第2話爛熟




ゆうか゜とう

爛熟



 光の中を一人で歩むよりも、闇の中を友人と共に歩むほうが良い。


      ヘレン・アダムス・ケラー




































 第二文銭【爛熟】




























 「一人静に邪魔されたのか」


 「まあそうっすね。てか、邪魔したのはこっちっすけど」


 折角の人間を逃してしまったことを報告していたイベリスは、大きな欠伸をしていた。


 イベリスの前にいる死神は、顔がない。


 ないというのは正確ではなく、見えない。


 多分、髑髏っぽい顔をしているのだろうが、あまり人前で顔を曝け出すことをしないため、正確な顔立ちなどは知らないし、そこまで興味もない。


 まるで小姑のように文句を言われながら、イベリスはマイペースに話す。


 「カロンの名を貰うのは大変っすね。先が見えねえ」


 すると、死神は何処かへと向かって動き出した。


 「何処行くんスか」


 「知らずとも良い場所だ」


 「へいへい」


 死神が去って行ったあと、イベリスは頭をかきながら別の方向に向かって歩き出した。


 以前、何処へ行くのか気になって付いて行った事があるのだが、その時死神に命を削がれそうになったため、それ以降付いていくことをしていない。


 ふあああ、と欠伸をしながら首を鳴らす。


 「ったく。ぽんぽんと上に行けると思ったのによ。上が詰まってるなら余計に俺ら下っ端が上にいけねえじゃねえかよ」


 文句をブツブツと言いながら歩く。


 これまでさぼってきた報いだろうか、真面目にやっていたら今頃はそれなりの地位が手に入っていたかもしれないが、生憎真面目というのが性に合わないらしく、現状に至る。


 「何の因縁があるんだかは知らねえが、俺を巻きこまねえで欲しいね」


 イベリスはあくまで自分のために。


 今死神の言う事を聞いているのも、全ては自分のためにすぎないのだから、余計な問題には巻き込まれたくないのが本音。


 「ん・・・?犬臭ェな」








 ハッピーは、小さい頃から同じ家で飼われている。


 人間の話す言葉は全て理解出来るわけではないが、自分のことを愛していないことだけは分かっていた。


 ここは自分たちが幸せになる場所ではなく、ここにいる人間が自分の幸せのためだけにハッピーを飼っている場所。


 ブリーダーと言えば聞きは良いかもしれないが、動物を飼育するにはあまりにも汚く狭い場所で、病気や怪我、先天的な欠損などがあればすぐに棄てられるか処分される。


 ご飯も散歩も十分ではなく、周りの子たちは身体が細々としている。


 「こいつもそろそろ歳だな」


 「でも産める間は産ませておこうぜ」


 ハッピーとは、生まれた当初つけてもらった名前だ。


 すぐにここに買い取られてからというのも、最初の数回しか呼ばれたことはない。


 ハッピーは雌犬で、子供も産みやすい身体だったためか、大切にされてきた。


 ようやく子供を産み終えて身体を休めたいという時期にも、雄犬を連れて来られて交尾をさせられまた妊娠してしまう。


 そうやってどんどん子供を産んで行くハッピーも、歳を取るとそれなりに生殖機能が衰えて行く。


 こんなところで死んでいくなんて思っていなかったが、仕方のないことだろうか。


 「今回は幾ら儲かるかな」


 「さあな。高額で売るためにも、元気な赤ちゃんを沢山産んでくれよ」


 ハッピーは無事に子供を産むと、目を瞑った。


 一方でこちらの犬も。


 「この馬鹿犬!!!」


 ソリスは、あいつも怯えていた。


 何か悪いことをしたのか、どうして怒られているのか分からないが、ソリスの飼い主は怒鳴り散らし、蹴る。


 蹴られるのが嫌で大人しくしていても、結果としてされることは変わらない。


 夜中に急に起きてきて、意味もなく殴られることもあったため、ソリスに休息の時間など無かった。








 『あれ?』


 身体が揺られている感覚があって起きてみると、船の上だった。


 ひょこっと顔をあげれば、そこは今まで寝ていた場所とは絶対に違う場所で、綺麗な花が流れていた。


 遠くにある一面の赤いのは何だろうと思って立ち上がろうとしたとき、散歩も碌にしていなかったせいか、少しよろけてしまった。


 『お気を付け下さい』


