04
部屋中を自由に漂う埃が落ち着くと、視界は段々と鮮明になっていく。先ほどまで確かに存在していた天井は見るも無残な瓦礫へと化し、目の前に居たはずの二体の異形の姿は視界から完全に消えてしまった。その代わりに現れたものは一人の男性の姿。
「ってか、お前も降りてこい! タオ!」
その男性は、空いた穴の上に居るらしき相棒に向かって大声で叫ぶ。
「分かってますよ、ほいほいっ。ちょいっと待って下さいって!」
指示を受けた相手は、そう言って一度奥に気配を消してしまった。暫くして何かを持ち穴の上まで戻ってくると、待っていた男性に向かってこう告げる。
「取りあえずそっち降ります。場所開けといて下さい!」
次の瞬間、穴の上から勢いよく落下してくる何か。良く見るとそれは一本の縄ばしごのようだ。それを伝って下りてきたのは、瓦礫と共に先に落ちてきた男の相棒なのだろう。彼は軽快な動きで縄ばしごを伝うと、残り数段のところで手を離し瓦礫の上に華麗に着地してみせる。
「無駄なポーズは要らねぇって言ってんだろ? いつも」
「良いじゃないですかぁ。コレも愛嬌の一つってことで」
この二人の関係は一体どのようなものなのだろう。未だ檻の中に囚われたままの男は、ついそんなことを考えてしまう。
「そんなことより、ここで間違いないのか?」
机の上の檻の中に人間が囚われていることに気が付かない侵入者が続ける会話。
「目的地のナビはお前に全て任せてたはずだが?」
瓦礫と共に落ちてきた男が、辺りを見回しながらそう呟いている。
「場所的には此処であってるはずなんですけどねぇ」
後から縄ばしごで降りてきた男の方は、サイドバッグから小さな機械を取りだしながら投げられた言葉に対して返事を返す。この会話は当然二人にしか分からない内容で、檻の中の彼には何も答えられない。早くこちらに気付いて出して欲しい。そんな風に彼らをじっと見ていたことで気が付く小さな違和感。
「……ってか、あれって……尻尾?」
大柄の男の隣で端末機を操作している小柄な男。彼の後ろでゆらゆらと揺れているものはなんだろうと浮かぶ疑問。それが何なのかと目を凝らせば、見えてきたのは違和感の正体だ。
「人間……じゃ……無い?」
言葉にするとそれは鮮明に彼の目に映った。
「猫が立って喋ってる」
後から降りてきた男の背後でゆったりと揺れ続けているのは、馴染みのある長い尻尾だ。違和感は尻尾だけではなく、尻尾を持つ男自身の姿も同様で。確かに二本の足で立ち人間のように歩きはしているが、その造形は猿が進化したものというよりは寧ろ、猫が進化した形という表現がしっくりくるのである。
「あっちは人間……だよな?」
気になってもう一度先に降りてきた方の男性へと視線を移せば、そちらは彼の知っている人間という生物の見た目をしている。
「僕……まだ、夢を見てるの……かな……?」
突然現れた不思議なコンビ。この二人は先ほどから、何かを探して部屋を歩き回っているようだ。
「ねぇ、コレじゃないっすか? 旦那」
「んー……いや、コレは違うな」
「えー。てか、どんな形してましたっけ?」
彼等は捜し物に夢中で檻の中に居る人間の存在には全く気が付く様子がない。一方で檻の中の人間はというと、目の前に現れた二人組の片方が【自分の常識で理解出来る範囲】を超えていることに混乱を覚え、すっかり助けを求める言うことを失念し固まってしまっていた。
「……ん?」
尻尾を揺らしながら歩き回っていた男が漸く檻の存在に気付いたのは、捜し物を始めて数分後の事だ。
「ねぇ。旦那。アレってなんですかね?」
「あ?」
そう言った猫男の指の先にあるものは、人の入れられた無骨な檻。
「さぁ? この下で潰れてる奴等の餌になる人間じゃねぇの?」
特に興味も無い様子で、人間の男があっさりとそう答える。
「助けなくて良いんです?」
「助けた方が良いってか?」
「まぁ、見捨てたりすると寝覚めは悪いッスよね」
