第11話

 その日は佐藤和法(さとう かずのり)にとって忘れられない日になった。


 小さい頃、『泣いた赤鬼』の話が大好きだった。青鬼との別れは切ないけれど、赤鬼と青鬼の友情に感動した。自分よりも友人ために動ける人(鬼)はカッコイイと思った。本当の主人公は青鬼なんだと母親に力説していたことも覚えている。


 和法は他の子どもたちに比べて、成長が早かった。整列してもいつも最後尾だったし、かけっこをしてもいつも一番だった。小さいうちはケンカも手がでるのが当たり前だが、和法が手をあげると相手の被害はシャレにならなかった。手加減を知らない殴り合いが起きると、大人たちは必死の形相で和法だけ羽交い締めにした。

 幼稚園に入ってすぐに、番長的なポジションに置かれていた。友達には囲まれていたけど、段々と溝があるように感じられた。

【恐怖】の記憶が、友達の顔にはりついているのが見えるようだった。友達は和法が近づくと露骨に逃げたり、遠巻きにひそひそと話して笑っていた。


「赤おにが泣いたワケがわかった気がするよ」

 家で絵本を広げながら、母親に和法は話した。きちんと言語化して、他人に思いを伝えるという力も早熟だった。

「何もしてないのにこわがられるのって、悲しいんだね。なかよくなりたいと思ってるのに、ひとりぼっちだもん」

 絵本のページをめくる。

「でも、青鬼のおかげで人間ともお友達になれたでしょ」

母親は掃除の手をとめて和法の横に座る。

「でもさ、でもさ、青おにはいなくなって、赤おにはいちばん大切な友達とあえなくなっておわるんだよ。かわいそうだよ」

「そうね。じゃあ今度は、怖がって逃げる人間になって考えてみるのはどう?」

「人間の?」

「自分よりも力が強くて大きくて、肌の色も違うし、角も牙も生えてる。そんな自分たちとは違うことだらけの鬼が来たら、驚くでしょう」

 和法は想像する。自分の目の前に、今、赤鬼が現われたら。大きな金棒を担いで、地響きつきで闊歩してくる。

「こわw」

 母親に笑顔を見せる。

「でしょう。知らないことを知るのも勇気がいるの。

わからないものが目の前に急に出てきても、どうしよう!っておろおろしちゃうでしょう」

「うん、そうだね。赤おにが来たらにげるね」

 きゃっきゃと和法は笑っている。

「だからね、自分が優しい人間だとわかってもらう努力は続けないと。

人は人の中でしか生きられないんだから」

「うん、お母さんありがとう。

あ、でもさ、青鬼も幸せになれる方法はなかったのかな」


 和法が優しい子だということを母親は一番知っている。だから幼稚園で少し浮いてしまったことに胸を痛めた。だからこそ、和法が元気に成長できるように可能な限りのサポートをした。

 有り余る体力は、運動系のクラブにいれて発散させた。本が好きだった効果なのか、綺麗な文字を書きたいというので習字にも通わせた。


 和法は高校の最後の学年を謳歌していた。体力もあり、運動神経も申し分なかったのでしょっちゅう運動部の助っ人にかり出されていた。母親への感謝は言うまでもない。

 球技もランも強いなんて、どこの部活も和法を欲しがったが和法は生徒会に所属することを決めていた。美文字がかわれて、書記担当になった。

見た目の怖さは相変わらず、というよりも加速度を増していたが、それも含めて自分の魅力だと胸を張っている。逆に見た目そのままのアウトローを気取ることもあった。その魅力に惹かれる人も多かった。


 今日、生徒会活動最後の日だった。部室ではささやかながらパーティーを開いた。生徒会を通じての思い出や、他愛もない話を顧問の先生と、後輩たちと大笑いして楽しい時間だった。

 帰り道、1年生の会計担当の女子生徒にデートに誘われた。あれは、デートだと思う。2人で次の日曜日、映画を観ようと約束した。幸せしかなかったはずなのに。

 

