第5話桎梏




ゆうか゜とう

桎梏



 一羽のツバメが来ても夏にはならないし、一日で夏になることもない。このように、一日もしくは短い時間で人は幸福にも幸運にもなりはしない。


          アリストテレス


































 第五文銭【桎梏】




























 朝凪に乗せたのは、まだ若い女性だった。


 心詞は13歳の中学生で、自殺志願者。


 明らかないじめがあるとか、そういうわけではなく、何もかもが嫌になって不安になって、つまらないらしい。


 友達がいなかったわけじゃない。


 ただ、表面上だけの友達というだけで、本音で言い合えるような、何かあったら助け合えるような友達はいなかった。


 ちょっとしたことで陰でコソコソと悪口を言われたり、自然とはぶかれたり、付き合いが悪いと距離を置かれたり。


 「五月蠅い。嫌い」


 どうせ中学校3年間だけの我慢だと思っていたが、高校も同じ人が何人がいるため、高校に行っても似たようなことがあるのかと思うと、期待に胸を膨らませるなんてこと、出来るはずがなかった。


 「面倒臭い。構わないで」


 何が楽しくて生きているのか、何を想って生きていればいいのか。


 何度死のうと思ったかは分からない。


 なぜ今、こうして死なずに生きているのかと聞かれると、ただ痛いのが嫌だからとしか言いようがない。


 ニュースでやっていた。


 誰かを巻き添えにして自殺しようと思っていたとか、誰でも良かったから殺したかったとか、そういう奴らとは一緒にしてほしくなかった。


 心詞は、脱却したかっただけ。


 全てを一度脱ぎ捨てて、一人でのんびり何処かへ行って、そうすれば何か変わるんじゃないかって思っていた。


 でも、今の歳でそんなこと出来るはずがなかった。


 自分がもし本当に死ぬときは、誰にも気付かれないようにそっと死にたい。


 「つまんない・・・」


 隣から聞こえてくる声が煩わしい。


 その笑い声は、一体誰を犠牲にして出せているのか。


 どうして優劣をつけたがって、どうして人より上にいたいと思い、どうして誰かと群がっていたいのか。


 「一人の方が気楽なのに」


 他人といるなんて、息苦しくてたまらない。


 そうやって、みんな綺麗な自分をみせびらかして生きて行けばいい。


 自分はそうやって生きて行きたくない。


 こんな世界、どうにでもなればいい。


 社会に出てからの方が疲れるとか、学生時代なんてすぐに終わるんだからとか、そんなこと分かっている。


 だけど、今生きている人間にとってみたら、今が一番重要だから、先のことなんて何も考えられない。


 それこそ、明日のことだって。


 「早く死にたい」


 そう思って何が悪いの?


 思っているだけで、こうして嫌だけど頑張って生きてるんだよ。


 だから辛くて、不安で、泣きたくなる。


 周りが思っているほど、自分は寂しくなんかないし、一人でいることを恥ずかしいとも思ってないのに。


 「何様?」


 いつも誰かと一緒にいる人の方が偉いの?


 「可愛いね」とか「すごい」とか「羨ましい」とか言ってほしいの?


 社交辞令だって分かっていながら、隅から隅を褒めてほしいの?


 自分を知ってほしいの?他人を知ろうともしてないのに?


 認められたいの?自分とは違う人を認めようともしていないのに?