気付いてしまったのなら見ない振りは気持ちが悪い。猫男は随分と人の良い性格をしているのだろう。面倒毎を背負いたくないと態度で表す相棒に対し、「困っているのなら助けなきゃ」と諭しながら肩を竦めて見せる。
「助けたいなら勝手にしろ。俺は捜し物を続ける」
「リョーカイッス!」
その言葉を機に、別々の行動を取り始める二人の男。人間の方は宣言通り捜し物を続け、猫男の方は檻を開けるための鍵を探し始める。
「あっ! あった、あった!」
先に目的の物を見つけたのは猫男ようだ。見つけ出した鍵を勢いよく宙に弾き飛ばすと、落下してきたそれを素早く掴み取り檻の方へと歩き出す。檻の中にはそんな二人のことをぼんやりと眺める男が一人。その顔には不安と期待が入り交じり、戸惑いがはっきりと見える。
「化け物に捕まっちまうなんて、アンタ、結構運が悪いんですねぇ」
目の前に立つ猫男のヘーゼルグリーンが綺麗な弧を描く。声色はとても優しいものだが、相手は人間さいずになった肉食獣だ。口の端から覗く鋭い犬歯が無意識に檻の中の彼の恐怖を煽ってしまう。
だが、そんなことはお構いなしと、猫男は檻に掛けられていた南京錠へと手を伸ばし掴み上げた。
どうやったって開かなかった錠は本当に開錠できるのだろうか。
別の不安に口の中に溜まった唾を飲み込んでいると、猫男が鍵穴に見つけた鍵を差し入れ、時計回りに回転させる。小さな音を立てて外れる仕掛けは中にある物を封じる役目を放棄し、呆気なく閉ざされていた扉は開いた。
「大丈夫ッスか?」
「う……うん……」
差し出された猫男の手。慌てて引っ込められた鋭い爪から、どうやらこちらを傷つける意志はないんだと言う事が覗える。恐る恐るそれを掴むと、確かに伝わってくるのは相手の高めの体温だった。
「こんなトコ居たら化け物に喰われなくっても餓死するだけっスよ。早いとこ外に出て下さい」
「あ……ありがとう」
強く握られた右手を引っ張り連れ出される檻の外の世界。足元には料理の散乱した食卓用の机の天板が広がっている。
「にしたって、この家の住人は随分とでっかい姿をしてるんすね。見てくださいよ、この机。俺がこんなにちっちゃく感じるって笑っちまいますわ」
檻の外に出たら離れてしまう暖かさ。先に歩く猫男の後を、檻の中に居た男が必死に追い掛ける。
「あっ。そうだ」
机の途中まで歩いたところで猫男は急に足を止めて振り返った。
「アンタ、名前。何て言うんですか?」
「……名……前……」
その質問に答えようと口を開いた瞬間出た言葉。それに一番驚いたのは、檻の中の男だった。
「僕の名前は、ロカ。ロカって言うんだ」
「へぇ」
名前を聞かれたときに名乗ろうと思った名前は全く別の物だったはずだ。それなのに、口は勝手に思った物と異なる音を吐き出してしまう。そして、名乗ろうと思っていた【名前】が頭の中から掠れて消えてしまったのだ。そうじゃない。必死に自分の名前を思い出そうとするのに、親から貰った音の一つも思い出すことが出来ない。
「俺はタオって言います。ヨロシク、ロカさん」
「あ、うん」
どうやら、ロカというのはこの身体の持ち主の名前らしい。そう思わないと何も解らない世界に一人で居る状況に発狂しそうになってしまう。それに、今は名前を思い出すことよりも優先するべき事があることは理解している。
「旦那ぁ!」
タオと名乗った猫男は、瓦礫の下に降りて捜し物を続ける男性に向かって声を掛ける。
「檻の中に居た奴、無事救出完了ッス!」
「そうか!」
報告が終わったら合流しろと出される合図。タオは指で下に移動しますよと合図をし、瓦礫を伝って先に降り始めてしまう。
「あっ! 待って!!」
それを追うようにロカも机の端に腰を下ろし、ぶら下がるようにして一番近い瓦礫に足を伸ばし降下を試みた。
「うわぁっっ!?」
