第4話楚楚





ゆうか゜とう

楚楚




 影を伴う雲の上には、光を伴う星がある。


             ピタゴラス






































 第四文銭【楚楚】




























 「春菜、そろそろ子供産みなさいよ。もう歳も歳なんだし」


 「結婚は?早く孫の顔が見たいよ」


 五月蠅い、本当に五月蠅い。


 春菜は、34になった。


 恋人はいるが、結婚までもう少し待ってほしいと言われた。


 しかし、もとより子供が出来にくい身体の春菜は、所謂不妊症というやつで、早いうちに作りたいと思っている。


 自分が不妊症だということを伝えているにも関わらず、親は子供を作った方が良いなどと無神経なことを言ってくるし、恋人も恋人でいつでも出来ると思っているのか、なかなかタイミングを作ってくれない。


 いや、例え、今回は良いタイミングだったと思っても妊娠していないのだから、結局同じことかもしれない。


 それでも、タイミングを取れたのと取れていないのとでは、なんというか、心の安心感が違う。


 毎月訪れる落胆は、きっと男性には分からないものだろうが、言葉では言い表すことは決して出来ないし、口で何か言うよりも先に涙が出てきてしまう。


 「もう、一生子供産めないかも・・・」


 恋人に相談したところで、何の解決にもならなかった。


 どうして自分だけが、どうして自分の身体だけが、どうして自分の子供だけが。


 色々と考えてしまい、考える度に泣いてしまうし、一旦仕事を止めてストレスフリーを目指したところで、親がなんやかんやと言ってくるし・・・。


 「はあ・・・。もう、嫌・・・」


 こんなことで「絶望」という言葉を使うなと言う人もいるかもしれないが、当人の心の闇など、当人にしか分からないものだ。


 もとより、絶望という言葉で片付けられるものなら簡単だ。


 言葉なんて、単なる紛らわしでしかないのだから、正確に近い言葉を選んでいるだけで、本当にど真ん中の言葉なんて無いのかもしれない。


 「いっそ、死にたい・・・」


 だからこそ、こんな言葉を発してしまったのかもしれない。








 「あれ?」


 そこは、川の上だった。


 「ここが、あの世なのかな・・・」


 「残念ですが、まだあの世ではございません。少なくとも、まだあなたは亡くなっておりませんので」


 そう春菜に言葉をかけたのは、赤いローブを身に纏った、声からして男だ。


 「あの」


 声をかけたそのとき、船の先の方が動いて、川の中にいる何かを口に入れた。


 飛んでいる虫をぺろりと食べたのは、その船に巻きついている植物だろうが、なんとも不思議な乗り物だ。


 だがなんでだろうか、母体に包まれているような感覚を思い出す。


 「どうかなさいましたか」


 春菜が何か言おうとしていたことに気付いていたのか、一人静が聞いてきた。


 「いえ、あの、なんだかここは、落ち着きますね。静かで、暗くて、誰もいなくて」


 「一人がお好きなんですか」


 「ええ。昔から。他の人に合わせるのって、なんだか疲れちゃって」


 「人それぞれですからね」


 「それに、今は本当に、これからどうして良いか分からなくて・・・」


 そこまで話したところで、いつもの御一行さまたちが襲ってきた。


 「今日もいただこうかな、その獲物!!」


 「少し騒がしくなりますが、ご了承ください」


 一人静はオールを持ちあげたところで、大きな斧を持った男が飛びかかってきた。


 カキン!と高い金属音が響いたかと思うと、斧の方が折れてしまい、オールは無事だったが一人静の顔についていた仮面の紐が切れ、同時に顔から外れた仮面を手でキャッチした。


 そのとき、一人静の仮面の下には、目隠しをするようにつけられている黒い布があることに、周りの男たちは気付いた。


 当然、イベリスもだ。


 「おいおい、まじかよ。あの状態で俺達の相手してたってか?つかなんで目隠ししてんだ?」


 イベリスは一気に春菜に近づくと、その指先を春菜に触れることが出来た。


 しかし、すぐに目隠しをしたままの一人静に邪魔されてしまったため、空中で一回転をして川に着地する。


 「今際のイベリス。ようやく思い出しました」


 「お、俺ってば有名人?」


 「あの世の岸とは逆の岸にたどり着いた者たちが時折見るという、死者の手招きや誘い。それはイベリス、あなたが幻でそう見せているのだと聞きました」


 川の向こうで死んだ人が手を振っていた、などという話をよく聞くかもしれないが、それらはイベリスによるものだ。


 もともと、今際という場所に配属されたイベリスは、想いのある人物に成りすますことで、人間の心を揺さぶる仕事をするはずだった。


 しかし、何分飽き性なところもあったイベリスは、それがつまらないと感じるようになってしまった。


「そうそう。俺ってすごいんだ。昔からそういう遊びをよくしてたよ」


イベリス曰く、遊びのようだが。


その遊びによって、あの世へと連れて逝かれてしまった人達は数え切れない。


良いこととも悪いこととも思っていない。


 ただ、それが面白かったからやっていただけの話。


「また、魂に触れることでその者の心の苦しみや悲しみを見ることが出来る・・・でしたね。それを利用して、あの世へ連れて行こうとすると。なぜ急にその重い腰をあげてこんなことを始めたのかは知りませんが」


