第4話raison d`etre







しおん

 raison d`etre



どんな人でも生きているかぎり存在の必要がある。   エマーソン








































































私達はいわば二回この世に生まれる。一回目は存在するために、二回目は生きるために。


ルソー








































―革命家


  戦場を見ていたイデアム達は、風が冷たくなってきたため、基地に戻ることにした。


  来た時と同じようにして、イデアムは一人で乗り、ブライトとマリアが一緒に乗って帰ることとなった。


  馬をUターンさせながら、マリアは最後に戦場を見つめ直し、何も出来ない今の自分の非力さを思い知る。


  前を奔る揺れる銀髪と、背中から感じる温もりに、唇を噛みしめる。


  イデアムは、帰る途中に目に入ったオクタティアヌス家の城を横目で見ながら、心の中で渦巻いている黒い靄のようなものや、脳裏に焼きついている過去という残像を振り払い、歴史を変える為の自分の立場をもう一度考える。


  過去の過ちは、拭いきれない汚れとなって心臓にこびり付いている。


  どれだけ鼓動を鳴らせようと、どれだけ新鮮な血液を産みだしても、どれだけ身体に傷をつけても、それは決して、一生、永遠に消える事が無いと知りながら、必死になって洗い流そうとしている自分がいることも分かっている。


  洋服についた泥であれば、走って走って走り抜けば、乾いて落ちるだろうが、もっと奥底に深くついてしまったこの汚れだけは、どう足掻いても取れない。


  ズキッ、と痛んだ眼帯を付けている方の目を押さえると、イデアムは手綱を強く握った。








  ―一年前 オクタティアヌス家


  「失礼します。」


  「お?イデアムじゃねぇか。どうした?何かあったか?」


  オクタティアヌス家の服を身に纏っている男、イデアムは、ラビウスの部屋に入ると一礼し、すぐに腰から剣を抜いた。


  キョトンとした顔をしたラビウスだが、それはほんの一瞬のことで、すぐに口角を上げてニヤリ、と笑う。


  椅子に座ったまま微動だにせず、肘をつき両手の甲を上にして指を交差させ、その上に顎を乗せて、イデアムの行動を予想していたかのように淡々と見ていた。


  「オクタティアヌス家から抜けようと思っています。しかしその前に、ラビウス様と一戦交えたいと思いまして。」


  「それはいいけどよ・・・抜けてどうすんだ?まさか、本当に革命するつもりか?」


  「・・・はい。」


  イデアムの返答を聞くと、両手を顔の横に近づけて肩を上下させ、呆れたように首を左右に振る。


  そしてゆっくりと椅子から立ち上がり、テーブルの横に置いてあった剣を手に取る。


  空気が一気にピリピリし出し、イデアムが勝負を仕掛けるが、その攻撃をさらりとかわすと、ラビウスは前のめりになったイデアムの腹を思いっきり蹴り飛ばした。


  瞬時に背中を丸めたおかげで、なんとか直撃は避ける事が出来たが、腹にばかり集中していたせいで、ラビウスの拳の方にまでは気が回らなかった。


  結果的に、その拳はイデアムの頬に打撃を与えることとなった。


  「まだまだ早いんじゃねぇのか?俺に刃向かうにはよ。もっと強くなってからでも遅くはねぇと思うぜ?今の地位を得るまでに、お前はどれだけの犠牲を払ってきた?イデアム?折角なんだし、もっとここで遊んでいけよ。」


  「遊びじゃ済まないことだ。犠牲を払ってまで必要なものなんか無い。」


  「・・・大分、甘ちゃんになったな。」


  再び剣をラビウスに向けると、ラビウスも自分の剣をイデアムに向ける。


  しばらく睨み合いが続いたが、ニヤッとラビウスが笑った刹那、二人は同時に、互いに向かって剣を振り下ろした。


  だが、ラビウスが自分の足下にあったグラスをイデアムに向けて蹴ったことで、勝負はすぐに決着がついた。


  「・・・!!」


  斬られた片方の目を触ると、血がドクドクと出てきているのが分かる。


  「まあ、お前がどんな風にこの世を変えていくのか見てやるよ。お前サイドの奴ら全員つれて、さっさと城を出ていくんだな。」


  そう言うと、椅子に座って窓の外を眺め始める。


  イデアムは剣を床に突き刺すと、部屋を出ていった。


  傷口は深くは無いが、目を開けようとすると、流れ出てくる血が邪魔でなってしまい、結局開けられなくなってしまった。


  自室に戻って自分で手当てをすると、上から眼帯を付けて、仲間たちが待つ部屋に向かう。


  「「イデアムさん!」」


  数人がイデアムに気付いて近づいてくる。


  「どうしたんですか!?その傷・・・。」


  「何でもねぇよ。それより、今から城を出るぞ。準備しろ。」


  一斉に準備をし始めると、馬の方も到着し、その馬に乗って数十人がオクタティアヌス家から去っていく。


  その姿を、口元を歪めながら見つめているラビウスは、部屋に入ってきた弟に飲み物を持って来るように指示する。


  「良かったのですか?イデアムを始め、主要な人物が多く出ていきましたが・・・。」


  「ああ、いいんだ。そっちの方が、後々面白くなりそうだろ?」


  歪んだ景色を眺めて、ラビウスは優雅に足を組み直した。








  ―現在 革命家


  ―ああ、嫌なこと思い出した・・・。


  少し不機嫌な顔になっていることに自分で気付いたイデアムは、馬を撫でることで落ち着きを取り戻した。


  「イデアムさん、体調でも悪いんですか?」


  背中から、自分を心配する声が聞こえてくると、自然といつもの笑顔に戻り、手を上げて軽く振りながら返事をする。


  「なんでもねぇよ。」


  ―この傷の意味を知ってんのは、俺だけで十分だ・・・。


  「ブライト!とばすぞ!」


  「え?あ、はい!」


  イデアムの乗る馬のスピードがいきなり上がり、ブライトは驚いたが、慌てて馬の手綱を強くひき、イデアムに遅れまいと奔らせる。


  中腰になるまでの速さではないが、今までよりも速くなったため、マリアは吃驚して、硬直してしまった。


  一方で、イデアムだけは楽しそうに風に乗っていて、その瞳にはきっと、輝く未来、笑顔の世界、平和な時間、幸福の運命が映っているのだろう。


  そして、それが現実になるのは、そう遠くはないかもしれない・・・。








  ―オクタティアヌス家 書庫室


  ブーブーブ―・・・


  無線機から連絡が入り、本を読んでいたアルティアは、本を片手に無線機に出る。


  「読書中。」


  《悪いな、アルティア。そっちにカシウス行ったか?》


  「ロムレスか?カシウスと連絡取ってたんじゃねぇのか?」


  ロムレスは、無線機の電波を妨害していた電波を止めて、隊長たち一人一人に連絡を取っていたのだ。


  カシウスだけがまだ連絡が取れておらず、アルティアに連絡したそうだ。


  サビエスのこともロマーユのことも、全てアルティアに話そうとしたが、全て聞く前に大体の察しはついたようで、途中で遮られる。


  「カシウスは今ラビウスと決着つけてる。心配すんな。あの二人の決着がつけば、この戦争は終わるだろうよ。」


  《・・・そうだな。カシウスのこと、よろしくな。》


  「・・・本当に兄貴みたいだな。わかったよ。」


  無線機を切ると、カシウスの方を見に行こうかとも思ったアルティアだが、本を読むほうが先決だという結論になったようで、再びほこり臭い書庫室に閉じこもって、黙々と続きを読み耽っていた。








  ―オクタティアヌス家


  ラビウスとカシウスは緊張状態が続いている。


  二人して、相手の動きをじっと、身体に穴が開くのではないかというくらいに見つめていて、というか観察している。


  ラビウスが少しだけ足を右にズラせば、カシウスもそれと同時に足を右にズラす、という行為を何度も何度も繰り返しているため、エンドレスな睨みあいになっているのだ。


  視線を逸らせば、その一瞬で勝負は決まってしまう。


  浅いままの呼吸では、肺いっぱいに酸素を吸うのも難しく、自分を動かしているのは、本能と経験だけで、理性や思考といったものは、こういう場面において、役に立たないとまでは言わないが、本能や経験には敵わない。


  ただ、ラビウスとカシウス、どちらの方が経験があるかと聞かれれば、誰も迷わずに答えるであろう。


  『ラビウスだ』、と。


  経験値で差が大きく開いてしまっているのであれば、それを凌ぐほどの本能で反応しないといけなくなってしまい、その本能でさえ、ラビウスは動物的本能の『狩り』に対しては、カシウスを上回っているだろう。


