第3話寂滅






ゆうか゜とう

寂滅


 もし暗い日々がなかったら、光の下で歩くことがどんなものなのか、わからないだろう。


       アール・キャンベル




































 第三文銭【寂滅】




























 スルガトは、迫害されていた。


 彼女が生まれ育ったのは小さな村。


 両親と2人の姉に囲まれた5人家族の末っ子として生まれた彼女は、信仰心が強かった。


 毎日欠かさず神に祈りを捧げ、ついには、神の声が聴こえるようになったという。


 しかし、神の声を聞いたときには、スルガトは純潔ではなかった。


 そのため、村の者たちはスルガトの言葉を信じず、ましてや純潔を失ってから聞こえた言葉など悪魔の言葉と罵られ、村から追い出されてしまった。


 それでもスルガトは、神を信じた。


 別の村で生活をすることになったスルガトは、頭が良かったため薬草などの知識を与えた。


 だが、その知識があまりに進んだものだったため、村の人々はスルガトを恐れ、子供たちはスルガトが魔女だと言い始め、断罪。


 「私は神のお告げを聞いたのよ!!私こそ、神の子よ!!」


 何度叫んでも、その言葉が聞き入れられることはなかった。


 スルガトはそのまま拘束されてしまい、村にある教会の地下へと投獄された。


 投獄されてからも、スルガトはずっと自らの罪を罪とは認めず、神からの思し召しなのだと叫んでいた。


 しかし誰もその言葉を信じなかったため、スルガトに出来ることはただひとつしかない。


 それは、神に祈ること。








 「ここは・・・?」


 ふと意識が戻ると、薄暗い川の上にいた。


 船と呼ぶには違和感のある風貌と、乗り心地だが、決して悪いわけではない。


 船を漕いでいるのは一人の・・・男?


 体格からして男だろうが、横顔は赤いローブと仮面によって見えないため、断言はできない。


 ふと、こちらを見た。


 「もしかして、ここがアケロン川?」


 「おや、アケロン川をご存知ですか。しかし、ここはアケロン川とは少し違う航路の川になります」


 「あなた、カロンを知っているの?」


 「存じております」


 「私、死んだのかしら。だとしたら、神のもとへ行けるのかしら」


 自分がいるべき世界であんな扱いをされるというなら、きっと自分のことを理解してくれるのは最早神のみだろうと、スルガトは思っていた。


 純潔でなかったといっても、それは教会にいた神父に「神とひとつになるためだ」と言われて行った行為なのだ。


 その言葉を信じたからこそだったのに、神とひとつになれないばかりか、そのことが原因で魔女とまでされてしまった。


 神にも等しい存在を思っていた神父様に裏切られたことで、やはり神しかいないと感じた。


 「神のもとへ行けるのは、神と、その直属の部下のみと聞いております」


 「私は神に選ばれたのよ・・・!!私は神の声を聞いたのよ!!!それなのにどうして神のもとへ行けないの!!!私は神だけを信じ、神だけを愛しているのに!!」


 「死者が神のもとへ行けるとして、この船は死者は乗ることが出来ません。あくまで、死者を運ぶのはカロンの役目なのです。私は彷徨っている魂を乗せる役目となっております。ご了承ください」


 一人静の言葉に、スルガトは目を見開きながら、自分の胸元を掴んで叫ぶ。


 「神の為なら・・・この命さえ捧げるのに・・・!!!」


 ゆっくり動く船の上で、スルガトは泣いた。








 「なら、俺が連れて行ってやろうか」


 「へ?」


 聞こえて来た声と共に、イベリスが現れた。


 イベリスの声がなんだか優しいものに聞こえたスルガトは、まるで神の声でも聞いたかのように恍惚とする。


 周りには数多の魑魅魍魎たちがいて、スルガトが乗っている船を沈ませようと目論んでいる。


 しかし、そんなもの見えていないかのように、スルガトは口を開く。


 「神に、会わせてくれるの?」


 そのスルガトの表情が全てを物語っているのが分かると、イベリスは珍しくこれは完全勝利だとほくそ笑む。


 「ああ。その船から下りて俺達と一緒にくれば、あんたの言う神って奴に会わせてやれるかもしれねぇ。少なくとも、そいつよりは高い可能性で」


 「ほんとうに・・・?」


 スルガトへと伸ばされたイベリスの手に、スルガトはそれを掴もうと腕を伸ばす。


 しかし、2人の間に真っ白な花弁で作られたオールが姿を見せる。


 イベリスは顔も見ずに、いつもと変わらぬ口調と声色で言葉を発する。


 「邪魔すんなよ?御所望なんだ」


 「まだ死んでいない人間を引き渡すわけにはいきません。それが例え、本人の意思であったとしてもです」


 「お堅いねぇ」


 スルガトが神のもとへ行きたいと言っても、そのまま引き渡すわけにはいかないと、一人静は静かに語る。


 イベリスがスッ、と手をあげると、他のそれらが一人静を狙って襲いかかってくる。


 ぐぐ、と船が動いたかと思うと、2匹の蛇が巨大化してそれらを飲みこんで行く。


 消化には時間がかかるが、通常の蛇とは異なるため、ものの1分もあれば満腹状態から飢餓状態へとなるまでに消化速度を変えられる。


 一瞬にしてお腹が膨らんだかと思うと、同様に一瞬にしてお腹の膨らみが元に戻る。


 一方でオールの風の直撃を受けなかった者は、一人静がオールを器用に使いこなすことによって、川に落ちるか、蛇に食われるか、食虫植物に食われるか、もしくは半分に裂かれていた。