「…輩、先輩…起きてください…は…く……きて…」

 肩を揺すられて、和法は目を覚ました。さっき一緒に帰っていた会計の女子生徒の声だ。体を起こすと、目の前に女生徒も和法と同じように地面に寝そべっているのが見えた。

「はは、どうした。あれ、なんでこんなとこに寝てるんだっけ。

制服汚れるぞ。起こしてやる」

立ち上がり、彼女を起こすために手を差し伸べた時に、やっと気付いた。

 真っ赤な血だまりの中に、彼女はいたのだ。背中や足に赤い傷が走っている。腰の部分は不自然にねじれている。うつぶせのはずなのに、つま先は空を向いている。

「っ、大丈夫か。どうした、これ、怪我。救急車呼ぶ!」

すぐにズボンのポケットを探るが、何も入っていない。ブレザーにいれたんだっけと、ブレザーの内ポケットも、全身まさぐるがスマホの感触はなかった。

「ごめん、スマホ貸して」

 彼女の答えを待たず、血が手につくことも介さず、スマホを探す。見つからない。

「先輩…私はもう。

 …先輩だけでも、逃げてください。あいつが、来ちゃいます…」

口からも血を吐きながら言うと、彼女はプツンと糸が切れたように首から力が抜けた。

「あいつって、なんだ。とにかく、早く、下りないと。待ってろ、必ず戻ってくる」

和法はまだ彼女の命を諦めていない。


 ガサガサと木々の間を抜けて、下へ下へと走り抜ける。あちこちの枝や葉で、皮膚が引っ掻かれるが気にしない。

「っっ、いやぁだ、来るな!殺すぞ!!」

叫び声が聞こえて、咄嗟に木の陰に隠れる。見ると同年代くらいの女子がライターをかざして吠えていた。

「はったりじゃないから、燃やすから!あんたを!」

そういった瞬間、彼女の懐に黒い人影がぶつかる。持っていたライターが落ちる。

「まだ、足りない。まだやらないと、終わらない」

そう言った黒い影と、和法は目があった気がする。


 あの黒い影はまずい、きっと彼女を切り刻んだのもあいつだ。殺人鬼だ。本当にあんなにためらいなく人を殺す怪物がいるんだ。

昔絵本で読んだ鬼よりも小さい。冷静に、鬼なんていない。あの黒い影は普通の人間だ。でも、本能がビービーと警報を上げ続けている。


 とにかく、逃げろ。


 和法は酸欠でぶっ倒れるまで、走り続けた。まだ彼女を救うことも諦めてはいない。ひとまず、あの黒い影からは逃げ切らないとダメだ。

 そして今、冷たい石壁に囲まれた部屋にいる。シャツには血のあとがべったりとついていた。彼女の血だ。夢ではない。

 さっきまで、やばい殺人鬼に追われていたんだ。冗談じゃない、あんな怪物は生かしておいてはいけない。絶対に殺す。少なくとも2人は被害者が出てる。もっと被害が拡大する前に、この世から抹消しないといけない。


 奥歯を噛みしめすぎて、こめかみが痛い。あの殺人鬼を早く討ち取ろう。鬼狩りだ。

 和法はガンガンと扉を叩き続けた。

「開けろ、開けろ、次に俺と会った時がお前の最期だ」

ガンガン、ガンガン。

 扉のすぐ近くに、誰かが近寄ってくる気配を感じた。油断はしない。素手でも構わない、やってやる。

ガンガン、ガンガン。


「聞こえますか??こちらからは開かないみたいです。

そちらから開かないですか???」

 おっとりとした口調の声が聞こえてきて、和法はいっきに毒気を抜かれた。

「子どもか?」

 さっき見た殺人鬼は、子どものサイズ感ではなかった。陽炎のようにゆらゆらとして実体が掴みにくかったが。

「ちょっと試してみてください。多分、開くと思いますー」

和法の声が届かなかったのか、扉の向こうからは変わらずおっとり口調が聞こえた。


グギ…ギギギ…

 扉は多少さび付いていたが、和法の力で難なく開いた。

「なんだ、鍵かかってないのか」

 頭にのぼっていた血が、思考を鈍らせていた。ダメだ、興奮状態ではまともな判断ができない。冷静に、相手を仕留めなければいけない。

 瑠偉と大吾が、和法の様子を黙って見ていた。1人で騒いでいた和法はどんな顔をしているのが正解か、定まっていない。

 そこに、脳天気な女の声が響きわたった。

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