第3話真実と虚像




しおん

真実と虚像




   全ての人間の一生は、神の手によって書かれた童話にすぎない。 アンデルセン










































  風に乗って唄は紡がれ


  時に乗って声は綴られ


  空に抱かれ愛は語られ


  海に抱かれ君は産まれた




  一陣の風に吹かれ 流れ行く灯


  光に愛されずとも 決して忘れはしない




  我等ただ受け継げし者


  天高く剣を掲げよ


  彼に今捧げし唄を


  来世にも遺そう




  人によって花は愛でられ


  人によって馬は駆け抜き


  人によって夢は継がれて


  人によって人は産まれる




  ひとひらの花が散る様 彼は逝く旅人


  時代に愛されずとも 決して消えはしない




  我等まだ途切れぬ誇り


  唄い継ぎ共に歩もう


  彼が胸刻みし誓い


  口ずさみ遺そう






                                     ―英雄唄 『光紡ぐ者』 より
















  ―教会内


  まだ夜も明けていない午前四時過ぎの頃。


  ロムレスは、一旦コープス隊の隠れ家に戻り、薄く大きめの布を持ち出して、教会にある二つ分の遺体の身体にかける。


  その後愛馬の許に戻って、餌と水を与えると、再び教会に戻り、二人から少し離れた場所で再び就寝していた。


  若干の腐敗臭がするが、仲間の遺体をこのままにしておくことも出来ず、きちんと埋葬なり火葬なりするためにも、荒らされないように見張ることにしたのだった。


  まだ少し眠たい目を擦りながらも、なぜか寝付けないロムレスは、仕方なく起きることにした。


  すると、ギィ、と教会の扉が開く音が聞こえた。


  急いで椅子の陰になるように隠れて、気配を消す。


  ギシギシと近づいてくる足音を聞きながら、敵か仲間かの気配を感じ取っていた。


  ―これは・・・。


  その気配に覚えのあったロムレスは、隠していた身体を起き上がらせて、足音の正体と向かい合うようにして立つ。


  「ロムレス。無事だったのか、良かった・・・。」


  「ああ、なんとかな。・・・それにしても、どうして襲撃になんて・・・。」


  ロムレスが心配そうな顔をしながら歩を進めていく。


  「俺にも分からないんだ・・・。」


  頭を抱える様にして膝から崩れる仲間のもとに近づくと、ロムレスは片膝を立て、仲間の肩に手を乗せて声をかける。


  「そんなに落ち込むな。俺達のとこに合流しよう。」


  「・・・ああ。」


  そう言って、ロムレスが立ち上がり、仲間に背を向けながら扉の方へと歩いていく。


  ―ヒュッ


  瞬間、何かが風を斬る音が聞こえて、ロムレスが振り返ろうとすると、目の前まで剣が迫ってきていることに気付く。


  すぐさま反応して、身体を仰け反らせて避け、同時に腰から剣を抜く。


  「・・・惜しいな。」


  仲間の口から出てきた言葉に目を丸くしたロムレスを見て、一方の仲間は口元を歪めて笑っている。


  「・・・どういうことだ?」


  剣を仲間に向けながら睨んでいると、仲間は並んで置いてある遺体を一瞥し、さらに高笑いをする。


  「ハハハハハハハ!!!まさかこんなに単純に簡単に動いてくれるとは思ってなかった!!俺の言う事を鵜呑みにしてくれたんだな・・・。」


  剣を持っていない方の手で、目元を覆うようにして天井を向き大笑いしている仲間に、ロムレスは切っ先を向けて鋭く睨む。


  そんな反応が逆に楽しいようで、仲間はさらに笑みを作る。


  「そう怖い顔するなよ、ロムレス。」


  自分の胸についている、ウェルマニア家の紋章をもぎとると、そこから出てきたのは、敵国であるオクタティアヌス家の紋章だった。


  「・・・なるほどな。お前はスパイだったってわけか・・・。」


  ロムレスの言葉を聞き、ニィッと薄気味悪く笑う。


  「なら、今からお前を敵とみなす。死ぬ覚悟は出来てるんだろ?」


  「やだなぁ・・・。死ぬのはお前だ、ロムレス。それに、とっくに俺はお前らを敵とみなしてた・・・。まー、命乞いでもしたら、助けてやってもいいけどな。」


  余裕そうに笑う相手に対して、ロムレスも真剣な表情で言い放つ。


  「此処がお前の墓場だ。・・・コープス。」








  ―革命家


  イデアムとブライトは、朝早くから出掛ける支度をしていた。


  まだ朝日は昇っていないというのに、二人は着々と準備を進めていて、一方の仲間たちは、みな熟睡している。


  だが、物音に気付いて起きた者が一人だけいた。


  「・・・。」


  男もののシャツと短パン姿で、二人の様子を覗いていると、それに気付いたイデアムに声をかけられた。


  「お、マリア。悪いな、起こしちまったか?」


  「あ、いえ。・・・こんな朝早くから、どこかに出かけるんですか?」


  銀髪の髪が揺れると、そこから優しい眼差しがみえたため、ホッと安心しながら近づいていくと、ブライトとも目が合った。


  吸い込まれそうな漆黒の瞳をずっと見ていられなくて、マリアはイデアムに視線を移すと、すでにイデアムはドア付近にいた。


  「じゃ、俺とブライトは出かけっから、マリアはいつも通りジュアリ―に稽古つけてもらえよ。」


  「あ、はい・・・。いってらっしゃい・・・。」


  イデアムに続いてブライトが出ていくと、途端に部屋は静寂に包まれた。


  「よっと。」


  イデアムとブライトは、オクタティアヌス家の時代から乗っている愛馬に跨ると、手綱を引いて出発する。


  二頭とも最近は乗っていなかったが、イデアムとブライトが背中に乗ると、嬉しそうに足をタンタン、と動かしている。


  それを見て、イデアムは頭を数回撫でる。


  「ブライト、方角どっちだ?」


  「東です。」


  朝の風がとても心地良く、二人の髪の毛も踊るように靡いている。


  二頭の馬の足音がリズミカルに耳に響き、イデアムはつい、小さいころから聴かされていた唄を歌いだす。


  それを聞くと、ブライトはフッと笑い、静かに聴いていた。


  「・・・『光紡ぐ者』・・・ですか。」


  ブライトにとっても懐かしくもあり、身体に馴染む唄であった。


  戦争に巻き込まれないように戦場を避けながらも、狼煙を上げる準備をしているオクタティアヌス家の兵士達がイデアム達に気付き、攻撃をしようとしたため、イデアムは手綱を思いっきり引き、スピードを上げる。


  「ブライト、一気に抜けるぞ。」


  「はい。」


  銃弾にも当たらないように気をつけながら、砂を巻き上げて、敵からの攻撃を避けて走り抜けていく。


  砂埃によって、イデアム達の居場所がわからなくなったオクタティアヌス家の兵士達は、諦めて今日一日の作戦を練り直す。


  「まったく・・・朝から騒がしい奴らだな・・・。」








  ―オクタティアヌス家


  「おはようございます。」


  「ん~・・・。」


  アルティアがラビウスを起こしに来たが、ふかふかのダブルベッドに一人で悠々と寝ている当の本人は、未だ夢の中だ。


  適当に朝食のワインを選んでテーブルの上に並べると、ベッドからワインをじっと見つめて、それからアルティアの方へと顔を向ける。


  「アルティア。眠気覚ましのコーヒーで頼む。あ、砂糖とミルクも。」


  「・・・それでは眠気覚ましにならないと思うのですが。」


  多少の文句を言いながらも、アルティアは忠実に、コーヒーをいれるために部屋を出ていく。


  アルティアが戻って来るまでの間、ラビウスはまた夢の中へと舞い戻ることにした。


  少し肌寒く感じ始めて目を開けると、アルティアが窓を開けた為に、外から朝の冷えた風が入ってきたようだ。


  「・・・寒い。」


  ベッドの中から文句を言えば、アルティアは聞こえないふりをしながら、ミルクと砂糖をたっぷりと入れたコーヒーを差し出す。


  体を起こし、それを大人しく口へと運んだラビウスだが、表情が曇った。


  「・・・甘過ぎ。」


  「文句の多い方ですね。それならば御自分で入れたらよろしいのでは。」


  アルティアが朝食のトーストやら卵やらを色々とテーブルの上に並べていく間、ラビウスはケラケラと笑いながらコーヒーを飲み続ける。


  ベッドから下りてソファに座ると、コーヒーをテーブルの上に置き、トーストに手を伸ばす。


  「アルティアは良い嫁さんになるぞ。」


  「・・・聞き流していいですか。」


  再び笑いだすラビウスは、ふと窓の外へと視線を向けて、二ィッと口元を歪める。


  「戦争なんてもん、早く終わってくれればいいんだけどな~。」


  「引き金を引いたも同然の人の言葉とは思えませんね。それならば、戦争を始めなければよかっただけの話じゃありませんか。暇つぶしなどという言葉では済まない自体だという事くらい、幾ら馬鹿で阿呆で頭の回転が遅いラビウス様でも分かっておられるでしょう。」