 この小さな船一隻が、軍艦にも勝る。


 「名は体を表すとは言いますが、皮肉なこともあるものですね」


 「余裕ぶっこいてんなぁ?」


 大方片づけ終わったところで、スルガトが叫んだ。


 「止めて!!!」


 いっきに静まり返ったその場で、スルガトはイベリスに向けて言葉を紡ぐ。


 「お願い・・・。私を連れて行って!!」


 縋るように発せられたその言葉に、イベリスは目を見開いてニヤリと笑った。


 すると、イベリスは掌から赤く小さな木の実を生やし、その一粒を手に取った。


 そしてスルガトに見せつけるようにして自らの顔の近くに持ってくると、今度は一人静の方を見た。


 「さて、ここでコレを喰ったらどうなるか。お宅なら分かるよな?」


 「・・・・・・」


 イベリスは再び視線をスルガトに戻すと、こう言った。


 「念じてみろ。お前は一体誰に会いたいのか。そうしたら、俺が会わせてやろう」


 「ああ・・・!!私は、神に!!神に会いたい・・・!!」


 スルガトは目を閉じ、両手を絡ませるようにして合わせると、そう祈った。


 そして何かのまばゆい光に包まれたかと思いそっと目を開けてみると、目の前には煌々とした何かがいた。


 それが一体何なのかは分からないが、神々しい何かであることだけは分かった。


 「ようやく、会えたのですね・・・!」


 それは薄らと微笑み、スルガトに赤い木の実を差し出した。


 スルガトはそれを受け取ると、何の迷いもなく口の中へと放り込み、少しだけ噛むと飲みこんでしまった。


 目の前にいる神に手を伸ばしたスルガトだが、急に強い風が吹き荒れ始め、神の身体を丁度包むくらいの台風が発生した。


 その台風の中から出て来た神は、神ではなく、さきほどまでそこにいた左目の下に模様がある男だった。


 口の中に小さく見える牙が、今となっては恨めしい。


 「ハハハハハハ!!!!これでこの人間はあの世逝きだぁ!!!愉快愉快!!!」


 一人静は、何も言わずにいた。


 スルガトもイベリスも、自分の思う様に運命が動いたのだと、歓喜に満ちているようだ。


 高らかに笑い、幸福そうに目を閉じる。


 「主よ・・・。今すぐあなたのもとへ行きます。待っててください」


 スルガトの言葉に、イベリスは首を傾げる。


 「はあ?お前、自分が本当に神に選ばれたとでも思ってんのか?」


 「そうよ。私は神の声を聞いたんだもの。私があの村から追い出されたのも、神に会うこの時のためだったのよ!」


 神の声を聞いたのは自分だけで、神を信じ続けたのも自分だけ。


 これほどに神を愛した人間など、自分以外にいるはずがないと、スルガトは自分を疑わなかった。


 そんなスルガトを、イベリスはだるそうに首を傾けながら見ている。


 「めでてぇ人間だな。何があっても無理だろうよ」


 たったついさっき、神のもとへ連れて行くと言っていた男が、掌を返したように言い放ったその言葉に、スルガトは耳を疑う。


 イベリスは平然としながら、笑う。


 「へ?だって、会わせてくれるって言ったじゃない!!神のために生きて来たから、神のために死んでも良いと思っていたのよ!」


 喉から血が出るのではないかと思うくらいの声量で叫ぶスルガトだが、イベリスは滑稽だと笑う。


 その笑い声は、きっと聞く人によってはあまりに無邪気な子供のようで、聞く人によっては残酷な悪魔のようだ。


 ふと、イベリスが尋ねる。


 「お前、自分の名前分かってるよな?」


 「名前・・・?」


 「こりゃたまげた。神に御執心だったばっかりに、他のことにはとんと無垢か。まあ、安心しなよ。天国に逝けりゃあ、神に会えるかもしれねぇし?けど、そもそもお前の聞いた声っていうのも、神のものかは定かじゃねえよな?悪魔の声を聞いてただけかも」


