第12話 哀しき女郎蜘蛛
天狗は余裕の笑みで
「来ぬのなら、こちらからいくぞ」
そう言うと、天狗が大きく八手を振りかざした。
その腕が振り下ろされると、部屋の中に
女は色白で長い髪を束ねることもせず俯いている。そのたたずまいは美しく名高りし女性に見えた。この場でなければ声をかけたくなるような儚さと危うさをあわせ持っている。
ただ人間のソレとは違い、女の周りには数多くの蜘蛛がカサカサと音をたて、畳を這いずり回っていた。
「げ、何なんだ」
「蜘蛛……女!?」
百戦錬磨であろう
ゆらりゆらり動くその女は、小蜘蛛を愛おしそうに愛でていた。それはまるで我が子を見るような優しさだ。
「あぁ……私の可愛い子どもたち。今こそ恨みをはらす時。お前は……何故私を裏切った? 子を葬らせた?」
「な、何を言っているんだ」
「しっ、ボンボンを恋人だと思ってるんだ」
襲い来る
ゆっくりと裸の男に近付く妖女は人を襲う気配はなく、ただ静かに泣いているだけだった。
このまま大人しくいてくれ、と誰もが思ったその時、
それを見た妖女は物凄い形相で、
「ギャーーーーーーーーーーッ!!!」
「な、何!? 俺が何かしたっていうのかよ!?」
それを合図に小蜘蛛たちが一斉に男に群がっていく。
「ひっ、ひぃぃ」
必死で払い除けるも、小蜘蛛たちはカサカサと音を立て這い上がる。
妖女が白く細い腕を男に伸ばした時、
シュッ。
刀は妖女の腕を捕らえ、ボトリと男の目の前に落ちる。
「ひ、ひ、ひぃえぇぇぇ」
「この男は、お前のものではない。お前の子を葬らせたわけでもない」
冷静な
緑色をした体液をダラダラと垂らした妖女が、鋭く憎しみを込めた瞳で
頭上で成り行きを見守っていた天狗の眉がピクリと動いた。
「私は……許さない。私の子どもたち、ぐぉぉぉぉ」
そう叫ぶと着るもの全てを破り捨て、体がどんどん巨大化していく。そして美しかった顔だけを残し、大きな蜘蛛の化身に姿を変えた。
「はぁはぁ……お前たち……許さん」
「何なんだ、あの化け物!?」
「正体を露にしたか。面白いのぉ。憎しみ、悲しみ、妬み……全て人間が生み出すおぞましい感情。その大いなるモノの前に、己の無力さを思い知るが良い」
天狗の笑い声が遊廓に響き渡る。
「女郎蜘蛛と化しモノよ。私の力を貸してやろう」
天狗は八手を振り下ろした。
八手から放たれた鋭い羽が女郎蜘蛛の首筋に刺さった。女郎蜘蛛が「ぎぃえぇぇぇぇぇぇぇーーー」と断末魔の声を張り上げたかと思うと、体に赤と黒のきらびやかな模様がくっきりと浮かび上がった。さらに先程まで憂いを帯びていた瞳は赤く燃え、髪は白く老婆のごとく姿を変えた。
「な、何をしたのだ!?」
「はははははは。私はほんの少し力を貸したまでの事。あやつの心に残る憎しみに触れただけだ。人間の念とは恐ろしいものよ」
天狗は大声で笑っている。
「私を失望させるな」
「くっ……」
天狗の声と共に女郎蜘蛛の息づかいが部屋中に響き渡る。それは耳障りなヒューヒューという呼吸音だ。女郎蜘蛛は白い煙を吐き出し、恨めしい瞳で
「許さん。私の可愛い子どもたちを! まずはお前だ」
そう言うが早いか女郎蜘蛛は向きを変え、尻から糸を吹き出した。それは
「く、くそ。動けん!」
「
「ふふふふ。お前は後で喰ってやろう。私の子どもたちを葬った事をそこでじっくりと後悔していろ!」
「くそっ、何だこの糸はっ」
「あたしの刀でも切れやしないっ!」
「危ないっ!」
風が動いた。
白く紙切れの様にハラハラと舞い降りる糸。不思議と
「おのれぇ……」
「
「そ、そんな目で見るな! 私は……私は絶対に許さない!」
ピュッ、ピュッ、ピュッ!
「ヒュー……ヒュー……おのれ……」
口から白い煙を吐き出し、この世の哀しみ全てを飲み込んだ瞳で
次の瞬間女郎蜘蛛の瞳が赤く光り、くわっと大きく口を開いた。そして、青白い炎をまとった息を
その炎は床を、壁をも燃やす。
祓う事こそが救いになることもある。
「逃げてばかりでは、そのうち丸焦げになるぞ」
天狗の耳障りな声が神経を逆撫でする。
「女よ、いや……女郎蜘蛛よ。そこにいる男こそがお前が探し求めていた者よ。積年の恨み、はらすがいい!」
天狗のその声に女郎蜘蛛が振り向き、裸の男を捕らえる。小蜘蛛たちも一斉に牙をむいた。
「ひっ、ひぇぇぇぇぇ」
「女郎蜘蛛は雄を喰らうと言うわ! くぅ……何なのこの糸!!」
なにも出来ない
誰もが諦めかけたその時、梁の上から
女郎蜘蛛は何が起きたのかわからないという表情を見せた。
「な、何……を……」
そんな心配は要らず、
二人を助けた後、
女郎蜘蛛は既に形を失い、塵と化して行くところだった。
「し……しげざねさ……ま……」
その言葉を残し、女郎蜘蛛は消え去った。痛みを感じることなく逝ってくれたと信じたい。
その場には桜の形をした
その証拠に頭上から耳障りな声が降ってきた。
「ほぉ~祓ったか」
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