 「だーかーらー、言ったろ?俺はあんたらの立ち位置に行きたいわけ。そうすればもっと面白いものが見られるって聞いたからさ」


 「・・・死神の言葉を鵜呑みにするとは、愚行も良いところですね」


 「し、死神・・・!?」


 一人静とイベリスの会話を聞いていた春菜は、その単語に驚く。


 すると、イベリスはすぐに木の実を手にして、春菜に差し出すように見せて来た。


 「これを食べればあんたの望みがかなうよ」


 「望み・・・」


 「聞いてはいけません」


 「あんた、子供が出来なくて悩んでるんだろ?誰も理解してくれないんだろ?これを食べれば、すぐに子供が出来るよ。騙されたと思って食べてみなよ」


 「・・・・・・」


 最も弱いところに手を差し伸べる。


 すると、ただでさえ弱い人間というものは、それに縋ろうとしてしまう。


 それは勿論、今ここにこうしている春菜も同じことで。


 す、と春菜は手を伸ばしてその実を受け取ろうとするが、手を引いた。


 「辛いです。とても」


 春菜は、ぽろぽろと泣きだした。


 「どれだけ頑張っても子供が出来なくて、同級生や友達はどんどん子供作って行って。置いて行かれるのが嫌で産みたいとかじゃなくて、ただ・・・」


 毎日毎日、こんな気持ちのまま生きて行くのが辛いのだと、春菜は告げた。


 羨ましい想いは徐々に妬みへと変わって行き、自分がどんどん嫌な人間になっていく気がしてしまう。


 子供が生まれることは奇跡としかいいようがないのに、すぐ出来ることが当然だと思っている人もいることだろう。


 男には理解しにくい感情かもしれないが、子供が産めないのならば、女になんか産まれてくるんじゃなかったと思うくらい、それは当事者にとっては辛い現実。


 ましてや、それを一人で抱え込むことがどれだけ辛いかなど、本人にしか分からないことだ。


 そこには、闇が生まれるのもまた必然。


 「何人でも産める身体の人が良いけど、私は一生で1人産めるかも分からないの。こんな状態じゃ、悪魔にでも縋って産みたくなるのは当然なのよ!!!」


 「じゃあ、これ食うんだな?」


 ほら、とイベリスは春菜に木の実を差し出すと、春菜はそれを受け取った。


 しかし、まだ口に入れるかどうかは迷っているらしく、その実をじっと見つめていた。


 そのとき、ぐら、と船が揺れた。


 何事だと思っていると、それはおそらく一人静が船を揺らしたのが原因で、手に持っていた実を思わず川に落としてしまった。


 「あ」


 その後すぐ聞こえて来たのは、あまりにも悪びれた様子の無い声。


 「これは失礼いたしました。お怪我はありませんか」


 声の主は、悪いとは思っていないだろうにも関わらず、春菜の安否の確認をしてきた。


 色んなことに呆気にとられた春菜は、ただ茫然としながらもなんとか口を開く。


 「大丈夫、です」


 その様子を見ていたイベリスは、前髪がおりていないところの額を指でかいた。


 少し困ったような、でも楽しそうな、何かを発見したような驚きとワクワク感が表情に出ていた。


 「そういうことすんのな。この前はしなかったじゃねえか」


 この前というのは、つい先日のスルガトのことだとすぐに分かった。


 一人静の言葉を聞かずに、イベリスの甘い誘惑に簡単に負けてしまった一人の女性の末路は、忘れようとも忘れられない。


 「先日の方は、止める間もなく自ら望んで堕ちてしまいましたので」


 しゅるしゅる、と黒い目隠しをしていた布を解きながら、一人静は言う。


 先程の攻撃でその黒い布も少し破れてしまったようで、ため息を吐いていた。


 また縫わなければと思っているのだろうか、それとも縫わずとも平気だろうかと思ったのか、裏表を数回往復していた。


 顔をあげた一人静の目を見ると、イベリスは思わずゴクリと唾を飲み込んだ。


 「私は、あなたがた迷い込んできた者たちを強制的に元の世に戻しているわけではありません。あくまで、その方の心に従っているだけです」


 「心・・・?」


 春菜からは、一人静の顔はローブが邪魔で良く見えない。


 だが、そのまま語りかけてくる。


 「ええ。ほんの少しでも生きることを考えている方であれば、戻れるのです。しかし、その欠片さえ見えない方は、幾ら手を差し伸べようとも戻ることは叶いません。それは、本人が知らず知らず決めてしまっていることだからです」