  「・・・。俺、泣いていいかな?」


  腕で目元を覆うようにして泣く真似をするラビウスだが、ちらちらとアルティアの方を見ているため、逆に相手にされていない。


  アルティアは、朝食が冷めるから早く食べるようにとだけラビウスに伝えると、自分の分の朝食をさっさと済ませる為に、食堂へと戻っていった。


  「ここで食ってもいいんだぜ?別に俺しかいねぇんだし。」


  「いえ。消化に悪そうなので。」


  「・・・あれ?なんだか視界がぼやけてきた・・・。」








  ―教会内


  コープスとロムレスは、激しく剣をぶつけ合っていた。


  教会には似合わないその音は、他の誰かが聞くわけでもないのに、良い具合に耳から脳へと響き渡っていく。


  互いに睨み合ってはいるが、重苦しい空気は感じられない。


  ロムレスが、椅子に横たわっている遺体を見ると、その視線の先を追っていったコープスも、自然と二人の方を見る。


  「本当に馬鹿だよなぁ。俺の言ったこと鵜呑みにして、仲間殺しちまうんだからよ。」


  鼻で笑ったコープスを殴ろうともせずに、冷静な顔つきでじっと見ていたロムレスは、構えていた剣から少しだけ力を抜き、コープスに問う。


  「なんでサビエス騙して、ロマーユを殺させた?」


  ロムレスの問いかけにも不敵に笑い、肩をかるく上下させる。


  「サビエスは扱いやすかったんだよ。馬鹿がつくほどの忠誠心をもってて、綺麗事ばっかり言いやがる。だが、それが逆に利用しやすかった。ロマーユの動きも気になってたから、丁度いいと思ったまでだ。で、結局あいつの行動の謎は分からなかったんだけどな。」


  サビエスの忠実な忠誠心、正義感、誇り、信じてきたモノを簡単に奪ったコープス、いや、オクタティアヌス家やこの戦争自体に嫌気がさし、唇を軽く噛みしめると、それを見たコープスは至極楽しそうな表情になる。


  ロマーユにしても、単に利用されたにすぎない。


  隊長になることによって、ウェルマニア家の仲間の隊員よりも、強い信頼をサビエスから受けたコープスは、それを利用できるだけ利用した。


  「それにしても、ロマーユの正体、ロムレスは知ってるみたいだったけど、それを教えてもらってから殺すとしようかな・・・?」


  独り言なのか、ロムレスに語りかけているのかは分からないが、コープスの言葉通りにするわけにはいかない。


  「お前に教える気はないし、俺はお前に殺される心算も無い。」


  再び剣に力を入れて、目の前のコープスに狙いを定める。


  「ウェルマニア家から最初に放った砲弾・・・あれ、俺が撃ったんだ。なんとかして戦争にしようとしたのに、なかなか撃たないからさ。」


  ロムレスに背中を向けて、教会の壇上へと上がっていくコープスを見ながらも、神経を張り巡らせるのは忘れない。


  大きな十字架を見上げて、コープスは続ける。


  「サビエスの奴が、ロムレスの隊と合流しようって言いだしたときはどうなるかと思ったが、お前は無駄に勘がいいからな。あ、そういや、じーさんそろそろ死んだかな~・・・。」


  「?じーさん?」


  コープスの言葉に、ロムレスが首を傾げると、視線をロムレスに移して薄気味悪く笑う。


  「クラウドだよ。あのじーさんの食事に、毎日毒盛ってたんだよな。無線機の調子悪かっただろ?あれも俺が弄ったから。コープス隊を全滅にまで追い込んだのも俺だ。仲間だからって信頼しすぎるのもどうかとは思うけどな~。」


  「!!」


  クラウドのことを始め、無線機のことを聞くと、ロムレスは自分でも気付かないうちに、コープスに攻撃を仕掛けていた。


  剣は弾かれ、余裕そうなコープスの顔が、視界の端に写る。


  「あっぶねぇ~。お前の長所は広い心じゃあなかったのか?ロムレス・・・!」


  一気にロムレスの心臓目掛けて剣を振り下ろしてきたコープスの攻撃を、ギリギリで避ける事が出来たが、未だに激しい鼓動を鎮めるべく、自分を落ち着かせる為に呼吸を整える。


  身体が勝手に動いてしまった。こんなことは初めてかもしれない。


  「・・・そうだったか?」


  平然を装うとするロムレスだが、本当は平常心を保つことに必死であることを知っていて、コープスはニヤリと笑い剣を肩にかけながら、言い放つ。


  「これくらいで動揺すんなよ。平和ボケした戦闘員さん。」


  ポンポンと肩で剣を弄ぶ動作を続けるコープスに、何度斬りかかろうとしたことだろうか、それは知る由もないが、ロムレスは、今の精神では簡単に攻撃を避けられてしまうだろうと分かっていて、あえてその動作を食い入るように見つめていた。


  ロムレスが攻撃してこないのを感じ取ると、コープスは調子に乗ってどんどん口を滑らせていく。


  “饒舌”とはこのことかと思うくらいに、今のコープスは、今まで話した事のあるコープスとは思えないくらいに話し上手であった。


  無線機事態に細工を施して、さらに電波妨害までしていたこと、サビエスにロマーユの行動が怪しいと囁いたこと、クラウドの料理の毒見係を引き受けて、毒を盛っていたこと。


  色々と聞いているうちに、なぜかさっきまでロムレスの中でモヤモヤしていた感情が消え去っていき、いつの間にか客観的な意見を持ちながら、コープスのくだらない叙事詩のような語り口調にも冷静になって耳を傾けることが出来ていた。


  「どうした?ロムレス・・・。ウェルマニア家がどれだけ甘ちゃんな家系かが理解出来ただろ?それに比べて、オクタティアヌス家は信じられるのは自分だけだ。仲間を庇おうなんて思考は、誰一人として持っちゃいない。庇えば自分も巻き添え食らうのを知ってるからな。だが、それは賢いとは思わねぇか?」


  「・・・。」


  ただじっと、コープスの言葉を記号のように捉えている今のロムレスには、感情のない文字の羅列に過ぎない。


  「信じる者が馬鹿を見るような時代だろ?だったら、誰も信じなければいいだけの話だ。綺麗事ばっかり言ってるから、ウェルマニア家の連中は、みんな俺に剣を抜けずに死んでいったんだよ。本当に馬鹿で弱い奴らだよな・・・?」


  トン、と肩に剣を乗せたかと思うと、ニヤッと口元を一度歪め、それを最後にコープスの目つきは一変した。


  「・・・だけど、ロムレスにしてもカシウスにしても、誰かしらが邪魔すんだよな・・・。俺らはただ、早く戦争を終わりにしたいだけなのによ。」


  壇上から軽やかに下りてくると、椅子に横たわっているサビエスとロマーユを、それだけで人を刺し殺せるような冷たい視線を向けて、二人に対して剣を振り下ろした。


  ―が、それは叶わず、キィン、という虚しい金属音によって遮られた。


  「・・・。往生際の悪いとこも、直した方がいいと思うぜ。」


  「悪いが、それは俺の長所だ。ちなみに、清々しい青空のような髪の色はチャームポイントだ。」


  自分の剣でコープスの剣を弾き返したロムレスは、淡々とした口調で言うと、少しだけ笑みを浮かべる。


  「・・・聞いてねぇ・・・よッ!!!」


  一気にロムレスに攻撃を仕掛けてきたコープスを、ロムレスはひらり、とかわした。


  コープスが急いで振り返ると、目の前にはすでにロムレスの剣の切っ先があったが、ロムレスは最期の一振りをしてこない。


  ロムレスを見上げると、睨んではいないようだが、決して笑ってもいなかった。


  「止めを刺さないと、命取りになるぞ・・・。」


  「・・・。それはどうだかな。」


  コープスはニッと笑い、左手でロムレスの剣を強く握り、右手にある自分の剣をロムレスに向けて突き刺した。


  ロムレスの脇腹を掠めただけで、風を切り裂くと、掴んでいたはずの剣がいつの間にか自分の喉元に突き付けられていた。


  またもや王手をかけられたコープスだったが、ロムレスは止めを刺さないことを予測していたため、それほど緊迫した様子は見られない。


  「どうせ殺せないんだろ?臆病な狼・・・いや、獅子か?まあ、どっちでもいいや。敵も殺せないような奴が、剣なんか振り回してんじゃねぇよ。」


  コープスに突き付けていた剣をゆっくりと下ろすと、ロムレスは剣を腰に納めた。


  それを楽しそうに笑いながら見ると、コープスは少しだけロムレスと距離を取り、剣を向ける。


  「俺もまだ死にたくはないんでな。お前の分も長生きしてやるよ。」


  「・・・。」


  自分に剣を向けられながらも、顔色ひとつ変えることのないロムレスに、こんなもんかと心の中で嘲笑うコープス。


  「最期に言い残すことはあるか?ああ、生き残りがいるかも分からねえのに、遺言も遺せねぇか・・・?」


  「・・・ククク・・・。」


  「?」


  「ハハハハハ!!!!」


  いきなり笑いだしたロムレスに、とうとう気がおかしくなったかと思ったコープスだったが、ロムレスの言葉に気を引き締めることになる。


  「お前はめでてぇ奴だな・・・。俺が死を覚悟して剣を腰に戻したとでも思ったのか?俺が何も抵抗しないで死ぬとでも思ってるのか?俺がお前ごときに負けるとでも思ってんのか?ウェルマニア家がオクタティアヌス家に負けるとでも思ってんのか?」


  「・・・それが現状に基づいた結論だと思うけどな。」


  雰囲気の変わったロムレスとこの場空気に、何が今までと変わったのかが理解出来ずにいるコープスに、ロムレスが諭す様に教えた。


  「勘違いしてんじゃねぇ~よ。ガキが。」


  ワントーン低くなった声に、一瞬だけ眉を顰めたコープスは、目の前にいるのが、今まで自分が接してきた『兄貴のように慕われているロムレス』ではないことに気付く。


  「俺はお前が思ってるよりも、優しくねぇんだよ。」


  羊を狩る狼、鳥を狙う鷹、魚を喰らう鮫、獲物を待ち構える蜘蛛、闇夜に羽ばたく蝙蝠、命を刈る死神、牙で噛み砕く虎、爪で切り裂く龍、嬲り殺す鬼、どれで言っても当てはまらないような、視線や動き、纏った狂気、全てが氷のように冷たく張り付く。


