第3話狼が欲しいのは、何?
ウルフ オア ウルフ
狼が欲しいのは、何?
嘘は、生き続けることなどできない。
キング牧師
第三匹【狼が欲しいのは、何?】
「ちょっといいかね」
「はい、いらっしゃいませ」
「ハエが飛んでいるが、不衛生だと思うんだがね」
「申し訳ございません」
「まったく、本当に最近の若いもんというのは、知識もないのに偉そうなことを言うな。ワシはこの会社の幹部と知り合いなんじゃ。もっと安くしろ」
「そういったことは、ちょっと」
とあるスーパーでの出来事である。
その老人が帰ると、相手をしていた男だけでなく、周りの従業員もホッと安心する。
「石田さん、また来たわね」
「毎日来るわよね」
「今日も何も買っていかなかったわよ」
みんなに煙たがられている老人の名は、石田剛、72になる。
毎日のようにここのスーパーに来ては、いちゃもんをつけて帰るのだ。
今日のようにすぐ帰るときもあれば、店長を呼んで来い、社長を呼んで来いと叫ぶときまである。
はっきりいって、来ないでほしい客だ。
本当かどうかは知らないが、本部の人の知り合いのようだが、だからなんだという話であって、だからといって割引する理由なんかにはならない。
しかし、面倒事にならないようにと、店長は安く出してと言ってくるときがある。
先日、オードブルを注文したいと言って来て、珍しいと思っていたら、5000円ほどの内容のものを、半額にまけろ、と言ってきたのだ。
知り合いだかなんだか知らないが、そういうことは出来ないと説明したのだが、てんで意味なし。
だから、その老人が来ると、店内には出ないようにする従業員がほとんどだった。
そういう面倒な客は他にもいる。
子供が万引きをしておきながら、謝ってこないばかりか、万引きの際、逃げたときに壊れた自転車の修理代を出せと言ってくる主婦。
子供がいなくなったと言いながら携帯をいじり、防犯カメラがあるのだから見せてくれと言うだけで、探そうとしない親。
揚げたてのコロッケを手に入れるため、手で直に触って温かさを確かめ、自分が触っていない綺麗なコロッケを持っていくおばさん。
カゴには入らないと分かる大きさの寿司を無理矢理カゴに入れて、レジで取り返るかと聞かれると、当然のように交換しろと言ってくる女。
自分の知識をひけらかしたいからと、従業員を捕まえて、商品について詳しく説明しろと言っておきながら、答えられないと威張って説明を始めるおじさん。
とにかく、そういう人が多い。
就職活動中に、たまたま内定をもらったその会社は、地元では有名なスーパーだった。
他のスーパーと比べて、美味しいものを選んでいるし、新鮮なものを提供している。
「コレ美味しいわね」
「品ぞろえが豊富ね」
なんて、言ってくれる人はあまりいなくて、時々会えるとちょっとだけ嬉しい。
しかし、そういう人はほんとうに少なくて、ほぼ変な客だ。
男は、そんなスーパーで働いていた。
今年でもう6年目になり、立場もチーフとなっているが、本部に行こうとか、これ以上上に行こうとは思っていない。
別所武は、向上心が無かった。
ただ偶然そのスーパーで拾ってもらって、そこで働いているだけ。
本当は、この会社も嫌だったのだが、就職活動をするのが面倒だったため、そこに決めたのだ。
別所は、そろそろ辞めたいと思っていた。
根性がないとか、若者はすぐに辞めるとか、そういうことを言う人がいるかもしれないが、これは仕方ないことだ。
そういう変な客の相手はしないといけないし、パートやアルバイトはやる気がないのか、売上がないのに残業をさせてくれなんて言ってくる。
前のチーフは残業させてくれたとか、本部の人は結局ゴマすりだとか、こんな会社に未来はないとか。
理由は色々あったが、精神的に長期休暇が欲しかった。
「はあ・・・」
お昼休憩になり、別所はカップ麺にお湯を入れる。
その間にアイスを食べて、携帯をチェックする。
もう少し頑張ってみれば、と親には言われたが、もう自分としては充分頑張ってきたし、我慢してきたのだ。
限界がきた、と言えば良いのか。