  睨み合っているだけなのが疲れたのか、つまらなくなったのか、ラビウスは足で踏ん張ると、一気にカシウスに攻撃を仕掛ける。


  それを剣で弾くが、弾かれても遠心力を使って、すぐにもう一撃を仕掛ける。


  身体全身が柔らかいため、その柔軟性を最大限に使った攻撃をするラビウスは、カシウスが攻撃を避けるのを予測しながら、何手先までも読んでいる動きをする。


  「ハハハハ。避けてばっかいねぇで、俺に攻撃してこいよ。それとも、もう諦めてんのか?最近の若者は諦めが早くていけねぇな。」


  「もう若くないんで。」


  剣を構えると、今度はカシウスが攻撃を仕掛ける。


  身体を軽く回転させて攻撃を避けると、ニィッと笑ってカシウスの背中を狙って剣を振り下ろすが、カシウスは前屈みになって、下からラビウスの肩を軽く斬る。


  なんとか転ばずに体勢を直す事ができたカシウスは、ラビウスに剣を向けて距離を置く。


  一方のラビウスは、斬られた肩を触りながら、首を捻っていた。


  斬られたとは言っても、数センチにも満たないほどの傷であって、血もほとんど出てはいない。


  だが、自分の掌についている、僅かについている血を眺めながら、ラビウスは着ている戦闘服の上着を脱ぎ捨てると、黒く薄い服になった。


  肩をぐるぐる回して、首をコキコキ鳴らす。


  「あーあ・・・。ちょーっと痛かったな。あと少し深かったら、危ないとこだったぜ?」


  「・・・余裕そうに見えるがな。」


  「余裕なんて、戦争中には持ってちゃいけねぇ『心の隙』だな。油断は勿論、いつ何が起こっても対処できるように、心構えておくことだな。」


  ラビウスは、剣の切っ先を、先程カシウスに付けられた肩の傷に宛がうと、自分の血を剣に沁み込ませる。


  「悪いが、俺は何かを守るためになんて剣を振るっちゃいねぇぜ?そんな綺麗事並べてたんじゃ、勝っても負けても、言い訳にしかならねぇからな。」


  「・・・。戦争はいつでも、ただの殺し合いだ・・・。」


  カシウスの言葉に満足したのか、ラビウスは薄ら笑いを浮かべると、再び二人の間に緊迫した空気が流れ始めた。


  一瞬しか好機がなくても、それを好機に出来るかも分からないけど、とにかくやるしかないのだ。


  誰に頼ることも、誰に助けを求めることも、誰に縋るわけでもなく、ただただ信じられるのは自分だけのこの空間で、一体何を考え、何を想っているのだろうか。


  先に動きを見せたのは、カシウスだった。


  頭で計画を立ててから攻撃を仕掛けたわけじゃなく、身体が勝手に動き出していたのだ。


  それをラビウスはかわそうとも思ったが、真正面から喧嘩を買うのも悪くないと思ったのか、剣を構えると、剣同士の冷たい嘶きが響いた。


  力比べにも成り得るこの状況下で、カシウスは一歩も引くことなく、ラビウスの剣を受け止めている。


  キィィィィィィン・・・


  一度剣を弾くと、一定の距離を作り、またラビウスに攻撃をするが、それを今度は軽く避けて、カシウスの足に自分の足を引っ掛ける様に、ちょこん、と置く。


  足下にまで注意はいかないと思っていたラビウスだが、カシウスはその行動を予測していたようで、足下を見ずに、逆にラビウスの足を巻き込むかたちで、強めに足を引っ掛ける。


  自分の足を持って行かれそうになったラビウスは、体重の重心を変えてバランスを保ち、カシウスの首を狙って剣で風を切る。


  剣を床に刺して身体を捻り、ラビウスの剣を足で止めると、床から剣を抜いてラビウスの目の前に突き付ける。


  「・・・ほぉ~。そういう小細工も出来んだな。感心感心。」


  チェックメイトされたというのに、表情を変えないラビウスに疑問を持ったカシウスだが、それに気を取られていると、折角のチャンスを、簡単に持って行かれそうだったため、出来るだけ目の前のことに集中する。


  小細工というのか、カシウスの動きを思い返してはまた、感心しているように、うんうん、と首を上下に動かしている。


  肩書きを失くすことは怖くは無いが、今の居場所を失うのは怖い。


  カシウスにとっては家そのもので、仲間は家族のような存在なのだ。


  上半身が身軽になったラビウスが、身体を剣よりも前に出しながらカシウスに向かってきて、あと少しでぶつかる、というところで剣を向けてきた。


  それにも早く反応したカシウスは、避けるのではなく、剣の根元の部分でラビウスの攻撃を受けて、ラビウスの目や表情を見て、次の攻撃を読む。


  ―蹴りが来る。


  冷静に出した答えは当たり、ラビウスの足がカシウスの腹目掛けて、すごい勢いで飛んできたが、それをカシウスは剣を持つ手とは逆の手の肘付近で受け止める。


  その分腕の力がラビウスに劣り、少しだけ身体ごと後ろに動いたが、なんとか踏みとどまる。


  一旦床に足を戻したラビウスだが、次はカシウスの足を狙い、バランスを崩そうとしてきた。


  軽くジャンプをし、踏ん張りがきかなくなった状態になったのを見て、互いに剣を弾き、カシウスとラビウスは一定の距離を再び保つ。








  ―ウェルマニア家


  《どうだ?どのくらい生き残ってる?》


  「全部合わせて・・・半分くらいか?上々なんじゃないですか?相手を考えれば。」


  《・・・そうだな。》


  オクタティアヌス家の兵士達は、なぜか急におろおろし始めて、五分五分の戦争をしていたのにも係わらず、攻撃をして来なくなったのだ。


  不思議に思ったヴェローヌが剣を突き付けながら話を聞いてみると、指揮官が死んでどうすればよいのかわからないだの、戦争なんて本当はしたくないだのと、泣き崩れる兵士まで出てきてしまったのだ。


  指揮官が死んだからと言って、これほどまでにボロボロになるのも変だと思ったが、所詮は自分の意志など持っていない連中の集まりであろうと考えたヴェローヌは、とにかく連絡を取ろうと、無線機を手にしていた。


