第31話

 瑠偉の目の前に佇む人影が目に入ったからだ。あの横にまるんっとした落ち着くフォルムは

「隈さん?!」

 調理場の床にうずくまっていた隈、大怪我をして意識もほぼなく置いてきてしまった隈が通路の奥に立っている。置いて先に進んでしまったことがずっと瑠偉の中では引っかかっていた。

 左肩を壁につきながら、ふらふらとしてはいるが生きている!

瑠偉はエレナを追い抜き駆けていき、隈の目の前で止まる。

「隈さん、良かった!また一緒に行こう。さっきは置いていっちゃってごめん。

怪我はもう大丈夫??」

 強烈な光は、熊の胸元につけられていたライトが発しているんだと気づく。

「う、ん。まだ、大丈夫。お菓子、ありがとう。瑠偉がくれたんだよね。

甘くて、うれし、かった」

「うん、気が付いた時にちょっとでも回復になればと思って」

途切れ途切れの言葉だが、何を言いたいのかは伝わる。

 数時間ぶりの隈との再会で、胸があたたかくなったのもつかの間、瑠偉は隈の様子のおかしさにも気づいていた。


 隈の右手には大きな包丁が握られていた。握った包丁を落とさないように、隈がつけていたベルトで手にぐるぐる巻きで固定されていた。

「隈さん?」

 隈の目には憎悪、殺意が宿っているのが瑠偉から見ても分かる。

「それ、その包丁どうしたの。何に、使うの?」

隈は足を引きずりながら前に出た。そして、大怪我をしたとは思えない早さでエレナに突進していく。獲物はエレナだった。


「エレナさん、危ない!!」

 瑠偉が言うよりも早く、エレナは後ろに駆け出した。

隈のダッシュに驚き、どう反応していいか分からない。もう瑠偉のキャパを超えてしまっているから。

おぉおおぉおぉお、あぁぁあああああんんん。

 またあの鳴き声がする。

「あぁ、うるさいな!!今は黙ってて!!」

頭を掻きむしり、瑠偉のキャップが床に落ちた。


 隈が闇雲に包丁を振り、エレナに迫っていく。エレナは叫び声もあげず、来た道を引き返していく。相手は相当な手負いだが、最後の力とばかりに追いすがってくる。手には包丁をしっかりと握り、エレナを刻もうとしている。

「これ、完全に正当防衛ってやつだよね。

チッ、通路の幅が狭いから隈の横を通り抜けるって出来ないし、扉まで戻ってもあそこはもう電子ロックで開かない。

ムカつくんだけど!!」

 振り向いてエレナは隈の腹部目がけて蹴りを繰り出す。

「がっ」

 隈の腹部は、先ほど一部を寸胴に入れられている。肉を切り取られた場所をえぐる痛みに隈は怯みそうになる。が、こらえて右手を振り下ろす。

 ザパッとエレナの右ふくらはぎに切り傷がうまれ、鮮血が散る。

「いった!!」

 エレナは軸にしていた左足をひねり、尻餅をつく。目の前に迫る隈。

「ちょっと、マジでなんなの。何してんのよ、痛いじゃない!

出血しすぎて、頭バグったんじゃないの?!

靴も台無し!」

 ざんっと風が斬られるような音をエレナは聞いた。直後、左の首に温かい液体を感じる。手を添えると、べたっと濡れている。手を目の前にもって見ると、真っ赤だった。血だ。エレナの血だ。

 左耳が斬られたと認識した直後、エレナは服の下に隠していたナイフで応戦する。判断が遅れた。でももう次はない。

通路をふさぐように隈はいる、真正面から立ち向かうしかない。ここでやられる訳にはいかない。


 エレナは隈にトドメを刺すため、ナイフを強く握って前に突き出したまま直進する。隈は先ほどのダッシュで消耗しており、ぜえぜえとうるさい呼吸を続けている。

これなら、隈の心臓を一突きできる。

「とっとと、死ねよー!!!!」

 咆哮とともにエレナが狙った通り、ナイフがずっぷりと隈の体に深く突き立てられた。

「心臓刺されたら、さすがに無理でしょ」


 にかっと笑い、最期の顔を見てやろうとエレナが隈を見上げる。

隈の目はもう何も見えていないように思えた。しかし、隈の右手は包丁を振り上げて、下ろしている。エレナをまっすぐに狙って。


 エレナは頭部に包丁を突き立てられた。

「へあ、これダメなやつじゃね?」

 隈の包丁はエレナの頭部をさっくりと割っている。包丁を無理矢理抜くと、隈は満足げに笑う。

「は、はは、はは。バーカ」

 どだんっと隈が床に突っ伏した。もう死んでいる。


 恐ろしい出来事を、瑠偉はただ遠くから眺めていた。何もできない、わからない。隈の凶行の理由も、なにも。瑠偉のいる場所まで、血の匂いが漂ってきた。これは演技なんかじゃない、現実なんだと嗅覚が知らせると、瑠偉は吐いた。

石床にびちゃびちゃと胃液を撒き散らかす。


「あぁ~ダメじゃない。汚しちゃ」

 頭上から声が聞こえて、瑠偉はハッと顔をあげる。

顔を真っ赤にして、頭蓋の中を一部お披露目しているエレナが立っている。

「なんで、私がこんなことになったのか。そうか、あんたのせいか」

エレナは納得したように、瑠偉を見る。

「このクソガキ、あんたさっきの立て看板の注意破ってるじゃない。

だから隈なんかと遭遇しちゃったんだ。クソ、クソ、クソ!!!」

 エレナが石壁を叩いている。手にはナイフを握ったままだ。

「分かってたら、あんたを選ばなかった。クソ、よし子を選ぶべきだった。痛い、腹立つ、死んじゃいそうなんですけど!!

ねえ、聞いてますかー!!

隈をやったからあと2人だったのに。悔しい!お前らもとっととやっとけば願いを叶えてもらえたのに。

もうわかる、あたし死んじゃうって。でもただでは死なない。

絶対にお前らには償ってもらう、死んで償ってもらう!!」

 正直、エレナが何に怒り、何を言いたいのかミリも分からなかった。ただひたすらに激しい憎しみを自分に向けているのだということはわかる。その目で睨まれただけで、足がすくんだ。

 もうダメだ。瑠偉が顔を伏せようとした時、脳内に声が響いた。

「瑠偉、顔をあげて!大丈夫、怖がらないでいい。あと1歩、後ろに下がるだけでいい!!」

「あああああああああああああああああぁ!!!!」

エレナの絶叫の中、瑠偉が小さく一歩後ろに下がった。


 大きく口をあけたまま、がだっと膝をついてエレナは動かなくなった。エレナのナイフの切っ先は、瑠偉の眼前に振り下ろされていた。一歩下がらなければ、瑠偉の頭も血にまみれていただろう。

「ありがとう、助かったみたい」

「うううん。早くこの通路を出ましょう」

「うん」

 瑠偉は立ち上がると、隈が出てきた扉に向かって歩き出した。

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