に蓋が閉まるが、悲鳴も何も聞こえない、というよりは悲鳴などは耳障りなため、聞こえないようにしてあるのだ。


  首を二十度ほど傾けると、中の様子が気になるのか、ジンナーは鼻歌を歌いながら蓋を開けた。


  ギィィィィ・・・・・・と重い、湿気った木が折れる様な音が耳に届くと、真っ暗闇が視界を覆う。


  「あれ?何処行った?」


  串刺しになっていると思った空也はおらず、忽然と姿を消していた。


  箱の中を覗いていたジンナーの背中に、気配を消さずに堂々と現れた影に、蓋を閉めながら口角を上げ、一つ一つ丁寧な動作で振り返る。


  何も無いはずの空間から、ぼんやりと姿を現したのは、他でも無い、空也だ。


  空気を歪ませて箱から脱出し、そのままジンナーの背後まで移動したため、幻想から覚めたように、空也が登場したのだ。


  箱を泡にしてヒュンッ、と消すと、ジンナーは片足でくるっ、とバレリーナのように回り、空也に身体正面を向ける。


  両手を大きく広げたかと思うと、片方の手は背中へ持って行き、もう片方の手は頭の上から反円を描くようにして胸の前へと持っていく。


  まるでどこぞの執事、あるいは舞台俳優のような動きだ。


  「御機嫌麗しゅうございます。」


  「麗しくねぇよ。一瞬三途の川の向こうから、知らない婆さんが手招きしてるのが見えたから、人違いですって言って戻ってきたんだよ。」


  「何だ、残念。どうせなら強引に連れて行ってくれれば良かったのにな。」


  「そういえば、知ってるか?三途の川渡るのに、六文銭必要らしいぜ。あと交通手形。」


  「まじでか!?初耳だぜ。」


  また路線がズレ出したが、何の前触れもなくジンナーが空也に向けて、隠し持っていた小型のナイフを数本投げつけてきた。


  身体をゆらゆらと動かして難なくかわすと、空也は自分の影を切り離して自由の身にし、ジンナーの影に滑り込ませる。


  影の中で空也に捕えられた形となったジンナーを、躊躇なく、全く戸惑う事せず、先程のナルキよりも何倍もの力を込めて殴った。


  「笑わせんじゃねぇよ。」








  ジンナーを殴った瞬間に、紐代わりにした自分の影を解放してまた自分の足下につけると、空也は両手を腰に当て、吹き飛ばされたジンナーを見下す。


  「不老不死なんて知るか。俺は興味無ぇよ。」


  「なら、俺に渡せ。そうすりゃ、こんな不毛な戦い、すぐ終わるぜ。」


  「興味は無ぇけど、なんかムカつく。」


  「はぁ?なんだそれ。理不尽にもほどがあるだろ。」


  少し赤く腫れあがった頬を摩り、足に力を入れてフラフラする身体を真っ直ぐに立たせると、ジンナーは口内の殴られた箇所を舌で舐める。


  切れた傷痕には、小さな衝撃でもよく沁みて痛みが増す。


  愛想笑いを空也に向けながらも視線は床に向け、自分の髪の毛をいじり出したジンナーに、空也は唇を尖らせる。


  「てめぇみたいな奴見てると、虫唾が走るんだよ。」


  「そりゃ悪いな。だが、それは俺も同じだ。お互い様ってことで。」


  しばらく睨み合っていた二人だが、以前のように挑発するような笑みを見せることは無く、真剣な目つきで感覚を絡ませる。


  それが馬鹿馬鹿しく思ったのか、耐えられなくなってしまったのか、ジンナーが先に笑いだした。


  それでも空也の方は一向に笑う気配が無く、なおも表情はピクリとも動かない。


  空也の反応が無い事が気に入らないジンナーは、床にばらまいた泡を柱状に形を変え、それは鳥籠に似ている。


  マグマのようにボコボコと噴出する泡の柱にも、特に大した反応を見せない空也。


  ジンナーが掌をギュッと握りしめると、床さえ腐食させる泡の柱が、空也だけに向かって伸びてくる。


  だが、泡は空也に届くことなく、その手前でなぜか弾き返されてしまう。


  最初はその理由が分からなかったジンナーだが、よく目を凝らして見ると、空也の周りに皮一枚程度の薄い膜が張ってあることに気付く。