  やっとのことでロムレスと連絡が取れたヴェローヌは、未だ戦争を続けようとしているオクタティアヌス家の兵士を見ながら、無線機を切った。


  「ったく。いい加減『降参』って言葉覚えろよ。」


  地面に刺さっている真新しい剣を抜くと、それがオクタティアヌス家の兵士のものだと気付き、ため息を吐いて地面に戻す。


  狂気は孕んでいないが、自棄になっている敵に対して、峰打ちの体勢を取る。


  無駄に命は取るな、と、常日頃から言われている為、自然ととってしまった行動なのだが、それに気付かない敵は、ただ叫びながら向かってくる。


  「・・・散れ。」








  ―レムス隊


  「砲撃止め!」


  いきなりかかったレムスの言葉に、隊員は素直に聞くが、レムスは戦場の方を目を細めて見ているだけで、その後何も言わない。


  隊員たちは互いに顔を合わせるが、それでもレムスの言葉を静かに待っている。


  そんな中、一人だけ空気を読まずにレムスに話しかけようとしている奴がいて、その場に立つと、頭をかきながら大声を出す。


  「レムス!指示はまだか?」


  「五月蠅いわ。黙って。」


  「へいへい・・・。」


  シャオの言葉を掻き消す様な強めの声で叫んだレムスは、一向に砲撃の指示をだそうとはしない。


  大人しくその場で待機している仲間は、ただじっと待っているだけなのだが、それでもムズムズとした感情を押さえきることが出来ずにいる。


  しかし、何かを言おうとして立ち上がった仲間の腕を誰かが掴んだことによって、それは叶わなかった。


  シャオは、軽く笑うと、仲間をその場に座らせる。そして、レムスの表情を眺めながら心情を感じ、そっとレムスの許へと歩み寄る。


  レムスの肩に手を置こうとしたとき、レムスに鳩尾を殴られる。


  「~~~ッッッ!!」


  声にならない痛みと叫びを身体で表現しているシャオに対し、レムスは冷めた目つきで見下している。


  殴られた部分を押さえながら、笑ってレムスに再び近づく。


  「どうした?何か見えんのか?」


  「・・・戦争が、終わりそうなの。」


  「終わりそう?」


  「さっきまでの殺気も無くなってきたし、砲弾の数も急激に減った。それに、空気が変わった。」


  遠くの方を見ているレムスの横顔を見た後、レムスの視線を追うようにして同じ方向を見るシャオも、同じような感覚になる。


  肌を刺激する空気も、ただ撫でるだけの風になっていて、なんとも心地良いものだ。


  だが、まだ油断は出来ない。戦争が終わりを告げるその時まで、自分たちはこの城を守る義務があるのだ。


  白旗を上げるか上げられるか、それとも大将の首を取るか、取られるか、それまでは勝負は分からない。


  なぜかレムスの頭を撫でていたことに気付きレムスをみると、至極不機嫌そうな顔でシャオを睨んでいた。


  「何。」


  「ん?いや、わかんね。なんとなく。」


  シャオの手を振り払い、レムスはしばらく待機するようにと指示を出す。








  ―革命家


  イデアム達はまだ、大地を奔っていた。


  もう少しで革命家の仲間の待つ基地に着くのだが、急いで帰る理由も無い為、馬をゆっくりと奔らせている。


  頭の中で渦巻き、脳にこびり付いている戦場を思い出しながら、マリアは目を瞑っていた。


  自分の生きてきた道や方法が正しいなど、露ほども思ってはいないが、戦争という、人の命を無駄にするようなことは、マリアにとって許し難いことであった。


  生きて地獄を選ぶか、死んで極楽を選ぶかと聞かれれば、きっとマリアは迷わずに言うだろう。


  『生きて地獄を味わう』、と。


  死ぬことで苦しみから解放されると、そうすることでしか幸せを得られないと、言う人もいるかもしれないが、それは違う。


  この世の全てを嫌い、憎み、殺したいほどに自分を恨んだマリアは、この世で最も醜いことも、最も美しいことも、まだ知らない。


  生きる事が美しいのか、死ぬことが醜いのか。そうとも言い切れないからこそ、人生というのは難しい。


  マリアがゆっくりと目を開けると、イデアムが振り向くことなく語りかけてきた。


  「クズみたいな世界だよな。」


  「え?」


  いきなりのことで、声が裏返ってしまったマリアに対して、イデアムは後ろから見ても分かるくらいに、肩を揺らして笑っている。


  相変わらず何も言わないブライトだが、そんなイデアムを見てため息をついていた。


  「百%平和な世界なんか来ねぇ。でも、それに近づけることは出来るはずだ。まあ、その為には犠牲を払う事もあるかもしれねぇ。誰もが幸せになる世界なんて、何十年経っても、何百年経っても、きっと来ねぇだろうけどよ、せめて、自分の目の前の世界や景色だけは、平和で、色鮮やかにしてぇな。」


  最後は願望になっていたが、マリアはそんなところもイデアムらしいと思い、クスクスと本人に聞こえないように笑った。


  「そうですね。」


  少し大きめの声で、背中を向けているイデアムにも聞こえるように言うと、後ろからブライトがボソッと呟いた。


  独り言かとも思ったが、マリアには自然に聞こえてしまう。


  「まったく・・・。本当にお人好だ。」


  ため息交じりに呟かれた言葉は、言葉だけを聞くと呆れている様だが、その場で声を直接聞いたマリアには、それは呆れでは無いことは分かった。


  お人好しのイデアムだからそこ、あんなにも仲間がついてきたのだろう。


  それは、まだ仲間になって日が浅いマリアにも伝わってきた感情で、大雑把に見えて繊細で、適当に見えて慎重で、男らしいのに親しみやすくて、それでいて仲間想いだ。


  自分のことを後にして、周りのことを優先していくときにも、御礼を言われるのは照れるらしく、はにかんでいるのを良く見る。


  なんだかんだ言って、結局面倒見がいいのも、イデアムらしいところだ。


  銀髪を靡かせながら奔る、イデアムの背中を眺めながら、マリアは今、自分がとても幸せだと感じている。








  ―オクタティアヌス家


  無機質な金属音だけが響く空間で、二人の男は未だに剣を交えている。


  数十分前から、ほとんど変わっていない優劣関係に、ラビウスは口角を上げて薄ら笑っているだけで、カシウスはそれに対して眉を顰める。


  身軽な格好になっているラビウスを見て、カシウスも自分の身体に纏わせていた戦闘服の上着を脱いで、指の先だけが出る様になっている、黒のグローブを片方ずつ、ラビウスの動きを確認しながらつけていく。


  付け終わり、掌をギュッと数回握ったり開いたりを繰り返すと、剣を持ち、ラビウスを見る。


  「それ、指先寒くねぇの?」


  「・・・昔から愛用しているものだ。」


  ふーん・・・、と目を細めて、カシウスの手についているソレを見ると、剣を自分の顔の目の高さにまで持ち上げ、切っ先の延長線上にカシウスの顔が見えるように構えた。


  一方のカシウスは、剣を少し下に構える。


  空気はピリピリしたままで、カシウスとラビウスは互いに、相手の目と剣先の微かな動きに神経を張り巡らせている。


  その時、一陣の風が吹き、どこかの部屋からか、異様な臭いがしてきた。


  何の臭いかとカシウスが険しい顔をしていると、それに気付いたのか、ラビウスが喉を鳴らしながら口を開く。


  「所謂『儀式部屋』からの臭いだな。ほら、言ったろ?カニバリズムの儀式の話。ちゃんと部屋の掃除してんだけどな~、やっぱり血生臭い臭いって、なかなか消えねぇんだわ。数年前のものか、それとも数百年前のものか・・・。」


  腹の中の臓器から、身体の血液から、脳内から、ありとあらゆる全ての場所から、吐き気の連絡が伝わってくる。


  死体に慣れていないわけではないが、戦争中で目にする死体とでは、訳が違う。


  ニヤッと笑ったラビウスは、構えていた剣を一気にカシウスに向かって突き出し、それと同時に、自分の足も前に出した。


  避けようとして崩したバランスを、なんとか戻そうとしたカシウスは、ラビウスの剣を、剣を持っていない方の手で掴み、自分の剣をラビウスの目前に突き付ける。


  カシウスの手からは血が出ているが、本人は気にしていないようだ。


  その行動を見て、ラビウスはニヤリと笑い、カシウスを称える言葉を並べ始める。


  「いやぁ~、お前、本当にすげぇよ。うん。すげぇ。まさか自分の手で、俺の攻撃を止めるとは、流石に思って無かったぜ?まあ、思って無かったって言っても、それは今までのお前等の戦い方を見ての判断であって、俺の勝手な偏見だから、情緒不安定になることは無いけどな。」


  「・・・結局、自分自身を褒めてるのか。」


  「ハハハハハ!!そうかもな。」


  カシウスの手の内にある剣は、さらにカシウスの手を斬る様に強く喰い込み、溢れ出す血は留まる事を知らない。


  グローブをしているお陰で、思ったよりダメージはないものの、血が出るほどの強い力を加えられていることに変わりは無い。


  どんどん出てくる血を見ることなく、カシウスはラビウスを見ている。


  口角を上げたまま楽しそうに笑っているラビウスは、今の状況を打破しようとするカシウスの動きを具に観察し、少しでも動きを見せようものなら、さらに力を入れて剣を喰い込ませようとしてくる。


  性格最悪の男だ。それは本人も自覚はしているようだが、自覚していても、直そうとは思っていないのだ。


  地味に痛みが脳に伝わってきて、カシウスはとりあえずどうやって剣から手をどかそうかと模索していた。


  掌だけが熱く感じ始め、カシウスはラビウスに向けている自分の剣を、一気に下に持ってくる。


  重力に逆らわずに剣を振るえば、ラビウスの肩の傷口に向かって落下していき、それを避けるようにして、ラビウスは後ろに身を引いた。


  ようやく解放されたカシウスの手は、外から見ただけでは具合が分からない。


  「・・・結構深く刺さっただろ?大丈夫か?」


  「自分で狙ってやっといて、よくそういう台詞が言えるな。」


  「あ、バレてた?」


  ケラケラと小馬鹿にしたように笑っているラビウスを他所に、カシウスはジンジンと痛む手を数回握りしめた。


  その様子を、特に興味無さそうに見て、ラビウスはしらっと言い放つ。


  「なんか、お前も大したこと無さそうだな。」


  ピクッと肩を動かして反応を見せると、カシウスが纏っていた空気が一変する。


  無意識なのか、本人も気づいてはいないようだが、先程までの、甘ったれた考えの子供ではないようだ。


  満足そうな笑みを浮かべるラビウスは、殺気を放つカシウスを見て、両手を一度天高く上げ、片方の手をそのまま胸の前に持ってきて、もう片方の手を、剣を持ったまま背中の方へと動かした。


  それはまるで、陛下に仕える一兵士のような格好で、カシウスは眉を顰める。


  「これはこれは、大変失礼を申し上げました・・・。しかし、クロヴィス・カシウス、今の感情剥き出しの貴方では、私めには勝つことは皆無。到底、出来ることではありません。」


  「・・・舞台でもやっていたのか。何の心算かは知らないが、これはハンデと思え。お前のゆなヘラヘラした奴に、対等な立場で勝っても嬉しくもなんともないからな。」


  カシウスが剣を天に突き出し、九十度下ろして、剣越しにラビウスを睨みつける。


  一方のラビウスは、今までよりも行動が読み易くなったことが嬉しくもあり、つまらなくもあるようで、両手を肩辺りまで持ってきて、首を左右に振る。


  いちいち勘に触るような行動を繰り返すラビウス。


  だが、この状況を楽しんでいるのは変わっていなく、相変わらず喉を鳴らして笑っている。


  「まあまあ。こんくらいで苛立つな。もっと心にゆとりをもった方がいいぜ。それに、そんなに殺気出してたら、俺に動きを読まれるって分かってるだろ?それでもお前は、俺に勝つって言ってんのか?ちゃんちゃらおかしくて、臍で茶が沸かせるぜ。」