  「お前の人生最大の失敗は、俺を怒らせたことだな。」


  ロムレスの空気に足が竦みそうになったコープスだが、ハッと我に戻り、剣を構えて今まで以上に睨みつける。


  だが、今までとは何もかも違うロムレスの笑みを見ていると、自然に唾を何度も飲んでいた。


  互いに距離を一定に保ったまま移動していて、ロムレスから攻撃を仕掛けてくる気配は感じられなかった。


  「・・・どうした?怖気づいたか?」


  コープスが強がって、一向に近づいてこないロムレスに向かって言葉を放つと、それを聞いたロムレスは一瞬だけニッと笑い、コープスを見る。


  「それはお前だろ?さっきまでみたいに、喧嘩売ってこいよ。」


  正直なところ、急に雰囲気の変わったロムレスに、攻撃を出来ないでいたコープスは、グッと剣を持つ手に力を込めると、歯を食いしばりながら飛びかかった。


  未だ剣を腰に納めたままのロムレスは、コープスの攻撃をまともに喰らったかと思ったが、キィィィィン・・・、という音が聞こえたかと思うと、カチャン、という金属の何かが床に落ちるような音が聞こえてきた。


  何だと思いコープスが振り向くと、いつの間にか短剣ほどに短くなってしまった自分の剣が目に入った。


  そして、床にはその残骸であろう金属片が落ちていた。


  「・・・!?」


  何が起こったのか理解できていないコープスに、ロムレスが腰に剣を戻しながら説明する。


  「ウェルマニア家第二の早業だ。ちなみに随一はカシウスな。俺の間合いに入るってことは、確実に一本取られるってことだ、覚えとけ。確かにお前の剣の腕は良い方だろうが、それに負けるわけにはいかねぇんだよな。これでも、ウェルマニア家の特攻部隊隊長だからよ。」


  自分が攻撃を仕掛けた一瞬の間に、ロムレスは鞘から剣を抜き、コープスの攻撃を避け、コープスの剣だけを狙ってきたのだ。


  「・・・参ったな・・・。こんなにも実力の差があったとはな・・・。」


  「お、随分と素直じゃねぇの。」


  いつのも調子のロムレスに戻ったのかと思ったが、瞳の奥は決して笑ってはいなかった。


  「俺をどうするんだ?殺すのか?ま、それくらいの覚悟はしてるけどな。」


  「・・・お前の言葉を借りるなら、『敵だから』、な。戦争を終わらせるには、それしか道はねぇんだろ?」


  コープスは、肩を上下させて笑うと、短くなった剣を鞘に納めて、ロムレスの方に向き直った。


  「だが、やっぱりお前に殺されるのは癪だな・・・。」


  そう言うと、コープスはまた教会の壇上に上がっていく。


  その様子を静かに見ているだけだったロムレスが、コープスの背中に向かって声をかける。


  「どうしてオクタティアヌス家に仕えるんだ?」


  ロムレスの言葉にも、後ろを振り返ることなく十字架の方へと近づいていくコープスは、十字架の真下にまで来ると、ゆっくりとロムレスを見る。


  その目からは何の感情も読み取ることは出来ない。


  「若気の至り・・・ってやつかな。」


  「?」


  コープスの言葉の真意が理解出来ずにいると、どこを見るわけでもなく、ただじっと、どこか一点を眺めていた。


  「つまらなかったんだよ、ただ生きてることが。変化や刺激を求めてたら、ラビウス様に面白い人生を歩ませてやるって言われてさ。まぁ、人生なんて平凡が一番幸せだって言うけど、その通りかもしれねぇな。」


  ギシ・・・、と床が軋む音が聞こえたかと思うと、違う何処からかも、何かが軋む音が聞こえてきた。


  「だが、弱者はいらない。敗者はいらない。それがオクタティアヌス家なんだよ。」


  「コープス・・・?」


  ロムレスから視線を外すと、十字架を見上げて自嘲気味に笑いだす。


  そして、上体を少しだけ仰け反らせて、両腕を思いっきり羽根のように広げると、ゆっくりと目を閉じて深呼吸をし、口元を弧に緩めた。


  「死ぬも勇気ってことか・・・?」


  ロムレスに聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声で、コープスがそう呟くと、ギシ、ギシ、と先程の音がさらに大きくなっていき、いきなり天井が落ちてきたのかと思っていると、それは天井では無く、天井にぶら下げてあった十字架だった。


  十字架が重力に逆らわずに真下に落ちていくと、そのままの速度でコープスの胸を貫いた。


  「・・・!コープス!!!」


  ロムレスが腕を伸ばしても、それはもう届くことは無かった。


  コープスの身体を貫いた十字架は、貫通はすることはなく、コープスの身体共々、床へと倒れていった。


  気付くと、ロムレスは壇上に向かって走っていて、壇上に上がると、目の前にはすでに息絶えたコープスがいるだけであった。








  床には赤い液体が染み渡っていて、生温かいそれは、今の今までコープスが生きていたことを示していた。


  ロムレスがコープスの身体を起こそうとしても、十字架に邪魔されて出来ず、ただコープスに対して、自分の胸の前で十字を切ることしか出来なかった。


  「・・・。」


  後ろを振り向けば、サビエスとロマーユの遺体、前を見れば敵であるはずのコープスの遺体がある。


  そのはずなのだが、ロムレスにとってはコープスも仲間であったことには違いない。


  十字架をどうにかして外そうとも思ったが、数十キロあるであろうその十字架を一人で持ち上げることは出来ず、ロムレスはゆっくりとその場から離れていく。


  教会の鐘が鳴り響いた。


  美しく、どこまでも響き、きっと戦場の仲間にも聴こえているその音を、ロムレスは右から左に聴き流していき、教会の扉まで歩を進める。


  扉まで来ると、振り返ることなく、だが頭の中で教会の中の様子を思い浮かべ、外へ出た。


  上ってきた道では無く、避けて通ってきた砂利道を下っていくと、ロムレスに気付いた愛馬が尻尾を左右に振りだす。


  「・・・ただいま。」


  首あたりをポンポンと叩くと、気持ちよさそうに目を細める。


  「・・・よし。戻るか。」


  愛馬に跨ると、方向を逆にして、自分が来た方へと奔らせる。


  先程まで、自分の鼻に纏わりついていた、仲間の死体から漂ってきた異臭が、風によって一気に離れていくのを感じながら、ロムレスは戦場へと戻る。








  ―革命家


  「ブライト、あれか?」


  「ええ。」


  イデアムとブライトが馬を奔らせてから数十分後のこと、まだ遠くではあるが、岩場で休憩をしている人影が見えた。


  「あれでラビウスとかだったらどうするよ?俺嫌だぜ?今ここで勝負するなんざ・・・。」


  「それは無いかと。ラビウスは城から出ないでしょうし、黒髪ですから。」


  そう言ってる間にも、人影との距離は縮まっていき、人影もこちらに気付いたようだ。


  腰の剣に手をかけ、様子を窺っていたようだが、雰囲気からオクタティアヌス家の人間ではないと感じ取ったようだ。


  人影の愛馬も、特に警戒している様子は無く、逆に落ち着いている。


  とうとう目の前に辿りついたかと思うと、イデアムは人影に対して声をかける。


  「よっ。カシウスってのは、お前だよな?」


  怪訝そうな表情を浮かべ、鞘から剣を抜いてイデアムに突き出した。


  「そうですが・・・、貴方たちは?」


  「まあ、待て待て。そう牙を剥くな。」


  カシウスの質問に対して、イデアムは両手を顔の横に置いて、降参のような格好をすると、笑いながら馬から下りて目線を合わせる。


  両手を下ろすと、銀髪をかき乱しながら話し始める。


  「俺はイデアム、こっちはブライトだ。ああ、安心しな?敵じゃねぇから。ま、味方でもねぇけど・・・。」


  「革命家です。」


  イデアムの言葉を遮るように、ブライトがはきはきと答えると、イデアム同様に馬から下りてカシウスと目線を合わせる。


  カシウスはそれを聞くと、剣を鞘に納めて、なおのこと何なんだろう、という顔をした。


  「俺達は、今回の戦争に混ざる心算はねぇから。ちょっとお前に報せておいた方がいいかと思ってよ。」


  「?何をですか?」


  眉をひそめ、イデアムとブライトを交互に見ながら言葉を選んでいく。


  イデアムの隻眼に対しての興味は無いのか、全く見ていない。


  「ウェルマニア家のコープス隊所属、サビエスが、同じくコープス隊所属のロマーユを殺したことは知ってるか?」


  「・・・!?」


  壊滅状態だとは聞いていたが、まさか仲間殺しが怒っていたとは知らず、カシウスが一気に目を見開くと、イデアムはさらに言葉を続けた。


  「コープスはオクタティアヌス家のスパイだったんだよ。んで、サビエスは良い様に利用されたってわけだ。ちなみに、ウェルマニア家のじじぃの食事に毒盛ってたのも、コープスだ。」