  正式には薄い膜ではなく、薄い“毒の”膜だ。


  自ら毒を生産して身体全体を包み込み、例え毒が襲いかかってきても撥ね返す事が出来、万が一毒が体内に入ってきても、すぐに特効薬でも何でも作り出せるのだ。


  弾き返された毒を自らの手で受け止めると、ニヤリと笑いながら毒を握りつぶす。


  毒の柱が立っている中、ピリピリと肌で感じ取った空気の変化に気付いたジンナーは、空気を変えているのが空也の変化によるものだと理解する。


  「ジンナー、お前、この薬が欲しいんだよな?ってことは、死にたくないから、ってことだよな?」


  「・・・・・・。ああ、そうだな。死ななければ、もうこの世は俺のものになったも同然だろ?」 


  「お前はその器じゃない。」


  「空也に言われると、なんかこう・・・・・・カチンってくるな。」


  以前の戦いの時でさえも笑みを見せながら戦っていた空也だが、なぜだか今日は雰囲気が違う。


  真っ直ぐとジンナーを捕えて離さない視線と、風に靡く長めの黄金色の髪は夕焼けに染まって赤く見え、身体はピクリとも動かない。


  「で?魔法界のエースは何が言いたいんだ?」


  “エース”の部分を強調し、厭味ったらしく言ってみたジンナーだが、やはり空也からの反応は無い。


  身体に纏わりつくような視線に、ジンナーは少しずつ苛立ちを覚えた。


  腕組をして指を落ち着きなく動かし、肩足に重心を持っていき、顎を突き出す様に空也を見下している。


  沈黙を破ったのは、空也の言葉だった。


  「そんな覚悟か。」








  「は?何言ってんだ?そんな覚悟?」


  話が突然飛んだような気がしたジンナーが、空也に向かって大きめの声で返事をする。


  一旦目を瞑って顔を下に向けた空也は、鼻から息を吸って大きく吐き出すと、顔を下に向けたままゆっくりと目を開ける。


  しばらく床を見ていた空也に、ジンナーは呆れて顔を顰める。


  組んでいた腕をポケットに移し、中からアーモンドを取り出そうとしたが、すでに残り少なくなっていて、ほとんどカスしか乗っていなかった。


  補充しておけば良かったと思いながらも、ジンナーは掌にくっついているカスと、僅かに原型を残したアーモンドを口へ運ぶ。


  掌もベロッ、と舌で綺麗に舐め取ると、やっと空也がジンナーの方を向いた。


  「やっとか。」


  ちょっと嬉しくなったジンナーが空也に声をかけるが、何も答えない。


  あまりに苛立ったジンナーは、自分の掌の脇の方を軽く噛んで、なんとか苛立ちを抑えようとコントロールする。


  軽く噛んだつもりが徐々に力が入ってしまい、気付くと小指の下あたりの箇所に歯型がついていた。


  それを見てジンナー自身表情を歪めると、ちらっと空也を睨みつける。


  「一体、お前は何を考えてる?空也、お前は死んだって英雄扱いされて終わるんだろうけどな、俺はそうはいかない。高祖父がそうだったように・・・・・・。所詮、誰も彼もが自分を一番可愛いと思ってる。他人が傷つこうが命乞いしようが、本気で助けようなんて思っちゃいないんだ。だから、俺はそいつらが死ぬのを笑って見てやるんだ。どうやったって過去の事象は変えられない。なら、死際に行って、地獄に堕ちろと囁いてやるよ。小さいことだと思うだろうが、俺にとっちゃ、どうしようもない憎悪を発散するための、せめてもの復讐なんだよ。」


  子供のしょうもない仕返しのようにも感じるが、今更確かめようの無い過去の出来事によって、浅いか深いかは知らないが、ジンナーは傷を負った。


  何を言われ何をされてきたのか、空也には知る術は無い。


  黙ったままジンナーの一方的な主張を聞いていた空也が目を細めると、それを同情したと感じ取ったジンナーは、空也にゆっくり近づき、どんどんスピードを速めて行くと、勢いよく空也の頬を殴った。