  「人を苛立たせることに関しては天才的だな。今の言葉に冷静に返すなら、『そんなら実際に臍で茶を沸かせてみろ』なんだろうが、俺はお前みたいに性格悪くないから、そういう事は言わない。」


  「・・・ハハハハハハ!!!なんだ、お前、この短時間で俺に似てきてんじゃねぇのか?」


  「・・・頗る腹立つ。虫唾が走る。俺はこの感情をどこにぶつければいいんだろう。」


  「心の声が出てるぜ。」


  怪我をしている肩をグルグルと回すと、ラビウスは肩手を腰に置き、もう片方の手で剣をカシウスに向ける。


  互いの剣の切っ先がギリギリ交わらないところで沈黙になると、殺気を伝って動きを感じ取っているラビウスは、ニッと歯を見せて笑う。


  癪に思ったカシウスだが、ここで先に動きだすことは出来なかった。


  動きが読まれる事は分かっているため、自分から動けば、それだけリスクが大きくなると考えているのだ。


  逆に、それはラビウスにとっては好都合で、いつでも自分から攻撃を仕掛ける事ができる。


  ―だが、それじゃあ面白くない。


  「行くぜ。」


  攻撃することを宣言してから、カシウスに攻撃を仕掛けると、それにすぐに反応したカシウスは、多少疑問に思いながらも攻撃を避けた。


  数回、金属音が聞こえると、刹那、二人して動作を止める。


  そして、互いに合図するように笑うと、同時に剣を相手に向かって斬り裂いた。








  激しい高音が響くと、辺りは一気に静まり返った。


  カシウスとラビウスは、互いに背を向けた状態で立っていた。


  「あーあ・・・。」


  自分の剣を見て声を漏らしたのはラビウスで、剣見てみると、真ん中あたりからポッキリと折れてしまっている。


  真っ二つに折れたわけではないカシウスの剣も、もう使い物にならないほどに、剣に罅が入ってしまっている。


  二人は自分の使えなくなった剣を鞘に納めると、振り返り、互いの顔を見る。


  「さて、これで武器はゼロ。どうする?武道でも俺はいいぜ?」


  「俺もだ。」


  互いに怪我を負っているものの、忘れているようだ。


  先制攻撃を仕掛けたのはラビウスで、いきなり拳でカシウスの顔面目掛けて振るったものの、それを掌で軽く受け止め、逆に鳩尾を蹴られてしまった。


  「い・・・痛ぇ。」


  「痛くないと意味ないだろう。」


  口では痛いと言ってはいるが、ラビウスの表情は玩具を与えられた子供のように輝いていて、舌でペロリ、と唇を舐めると、再びカシウスに向かって来て、今度はカシウスにぶつかるあと少しの距離のところで屈み、両手を床につき、足を狙って蹴りを入れる。


  ジャンプをして回避しようとするが、次のラビウスの行動を予測し、回避方法を変えようとしたが、時既に遅し。


  ジャンプして動きが取れなくなったところを、ラビウスの拳が、カシウスの横腹に命中する。


  脇腹を摩りながら不機嫌そうな顔をしているカシウスを見ると、ラビウスの笑い声は一層大きくなる。


  両手をポキポキと鳴らし、腰もグルグルと回すと、カシウスの表情は一変する。


  無表情といった言葉がピッタリとはまっていたはずが、喧嘩好きな子供のような表情に変わった。


  「・・・どうした?キャラ変更すんのか?今からじゃ遅いと思うぜ?」


  「これは殺し合いじゃない。だから、俺は全力でお前を殴ることにする。そうだ。お前を、サンドバッグだと思って殴る事にする。」


  「ほお・・・。」


  ラビウスがカシウスの攻撃を見極めようとすると、思っていたよりも速い動きで向かってきて、見事に顔面にクリーンヒットした。


  食いしばる暇も無かった為、ラビウスは口の中を切ってしまい、血が出てきた。


  指で血を触ると、ペッ、と口の中の血を吐きだし、カシウスを見て笑う。いや、笑う事しか出来なかった。


  「武道なら、アルティアに教わった。」


  「ハハ・・・。やってくれんじゃねぇの。」


  アルティアの運動神経を目の当たりにした時、正直勝つ自信は無かったラビウスは、それを聞くと、脱力したように項垂れる。


  ため息をつきながら、ゆっくりと腰を持ち上げると、眉をハの字に下げて笑う。


  「ま、やるっきゃねぇな。」


  半ば、諦めたように呟きながらも、ラビウスはカシウスの攻撃を待つ。


  だんだんと、目は速さに慣れてくるものの、身体は一気には反応することが出来ず、その後も数回殴られることとなった。


  「ハァハァ・・・。」


  息も切れるほどに殴り、殴られを繰り返した二人は、床に尻をつき、両腕でなんとか身体の上半身だけを起こしている。


  すると、ラビウスが片手を顔の横に上げて、プラプラと振る。


  何事かと思っていると、乾いた笑い声が部屋の中に響き渡り、ラビウスは完全に身体を床に預けた格好になる。


  「もう駄目だ。降参降参。俺も歳だな。」


  「・・・。」


  「ほら、首取んなら、早くしろ。首だけどっか行っちまうかもしんねぇぞ。」


  冗談交じりに降伏の言葉を並べると、天井を見つめながら、独り言のようにポツリ、と声を漏らす。


  「・・・痛ぇな・・・。」


  「生きてるからな。痛いと感じるだろう。」


  真面目に答えるカシウスに対して、いつものように喉を鳴らして笑うと、カシウスに自分の首を取る様に促す。


  倒れているラビウスのとこに行くと、カシウスはその横に胡坐をかいて座る。


  「生憎、剣が折れていて、お前の首を切れない。」


  「だったら、どっかの部屋から拝借してこいよ。それが、お前の仕事だろ?いつまで経っても、戦争終わねぇぜ?」


  すると、カシウスは膝に手を付きながら立ち上がり、剣を取りに行くのかと思ったが、ラビウスに向かって手を差し出した。


  頭には疑問符しか浮かばないラビウスは、横たわったまま起きようとしない。


  敵に情けなど無用、そんな時代の中で、敵に少しでも同情しようものなら、自分が斬られるかもしれない。


  カシウスの真意が読めないままいると、盛大なため息がラビウスの耳に届いた。


  「白旗を上げろ。お前は、永久追放する。一生檻の中で暇な時間を過ごすんだな。」


  「・・・こりゃまた、手厳しい罰だな。」


  カシウスの手を掴むと、カシウス自身も力を入れ、ラビウスはゆっくりと身体を起こす。


  そのまま城の最上階にまで向かい、そこからは歩きで一番高い塔のさらに上まで向かう。








  オクタティアヌス家から白旗が上がると、戦場にいる兵士達は、一瞬、自分の目を疑うが、同時に安堵する。


  ウェルマニア家の仲間達は歓声を上げ、戦場で互いの無事を確かめあう。


  「はぁ・・・。あそこだけは行きたくなかったんだけどな・・・。」


  「罪を死で償うのは簡単だ。だが、生きて罰を受けることは、それより難しく、苦しい。お前のしてきた事は、死で償えるほど、軽いものじゃない。」


  「・・・なんか、年下に説教されるのって、嫌だな。」


  戦場を見れば、確認しようとオクタティアヌス家に向かっている兵士達がゾロゾロといたが、そんなものに興味無さそうに、ラビウスは空を見ていた。






  こうして、三日に及ぶ戦争は終焉を迎えた。


  たかが三日ではあるが、それは、戦争に係わった者にとっては、とても長く、恐怖との戦いであった。


  今日を生きる事が出来るのか、それを知るのは、自分でもなく、ましてや神でもない。


  明日生きていることで、それが確認出来るのだ。








  ―ウェルマニア家


  ロムレス達は城に戻り、カシウスの帰りを待つことにした。


  なかなか帰ってこないと心配していると、なにやら、馬の嘶きと人の叫び声が聞こえてきて、ロムレスは誰よりも早く外へと出る。


  「カシウスとアルティア!」


  遠くの方から見えたのは、確かにアイトーンであった。


  「アルティア!いい加減にアイトーンの脇腹を触るのを止めろ!」


  「いいじゃねぇか。減るもんじゃねぇし。」


  「物理的には減らなくても、精神的に減る。セクハラで訴えるぞ。」


  「馬に触ってセクハラにならねぇだろ。犬とか猫飼ってる奴なんか、セクハラし放題じゃねぇかよ。って、なんでお前はアイトーンのことになると、そんなに熱くなんだかな・・・。」


