第29話
エレナは瑠偉に適当な嘘をついて、大吾とよし子から離れた。こういう場合、一番御しやすい人間と一緒にいると落ち着くからだ。
大吾は力で競り負ける可能性があるし、よし子は手負いだからいざという時お荷物になる。瑠偉に対する懸念点はほとんどない。瑠偉一択だろう。
最奥の扉を選んだ理由については本当に直感だった。理由なんてない。
瑠偉を引っ張り、目の前に光が見えた時のストロボ効果で、エレナもまた一瞬で記憶の旅路に出た。
円形広間の小部屋で見た教師の姿。副担任だった教師の馬込だ。二ヶ月後の誕生日を迎えるとちょうど40歳になるはずだった。もう死んでいるから享年39歳、死体は秘密裏に処理されて見つからないだろう。行方不明者としてカウントされる。
馬込はエレナと不倫をしていた。誘惑したのはエレナからだ。決して目立つようなタイプの教師ではないが、エレナの毒牙に驚くほど簡単にひっかかった。
もちろんエレナには、大学進学のための口利きをしてもらうという目的があった。それでも馬込は嬉しかった。ほんのすこし、口添えを約束するだけでエレナと幸せな時間を堪能できるからだ。
数ある教師の中でも制しやすく、それなりの力を持っている者を探し出すエレナの嗅覚はさすがだ。誇ってもいいスキルだろう。
「先生ー次のテストなんだけど」
「大丈夫、わかってる。明日には渡せると思うよ」
「さっすが、仕事早い!頼もしい~」
いつものホテルのベッドの上で、エレナは馬込にじゃれついた。長毛種の猫のようだ。エレナの金髪がさわさわと頬にあたって心地よいようだ。
エレナは定期テストの問題を事前に用意してもらうことは日常茶飯事だった。遊びに忙しいからもちろんまともに勉強などしていない。でも、それなりのキャンパスライフは楽しみたいからテストで赤点連発では困る。ではどうするか。
馬込に融通してもらうのが最適解だ。
「でも、先生もテスト準備であまり時間ないから答えまでは用意できないぞ。問題用紙だけ」
「大丈夫、そこは自分で何とかするから!」
エレナのために、回答を入れてくれる男はまた別に何人もいる。
エレナの高校生活は、本人の中では至極順調だった。自分の見た目と可愛らしさアップの演出で、ころころと周囲の人間を転がしていった。自分は人を使う側の人間だと自覚し、人生をチートでクリアするための努力は惜しくなかった。
「エレナの誕生日さ、奥さんが友達と旅行に出かけるんだ。だからうちでお祝いしよう」
馬込の提案に、エレナは大喜びした。馬込に本気で恋をしているわけではないが、奥さんと自分、どちらが馬込の愛を多く受けているかを計ることは大事なことだった。
奥さんと生活している家に不倫相手を招くということは、つまり奥さんにエレナが勝利したということだ。これまでも度々、家に行きたいとねだったが叶ったことはなかった。それが自分の誕生日に遂に実現する。
「わー!先生のおうちで祝ってくれるの?嬉しいー」
また馬込に抱きついて、最大限の愛情を表現する。
馬込の家は、学校から数駅離れた住宅街にある。事前に馬込と色々と口裏をあわせていた。
エレナは当日一度家に戻り、私服に着替えること。帽子を着用して目立つ金髪を隠すこと。
エレナは直接、馬込の家を1人で訪れること。馬込と一緒に歩いているところを近所に見られないためだ。
集合するのは夜の8時。日が落ちて、ほとんど人相の判断が出来ない時間に設定した。
ぴんぽん、を押しそうになった。打ち合わせでは事前に鍵は開けておくから、チャイムは鳴らさずに入ることを約束していた。危ない危ない、とエレナは静かにドアをあけて体を滑り込ませる。
玄関に入るとすぐに馬込が出迎えて、熱烈なハグ。リビングにはすでにご馳走が並べられていて、プレゼントも用意されていた。これらは馬込が用意したものだが、エレナは家の他の部分の観察も必死だった。
部屋全体のインテリア、掃除が行き届いているか、食器や小物のセンスも自分の中で点数化していく。馬込がこういうものに無頓着なのは分かっている。だから奥さんの趣味が色濃く反映されているはずだ。
