第52話 雑木林の中で

「もう、終わりだ」「このままじわじわと、ああ──いたぶられながら呪い殺されるんだ」「あんなのにどうやって勝てと? 千体近いレイスの集合体なんて……」「ほげー」


 雑木林の影に潜む探索者たち。


 レイス特有のサイコドレイン系の攻撃は精神を蝕む。

 あるものは発狂寸前。あるものは躁鬱の果てに自死しようとして、周囲から羽交い締めにされている。


「おい、諦めるな!」「ほげー」「ここで待ち伏せる。これ以上行くと一般の民家がある。一般人から被害が出るぞ」


 そして、なんとか戦意を維持するものたち。まさに、様々だった。


 そんな状態の探索者たちだったが、なんとか散り散りにならずに、まとまってユウトの家からここまで移動してこられた。それは、彼らがこんな様子でも国内屈指の実力者であることに加え、指揮を執る双竜寺の手腕と彼を支えるダンジョン公社の面々の努力の賜物だった。


 ここ数日のトンデモ案件の修羅場の数々は、確実にダンジョン公社の面々の実力アップに寄与していたようだ。


「後方、道路の先、誰かくるです!」


 そこへ目黒の抑えた叫び声。


「ああ、不味い。時間切れになってしまったのか」


 グスダボが雑木林の茂みの影から、来るものが誰かを確認して絶望に顔を染める。そしてそれは、ほとんどの探索者の反応を代表していた。


 そんななか、緑川は違った。その瞳は爛々と輝き、一切の絶望をはねのけていた。寝不足のため目の隈はすごいが。

 そして確認のため、鋭く呼び掛ける緑川。


「課長」

「ああ。これは奇跡が起きるかも知れない。みな、息を潜めて伏せろ。できるだけ身を低くだ」


 服が汚れることなど気にした様子も見せず、率先して、五体投地のように大地へとダイブする双竜寺。

 すぐさまそれに続くダンジョン公社の面々。探索者たちも、それに続く。一部正体をなくしている者は周囲から口を塞がれ、地面に押し付けられている。


 絶望と希望。狂気と強き意思。

 さまざまな視線の先で、ユウトが「黒き黒の最も弱き影」とついに相対する。


 ユウトがおもむろに新聞紙で出来た棒を取り出す。ユウト愛用の新聞紙ソード。ブルーメタルセンティピードの高濃度魔素結晶体を、何日も。何週間も。何ヵ月も。何年も融合させ、それを積み重ねられてきた新聞紙ソードは、すでに人の扱える存在から、逸脱していた。


 目黒をはじめとした観察系スキル保持者には、それはもう煌々と輝く光そのもののようにさえ見えている。


 新聞紙ソードに印刷されたその文字一つ一つすら、神代の力を秘めている古代文字以上の強き存在として目を焼くほどに眩しい。


 それを、まるでただの新聞紙のように気軽に手にすると、ユウトは、一振りした。


 世界から、音が消える。


 上半身と腕の力だけで振られた単なる横振り。

 本当に気軽に振っただけに見える動作が、しかしその剣閃を目で追えたのはランカー探索者のうちの、ほんの数名にすぎなかった。


 そして次の瞬間、ユウトに内包された莫大な魔素のごくごく一部。例えるならば、ダムから溢れだしたコップ一杯の水。

 その程度の魔素が、面状に広がりながら剣速と等しい速さで『黒き黒の最も弱き影』へと襲いかかる。


 ユウトの魔素に触れるそば、蒸発するように消えていく影。あっという間に、まるでもともとそこにはなにもなかったかのように、ネームドの特殊個体は消失していた。


 なんの感慨もなさそうに、そのまま自転車で立ち去っていくユウト。しばしのち、ざわざわと探索者たちが騒ぎ出す。


「俺たち、助かった、のか?」「奇跡が奇跡が」「なんという御業。あの域に俺は死ぬまでにたどり着けるのか」「ユウトさん、素敵っ」


 騒ぐ探索者たちとは対照的に、万感の思いで天を仰ぎ見ていた緑川に双竜寺が鋭く指示を出す。


「緑川、今ユウトが自宅に着くのは不味い」

「あ、大量のナメクジの死骸ですね! すぐ、ユウト君に電話します」

「頼む」


 スマホを操作する緑川。


 双竜寺は、思い思いに生き残ったことを喜びあう探索者たちに告げる。


「みなは、片付けだ! 拾われた命、無駄になるぞ!」


 一瞬顔を見合せ、しかしすぐさま探索者たちは立ち上がる。そして、一目散にユウトの家に向かって駆け出していった。






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