第6話花詞
ゆうか゜とう
花詞
人生あまり難しく考えなさんな。
暗かったら窓を開けろ、光がさしてくる。
中村 天風
第六文銭【花詞】
「つまらない・・・?」
その言葉が、妙にすっと馴染んだ。
一人静がどういう意図で発した言葉かは分からないが、その意図があろうとなかろうと、心詞にとっては聞き慣れたものでもあった。
「私は、まだ生きているにも関わらず、『死』を選んだ方々を大勢知っています。彼らを連れ戻せなかったことは、後悔してもしきれないほどです」
此処に来るのは、死を見た人がほとんど。
病気や事故でないのに来る人というのは、生きることが死ぬことよりも辛いと思っている人間だ。
そういう人間は、説得したところでどうにもならないことが多い。
ましてや、大切な人が先に逝ってしまったとなると尚更だ。
そんな気持ちを利用しているのがイベリスたち今際の者たちであるわけだが、そのイベリスは腕組をして話を聞いていた。
「戻って、どう頑張ればいいの?」
正直な疑問だった。
こんなことを聞いても、確かな答えなんてないのかもしれないし、答えが出て来たところでそれを本当に頑張れるかは分からない。
前に進もうと後ろに進もうと、壁が立ちふさがっているような気がする。
そんな時聞こえて来たのは、耳に馴染む朝日のような声。
「頑張る必要はございません。頑張らなければいけないと思うから、心が押しつぶされてしまうのです。生きるとは、もっと自然なことでなければいけません」
「・・・・・・」
先程蝶が触れた手を見つめると、心詞は強く拳を握る。
たかが怪我ひとつしただけで、痛い。
いつまでも忘れることが出来ない悪い思い出と、嫌いな自分。
拭いきれないそんな過去が、このまま未来になっていくのかと思うだけで億劫で、いっそのこと終わりにしてしまいたくなる。
そう思っていたのに、そのたかがひとつの怪我の痛みが消えただけで、痛みという恐怖が無くなったことに気付かされる。
嫌だ嫌だと駄々をこねる子供と、大差ないのかもしれないけど、嫌悪感も猜疑心も劣等感も自尊心も、消えないなら受け入れてしまえば良い。
ふう、と息を吐いた後、心詞は立ち上がるとそれほど大きな声ではないが、こう言った。
「どうなるかわかんないけど、もうちょっとだけ、生きてみる」
その言葉に、一人静が笑ったように見えた。
「そうですね。その方がつまらなくない」
「そういうわけなので、申し訳ありませんが離れていただきます」
そうと決まれば、やるべきことはひとつ。
一人静は死神とイベリスを前にして、いつも通り平然としていた。
「そうはいかないぞ」
「いいえ、力付くでも、どいていただきます」
そう言うと、それまで普通の大きさだったオールが、死神の持っている鎌より2周りほど小さいが、それでも十分な大きさのものへと変わった。
てっきり羽か何かで出来ていると思っていた心詞だが、それは確かに花弁で、微かな灯りに灯されてとても綺麗だった。
橙の優しく暖かい光に包まれながら、月光もないこの場所で、その花弁は大きさを増して行く。
その美しさとは裏腹に、透き通らない雑音のような声が聞こえる。
「カロンに次ぎ、力を持っているのはこの私、死神ぞ。お前ごときが敵うと思っているのか」
「ええ。暴力は苦手ですが、弱いわけではございませんので」
一人静と死神は、先程のように互いにオールと鎌を構えると、一振り。
さっきは風が止まったのだが、今度は一瞬だけ強い風が吹いたかと思うと、ぽちゃん、と何かが川に落ちた音が聞こえた。
何が落ちたのか確認をする前に、落ちた物の正体はすぐに分かった。
死神の鎌が、半分無くなっていたから。
「・・・なぜだ?」
一人静は冷静に答える。
「私、暴力は苦手ですので、本気を出したのは久しぶりでございます。魂を狩ることが出来なくなった以上、このまま立ち去っていただけると有り難いのですが」
「・・・・・・」
す、と死神はイベリスの方を見ると、イベリスはすぐに川から出て死神の方に移動する。
「んな怖い顔しなくたっていいじゃないっすか。鎌壊したのだって俺じゃなくてそいつっすよ?」
へらへらと笑いながら言ってみたものの、死神がつられて笑うはずもなく、イベリスはその笑顔を何処に向ければ良いのか分からなくなり、最後には川へ向ける。
