03
願えばそれが形になる。
それを心から信じていたわけではない。それでも奇跡というものは起こる事もあるのかもしれない。
「…………とび……ら……?」
いつの間にか目の前に現れたのは一枚の扉。いかにも創作の世界に出てきそうな見た目のそれが、何もなかったはずの空間にぽつんと立っている。
「何で……?」
扉の向こう側に広がるのは先程から変わる事の無い真っ黒な空間で。試しに裏側に回ってみても、ただそこに扉が一枚在るだけで、壁に触れるなどといった感触は一切感じられなかった。
「開けろって……こと……か……?」
手の中の鍵と不自然に現れた扉。ドアノブの下には意味ありげに取り付けられている小さな鍵穴があり、まるでそれを開けろとでも言うように揃ってしまった条件が目の前にある。
「考えていても仕方ない」
動き出さなければ結果は出ないだろう。
いつまでもこんなところで落ち込んでいたって、この現状はきっと変わる事が無いことは分かっている。
そう思うと、自然と身体は動き出す。開いた先に在るものが描いた夢なのか、今までと同じ継続した現実なのかは未だ分からない。それでもこの場所から抜け出して、掴み損なった未来の形が見てみたい。小さな鍵を鍵穴へと滑り込ませて回せば、僅かに耳に届くほどのか細い音を立てて外れる錠の仕掛け。ドアノブを握り深呼吸を一回。真っ直ぐに扉を見据えると、導は右手に力を込め一気に扉を開いた。
「っっっっっっっ!!」
開かれた扉の向こう側から溢れ出す強烈な光。それは一瞬にして真っ暗だった空間を真っ白に染めていく。咄嗟に腕を上げ顔を庇うと、導は瞼を閉じ光りから顔を背けた。広げた手の中から零れ落ちた鍵。それは光の洪水に呑まれるようにして姿を消してしまった。
閉ざされた瞼の内側に広がる世界。透けた瞼越しに見える光を感じ取れなくなると、徐々に色が失われ再び訪れるのは闇だ。
「 ! !?」
それでも、先程の状況が変わったらしいことは、耳を通して分かりはする。少しずつ種類の増える音のお陰で、自分以外の何かがこの空間にいることを理解し吐き出した息。この場所は扉のあった何もない空間ではないようだと安堵を覚え、思わず口元を緩める。
「ナニヲ言ッテイルンダ!!」
何かがぶつかる大きな音。未だ水の中にいるようにくぐもって聞こえているそれは、どうやら双方が真っ向からぶつかり激しく言い争っている声のようで首を傾げる。
「馬鹿ナコトヲ言ワナイデ!! コレは××ニスルノヨッ!!」
徐々に明瞭になるにつれ、そが誰かの声である事に気が付き耳を欹てる。頭に響くような耳障りな金切り声で叫んでいるのは多分女性だろう。
「イイヤ! コレハ××ンダ!!」
反対に、地鳴りのするような低い声で相手を一喝しているのは男性のもののようだ。
『……何が起こってるんだ?』
ぼやけた音が鮮明になるにつれ、それは頭を叩くほどの強い爆音へと変化する。音による暴力に耐えきれず咄嗟に両手で耳を塞ぐが、完全にそれを遮断する事は難しく、指の隙間から無理矢理割り込み直接脳に揺さぶりをかけてくるのがとても辛い。感じた不快感にこみ上げる吐き気。更に強まっていく頭痛で唸り声を上げ瞼を開けば、目の前には信じられない光景が広がっていた。
「苗床ニスルノッ!!」
「イイヤ! 喰ウンダッ!!」
先程から終わる気配のない言い争い。それよりも気になったのは、赤錆の附着した鉄格子が目の前に有る事。目を開いて一番始めに視界に飛び込んできたものは、無機質な鉄の棒が並んでいる光景だ。
等間隔で並んでいる格子の向こう側は散らかった食器具。随分とサイズが大きなそれらが横になったりひっくり返ったりと、自由な形で四方に散らばっている。その上に乗せられていただろう食材も、器から飛び出し好きな場所に鎮座している状態で。端で光るナイフとフォークは、今にも机の上から落ちそうに引っかかったまま不安定なバランスで揺れていた。
「…………なん……だよ……これ…………」
置かれているこれらのアイテム。それらは食事をする際に使う道具で、それがある事から、この場所が食卓の上だという事は何とか理解出来る。
どうやら今は食事の最中だったらしい。
ただ、この状況が普通の食事の様子と異なっていると感じてしまうのは、目の前に在る食事を行っている者達の姿が【人の形をしていない】ように見えるという事だろう。
「嘘……だろ……」
目視できるのは相手の上半身のみ。それはどことなく人に近い造形をしては居るのだが、机に隠れて見えない部分はどうなっているのかが不明。だが、気になるのは節足動物のような足らしきものが彼らの周りに数本存在しているということ。もしかしたら、彼らの下半身は昆虫のような形をしているのでは? そんな不安が頭を過ぎる。
そうでなくとも強い恐怖を感じている原因は別にある。
今、己の目の前の喧嘩をしている生物たちは、自分よりも遥かに大きな姿をしているのだ。見たことなどない迫力の在るその姿に、思わず圧倒されて口を開いたまま固まってしまうのは仕方が無い話だろう。
「どんな無理ゲー……」
自分の置かれた状況に思わず行ってしまう現実逃避。このまま意識を失うことが出来れば、きっと幸せになれるかもしれない。しかし、それが許されることはなく、こちらの願いも虚しく意識は強制的に現実へと引き戻されてしまう。