もともと人見知りをする別所は、こういった接客業をしようとも思っていなかった。
いつもニコニコしていないといけないなんて、有り得ないと思っていたのだが、事もあろうにスーパーに来てしまった。
「・・・あ。そうだ」
明日からの予定表を作っていなかったなと、別所はお昼を食べると事務所に向かい、パソコンを見た。
アイコンを開くと、カタカタと一週間分の予定表を作る。
時計を見てお昼休憩が終わるのを確認すると、トイレに行ってから着替えて、すぐに作業場に戻る。
「あーあ。あの爺さん、本当に面倒くせぇなぁ・・・」
あの爺さんとは石田のことだ。
毎日のようにきては、いちいち突っかかってくるのだ。
こちらは仕事中だというのに、あれやこれやと御託を並べていく。
言い方は悪いかもしれないが、石田の一番の犠牲者はきっと別所だろう。
「えっと、午後は・・・」
売り場に戻り、午後の計画を立てようとするが、その時別所の視界にはいてほしくない人物が映っていた。
「おい」
「・・・はい、何でしょう」
「客に向かって笑顔を向けられないのか!おい!だいたいな、毎日わざわざ来てやって、こうして一から教えてやってるのに、そんな嫌そうな顔を客に向けて・・・」
石田の話など、別所は右から左に聞き流していた。
どうせ碌なことは話していないのだ。
ただただ、自分が正しいのだと、自分のことを尊重しろと、そう言いたいだけなのだから。
「・・・で、ワシはずっとこの街に住んでいてな、この街のことならなんでも知ってるんじゃ」
仕事にも戻りたいのに戻れず、別所ははあ、とため息を吐いた。
10分、15分くらいすると、ようやく石田は満足したのか、店から出て行った。
やっと帰ってくれたのだと、別所は仕事に戻った。
夕方になってタイムカードを切ると、別所は自分の車が置いてある駐車場まで向かい歩いて行く。
その時、石田が歩いているのが見えた。
余程暇な爺さんなんだな、と思っていた別所だが、ふと、石田の後をつけることにした。
夏はあまり好きではない。
暑いからというのもあるし、あまりエアコンをつけたくない別所には、寝苦しい夜にもなるからだ。
しかし、今日は程良く涼しい風が吹いている。
陽も伸びてきて、まだ明るい。
石田の家はなんとも古びた建物で、築何十年経っているのかは知らないが、強い地震でもくれば、すぐにでも壊れてしまいそうだ。
石田は一人暮らしだと誰かが言っていたが、一人暮らしというよりも、そもそもあの性格で結婚などしていたのか、子供などいたのか、甚だ疑問だ。
しかし、金は持っているらしい。
たまたま珍しく買い物をしていた石田がレジに並んだ時、レジの女性の目に財布の中が見えてしまったのだが、相当入っていたようだ。
この家からは想像も出来ないが。
ふと、別所は帰ろうとしていたことを思い出し、踵を返した。
「あー。疲れた。なんか疲れた」
明日は公休日だったはずだと、予定を確認すると、明日はゆっくり寝られると少し嬉しくなる。
暇なときは暇なのだが、イベントや年末年始などは、これでもかというほどに忙しくなる。
本部から応援が来ることがあるが、はっきりいって使い物にはならないし、応援が来るくらいなら自分達だけで間に合わせる。
「さてと」
車のエンジンをかけて、別所は自分のアパートまで帰る。
途中、コンビニによって夕飯を買うと、運転をしながらつまみ食いをする。
アパートに帰ってテレビをつけるが、面白いものがやっていない。
「最近つまんねぇなぁ」
男性の部屋にしては、きちんと綺麗に整理されている。
マンガは沢山あるが、それらも本棚に並べられているし、布団は毎日上げ下げしているし、カーテンを開ければ涼しい風が入る。
「今日は気持ち良く寝られそうだな」
冷蔵庫に入っているビールを確認すると、シャワーを浴びる前にコンタクトを外し、ゴミ箱に捨てる。
今日一日分の汚れを落として髪の毛をガシガシと拭きながら、ビールを取ってプルタブを開ける。
「っかー!!」
身体に沁み渡る、なんて素敵な飲み物だろうか。
五臓六腑に沁み渡ると、昔父親が言っていたのを聞いて、なんて親父臭いのだろうと思っていたが、こうしてしみじみ自らも感じる歳になった。
