第6話最期の願い





死者請負人

最期の願い



 天気の良い日に風のことなど考えてもみないのは人間共通の弱点である。


            マキャベリ




































 第六幕【最期の願い】




























 「では、こちらの契約内容で、ご希望通り遂行させていただきます」


 「よろしくお願いします」


 青年が病室から出て行くと、老婆は襲ってきた痛みに顔を歪める。


 この病院に来たのは、事故に遭ったからだが、その事故のせいで後遺症が残ってしまい、持病との併用もあり、もう長くはないことは分かっていた。


 そこで、以前知り合いの老人から聞いた、“死者請負人”という人を呼んだ。


 自分が死んだあとのことを任せられるし、家族に迷惑をかけずに済むならと、老婆は契約を交わした。


 「おばあちゃん、具合どう?」


 「あら、素敵なお花ね。ありがとう」


 子供たちも孫たちも、こうして世話を焼いてくれるのは嬉しいのだが、自分のために、人生を無駄に費やしてほしくはなかった。


 1人でずっと病院は暇なため、本を読んだり、折り紙を折ったり、編み物をしたりして一日を過ごしていた。


 「じゃあ、また明日来るね」


 「いいのよ、そんなしょっちゅう。仕事もあるんでしょ?」


 「何言ってるの。大丈夫よ。それに、仕事場の人もみんな理解ある人たちだから、気にしなくていいわ」


 今日は、老婆が昔から大好きな鼈甲飴を持ってきてくれた。


 それを舐めながら、老婆は景色を眺める。


 「春が来るわね」


 寒い冬を乗り越えて、春が芽吹きだす。


 きっと夏になる前に自分はこの世からいなくなるだろうと、なんとなくだが、そんな気がしていた。


 まだまだ元気だと思われているかもしれないが、身体の中はもうボロボロ。


 歳だから仕方ないのかもしれないが、まさか事故に遭うなんて思ってもいなかった。


 歩行者用の信号が青になったから渡りだしたのに、急いでいたのか、赤信号を無視して走ってきた車に轢かれてしまったのだ。


 危うく死ぬところだったが、田舎道でカメラもなく、車もそのまま走っていってしまったため、ひき逃げ状態だ。


 結局まだ犯人も捕まっていないため、どうすることも出来ない。


 だからといって、そればかりを悲観していてもしょうがないと、老婆はこうして明るく振る舞っていた。


 それから春が終わるのも待たずに、老婆は亡くなってしまった。


 「お母さん!!」


 「おばあちゃん・・・」


 子供たちも孫たちも老婆の穏やかな死に顔を見て、泣いていた。


 葬儀を終わらせていざ老婆の家の片づけをしようとしたそのとき、1人の青年が声をかけてきた。


 黒の短髪に上下黒のスーツを着た、爽やかな青年だった。


 「初めまして。私、氏海音と申します」


 「氏海音さん?あの、何か?」


 見たことのない青年の登場に、子供たちはみな互いの顔を見合わせた。


 すると氏海音は一枚の紙を出してきて、こう言った。


 「この度は、心より、ご冥福をお祈り申し上げます。実は私、生前の日名賀佳代子様と契約を交わしておりまして、そちらを遂行させていただきたいのですが、よろしいですか?」


 「契約って、なんのことです?」


 「お母さんが?」


 「はい。みなさま、日名賀佳代子様が犬を飼ってらっしゃったことはご存知ですか?」


 「ええ。知ってますけど」


 「日名賀佳代子様は、その犬を看取ってほしいと仰っておりました。それから、世話もです」


 「誰に?」


 「私にです」


 「は?」


 「そういう仕事ですので。そしてその犬が亡くなったのを見届けてから、部屋の片づけをしてほしいとのご依頼を承りました。しばらく私がここで生活することになると思いますが、その許可をいただければと思いまして」


 「・・・・・・」


 「心配なさらずとも、もしも日名賀佳代子様の敷地内で、現金や通帳などを見つけたとしても、そちらには一切手をつけません。もし不安でしたら、先にそちらだけ持っていってもらっても構いませんが?」