一人静と死神は、しばらく互いの動きを見合っているようだったが、イベリスが流れて来た蓮と話始めてしまったのを見て、ようやく死神が一歩後ろへ引いた。
死神が近づくと、蓮は枯れながら川に落ちてしまう。
「今日のところは、引き下がろう」
鎌以外にも手はないわけではないが、無理に動く必要もないと判断したのだろう。
死神の言葉に、一人静は警戒を保ったまま答える。
「ありがとうございます」
「だが覚えておけ。私の邪魔はさせぬ。お前を追い出してやるぞ」
そう言うと、死神とイベリスは消えて行った。
残された心詞は、一人静に連れられて河原に辿りつき、もとの世界へ戻れる道を歩くことになった。
「これでまた、つまらない世界に戻るんだ、私・・・」
楽しく生きてみろとか、笑ってみろとか、そういうことを言われること自体がつまらない世界だという証明だ。
でも、一度は戻らないといけないと思ってしまったのだから、此処まで来てやっぱり死にますなんてことも言えない。
一人静に御礼を言おうと思ったのだが、その前にざーざーと雨が降り始めてしまったため、一人静に示された道を急いで走って行った。
次に目が覚めたときには、すっきりしていた。
「・・・戻ってきた」
身体を起こしてみると、これまで感じていたよりも重たく感じて、なんだか動くのが面倒になってしまった。
そのまま横になってしばらく寝ていると、意識などしていないままお腹が鳴る。
「お腹空いたな・・・」
お腹が空いたと感じるなんて、いつぶりだろうと思いながら身体を動かし一階に下りてみると、そこには親が作っていったのであろうおにぎりがあった。
何の具が入っているか分からなかったが口に入れてみると、それはおかかだった。
「ん。美味しい」
冷蔵庫から飲み物を持ってきて椅子に座ると、おにぎりを全て綺麗に食べきった。
「お腹、いっぱい」
その頃、引き下がった死神とイベリスは、無言のまま蝋燭が沢山灯っている場所に来ていた。
少しだけ声が響くその場所で、先に口を開いたのは当然、イベリスだ。
「早く直さないとっすね、それ」
死神が持っている鎌と、川で拾ってきたその半分を岩の上に置く。
頑丈に作られているはずの死神の鎌が、こうもぽっきりと折られてしまっているのを見るのは初めてだ。
死神本人は初めてなのかどうかは、その表情からはなんとも言えないが、頻繁に見る姿ではないだろう。
その証拠に、死神は折られた鎌の先の方をじっと見ている。
「鍛冶職人探さねえとっすね。それより、まさか負けるとは思ってなかったっすよ。強いんじゃなかったんすか?」
イベリスのその言葉に、死神は折れた鎌を手にしてイベリスの首に押し付ける。
折れてしまったとはいえ、切れ味はさほど変わっていないだろうから、イベリスは反射的に口を紡ぐ。
そして苦笑いをしながら両手を肩のあたりまで上げて、降参を示す。
「怖いっすねー。俺じゃなかったら小便漏らしてたかもしれないっすよ?」
「その五月蠅い口をしばらく閉じてろ」
「へーい」
しばらく黙っていたイベリスは、すぐに暇になってしまったため、一人静のところに遊びに行こうかと考えていた。
そして歩きだしたとき、死神が呟いた言葉をイベリスは聞き逃さなかった。
「もしかするとあの男・・・」
「?なんすか?」
それほどまだ離れていなかったため聞こえているはずなのだが、死神は、それ以上何も言わなかった。
「またいらしたんですか」
暇をしていたイベリスは朝凪にまた乗り込んで、しばらく一人静の様子を見ようと思っていたのだが、なんてことはない、一人静はただずっとずっとオールを動かしているだけ。
カロンや死神とはまた違った、なんとも不思議な空気である。
ここだけ時間の流れが違うような、時空が違うような、あの世でもこの世でもない妙な空気に包まれている。
「なんでお前だけあの世に連れていかないわけ?」
素直に、抱いていた疑問を投げかける。
それに対して、一人静は手を止めることなく言う。
「私以外の方が、その役割を担っておりますので」
「この世界では『死』はあくまで結果であって悪ではない。だからこそ、ここで俺らみてぇな奴らが暴れたって、お咎めも何もない。それはつまり、逆もまた然りってわけね」
「なぜカロンたちの椅子を欲しがるのか、私にはわかりかねます。椅子に座りたいだけなら、適当な椅子があるでしょうに」