  殴った、ように思われたが、空也の顔には当たっていない。


  それは殴りかかった本人が一番良く分かっていて、頬を殴りとばした手応えは感じられず、かわりに、衝撃を吸収して受け止められていた。


  力を入れていた手を空也から離していくと、空也の掌が少しだけ赤くなっているのが見える。


  特に魔法か何かを使ったわけではなく、文字通り“素手で”ジンナーの拳を受け止めたようだ。


  四歩後ろへ下がると、まだ何も発しようとしない空也に痺れを切らし、ジンナーはヤケクソ気味に大声で話す。


  「あーあ!やっぱり、世の中はどうやっても覆らない!!!真実も偽りも、歴史にとっては無関係。ただ“過去の記述”を後世に遺せればそれでいいってことだ。」


  柱と化した毒を徐々に弱めていくと、ジンナーは自らの身体に毒を蓄積させていく。


  腐敗した床が晒され、ジンナーの出した毒がどれほど強力な毒であるのかが、嫌というほどに理解出来る。


  ただ腐っているだけならまだマシで、腐っているうえに何か生臭い臭いが鼻を掠めていき、それは動物の肌が爛れたような臭いでもある。


  緑や紫、黒といった色とも違い、それらの色がグラデーションのように重なっているのか、とにかく溶けてしまっている部分も多少あるため、表現しようの無いほどに床は侵食されてしまっている。


  腐敗した床の部分をジンナーが靴で踏みつけると、ジュゥッ、と肉を焼く時に似た音と煙を出しながら、浄化されていく。


  毒の線に沿って軽く足を振りあげれば、床は元通りになっていった。


  「それが現実だろ?自分の事は自分で守るしかない。」


  絵本に描かれている事が偽りであることを確かめることは、自分には出来ないことを知っていながらも、ジンナーは“変えられる”という砂ほどの希望をまだ捨てきれずにいる。


  「何が何でも俺は不老不死になって、いつかあの本に書かれていることが嘘だってこと、証明してやる。だから空也、邪魔すんなら、お前をブッ潰してでも、俺はその薬を手に入れる。」