 念の為にと、子供たちは慣れた手つきで老婆がいつも隠していた現金の場所や通帳のある場所、ハンコなどの、大事そうなものは先に出した。


 土地の管理書などもあったため、そちらもしっかりと握っておいた。


 「じゃあ、お願いします」


 「しっかりと、遂行させていただきます」








 子供たちが帰っていったあと、氏海音は家の中に入って行った。


 すると、よろよろと近づいてきたのは、すでに老犬となっている老婆の愛犬だった。


 氏海音に近づいてきた老犬は、それが老婆でないことに気付き、警戒をしたのだが、すぐに尻尾を振って近づいてきた。


 「良い子ですね」


 片膝をついて顎を撫でてやれば、老犬は嬉しそうに目を細める。


 「マロ、でしたね、お名前。お間違いありませんか?」


 「わん」


 返事をするように小さく吠えたマロは、じーっと氏海音を見つめる。


 氏海音は鞄を腕にはめると、歩くことが大変そうなマロを抱っこし、そのまま奥の部屋へと向かった。


 マロちゃん、と書かれた座布団の上にマロを寝かせると、氏海音はマロの前に正座をし、白い手袋をして鞄から紙を取り出した。


 「日名賀佳代子様から、マロ様に伝えてほしいということがありましたので、今、読ませていただきますね」


 「くうん・・・」


 「良いお返事ですね。では・・・。マロ、長い間、私に尽くしてくれて、ありがとう。あなたは、夫を亡くして独りになってしまった私のもとに来てくれました。保健所に連れて行かれそうになっていたあなたを見たとき、絶対に助けてあげたい、幸せにしてあげたいと思いました。私は精一杯あなたを幸せにしてきた心算ですが、幸せでしたか?私は、あなたに出会えて、あなたと過ごせて、とても、とても、幸せでした。あなたを看取ると決めていたのに、私が先に旅立ってしまうなんて、ダメな飼い主ですね。だから、私の代わりに、今、あなたの目の前にいる方が、あなたを看取ってくれます。安心してください。そして最後に、ありがとう」


 読み終えて手紙を封筒に入れると、それをマロの前に差し出す。


 白い手袋を外すと、氏海音はマロに微笑みかける。


 「伝わりましたか?」


 「・・・くうん」


 「そうですね。急にいなくなってしまって、寂しいですね。でも、これほどまでにマロ様を大切に思っていたのですから、私も、しっかりとお世話させていただきますね」


 「くうん」


 その日から、氏海音はマロの世話を始めることになった。


 朝夕の1日2回の散歩と、同じく2回のご飯、それから老婆が毎日かかさずにやっていたブラッシングや、時々爪の手入れ、耳の掃除、ダニノミの予防、予防接種などと、とにかく、老婆がしていたことは全てしていた。