奥さんがせっせと築き上げている幸福な家庭を、エレナは蹂躙しにきているのだから。
エレナはここでも満足だった。他人の家庭に土足でダンスをして、背中をゾクゾクと快感がかけていく。馬込の奥さんはいい趣味をしていると思った。センスもいい。自分で色々と時間をかけて買いそろえているのが分かる。だからこそそんな奥さんにエレナが勝利したということに意味がある。
しかし、エレナは馬込の家庭を壊したいわけではない。髪の毛を目立つところに落としたり、わざと私物を隠すように忘れていって、奥さんに不倫を気付かせるような工作をするつもりなんて一切ない。
あくまで馬込は通過点だ。無事に大学に進学したら二度と会うことはない。次のターゲットに乗り換える。
食事を堪能して、プレゼントでもらったネックレスに泣いて喜ぶふりをして、2人は寝室にいった。
カシャ。
シャッター音で目が覚める。エレナを見下ろしてスマホをかざしている馬込がいた。
「ちょ、もしかして撮ったの??!!最低、消してよすぐ!」
エレナは瞬時に起こったことを理解すると、布団で体を隠しながら飛びかかるように馬込に飛びついた。
「だいじょぶだいじょぶ。個人で楽しむようだから、ネットに出したりなんてしないよ。本当だってば」
わははと笑う馬込が、これほど憎いとは思わなかった。
「そんなの。個人でって言ってもあたしは嫌なんだってば。ねぇ、お願いだから消して」
今度はしおらしく哀願スタイルでいく。
「エレナとこうして過ごせる時間もいつまで続くかわからないから、思い出として、ね」
馬込ははぐらかして、データを消してはくれなかった。
さらにエレナを苛つかせることを言う。
「せっかく家で迎える朝だからさ、君が朝食を作ってくれるんじゃないかな~とか期待してたんだけど。気持ち良さそうにずっと寝てるんだもん。
起きると、君が昨日渡したネックレスをつけながら、身支度している姿を見るっていうのも少し夢見てたんだよ」
はぁ???何だそのわけのわからん夢。勝手に夢見て、勝手に失望して、裸の写真撮ったってこと??意味わからん!
怒りをこえて憤怒の感情が全身にぐわっと広がる。自分でも頬が引き攣っているのをエレナは感じていた。でも、まだここで爆発してはいけない。高校にいる間は馬込との繋がりが切れてしまっては、ここまでの努力が台無しだ。
「え、料理なんて出来ないよ。身支度だって、あまり勝手に動いたら、家のあちこち掃除するの大変じゃん。あたしがここにいることは絶対に奥さんにバレちゃいけないんだからさ」
なるだけ声に震えが出ないようにしながら、言葉を選ぶ。
「まぁそれもそうか。でもさ、やっぱり憧れっていうか。君が奥さんになって料理したり、化粧したりって可愛いなぁ~って。
それに奥さんに追求されてもしらばっくれる自信はあるよ」
頭がクラクラする。こいつは何を言ってるんだ。エレナは脳内で何度も馬込に対して唾を吐いた。これはビジネスライクな関係だったのに、何がエレナが奥さんになって、だ。
自分の家というテリトリーの中だと、この男はどこまでもバカな妄想を広げていくのだろうか。サムい。
さっきまでは関係を続けようと思いもしたが、エレナの中で馬込を早めに処分することが使命になっていた。
あの小部屋で、あんな形で再会出来たのは運命だと思った。なるべくして、なったのだ。やっぱり神様は美人の味方なんだと、無駄に天に感謝した。
なるだけ、みんなの命を優先するためには仕方のないことだったという演技をしなければ。
馬込に繋がっている鎖は思っていたより随分と軽かった。馬込が苦しむ顔を見て、顔がにやけてしまったから、途中で麻袋をかぶせた。
大吾と和法にバレないように。深く悲しみながら重い十字架をかされた悲劇の美少女という設定を通した。2人はエレナの本心に気付いていないだろう。
大吾と和法が出て行ったあと、吊られてまだぷらぷらと揺れる馬込を見上げて、
「明日、天気にしておくれ」
ふざけてエレナはにやりと笑った。
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