別所は、そのまま布団に仰向けになって寝た。
翌日、寝坊する心算でいた別所のもとに、一本の電話が鳴った。
「・・・・・・んー?」
少し経って切れたのだが、またすぐに鳴りだし、それが切れてもまた鳴る。
「っだー!!誰だよ!?」
勢いよく身体を起こして携帯を見ると、そこには部下の名前があった。
朝からなんだろうか、何か発注を忘れていたのか、それとも誰かパートでも休みなのか。
とにかく出ないと分からないと、別所は渋々電話に出た。
「もしもし?」
『あ、おはようございます。お休みのところすみません』
「あー、いや、何?」
『それが、あの石田っておじいさんが、チーフを呼べって言ってまして』
「俺は今日休みだって伝えろ。どうせ明日も来るんだろ?」
『そう言ったんですけど、今すぐ呼べって言って。店長に相談したら、電話して呼べって言われたので』
「はあ?・・わかった。すぐ出るけど、30分くらいかかるから」
『はい。お願いします』
携帯を切ると、別所は頭を抱えた。
「あのクソジジイ。俺は休みの日に出勤なんてしたくねぇっつのに」
なぜ石田ごときに自分の休みを奪われ、振り回されなければいけないのか。
別所の苛立ちは積り積っていた。
着替えて車に乗り、急いで店に着くと、そこには石田の相手をしている部下がいた。
別所が来たことを知ると、部下はぱあっと表情を明るくする。
「チーフの別所ですが、なにか御用でしょうか?」
私服バリバリにしてきたのは、今日自分は休みだったのだと、石田に示すためでもあった。
すると、私服姿の別所を見て、石田はこう言った。
「ふん。仕事もせんと、そんな恰好でふらついておったのか。良い御身分だな」
「・・・本日はお休みの日でしたので」
「休みなんてあると思うな!給料もらってるんだから、ちゃんと働け!」
ただでさえ眠いのもあって、別所は石田に労働基準法の話でもしてやろうかと思った。
「月に何日は休め、という日数が決まっておりまして、本来であれば本日公休日であった私は、ここに来る義務はありません」
「偉そうなことを言うな!まともに老人の相手も出来ないくせに、若造が!それで金がもらえるんだから、楽なもんだな!」
そう言うと、石田は持っていた杖で別所の頭を叩いた。
これには、さすがに店長が寄ってきて、石田になにか言っている。
しかし、別所にはもう何も聞こえない。
なかなか謝ることも、帰ろうともしない石田に、店長は店のクーポン券を渡すと、石田は赦してやる、と言って帰って行く。
赦してやるとは、大した上から目線だ。
店長は別所に声をかけるが、別所はふらりと歩き出し、店を出て行った。
「ふざけんじゃねえよ。だいたい、なんでてめぇの我儘に付き合わされなきゃならねえんだよ。こっちは今日折角の休みだったんだぞ!?休みの日に出勤しない、残業もしない、それが俺の鉄則だったってのに、ふざけやがって。買い物しないなら来るんじゃねえってんだよ」
ブツブツと文句を言いながら、石田の後を着いて歩いていた。
一人で家に入って行く石田を見て、別所はこっそりと辺りを見渡してから、同じように敷地内へと入って行く。
玄関に手をかけると、鍵はかかっていなかった。
そっと開けて中を確認すると、すでに石田は何処かの部屋に入っていた。
バレないように、そっとそっと、別所はひとつひとつの部屋を開けて行く。
それほど広くない部屋には、やはり石田が一人で住んでいるようだ。
思ったよりも綺麗にされている、というよりも、あまり物がない。
襖を開けると、そこに石田はいた。
畳の部屋で、夏だというのに炬燵やストーブが出しっぱなしになっていて、石田は炬燵に入ってテレビを点けた。
ふとテレビの上を見ると、そこには誰かが映っている写真がある。
「・・・・・・」
それからわずか5分ほどで、石田はすやすやと寝息を立てて寝てしまった。
そーっと襖を開けて、石田が寝ている部屋に入る。
石田が寝ていることを確認すると、別所はそこにあるストーブに目をやる。