  「邪魔はしない。勝手にしろ。」


  ずっと口を閉ざしていた空也がやっと口を開いたかと思うと、反論はせず、じっとジンナーを見つめる。


  だが、言葉とは裏腹に、空也から放たれる増幅された殺気に、気付かない者はいなかった。


  「おい、空也。言ってることとやってること、逆だぜ。」








  じわじわと汗が滲み出てくるのが分かる。


  空也の殺気が意識的になのか、無意識になのか、今はそれはどうでもよくて、とにかくジンナーの心臓は急にバクバクと動き始めた。


  鷲掴みにされた、そんな言葉では物足りないくらいに、心臓は皮膚を突き破って出てきそうなくらいに鼓動を繰り返し、カラカラの喉は何度も唾を呑む。


  それなのに不思議と、ジンナーの顔には笑みがこぼれ出した。


  怖いもの知らず、好奇心、無謀、言い方は色々あれど、ジンナーの気持ちは結局最終地点で同じものとなっていた。


  『戦いたい』という本能が、今、たった今、目を覚ました。


  「勝手にしろって言う割には、殺気ビンビン感じるぜ?」


  「『証明するのは勝手にしろ』、そう言う意味だ。不老不死にだってなりたきゃなればいいだろう。勝手に長生きして、勝手に復讐してろ。」


  自分の身体に蓄積させた毒を体内で循環させ始めると、ジンナーの身体の色が徐々に茶色のような、紫のような色に変化していき、最後には元の色へと戻った。


  首をゴキッと鳴らすと、ジンナーは膝を折って掌を床につける。


  先程ジンナーによって作られた毒のサークルの形に床が変色を始め、人差し指だけを床に残すと、指を滑らせる様にして指の腹を空也に向けてチョンッ、と弾いた。


  すると、床から勢いよく紐状の毒が立ちあがり、空也の周りを囲みながら挟みこんでいく。


  視界からジンナーが見えなくなる時、ジンナーの口元が三日月のように歪んでいたのを見て、空也は毒の紐に全身包まれた。


  だが、ジンナーはこの時すでに忘れていたのだ。


  「学習能力って言葉、知ってるか?」


  「!?」


  すっぽり包まれたはずの空也の身体から、次々に毒の紐が解かれていき、ピクピクと痙攣したように動いていたかと思うと、最後には床に舞い戻ってしまった。


  ジンナーが靴で床の毒を浄化したときのように、煙を発しながら姿を見せた空也。


  黄金の髪の毛が眩しいのか、ジンナーは目を細めて空也を見てみると、空也の身体の表面にまる膜を見つけ、思い出した。


  どんな毒かは知らないが、強力な毒を身に纏い、毒に襲われた時にすぐ対処出来るようにしていたことを。


  毒は空也には効かないことを知っていても、ジンナーはもう一度空也に向けて毒を向ける。


  だが、なぜか毒はジンナーの言う事を聞いてくれず、怖がっているのか、ちょっと顔を出しはするのだが、またすぐに引っ込めてしまう。


  魔力の問題かとも考えたジンナーだが、多分それは違うと判断する。


  魔法が全て、力の強い者の言う事を聞くのであれば、力の弱い者は魔力を持っていても役には立たなくなってしまう。


  空也とジンナーの力の差が歴然としている場合、在り得る話かもしれないが、今のところはそこまでの差は無い。


  では、一体何をそんなに怯えているのだろうと、ジンナーは空也の表面の毒の膜を観察する。


  よくよく見ていると、怯えているのは空也に対してでも、空也の毒に対してでもないようだ。


  「魔法は、魔術者の精神面に反映される。」


  「何だよ、ソレ。俺が空也にビビってるって言いたいのか?」


  「違う。いや、違わないかもしれないが、それは今はいい。」


  「ビビってねぇよ。」


  「だから、それはいいって。」


  「ビビってねぇって言ってんだろ!別にお前が強そうに見えるとか、負けそうだとか、そんなこと、これっぽっちも・・・これっぽっちも思ってねぇ!!!」


  人差し指を親指の間に、ほとんど無いであろう隙間を作りながら、空也に見せつけるようにして叫ぶジンナー。


  無表情から一変、頬を引き攣らせて眉間にシワを寄せると、空也は呆れ気味に溜息を吐く。


  「もういいって・・・。」


  「良く見ろ!良く見ろよ!これっぽっちもだぞ!」


  グググ、とさらに指同士を近づけながら言うジンナーに、空也は床で作った大きな拳をお見舞いした。


  「だーかーらー!それはもういいって言ってんだろ!人の話聞けよ!」


  床からの衝撃に耐えきれず、天井に首だけ突っ込んでしまったジンナーは、何とか自力で抜け出す事に成功した。


  瓦礫がパラパラと落ちてきているが、それを避けながらジンナーは少しずつ前に進む。


  どうやら顎が痛いらしく、ずっと顎だけを押さえている。


  不機嫌そうに顔のパーツを中心に寄せたジンナーに、やっと乱れかけた呼吸を整えた空也は、自分についている膜を取って床に落とした。


  瞬間、床の毒が一斉に引いていき、床は再び綺麗な状態に戻った。


  「お前が恐れているのは、“死”だ。俺にじゃ無い。」


  まだ顎を押さえながら睨んでいるジンナーと目線を合わせ、空也は続ける。


  「だからお前はこんな薬が欲しいだろ?」


  顎に当てていた手を、ゆっくり離して首筋の裏に持っていくと、そこを軽く数回摩りながら、ジンナーは無言で斜めの方を見る。


  今度はジンナーの方が黙り込んでしまい、仕方なく空也が言葉を羅列しようとするが、口を開いた瞬間、ジンナーが鼻で笑いだした。


  「それの何が悪い?お前は死ぬことが怖くないっていうのか?いつ死ぬか分からないことに怯えている日々を過ごすくらいなら、いつまで経っても死なない身体を手に入れればいいだけの話だ。そうだろ?違うか?」


  「それが気に入らねえんだよ。」








  研ぎ澄まされていく感覚、初めての恐怖心、言葉が刃物のように空気を切り裂いていく。


  自分の言葉を真っ向から否定されてことに苛立ったジンナーは、ポケットに手を入れてアーモンドを食べようとするが、すでに空になっている。


  蘇る過去と容易に想像できる未来など、ジンナーにとっていらない、ゴミ同然だった。


  口先だけでは何とでも言えると笑われ、簡単に裏返しになる正義を目の当たりにしてきて、それが本当に正義であれ悪であれ、修正する気など人の心の中には無い事。


  どんな文献が残されていようとも、それが事実であること、百%の真実であることを確かめることなど、出来るはずも無い。


  それでもジンナーは、歴史の闇へと葬られた自分の高祖父の本当の姿を、自分だけでも確かめたいと思っている。


  空也もそれを知っていて、知っているからこそ、ジンナーの言葉は気に入らないものだった。


  「お前はいい。昔も今も、何の努力もせずに才能に恵まれ、周りからチヤホヤされ、いずれは国王として名が残る。でも俺は、禁忌を犯した罪深き薬使いの子孫として、ずっと虐げられる。お前以外の人間は、ほとんどが名も残らないほどの人間だ。俺達の気持ちの欠片も知らないお前に、俺の生き方を否定する権利は無ぇ。」


