第19話

「やだ、水だまり」

 エレナが騒ぐ。お気に入りのパンプスが泥水で汚れてしまった。こういう時にも、日常のように振る舞うエレナのメンタルに、よし子は感動していた。自分は何の役にもたっていないが、エレナは存在が清涼剤のようだ。そこにいるだけで、ギスギスしかけた空気がフラットになるのをもう数回味わっている。


「天井も落ちてるから、雨風が入ってるんだろ」

 水たまり程度がなんだ、さっきお前は知り合いの教師を吊っただろう、という言葉をぎりぎりで和法は飲み込んだ。

これは言ってはいけない、禁句だ。わかっている。ただでさえよし子や瑠偉はメンタル疲労している。これ以上、いざこざの種をまく気はない。


「何も、ないね」

 大吾が円卓の上を見ながら言う。しみだらけのクロスの上にペットボトルはあと3本ある。頭のおかしい主人がいるなら、次の指令がどこかにあるはずだ。このまま餓死させようなんて思っているわけがない。根拠はないが。


「こっち、キッチンみたいだよ!入れる」

瑠偉が大きな声で、仲間を呼ぶ。

 入り口の右手側に、調理場への扉があった。大きな布で隠すように塞がれていたが、瑠偉が扉を発見した。食堂にはめぼしいものが無かったので、全員が瑠偉の方へ向かう。

「キッチンなら、ごはんあるかもー」


 調理場スペースは数人のコックが同時に料理を出来るくらいの設備と広さがあった。肝心の冷蔵庫は一切反応を示さない。コンロも火が点かない。蛇口をひねっても、キュッと切なげな音がしただけで水は出てこない。

エレナが期待していたようなごはんは無さそうだ。

 落胆する一同を、さらに辟易とさせるメッセージが調理場作業台の上にあった。

通常なら料理の下ごしらえや飾り付けの際に使うような作業台の上には寸胴が1つ。そして麻で編まれた布に見覚えのある文字が踊っていた。


 《お客様は人肉を所望》


 黙ったまま6人の視線がその文字の上を何度もすべる。この屋敷の主人からのミッションなんだろう。ただこの文面が意味していることはなんだ。検討することを脳が拒否していた。

 こういう時、まず切り出すのはエレナの役目だ。

「これって、つまり。この寸胴に、ってこと?」

エレナは作業台に手をついて、寸胴の中をのぞき込む。寸胴も古くサビついていたが、中身は空っぽだった。


「人肉が何かを意味しているのかもしれない。もう一回、行ける範囲の捜索をしてみよう」

言いながら大吾は調理場を出ていった。

「そうだね、これが何かのヒントなのかもしれないし。ね、瑠偉くん。さっき見つけた階段のところもう一度行ってみようか」

よし子と瑠偉は手を繫いで、食堂から出て行く。こんな恐ろしい文章から少しでも遠ざかりたかった。


「暗喩なのか、それともそのまんまの意味かもね。人肉をこの寸胴に入れろってことだろ。誰かの肉を切り落とせってことだろ。

指示を出している人間はどうやって判定するんだ?

電子ロックが機能してるから、盗聴器、監視カメラはあるのか…」

ぶつぶつと言いながら、隈は推理に没頭する。


「俺たちももう一回捜索に戻るぞ。さっきよりも目が慣れて場所の空間も出来てるから、見落としてたもんが見つかるかもな」

和法とエレナも調理場を出て行った。

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