第8話 妖の支配 遊郭

 れんと合流したのは約束の明け方……とは言えず、少し太陽が上がった頃だった。


「遅い」

「すまねぇ」


 れんは先日と同じ遊女の様な格好に腰に大きめの袋をたずさえ、背中に大太刀を背負ってはいるものの、軽装と言える格好をしていた。そして腕組みをして仁王立ちのような恰好で左文字さもんじたちを待っていたのだ。


 一方左文字さもんじは、矢が詰まった矢筒に大弓、十文字槍じゅうもんじやりまで背負っているのだから、体がいかにも重そうに見える。


「ここから北側ルートを通って、遊郭エリアに入るよ」

「あぁ。やかた以外にいる人間はどおなってるんだ?」

「行ってみないとはっきりと言えないけど……悲観的なんじゃないかしら」


 恋音れおんが二人の会話に割って入る。


れん左文字さもんじ。私は助けられる命があるなら、助けたい」

「あぁ、そうだよな」

「ったく……あんたたち甘いわ」


 人を助ける余裕なんてないわよと、れんはぷりぷりしながら先に進んでいくので、恋音れおんたちはそのスピードに着いていくのがやっとだった。


 北側のルート、それは民家の少ない田園を通るルートだった。女衒ぜげんに買い付けられた少女たちが涙を流しながら通る道とも言われている。

 既に遊郭にあやかしが現れたことについて噂が流れているのだろう。今は誰もこの道を通るものはいない。


 しばらく進むと目の前に、お城のような塀に囲われた一角が見えてきた。


―― ここが……遊郭。


 塀の入り口は1つ。大きな立派な門構えで門の左右には朱色の街灯のようなものが建っていた。


「ついたのか?」

「えぇ。この先一番奥にある立派な3階建ての、あの建物だね」

あやかしがこの門を出てくることはないのか? 誰もいないようだが……」


 左文字さもんじは開け放たれている門から辺りを見回す。


「バカ左文字さもんじ! よく見てみな。先客がいるようだよ。あやかしがこちらに出てこられないよう、封印を施した奴がいる」


 れんは、門の両サイドにある盛り塩と地面に描かれた模様に手をかざし、そう教えてくれた。


「先客も生きていてくれればいいけどね」

れん、中に入ろう」


 恋音れおんはそう言い、一歩遊郭のエリアに足を踏み入れた。

 中は外側の世界と違い、どんよりとした空気が流れている。重たくまとわりつくような空気だった。


 あやかしや鬼の気配を気にかけながら、3人はゆっくりと前に進む。全体的に赤と黒で構成された街並みに、左右に妓楼ぎろうがずらりと並んで建っていた。

 妓楼ぎろうの入り口脇には赤い格子状の張り見世があり、妓楼ぎろうで売りに出されている遊女が客と出会う場所が存在しているが、もちろん今はもぬけの殻だ。


「誰もいないの……か?」


 恋音れおんは、初めてみる景色に圧倒されていた。夜になり妓楼ぎろうに明かりが灯された時、多くの人で賑わうこの街はさぞかし綺麗だっただろう、と想像する。だが今は誰もいない静かな街に成り下がっていた。


「門に近い人たちは、逃げられたのかもしれないわね」


 れんは再度、地面に手を当てながらそう呟いた。


「もう少し、先に進んでみましょう」


 左文字さもんじ恋音れおんも力強く頷き、れんの後ろをついていく。


 ガタンっ。


 妓楼ぎろうの1つから、扉が倒れる音が聞こえた。


恋音れおん、気をつけろ」


 左文字さもんじ恋音れおんを自分の影になるように右手で庇う仕草を、左手には大弓をしっかり握りしめる。


 一気に異様な緊張がその場に満ち溢れた。


「人の気配がする」


 恋音れおんはつかさず音のした妓楼ぎろうの方へ駆け出していった。


「待て! 離れるな!」

「ちっ。左文字さもんじ、追うよ!」


 左文字さもんじれん恋音れおんの後を追うように走り出す。1つ2つ……。空の妓楼ぎろうを超えていく。


 音のした妓楼ぎろうの張り見世から、髪は乱れ恐怖を顔に貼り付けた遊女が格子先から手を差し出していた。あまりの恐怖に声が出ないのだろう。喉の奥から搾り出すような声が聞こえた。


