第3話背信
世直し、 始めました。
背信
自分を売って、正義を買う者。
それが、指導者というものだ。
ソクラテス
第三吾【背信】
「はあっ!!はあっ!!」
「くそ!!あの小僧、何処行きやがった!!」
「まだ近くにいるはずだ!!探せ!!」
小さな身体は、その乱れた呼吸を整えるべく、心臓あたりを押さえながら何度も何度も深呼吸をする。
遠くなっていく大人の声に、安堵のため息を吐く。
小さな手にはほんの少しのコインが光る。
それを持って別の場所に向かうと、そこには同じような大人たちが数十人いる。
「おい、戻ってきたみたいだぞ」
「ちゃんと盗んできたんだろうな」
首を縦に振って、先程手にしたばかりのそれを見せると、大人たちは急に大きな声を出す。
「ああ!?これっぽっちか!?」
「なんだよ、腹の足しにもなりゃしねぇ」
「ふざけやがって!!もっと盗んでこいよ!じゃねえと、てめぇみてぇなガキにやるものなんざねぇぞ!!」
大人たちは、殴る蹴るを繰り返す。
小さな手から僅かなコインを奪い取り、自分たちよりも随分小さな身体に痣をつくっていく。
抵抗しようとしても、力の差がある大人から逃れる術などなく、ただただ痛みに耐えるほか、道はなかった。
それから少しして、大人たちはようやく一息ついたのか、それとも疲れたのか、はたまた満足したのかは知らないが、1人1人と離れていった。
そしてその場から消えていった。
そこに残されてしまい、なんとか起こした身体も、全部が痛くて動かせない。
身体を動かすことが出来るようになったのは、数時間経ってからだろうか。
身体を起こして、家とも呼べない見た目の家に帰ると、床に隠してある少しのコインを持って、パンを買いに出かける。
ぐうううう、と恥ずかしいくらいのお腹の虫がなり、店に向かって早足になる。
その途中、近所の子供たちに見つかってしまった。
逃げようとしてももう遅く、すぐに囲まれてしまい、手に持っている命を繋ぐための僅かなコインを、奪われてしまう。
返してくれと腕を伸ばしても、子供たちは笑いながら罵り嘲笑うだけで、そのコインを持って自分たちのお菓子を買ってしまった。
お腹を空かせたまま、家に帰る。
言っておくが、すでに登場しているこの少年は、決して、話せないわけではない。
それならばなぜ、と思うだろうが、少年はすでにこの歳で、悟っていたのだ。
―声など、無力だと。
だからこそ、少年は助けを求めることも、涙を流すこともない。
ただ貧しい家に生まれてきてしまっただけで、少年は3歳の頃から悪事に手を染めていた。
というのも、そんな知恵があったわけではなく、周りの大人に利用されていただけ。
父親なんて知らないし、母親は狂ったように少年を殺そうとすることもあり、最後は自ら命を絶っていた。
独りになってしまった少年が生きる方法は、そんな大人たちに利用されながら、命を繋ぐための食事を手に入れることだった。
「あの子は悪い子」
「あの子と関わるな」
大人たちのそんな心無い言葉が、子供たちの行動に繋がっていた。
自分の親がそんなことを言っているものだから、子供たちは少年が持っている金が悪いことで手に入れたものだと知っていて、それで奪っているのだ。
しかし、少年にとっては命のためのもの。
それでも、無邪気な子供たちは、残酷なまでに笑うのだ。
そんな光景を見ていても、他の大人たちは子供たちを止めることもしなければ、注意も叱りもしない。
ただ、少年のことをちらっと見るだけ。
そして、何も関係ないというような顔をして、さっさと背中を向けるのだ。
お腹を空かせた少年は、家に帰ると蹲って寝ようと試みる。
「遵平、これ見て」
「あ、美味そう」
「へへ。新商品のモンブランアイス!!超美味そうだから買っちゃった!」
「俺のは?」
「あるわけないよね。なんで遵平のがある前提なのかな」
「仄はそういうところダメだな。ほんとダメだ。俺なら俺用に2個買うのに」
「自分用じゃん」
蓋を開けて、ふわっと香る栗が食欲をそそり、スプーンを差し込んで口に運べば、栗の甘みが広がる。
大きめの栗も入っていて、冷たいモンブラン以上の価値がある。
「美味しいいい・・・」
「ふん。お前なんて、栗のとげとげに刺されてお腹チクチクすればいいんだ」
「なにそれ。復讐のつもり?」
「レンコン喰いてえ」
「急だね」
もぐもぐと口を動かしていた仄が、何か思い出したように話し始める。
「そういやさ、治安悪そうだね」
「何が」
「なんてーか、スラム街?」
「ああ、あそこな」
平和で治安も良さそうなところだが、それでも明暗は確実にある。
暴力沙汰なんて当然のようにあるし、恐喝、放火、殺人、強姦、強盗、とにかく、ありとあらゆる犯罪がのさばっているのだ。
あちこちで事件や事故が起こっているからこそ、警察もいちいち子供のいじめごときには口など挟まない。
ましてや、犯罪を犯している少年の肩を持つことなど、面倒でやらないだろう。
「何かあったの?あそこで」
「この前近く通りかかったらさ、子供が大金持って走ってたんだよね。その後ガラの悪い奴等が追いかけていってさ。あれはきっとやばいことに巻き込まれてたね」
「それを助けずにいたお前はさぞかし立派な大人なんだろうな」
「いや、さすがに俺殺されちゃうよ?結構いたんだよ?俺の武器なんてスマイルくらいしかないじゃん。無理だよ。そんなもので勝てるなら苦労しないって」
「スマイルを武器だと言い張れるお前はある意味すごいよ」