  「・・・そんな・・・・コープスが・・・?」


  額に掌をつけ、その後黒髪をワシワシとかき乱していく。


  愛馬のアイトーンの方に近づいていき、自分の心を落ち着かせるように、アイトーンの身体を撫でていく。


  イデアムとブライトは、しばらくの間、一人で悶々としているカシウスを眺めていたが、ふとカシウスに言葉を投げる。


  「そのコープスも、今はどうなってるかな。」


  「?どういう意味ですか?」


  「お前んとこには、優秀な奴がいんだろ?誰かしらが気付いてんじゃねぇのか?」


  イデアムは他人事のように、んーっと背伸びをし、欠伸までし出した。


  「なぜ、それを俺に?」


  「・・・ああ、それはな・・・。」


  イデアムがカシウスに説明しようとすると、グイッとイデアムの前に出てきたブライトによって、またもや遮られた。


  「ロマーユは、革命家の一員でもあったからです。」


  「・・・・・・。」


  目をパチクリとさせたカシウスを見て、イデアムはブライトの頭をかきながら詳しい事情を語り出す。


  「いやなに・・・、ロマーユは革命家でもあり、ウェルマニア家でもあったってこった。俺達はほとんどがオクタティアヌス家の出なんだが、ロマーユだけはウェルマニア家でな。俺達が革命軍を立ち上げる前からウェルマニア家で仕えてたから、そのままウェルマニア家にいていいって言ったんだ。ま、掛け持ちって感じになんのか・・・?」


  「そもそも、ロマーユが革命軍に入る理由ってなんだったんですか?」


  「別にウェルマニア家に不満があったわけじゃねぇーぞ?ただ、ロマーユはロマーユなりに、お前らの力になりたくて、自分の素性全部晒してまで革命軍に入ったんだ。そのお陰で、俺達は今回の戦争についていち早く掴むことが出来たし、こうやってお前に、本来なら報せる必要のないことまで報せる事が出来たんだからな。」


  イデアムは話しながらカシウスの愛馬にまで近づき、鼻の部分をさすると、アイトーンは甘えるように、自分から鼻を差し出した。


  その様子を見て、カシウスはイデアム達が悪い人では無いと確信し、思い切って疑問をぶつけてみた。


  「あの、どうしてオクタティアヌス家から革命家になったんですか?」


  イデアムはゆっくりとカシウスの方へと顔を向けると、隻眼がやけに目立ち、銀色の髪が風と踊るように靡く。


  「お前が一番良く知ってるとは思うけどな・・・。」


  「へ?」


  クシャリ、と笑ったイデアムの顔は、戦争中とは思えないほど明るく、隣にいたブライトへも視線を移すと、慣れたようにイデアムの話を引き受けた。


  「オクタティアヌス家は冷酷非道、悪逆、残酷、仲間を仲間と思わない集まりです。ラビウスは特にそれを具現化したような存在で、弟さえも信頼してはいません。イデアムさんが革命軍を立ち上げると聞いて、何人もの兵士が名乗り上げたくらいです。」


  「ま、俺は単に、ラビウスのやり方が嫌いなだけだ。人なんて、結局誰かに支えられて生きてるもんだからな。」


  そう言うと、再び自分の馬に近づき、軽やかに跨ると、馬の首元を撫でる。


  あ、そうそう、と言って、イデアムの口から、ロマーユが革命家であったことは、ロムレスは知っているらしいと知らされた。


  ロマーユがイデアムやブライトと連絡を取り合っているところをロムレスに見られて、ロムレスには正直に全て話したようだ。


  ロムレスが知っていたということは、きっとクラウドにも報告したのだろうと思ったカシウスは、それ以上追究しようとは思わなかった。


  「カシウス。お前も、自分の大事なもん、守りたいならしっかり守れ。それには犠牲はいらねぇぞ?自己犠牲が激しいと、ラビウスに利用されるだけだからな。仲間信頼して、みんなで守ればいい。」


  太陽を背にしているせいか、逆光でイデアムの顔はよく分からないが、銀髪が眩しい。


  ブライトに合図を送ると、ブライトも緑の髪を靡かせながら馬に跨り、手綱を持ってカシウスに一礼する。


  「じゃ、俺達は行くぜ。いつかまた会えたら、そんときゃ、一杯呑もうぜ。」


  「お気を付けて。」


  イデアムが手を軽く上げながら、どんどん遠ざかっていく。


  その後を追ってブライトも駆け抜けていく様子を、ただじっとカシウスは見つめていた。


  二人の後ろ姿が小さくなっていくと、カシウスもアイトーンに跨って、自分が向かっていた方向へと奔らせた。


  「・・・。そうか。」


  整理しきれていなかった事実や真実、現実を頭の中でなんとか整理すると、胸の奥がキツク絞られる様な感覚に陥った。


  「血が流れ過ぎた・・・。」








  ―敵陣


  「ユースティア様!ウェルマニア家の数が増えています!」


  「・・・どうなっている?連絡係の奴は何をしている?」


  「それが・・・途中で死亡したようで・・・。」


  優雅に足を組みながら戦争を見学していたユースティアの表情が、少しだけ歪み、組んでいた足を戻すと、ゆっくりと立ち上がって剣を抜く。


  報告をしに来た男の首に、剣の切っ先をつけると、ユースティアは冷めた目つきで男を見下して一気に剣を突き刺した。


  「・・・役立たずにも程がある。」


  ぽつりと呟くと、責任者にもなっているローザンも許へと歩いていった。


  優勢、劣勢は見ても良く分からず、どちらにしても興味は無く、ただ自分に向かってくる人間が誰かも確認せずに斬りながら、目的でもあるローザンへと近づいていく。


  戦場の中を駆け抜ける、幼い顔つきで金髪の少年を見つけると、少し低い声で声をかける。


  「ローザン、来い。」


  「ユ、ユースティア様!はい!」


  ユースティアに気付いたローザンは、目を輝かせながら後をついていく。


  陣地に行くのかと思っていたが、ユースティアは陣地を通り過ぎて、さらにどんどん戦場から離れていく。


  自分の与えられた戦地から離れるのはどうかとも思ったローザンだが、自分の慕う、尊敬する、信頼するユースティアに言われた為、何も言わずに忠実に従う。


  何処に向かっているのかもわからないまま、ユースティアがローザンに話しかける。


  「お前は、どうしてオクタティアヌス家に入ったんだった?」


  自分の経緯について聞かれた事が嬉しいのか、ローザンは無邪気に笑い、ユースティアの背中を眺めながら答える。


  「ラビウス様やユースティア様に憧れているからです!自分もいつか、優秀な戦闘員になって、周りのみんなから慕われる人間になりたいと思っています!」


  ローザンの答えを聞いているのかいないのか、ユースティアは特に相槌を打つことも無く、返事を返すわけでもなく、足を動かしていた。


  ふとユースティアが足を止めると、必然的にローザンも足も止める。


  「それは無理だな。」


  きっぱりと言われて、ローザンはがっかりしたように徐に肩を落とすが、次の瞬間、自分の目の前に突き付けられた冷たい感覚に気付く。


  「・・・?」


  若干の痛みを感じて首元を摩ると、生温いものが掌にべとつき、それが自分の血液であることに気付くのに、そう時間はかからなかった。


  「痛ッ・・・。」


  どんどん溢れてくる赤い液体を、自分の掌でなんとか止めているが、それでは止まらない。


  「ユースティア様・・・?一体・・・、これは?」


  だんだんと目が霞んでくるが、しっかりとユースティアを捉えているローザンの瞳は、濁らぬまま向けられている。


  剣を突き出しながら、ユースティアは首をコキコキと鳴らす。


  「お前みたいな奴はいらない、ということだ。」


  「なっ、なぜですか・・・!?何か失態を犯しましたか!?」


  ローゼンの声が五月蠅いというように、眉を潜ませて、今度はローザンの頬に剣を突き付けて、ゆっくりと頬に傷を付けていく。


  それをただじっと耐えるしかないローザンは、恐怖と言うよりも、ユースティアの言っている事が信じられないという表情を浮かべている。


  ツー・・・、と頬から垂れる血液が、首筋を通って落ちていく。


  「お前は甘い。信頼という言葉が目に見えぬ刃であるように、憧れなど、ただの愚者の網膜の裏に呆然と映る弱さでしかない。慕われる人間・・・?笑わせるな。綺麗事ばかり並べたところで、結局力の無い者は、誰一人として守ることは出来ない。他人に憧れを抱き、他人の背中ばかり見て、他人の言葉を鵜呑みにし、他人の存在を崇拝する・・・。そんな愚者はオクタティアヌス家には必要ない。」


  ユースティアがローザンの心臓や首、目や頭へと、順々に切っ先を近づけていく度に、ローザンの身体はビクリ、と反応する。


  それを楽しんでいるのかは、ユースティアの表情からは読み取ることは出来ない。


  ローザンの頬に、切っ先で十字に斬り込みを入れると、一気に腹へと剣を挿入する。


  「・・・!!うっあぁぁぁああ ああぁぁあアぁぁァぁ ぁアアアッ!!」


  いきなり訪れた激痛に耐えきれず、ローザンはその場に膝から崩れて落ちていく。


  倒れたローザンの頭に、ユースティアは自分の足を置いて、力いっぱい地面に押しつけていき、先程斬られた頬の傷にも痛みが襲ってくる。


  それでもユースティアに対して何も言えないままのローザンに、ユースティアはワザと聞こえる様に呟く。


  「言葉もまともに発せられないなど、本当に忠実な犬だな。」


  自分のお腹から出ていく生温かい血の感触、それ以外にも、形ある柔らかい何かが出てきているのが分かるが、すでにローザンに意識などほとんど残っていない。


  次第にローザンの身体は動かなくなっていった。


  ユースティアがその身体に触れると、体温が徐々に無くなっている事を確認し、剣を鞘に納めて、乗ってきた馬に跨った。


  「ユースティア様!?ローザン様は一体・・・?どちらへ行かれるのですか?」


  「ローザンは勇敢にも敵に立ち向かって行き、死んだ。俺は城へと戻る。後はお前らがなんとかやれ。」


  なんとも適当な事を言うと、もう誰の言葉も耳に入らないようで、さっさと城へと馬を奔らせた。


  オクタティアヌスの兵士達は、どうしてよいか分からずに、慌てながら剣を振り続けた。


  「・・・やっとラビウス様にご報告出来る・・・。」








  ―オクタティアヌス家


  「あ~・・・暇なんだよ、俺。きっとアルティアも暇なんだろうな~・・・。俺の遊び相手としては最高だと思うんだよ。なんてたって、アルティアもさっきから暇そうに本なんか読んでるし、たまに飲み物飲んだり、俺に軽蔑の視線送ってきたり、トイレ行ったりしてるしな。」