 「嘘・・・嘘よ!!!私は、私が聞いたのは神の声で・・・!!私にお告げを・・・祈ってたから・・・ずっと・・・私が・・・神だけを・・・!!」


 スルガトのそんな声を聞かずに、イベリスは一人静の方を見て笑いながら言う。


 「じゃあ、文句はねえよな?こっちのモン食ったんだし。預かるぜ?一人静さんよぉ」


 すでに戻ることは赦されない身体になってしまったスルガトは、一人静に道を示されることなどないのだ。


 イベリスの企みを知っていた一人静だが、その行為を止めることも出来なかったため、ため息を吐いて諦めを見せる。


 「・・・・・・致し方ありませんね」


 一人静は、持っていたオールを川に戻す。


 嗚咽交じりに泣き乱れるスルガトは、今になって一人静に助けを乞うように手を伸ばすが、もうその手を掴むことは出来なかった。


 何も口にしていなければ、しっかりと掴めたはずのその腕は、まるで透き通るようにしてすりぬける。


 愕然とするスルガトなどお構いなしに、イベリスは事務的に動く。


 「さっさと終わらせねえと」


 イベリスに連れて行かれたスルガトは、その後カロンへと引き渡され、カロンの船に乗ったスルガトは川を渡って向こう岸へと渡るのだ。


 それを見送ることもないまま、イベリスはスルガトをカロンに引き渡してすぐ、カロンにサインをもらってすぐ何処かへと去って行ったようだ。


 スルガトがイベリスに連れて行かれてから少しすると、遠くの方で雨が降っているのが見えた。


 それでも、もう何も出来ない一人静は、ただその雨が少しでも早く止むようにと、眺めるのだ。


 「情けないですね・・・」


 川の上にいた一人静のもとには蝶が飛んできて、オールに止まる。


 一人静はとても久しぶりに向こう岸へと向かってみると、咲いている曼珠紗華に蝶が止まり蜜を吸うと、その曼珠紗華は枯れてしまった。


 それを見て、思わず呟く。


 「やはり、息ぐるしいところですね」


 一人静はすぐに朝凪に乗りこみ、そこから一秒でも早く遠ざかりたくて、オールを思い切り漕ぐ。


 川を横断していると、複数の蓮が流れてきて、その蓮ひとつひとつが、迷子のようにあちこちへと動きまわっている。


 「迷い導かれる先は、一体どこなんでしょうね」








 無事にスルガトをあの世へ連れて行くことが出来たイベリスは、死神のもとへと向かっていた。


 「よっしゃ。これで俺も下等になれっかな?いや、まだか?ま、どうでもいいか!」


 いつも死神と会っている場所に着くと、そこにはまだ死神がいなかったため、仕事でもしているんだろうと大人しく待つことにした。


 気付いたらいつの間にか寝てしまっていたようで、起きているはずなのにまだうとうとと夢うつつの中、冷たい空気が身体を覆ったことによって、死神が戻ってきたことが分かった。


 寝たふりをしていたわけではないが、まだ完全に起きていなかったイベリスは、そのまましばらく寝ていることにした。


 「閻魔め。今の椅子に座っていられるのも今のうちだ。必ずこの手で引きずり下ろす」


 以前から、どういうわけで死神が閻魔の椅子を狙っているのかが気にならなかったわけではない。


 だが、正直に話すとも思えないため、とにかくイベリス自身のためにと行動してきた。


 ゆっくりと身体を起こすと、死神が気付く。


 「ここで寝るなと言ったはずだ」


 「良いじゃねえかスか別に。ついさっき、人間を一人あの世に送ってやったんすよ?んなケチケチしねぇでくださいよ」


 「一人静は始末したのか」


 「そんな指令あったんすか?」


 そう答えると、睨まれてしまった。


 あくまで、死神から言われたことは、ここまでのぼりつめたいなら自分の言う事を聞いて動け、というものだった。


 「んな怖い顔しねぇでもいいじゃないっすか。てか、あいつが邪魔なら自分でやった方が早いんじゃないすか?俺は本来、今際で彷徨ってる奴を呼び寄せる幻想すよ?人間でもねえあいつに勝てるわけないっすよね」


 「・・・・・・」


 恐れ知らずのイベリスの態度に、死神は瞬間、殺せるほどの殺気を出した。


 これには、さすがのイベリスも身ぶるいをしたため、垂れて来た汗を隠すように口角を上げてなんとか自我を保った。


 「本気になれば、俺もそうなるってことっすね・・・」


 「分かったならもっと多くの人間を連れて逝け」


 「へいへい」


 しばらく歩いたイベリスは、足を止める。


 そこに咲き乱れている曼珠紗華は、鮮やかな色をしているものと、色が褪せているものがある。


 ふと、何かが近づいてきて、それがいつも一人静のもとへ来る蝶だと気付くのに、そう時間はかからなかった。


 その蝶は、どういうわけかイベリスにはまったく近寄らず、近くの綺麗に咲いた曼珠紗華に止まると、その花はなぜか枯れていく。


 イベリスが近づくと蝶は飛んでいってしまい、足元には枯れた曼珠紗華が横たわる。


 「・・・無慈悲なもんだ」




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