第10話 時間との勝負

れん? 今のは……?」


 身を隠した妓楼ぎろうで、れんは親指の爪を噛みながら考え込んでいた。

 今まさに見たのだ。人の形をし、大きな翼を持ったあやかしが頭上を飛んで行くのを。その者の眼力があれば、この場所に異物とも言える恋音れおんたちが隠れていることも見えていたに違いない。


 進むのか、引くのか……。


れん?」


 今度は左文字さもんじが心配そうな顔でれんの名を呼ぶ。


「あ、すまない」

「今の物体は何だ?」

「あれは……あれは恐らく……天狗」

「天狗!? あり得ないだろ? 天狗といえば、神の遣いだろうが」

「そう、だからここはヤバい。あんたたちを巻き込んで申し訳ない。報酬はいいから、引こう。久保川くぼかわ元親もとちかが絡んでいることが分かっただけでもお手柄さ」


 れんが怯えた目で左文字さもんじに訴えかける。「逃げよう」とそんな弱腰のれんに向かって、恋音れおんが声を上げた。


れん、私は前にすすみたい。その天狗って奴がここにいるということは、あやかしの仲間だ。ここまで来るのに沢山の死骸を見てきた。若い女や小さな子どもまでいた。矢が何本も刺さっている者も沢山あった。子どもを守るよに……。無残に人をあやめていい権利はあやかしにも人間にも、誰にもないじゃないのか!?」

恋音れおん……」


 れんはそっと目を伏せ、何かを考えている様にみえた。そしてキッとした表情で左文字さもんじに問う。


「あんたはどうなんだい? ここで命を落とすことになるかもしれないよ」


 左文字さもんじの答えは決まっていた。


恋音れおんに激しく同意だ。確認するだけ無駄ってもんだ」

「ふん。相変わらずバカだね」


れん左文字さもんじ。この裏の塀の向こうに、あの屋敷の裏側に続く道がある。そこから行こう」

「ふぅ~、分かったよ。その前にあんたたち顔かしな」

「うん?」


 袋から何やら大きな二枚貝の貝殻をれんは取り出した。そして貝殻の蓋を開け、恋音れおん左文字さもんじの額に赤い印を指でそっとつけた。


「これは?」

「しばらくの間、弱っちいあやかしからは気づかれにくくなるまじないさ。生きている者がいたら、使おうと思っていたんだけどね。私たちの役にもたつとはね」


 3人の額にまじないを施した後、「さぁ行こう!」 と、れんが立ち上がる。

 3人は小さく頷きあい、妓楼ぎろうの裏にある勝手口に向かった。

 そこには隣の屋敷との境目に大きな木が1本、堂々とした趣でひときわ存在感を放っていた。


「お前ら下がってろ。こんな塀くらいぶっ壊してやる」


 左文字さもんじが両手に唾をぺっぺっと吐き、近くに置いてあった大きくて重そうな斧を手に取った瞬間だった。


「バカ。よく見てみな」

「うん?」


 ひょいひょいっと軽やかに木に飛び乗る恋音れおんの姿がそこにあった。恋音れおんは木の枝に器用に立ち、屋敷の方を観察する。恋音れおんだけ見えている何かがあるようだ。

 それを確認すると、まるで猫が木から飛び降りるように音もなく恋音れおんは木から飛び降りた。


「この先に、扉がある。」

「おぉ~。じゃーこの壁をだな」

「待ってくれ、左文字さもんじ。壁を壊せば気づかれる。扉までの細道にさっきの骸骨がいこつあやかしが武装してうろうろしていた。ざっと見て3体」

「それは厄介だね。屋敷の方からその通路は見えるのかい?」


 恋音れおんは今みた景色を頭の中で再生する。不思議なことに、はっきりと鮮明に思い出すことができる。それだけ神経が過敏になっているのかもしれない。それとも……あやかしの血が成せる業なのか。


「いや、おそらく……音を立てずに奴らを仕留められれば、塀が高くなってるから、屋敷の方からは気付かれず中に入れると思う。あいつらは正面からの敵に備えているようだから」