  「・・・。」


  先に言っておくが、決してアルティアは暇ではない。


  ラビウスへと送られてきた他国からの手紙や資料、あるいは再婚相手の写真などの整理やチェックをしているのだ。


  本来であれば、ラビウス本人がやればすぐに終わるのだが、ラビウスは全くやる気は無く、再婚の写真に落書きまでしている始末だ。


  他国からの手紙の内容など、読まなくても大体分かるが、だからといって読まないのは失礼だろうと思って読んでいるのにも係わらず、ラビウスは読む必要は無い、の一点張りだ。


  戦争の援助など頼んだ覚えも無いのに、金を利子つけて貸すだの、武器を売るだの、しまいには、きっと暇だろうから女を売ってやるだのと、どいつもこいつも性根が腐ってると、アルティアは不愉快さを隠せなかった。


  ふと、後ろから両目を手で覆われた。


  「だ~れだ。」


  「他人。」


  恋人同士のようなやり取りでは無く、なんとも単調に一言で終わらされた犯人であるラビウスは、つまらなさそうに手をどけた。


  「お前さ、そんなんじゃ女の子が寄ってこねぇぞ?」


  「御心配なく。」


  「え、お前って、女いんの?」


  「御心配なく。」


  「可愛い?綺麗?色っぽい?年下?年上?」


  「御心配なく。」


  「ああ、シカトか・・・。」


  自分と会話さえしてくれないアルティアを笑いながら見ると、ラビウスはソファに座って、コーヒーを口に運ぶ。


  すぐにソファから立ち上がって、椅子に座りなおすと、足を組んで窓から遠くの方の状況を眺めている。


  コーヒーカップをテーブルの上に置くと、椅子を机に対して斜めにし、テーブルに肘をついて頬杖をつくと、つまらなさそうな表情を浮かべて、自分への手紙やら何やらを整理しているアルティアに声をかける。


  「アルティア~。大層暇なときって、人間はこんなにも喪失感に襲われるもんなのかね~?」


  「・・・喪失感を感じておられるのですか?」


  ラビウスの言葉に、目を丸くさせて顔を動かしたアルティアは、自分が失礼なことを言ったことにしばらく気付かず、ラビウスが口元を弧に描きながら自分を見ていることに気付くと、視線を手紙に戻した。


  その一連の行動をジッと観察していたラビウスは、始めは喉を鳴らして笑い、次第に声をあげて笑いだした。


  ラビウス宛の手紙を読み終えると、アルティアは自分にコーヒーを淹れて、ソファに座って休憩するが、向かい合わせにラビウスが座ってきたことによって、癒しの時間が奪われる事になる。


  アルティアが眉間にシワを寄せれば、面白そうに笑うラビウス。


  「三日目になるってのに、ユースティアからの連絡ねぇのか?」


  「そういえば、ありませんね。」


  「ったく。サボってんのか~?真面目そうな奴に限って、結構適当なとこあったり、面倒臭がったりすんだよな~。それに引き換え、俺みたいに、あきらかなサボり魔の方がまだマシだと思わねぇか?」


  「肯定出来かねます。」


  「あれま。」


  予想していたのか、アルティアの反応にも余裕そうに笑っていたが、急に真剣な顔つきになってポケットから小さめのナイフを取り出した。


  それをクルクルと手元で弄ぶと、アルティアと自分が挟んでいるテーブルの上に突き刺した。


  「俺さ、身体が疼いてんだよな・・・。」


  目元を隠す紫の髪をどけると、血に飢えた獣の如く目を血走らせていて、ペロッと舌で唇を舐める。


  その仕草一つだけなのに、アルティアは初めてラビウスに対して恐怖心というものを感じたかもしれない。


  「ウェルマニア家のカシウス・・・。あいつは確か腕がたつんだっけな・・・?」


  ぶつぶつと独り言を言いだしたラビウスを見ながら、アルティアはテーブルに刺さったままのナイフを抜き取って、丁寧にテーブルの上に置いた。


  手を顎の下に添えながら笑みを浮かべるその姿を見て、アルティアはやれやれ、といった具合にため息をつくと、ラビウスは身体全体を九十度動かし、ソファの幅を目一杯活用して寝そべり始めた。


  両腕を頭の後ろで交差させ、足も軽く交差させながらソファの肘付きの上に乗せる。


  ラビウスは靴のまま寝そべっている為、ソファは若干汚れてしまった。


  「・・・高価なものですよ、一応。」


  アルティアにそう言われても、ラビウスは足をどかそうとも身体を起こそうともせず、ただダルそうに天井を見ているだけ。


  そして、いつものような喉を鳴らす笑いではなく、ケラケラと笑いだす。


  ラビウスがのんびりと鼻歌を歌っていると、無線が入った。


  アルティアが腰を上げて、無線を入れてきた相手と話をしているが、それにさえも興味を示さないラビウスは、暇そうに足でリズムをとっている。


  すぐに終わったようで、アルティアがラビウスの寝ているソファの隣まで来ると、膝をついて報告をする。


  「ユースティア様からです。ローザン死亡と、これから城へ戻る、だそうです。」


  今まで暇そうだった顔つきから一変、歯を出してニヤリ、と笑うと、ラビウスはガバッと身体を起こし、軽やかにソファから下りる。


  窓まで行くと、太陽が眩しいのか目を細めている。


  くるり、と後ろを向いてアルティアの方を見ると、逆光で顔はよく見えないが、きっと薄ら笑っているのだろうことが容易に予想出来る。


  アルティアもその場に立ってラビウスの方を見る。


  「ユースティアが戻ってきたら、俺はカシウスを殺りに行く。馬の準備をしておけ。」


  「はっ。」


  いつもよりも低い声のトーンで口を開いたラビウスが、腰に手を当てながら命令すると、アルティアはそれに対して礼儀正しく返事をする。


  軽く頭を下げて部屋を出ると、ラビウスの馬の手配に取り掛かる。


  ラビウスは窓の外をずっと眺めて、満足そうに笑っているだけである。








  ―半年前


  「ウェルマニア・アリスと申します。不束者ですが、よろしくお願いいたします。」


  「まあ、そう堅苦しいのは止めようぜ?俺達は今日からもう夫婦って肩書きなんだからよ。・・・とは言っても、アリスはどうも俺のこと嫌いみてぇだけど。」


  「・・・そんなことは・・・。」


  「嘘がつけねぇってのは、良い事だ。それより、今日は簡単な儀式みてぇな感じのことやっから、気ィ失うんじゃねぇぞ?」


  「儀式・・・?」








  ―現在


  カシウスは、アイトーンと共に戦場を駆け抜けていた。


  イデアムから聞いたことが事実かどうか、信じてよいのかどうか、そんなことは考えるまでもなかった。


  それは、アイトーンが懐いたからという事だけではなく、単に、あのイデアムという男の持っている空気が、どこか懐かしいものだったからだ。


  勿論、知り合いだったわけでもないし、初対面であることに間違いない。


  「・・・そろそろか。」


  ふと目を細めると、オクタティアヌスの城の形がはっきりと見え始めた。


  ―誰の為に戦っている?


  ―何の為に戦っている?


  ―犠牲を払ってまで大切なものって何だ?