  指先にちょっとだけついたアーモンドのカスを舐め取り、ジンナーは奥歯をギリッと噛みしめる。


  「一生、俺とお前は分かち合えねぇよ。」


  「・・・みたいだな。」


  舐め終えると、片腕を肩の高さまで一直線に上げて拳を握りしめ、数秒で拳の中を擦り合わせるようにして開いていくと、ハラハラと砂粒が舞った。


  それは土であることがすぐに分かった空也だが、床に落ちた土から芽が出てきて、何やらうねうねと茎をくねらせて巨大化してきた。


  大きな蕾が空也の目の前に来て、欠伸をするように大きな口を開ける。


  鮫のものに似た牙が幾つもついていて、長く太い舌から涎を垂らしながら、徐々に花弁を開いていく。


  真っ赤で大きな花弁が開ききると、いきなり空也に向けて唾を吐きだした。


  最初は掌で受け止めようとした空也だが、吐き出された唾から異臭を感じ取り、舌打ちをしながら後ろへとジャンプした。


  床に散らばった唾からは、白い小さな泡が次々に出てくる。


  「毒じゃぁねぇな。」


  通常の毒では無いことには気付けた空也だが、それが何かまでは分からなかったようだ。


  床が腐食されていき、鼻を刺激する臭いにも覚えがあるはずなのだが、それの名前がなかなか思い出せない。


  「確かに、毒じゃねぇよ。ただの薬品だ。」


  「薬品?・・・過酸化水素か?」


  過酸化水素とは、少しオゾンに似た臭いを発する弱酸性の液体だ。


  よく学校の実験や化学式などで習うものだが、強い腐食性を持っていて、高濃度のものが皮膚に着くと、白斑を生じる痛みを伴う。


  重量が何パーセントの過酸化水素かは知らないが、明らかに毒物・劇物として扱われる濃度だろう。


  通常の薬物に加えて、ジンナーは過酸化水素の周りに塩酸をコーティングしている。


  過酸化水素よりも、塩酸の方が厄介な存在である。


  目に入れば失明や眼球穿孔の危険があり、皮膚に当たれば火傷を引き起こし、体内に入ってしまうと消化器を侵したり、多量に吸引すると、最悪の場合死に至る。


  「おっかねぇもん使うなよ。」


  ようやく空也の表情が崩れ始めたことに、ジンナーは嬉しそうに笑みを零す。


  ニヤニヤとつり上がる口元を手で覆い隠すが隠しきれず、視線を空也から逸らし、肩を揺らしながら笑う。


  植物が垂らした塩酸付きの涎を振り回すのを避けながら、空也は左右前後と交互に見る。


  まだ笑っているジンナーが、込み上げてくる興奮をなんとか抑えようと、吹きだしそうになるのを我慢して、植物へ指示を出し始める。


  空也の真上に来た植物は、空也を呑みこめそうなくらいにまで大きく口を開けると、そこから大量の涎が垂れてくる。


  ダラン、と粘り気のある音と共に空也の全身を覆う涎は、次から次へと出てきて、空也の周りだけ涎の海が出来上がった。


  「あーあー。俺はこんな死に方、嫌だね。」


  毒の膜を取ってしまった空也には、直撃したであろう塩酸と過酸化水素。


  口を閉じた巨大な植物の茎に触れると、ジンナーは一気に高温を発して、一歩間違えれば自分にまで害を及ぼすその植物を燃やし始める。


  苦しそうにモガく植物に目もくれず、ジンナーはどんどん温度を上げていく。


  やがて炎の色は赤から青へと変わり、焦げた紙屑のようになった植物の欠片を踏みつけながら、空也の許に歩み寄る。


  「・・・・・・。」


  空也の背の高さほどあった涎の塊は、徐々に小さくなっていく。


  「過去の栄光を称える未来が例えあったとしても、“今”でなければ意味なんか無い。過去に虐げられた人間がどんな気持ちで死んだかなんて、お前みたいな奴には分からない。一生な。」