次の瞬間上がる情けない叫び声。上手く着地出来なかった足のせいで、バランスを失い身体は大きく背後へ傾いてしまう。このまま地面まで落下するのかと覚悟し瞼を閉じると、右腕を掴まれ強い力で引っ張り上げられた。
「危ないっ!!」
背後に傾いていた身体は、今度は前に大きく傾く。遅れて膝に伝わる衝撃。
「ったく。大丈夫ッスか?」
「……うん」
一度ならず二度までも、このタオという男にロカは助けて貰った事になるのだろう。受け身を取った時に走った衝撃で、両手と両膝は軽く痛みを訴えているが、思った以上に高さのある瓦礫の山から一気に落下する恐怖を考えると小さなものだ。命がまだあることに安堵し胸を撫で下ろしながら、改めて伝える感謝の言葉。
「あの……た、助けてくれて、ありがとう!」
「え?」
気が付けばタオの姿は瓦礫の中腹まで降りたところにある。
「気にする事無いッスよ。それよりも早く降りて来ちゃった方がいいと思うッス。気をつけて!」
「うん」
今度は慎重に。彼の様に器用に移動は出来ないため、移動しやすい場所を選んで少しずつ地面を目指して移動を開始する。何度か足が縺れて転倒しそうにはなったが、何とか持ち堪え漸く降りきった頃には、全身が汗で濡れて気持ちが悪かった。
「……結構鈍くさいんすね、ロカさんは」
上がった息を整えるため浅い呼吸を繰り返し居ていると、隣にやってきたタオが心配そうに顔を覗き込んでくる。
「水、要るッスか?」
差し出されたのは水の入った革袋。栓を外すと「どうぞ」と差し出し飲むように出される指示。
「んっ……んっ……」
言葉に甘え受け取ると、ロカは少しずつ中にある水を口の中へと流し込む。
「焦ることは無いッス。ゆっくり飲むと良いんじゃないかな」
「んっ………はぁ……」
意識はしていなくとも、身体は失った物に対して正直で貪欲だ。喉が渇いていると意識が向けば、それを充たそうと本能が動く。気が付けば手渡された革袋の中身は半分以下まで体積が減り、あった重さも随分と軽くなってしまっていた。
「すいません。結構飲んでしまったみたい」
まだ完全に喉の渇きが癒えた訳では無いが、それを全て飲み干してしまうのは後ろめたさも感じてしまう。そんな気持ちから革袋をタオに返すと、彼は溜息を吐きながら緩く首を左右に振ってこう答えた。
「別に気にしなくていいんすよ。ってか、あんなとこにずっと入れられてたんでしょ? 飯どころか、まともに水さえ口にしてないんじゃないですか?」
その中身は全部飲んじゃって構わないッス。そう言って軽く叩かれる肩。
「困ったときはお互い様。ってね」
ロカという人間になる前に居た世界には絶対に存在しないこの男が、爽やかにそう言って笑う。
「ありがとう」
「いえいえ」
今度は遠慮なんてしない。遠慮する方が失礼だとそう判断すると、ロカは一気にその中身を胃の中に流し込んだ。
「で、タオ」
「ん? 何ですか? 旦那」
ロカが水を飲みきったのと同時に二人の側へと歩いてくる人間の男。
「さっきから捜してるだが、どこにもねぇぞ」
捜し物が見つからないことに苛立ちを感じているのだろう。男は言い終わると同時に大きな舌打ちをし、乱暴に頭を掻いた。
「えー? そんなはず無いんすけどねぇ……」
タオは再び小型の機械端末を取り出しながら画面をタップし操作を始める。
「あっ。そうだ。コレ、旦那。ラウルの旦那ッス」
「あ。ハイ」
「で、こっちがロカッスよ。旦那、ちゃんと覚えてあげて下さいね」
「あー……応」
実に適当に交わされる互いの情報。名前を双方に伝えたことに満足したのか、タオは再び端末と睨めっこを始めてしまった。残された二人は気まずい状況で沈黙を続けている状態で。
「んー……調べてみたんですけど、やっぱりここで間違い無さそうなんすけどねぇ」
その沈黙はタオが調べ物を終え顔を上げるまで続いたままだった。
「ん? どうしたんすか? 二人とも」
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