第10話
白雪よし子(しらゆき よしこ)は、ぼぉ~っと部屋の中央に立ち尽くしていた。小さい頃から、要領が悪い方だったと思う。ぼぉ~っとしていても、周囲が色々と世話をやいてくれるから。
美人は人生で得をする、を地でいくのがよし子だった。『欲しい』なんてワードを発さなくても、美味しいもの、可愛いもの、素敵なもの、憧れのものがよし子の周りには溢れていた。
家族、親族はとにかくよし子を愛でた。子どもでも美人は美人だ。成長するのが楽しみだと、会うたびにたくさんの大人から言われてきた。
同級生も先輩も後輩も、教師たちもよし子の可愛さに骨抜きにされた。
こういう場合、多少はやっかみ部隊によるいじめもあるものだが、よし子にはそんなイベントは起こらなかった。
よし子へのいじめが起こる前に阻止してくれる、完璧な部隊が編成されていたからだ。よし子に対してマイナスの感情をもつ者は、近づくことすら出来なかった。
お姫様っぷりはますます磨きがかかった。周囲が懸命に毒となるものから遠ざけようとしてきた成果で、よし子はまっすぐに育った。欲らしい欲もなく、自分の持っているものは皆に分け与えようという優しさもある。美人には心にも余裕があるから、美しさに磨きがかかる。
【白雪】という名字そのまま、よし子だけは白雪姫のように育ったかもしれない。自然を愛して、動物にも好かれて、人が持っている悪意なんて知らないおとぎ話の世界の住人。
その生き方が果たして幸せなのだろうか。誰か守ってくれる人がいなければ、風が吹いただけで死んでしまいそうな危うさも持っていたからだ。
このままではよくない。よし子も人並みになりたいと思うようになった。よし子のファンには怒られない程度に、恋もしたいし、友人と寄り道もしたい、部活で先輩と汗を流したい、地域のイベントに顔を出してみたい。
たくさんの人と接すると、そこには悪い人も潜んでいる。自分を大事にしてくれる人ばかりではない。だからよし子の交友関係の顔ぶれは一切変化していない。これでいい訳がないと、よし子は自己改革を実現しようと心に決めたのだが。
あっという間に、高校生活も折り返しに入ってしまった。
やりたい事、したい事をToDoリストに書いて、終わったら可愛い済スタンプを押そうと思っていたのだが…
あの時決めた改革の一行目すら完了していない。
「……」
ただよし子は立っている。ここにはチュートリアルはない。アドバイスを囁いてくれるお節介さんもいない。だからどうしたらいいか分からないので突っ立っている。
よし子は燃えている山裾を眼下に見ていた。まだよし子が立っているところまで炎は来ていない。だからぼさっと突っ立っていられる。
このままでいたら死んでしまうということは、さすがのよし子も分かる。でも、よし子の脳内に選択コマンドは1つも出てこない。この思慮の浅さこそ、致命的なのだ。
悲鳴のような、雄叫びのような声も聞こえる。山には逃げ惑っている動物も多くいるのだろう。そうだ、逃げないと。
よし子はやっと駆け出したが、すぐに木の根に躓いた。ローファーが山道にむいていないということは、よし子の知識になった。
「そっか、そうだよね」
怪我はない。よし子はすぐに立ち上がると歩き出した。今度は無闇に走ったりはしない、成長している。
そして今。石造りの建物の小部屋の中にいる。
よし子もやっぱり、あの山からこの石の部屋に来るまでの記憶がぶちっとないのだ。体はぴんぴんしている。
睡眠薬を使うと体調不良が起こることがあるという。だから睡眠薬ではない、けど医学の進歩は凄まじいから、もしかしたら体調に一切影響がない薬が開発されているかもしれない。
あとはどんな可能性があるんだろう、うーん。うーん。よし子はうなり続ける。うなって名答が出れば苦労はしない。今のよし子がするべきは、飽きるまでうなることだけだ。
「うん、ひとまず出ようかな。ドアあるし」
指をパチンと鳴らす。最近出来るようになった指パッチン。室内に気持ちよく響いた。
扉は音もなくするっと開いた。思い切りよく、よし子は広間に出た。
よし子は少しガッカリした。こういう時は扉が開かなくて、知恵を絞るというのが相場ではないのか。こんなに苦もなく開いてしまう扉の存在価値なんてないだろうと。
扉をしっかり閉めると、扉の上のランプが赤に変わった。試しに扉の取っ手をゆすってみたが、ガチガチと音をたてるだけで施錠されてしまっている。
よし子は少しだけ嬉しくなった。困難が目の前に現われてくれた。謎解きと思えばわくわくもしてくる。
さて、次は何をすればいいのかな。部屋の中央に向き直って、頭に手を添える。前髪部分に今更だがピンが留められていることに気付いた。
髪から外して、わずかな光にかざして見る。りんごのモチーフの前髪留めだった。
よし子はもう一度、前髪をそのピンで留め直す。これを今日のお守りにしようと本気で思った。
髪をなぜていると、強烈な視線を感じた。
視線を感じる方を見ると、細い扉の隙間からよし子を見つめる右目と目があった。
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