  砂埃を立てている戦場の方をチラリ、と見てみると、数えきれないほどの屍が、あちらこちらに転がっている。


  気温のせいか、屍はすでに腐っているものもあり、烏やハゲタカが群がっている。


  それを見ているだけでも吐き気に襲われるが、そうやって自然界が成り立っていることにも気付かされる。


  生きる為には何かを殺し、それを食とし、売ってお金としたりすることで、人間も生きているのだが、人間が力や武器を持つことによって、その連鎖も狂ってきている気がする。


  仲間や敵の屍から、目の前にある城へと目を移すと、カシウスは一瞬目を閉じる。


  それは気持ちを落ち着かせるためでもあり、死んでいった仲間や敵の姿を、瞼に焼きつかせる為でもあった。


  すぅっと目を開けて、アイトーンにだけ聞こえる様に囁く。


  「最速で頼む。」


  言葉を理解したかのように、アイトーンはより一層地面を強く蹴って奔り始めた。








  ―革命家


  「よ~。帰ったぞ~。」


  イデアムとブライトが帰って来ると、仲間が軽くおかえり、と笑顔で返した。


  イデアムは基地に入ってキョロキョロと誰かを探していたが、その人物はすぐに見つかって、近づいていく。


  「おつかれさん。」


  「あ、おかえりなさい。」


  ジュアリ―と稽古をしていたマリアが返事をすると、イデアムはジュアリ―にアイコンタクトし、それの意味を理解して、ジュアリ―は席を外す。


  マリアは何かとジュアリ―の後姿を見ていると、イデアムがマリアの頭に手を置いた。


  「マリア、ちょいと出かけねぇか?」


  「え?」


  マリアが目を丸くさせていると、イデアムは頭の上の手をどけて、親指で入口の方を指す。


  すると、二頭だった馬のほかに、もう一頭の馬の手綱をブライトが引いてきて、二頭と同じようにブライトの手首に軽く巻かれた。


  乗馬などしたことのないマリアが不安そうな顔をしていると、イデアムは手を顎の下に置いて何かを考え、うんうん、と独り言を言っていた。


  そして、ブライトのところに行くと、何かを伝えていて、ブライトは少しだけ眉間にシワを寄せたが、その後頷いた。


  「マリア!こっち来い!」


  イデアムに呼ばれて、駆け足で向かうと、ニコニコと笑いながらブライトの肩に腕を回した。


  「今から戦場を見せる。マリアは馬乗れねぇだろ?だから、ブライトと一緒に乗って行け。いいな?」


  「あ・・・はい。」


  どうしてブライトなのだろうと思っていると、身体がブライトの方が小さい為、二人のってもキツくないだろうという結論に至ったのだとか・・・。


  仕方なくブライトは馬を一頭馬小屋に戻し、戻って来ると先に馬に跨った。


  マリアはどうやって乗ればよいのか分からずにいると、脇の下をイデアムに持たれて、そのまま馬の上に乗る事が出来た。


  乗ったのはいいが、ブライトの前にちょこんと座るという姿勢であるため、少し恥ずかしくも思ったが、ブライトが軽く馬をパカパカ奔らせると、その心地良さに笑みがこぼれた。


  それを見てイデアムも自分の馬に跨り、行くぞ、と言ってゆっくり奔り始める。


  ―気持ちいい・・・。


  風が程良く涼しくて、マリアは寝てしまいそうにもなったが、いつも自分が見ている景色とは違った今の景色を見逃すまいと、必死に目を広げていた。


  自分よりも前を奔っているイデアムの銀髪が揺れる度、眩しくて目を細める。








  ―オクタティアヌス家


  「ただいま帰りました。」


  「御苦労さん。」


  ユースティアが帰って来ると、ラビウスは満面の笑みで御出迎えをし、自分の部屋にあるソファへ座る様に促した。


  ローザンを殺したのがユースティアであることも、他の兵士を始末したのがユースティアであることも、全て知っていて、こうして笑顔で迎え入れているのである。


  それは、唯一無二の兄弟だから・・・などではなく、自分が指示したことだからだ。


  神の命令には背いても、自分の命令には絶対に背かないと知っているからこそ、ラビウスはユースティアを最大限に利用できるのだ。


  「どうだった、戦場は?」


  「特には。煙臭かったです。」


  ユースティアの答えにも笑い声で答えているが、本当に面白くて笑っているのかは不明だ。


  テーブルの上に置きっぱなしにしてあったナイフを手に取ったユースティアは、それをテーブルの上に手加減無く突き刺した。


  その行動を見て、ラビウスは口角を上げる。


  「兄弟ってのは、やっぱり自然と似てくんのかね~?」


  アルティアが用意してくれたワインを手に持ち、ユースティアの前と自分の前に置いてあるワイングラスに注いでいく。


  ワインをテーブルの上に置き、グラスを持ってグビグビと一気に飲み乾すラビウスに対して、ユースティアは味を堪能しながらゆっくりと飲んでいき、仄かに笑みを作る。


  足を組み、ソファの背もたれに両肘をかけて、まだ中身の残っているワインを足で軽く蹴った。


  ワインが倒れると中身が飛び出て、みるみるテーブルに広がっていく。


  ユースティアの方にポタポタと垂れているが、ギリギリのところでユースティアの服は濡れることはなかった。


  組んでいた足を、今度はテーブルの上に乗せるが、ズボンの裾部分が少しだけワインで濡れてしまった。


  そんなこともお構いなしで、ラビウスはユースティアに話しかける。


  「でさ、戻ってきて早々悪いんだけどよ、お留守番頼んでも良いか?」


  「留守番・・・ですか?構いませんが、お出かけになるので?」


  ククク、と喉を鳴らしながら笑い、アルティアを呼んだ。


  「じゃ、ユースティアの御守りよろしくな。」


  よっこらせ、と腰を上げると、ひらひらと手を振りながら部屋を出ていく。


  その背中に向かって、アルティアとユースティアは一礼をする。


  ラビウスは一旦倉庫に向かい、そこで一冊の本を手に取ると、倉庫にあるたった一つの椅子に座って読みだした。


  口元は笑っておらず、目も冷めきっている。


  数分で読み終えると、荒荒しく本を閉じ、それを適当な場所に入れた。


  倉庫から出て新鮮な空気を吸うと、再びアルティアが用意してくれた馬がいる場所へと歩を進めた。


  「~♪」


  何やら唄を歌っているようだが、音程が多少ズレテいる為、何の曲かは良く分からない。


  機嫌良さそうに歩いていたラビウスだが、ピタリ、と急に足を止めた。


  「・・・隠れてないで出てこいよ。」


  シーン、と何の音も聞こえてこない。


  ラビウスは髪の毛を掻きながらため息をつき、その身体からは予想も出来ないほどの力で、近くの柱を蹴る。


  城全体が振るえたのではないかと思うほどのフラツキがあり、ラビウスはもう一度だけ、笑顔で声をかける。


  「さっさと出てこいよ。俺とサシで勝負してぇんだろ?」


  一本の柱の陰から足の先が出てきて、そこからは自分よりも年下であろう男が現れた。


  綺麗な漆黒の髪を揺らしながら、その男はラビウスを見て睨みつけているような、軽蔑しているような目をしていた。


  ―黒髪・・・。


  「お前、名前は?」


  「・・・クロヴィス・カシウス。」


  「カシウス・・・?お前がか!?いやー、こんなに若々しいっつーか、初々しいっつーか・・・。いや、でも声質的にはもう成人男性っぽいな。意外と声低いし、まだ幼さが残ってるように見えて、凛々しい。ああ、何歳だっけか?」


  自分の顎に手をあてて、一人でフムフムと頷きながらカシウスを観察していたラビウスは、世間話のように軽い口調で質問した。


  しかし、カシウスは顔色一つ、表情一つ変えずにラビウスを見ていて、ラビウスは鼻で笑いながら頭をかいてため息をつく。


  今日で何回ため息をついたことだろうか、いや、きっとラビウスの周りの人の方がため息をついているのだろうが・・・。


  ラビウスとカシウスはしばらく、沈黙のまま見合っていた。


  やれやれと、ラビウスから再び会話を切りだす。


  「俺の首を取りに来たのか?」


  「・・・・・・ああ。」


  静かにカシウスが答えると、じゃあ・・・、と言ってラビウスは自分の腰から剣を抜き、カシウスに向ける。


  一方のカシウスは剣を抜こうとせず、じっとラビウスを見ていた。


  ラビウスの顔つきが瞬時に変化し、殺気を出しながらカシウスに向かって行くと、自分の剣を抜いてラビウスの剣を弾く。


  金属同士のぶつかる音が響くと、互いに一定の距離を保って睨み合う。


  ラビウスは相変わらず口元は笑っているが、カシウスの方は真剣そのもの。


  「お前、ウェルマニア家随一の剣の使いだって聞いたぜ?」


  「・・・そんなことはありません。」


  「謙遜すんなって。ま、田舎育ちの坊主が勝てるほど、俺は甘くないぜ?」


  ニヤつきながらも、カシウスに向けられた殺気は増していく一方で、カシウスは一歩下がってラビウスを観察している。








  ―革命家


  イデアムと、マリアを乗せたブライトが戦場から少し離れた崖の上に到着すると、イデアムは颯爽と馬から下りる。


  ブライトの馬の方へ行き、マリアに向かって両手を広げる。


  それを見て、マリアは頭に?を思い浮かべ、首を傾げる。


  「ほら、来い。」


  マリアを軽々と馬から下ろすと、ブライトも馬から下り、崖の下で起こっている戦争を見せる。


  本や文献で戦争の様子は知っていたものの、実際こうして自分の目で見てみると、なんとも吐き気に襲われる光景だ。


  人が人を斬り、人が人を踏みつけ、人が人に重なっていく。


  飛び散る血液も、轟く悲鳴も、何もかもが初めてで、マリアは気を失いそうになったが、倒れかけた身体を、ブライトが支えてくれた。


  「これが、戦争だ。これほどまでに悲しく、虚しく、くだらなく、何も得ないものなんか無ぇ。それでも、時代時代の節目には、必ず存在する。人間の性なのか、それとも神の悪戯なのか・・・。ま、どっちでもいーけどな。俺達は、こんなことが無くなる世界を作る為にいる。だからマリア、目ぇ開いて、しっかりと見ておけ。」


