第4話お腹がいっぱいになったなら
ウルフ オア ウルフ
お腹がいっぱいになったなら
人生は公平ではない。そのことに慣れよう。
ビル・ゲイツ
第四匹【お腹いっぱいになったなら】
「おかえりなさい」
「ただいま」
安達優子の夫、安達悟志はとても真面目な商社マンだ。
会社からの評判も良く、部下にも慕われ頼られ、不満などなかった。
そう、結婚して最初の頃は・・・。
家に帰ってくると、悟志は風呂に入り、その間に優子が用意した夕飯を無言で食べると、すぐに寝てしまう。
感謝の言葉が欲しいわけでもない、かといって、謝罪の言葉が欲しいわけでもない。
ちょっとしたことで良いから、会話をしたかっただけなんだろう。
優子からしてみれば、悟志はとてもつまらない男で、今になると、どうして結婚なんかしたのだろうと思う。
そんな生活をしているものだから、当然夫婦の営みもあるはずがなく、二人の間には子供もいない。
40代後半に入ってしまった優子は、この歳になって子供が産めるか不安であった。
しかし、幾ら一人で子供の心配をしたところで、悟志はきっと子供が欲しいなんて思っていないのだろう。
結婚を申し込まれる前、言っていた。
「子供はいらない」
その時は、別に子供なんかいなくても、悟志と一緒に暮らせるならと、淡い恋心だけでなんとか気持ちをセーブしていた。
だが、どうだろう。
家にずっと一人でいることが苦痛になり、パートの仕事を始めた。
仕事の合間にも、誰誰さんの子は今中学生で、とか、誰誰さんは妊娠をしたのだとか、いつ頃生まれる、何歳になる、入学式だ、卒業式だ、運動会だと。
子供の内容の会話を聞く度に、その話には入れないことで寂しさも覚える。
「安達さん、休憩入っちゃって」
「わかりました」
悟志は弁当をいらないと言う。
お昼は会社の人と食堂で食べることにしてるからと、断られたのを覚えている。
子供にも作ることがない優子は、自分のために作った。
そもそも悟志と出会ったのは、悟志が今も働いている会社でのことだ。
高卒で会社に入った優子は、大学院まで行った悟志よりも先輩であった。
悟志が入ってきた頃は、優子が面倒を見ていたこともあるのだが、その頃から悟志は真面目な青年であった。
同僚が飲みに誘っても行かないし、女性からアプローチをされても無視していた。
優子は、目立つ方ではなかったが、仕事ぶりは優秀だった。
どうして優子と結婚をしたのか、いや、そもそも誰でも良かったのではないか。
今ではそう思ってしまう。
きっと親に結婚はしないのかと迫られ、大人しそうだった優子を選んだ、という具合なのではないか。
朝と夜は優子のご飯を食べるが、決して美味しいとは言わない。
ただ黙々と食べていて、優子から話しかけても何も答えない。
無口な人だとは思っていたが、これほどとは・・・。
「あなた、鈴木さんのお子さんがもう高校生になったんですって。早いわね」
「・・・・・・」
「お客様でね、お財布を忘れたっていって、私焦っちゃったわ」
「・・・・・・」
「そろそろトウモロコシが美味しくなる時期ですね」
「・・・・・・」
何を語りかけても、うんともすんとも言わない悟志に、優子は小さくため息を吐く。
黙ってご飯を食べようとすると、悟志はもう食べ終えてしまったようで、一人席を立つと寝室に行ってしまった。
「・・・・・・」
優子は一人、ご飯を箸でつまんだ。
翌日、優子はパートにでかけると、今日から新しい上司が来ると盛り上がっていた。
「あら、新しい人?」
「そうなのよ!しかも、若くてイケメンらしいわよ!」
「どんな人かしら!」
まるで女子高生のようにはしゃぐ周りの人を見て、優子も同じように笑った。
そして新しい上司が来ると、みな周りに集まって挨拶をする。
「はじめまして。本日からこちらでマネージャーをします、穂高と申します」
穂高という男は、爽やかで背も高く、誰にでも微笑むような印象だ。
しかし、仕事が始まれば違った。
言う事ははっきりと言って、年上だろうがなんだろうが、間違っていることは指摘し、こう改善してほしいと言える人だった。
若いのにしっかりしてるな、と思っていた優子は、休憩に入ると弁当を持って、みんながいる休憩室に行く。