  徐々に近づいてくる二人に気付き、さらに多くの仲間達が駆け寄って来る。


  元気そうな声が耳に届くだけで、ロムレスを始め、仲間全員の心の中で、今まで溜まっていた苛立ちや不安が掻き消されていく。


  ウェルマニア家の前まで来ると、カシウスはすぐさまアルティアをアイトーンから、半ば強制的に下ろし、その後で自らもゆっくりと下りる。


  アイトーンの手綱を持ちながら、仲間の生存を確認する。


  「おかえり。カシウス、アルティア。」


  ロムレスが、柔らかい口調で発した言葉を聞くと、カシウスも心なしか安心する。


  今までの戦争が、もしかしたら夢であったのかもしれない、もしかしたら戦争なんて無かったのかもしれない。


  だが、仲間の傷跡や、横たわって身体に布がかけてある遺体が視界に入ると、夢なんかではなかったことを再認識する。


  クラウドの死亡や、サビエス、ロマーユ、コープスのこと、ラビウスの永久追放のことなどを一気に話すと、嗚咽交じりに泣き出す者までいた。








  ―オクタティアヌス家


  その日は、ラビウスの追放の為に、遠路はるばる神の裁きを仰せつかったと言われている『使徒』の方々が、ラビウスを直々に迎えに来たのである。


  「オクタティアヌス・ラビウス。貴様をこれから審判にかける。その後、追放の準備に取り掛かる。何か言い残すことはあるか。」


  使徒がラビウスに向かって言うと、ユースティアがラビウス達の前に現れ、自分も審判にかけるようにと申し出た。


  だが、ラビウスはそれを阻止するように、ユースティアの腹に拳を入れ、気絶させた。


  ゆるゆると倒れていくユースティアを見ながら、ラビウスはくるり、と使徒の方をみて、口角を上げながら言った。


  「特にはねぇな。ま、あんたらに神格があるのかは甚だ疑問だし、神祇なんて俺は信じてねぇけど?俺がどれだけ拒否しても強制だから無理だろうし。・・・てなわけで、さっさと行こうや。」


  ラビウスの言葉に、使徒たちは互いの顔を見るが、手錠をつけ、さらにその上から鎖で巻きつけ、その上に布を巻き、さらに頑丈に紐で縛る。


  傍から見ると、痛くて重くて大変そうだが、されている本人は平然としていて、気にはしていないようだ。


  使徒に連れていかれながら、ラビウスが何を考え、想い、浸っていたのかは誰にも分からないが、退屈凌ぎのお遊びが終わったことに関しては、自嘲気味に笑うしかなかった。


  「自業自得ってやつだな。」








  ―革命家


  「イデアムさん。」


  「お~?何だ?」


  イデアム達の基地内では、いつものように稽古が行われていた。


  ブライトが紙束らしきものを持ってイデアムに近づくと、それを請求書と勘違いしたイデアムは、目を細めて諦めたように笑う。


  だが、それは請求書などではなく、単なる今朝の新聞で、ブライトが近くの市場で買ってきたもののようだ。


  それを手渡され、一番目につく記事を見て、ため息をつく。


  「ラビウスが、審判にかけられるそうです。」


  「・・・・・・・そうか。」


  「永久追放になるかもしれませんね。」


  「そうだな。一件落着なんじゃねぇの。」


  新聞の一面には、大きくラビウスのことが書かれていて、『オクタティアヌス家崩壊』だの、『今尚続いていた人喰いの真実』など、世間の連中が好み、喰い付きそうな見出しをしているが、そこに書かれていることなど、真相の半分にも満たない。


  その陰で命を失ったものがいること、大切なものと引換に命を投げ出したものがいたこと、明日生きるために必死になって戦った者がいたことなどは、これっぽっちも書かれてはいない。


  無関心とは、本当に恐ろしいことだ。


  「全く・・・。何も知らねえくせによ・・・。」


  ブライトから渡された新聞を軽く読み、ブライトにそれを返すと、イデアムはソファに横になって「寝る」と言いだした。


  一礼をしてその場から立ち去ると、ブライトは自室へと入っていく。


  ―つまらない日常になるか、変化する非日常になるか・・・。


  それを変えられるのは己のみである。


  イデアムは目を閉じ、浅く呼吸をしながら眠りにつく。








  ―一ヶ月後


  「カシウス!コレ、今朝の新聞、読んだか?」


  「いえ、まだですけど・・・。どうしたんですか?」


  朝、カシウスが顔を洗っていると、急に後ろから大声を上げてきたのは、片手に新聞を持ったロムレスだった。


  大方、ラビウスのことだろうと思っていると、案の定、ラビウスの求刑が決まったという記事を、カシウスの目前に突き付けた。


  「近すぎて読めません・・・。」


  「あ、悪ィ悪ィ。ほら。」


  ニカッとはにかむと、ロムレスは近くの大きな石に腰かけて、新聞の内容を簡単に言う。


  「ラビウス、やっぱ永久追放だと。ま、島流しとかじゃなくて、牢獄に一生閉じ込められる、『太陽からの永久追放』なんだとよ。牢獄に入る前には、手厚い洗礼も受けることになるだろうし、今までみたいに笑ってはいられねぇだろうな。」


  「ユースティアはどうしたんです?ここには書かれていませんね。」


  オクタティアヌス家第二王子にして、ラビウスの義理の弟でもあるユースティアは、オクタティアヌスが没落した今、どうしているのだろうと、心配ではないが、気になっていた。


  「さあな。ラビウスが連れていかれたあと、誰も見てないって話しだぜ?」


  どこか遠くの地へと行ったのだろうか、それとも、もう先が無いと悲観して・・・。


  カシウスが悶々と一人で考え事をしていると、そこにレムスがやってきた。


  カシウスとロムレスを見つけ、少しだけ不機嫌そうな表情になったものの、ロムレスが明るい声で挨拶をしたため、小さな声で返事をする。


  戦争中、ずっと城の警固をさせていたことを、今でも怒っているのかとカシウスが思っていると、ロムレスが嬉しそうに、カシウスに向かって説明した。


  「オクタティアヌス家から白旗が見えて、みんなで城に戻った時、レムスの奴、泣きながら俺に抱きついてきたんだぜ?やっぱりまだ子供だな~。」


  満面の笑みで、それはそれは本当に嬉しそうに話していると、突然、ロムレスの顔面に、いつの間にか取られた新聞が命中した。


  恥ずかしいのか、若干顔を赤くしながらも、呆れたようにため息をついたレムスは、「馬鹿じゃないの」、と言って、立ち去ってしまった。


  「・・・相変わらず、仲がいいですね。」


  「まぁな・・・。照れ隠しが段々強烈になってる気がするが、気のせいか?」


  気のせいではない、と言おうとしたカシウスだが、それもいつもの光景で、平和な時間であることの確認なのだと思い、軽く笑った。


  ロムレスが朝食を食べに行くと言って、誘われたが、後で行くと伝えると、片手を上げてひらひら動かして去っていった。


  地面に落ちた新聞を拾って、一ページずつ、一文字ずつ、しっかりと読んでいく。


  やはりどこにもユースティアのことは書かれておらず、ラビウスの事ばかりが載っているだけであった。


  「・・・よし。」








  ―ウェルマニア家 食堂


  「アルティアじゃねえか。」


  「げ。」


  「「げ」、じゃねぇだろ。お前、忠実な執事みたいだったって聞いたぜ?」


  周りの仲間とは異色の、ジャージ姿でご飯を食べているアルティアは、昔から面倒見の良いロムレスに叱られてばかりだった。


  喧嘩っ早いわけではないのだが、やる気を感じられないためだ。


  「それにしても、正装出来ねえのか、お前は・・・。」


  「動きにくい。」


  坦々麺を食べているアルティアの額からは、じんわりと汗が流れてきていて、眉を少し潜ませている為、艶やかに見える。


  手を団扇代わりにしてパタパタと煽ぐが、全く涼しくはならない。


  その隣で、大盛のタラコスパゲッティを食べているロムレスは、フォークをグルグルと回しながら、頬をモゴモゴと動かしていた。


  特に会話をすることないまま食事が終わり、ロムレスはクラウドの部屋の掃除に取り掛かるために、階段を上っていき、アルティアはその手伝いをさせられることとなった。


  ロムレス隊とアルティアという、数にして二十人ほどでの掃除が始まったわけだが、それほどまでの人数で行うのは、クラウドの部屋が広すぎるからだ。


  無駄な消費はしないものの、本やアリスの遺品、クラウド本人の遺品などが多く残っている。


  アリスの遺品は、数少ない衣類や本、政治的に必要な最低限の宝石類、地味な家具類であり、クラウドの遺品は、歴史書やフィクションの物語といった本、家族や仲間の写真、正装用の服、亡き妻のイヤリングとネックレス、二人の結婚指輪などであった。


