第14話 力の差を思い知る

 天狗は動かない。

 

 恋音れおんは渾身の力を込め刀を振り抜いた。


「ぐぁぁぁぁぁーーーーーっ!」


 その時左文字さもんじの地を這うような痛みにのたうつ声が聞こえた。

 恋音れおんがその声に気を取られた瞬間、天狗が目をかっと見開き、翼を大きく羽ばたかせた。


「何に気を取られておる。それこそが命取り!」


 恋音れおんの渾身の一撃は、天狗に当たることなく空を切る。その魂の叫びとも言える一振りが、家屋を破壊し、恋音れおん自身は反対側に吹き飛ばされていた。


 全てがゆっくりと動いている様に見える。

 天狗の赤い瞳が恋音れおんを捕らえ、語りかけてきた。


「お前の力はその程度ではなかろう? お前が真の姿を取り戻せるよう、お前が守りたいと思っている全てのモノを奪ってやろう。お前はいつの日か我々と共に歩むのだ」


 ドドドドドドっ。

 吹き飛ばされ屋根を貫く己の背中の痛みに、力の差を思い知らされる。


「くっ……」

「そして、成実しげざねさまに、ひざまづくのだ。待っているぞ」


 ドーーーーーーーン。

 土埃を上げ恋音れおんは地面に叩きつけられた。

 その時、遠くへ消えていく鳥の羽ばたく音が聞こえた。天狗が去って行ったのだ。

 『あの蒼い髪の娘は殺すな』と言った龍童りゅうどうの言葉が脳裏に浮かぶ。


―― かなわなかった……。もう、体が……動かぬ。



恋音れおん!!」

「れ、れん……?」


―― ……! 左文字さもんじっ!


 恋音れおんは我にかえった。

 刀を握った右腕を動かし、地面に食い込んだ体を動かしていく。産まれて初めて味わう痛みにどうにかなってしまいそうな己を奮起し、左文字さもんじれんの元へヨタヨタと歩み行く。


左文字さもんじ……」

「泣くな……へ、へへ。お前もボロボロだな」

「しゃべるんじゃないよ。恋音れおんも、大丈夫かい?」

「あぁ、生きてる」

「早く手当てをしないと……頑張るんだよ、左文字さもんじ


 そう言うと、力任せに傷口を押さえる。が……左文字さもんじの腹の当たりが赤く染まっていく。

 早くこの場を去らなければ。しかし傷ついた恋音れおんと、このガタイの良い左文字さもんじを担ぐことなどできない。



「若ーーーーーーっ、若ーーーーーーーっ!」


 遠くの方から多くの人の足音が聞こえる。味方の軍勢が到着したらしい。

 天狗が去ったことで、この遊郭に足を踏み入れることができたのだ。

 すぐに、地面に倒れ腰を抜かしている裸の男は見つけられるだろう。



「れ、恋音れおん……」

「しゃべるんじゃ」


 れんの言葉を制し、左文字さもんじは血だらけの手で恋音れおんを招き寄せる。

 その手は暖かく力強かった。


「泣くな。笑って……送り出してくれ。くっそ、痛え……げほっ」

左文字さもんじ! ダメだ。死ぬな! お願いだ、私を独りにしないでくれ! もう……独りは嫌だ……」


 恋音れおんは子どものように泣きじゃくる。涙が頬を濡らし、汗と血で蒼い髪が顔に張り付いている。


「お、お前に頼みがある……。これを、しずに……」


 左文字さもんじは血だらけの手で、懐から鼈甲の櫛を取り出した。これは左文字さもんじがあの日しずに渡そうと思っていた物。

 震える手で恋音れおんに渡そうと手を伸ばす。


「嫌だ! 自分で渡すんだ! 絶対に受け取らないっ」

「わかったから、バカ左文字さもんじ。今はその時じゃないだろう?」


 れんも涙ぐむ。

 その時、扉が開き見知らぬ男が現れた。


「ありゃ~派手にやらかしましたね」

「あんた!?」

「姐さん、お久しぶりです。挨拶はここまでにして、取り敢えずここを出ましょう」


 男は背中に長い銃を担ぎ、じゃらじゃらと肩から銃の玉の様なもの下げていた。れんのことを『姐さん』と呼ぶこの男。


「やっぱりあんただったんだね。入り口の結界術。よく無事でいたもんだ」

「そんなに嫌そうな顔しなくても。昔の事なら謝りますから」


 男は屈みこみ左文字さもんじの傷を押さえ、首に巻いていた布でしっかりと圧をかける。

 それでも血はじわじわと滲んでいく。


「早く出ましょう。もうすぐ早川さまの手の者が、ここを見つけ出すでしょう。我々だけならともかく、このお嬢さんが見つかったら厄介だ」


 そう言うと、左文字さもんじを担ぎ上げ「こっちです」と恋音れおんたちを誘う。


「信じて良いんだろうね」

「今は他に選択肢がないでしょ? 早くしないと死にますよ」


 男はしれっと怖いことを言う。

 確かに、恋音れおんの容姿を見た者たちが矢を向けないとは限らない。


「わかった。あんたを信じてついていくよ」

「そうこなくっちゃ! 善は急げだ」

「でも、左文字さもんじ恋音れおんに何かあったら……みなと、今度こそあんたを殺すよ」


 それを聞いたみなとは、嬉しそうに笑った。


「本当にキモい男だよ。さぁ、恋音れおんこっちだ」

 

 みなと左文字さもんじを、れん恋音れおんを担ぎ、その場をあとにした。


 外ではふんどし姿の哀れな次期当主の救出劇が行われ、花魁、遊女の遺体の回収が始まっていた。

 夢を売る遊郭があやかしに支配されたとなっては、人の足が遠退く。この国の収入源となれば、火消しに余念がないのも頷ける。


 恋音れおんは薄れる意識の中、死んでいった女たちの笑顔を見た気がしていた。


※ ※ ※


左文字さもんじ……」


 騒動が起きてから数日、左文字さもんじが目を覚ますこともなく、ただ時間だけが過ぎていく。


 れんたちはみなとが用意した長屋に身を寄せていた。

 恋音れおんの傷は思った以上にひどく、動くことさえままならない。あの時、起き上がれた事も奇跡なのだ。


「姐さん、調子はどうです?」

「あぁ、みなと……あんたかい」


 二人の布団をそっと直し、れんは立ち上がった。「あっちで話そう」というみなとの誘いにのった形だ。

 れんは茶を淹れながら珍しくしおらしく振る舞う。


「今回は本当にありがとう。助かったわ」

「いやいや、俺と姐さんの仲じゃないですか。水臭い。ところで……あの親父は、姐さんのコレですか?」

「馬鹿なこと言わないでおくれ。今回の依頼を頼んだ手前、捨て置けないだけさ」


「ふ~ん。なら大丈夫ですね」

「何がだい?」


 怪しい空気を感じ、れんの目に警戒の色が浮かぶ。


「今回の件、知る者はあの二人だけです?」

「何が言いたい?」


 れんには分かっていた。

 みなとが次に何を言い出すのか、おおよその事は想像がつく。

 爽やかに微笑む男、この笑顔が一番ヤバイということを。

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