「穂高さんって、素敵ね」
「私怒られちゃった。けど、怒鳴ったりはしないわよね。ちゃんと教えてくれるし」
「頼りになるわ」
そんな話が聞こえてくるが、まだ穂高と直接話をしていない優子は、それを聞いて相槌を打つだけだった。
午後の仕事も終わって、優子は買い物をしてから帰ろうと、一度裏から店を出て、表から店に入って行く。
特別な料理を作っても何も言ってくれないが、優子も働くようになってから、生活は結構余裕が出てきたため、今日はお寿司がステーキにでもしようと思った。
どれが美味しいのか店の人に聞いてそれをカゴに入れる。
買い物を終えて帰ろうとしたとき、ふと、穂高が裏から出てきたのが見えた。
「お疲れ様です」
「ああ、お疲れ様です。帰りですか?」
「ええ」
穂高は手に煙草を持っていたから、きっと喫煙でもしようとしていたのだろう。
優子に話しかけられたとき、わざわざポケットにしまってくれたが、見えてしまった。
悟志は煙草を吸わないため、悟志からは決して臭うことのない煙草の臭いだが、そう悪いものでもないなと感じる。
「穂高さんが来て下さって、みんな喜んでいましたよ。若いのにしっかりしてるって」
「そんなことありませんよ」
これ以上邪魔をしては悪いと、優子は挨拶をしてその場を去って行った。
その日以来、時々穂高と話すようになる。
それは他愛もないことだが、その他愛もないことを話せることが、優子にとっては嬉しいことでもあった。
「安達さん、旦那さんと話さないんですか?」
「ええ。無口な人なんです。帰ってきてもほとんど会話もなくて」
「へー。本当に真面目な感じですね」
仕事終わりにコーヒーを差し入れしたり、時にはお菓子なんかも。
まるで自分の子供のように接していた優子だが、ある日、穂高に食事に誘われた。
どうしようかと迷い、家に帰って悟志が帰ってくると、これから友達と食事に行ってきても良いかと聞いてみる。
ドキドキしながら聞いた優子だが、悟志はあっさりと行って来い、と言ってきた。
拍子抜けしてしまった優子だが、悟志のご飯の準備をすると、着替えて出かける。
「じゃあすみません、行ってきます」
「・・・・・・」
返事がないため、優子はそのまま出てきた。
近くのコンビニまで迎えに来てくれると言っていたので、コンビニまで急ぎ足で行く。
すると、穂高が喫煙場所で煙草を吸っていた。
「遅くなりました」
「いえ、さっき着いたところですから」
にこりと笑って、穂高は煙草を消すと車を開けた。
「どうぞ」と言われ、優子は悟志以外の男性の車に乗るのが初めてだったため、緊張してしまった。
車に乗ると、煙草の臭いはせず、それに綺麗にされていた。
「食べたいものとかありますか?」
「あ、嫌いなものあまりないから、私はなんでもいいですよ」
結婚してからというもの、いや、結婚前もだが、お洒落なお店になど行ったことはない。
外食が嫌いなのか、悟志はいつも夕飯は家で食べていたし、優子は一人でたまにラーメン店には行くが、それ以外は行かない。
穂高が連れてきてくれたお店は、目立たないような場所にあって、こじんまりとしていたが、お洒落な内装だった。
パスタやグラタン、ピザやそれらのセットなどがメニューに書かれている。
優子はグラタンとスープを頼み、穂高はパスタとミニピザのセットを頼んだ。
「美味しい!」
ボリュ―ミーで、見た目も良くて、それでいて美味しかった。
自分が作るものとはまるで違う、味。
身体も温まるし、お腹も満足。
会計のとき、優子は財布を出して半分出そうと思っていたが、穂高が先に払ってしまったため、後で渡そうと思った。
店を出てから半分払うと言ったのだが、良いと言われてしまった。
御礼を言って、またコンビニまで送ってもらう。
「ありがとうございました。御馳走様でした」
「いえ、気をつけて帰ってくださいね」
家に帰ると、もう悟志は寝ているようだ。
部屋は真っ暗にしてあり、優子はキッチンの方だけ電気をつけると、明日の分の米のセットをする。
風呂に入ると、先程までの夢のような出来事を思い出し、笑う。
悟志とはほとんど出かけたこともない。