 恋音れおんは、隣の部屋に置いてあった台帳をメモ代わりに、敵の位置を書き示した。あやかしは×印。人間と思われる武装した者は〇印。

 ここからは時間との勝負。一気に決着をつけないと敵に気付かれる可能性が高い。


「敵同士が近いな。1体ってる間に気付かれるぞ。ここは一気に」


 左文字さもんじの言葉を遮るように、れんがつかさず言葉を被せる。


「まずはここの敵を倒し、一旦体制を整える。裏口を守ってる奴に気付かれずにね。出来そうかい?」

「面倒だ。やっぱり俺が正面から敵を引き付ける。その間にお前らが裏手に回れ!」

左文字さもんじ……」


 だからお前は筋肉バカって言われるんだよ、とれんが深い溜め息をつく。


左文字さもんじ、弓を貸してくれ。私があやかしを上から仕留める。うまく行けば、二人とも敵に気付かれずに、木を登り塀を越えられる筈だ」


 左文字さもんじがごくっと唾を飲む。失敗して気付かれでもすれば、総攻撃を喰らうだろう。そうなれば左文字さもんじだけではない、みなの命が危うくなる。

 いや、今はそんなことを考える時ではない。人質を救いだし、生きて帰る。あやかしを残らず狩る! そのために来たのだから。

 左文字さもんじは意を決した。


「もしもの時は、俺が奴らをくい止める。後ろは任せろ」


 行こう! 恋音れおん左文字さもんじの大弓を背中にしょい木を登っていく。


「おい、弓の使い方は分かるのか?」

「あんた……何で下にいた時に確認しないんだい」


 れんは腕を組み、左文字さもんじを睨み付ける。


「大丈夫だ。左文字さもんじが使っているのを見たから」

「う、うん。まぁ~そうだろうな」


 ぐほっ。れん左文字さもんじの胸を拳で殴った。恋音れおんの方が数段しっかりしてるという意思表示だ。


「げほっ。ゴホッゴホッ」


 左文字さもんじは基本、筋肉バカなのだ。熱い瞬発力が売りなのだから仕方ない。深いことは考えない主義なのだ。


「うまく片付けられたら、この紐を引く。動いたら上がってきてくれ」

「お、おぉ」


 木の上から見る景色は先程と変わることはなかった。敵は恋音れおんたちを認識していないのだろうか? それは好都合だが……。弓を握る恋音れおんの手は、少し汗ばんでいた。


―― イメージするんだ。敵を倒すイメージ。喉を一発で仕留め、最後の一体が気付く前に狩る!


 恋音れおんはキッと目を見開き、弓を引く。


 ギギギギギギギギギッ…、シュッ! 

 

「グェっっっ」


 恋音れおんの放った矢が骸骨がいこつ武者の喉に命中した。あやかしは声をあげることなく膝から崩れ落ち、カタカタと音を立てて消え去った。

 続いて素早く放った二本目の矢が、奥の骸骨がいこつ武者の頭部を貫いた。


「ギャーーっ」

「外れたっ。」


 恋音れおんは慌てて飛び降り、刀を抜く。大声を出されたらこの計画は終わりだ。


 カタカタカタカタ、骸骨がいこつ武者が刺さった矢を引き抜こうと悶えている。そこに目掛けて恋音れおんは真っ直ぐに走った。


 そして一瞬骸骨がいこつ武者と目が合う。


―― ヤバい! 来るっ!


「ケケケっ」


 憎しみのこもった、それでいて寂しそうな目が恋音れおんを捉える。


 恋音れおんは迷わず刀を振り抜いた!

 

 その勢いで3体目のあやかしに向かって全力で走った。

 少し奥にいる骸骨がいこつ武者が恋音れおんに気付き、刀を振り上げ走り込んで来た。骨の上に重たそうな腹巻の甲冑を身にまとい、ゆらゆらとフラフラと駆け寄ってくる。


 走り続ける恋音れおんの目に、壁際に置かれている樽が映った。敵に刀が届くのはもう少し先。瞬時に判断した恋音れおんは、樽をめがけて駆け上がった。


 急に進路を変えられた骸骨がいこつ武者が戸惑う姿を他所よそに、恋音れおんは樽を蹴り、勢いよく空へ舞い上がった。そして、ちょうど骸骨がいこつ武者の背を取る形で着地し、疾風の速さで振り向きざまに刀を跳ね上げた。


 シュパッ。


 音と共に骸骨がいこつ武者の首が飛び、宙を舞う。そしてあっという間にちりと化した。


 一瞬の出来事で、奥の入り口を守っている武士たちは気づかない。

 れんが言っていた体制を整えられそうな場所。小さな倉庫のような小屋が、恋音れおんの姿を隠してくれていたのだ。


 恋音れおんの妖刀は、あやかしの血を吸い妖しく輝いていた。まだ血が足りぬと言わんばかりに。



 紐が動いた。計画は成功したという合図だ。

 れん左文字さもんじが顔を見合わせる。


「行くぞ」

「えぇ」

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