第3話 左文字との出会い

「ここにいたか。あやかし……。世話かけやがって」


 男の声が聞こえた。

 月明かりを背にしているので、声の主の顔や表情は見て取れない。殺される……。恋音れおんの緊張が一気に高まり、刀を握る手に力がこもる。


 男は一歩、また一歩恋音れおんに近づいてくる。居合抜きをする距離にはまだ少し遠いい。恋音れおんはじっと暗闇に身を潜め好機を伺う。


 ギギギギ……。


―― 何の音?


 シュッ。


 あっという間の出来事だった。シュッという音と共に恋音れおんは頬に風を感じた。


「ギャァーーーーーーーーーっ」


 男が放った矢は恋音れおんの真後ろにいる餓鬼の左肩あたりに命中した。

 餓鬼は勢い余って後ろに転がりぶっとばされ、岩にたたきつけられた。まだ息はあるらしく、手足がピクピクしている。


「ちっ。外れたか」


 恋音れおんは声のする方向に振り向き、何が起きたかを理解した。


 この男が恋音れおんの後ろにいたあやかしを仕留めにきたのだ。

 恋音れおんあやかしの存在に気づけなかった。後ろに何かいるなどという気配すら感じなかったのだ。


「大丈夫か?」


 男は恋音れおんの存在に気づき、まじまじと恋音れおんの顔を覗き込む。そして恋音れおんの刀に置かれた手をそっと刀から外させる。


 男の手はとても暖かかく、緊張していた恋音れおんの心を溶かすには十分だった。

 祖父左之助さのすけのことが、ふと頭をよぎる。

 だから、恋音れおんは男に対する警戒心を解いた。左之助さのすけの様に暖かく、彼の目に憎しみや恐怖などと言ったモノが見てとれなかったからかもしれない。


「ほぉ〜。これはまた不思議なあやかしもいたものだ」

「なっ」


 恋音れおんは瞬間的に、刀を握ろうとしたが男に遮られた。


「おっと、やめときな。その刀は売り物だろ? 一度血を吸わせた代物は、そのままでは売れなくなるぜ。刃こぼれなんかしたら、尚更だ。それより……、お前もあれが見えるんだな?」


 男は先ほどの餓鬼を顎でさし、恋音れおんに確認する。あれが見えるのか? と。


 恋音れおんにもはっきりと見えていた。突き刺さった矢に痛み苦しみ、手足をバタつかせている小さい鬼のような醜い生き物。痩せほそった体に腹だけが異常に出ている。頭は髪の毛が少し残っている箇所もあるが、禿げたように頭皮も乾涸ひからびていた。


「あれは何だ?」

「あれはな。餓鬼っていうあやかしの一種だ。人を襲い人の血肉を喰らう化け物だ。食べても食べても満足することがないから、また次の人間を襲う。そしてまた次を。その繰り返し」


 恋音れおんは醜い生き物、餓鬼から目が離せなくなっていた。


「ってか、お前そんなことも知らないのか?」

「あのまま放っておいていいのか?」

「あぁ〜、そのうち力尽きるさ」


 餓鬼は痛みに苦しんでいるように見えた。とどめを差してやることが情けというものではないのか?


「あ、おい」


 恋音れおんは餓鬼に近づく。まさか助けるつもりじゃ!?

 男は弓に手をかける。もし、恋音れおんあやかしを助けるようなことでもあれば、恋音れおんの急所に矢を打ち込まなければならない。あやかしではなく、同じ人間かもしれないのに……。男の額から汗が流れ落ちる。


 瞬殺だった。


 シュッと刀が空を切ったかと思った瞬間、餓鬼の頭が吹っ飛んだのだ。恋音れおんの居合抜きが餓鬼の体を切り倒したのだ。


 餓鬼は悲鳴もあげずちりと化し消え去った。



 後には男が放った矢だけが残されていた。そして恋音れおんは静かに刀についた鬼の血を払う。その姿は月明かりに照らされ神秘的な所作しょさとして男の目には映った。


「無駄に苦しめるのはお互いのためにならない」


 恋音れおんはゆっくりと男の方へ振り向いた。その顔は鬼の返り血を浴び、妖しくも美しく、悲しみに満ちていた。


「そうだな。お前……。名前は?」

「……」


 恋音れおんはじっと男の顔を見つめていた。

 男には、鍛上げられた体に無数の傷がある。きっと多くの修羅場を経験してきたのだろう。腰に刀、背に矢筒を背負い、今は左手で大弓を握りしめている。よほど弓には自信がありそうだ。


「名前、ないのか?」

恋音れおん

恋音れおんか。良い名だ。お前、行くところがないなら俺と一緒にこないか?」

「お前は……誰だ?」


 恋音れおんが刀をさやに戻しながら確認する。


「俺か? 俺は左文字さもんじ。人々から依頼を受けてあやかしを狩って金銭をいただいている、あやかしハンターっていったところかな」


 左文字さもんじあやかしを狩ることをいとも簡単に軽く説明する。


左文字さもんじ、お前も私を狩るのか?」

「どうかな? お前が人間に害をなすものだと分かったら、その時は狩らしてもらうよ」


 左文字さもんじは落ちた矢を回収しながら、少し寂しそうな顔をしていた。本当はあやかしを狩ること自体、心を痛めているのかもしれない。


 そんなことを思いつつ、恋音れおん左文字さもんじについていくことに決めた。左文字さもんじの言葉に嘘がないと思ったからだ。

 里に下りてきて、初めて信じても良さそうな人間に出会えたのだ。何より恋音れおんのオッドアイの瞳を見ても左文字さもんじは驚かなかった。あやかしだと思っていても、敵意や恐れは全く感じさせない。




 月明かりの中、二人が出会った里から川の上流付近に左文字さもんじ住処すみかがあると言う。「少し歩くが大丈夫か?」と左文字さもんじ恋音れおんを気遣うことを忘れない。


 大人と、そしてまだ幼さの残る少女。月明かりに二人の影が長く伸びていた。


 恋音れおんの新たな道が開かれたのだ。

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