第13話 恋音の目覚め

 恋音れおんかんざしをそっと拾い上げた。それは桜の花が咲く美しい細工が施されており、彼女の思い出の品だったのだろう……と簡単に想像できた。


 あの時、女郎蜘蛛と化した妖女の想いが刀を通して流れ込んできた。『何故こうなってしまったのだろう……私はただ愛を信じただけなのに』と彼女は泣いていた。

 悪いのはあやかしではない。

 生前の彼女と向き合い支える者が傍に居たのなら、また違った道があったはずだ。


 恋音れおんは震える声で呟いた。


「お前はいつまで傍観しているつもりだ?」

「何?」

「ここへ降りてきて、私と戦えば良いではないか」


 その間に左文字さもんじは人質のふんどし男を背負い、れんと共に下階へ向かった。れんの結界が施された妓楼ぎろうにたどり着ける事ができれば、まずは安心だ。


 天狗は表情を少しも変えず、ゆっくりと降りてきた。


「仲間を逃がしたか。愚かな」

「……」

「お前らごとき、この八手ひと振りで一掃出来るというのに。あの蜘蛛女の情に触れたか? 憐れんだのか? ふん、バカバカしい。お前があの女を憐れんだとて、なにも変わらぬ」


 パチパチと木が燃える音が聞こえる。このままでは建物が燃え落ちるだろう。

 天狗の勝ち誇った顔が炎に照らされ、不気味に歪んで見えた。


「我らと共に来ぬか? 私ならお前の力を存分に引き出してやれる」

「何の事だ」

「お前の中にある、『恨み、妬み、哀しみ』それを力に変えるのだ」


 天狗の声に反応するように刀が妖しく輝きを放つ。


 恋音れおんは息を飲んだ。

 あの時、確かにあの妖女に母を重ねていた。早く楽にしてあげなければならないと、心をよぎったのは本当の事だ。しかし……。


「私は……お前たちとは違う。命を懸けてでも守らねばならない仲間がいる。信じている者たちがいる! 例え辛くとも、哀しみに支配されようとも、私はお前たちのように人は殺めぬ!」

「ははははは、甘い。ならばこうしてやろう」


 そう言うと天狗は大きな羽を羽ばたかせた。

 風に煽られ火の勢いが増し、部屋の中でこと切れた者たちを飲み込んでいく。


「止めろ!」


 恋音れおんの声は虚しく炎の音に書き消されていく。火の手が強くなり、それと共に恋音れおんの感情が露になっていくのを、天狗は面白がっている様だった。


「まだ足りぬか? 哀しみをそして怒りを力にすれば良い。本当の自分を見せてみろ」


 天狗の羽が大きく開いた。再び風が起きれば彼らは灰になり飛び去るだろう。

 墓に埋めてやることも出来ない。


 その時恋音れおんの刀が光を放った。その光は恋音れおんの全身を駆けめぐり、青い炎をまとう。


「ほぉ~」

「これ以上傷つける必要はあるまい。神として奉られたお前が何故人を傷つけるのだ? 私は許さない。人の命を奪う権利は神であろうとも、誰にもない!」


 そう言い放つと、恋音れおんは天狗めがけて刀を振り下ろした。


 だが天狗は意図も容易く攻撃を回避する。恋音れおんは壁を蹴り上げ宙を舞った。そして刀を振り抜くと見せかけて、左文字さもんじに委ねられた短刀を放った。


「私たちを、ナメるな!!」


 恋音れおんの手を離れた短刀が、天狗の目元をかすめ、欄干らんかんに突き刺さった。


「くっ……」

「斬り抜くと見せかけて、目を狙うとは……なかなか見込みがある。敵側に置いておくのは惜しいのぉ」


 天狗は羽ばたき梁に飛び乗る。


「逃げるのか!?」

「逃げるとは、これまた面白いことを言う。恋音れおんとやら、もう一度問おう。我らと共に来ぬか?」


「何度も言わせるな! 私はお前たちとは違う!」

「ならば力ずくでモノにするのみ」

「なにっ」


 天狗はさらに高く舞い上がる。

 そして手に持つ八手を振り上げた。


「最後の一振り、お前のために使ってやろう」


 そう言うと大きく降り下げられた八手から、無数の羽が放たれた。

 それは鋭い矢となり下階から走り去る左文字さもんじたち目掛け勢いを増す。


左文字さもんじ! れん!!」


 恋音れおんの悲痛な声が左文字さもんじに届いた。

 その時、人質の裸男を背負っている左文字さもんじが振り向いた。天狗の放った矢はすぐそこまで来ている。


 迷っている暇はなかった。

 

 背負っている男の手を離し地面に投げ出すと、槍を目の前で回転させた。

 それを見たれんも大太刀を構え矢を弾く。


 カンカンッ。

 刀に矢が弾かれる音が響き渡る。


「くくくッ」

左文字さもんじ!!」


 ピタリと時間が止まった。

 いや、それは止まったように見えただけだった。


左文字さもんじ……?」

「……」


 れんが仁王立ちを続ける左文字さもんじに話かけるも反応がない。

 しばらくすると左文字さもんじの口元、腹の辺りから赤いものが滲み出てくるのがわかった。


 恋音れおんも地上に飛び降り、左文字さもんじの所へ向かった。

 何が起きたかは明白だった。天狗の放った鋭い羽が矢のごとく左文字さもんじの体に突き刺さっているのだ。


 頭上から天狗の声が響く。


「愚かな。その男を庇い何になる。ま、良い。恋音れおんよ、見るが良い」


 そう言うと天狗は念を唱え始めた。すると突き刺さった羽がさらに奥深く突き刺さっていく。


「ぐほっ」

「「左文字さもんじ!!」」


 左文字さもんじは耐えきれずガクリと膝をついた。それを支える様にれんが動く。

 額につけられた左文字さもんじのまじないが、色を増し弱々しい光を放っていた。


「く……あたしの力は、お前を守れないのかい? 左文字さもんじ! しっかり!」


 腰が抜けたボンボンを無理矢理立たせ「死にたくなけりゃ、動くんだよ!」と大声を発し、れんは近くの妓楼ぎろうに身を隠す。


恋音れおん! アイツを狩るの! このままじゃ左文字さもんじが」

「ぐぁっ……」

「あたしはここに術をほどこす。アイツの念が届かないようにね。頼んだよ」


 そう言うと腰の袋から道具を取り出し、小さな声で呟いた。


「死なせないよ」



―― 左文字さもんじ、待っていろ。私がアイツを祓う!


 恋音れおんの瞳が色濃く光り、全身が葵い炎に包まれていく。手に持つ刀は恋音れおんの瞳のように赤く光を放ち始めた。


「お前は神でも何でもない!! 人を傷つける、ただの外道なあやかしにすぎぬ!」


 そう叫ぶと恋音れおんは、壁、木、崩れかけた家屋の梁や屋根を蹴り、空へ舞い上がる。

 天狗に空高く羽ばたかれてはなす術もなくなる。チャンスは一度。


―― この一撃で仕留める!!!

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