基本的に土日が休みの会社にいたが、休みの日にも悟志は仕事に行ってしまうし、久しぶりに休みだと思っても、パソコンを開いて何かしている。
当然、その時に話しかけたとしても返事など返ってきた試しがない。
旅行にだって行きたいし、本来であれば子供を作って、子供の行事にも出たかった。
写真だって沢山撮って、アルバムにしまって、ビデオもとって、何年か経ったら子供と一緒に見ようと思っていた。
子供がいらないなんて、きっとそのうち考えが変わるだろうと思っていた自分が甘かったと優子は自分を責めた。
翌日、この日は土曜日だったため、悟志は仕事が休みだったが、家に籠って仕事をするようだ。
優子はパートの仕事があるため、悟志に声をかけ、出かけた。
お昼を作って行こうとした優子だったが、悟志が昼は何処かで食べてくると言ったため、作らず出てきた。
仕事場に着いた優子は、悟志のことなんか忘れて仕事に集中する。
パートの仕事をしていなかったときには、悟志が休みだと、嫌でも視界に入ってしまうし、なんだか落ち着かない。
こうしてパートの仕事を始めたことで、優子は心にゆとりが生まれた。
毎日毎日顔を合わせるだけで、まともに会話などしない夫よりも、パート仲間と話をしている方が楽しい。
そしてなにより、穂高がいるから。
こう思ってしまった瞬間、優子はハッ我に返る。
自分は何を言っているんだろうかと。
これではまるで、自分が穂高のことを好きみたいじゃないか。
自分の子供のように思っているだけなのだと、自分に言い聞かせていた優子だが、あれからというもの、何回か穂高と二人きりで食事に行くことがあった。
その度に、優子は少しずつお洒落な格好をしていくようになったが、悟志は全く気付くことはなかった。
一方で、穂高はちょっと髪を切っただけでも気付いてくれて、それも優子にとっては嬉しいことだった。
久しぶりにちゃんとフルメイクもして、穂高に会うたびに女になっていく優子に、悟志は気付いているのだろうか。
穂高と出かけるようになってから半年ほど経つと、優子の行動は大胆になる。
以前であれば、悟志にはバレないように化粧などもしていたが、今では目の前にいてもしているし、髪型も気にして美容院に頻繁に行くようにもなった。
仕事場でも、最近綺麗になったと言われるようになった。
そんなことを言われたのは、何十年ぶりだろうか。
「安達さん、今日ちょっと残業してもらえる?」
「ええ、大丈夫ですよ」
「ごめんなさいね」
家に帰ったって、どうせ一人なのだ。
優子は言われたとおり、1時間ほど残業をしてから家に帰っていった。
買い物をしてから家に帰ると、家の電話が鳴った。
「はい、安達です」
『俺だ』
「はい、どうかしましたか?」
『急に出張になった。一旦家に帰ってすぐ出かけるから、3日分用意しておいてくれ』
「わかりました」
電話は、悟志からだった。
本当に出張なのかは知らないが、きっと悟志が言うのだから本当なのだろう。
何しろ、仕事だけの人間だから。
優子は言われた通り、悟志が出張で持っていくための準備をする。
大きな鞄に、ワイシャツやネクタイ、下着にひげそり、それにきっと新幹線で行くのだろうからと、おにぎりも作っておいた。
電話が切れてから50分ほどで悟志は帰ってきて、準備してある荷物を手にとると、そのまま出て行こうとした。
「あ、ちょっと待って」
優子は悟志を呼びとめて、新幹線の中で食べられるようにと作っておいたおにぎりと手渡す。
何も言わずにそれを受け取ると、悟志は出て行ってしまった。
明日は折角の休みだからと、優子は公園にでも散歩に行こうと思っていた。
もちろん、悟志と一緒に。
しかし予定が無くなってしまった優子は、ふと、穂高の携帯に電話をかけた。
何回目かのコールで穂高が出ると、それだけで鼓動が高鳴ってしまうなんて、自分はまだまだ乙女だと感じる。
「あの、安達ですけど」
『おつかれさまです。どうかしましたか?』
「あの、実は」
自分の夫が出張に出かけてしまったこと、3日は帰ってこないことを伝えると、最後にこう言った。
「良ければ、今日、うちに来ませんか?」
『え?』
「ゆ、夕飯に作っておいたおかずもあって、1人じゃ食べきれないので」