テレビは新しいものになっているが、ストーブも炬燵も、何十年も使っているだろう、古びたものだった。
「お」
しかも、灯油が入ったままだった。
この前の冬に使ってそのままなのだろうが、別所はふと、イタズラをしてやろうと思った。
いや、本当はそれ以上の醜い感情を抱いていたのかもしれない。
ストーブを点けた、ただ、それだけ。
そのまま寝ている石田をよそに、別所は誰にも見られないようにして家から出ると、車に乗って帰って行った。
翌日店に行くと、すでに来ていた別の部門の人がこんなことを言っていた。
「なあ別所、聞いたか?」
「何を?」
「あの石田ってじいさん、死んだんだってさ!!!」
「・・・へー、なんで?」
「なんでも、この暑いのにストーブをつけたらしくて、乾燥してるし、あっという間に燃え広がっちゃったらしいよ」
「・・・まあ、自業自得だろうね」
夏場にストーブなどつけるはずがない。
しかし、石田の部屋は冬支度がそのまま残されていて、痴呆症が始まっていたのでは、という結論に至ったようだ。
焼けた石田の家を見ていた野次馬たちが、こんな話をしていた。
「石田さんって、早くに奥さんを亡くされたんでしょう?」
「お子さんもいたけど、病気で幼い頃に亡くなったって」
「可哀そうよね。戦争に呼ばれたけど、丁度その時戦争が終わって、行かないで済んだらしいわよ」
「奥さんのこともお子さんのことも、大事にしていたものね」
「写真も飾ってあったわよ」
「近くの河原で若い子がバーベキューとか花火とかやって、夜うるさかったり片づけしなかったりで、迷惑してたときだって、石田さんが積極的に叱ってくれたのよね」
「そうそう。その時、夜の見周りもしてくれてたのよね?」
「私小さい子がいたから、とても助かったわ」
「ずっと会社で働いてて、定年後も地域の為にって色々やってくれてたものね」
「なんでも、そこのお店に、生きてればお子さんと同じくらいの歳の男の従業員がいるらしくて、毎日通ってたわ」
「ああ、それでね。お盆でお墓参りに行ったとき、何か嬉しそうにお墓に話しかけてたのって、きっとそれね」
「可愛いから、厳しいことも言ってたんでしょうね」
「それにしても、こんな夏場にストーブをつけるなんて、石田さんてそんなに痴呆症みたいな感じしなかったけど」
「私もそう思ったわ。思考もはっきりしてるし、まさか痴呆症だったなんて」
次々に、石田を追悼する声が溢れた。
歯車が壊れるのは、歯車を作るよりもとても簡単なことだ。
世界中の誰もが幸せになるなんて、そんな時代はきっと来ないだろう。
なぜなら、誰かが幸せを感じている時、必ず誰かが不幸だと思っているからだ。
それはエゴであったり、自己満足であったり、時には嫉妬や愛憎、もしくはただ純粋な愛情のときもあるだろう。
しかし、完全には理解し合えない単体同士が接触したところで、摩擦が起こり、互いを弾いて行く。
一方的な愛情は、時に殺意に変わる。
一方的な憎しみは、時に殺戮に変わる。
無慈悲を望んでも、それを繋げることは困難で、神に祈ったところで、誰も救えはしないと分かっている。
それでもなお、何かを求めて生きようとするのなら、何かを捨てなければいけない。
「別所、今度の計画だけど」
「もう出来てます。印刷して帰りまでに出しておきます」
「頼んだぞ」
何事もないように、毎日を過ごすことも。
「あの石田ってじいさんの葬式、出た方が良いかな」
「代表で店長が行けばいいんじゃないですか?」
犯した過ちに気付かずに生きても。
それらが罪になることは、ないだろう。
「狼は山羊を食べちゃうから、絶対に開けちゃダメよ」
「はーい!」
なぜ子山羊は、2度も来た狼に対して、警戒心を持たなかったのか。
なぜお母さん山羊は、家の鍵を持っていかなかったのか。
純粋な心からか、それとも、狼に食べられるかもしれないという、一種の興味があったからか。
「狼だ!みんな隠れて!!!」
なぜ、狼は子山羊を丸のみしたのか。
3匹目は、ストーブの中。
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