  「・・・はい。」


  イデアムはその場で胡坐をかき、肘をついて戦争見ていて、ブライトとマリアは立ったままで戦争を見ていた。


  二頭の馬は大人しくその辺に生えている草を食べていて、ただ冷たい風だけが吹いた。


  「どうして戦争は無くならないんだろう・・・。」


  ぽつり、と呟いたマリアの言葉は、静かなこの場所ではイデアムとブライトに確実に聞こえてしまって、マリアはハッと気づいて下を向く。


  胡坐をかいたままで、イデアムは笑い、マリアの言葉に対する答えを探していた。


  「そうだな・・・。世の中は両極論で成り立ってるところがあるからな。」


  「両極論・・・?」


  身体を動かして後ろを見ると、イデアムは特に何処を見ているわけでもなく、ただ地平線辺りをぼんやりと眺めていた。


  隻眼の中の瞳は何を見ているのかわからないが、銀髪が風と踊りながらイデアムの表情をより読みにくくしている。


  「光と闇、太陽と月、善と悪、男と女、生と死、戦争と平和・・・。片方が無くなれば、自然ともう片方も無くなる。どちらかが産まれるから、もう一方も産まれる。平和だけの世界を望んでも、平和だけの世界なんて存在することはない。悲劇と喜劇があるように、人生は浮き沈みがある。ま、激しいかどうかは個人差があるだろうけどな。要するに、こんな時代に、こんな世界に生きてきた事を悔やむのか、それとも、生きるという感覚を忘れないでいられる好機だと思うのか、だな。きっと、どいつもこいつも、いつの時代も、自分の産まれた時代や世界を一度は怨むんだろうけどな、あとは自分で楽しく生きていこうとするか、文句言いながら生きていくのか、それは誰のせいにも出来ねぇ、そいつ自身の『生き方』だな。」


  珍しくまともなことばかりを話すイデアムに見入ってしまっていたマリアは、再び戦場の方へと目を向けて、唇同士を強くくっつける。


  今までは身体を売ることで生きてきて、自分の価値を確かめてきて、痛みや涙で存在を確認してきたが、それと同じように、戦争に参加することによって、自分自身の居場所を求めて人達もいるのだろう。


  そう思いながら、マリアはジッと倒れていく人、剣を振るう人を見ていた。


  戦争は消えない、だが、平和も消えない。


  呼吸しているだけじゃ生きていることにはならない、行動することなのだと、哲学者が言っていたような気もする。


  それはイデアム達と出会ってから、マリアは気付いた。


  少し寒くなってきて、マリアが小さめのくしゃみをすると、イデアムが立ち上がって馬に餌を与えた。


  「冷えてきたし、もう帰るか?」


  まだ来てからそれほど時間が経っていないのに、申し訳ないと思い、マリアは首を横に振る。


  「もう少しだけ、見たいです。」


  そう言うと、イデアムは自分の上着をマリアにかけて、また胡坐をかいた。


  「あ、すみません。ありがとうございます。」


  「マリアに風邪ひかせっと、ジュアリ―が怖ぇからな。」


  ケラケラと笑ったイデアムは、マリアにとって兄のように暖かく、兄が欲しかったな、と思いながら戦場へと目を向ける。


  ブライトも黙ったまま、戦場を見ている。


  三人とも何も言葉を発しはしないが、きっと考えている事や想っていることは同じなのだろう。


  銀髪を揺らしながら、イデアムは遠くから聞こえる銃声、奇声、金属音、地響き、さらには鼻を掠める鉄の臭い、砂ぼこりの臭い、汚れた風の臭いを感じながら、自分がオクタティアヌス家にいた頃に行ったことを思い返していた。


  自分たちがしていたことも、今目の前にいるオクタティアヌス家の兵士達と、何も変わりはしない。


  身体に浴びてきた血の臭いは、今尚消えることは無く、自らの手で切り裂いた感覚も、決して忘れることは無い。忘れることは出来ない。


  ―いつになったら、こんな馬鹿なこと終わるのかね・・・。


  砂ぼこりの交じった風が、何事も無いように横を通り過ぎていく。








  ―半年前


  「これは・・・一体!?」


  「言っただろう?儀式だ。アリス、お前の番になったら、同じことをするんだぞ。」


  「それは・・・ッ。」


  唇を強く噛みしめる少女。


  目の前で起こる血塗られた『儀式』を、震えながら見ていることしか出来なかった。


  並ぶ奴隷、繋がる鎖、貪る貴族、襲う吐き気、身体の中を流れる血液の温度が一気に下がる感覚に襲われる。








  ―現在 オクタティアヌス家


  ラビウスの先制攻撃によって、カシウスは若干体勢を崩されるが、鍛え上げられた筋肉はそう簡単にカシウスの身体を倒さない。


  ニヤリ、と笑いながらも、攻撃の手を止めないラビウスに気を取られていると、後ろが階段に成っていることに気付く。


  だが、カシウスは知らなかった。


  ほんの少しだけ階段を見た間に、ラビウスが自分の目の前に迫っていたことを。


  「余所見はいけねぇなぁ?」


  「・・・!!」


  眼球に焼きついたラビウスの顔と、突き付けられた切っ先は、カシウスの首を斬る寸前で止まっていた。


  今まで笑っていたラビウスの顔が変わり、無表情になったかと思うと、ため息をつきながら剣を下ろした。


  何事かと思っていると、ラビウスの背後に誰かの気配を感じる。


  「おいおい、気配消して近づいてくんじゃねぇよ。こっちは殺気バンバン出して戦ってる最中なんだからよ・・・。」


  「申し訳ありません。」


  そこにいたのはアルティアで、何をしに来たのかは不明だが、気配を消していたというよりは、普段の気配のままでラビウス達の戦いを見ていただけなのだろう。


  ブーブーと文句を言っているが、ラビウスの殺気は消えていない。


  カシウスがその間に階段から離れようとするが、アルティアと話しながらでも、ラビウスは剣を素早くカシウスの喉へと突き付ける。


  唾を飲むだけでも、切っ先に触れそうなほど近く、呼吸を浅くすることに専念しようとするカシウスに、ラビウスは笑いながらさらに近づく。


  「じゃあ、ま、悪いが死んでもらう事になるな。」


  「・・・。」


  何も言わずにラビウスを睨む。


  悪いなど、露ほども思っていないだろうに、口角を上げれば上げるだけ、眉を下げながら笑う。


  そして、一気にカシウスの首を・・・―








  ・・・取れるはずであった。


  「・・・あ?なんの真似だ?」


  カシウスがゆっくりと目を開けば、いつの間にかラビウスの方が危機的状況になっていた。


  それは、ラビウスの首筋に、剣を突き付けている人間がいたから・・・。


  「・・・考えたくはねぇが、アルティア。お前、もしかしなくてもスパイか?」


  「頭の回転が速くなったらしいですね。お祝いでも致しましょうか?ラビウス様?」


  ラビウスはカシウスに向けていた剣をそのままに、後ろから自分の首を狙うアルティアと、冷静に会話を続けていた。


  「なるほどねぇ。ま、誰に裏切られたって、驚きゃぁしねぇけどな。それにしてもアルティア、お前、その口調は素か?」


  「そんなわけないでしょう。謙譲語や尊敬語、敬語なんて面倒くさくて敵いませんよ。」


  すると、いきなりアルティアの剣先が、ラビウスから別方向へと向き、その先にいる人物を見ると、誰よりもラビウスを崇拝するという、ユースティアがいた。


  相変わらず無表情のままだが、アルティアに向けられた殺意は、ラビウスがカシウスに対して出している殺気よりも強く感じられる。


  ラビウスが後ろのユースティアに気を取られている間に、カシウスは自分の剣をラビウスに向ける。


  「アルティア、お前、ラビウス様に刃を向けたな?」


  「・・・ああ。向けましたね。」


  「アルティア。」


  ラビウスと向かい合いながら、カシウスはアルティアに話しかけた。


  背中を向けている為、顔は見えないが、手をひらひらとさせていたため、聞こえている事を確認し、さらに続けた。


  「その喋り、止めろ。」


  瞬間、ユースティアがアルティアに向かって攻撃を仕掛け、廊下に剣同士がぶつかった音が聞こえる。


  ラビウスは剣を下ろし、後ろの二人の勝負に目を向けた為、カシウスも様子を見ながら二人を見る。


  ユースティアの攻撃によって、近くにあった一室から煙がでていた。


  ふらふらとした足取りで現れたのはアルティアで、それを見たラビウスは、肩を上下に動かして笑った。


  「おいおいアルティア、大丈夫か?そんなんでユースティアとやり合えんのか?」


  アルティアは髪の毛をガリガリとかき、今まで身に纏っていたオクタティアヌス家の戦闘服を脱ぎ捨てると、由緒正しきウェルマニア家とは思えないような、ジャージのような格好になり、胸元まで開けていたファスナーを上まで完全に閉める。


  そして大きな欠伸をしながら、煙の出ている部屋をちらっと見る。


  ガラッ、と音を立てて現れたのはユースティアで、服のあちこちが少し破けていた。


  「ほー・・・。」


  アルティアの強さに感心しているのか、ラビウスはキョトンとすると、今度はカシウスの方を見て笑う。


  「俺達もやっか。あ、でもここじゃあ危ねぇーな。場所変えっぞ。」


  そう言われ、ラビウスはどんどん階段を下りて行ってしまうので、カシウスは仕方なくついていくことにした。


  アルティアの方を見ると、カシウスを横目に見ていて、また手をヒラヒラさせていた。


  「ふぁあぁああ~・・・。ダリィ。」


  アルティアが首をコキコキ鳴らしていると、ユースティアがいきなり剣を投げつけてきたが、それを軽く弾き返すと、眠たそうな目でユースティアを見る。


  弾かれた剣とは別の剣を抜くと、天井からの豪華な光に反射して、ピカピカと光る。


  アルティアはそれが眩しいのか、それとも単に不機嫌なのか、目を細くしてユースティアの剣を見ている。


  今日まで、ユースティアの次にラビウスの近くで働き、誰よりもオクタティアヌスの情勢について詳しく知る人物であったが、今では弱点でしかなく、崩れかかったのは自分達の方かもしれないと、ユースティアは唾を飲む。