 「自分が可愛い?」


 「何ここ。川?」


 心詞は、小船の上にいた。


 ふと川の方を見てみると、そこにはこちらをじっと見ている男がいて、思わず顔をしかめてしまった。


 「まだ若いのになぁ。三途の川に来ちまうとは」


 「三途の川ではございません」


 「・・・なんだ。三途の川じゃないんだ。つまんない」


 その言葉に、嬉しそうにしたのは言うまでもなく、イベリスだ。


 「お。なんだ死にてぇのか?ならすぐに連れて行ってやるけど」


 「そういった勧誘はお断りしております」


 「本人の意思だ。文句はねえはずだ。なあ?お前、死にてぇんだろ?」


 「別に。どっちでもいい」


 「はあ?なんだそりゃ」


 あのあと、イベリスはずっと朝凪に乗っていた。


 一人静が何処かへ向かうことが分かり、このまま付いて行けば、魂のみとなった死にかけの人間が乗ってくることが分かっていたのだ。


 何度も川に落とされながらも、イベリスはどうでも良いところで根性を見せていた。


 そして乗ってきたのが心詞なのだが、本当にまだ肉体が生きているのかと確認したくなるほど、魂は薄らいでいた。


 「死にてぇんだろ?」


 「だから、どっちでもいいって。どうでもいいよ。決めて」


 「なら俺が向こうに連れて行ってやるよ」


 「面倒臭い」


 「はあ!?お前どっちなんだよ!!はっきりしろっつーの!!!」


 はっきりしない心詞に、イベリスは思わず叫んでしまった。


 「お座り下さい。転覆してしまいます」


 「転覆なんかしねぇだろうが、この船は」


 「五月蠅い」


 「ああ?」


 「五月蠅いな。別に私はどうでもいいって言ってるでしょ?連れて行きたいなら連れて行っていいよ。この船で行けるんでしょ?」


 「なんだこいつ」


 何処に行こうと気にしないという心詞は、朝凪の縁に肘をつけ、頬杖をつきながら景色を眺めていた。


 「ねえ」


 そんなに何処をじっと見るべき場所があるのか分からない視線を向けたまま、心詞が尋ねて来た。


 「楽しいの?船漕いでて」


 「ぷっ」


 その問いかけに思わず笑ってしまったイベリスだが、一人静は特に気にしている様子はない。


 普段通りオールを動かしながら、朝凪を何処かへと向かわせる。


 「楽しい楽しくないの問題ではございませんので」


 「ふーん」


 会話が続くといったこともなく、ただ川の上を漂っていると、急に冷たい風が吹いた。


 先程までは感じていなかった痛覚が反応したことによって、心詞はそのとき、自分が手に怪我をしていることに気付いた。


 何処かで擦れてしまったのだろうか、血も出ていなかったため、さほど気にしなかった。


 「来ましたね」


 「なにが?」


 一人静の言葉に、一体何が来たんだろうと思い顔をあげると、向こうからはおぞましい何かがこちらへと近づいていた。


 全身真っ黒で包まれたそれは、骸骨の仮面なのかそれとも本物なのか、とにかく、それの顔をしていた。


 その手に持っている大きな鎌は、想像していたものよりもずっと大きかった。


 イベリスはさっさと川に飛び込むと、距離をとって離れた場所から顔を覗かせる。


 「やべー。あの子終わったな」








 「初めまして、でしょうかね」


 「その人間をこちらへよこせ」


 「無理矢理連れて行くお心算ですか?感心しませんね」


 「なに・・・その顔・・・」


 心詞は、初めて心の底から恐怖というものを感じた。


 感情など見えないその顔は、自分が今まで相手にしてきた人達とは全く別のもので、腰が抜けてしまうほどだ。


 「連れて逝くのが我々の役目。それなのになぜ邪魔をする」


 「邪魔をしている心算は毛頭ございませんが、お気に触ったのなら申し訳ありません」


 互いに顔が見えないまま、会話をする。


 その後数秒、2人は何も発しなかったのだが、いきなり死神が鎌を振りまわすと、それに伴って痛々しいほどの風が吹く。


 心詞は思わず自分の顔の前に腕を持ってきて、少しでも風を避けようとする。


 そしてその鎌が振るわれたかと思うと、先程の強い風が急に消えて、同時に何かが欠けた音がした。


 「いきなり襲いかかるとは、その辺の魑魅魍魎たちと大差ありませんね」


 「鎌が欠けるか。その武器、是非我が手にしたいものだ」


 「生憎、特注品でございまして。それに、このオールは私にしか懐きません」


 「懐くだと?・・・面白いことを言う」


 どうやら、欠けたのは死神が持っている鎌の一部分らしく、一人静が持っているオールには傷一つ付いていなかった。


 本当に、目を凝らしてようやく分かるくらいの小さな欠けなのだが、死神はそれが少し気になるようだ。


 「ここでどちらが上か、はっきりさせるか」


 「私、暴力は苦手でございまして」


 それを遠目で見ていたイベリスは、目を見開きながら頬を引き攣らせていた。


 「まじかよ。おっそろしい奴らだな」


 すると、死神がイベリスの方を見てきて、こう言った。


 「早くその人間を連れて行け」


 「俺だって頑張ってるんスよ。それに、そう簡単に連れて行けるなら、こんなに苦労してねぇっつの」


 ただの渡し守、ただの小船であれば問題など無かっただろうが、目の前にあるそれは違う。