  どれもこれも処分することは出来ず、定期的に掃除することになったのだ。


  隣のアリスの部屋はなんとも殺風景で、年頃の女の子の部屋とは思えないほど、ガラリとしている。


  仲間に指示を出していると、ロムレスの視界にあるものが入った。


  「ん?」


  そこには一枚の写真があり、写っているのは弟のように可愛がっているカシウスだった。


  なんとなくアリスの気持ちを察したロムレスは、その写真を写真立てに入れて、アリスの部屋の一番目立つ棚の上に置いた。


  クラウドの部屋の掃除も分担して行っているうちに、時間だけは無感情に流れていく。








  「ロムレス。」


  掃除中のアリスの部屋に現れたのはカシウスで、中の様子を窺うようにしながら、ロムレスの名を呼んだ。


  「どうした?」


  仕事を一時中断し、カシウス許まで向かう。


  部屋から少し離れた廊下の隅まで歩くと、そこではアルティアが雑巾を持ったまま欠伸をしていた。


  「おい、こら。仕事さぼるとは、良い度胸してんじゃねぇか。」


  「怖い姑になれるぞ、ロムレスは。」


  ロムレスに頭を叩かれると、アルティアは渋々身体を動かして、クラウドの部屋の荷物をチェックし始めた。


  それを見てため息をつくと、ロムレスは話を戻す。


  「で?どうしたって?」


  「今から、ラビウスのいる牢獄に行こうと思います。」


  カシウスの言葉に目を真ん丸くさせると、心の底から怪訝そうな顔を向け、眉間にシワを寄せた。


  「同情でもなんでもありません。ただ、ラビウスの城から出てきた今までの金銭の流れや、それに係わった城などの資料を届けに行こうと思いまして。」


  「ああ、そういうことな。わかった。城のことは任せて、気を付けて行って来いよ。」


  「はい。では、お願いします。」


  踵を返して城の出口へ向かうカシウスの背中は、戦争前よりも大きくなったように感じる。


  カシウスがアイトーンに跨って行くのを見届けると、ロムレスは自分の仕事へと戻った。








  ―革命家


  「あれ?」


  数時間後、自室から出てきたブライトは、いつもそこにいるはずの人がいないことに気付き、辺りを見渡す。


  だが、どこにもいない。


  近くで鍛錬を続けているジュアリ―のところに向かい、声をかける。


  「イデアムさんは?」


  ブライトに気付くと、マリアに向かって掌を出して、休憩するようにと伝えると、タオルで顔を拭きながら椅子に座った。


  飲み物を口に含むと、首をグルグル回しながら答える。


  「さっき出て行ったわよ。お酒でも買いに行ったんじゃないの?」


  「・・・そうですか。」


  外に出てみると馬がいなく、遠くへ出かけた事だけは確認出来た。


  いつもなら、近くに出かけるにしろ、遠くの方へ出かけるにしろ、ブライトに声はかけてから出かけるイデアムが、何も言わずに出かけたという事は、きっと誰にも知られたくない場所なのだろう。


  居場所を推測することも出来ないので、ブライトは声をかけてきた仲間と稽古をすることにした。








  ―某所 牢獄


  チャリン・・・


  直接肌に触れている冷たい金属の音を聞くだけが、今ここにいることを証明、確認できる唯一の方法だ。


  両手両足を自由に動かすこともままならず、目隠しもされていて、口も布を巻かれている。


  カツン・・・


  普段聞くことの無い、金属音以外の音が耳に響くと、下を向いていた顔を少しだけ上げるが、誰かを確認することも出来ない。


  「・・・カシウスか。」


  名前を口にしながら、ククク、と喉を鳴らして笑う男は、永久追放されたラビウスだ。


  「犬並みの嗅覚だな。」


  「何しに来た?お前は他人を嘲笑うような人間じゃなかったと思うが?」


  「お前の永久追放が正当かどうかを見極めるための資料を持ってきただけだ。暇そうだな。」


  歪めたままの口元を緩めることなく、ラビウスは鎖の冷たさを感じながら、カシウスの言葉に対して薄ら笑うだけだった。


  目元は見えないが、人の心を抉ってくるような視線を、嫌でも思い浮かべてしまう。


  「いや、今日は客人が多いと思ってな。」


  「?客人?」


  それ以上、ラビウスと会話することはなく、警備している看守に時間だと言われ、仕方なく何も言わずに牢獄を後にした。


  カシウスと看守が出て行ったあと、暗闇の中、英雄の唄がコンクリートを通して部屋中に響き渡っていたことは、唄っていた本人しか気付いていない。


  牢獄を出ると、見知った背中を見つけたカシウスは、アイトーンを奔らせ、その後を追った。








  「どうも。」


  「お?」


  カシウスに声をかけられて振り返った顔は、隻眼であり、揺れる銀髪はとても眩しかった。


  「ラビウスの言ってた客人って、貴方だったんですね。」


  「おお。お前もか?」


  「まあ。提出するように言われた資料を持ってきたんです。」 


  「そうか。俺はちょっとした世間話をな。」


  ロムレスに少し似た落ち着いた空気を纏っているイデアムとの会話は、カシウスにとってはとてもゆったりと出来る時間であった。


  風が程良く冷たく、特別な話はしないまでも、互いの仲間の話をしているだけで、すぐに城に近づいてきてしまった。


  「あ、じゃあここで。」


  「おお。酒呑みは今度だな。」


  その言葉に、以前最後に言われた事を思い出したカシウスは、思わず笑ってしまった。


  「そうですね。こちらでも用意させていただきます。」


  イデアムが軽く手を上げたのを見て、カシウスは会釈をすると、馬のリズムの良い足音が遠のいていくのを感じた。


  顔を上げると、イデアムの背中は小さくなっていて、その背中をしばらく見た後、カシウスも城へと帰るため、アイトーンの手綱を強く引いた。


  広い大地を駆け抜けていると、孤独を感じることも多少あるのだが、なぜだが今のカシウスの心は満たされていて、孤独というよりも、自由に向かっている感覚だった。


  失ったものも多く、悲しさや悔しさが心臓を鷲掴みしたまま、決して離そうとはしてくれない。


  それでも、今自分の目の前にある景色、仲間、未来が少しでも残っているのなら、過去をいつまでも嘆いて生きるわけにはいかない。


  過去の過ちを清算など出来ないのだから。


  黒い髪を風に靡かせながら、カシウスは鼻歌を歌いだす。


  それは、決して表舞台には出ない唄。


  それは、決して償いきれない人間の過ち。


  それは、決して忘れてはならない命の尊さ。


  この間まで吸い込んでいた砂の交じった空気とは違った、新鮮な酸素が、肺を通って行くのを感じる。


  カシウスが鼻歌を歌っている途中、アイトーンもヒヒン、と啼きだした。


  「どうした、アイトーン?お前も唄いたいのか?」


  アイトーンの首あたりを軽く叩くと、それに返事をするかのように、また啼き、蹄の音もリズミカルになる。


  少し速くなったため、カシウスの身体は後ろに逸れてしまったが、すぐに体勢を立て直し、顔をくしゃっとした笑顔になる。








  人の一生は短い。


  堕落した人生でも長生きしてしまうかもしれないし、規則に忠実に従っていても、それほど長く生きられないかも知れない。


  生きるという事は、本来、難しいことなのだ。


  生きることから目を逸らすという事は、生きることを拒むことだ。


  他人に無関心なのは、生きることに、或いは世間全体に見飽きたからだろうか。


  人間が武器を手にした時、遥かに強い武力を持った責任の重さも分からなくなり、動物も人間も簡単に殺していく。


  自分が強くなったと錯覚を起こし、命を奪う事に抵抗さえ無くなってしまう。


  何かの命を捨てること、奪う事と、誰かの命に無関心であることに、大きな差はない。


  小さな命も大きな命も無く、生きるためには何かの命を奪う時もある。


  それを非難することは出来ないが、非難すべきことは、その行為や行為の意味に、『慣れる』ということだ。


  命を奪う意味、その命を口にする感謝、無駄な命を狩ってはいけないこと、平等な命であること・・・。








  ―革命家


  「あっ、イデアムさん。どちらに?」


  カシウスと別れてから、真っ直ぐに革命軍基地まで帰ってきたイデアムが、馬を小屋に戻して部屋に入ると、イデアムの帰還に気付いたブライトが、剣を腰にしまいながら走り寄ってきて、目の前まで来る。