それは口実として、この空間に穂高がいてくれたらどれだけ心強いかと、優子は初めて自分から男性を誘った。
穂高は仕事が終わるのが遅くなると伝えたが、優子は待っていると伝えた。
穂高も明日は休みのようで、仕事が終わってから行くと言われた。
優子はまだ用意もしていなかった夕飯の支度を始めると、お風呂も綺麗に洗って、部屋も綺麗にした。
9時少し前に、穂高から電話があり、今から向かうと言われた。
優子は髪の毛もセットして、普段着ている部屋着ではないものを着て、穂高が来るのを今か今かと待っていた。
インターホンが鳴りドアを開けると、そこには穂高がいた。
穂高を招き入れると、並べられた食事に、穂高は「すごい」と言っていた。
「煙草は換気扇の下か、ベランダなら吸っても大丈夫です」
そう伝えるが、穂高は外で一本吸ってきたようで、まず先に夕飯を食べることになった。
「美味しいです!料理上手なんですね」
「良かったです」
自分が作ったものを、こうして美味しそうに食べてくれて、優子は嬉しかった。
いつもなら、無表情で淡々と食べるだけの悟志がいるだけで、こうして笑いながらの食事も初めてかもしれない。
穂高はどんどん食べてくれて、美味しい美味しいと言ってくれた。
食後にベランダで煙草を吸ってから風呂に入ってもらい、その間に優子は食器を片づけていた。
お気づきだろうが、優子は穂高に今日泊まっていってくれと頼んでいた。
この歳になって、心細いなんてことはないのだが、もしも傍にいてくれる人がいるなら、いてほしい。
悟志はいつも先に寝てしまうし、冷たい布団に一人で入る毎日。
優子は悪いことだとは分かっていたが、それでも、今の優子にとって穂高は大切な存在であった。
そしてその日、優子と穂高は、上司と部下という関係を越えてしまった。
朝になり、優子は今まで感じたことのないような倦怠感に襲われる。
目を開けて時計を見ると、もう8時を過ぎていた。
慌てて身体を起こすと、そういえば今日は休みで、悟志もいないのだと思いだす。
またゆっくりと布団に横になると、そこには初めて感じる他人の体温があり、優子はそこでまだ寝ている人物を見上げる。
「・・・・・・」
やってしまった、と後悔しているのかと思いきや、優子にあるのは後悔だけではなかった。
心も身体も満たされたような、とても幸せな気分だった。
それから5分もしないで優子は起き上がると、朝はコーヒーだけだと言っていた穂高の為にコーヒーの準備をする。
優子もそれほど朝は食べないため、自分の分の飲み物を用意して、テレビをつける。
カーテンを開けると眩しいばかりの太陽の陽があたり、思わず目を瞑る。
窓を開けて風が入ってくるようにすれば、まだ少し寒いが、新鮮な空気が入ってくる。
優子は椅子に座って飲み物を一口飲むと、軽くシャワーを浴びた。
私服に着替えてテレビを見ていると、そのうち穂高が起きてきた。
「まだ寝てても良いのよ?」
「ん・・・。トイレいったらまた寝る」
寝惚けているのか、穂高が壁にぶつかったりしていたが、無事にトイレに辿りつき、その後宣言通り布団に戻った。
その姿を見てクスリと笑うと、優子は雑誌に手を伸ばした。
それから1時間ほどすれば穂高も起きてきて、優子は用意しておいてコーヒーの準備をするからシャワーでも浴びてくればと言う。
シャワーを浴びた穂高は、パンツだけを身に纏って戻ってきた。
コーヒーに手を伸ばして飲むと、テレビを見ながら頬杖をつく。
少しすると、穂高が口を開いた。
「折角の休みだし、どこか行きます?」
「え?」
「動物園でも水族館でも、ショッピングでも」
優子は思わず頷いた。
それから穂高は顔も洗って着替えも済ませると、車の鍵を手にした。
着替えが終わっていた優子は化粧をして、玄関の鍵を閉める。
嬉しかった。本当に嬉しかった。
それに、楽しかった。
だから、優子は気付かなかった。
穂高に送ってもらったあと、優子は穂高が来ていたことがバレないようにと、片づけを始める。
煙草の吸殻も臭いも、コップもしまって布団も綺麗に畳んで、何事もなかったかのように。
すると突然、インターホンが鳴った。