 船とは名ばかりで、全く以て船ではない。


 そもそも2匹の蛇が絡まった状態の船とはどういうことだろう。


 そしてその回りにある植物たち。


 分かったことと言えば、殺意を持って近づけば確実に攻撃されてしまうことだが、もsかしたら、一人静の指示によって動いているのかもしれない。


 餓鬼を躊躇なく丸呑みし消化してしまう胃袋に、見たら石になる目、吐き出される猛毒。


 川から奇襲をかけようとしても、蛇は勿論、植物たちがお腹を空かせて待っているためこちらもまた無理だ。


 「どうしろっつーの」


 ふと、そこでイベリスは思った。


 一人静を相手にするよりも遥かに簡単なことは、心詞に、死にたいと心から思わせることだ。


 「お前さあ」


 少し大きめの声で話しかければ、心詞はイベリスの方を見る。


 イベリスが何を考えているのかすぐに分かった一人静だが、目の前にいる死神に背を向けるわけにもいかない。


 「お前、もとの世界に戻りたい?それとも、すっぱり終わらせて楽になりたい?」


 「・・・私は、どっちでも」


 「それじゃ困るんだよ。生きたいか死にたいか、ここじゃそれだけ」


 「・・・・・・」








 どっちかなんて、分からない。


 だって、興味ないんだから。


 自分が生きようが死のうが、興味ない。


 生きてるよりは死んだ方が、全てが終わるんだから良いかと思っていたけど、言うくらい、勝手にさせてよ。


 死にたいって言うだけで、自分を守れる気がするんだから。


 楽しいことだってあるし、好きなことだってあるけど、それだけじゃ生きていけないって分かってるし、それを仕事に出来るとも思っていない。


 そんな単純なものじゃないって、わかってる。


 だから、否定しないでほしかった。


 自分の言葉も、自分の想いも、感情も感じ方も考え方も思想も表現の仕方も、何もかもを否定しないでほしかった。


 不器用でも下手でも、それが自分。


 生きてる人間がみんな、前向きに生きていけるわけじゃないし、怖くて前に進めない自分を指さしてほしくなかった。


 だから、みんな嫌いだった。


 「朝起きると、すごく憂鬱な気分」


 「だよな?」


 相槌を打つように、イベリスが応える。


 「誰の顔も見たくないこともあるし、一人でいたいし、話したくもない。放っておいてほしい」


 「それで?」


 「・・・自分でも、どうして良いか分からない。どうにかしようと思うのに、どうにもならない。それが苦しくて、部屋で1人で泣いてる」


 「そうだよな?」


 「でも、死ぬのは怖い」


 「・・・・・・」


 死ぬこと自体が、ということよりも、自分が死んでしまったら、親が悲しむだろう。


 ただ、それだけの理由。


 他には失うものなんて何もない。


 嫌いだけど、恨んでるけど、そこの一線を越えるのと越えないのとでは、そこが違う。


 たった2人が悲しむか悲しまないかの差だが、一体誰がそこまで悲しんでくれるだろうか。


 「テレビで見たの。赤ちゃんが生まれるって、すごいことだって。生き残るのが難しい動物は産む数も多いんだって。どれだけ多く卵を産んだって、その中の僅かな数しか生き残って、大人になれないんだって。人間は、恵まれてるから一気に沢山産まれないんだって」


 「・・・それで?」


 「だから、人間以外のものに産まれたかったなって思う時もあって。自然の中で死んじゃえば、仕方ないで片付くのかなって。でも、それでも親ってやっぱり辛いんだろうなって。死ぬと分かってて産むなんて、切ないじゃん」


 「・・・・・・」


 「分かってても、人間として生きて行くのはやっぱり・・・すごく嫌。みんな嫌い。それは本当。今すぐ死んで全部終わるならどんだけ楽だろうって思う」


 「なら」


 「ねえ、どうして?」


 心詞が言葉を投げかけたのは、一人静だった。


 死神が自分をあの世に連れて行こうとしているのに、どうして止めるのだろう。


 「どうして、私をあの世界に戻そうとするの?」


 今頃になって、擦れた手が痛い。


 死ぬなんて簡単だと思っていたけど、思っていたよりも難しかった。


 ただ、それ以上に難しいものがあった。


 「何の為に生き、戦うのか、それはわかりません」


 一人静はオールを川の中に入れる。


 それだけの動作が、なぜだか酷く優しく見えた。


 「約束の為、愛の為、友の為、正義の為、自由の為、信念の為、夢の為、色々付け足そうと思えば付け足せます。しかしながら、理由づけをしたところで、本来はそんなこと考えながら生きるものではございません」


 「え?」


 「そういったことを考えずに生きているのがきっと、一番良いことなんでしょうね。それが難しいというのであれば、こう考えるのはいかがでしょう」


 すると、白と黒の羽をした蝶が飛んできた。


 オールにくっついたかと思うと、またすぐに羽ばたいて、心詞の手に止まる。


 そして、その手の擦り傷に触れる。


 またすぐにオールへと戻ってしまったが、確かに心詞の手の怪我は治っていた。


 「あなたの言葉を借りるのであれば、『死んでしまったらつまらない』、といったところでしょうか」



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