「あ”ぁ……。あぁ……」


 恋音れおんがその遊女の存在を認識したその瞬間だった。


 バンっと大きな音が響き渡り、続いて襖を蹴飛ばしドカドカと入ってくる足音が聞こえた。


 そしてそれは恋音れおんの目の前で起こった。


「いやぁぁぁっ」


 目の前で助けを求めていた遊女に、後ろから来た何者かが髪をひっぱりその遊女を畳の上に押し倒した。そして嫌がる遊女に馬乗りになり刀を振り上げたのだ。


「やめろぉーーーーっ」


 恋音れおんの声が遊郭の街中に響き渡る。その時だった。シュッっと恋音れおんの横をすり抜け風が起きた。

 左文字さもんじの矢だ。


 左文字さもんじの矢が張り見世の格子先の間をすり抜け、男の脇腹に命中した。と同時に、れんが現場に駆けつけ、遊女を抱き抱え男の刀を蹴り上げる。


 ドスン。という鈍い音と共に男は倒れ、男の持っていた刀が弧を描き離れた畳の上に突き刺さった。


 倒れた男はピクっと一瞬動いたがそのうちぐったりとして動かなくなった。自分に何が起こったのか認識する間もなかっただろう。


 見事な連携プレイだった。恋音れおんはただ……叫んだだけ。刀に手が触れていたものの、刀を抜くことさえできないでいたのだ。これが現実。鍛錬とは全然違うものだった。

 それに、相手は人間だったのではないのか? という疑問が恋音れおんの中でぐるぐると回っている。


「大丈夫か? 恋音れおん

「あぁ。私は大丈夫だ。彼女は?」

れんがみている。大丈夫だろ」


 左文字さもんじはそっと恋音れおんの肩に手を置き、張り見世の中に入っていった。


れん? その女は大丈夫か?」


 れんは寂しそうに首を横に振った。助けたはずの遊女は既にれんの腕の中ですごい形相で、息絶えていたのだ。よく見ると、脇腹あたりに何者かに噛みつかれ引きちぎられた跡がある。その部分だけぽっかり穴が出来ており、着物が血で染まっていた。元々赤い布の着物だったので遠目では気づかなかったのだ。


「で、こっちの男は人間か?」

「そうみたいね」


 れんは遊女をそっと畳の上に寝かせるように横たわらせながら答えた。このまま放っておけば、遅かれ早かれ餓鬼に喰われる。


 れんは遊郭の入り口で見たものと同じような結界をこの妓楼ぎろうに施す。そして、この妓楼ぎろうの1階広間で浄化の舞を踊った。

 それはあまりにも悲しく、あまりにも優しく、あまりも美しい舞だった。


「これで、しばらくの間ここは安全。あんたたちも何かあったら、ここに逃げ込めばいい。あやかしはここには入ってこれないからね」


 れんはそう言うと出口に向かう。そしてすれ違いざまに恋音れおんにこう囁いた。


「あんたはあやかしなんかじゃない。あの舞を見てなんともないってことはね」


 恋音れおんは意味がわからず、ポカンと立ち尽くす。何をれんは言っているのだ?


「ほら、先を急ぐわよ」

「相変わらず素直じゃないね〜」


 左文字さもんじはニヤニヤしながら、「いくぞ!」と恋音れおんを促す。


「あいつ、お前を初めて見た時……あやかしだと言っただろ? それを詫びたのさ」


 そうか……。そうゆうことだったのか。

 恋音れおんは元々れんの言葉を気にかけていたわけではないので、気づかなかったのだ。でも、なんだかれんに認められたような気がして嬉しくなった。


「お前たち! ぐずぐずしないでよ」

「あぁ〜今行く」

「あぁ」


 目的地は目の前だ。


 そして新たな謎が残る。


―― あの女……、生きている人間が喰われてたな。

 

 左文字さもんじは、れんの後を追いながら、先ほどの遊女のことを思っていた。


 どこからか逃げ出したと思われるその女を殺そうと追いかけてきた男。

 男の服装からして山賊か……。金で雇われた何者かなのか……。


―― 人とあやかしつるんでる。その可能性が非常に高いな。


 あやかしの臭いがさらに濃く、空気が濁っているような気がする。

 果たして、生きている者がいるのだろうか。

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