 声が聞こえてきて、顔を動かせばそこにいたのは飼い主と同じような形をした生き物だった。


 反射的にビクッと身体がこわばってしまい、その生き物が立っている方とは真逆の端へと座った。


 『・・・僕をどこへ連れて行くの?怖いところ?痛いところ?』


 無意識にだろうが、ずっと身体を震えさせているソリスだったが、そこにもう一匹犬がいることに気付く。


 辺りをキョロキョロとしていると、一人静がこう聞いた。


 『この朝凪の乗り心地はいかがですか?』


 『ここは、何処なの?』


 ハッピーはソリスほど怖がっている様子はなく、オールの上に蝶が止まったのを見て、狩猟本能が目覚めたようにじっと見つめた。


 ふと、ソリスは先程見た燃えている場所の部分部分が、不自然に消えていることに気付く。


 同じように、ハッピーも気付き、そのことをオールを漕いでいる一人静に尋ねる。


 『あれは何?どうして同じ色じゃないの?』


 『あちらは、忘れられてしまったのでしょう。悲しきかな、覚えている人が亡くなれば、自然と忘れられてしまうもの』


 オールに止まっていた蝶が再び飛び出すと、その赤く燃える方へと向かっていった。


 ソリスにもハッピーにも、忘れられるとか覚えているとかそう言った概念はよく分からなかったが、なんとなく忘れられることが悲しいことだとは分かった。








 「なんだ、人間かと思ったら犬か。ポイント低いがまあ、塵も積もればなんとやらって言うしな」


 ハッピーは腕を出して川をぴちゃぴちゃさせており、ソリスはそれをじっと見ていると、川からざばっと男が現れたため、驚いて2人とも一人静の影に隠れる。


 ソリスに至っては、先程よりも酷く震えてしまっていた。


 「まるでハイエナですね」


 「それ褒め言葉だよな?」


 「勿論です。鼻が利くという意味ですので」


 急に現れたイベリスに、ソリスは身体を縮込ませていた。


 どうやら一人静と顔見知りのようだが、一人静はイベリスの方を見ることもなく、淡々と船を漕いでいる。


 人間以外の動物は、例えあの世へ連れて行ったとしてもそこまでポイントにはならないのだが、それでも点数稼ぎにはなるだろうと、イベリスはソリスとハッピーに木の実を与えようと近づく。


 だが、ソリスはイベリスが差し出した餌も食べようとはせず、飲み物も口にはしようとしなかった。


 ハッピーは食べようとしたのだが、一人静が止めた。


 なぜソリスがそんなに怯えているのかと、イベリスはソリスに触れる。


 ビクッと強張らせたが、頭から徐々に喉の方に手を運ぶと、そのままソリスの顎を撫でることが出来、その後ハッピーのことも撫でていた。


 それを見て一人静は驚いたように口を少し開いたが、オールを漕ぐ手は止めなかった。


 ソリスは初めてのその撫でられる感覚に、気持ち良いようなくすぐったいような、徐々に目を細めていた。


 「連れて行くんじゃなかったんですか」


 「俺ぁよぉ、こう見えて根は優しいわけ」


 「その口で言いますか」


 「安心しな。こんないつ死んでもおかしくない犬を今すぐ連れて行こうなんざ思わねえよ。それより、この船どっかにつけろ」


 「朝凪です。何を企んでいるんですか」


 「はいはい朝凪ね。遊ぶだけさ、そう怖い顔すんなって」


 イベリスがいつ幻を見せて、ソリスを連れて行こうとするとも限らない。


 だが、一人静はオールを動かすと、どこかの河原へつける。


 イベリスはソリスとハッピーを連れて河原に下り、そこで石を投げたり走りまわったり、ソリスに水をかけたりして遊びだした。


 しばらく遊んだ後、2人とも疲れて眠ってしまったため、朝凪に乗せる。


 「なぜあんなことを?」


 「理由が必要か?俺には俺の考えってもんがあるんだよ」


 「死神の使いに、考えがありますか」


 「おー、刺々しいお言葉」


 イベリスは朝凪に乗りこもうとしたのだが、そんなこと一人静が許可を出すわけがなく、イベリスは船の縁に掴まって川の中を進んでいる。


 ソリスは最初に来たときのように怯えている様子はなく、すやすやと安眠中だ。


 ハッピーに至っては、お腹を見せている。


 「死者を運ぶ者。カーストの位でいうとカロンと同じ位置に死神はいる。俺はそこに行きたい、死神はその上に行きたい。利害が一致してるから今はとにかくポイントを集めてるってわけ」


