第26話

 あいつ、絶対に許さない。道連れにしてやる。

隈は床に広がった自分の血の海の中で、呪詛の言葉を繰り返す。血を失うと寒いと聞いたことがあるが、怒りのおかげで体の芯はまだまだ熱をもっている。

 左腕があった場所には、まだ左腕の感触がある。本当にファントムペインがあるんだと、どこか他人事のように隈は笑う。こんなにあっさりと腕をもっていかれるなんて、誰が想像していたろうか。

「は…は…」

 声はもう出ない。無理に出そうとしない方がいい。少しでも復讐のために体力をとっておかないと。

あの人がくれた薬が利いてきている。痛みは薄れていき、壁に手をつきながらだが立って歩ける。


 あいつはなんて言ってた?半笑いだったよな。

こんなに肉ついてるなら、多少なくなっても大丈夫。ダイエットだと思えばいい。そんなふざけたことを隈の耳元で言いながら、あいつはさくさくと作業をしていた。

 抵抗できなかった、する間もなかった。隈には悔しさもある。助けすら呼べなかった。気付いたら何も出来なくなっていて、血だまりに座っていた。

 絶対にあいつを殺す。隈に残された時間はほとんどない。それは本人が一番よくわかっている。だから、最後になし遂げるべきは、こんな体にしたあいつへの復讐だった。

 自分が死んだら、両親が悲しむ。もう少し真面目に音楽をやっていればよかったと思う。怒りのあとには急に後悔と懺悔が襲ってくる。その両親の無念も一緒に、あいつにぶつけてやらなければ。


 あの人はなんて言ってたっけ。たしか食堂の水槽から行けるって言ってた。早く行かなければ。

ずずずと足を引きずりながら、隈は食堂の奥へと消えていった。


 サブローは広間を出ると、さらに下の階に向かっていく。

「やっぱり埃っぽさに難点ありですね」

 タブレットには気になった点をどんどん書き込んでいく。人をどんどん葬る場所だから、綺麗にしておく必要はないが、裏方にはしんどい環境だ。

何をするにも不便、まぁ便利であってはターゲット達が有利になってしまう。

「タワマンの一室とかの方が、逆にいいかもしれませんね~」

 ほわほわと言いながら、タブレットに視線を向けたまま器用に歩いていく。目的地まではもう少し。


 ジロー達には言わなかったが、調理場で少しだけサブローはシナリオにないことをやってみた。どうせまともに進行できていないのだから、これくらいの細工は許される。

 目的の扉をあける前に、サブローはマスクをする。服装にあわせた真っ黒マスク。そして眼鏡をかけて、RECボタンを押す。あとで参考資料として提出するためだ。

中に入ると、室内はしんと静まりかえっている。

「やっぱり電気消し忘れてますね。死体には、明りなんて必要ないでしょう」


 サブローはまず、壁に張り付けられている男の元に向かう。脱力した男は、手首に体重がかかったせいか若干腕が伸びていた。

サブローはてきぱきと男を観察を続ける。

「めだった外傷もないので、ショック死ですかね」

 雑な所感を録画におさめる。壁の男の死因なんて、誰が気にするだろう。適当でいいんだ、適当で。この後、ゴローがせっせとねこ車いに乗せて処分するだけなのだから。


 サブローの主人は、いわゆるモンスター社員を成敗したいと思いついた。どうして他人に酷いことが出来るのか、本人たちにインタビューをしたいとも。

自分と彼らの違い、そして彼らの存在意義を証明したいと。

 だから死ぬか死なないか、ぎりぎりの方法をとりたいとおねだりしてきた。

タブレット越しに、主人がこの部屋で何をしていたのかを見守っていた。

主人は段々と壁の男と台の上の女のレポートを読んでいくうちに、こんなやつらに存在意義なんてないんだという顔をしていた。

 サブローにとって、新しい主人の表情というのは何よりの宝物だ。そんな顔するんですね、とタブレットにほうぅと息をついていた程だ。


 男には、ただの虫の死骸を食べさせていた。ミスリードとして生きた虫を眼球にはプレゼントしたが、口内に突っ込んだ虫はすでに死んでいた。つまり、男の腹の中を食い破ることなど一切ない。

しかし、男にはそれを見ることも、感じる術もなかった。ただ眼球をむしゃむしゃじゅくじゅくと食べられた感覚が、錯覚を起こさせた。

 きっと食道も、胃も、どんどんと噛まれて、体内から虫の食糧にされるんだと男は思い込んだ。だから、思い込みで死んだ。バカみたいだ。


 男の観察を終えると、後ろの台上で寝ている女の観察にうつった。

「うわ、ひどいなぁ~」

叫び続け、恐怖と絶望を全身で感じたのだろう。崩れきったメイクは、ホラーを通り越しギャグのようだった。

汚物もまいて、ありとあらゆる呪いの言葉を吐き続けた女は、醜さを極めていた。

 ふっと壁の男を見て、もう一度女を見る。

「まだ、男の方がマシな仕上りですね。こちらもショック死ということで」

サブローは早々に女の死体から離れる。

 女の足裏には一切傷がない。当人は斬られたと騒いでいたが、主人は金属のマドラーでなぞっただけだった。それを刃物だと思い、自分の出血が止まらないと思い込んだ。主人はそんなこと、一言も言っていないのに。

 水が落ちる音なんて、最初からずーっとしている。今もしている。

天井の雨漏りの音も認識していなかったということだ。

「こういう人達は、他人にひどいことをするというコマンドしか持ってないんですね。無自覚無意識無反省とタチが悪い。

 他人をはなから信じない。信じてもらったこともないから。

話もちゃんと聞かない。聞いてもらったことがないから。

だからまぁ、自分の思い込みで死ぬっていう結末になったんですよね。

あ、だから自殺ですね、うんうん」

 サブローは1人納得すると、RECボタンを押して録画を止める。

タブレットにテキストを打ち込む。


 ゴロー、ここの清掃もよろしく。

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