 それらをずっとスーツのままやっていたため、時々不審者と間違われてしまったこともあったが、マロは顔が広いらしく、なんとかなった。


 「マロ様、散歩の時間ですよ」


 「・・・くうん」


 いつもより元気のないマロに、氏海音は笑顔のまま首を傾げる。


 「どうかしましたか?どこか悪いのですか?」


 なんとも寂しげな瞳で見つめてくるものだから、氏海音も思わず眉をハの字にして、困ったように笑いながらもマロの頭を撫でる。


 持ってきた首輪を床に置くと、氏海音は胡坐をかいて座り、また頭を撫でる。


 「今日は止めておきましょうか」


 歩きたくないわけではないだろうが、マロはしゅん、と落ち込んだように、氏海音の肘に顎を乗せてきた。


 「マロ様はお優しいのですね。日名賀佳代子様の匂いを少しでも嗅いでいたいからといって、そんな目で見つめられてしまったら、私も何も言えません」


 「くうん・・・」


 「明日は、日名賀佳代子様がマロ様のために作っていてコレをつけて、お散歩に出かけましょうね」








 翌日、マロは元気に歩いていた。


 というよりも、おませな感じだろうか。


 「あらマロちゃん、可愛い」


 「いいなー、まま、私もああいうの欲しい」


 こんな具合に、子供にも羨ましがられるものとは、所謂シュシュだった。


 マロ用にと老婆が作っていたもので、マロの耳にぴったりサイズだった。


 まるでリボンでツインテールに結んでいるような、そんな可愛らしい姿に、マロは自分が誇らしそうだ。


 「マロ様、よくお似合いですよ」


 「くうん」


 氏海音の方を見たかと思うと、身体を擦り寄せてくる。


 家に着いても、マロはそれを外すことを嫌がり、ご飯中でもシャワー中でも、ずっとつけていた。


 「マロ様、お気に召していらっしゃるのは分かりますが、たまにはお洗濯に出さないといけませんよ」


 「くうん・・・」


 「・・・またそういう目で見るんですから」


 あれ以来全然外そうとしないため、なんとかして洗いたかった氏海音だが、マロの寂しそうな目に見つめられると、強くは言えないのだった。


 老婆が亡くなってから、丁度1年が過ぎようとしていた。


 「そろそろ春がきますね、マロ様」


 「くうん」


 「マロ様?」


 少し、マロの呼吸がおかしいと感じた。


 荒い様な、小刻みのような、苦しそうな、とにかく、いつもとは違うその呼吸に、氏海音は近くの動物病院に連れて行くことにした。


 「手遅れですね」


 「そうですか・・・」


 すでに余命を告げられていたマロは、今日までなんとか元気にしていたが、病気は止められなかった。


 手の施しようがないということで、氏海音はマロを老婆の家に連れて帰り、ただずっと、マロの頭を撫でていた。


 窓から差し込んでくる程良い暖かさの日差しが、眠気を誘う。


 マロがうとうとし始めて、ついには目を瞑って眠ってしまった。


 氏海音はマロが眠ったと分かっても、撫でる手を止めることはなかった。


 ゆっくりと上下するマロの呼吸を時折確認していると、次第に、その呼吸が浅くなり、ついには、止まってしまった。


 「・・・・・・」


 それからもしばらく頭を撫で続けていると、氏海音の膝に乗せていたマロの顔が、カクン、と座布団に崩れた。


 瞬間、思わず撫でていた手を止めてしまい、今度はマロの全身を数回だけ撫でると、その身体に向けて両手を合わせた。


 「日名賀佳代子様、マロ様、双方様、長旅お疲れ様でした。マロ様は私、氏海音がご契約通り、看取らせていただきました」


 すると、まずは老婆の家族に電話をかけ、マロが亡くなったことを報せた。


それから氏海音はスーツの裾を腕まくりし、部屋の片づけを始める。


 今日は仕事のため、明日、マロを引き取りに来るとの内容だったため、それまでに片づけをしておく予定だ。


 家具や家電は処分してほしいとのことだったためすぐに処分し、タンスなどに入っていた洋服や本なども処分した。


 ある段ボールの中から出てきたのは、老婆が作ったであろう編み物だった。


 それは座布団のようなものから、帽子、洋服、靴下や腹巻など、きっと家族にあげようと思って渡せなかったもの。


 それ以外にも、マロに作ったのだろう、小さめの服や可愛い帽子もあった。


 ごそごそとさらに片づけを進めて行くと、やはり、思い出が詰まった段ボールが、3箱ほど出てきた。


 「思い出とは常に、こうして埃にまみれてしまうものなのですね」


 上に乗っている埃を払ってから、その中身を確認する。


 重たいと思ったらアルバムや写真集が何冊も出てきて、他にも老婆が書いたのだろう日記や、小さい頃の子供としたのか、交換日記なども出てきた。


 昔の物だろう、ビデオテープも出てきて、その背表紙には、子供たちの小さい頃の誕生会やお遊戯会、運動会などのホームビデオも沢山並べられていた。


 「思っていたよりも、思い出がありそうですね」








 翌日、マロを引き取りに来た老婆の子供たちは、すでに綺麗になっている部屋に驚きを隠せなかった。


 以前家に来たときには、結構散らかっていたように思っていたが、それが綺麗になっていた。


 家の中に入ると、そこには3箱の段ボールと、手紙のような紙、そして眠るようにして亡くなっているマロがいた。


 「何?この段ボール」


 開けてみれば、そこには老婆がずっと持っていた思い出の品が沢山入っていた。


 自分たちの小さい頃の写真や、わけのわからないことが書いてある交換日記も、それから時代を感じるビデオテープも。


 「お母さん、まだ持ってたのね」


 「ねえ、これお母さんが作ったんじゃない?器用だったものね」


 「これ、何が書いてあるのかしら」


 そう言えば手紙があったと、子供の1人がそれを広げる。


 【この度は、日名賀佳代子様、マロ様のご冥福を、心より、お祈り申し上げます。日名賀佳代子様のお部屋の清掃をしていましたところ、処分するに困ってしまった品物がありましたので、そちらはみなさまに委ねます。また、マロ様の火葬に関してですが、日名賀佳代子様からのご希望により、どうか、耳についている髪留めと、日名賀佳代子様と一緒に写っている写真を、共に燃やしていただければと思います】


 「処分に困ったって・・・。私達だって、処分なんか出来るわけないじゃない」


 「私達で分けよう。それか、お母さんのお墓に埋めてあげようよ」


 「・・・うん。そうね」


 荷物を引き取った子供たちは、荷物を車に乗せ、マロは膝の上に乗せて火葬場まで連れて行った。


 手紙に書いてあったとおり、耳につけていたシュシュと、それから老婆と一緒に撮ってあった唯一の写真を一緒に焼いた。


 遺骨は老婆と同じ場所に埋めて、思い出の詰まった荷物はそれぞれの家族のもとへと持って帰ったそうだ。








 この世には、しようと思っても出来ない事がある。


 その1つが、死後のこと。


 終活という言葉が溢れているようだが、それは少し寂しい話ではないか。


 迷惑をかけない、という点では立派かもしれないが、それでは、家族が思い出に浸る暇が無くなってしまう。


 そのときくらい、独り泣いたっていいのに。


 誰にも邪魔されず、その人の人生を振りかえることが出来る時間が削られてしまうのは、なんとも虚しい時代だ。


 やり残したことが1つでもあるのなら、なんとしても、やり遂げようじゃないか。


 だからこそ、彼のような存在が生まれた。


 「死者請負人という仕事をしております。是非とも私に、死後のお手伝いをさせていただけませんか」


 彼が望むのは、死の本質。


 彼が臨むのは、生の根源。


 「私、氏海音と申します。どうか、お話だけでも、聞いていただけませんか」








 誰もいない、世界へようこそ。




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