誰だろうと思って玄関を開けると、そこには出張に行っているはずの悟志がいた。
「ど、どうしたんですか?出張だったんじゃ・・・」
「・・・・・・」
悟志は黙ったまま家に入ると、優子が用意してくれたその出張用の鞄を放り投げた。
そして、ゆっくりと優子に向かってこう言った。
「お前、俺を裏切ったのか」
「え?」
「浮気していただろう」
「何を言ってるの?何か勘違いをしてるんじゃ」
そう言った途端、急に悟志が優子の首をつかんだ。
「!!!」
「俺はお前の為に毎日毎日働いているんだぞ!!それをお前は、若い男を捕まえて!!俺を馬鹿にしてるのか!!!!」
「あっ・・・ガッ・・・!」
このままでは殺されてしまう、そう感じた優子は、ふと、腕の先に包丁があることに気付き、それを掴んだ。
優子が包丁を掴んだことに気付いた悟志は、慌てて優子から離れる。
「あなたがいけないのよ!!私は何のためにあなたと結婚したの!?私を一人にしてたあなたのせいよ!!!」
包丁をブンブンと振り回しながら、優子は泣いていた。
すると、それがたまたま悟志の腕を掠めてしまい、悟志の腕から血が出てきた。
それでもなお、優子は包丁を手から放すことはなかった。
悟志も自分の身の危険を感じたのか、後ろの棚を手探りで開け出した。
しかし、そこには包丁に対抗できるような刃物は入っておらず、食卓にならぶスプーンやフォーク、箸があるだけだった。
それでもこちらに向かってくる優子に、悟志は無我夢中で何かを手に取り、それを優子に向けて振り下ろした。
―・・・・・・
一瞬の沈黙の後、悟志がゆっくり目を開けると、そこには優子がいた。
いや、ただそこにいたわけではない。
ガラン、と包丁を床に落とした優子の顔には、何かが刺さっていた。
それは、いつも自分が使っている箸。
その箸が優子の眼球に突き刺さっており、そこからは血が出ていた。
ゆっくりと倒れて行く優子は、自らがそこに落とした包丁によって、腹を刺してしまう。
悟志はただ茫然とし、警察に電話をかけたのは、深夜になってからだったとか。
「仲が良い夫婦だったわけじゃないけど」
「旦那さんはすごく真面目な方で」
「奥さんだって、パートの仕事頑張っていたじゃない」
「子供はいなかったみたいだけど」
「奥さん、子供が欲しいって言ってたものね」
「旦那さんは?」
「幼いころ、虐待されていたみたいよ。それで不安になっちゃったんじゃない?」
「まあ、そうなの?」
「それが原因で、あまり話さなくなったって聞いたわよ?」
「でも奥さんは欲しかったんじゃない?」
「そうよね。私、前に奥さんが本屋で子育ての本読んでるのみたもの」
「ベビー服なんかも一時期作ってたみたいだし」
「そりゃあ、子供は欲しいわよね」
夫の悟志は仕事を辞めざるを得なくなり、優子殺害で逮捕されてしまった。
理由としては、自分は優子の為に必死で働いていたのに、若い男を作っていたから、と証言をしているようだ。
その若い男、穂高は、警察の事情聴取において、こう答えている。
「安達さんとはそういった関係ではありません。あくまで上司として、相談に乗っていただけです」
その相談の際、食事に行ったことは認めたが、男女の仲になったことは認めなかった。
「安達さんが自宅に招待してくださったので、断っては申し訳ないと、確かに一度だけ行きましたが、それだけです」
免疫のなかった女性の前に、若い男性が現れたことで、優子が勝手に意識してしまったのだろうという見解にいたった。
優子はとても大人しい性格だったため、人前では相談も出来ず、信頼出来る穂高と話すため、二人きりになれる場を用意したのだろうと。
優子も悟志もいなくなってしまった部屋は、すっかり空き部屋となってしまった。
「狼だ!!みんな隠れて!!」
なぜ、狼はお母さん山羊は狙わなかったのか。
なぜ、時計の中という見つかり易い場所にいる子山羊を見つけられなかったのか。
「助けて!!」
自分の兄弟が、大きな口を開けた狼に飲まれていく姿を見て、子山羊たちは何を感じていたのだろうか。
4匹目は、台所の戸棚の中。
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