少年は、いつものように物影から店の様子を窺っていた。
出来るだけ大金を、というよりも、ある分全てを持って来いと言われたため、少年はボロボロの大きめの袋を握りしめていた。
重たければ重たいだけ、少年が逃げきる確率は低くなってしまうが、そんなこと言っていられない。
人が少なくなると、少年は店に近づいて、こそっと中を覗いてみる。
すると、番をしている男は居眠りをしており、他の客も見当たらなかった。
少年は店の中に入ると、金があるだろう場所を漁ると、袋の中へと詰め込んで行く。
もし金が無ければ、金になりそうなものを持ってこいと言われていたため、その辺にある織物を適当に詰める。
すると、居眠りをしていた男が目を覚ましてしまった。
「コソ泥!!!」
男はぐわっと表情を強張らせると、少年を捕まえようと腕を伸ばす。
すぐさま店から出ると、重たいそれを多少引きずりながらも、人のいないところいないところを走って行く。
子供が隠れるには充分な場所を見つけると、そこに身を隠して息を潜める。
「くそっ!!何処にいきやがった!!」
男の声がすぐそこまで聞こえる。
心臓がバクバクと大きく動いているのが分かるが、ぎゅうっと掌を強く握りしめ、目を瞑る。
そのうち声は聞こえなくなり、少年は大人たちが待っている場所へと向かった。
「おお!!すげぇぞこりゃ」
「しばらくは遊んで暮らせるな!!」
珍しく褒められたと口角をあげようとしたそのとき、大人の1人が言った。
「お前、これ盗んだところ店の奴に見られてねえだろうな?」
答えずにいると、別の大人が言う。
「街で盗人が出たって叫んでた奴いたけど、もしかしてお前か?」
少年が盗みに入った店は、この辺では有名な主人が経営する店で、政府との繋がりもあり、金のことになると殺しまでするほどの執着を持っているそうだ。
急に、大人たちがやばいと言いだした。
もしも少年のことがバレて、少年が自分たちにやれと言われてやったなどと言われてしまったら、自分たちまで・・・。
「おい、どうする?」
不安そうな大人の中、1人が冷静に少年を見て言った。
「俺たちのことがバレる前に、こいつを始末するぞ」
「え、でも」
「いいから、早くしろ。じゃねえと、俺達があぶねぇんだ!!」
少年の小さな身体は宙に浮き、大人たちに何処かへと連れて行かれてしまった。
それから2日後のこと。
「遵平遵平!!」
「五月蠅い」
「ああごめん、じゃなくて!!これ、これ見て!!!」
また何か機械を操作しながら、仄が遵平に何か見せてきた。
そこには、何かのニュースが載っていた。
「俺がこの前見たって言ってた子供!!その子が、遺体で見つかったって・・・」
仄の情報によると、少年は貧しく、生きるために悪い大人たちに唆されて、盗みや放火を繰り返していた。
小さな身体には幾つもの痣や傷があり、内出血も至るところにあったそうだ。
川に落とされたらしく、全身びしょ濡れで発見されたのだが、発見された少年を見ても、誰一人として同情さえしなかったそうだ。
子供たちに至っては、親にこう言われたそうだ。
「悪いことをすると、ああなるのよ」
あの子が全ていけなかったのだと。
「酷いよ、こんなの」
「あの変は昔ながらの人付き合いがあるから。下手に首突っ込まない方が良いよ」
「だけど・・・。可哀そうだよ」
「可哀そうだけじゃ、腹も満たせねえってことだ」
そう言うと、遵平は本を持って歩いていってしまった。
「バレねえかな?」
「大丈夫だって。たかがガキ1人、警察だって動きゃしねぇよ」
「悪さしてたガキが死んだくらいで、いちいち調べたりしねえって」
手に入れた食料も女も、盗ませた金。
「なあ、アイスどうする?小遣い貰ったか?」
「いつもならあいつから取ってたもんな」
悼まれることもない、小さな吐息。
途端、真っ暗になる視界と、子供ながらに狭いと感じる窮屈な場所。
子供たちは叫んだ。
しかし、周りには誰もいないのか、それとも聞こえていないのか、はたまた聞こえているのに反応がないのか。
日に日に成長していく身体は、骨の軋む音と肉が弾ける音で終焉を迎える。
「溜まり場になってたところあったじゃない?そこに、盗まれたっていう大量のお金がつまってたらしいのよ。でね、そのお金の中から、沢山の男たちの死体が見つかったって」
「そういえば、最近近所の子供たちみかけないわね、何処行ったのかしら」
「うちも宝石盗まれたと思ってたら、その男たちのところにあったのよ。悪人には罰が下されるのよ」
「あら、何か流れて来たわよ。なんか臭わない?」
溜まり場に集まっていた大人たちが、次は河岸へと集まる。
そこに流れてきた、段ボールでもなく、鉄でもなく、コンクリートでもなく、一体それが何で出来ているのか分からないが、その立方体に手を伸ばす。
異様な臭いに包まれ、どこから開けるのかも分からないでいると、うっすらと、中の様子が見え始める。
「きっ・・・きゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
狭い箱の中でこちらを見たままの子供たちは、子供と呼ぶにはあまりに大きな姿になっていた。
箱から出す方法は見つからず、またあまりに重たいその箱を持ちあげることも出来ず、箱は再び川を流れることとなった。
「はい、成敗完了」
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