  イデアムは欠伸をしながらソファに座り、銀髪をかき乱しながらため息をついた。


  「牢獄に行ってきた。」


  「?なぜですか?」


  「ん~・・・。ケジメつけてきただけだ。」


  言い終えると、その後ブライトが首を傾げているのがチラッと見えたが、ソファの背もたれに両肘を置き、首を逸らして天井を見る。


  ブライトが何か言っているのを、右から左に聞き流し、適当に相槌を打っていると、諦めたのか、稽古場の方へ戻っていくのが感じ取れた。


  目を瞑っているうちにウトウトしてきて、そのまま寝入ってしまった。


  「あら?戻ってきてたのね。」


  「あ、本当ですね。」


  マリアとジュアリ―が、先程まではソファにいなかったイデアムを見て話す。


  ジュアリ―はイデアムの近くまで行くと顔を覗き見ていて、眼帯部分を、デコピンのように人差し指で弾いた。


  その時、ピクリ、とイデアムが反応したようだが、口を半開きにしたまま寝ている。


  「・・・なんか、情けないっていうか、幼いっていうか・・・。」


  寝顔を見ながら呟くと、ジュアリ―は踵を返してサッサッと歩き出し、マリアもその後を追って行く。


  「ブライト!」


  「なんです?」


  他の仲間と稽古をしていたブライトは、ジュアリ―に呼ばれると一旦手を止めて、滴る汗を服の袖で拭いながら近づいていく。


  「マリア、結構成長したの。だから、一回見てくれない?それによって、剣も少し重めの使わせてあげたいから。」


  「それは構いませんが、判断はジュアリ―さんに任せると・・・。」


  「まぁまぁ。お願いね。」


  マリアと初めて剣を交えるブライトだったが、剣を構えた瞬間引き締まったマリアの表情を見て、全力で迎えようと考えた。


  まだまだ未熟な剣遣いではあるが、この短期間で良く成長したものだと感心した。


  筋力が足りないこと、視野が狭いこと、形を重要視し過ぎて柔軟性に欠けることなど、剣を受けながら色々と観察をし続けた。


  「ハァ・・・ハァ・・・。」


  「筋力トレーニングの量を増やせ。それから・・・。」


  マリアにアドバイスしている姿を遠巻きから眺めているジュアリ―は、そよそよと吹く風に身を任せ、目を細める。


  長かった髪の毛を肩辺りまで切ってしまったマリアに対して、切らざるを得ない状況に巻き込んでしまったことを申し訳ないと思いながらも、それでもこの場所を選び、この場所を好きになってくれたことに感謝する。


  頬杖を付きながらボーッとしていると、ブライトの話を聞き終えたマリアが、ジュアリ―の方にかけよってきた。


  「筋力トレーニングでもう少し力が付いたら、次の段階に入れるって言われました。」


  「そう。じゃ、トレーニング始めましょうか。」


  「はい。」


  もともとハードな運動が好きではないイデアムだったが、そんなことでは歳を取ってから、ぶよぶよのお肉になるとブライトに言われた為、個人個人に一日のトレーニングをかせた。


  当の本人はトレーニングをしているのかは定かではないのだが・・・。


  ジュアリ―と共に、以前よりも回数を増やしてのトレーニングは、辛くもあったが、周りに少しでも近づけているという嬉しい感覚でもあった。


  どんなに厳しいトレーニングでも弱音を吐かないマリアを見て、ジュアリ―はクスッと笑う。


  「今度、甘いモノでも食べに行きましょうか。」


  「え、いいんですか?」


  「いいじゃない。たまには、ね?」


  イタズラっぽくウインクをして見せるジュアリ―に、マリアも笑顔がこぼれる。


  その二人の様子を見ているのが一人・・・。


  ソファで爆睡していたイデアムだ。


  「・・・女って、やっぱ分かんねぇな。」


  そうは言いながらも、口元は弧を描いていて、楽しげに会話をしているジュアリ―とマリア、ブライト達を見て、柔らかく笑う。


  銀髪の髪を揺らしながら、イデアムは目を閉じ、ゆっくりと開いて真っ青な空を仰ぐ。


  






  ―ウェルマニア家


  「アルティア、お前掃除しろよ。」


  「ん~・・・。」


  クラウドの部屋を掃除していたはずのアルティアは、何やら珍しい本を見つけたらしく、読み耽っていた。


  頭にタオルを巻き、腕捲りもしているが、ヤンキ―座りをしながらの本を読んでいて、さらには入口付近の最も混雑する場所で読んでいるものだから、ロムレスが注意しに来たのだ。


  なかなか動こうとしないアルティアにため息をつき、首根っこを掴んで廊下に連れ出す。


  胡坐をかいたまま今尚読んでいるアルティアに、そうやって仕事をさせようかと頭を抱えていると、帰ってきたカシウスにすぐさま気付く。


  「どうかしましたか?」 


  カシウスの問いかけに対して、親指をクイッと動かし、その方向へ顔を向けると、本を読んでいて、カシウスがいることにも気付いていないアルティアの姿があった。


  それを見て、カシウスとロムレスは同時にため息を付き、カシウスがアルティアの近くまで歩み寄る。


  それでもなかなか気付かないアルティアに、ロムレスは箒で軽く頭を叩く。


  「痛。あ、カシウス。」


  「マイペースなのはお前の専売特許だが、与えられた仕事はきちんとしろ。」


  そう言いながらアルティアの手から本を奪い取ると、不機嫌そうな顔を浮かべ、子供のように口を尖らせたアルティアだが、諦めたのか、深い深いため息を数回見せつけた後、重い腰をようやく上げて、クラウドの部屋の掃除に取り掛かった。


  仕事をし出すと、その集中力から早く片づけることが出来るのに、なぜいつも違う方向に集中力が向いてしまうのか。


  アルティアが掃除をし始めたため、ロムレスも再び仕事に取り掛かる。


  正装から普段着に着替える為に自室に戻ったカシウスは、先程アルティアから取り上げた本の背表紙を見て、目をパチクリさせる。


  何かの歴史書かと思っていたそれは、なんのことはない、クラウドの日記帳だったのだ。


  ベッドの脇にある低い本棚の上に置き、着替えをし、自分も掃除班と合流しようとしたが、日記帳が気になってしかたなかった。


  人のものを勝手に読むのは気が引けたが、思い切ってページを開いていく。


  ―晴天なり 今日も何事も無く、平和な一日であった。明日も皆が平和でいられるよう。


  ―雨天なり カシウスがヴェローヌに仕事のことで叱っていたと聞いた。カシウスはしっかり者で頼りになるが、もう少し肩の力を抜き、笑ってほしい。


  ―晴天なり アリスの産まれたばかりの頃の写真が見つかった。本当に立派に育ってくれたものだ。


  ―雷雨なり ロムレスとレムスが兄妹喧嘩をしたそうな。家族とは、本当にいいものだ。


  「・・・クラウド様・・・。」


  短い文章が並べられているだけの日記ではあったが、その一言一言に、クラウドの想いが詰まっている気がした。


  パタン、と本を閉じると、クラウドの部屋に戻すために手に持つ。


  部屋に向かう途中、小窓から見える、一か月前にはそこで命のやり取りをしていた大地を眺め、空を見ればどこまでも広がる空と、自由に浮かび飛ぶ雲を見つめ、フッと口元を緩めると、ロムレス達許へと足を進めた。


  「ロムレス。俺はどっちの部屋の掃除を手伝えばいいです?」


  「おお、助かるぜ。じゃあ、アリス様の方頼むわ。」


  「わかりました。」


  クラウドの部屋の中を少しだけ覗くと、アルティアがちゃんと掃除をしているのが見え、安心してアリスの部屋に向かった。


  初めて入るアリスの部屋はとてもシンプルで、女性の部屋に入ったことなど無く、たまにレムスの部屋に用事があって行っても、部屋に入らず話しだけするため、本当に初めて入る。


  あまり荷物は無いようだが、女性物ということで、どう扱えばいいのか分からない物が多い。


  捨てないことを原則として掃除を始めたはいいが、もともと持ち物が少ないことや、アリスがラビウスの許に嫁いでからも、いつ帰ってきても良いようにと、頻繁に掃除をしていた。


  そのため、部屋は綺麗な方で、それほど汚れてはいない。


  「・・・どこを掃除しようか・・・。」


  くるっと部屋を見渡しては見たものの、やはり綺麗そのものだ。


  ふと、アリスの部屋にもアルバムらしきものがあることに気付き、無意識に手を伸ばして開いてみる。


  クラウドとの写真や、母親との写真は勿論、ウェルマニア家の仲間の写真も沢山あった。


  よく棚を見てみると、こうしたアルバムが数冊あるのが分かり、こうした思い出を大事に取っておくアリスの性格を多少は知ることが出来る。


  アルバムを元の場所に戻すと、カシウスは部屋を出て、クラウドの部屋に向かう。


  「ロムレス。アリス様の部屋は掃除の必要は無さそうです。こちらを手伝います。」


  「ありがとな。でも、もうこっちも終わった。食堂にでも行って、ゆっくり休もうぜ。」


  「人使いが荒いよな、ロムレスは。」


  頭に巻いたタオルを解きながら、カシウス達の横を通り過ぎていくアルティアは、ロムレスにまた頭を叩かれる。


  頭を摩り、文句を言いながらもちゃんとロムレスの言う事を聞いているアルティアを見ていると、なぜだかカシウスは笑った。


  以前のような時間に戻った。


  だが、ぽっかりと空いた胸は、空虚感なのだろうか。


  自分だけが感じている事では無いことをカシウスは分かっているが、それでも、目の前の景色はいつもと変わっていなく、変わらず笑顔を見せてくれる仲間がいる。


  一人で物思いに耽っていると、ロムレスがカシウスの髪の毛をワシワシとかき乱してきた。


  「そんな顔してんなよ。確かにクラウド様のこともアリス様のことも、勿論仲間のことも、無念で仕方ねぇけどよ、俺達は生きてんだ。折角残った命、未来、笑って生きなきゃ損だぜ?」