  空也にかかった涎を取り除き、そこから出てきた横たわる身体を見下ろすと、ジンナーは身体の脇腹を蹴って仰向けにさせる。


  「・・・だからお前が嫌いなんだよ。」


  「それは悪ィな。でも、しょうがねぇな。」


  ジンナーの足下にいるのは空也ではなく、床が人間の形に変形したものだった。


  いつの間に入れ換わったのか、それは空也にしか分からないが、背後から聞こえてきた声にも冷静な反応を見せるジンナー。


  掌を額につけると、細く長い指を滑らせながら前髪を掻き分ける。


  後ろに伸びる赤黒い髪の毛を揺らして振り向いたジンナーは、今この世で最も会いたくない人物の顔を見るなり、手の中に小型のナイフを出して自分の太ももに突き刺す。


  血がゆっくりと流れてきて、ジンナーの穿いているズボンを赤く染めていく。


  「フフフ・・・・・・ハハハハハハハハ!!!!!ハッハハハハハ!!!」


  痛みさえ感じていない様子のジンナーは、傷口を押さえようともせずに空也を見て笑い続ける。


  数分間ずっと笑っていたジンナーだが、徐々に落ち着きを取り戻し始めると、今度は苛立ったように足で床を強く何度も蹴りだした。


  傷口からはまた血が出てきて、ついには床にまで到達した。


  赤かった血も酸化が進むにつれて黒くなっていき、それはまるでジンナーの髪の毛の色と似ている。


  「お前に負けるくらいなら、死んだ方がマシかもな。マジで。」


  わざとらしい盛大なため息をつくと、ジンナーは自分の喉元にナイフを持っていく。


  かき切る様な仕草をしながらも、死ぬ気など毛頭無い様に見えるが、空也も止める事はしないし、ジンナーも首を切ることはしない。


  空也が何も言わないことを悟ると、ジンナーは自分の首からナイフを遠ざけて、空也に向かって投げつけた。


  首を軽く避けると、ナイフはそのまま勢いよく飛んでいき、壁に突き刺さった。


  「薄情な奴だな、お前は。」


  「薄情上等だ。」


  「実は親友が少ないタイプか?」


  「俺には麗しい女性がいるからな。」


  「ははん。可哀そうな奴だな。」


  「順風満帆な奴の方が少ないだろ。」


  またまた路線がズレていきそうになったが、ジンナーが壁に刺さったナイフを空也の顔の横スレスレを狙って呼び戻す。


  ナイフで自分の指先を切り血を垂らすと、部屋が生き物のように動き始めた。


  窓からも、木が根っこを手足のように動かして入ってくると、まるでアリスの国に来たような不可思議な空間が出来上がった。


  そしてダンスを踊らせるようにして空也に攻撃していくと、空也はバランスを取りながら根を切って逃げ道を作ったり、身軽に動いて根っこ同士を絡ませたりする。


  ぐらつく足下に気を付けながらジンナーに近づくと、空也はジンナーの顔面を覆うように、掌を広げながら掴んだ。


  避けようと思えば避けられたはずだが、思ったよりも深く刺さっていた太ももの傷によって踏ん張りが利かなくなったようだ。


  そのまま倒されてジンナーの上に跨った空也は、顔面を握っている手に力を込める。


  倒れながらも床に両手をつけて、植物に指示を出そうとするジンナーの腕さえも、空也はもう片方の腕と片足を使って制止する。


  「さっきの意見には同感だ。」


  「ああ?」


  痛くも痒くもない空也は、淡々と話を始める。


  「偉人の多くは、亡くなってから功績、実績を称えられ、その行動や美学が認められる。亡くなってからでも認められて良かった、なんていうのは綺麗事だ、と俺は思ったり思わなかったりするわけだ。」


  「どっちだよ。」


  口元も自由に動けないほどに圧迫されているジンナーだが、その言葉をちゃんと聞き取れた空也は、力を緩めることなく続ける。


  「で、結局お前に言いたい事はだな・・・・・・。」


  空也が全身に力を入れると、ジンナーの身体が床にのめり込んでいく。


  重力に襲われているように罅割れていく床、二人の間に吹く強い風、まき上がる空也の髪の毛に対し、床にピッタリ押しつけられているジンナーの髪の毛。


  二人の間に吹く風は、磁石が反発し合うように動いていて、空也の身体とジンナーの身体は反対方向へと向かう。


  数センチジンナーの身体が床に喰い込んだところで、空也は力を抜いた。


  ゆっくりと手をどけると、意識はあるが、心臓が圧迫されたことによって呼吸を上手く吸う事の出来ないジンナーが、抵抗出来ないまま空也を睨む。


  「“エース”なんて称号が欲しいなら、幾らでもくれてやるよ。」


  ワントーン低い空也の声は、地を這ってジンナーの身体に杭を打っていくように響く。


  「けど、死ぬ覚悟の無ぇ奴が、くだらねぇ理由で“生きる”なんてほざくんじゃねぇよ!」







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る