 「死神は何を狙っているんですか」


 「さあ?もしかしたら、閻魔の椅子かもしれねぇ」


 「閻魔様の・・・?」


 この世とあの世を繋いでいるこの世界に置いて、頂点に君臨しているのが閻魔。


 そしてその部下が数名、その下に事務員が、その更に下にいるのがカロンたちだ。


 閻魔は代々継承されている存在だが、時折、全く別の角度というか、閻魔の血筋とは異なる者がそこに座るときもあるらしい。


 「だがまあ、正直言って、今の死神じゃあ閻魔には太刀打ちできねぇだろ。どうやって始末する心算かは知らねえが、俺は後釜を奪えればそれで良いんだ」


 「ところで、いい加減に下りていただけませんか?でないと、丸呑みされますよ」


 「へ?」


 一人静がそう言うと、いきなり朝凪を作りだしている蛇がイベリスを見てきて、顎の関節を外して大きな口を開けて来た。


 涎なのか消火液なのか分からないそれを間近で見ていたイベリスは、にへら、と笑いながらもなぜか朝凪に乗りこんできた。


 「下りてくださいと申し上げたはずですが」


 「そう堅いこと言うなよ。お前を引きずり下ろすにはお前のことを知る必要があるんだ」


 「・・・・・・」


 イベリスが何か色々と聞いてきた気がするが、一人静は聞き流しながらそのままオールを動かしていた。


 そしてとある河原に着くと、丁度ソリスとハッピーが目を覚ます。


 「なんだ?ここ」


 初めてくる場所だと、イベリスは興味深く身を乗り出して確認しようとした。


 そのとき、一人静がオールを思い切り一漕ぎさせたため、背中を押されたイベリスは軽やかに川に落ちてしまった。


 川から顔を出すと、なぜかここだけ雨が降っている。


 ソリスとハッピーが朝凪から下りると、一人静も下りてある方向を示す。


 『ここを真っ直ぐに進んでください。決して振り返らずに』


 『・・・またあの怖いところへ戻るの?』


 『私も、戻るのが怖いの』


 一人静が、犬たちと話しているように見えるが、一体何を話しているのかまではイベリスには分からなかった。


 『どれだけ辛くとも、戻らなければなりません。ですが、きっとあなた方を愛してくれる人間が現れることでしょう』


 ソリスは此処に来る前のことを思い出したのかまた震え出し、ハッピーもなかなか足を動かさない。


 それを見て、一人静は掌から花を出す。


 『花もいつかは枯れるものです』


 綺麗に咲いていたはずのその花は、掌の上であっという間に枯れてしまった。


 すると、何処からか鳥が飛んできて、2人が進むべき方向へと飛んで行ったため、夢中でそれを追いかけた。


 目を覚ましたとき、ソリスもハッピーも保護されることになったそうだ。


 近所の人が連絡を入れて、動物愛護団体が動きだしたらしい。








 「なぜ当たり前のように乗っているんですか。落ちてください」


 「すでに『下りろ』ですらねぇんだな」


 ソリスとハッピーが向こうへ戻ったとき、結構な雨が降ったにも関わらず、一人静は濡れていなかった。


 いや、もしかしたら濡れたのだが、乾燥速度が異様に早かっただけかもしれない。


 イベリスは朝凪になんとか乗り込み、次の人間を標的にしようと考えているようだが、一人静がそのことを知らないはずもなく、何度も川に落とそうとしている。


 「お前さぁ、人語以外も話せんだ?」


 「てっきりあなたも話せると思っておりました。何しろ死神の使いっぱしりですので」


 「あ、そういう言い方する?てか、死神が何語話せるかなんざ、俺が知るわきゃねぇだろ。そこまで長ェ付き合いでもねぇし」


 イベリスが、どうして話せるのかとか、何処で誰に習ったとか、そういうことをずっと聞いてきたため、一人静はついに、朝凪に命じてイベリスを川に突き落とした。


 やり方としては簡単で、絡み合っている蛇の間に隙間を作り、要するに船底に穴が開いた状態にすることで落としたのだ。


 そしてイベリスがすぐさま船にあがってこられないようにするため、落してすぐに千里駆け巡る。


 きっと、川から顔を出したイベリスはぽかんとしていることだろうが、そんなこと気にしない。


 落ちた本人は、すっかり見えない船に感心さえしていた。


 「あの速度じゃエンジンもいらねぇな」


 一旦川からあがってその上で胡坐をかくと、頬をかく。


 またしてもあの世に連れて行くことが出来なかったが、今回はしょうがないということにしようと、自分を納得させて。


 「あー。怒られっかな?減点とかされねぇよな?」


 まさか降格はしないだろうと、イベリスはちょっとの不安を抱えながら死神のもとへと帰るのだ。








 その頃、何処かの河原にいた一人静は、仮面を外すとその下に巻いていた黒い布も外す。


 それを川で洗って乾かすと、目元を覆ってまた縛り、その上から仮面をつける。


 すると、オールに蝶が止まった。


 「また来たんですか。物好きですね」


 その蝶が、流れて来た蓮の花に飛んで行ってリンプンが蒔かれると、その蓮の花は一周り大きくなった。


 赤いローブを頭に被ると、一人静は再び朝凪に乗りこむ。


 「さあ。また迎えに行きましょうか」




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