 「・・・私は、どうなんでしょうか」


 「その答えはもう、あなたが出しているはずです」


 自分でその答えを出すことも出来ないと、春菜はあるのかないのか分からないその答えを出そうと必死だ。


 一人静の言葉に春菜が俯いていると、イベリスがなんとか春菜を引きずりこもうと囁きをする。


 「苦しいんだろ?戻ったところで、また同じ苦しみを味わうだけなんだ。なら、その苦しみを終わらせようや」


 「私は・・・」


 ぐ、と自分の胸のあたりを掴んでいる春菜を見て、イベリスはその口から出てくる言葉を待ち望む。


 春菜の方を見ようとしていなかった一人静だが、黒い布を目に巻きつけようとしたとき、春菜を少しだけ目が合った。


 春菜はとても目を丸くしていたが、平然と目元を覆い隠すと、いつの間にか直っていた仮面の紐で顔を隠した。


 「人の醜さとは、こういうものです」


 「え?」


 「私はあなたのような迷い人を、再び天つ日の下へ帰す為、ここにいるのです」


 「天つ日・・・」


 なぜだか、一人静のその時の声が、とても穏やかに感じた。


 その穏やかさの中にある芯というのか、闇というのか、そこに潜む色んな感情も同時に春菜は読みとれた。


 だからなのか、帰らねばと思った。


 それでも諦めていないイベリスたちは、船を取り囲むようにして襲いかかってきたが、一人静たちによって制圧されていく。


 それから少し経ち、船の蛇たちが激しく暴れ始めたため、男たちは撤退を余儀なくされてしまう。


 そしてオールに蝶が止まると、自然と男達だけでなくイベリスも船から離れ、悔しそうにしながらも去って行った。


 イベリス達がいなくなると、一人静はオールを動かし始める。


 「では、帰りましょうか」








 「着きました」


 なんだかさみしいような気もしたが、船が河原につけられたため、春菜は気付かれないようにため息を吐く。


 船を下りると、春菜は一人静に頭をさげ、言われた通りの道を、言われた通りに歩いて行った。


 何度か振り返りそうにもなったが、その度に一人静の言葉を思い出し、再び足を進めるのだ。


 すると、目の前が眩しくなってきて思わず目を瞑り、そのまま意識を手放してしまった。


 目を開ければ、そこは自分の部屋だった。


 それからしばらく経っても、やはり春菜は妊娠することが出来なかった。


 恋人とは約束通り同棲することが出来たのだが、休みが合わないため、夜の営みの回数も以前と変わらないほどだった。


 子供が出来ないことにストレスは当然あったが、一緒に住むことによって、少しは協力的になってくれた恋人に嬉しい気持ちもあった。


 「ま、いいか」


 その気持ちが本心かと聞かれると、もしかしたら嘘かもしれない。


 嘘だと自分ではわかっていても、その嘘が少しでも気持ちを楽にさせるならと、自分にだって嘘を吐く。


 そうすることでしか、保てないものもあるのだから。








 「お前さ、死神と知り合いなわけ?」


 急に、イベリスが現れ聞いてきた。


 相手にするのが面倒なため無視していたが、それでも気にせず話してくるイベリス。


 「道理で。似たような性格してるもんな」


 ぴく、と少しだけ反応した一人静は、オールを止めてイベリスの方に顔を向けた。


 何か言うのかと思いその言葉を待っていたイベリスだったが、一人静は何も言わずにまた船を漕ぎだした。


 何の間だよ、とイベリスが思っていると、オールを3漕ぎしたくらいでようやく一人静は口を開く。


 そして、こう言った。


 「あんなネクロフィリアとは一緒にしてほしくありませんね」


 ようやく出て来た台詞だが、聞き慣れない言葉にイベリスは首を傾げる。


 「ネクロ・・・?」


 それは一体なんだと聞こうとしたとき、蛇の片方が大きくうねったため、イベリスは船から叩き落とされてしまった。


 ぷは、と川から顔を出したときには一人静がオールを一漕ぎするところで、朝凪はイベリスの前から消えてしまった。


 ぶくぶくと泡を出しながら、髪をかきあげた。


 「・・・ふーん」




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