  「・・・ロムレス・・・。」


  髪の毛がボサボサのまま、カッカッと笑うロムレスの背中を眺め、カシウスもつられて笑う。


  ロムレスの前をダルそうに歩いているアルティアは、欠伸をしながら階段を下りるところで、食堂に行ったら何を頼もうかとブツブツ言っていた。


  「ほら、早くしねえと、食料底ついちまうぜ。」


  「あ、はい。」


  みんな、悲しさを隠して、笑い合っている。


  仲間を失くしただけでも辛いというのに、家族を失くした者は、どれだけの痛みを抱えて生きているのだろう。


  誰も決して顔や言葉には出さないが、今でも泣いて、神に祈りたい気持ちでいっぱいだろう。


  だが、そうせずに、明るく振る舞っているのは、きっとクラウドの影響だ。


  大事に育てた一人娘のアリスが自害したと聞いた時も、気丈に振る舞い、泣いた姿を誰一人として見た事が無かったという。


  誰もいないところでは、きっと泣いていたのだろうが、悲しみを口にすることもせず、怨むこともせず、運命だと受け入れていた。


  「カシウスは何食う?」


  「んー・・・。おにぎりが食べたいです。」


  「は?おにぎり?」


  小さい頃、一人で街をさまよい歩いていた時、クラウドがカシウスを拾ってくれた。


  その時、最初に口にしたものが、おにぎりだったのだ。


  豪華ではないが、それなりの食事を与えたのだが、おにぎりしか食べないカシウスに、クラウドは栄養面を考えたおにぎりを食べさせていた。


  それを思いだしたカシウスは、塩味のシンプルなおにぎりと、他にちゃんとしたものも食べろとロムレスに言われた為、ロムレスと同じ定食を頼んだ。


  お腹の中に入れば、幸福感に満たされる。


  周りを見れば、仲間が楽しそうに談笑しながら食事をしている。


  「ん。うまい。」


  「どんなに豪華なモン食ってもよ、質素なモンの方が美味いって感じるのは、なんでだろうな?身体が覚えてんのかね?」


  「そうかもしれませんね。」


  隣でご飯を大盛にし、ガツガツと美味しそうに食べているロムレスに返事をしながら、カシウスは一旦手を止めて、ぽつりと呟いた。


  「・・・もっと早く降参すれば、仲間も失う事は無かった・・・。」


  自分では小さく言ったつもりだったが、隣にいたロムレスと、前に座っているアルティアには聞こえてしまったようで、二人も手を止めて目を細める。


  折角明るい未来に向かって歩いていたところだったというのに、空気を読まずに言ってしまった言葉を撤回しようと、再び口を開くが、それは叶わなかった。


  ロムレスが先に声を発したからだ。


  「そうとも限らねぇよ。」


  静かで低く、優しく囁かれた声は、後悔ばかりのカシウスの心に深く沁み込んでくる。


  「確かに、生存率の事だけを考えれば、白旗上げりゃあ済む問題かもしれねぇけど、その後はどうする?それこそ、今みたいに笑って生きるなんて出来ねぇだろ。これが単なる個人同士の喧嘩なら、一歩下がって、頭下げりゃあいい。自ら負けに行くことが間違いだとは思わねぇよ?圧倒的な力の差であった場合、今回の戦争だって、最後の手段として、その考えはあったんだろうしな。」


  一度話すのを止めて、水の入ったコップを手に持ち、それを口に運ぶ。


  満タンに入っていたコップの半分くらいまで一気に飲み乾すと、ロムレスは再び話を続けた。


  「戦争のやり方に正しいとか間違ってるなんて、無ぇんだ。戦争自体が間違いなんだからよ。でも、ま、一人でも多くの仲間が生きてた。それでいいんじゃねぇのか?誰にも責任なんてねぇんだ。忘れろなんて言わねぇけどよ、今生きてる事を喜ぼうぜ?」


  ご飯を口に運び、お腹が膨れる感覚を感じると、お腹が空くということと、生きていることは繋がっていることに気付く。


  戦争中は、そんなことを考えている暇も無かった。


  どんなに酷い時代に産まれようと、自分が幸せであると感じるのは、自分の気持ち次第なのだ。


  目の前のことに悲観的になるのか、それとも楽観的に受け取るのか。


  カシウスがおにぎりを食べ終えて、定食についているみそ汁を一口飲む。


  お腹が一気に温かくなっていくのが分かる。


  「カシウスは、今になって何を悔やんでるんだ?」


  ふと、前にいるアルティアが、食事を終えて、お茶を啜りながら聞いてきた。


  「何って・・・、それは・・・。」


  ―戦争自体を始めたこと・・・。


  そう言おうと開いた口からは、なぜか声は出てこない。


  「綺麗事ならなんとでも言える。死ぬことは、生きてるからこそ与えられた未来の一つ。それを悔やんでたら、キリが無い。それに、遅かれ早かれ、この戦争は起こっていたんだ。死んでいった奴らを憂うんじゃなく、感謝しろ。それが、生きてる俺達に出来ることだろ。メソメソしてんなよ。」


  「・・・メソメソなんかしてない。」


  カシウスとアルティアを弟のように面倒を見ているロムレスは、二人の子供のような様子を見て、バレないように笑う。


  少しだけ眉間にシワを寄せて不機嫌そうにしていたカシウスだが、ロムレスとアルティアの言ったことで気持ちの整理がつき、ご飯を一気に頬張った。


  食事を終えて自室に戻ると、本棚から一冊の本を取り出す。


  ―クラウディウス・オーディン


  最期まで命の尊さを叫んだ、悪役として世に広まった、光に愛されなかった英雄。


  彼がもしも今生きていたのなら、どういった事を考え、言葉にし、時代を生き抜くのだろうかと考えていたカシウスは、一番お気に入りのページを開く。


  それは、戦争前に彼が残した言葉が載っているページだ。


  ―『戦争の目的は勝つ事では無い。生きて帰ることだ。』


  ベッドに背中から勢いよく寝転がると、目を閉じ、唄を唄う。


  「風に乗って唄は紡がれ


  時に乗って声は綴られ


  空に抱かれ愛は語られ


  海に抱かれ君は産まれた・・・」








  自分の存在を示すために、自分以外の存在を消すことは、愚かしい事だ。


  自分の存在を肯定するために、自分以外の存在を否定することは、矛盾している。


  自分の存在を確かめるために、自分以外の存在を愛することは、素晴らしい事だ。


  誰かに愛されたいなら、誰かを愛さなければいけない。


  誰かに愛されたいなら、自分を愛さなければいけない。


  愛に飢えているなら、誰かに求めるのではなく、自分を精一杯愛しなさい。








  生きることがつまらなくても、君はきっと今日を生き抜くだろう。


  生きることがくだらなくても、君はきっと昨日を愛おしく思うだろう。


  生きることに意味が無くても、君はきっと明日に向かうだろう。


  生きることに疲れても、君はきっと未来を探すだろう。


  自分の世界の殻に閉じこもって、勝手に孤独だと感じ、勝手に理解者がいないと思い、勝手に命を絶とうと考えたなら、一度顔を上げてごらん。


  何が見える?何を感じる?何が聞こえる?


  何も見えない?何も感じない?何も聞こえない?


  無機質な天井でも、青空でも、真っ暗な闇でも、何も無くても、なんでもいい。








  君が今いることを、他の誰かに証明してもらおうなんて、考えない方がいい。


  君がいることは、君にしかわからない。


  君に気付いてくれる人がいたなら、その人のことを、今度は君が証明すればいい。


  甘えてもいい。


  泣いてもいい。


  求めてもいい。


  逃げてもいい。


  だから、君にはここにいてほしい。


  僕がいること、忘れないで。


  君がいること、忘れない。








  愛なんて、形の無いものは分からない?


  夢なんて、否定されるだけなら持ちたくない?


  命なんて、いつか消えるなら、いらない?


  蝉があれほど五月蠅く鳴くのも、鳥が空を飛ぶのも、魚が揺れ泳ぐのも、花が枯れていくのも、太陽と月が浮き沈みを繰り返すのも、山が高く聳えているのも、風が時に激しく吹くのも、石が坂道を転がっていくのも、全てのものは、命を示し、無では無いことを唄うため。


  言葉に出せないから、必死になって伝えている。








  君には、声にして言葉を紡げる口がある。


  何かを包める腕がある。


  大地を踏みしめる足がある。


  感情があり、それを抑制することも出来る。


  人間以外のものが楽に生きてるなんて、言いきれるわけ無いだろ?


  楽に生きてるのは、自分からも目を背けている君だ。


  君の生き方を否定はしない。


  でも、もう一度考えてほしい。


  君は今、幸せがあるのに、ただ見失っているだけであることを。



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