第5話

 プラケースに用意していた虫を、すべて男に投入すると、彼女は空のプラケースを作業台に戻しにいく。

大の男が顔をぐちゃぐちゃにしているのは、見るに堪えない。嫌悪しかない。だから開口器も外してやらない。外してやる理由がない。


「ボォオエエ、ガッッファガッ!」

男は腹の中にたらふく虫を入れられても、抗議の声を上げ続けている。見えない目で、彼女の姿を探すように首をぶんぶん振りたくる。

開きっぱなしの口の端からは、涎が垂れ続け石床の色が一部分濃くなっていく。


「さ、両方ひとまず完了かな。やっぱり大人になると性格の矯正は期待出来ないな~」

 壁の男と台の女を指さして言いながら、彼女はヒールを響かせて部屋の出口に向かう。

「ちょっと!!!待ってっっ!!私のこと忘れてない?!ふざけないでよ…私のこと、助けなさいよ。本当言ってる意味わからないし、目的は何なのよ?!」

 彼女が出て行ってしまうと気付くと、これまで堰き止めていた恐怖が、一気に流れてくる。

台上の女は、全身を強張らせながら絶叫する。このまま、彼女が部屋を出ていってしまったら、もう二度と誰とも話せない予感がしていたから。


「目的はもちろんあるけど、あなたに説明したくない。

覚えてる?このセリフ。あなたが実際に会社の同僚によく言っていたセリフなの。

最低よね~質問している人への敬意とか、全然感じない。

難しいことを易しく教えられる人の方が能力は高いんだな~」

 女は脳内で、自分が発したと指摘されたセリフを検索する。

「知らない、そんなこと言った記憶がない。聞き間違いなんじゃないの?」

「うん、あなたの記憶媒体は不良品っての分かってる。そんなだから、毎日たくさんの人を攻撃して傷つけても生きられるんだね~ある意味才能」


 彼女は向かっていた出口に背を向けて、女の顔をのぞく為に戻る。

女の顔は青ざめているように見えるが、怒っているせいか赤にも見える。表情はとても醜く、彼女の気をさらに萎えさせた。

「あのおっさんも、あなたも同類。生きているだけで罪なのよ、もはや。せいぜい最期まで頑張って」

 彼女の目はもう台上の女も、壁に磔にされた男の姿も映していない。

次の準備はもう進んでいる、やることは山積みなのだ。


 彼女が重たいドアを開けて、部屋から出て行った。ガンンン…と重い音がしてヒールの音も遠ざかっていった。

 相変わらず、女の頭上からは絶え間なく嘔吐する水音が聞こえてくる。自らの涎も飲み込むことが出来ずに、もしかしたら溺死する方が早いかもしれない。

そんな男でも、女にとっては貴重な協力相手の可能性がある。

「あの、すみません。聞こえます?あなたと同じように、私も捕まってるんです。なんとかここから逃げられるように協力しません?」

 目の見えない、話すことも出来ない男との交渉をどう進めるか、女は色々と試すが手応えを感じられない。

 そして段々と、自分の体力がじわじわ減っていくことを感じる。空腹も、喉の渇きも、右太ももの痛みも、変わりばんこに女を苦しめる。

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