「子供達ノタメニ必要デショウ!?」
その言葉を聞いた瞬間頭に過ぎったのはさっき聞いたのやりとりだった。
目の前の異形は、先程から苗床にするだの喰うだのでずっと揉めている。一体何を用いてそれをするつもりなのだろうと周りを確認すると、該当する可能性が在るものは一つしか無い事に気が付き感じた怖気。
「そんなっ!?」
食卓の上に意味深に置かれているものは一つの檻だ。
その中には生きたままの人間が入れられている。
目の前にはその人間よりも大きな体躯を持つ異形が二体。
どう考えても彼らの言う『材料』とは、檻の中の人間以外考えられない状況がそこに在る。
「何だよ!! これっ!?」
せっかく助かったと思ったのに、なんて神様は意地悪なのだろう。
開いた扉の先に在ったものは逃れられない絶望で、どう足掻いたって望むものは手に入らないという事なのだろうか。これならまだ白い病室で身動きが取れない方がずっと増しだ。そう喚きたくなるのを堪え考えるのは脱出する方法である。
なんとかしてここから抜け出さなければ、待ち構えるのが目覚めて直ぐにジ・エンドという最悪な結末。こんな納得のいかないエンディングあって堪るかと気持ちばかりが焦り始める。それなのに嵌められた鉄格子は思った以上に頑丈で、自分の力でなんとか出来るような代物では無さそうにピクリとも動きやしない。
「鍵!? 鍵は!!」
慌てて檻を開けるための鍵を探そうと手を動かすのだが、掛けられた錠前に触れる事は出来ても、それを開くための鍵がどこにも見当たらなかった。
「鍵を開ける為の呪文とか!? そう言うので開いたりするんだろ! そうだよな!!」
主人公が異世界に転生する物語などでは、キャラクターが転生先でチートなスキルを付与されている事が殆どだ。今その状況が己の身にに起こっているのであれば、きっと自分も例外ではないはずだと。そんな思いから右手を錠に向かって突き出し左手を添えて固定すると、手当たり次第にゲームや漫画、小説などに出てきた呪文を唱えまくる。
「何でなんだよ!!」
だが、そんな都合の良い事は起こらないようで、その努力を嘲笑うかのように前に突き出した手から万能な魔法が出ることはなく、呪文の音に鍵が反応する気配すら全く感じられない。
「助けてくれっ! 頼む! ここから出してくれよぉぉぉっっっっ!!」
混乱したことで冷静な判断をする余裕を失ってしまったのだろう。開くことのない格子を両手で鷲津噛むと、思わず彼は大声でそんなことを叫んでしまった。
「っっ!?」
そのせいで口論に夢中になっていた二体の異形は、異変に気付き振り返ってしまう。
「何ヨ! アンタノセイデ、餌ガ目覚メチャッタジャナイ!!」
「オ前ガ煩ク喚キ散ラスカラダロウ!?」
未だ収束の兆しを見せない口論ではあったが、無力な檻の中の人間は確実に彼らの視野に入ってしまったことで、更に状況は悪い方へと転がり始めたらしい。命の終わりのカウントダウンが静かに刻まれ始めたことが分かり、彼の顔は見る見るうちに青ざめていく。
「嫌だ!! ここから出してっっ!! 死にたくないんだ!!」
そんな願いは叶わないと分かってはいても、そう訴えることしか出来ない憐れな贄。だが、体躯の大きな化け物にしてみたらそんなことなどどうでも良いらしい。
「煩イワネ! 子供達ガ出来タラ妾ニ喰ワレルタメダケニ存在シテイル男ガナニヨ!!」
感情的になった女形の異形が勢いよく振り上げる右手。
「黙レ!! コノ阿婆擦レガッッッッ!!」
それを遮るように男型の異形の手が素早く動く。
「離シナサイ! 汚ラワシイッ!!」
「汚レテイルノハ貴様ノ方ダロウガッ!!」
目の前には、激しく暴れる二体の異形。彼らを形成する身体のパーツが、そこかしこにぶつかり大きな音を立てて揺れる。意識が別に移ったことに安心はしたが、それが一時的なものであることには変わりが無いのも事実。どちらにせよ、この檻から脱出することが出来なければ、檻の中の人間に待ち受けているのはたった一つの未来なのだ。
「頼むから誰か助けてくれっっっっっっっ!!!!」
檻の中の彼はもう一度だけ。力の限り大きな声でそう叫ぶ。
「っっ!?」
次の瞬間起こったのは鼓膜が破れるほどの爆音だった。
音に反応を示した異形が動きをとめ頭上に視線を向けた瞬間、天井に大きな亀裂が走り無数の瓦礫となり崩落する。その影響で立ち上る土埃。奪われた視界は不鮮明で、何が起こっているのかが確認出来ない。泣き喚いていた彼が慌てて、作った拳で何度も瞼を擦りながら目を凝らす。状況を確認しようと必死になっていると、薄ぼんやりと見えてきたのは、化け物とは異なる何かのシルエットだった。
「……っってぇなぁ! もう!」
それは苛立ったように大声で叫ぶと、立ち上る土埃を鬱陶しそうに払いながら瓦礫の上で立ち上がった。
「そんなこと言ったって、旦那が勝手にやっちまったんでしょう?」
崩れ落ちた天井から聞こえてくるのは別の声だ。
「火を点けたのはお前だろうが」
その声に答えるようにして目の前の何かは悪態を吐く。
「知りませんよ。落ちたのは旦那のせい。俺のせいなんかじゃねぇもん!」
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