「欲しがるもんはみんな違う。だろ?俺ぁずっと今際にいるからよ、この川が生活圏みてぇなもんなんだよ。だから、見てみてぇんだよな・・・」
空さえないこの空間の上部を見上げる。
そこに向けて伸ばした腕はあまりに短くて、空どころか数メートル先の物さえ掴むことも出来ない。
そうやってたそがれていると、いきなり一人静がオールを川から一旦あげたため、その飛沫が顔にかかる。
「わざとか」
びっちゃり濡れた顔を腕で拭うと、また静かにオールを動かし始めた。
「何を見てみたいのかは存じませんが、私にそういった話をするのはいかがなものかと思います」
「なんでダメ?別に良くね?死神って愚痴とか全然聞いてくんねぇし、言えねえじゃん?分かる?あの感じだぜ?無理じゃね?だからお前に聞いてほしいんだよ。頼むよ」
「面倒臭いお方ですね。ここはあなたの愚痴を聞く場所では無いのですが」
「だからって、俺は人間を唆してあの世に連れて逝くのを止めるわけじゃねえよ?俺には俺の野望があるからな。そのために邪魔な奴らを叩き落とすだけだ」
「ご自由にどうぞ」
「お前のことも潰すぞ」
「お好きにどうぞ」
ゆったりと動く朝凪に、イベリスは思わず眠ってしまいそうになるが、その度に一人静が川の水を浴びせてきたり、蛇の涎をかけてきたり、川に落としたり・・・。
それでもなんとか必死に朝凪にしがみついていたイベリスだが、一人静はこう言う。
「それより、私これからお迎えにあがりますので、川に落ちていてくださると大変助かるのですが」
「何それ」
一人静がそう言うと、蛇が大きな口を開けてイベリスを食べようとしたため、イベリスは大人しく引き下がる。
平泳ぎをしてしばらく付いていったのだが、伸縮も出来るのか、蛇がイベリスの方に伸びてきたため、断念せざるを得なかった。
そしてわずか2漕ぎほどで、見えない場所まで行ってしまった。
「・・・・・・愛想が無ェとこも似てるんだよな」
そんなことを言っていると、ひらひらと蝶が飛んできた。
自分には近づかないだろうと思っていると、その蝶はイベリスの顔の前の水面に止まった。
「お?」
白と黒で何かの模様が成されてるその蝶は、イベリスのことをじーっと見つめている。
その蝶の背後から蓮が流れてくると、蝶はひらっと飛び立ちながらその蓮にリンプンを落として行く。
すると、その蓮は一周り大きくなりながら、イベリスの顔の横を通って流れていく。
「・・・おい、お前」
流れていく蓮を目で追ったあと蝶を見ると、すでにそこに蝶はいなくなっていた。
「なんだ、ありゃ」
毎日どたばたと騒がしい場所では、こんな会話がなされていた。
「どうしてこんなに仕事を溜めこめるんですか、一種の才能ですね」
「ありがとう」
「褒めてませんけどね」
「仕方なくね?最近死ぬ奴多くね?どういうこと?」
「それなら、奴を呼びもどしてくださいよ。閻魔様直属の部下は、私達4人しかいないんですから」
「あー、それな。俺も思った。でもあいつには任せてることがあるから。こっちは俺達だけでなんとかしようや、コマ」
「・・・はあ。仕方ありませんね。最近の死神の動きを考えると、今あの場を無人にするのはリスクが伴いますし」
「そういうこと。はい、これ頼む」
「イベリスが手を組んでいるとのことですが、どうなさるお心算ですか」
「あー、今際のイベリスだっけ?」
閻魔と呼ばれた男は、顎に手を当ててほんの数秒だけ考えた。
そして、再び積まれた巻物を見ないようにしながら言う。
「放っておけ」
「・・・かしこまりました」
閻魔は自室へと戻ると、木箱を動かしながら呟く。
「天つ日の下へ帰す、ねぇ・・・」
たった一人でそこに居続け、たった一人でそこを守り通すと決めた男がいる。
重き荷だとは分かっていても、自らが口にしたことを決して曲げてはならないと、それが自らの戒めでもあった。
一人静の過去を知っている者は、誰もいない。
この男を除いては。
「昔も今も、君は変わらないね」
一人静、彼は渡し守であって、番人でもある。
彼がいる場所だけ、違う雨が降る。
彼の周りには、違う風が吹く。
そして今日も、蝶は舞う。
「どれもこれもが、邪説にすぎない」
ゆうか゜とう maria159357 @maria159753
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