  剣をアルティアの方に向けても、アルティアは一向に剣を抜こうとせず、それどころか、剣の類を持っていないことに気付く。


  服装も服装で、あれでは一回攻撃を受けただけで、大ダメージになるだろう。


  様子を窺っていると、アルティアは急に屈伸をし始めた。


  準備運動をしているのだろうが、生憎、そんなものが終わるのを待っているほど、オクタティアヌス家はお人好しでは無い。


  下を向いているアルティアに近づき、剣を一気に振り下ろす。








  床には、振り下ろされた剣が突き刺さる。


  背後には、先程まで目の前にいた人物の気配がある。


  床についた傷跡を眺めながらゆっくりと剣を抜き、ゆっくりと後ろを向く。


  瞬発力というにはあまりに弱く、判断力というにはあまりに緩く、迷いの無い行動から読み取れるのは、この男の意志は曲がらないということだけ。


  信念なのか、忠誠心なのか、まあそれはこの際どうでもいいことで、ユースティアが納得出来ないのは、自分の攻撃を避けられたということ。


  「なぜ剣を持たない。」


  質問に答えるのもダルそうに、眉間にシワを寄せてため息を、ワザと、聞こえる様につくと、手をブラブラさせる。


  「俺は剣術はやらねぇ。チャンバラに興味はねぇんだよ。」


  「チャンバラと一緒にするな。代々受け継がれてきた剣と奥義だってある。それを侮辱することは許さない。」


  「はいはい。世間知らずの良い子ちゃんの言い分だな。剣がお前を守ってくれてるわけじゃねぇんだぞ?剣があろうがなかろうが、死ぬ奴は死ぬ。必要なのは強さだ。おわかりですか?ユースティア様?」


  馬鹿にしたように言われ、ユースティアはアルティアに向かって攻撃するが、身体を捻って避けると、ユースティアの首にアルティア自身の腕をぶつける。


  着痩せするのか、細いと思っていたアルティアの身体は筋肉質で、喉を強く押され、ユースティアは咳込んでしまった。


  それを、いつもの表情で見ているだけのアルティア。


  そもそも、どうしてそういう考え方であるにも係わらず、アルティアはウェルマニア家など、生温い場所に居座っているのだろうか。


  ユースティアの頭の中では疑問が浮かぶが、それを声にして出すことが出来ない。


  「なんで俺がウェルマニア家にいるのか?っていう顔してるな。まあ、答える義理はねぇが。」


  話しながらも準備運動を続けているアルティアに対して、喉を摩りながら咳をしているユースティアは、剣を手に握りしめ、再びアルティアに向ける。


  チラッとユースティアの方を見るが、決して自分から攻撃をしようとはしないアルティアを観察していると、下の方から大きな物音が聞こえてきた。


  それがラビウスとカシウスの戦いの音であることは明らかだった。


  「・・・カシウスのような餓鬼に何が出来る。ウェルマニア家随一の剣の使い手だと言っても、あんな生温い剣など、ラビウス様に敵うわけがない。アルティア、お前もだ。剣も持たずに俺と戦う事になった、こんな状況を怨むんだな。」


  剣をアルティアに向けているが、やはりアルティアは剣を持たない。


  腕組をしてユースティアを見ていて、キョトンとした顔になっている。


  「・・・何言ってんだ?」


  組んでいた腕を下ろしたアルティアは、手首をポキポキと鳴らしながらユースティアに近づいていき、見たことのない笑顔になる。


  それはラビウスのようなドス黒いものでもなく、かといって爽やかなものでもなく、笑顔なのだが、笑っていなく、笑っているのに笑顔では無い。


  一歩一歩後ずさるユースティアは、先程のカシウスと同じ状況になってしまった。


  違う事と言えば、自分は武器を持っていて、相手は持っていない。


  なのに、なぜか攻撃出来ない、攻撃をさせてもらえない。


  「俺がお前に負ける確率は、天文学的数値に等しい。カシウスがラビウスに負ける確率も同じだ。だいたい、お前の攻撃なんてこの数年の間に把握してんだよ。その結果、確実に勝てる数値を見出せた。」


  じりじりと寄って来るアルティアに向かって、一気に剣を貫く。


  だが、いつの間にかアルティアは剣の上に乗っていて、ユースティアの顔面を膝で蹴り飛ばし、それによってユースティアは階段の下へと転がっていった。


  肩を軽く打ったようではあるが、頭は打たずに済んだ。


  身体を起こしてアルティアを探すと、何処にもいない。


  ―どこに行った・・・?


  「ここだ。」


  声は頭上から降ってきて、ユースティアの頭を片手で掴むと、そのまま強く握り出したため、頭痛がユースティアを襲う。


  数秒で手を離すと、頭が急に軽く感じ、クラクラする。


  背中にいたはずのアルティアは、今度は階段に座っていて、暇そうに目を細めながら欠伸をしている。


  ユースティアは悔しさに襲われたが、顔に出すことはしない。


  床にある自分の剣を握ると、両足に力を入れて立ち上がり、アルティアに少しずつ近づいていく。


  「言ったろ?お前じゃ俺には勝てねぇ。」


  「ほざくな。多少の武術をかじっているのかもしれないが、そんなもの、戦場においては命取りになるだけだ。」


  「おーおー。やられてんのに、よく言うよ。」


  年寄り臭い掛け声を言いながら、アルティアは腰を上げると、ユースティアに突き付けられた剣を一瞥し、剣の持ち主と睨みあう。


  これほどまでに力の差を感じるとは思っていなかったユースティアは、今尚余裕そうなアルティアを見ながら、何とか勝機を見つけ出そうとしていた。


  今まで接してきたアルティアとは、動きの俊敏さも、話し方も、トーンも違う。


  やる気の無い顔つきは同じなのだが、それでも雰囲気は百八十度異なっている。


  アルティアは、そんな考え事をしているユースティアを見て、ラビウスの言っていたことを思い出した。


  ―心理戦や頭脳戦が苦手・・・。


  確かにそのようだ。最初にアルティアが攻撃をした時も、一瞬だが、目を見開いてとても驚いていた。


  自分がアルティアよりも弱いなど思っていなかったのだから、仕方のない事と言えば、それまでなのだが、それにしても相手を見た目で判断し過ぎている。


  心理戦や頭脳戦が苦手と言うよりは、自分を過大評価し過ぎているのだろう。


  そんな人間は精神的に脆く、崩れやすい。


  そして、アルティアはそういう人間が勝手に壊れていくのを見るのが大好きという、少し性格的に困った部分を持っている。


  口元を、ユースティアに見えないように緩めると、ペロッと舌舐めずりをした。


  「あ、そうだ。」


  何かを思い出したように、アルティアがユースティアの剣の横を通り過ぎて、うろうろと歩き出した。


  それを不思議そうにユースティアが見ていると、アルティアはピタリ、と止まってユースティアを見る。


  「俺、まだあの部屋に行ってねぇな。」


  「あの部屋?」


  「でっかい部屋あるだろ。書庫室だっけか・・・?あそこの文献は一回見ておくだけの価値があるはずだ。うん。俺はさっさとお前を倒して書庫室に行く。」


  くるりとユースティアを見て、ニッと笑う。


  ユースティアが剣を構えたその瞬間、ほんの一瞬、刹那―・・・


  自分のお腹に鈍い痛みが来て、そのまま床に倒れてしまった。


  アルティアはクルクルと首を回しながらユースティアを見下ろしていて、遠のく意識の中で、アルティアの声が微かに聞こえた。


  「ま、同じ時代に産まれた情けだ。」


  ユースティアから離れて、書庫室へと向かう途中で、思い出したように、あ、と呟きながら、ジャージのチャックを胸元あたりまで開ける。


  「俺がウェルマニア家にいる理由、教えてねぇな・・・。」


  少しカビ臭い書庫室に入ると、手探りで電気の場所を見つけて電気を点けると、所狭しと並べられた本に目を奪われる。


  ウェルマニア家とは違う本の種類に目を輝かせて、一列目から丁寧に本の背表紙を見ていく。


  戦争マニアといっても良いオクタティアヌス家の本棚には、戦争に関する本がほとんどであった。


  拳銃や剣に関するものから、戦争中の極意や心理、事細かに書かれてはいるものの、これを実戦はしていないだろう。


  その中で、自然と手を伸ばして触れた本があった。


  「オーディン・・・か。久しぶりに読むか。」


  近くにあった椅子の埃を、簡単に手で払うと、そこに座って足を組み、テーブルに片肘をつきながらページを開く。


  誰もが一度は聴いたであろう唄、誰もが一度は読んだであろう歴史、その闇に隠された英雄と、陰で戦う消えていくだけの人間達。


  人間はこんなにも弱い生き物なのに、どうしても自分が他人よりも上に立とうとするのか。


  「・・・アホらしい世界。」


  ボソッと呟くと、鼻歌を歌いながら次のページを開く。








  「あっちはどうなってるかね~?アルティアの奴、あんなに強かったんだな・・・。」


  ぶつぶつと独り言を楽しげに話しているラビウスは、口元を歪な弧に描きながら、カシウスを気にすることがない。


  そんなラビウスに文句を言う事も、睨むこともせずに、自分の剣を持ちながら、ただじっとその場に立っているカシウスは、多少ラビウスの独り言に飽きてきたようだ。


  小さいため息を何度もつき、ついてはまた息を吸い、そしてまた吐く・・・。


  「ああ、悪い悪い。つい自分の世界に入っちまってよ。・・・ええと、なんだっけか。」


  カシウスが面倒臭そうに見ていると、ククク、と喉を鳴らしながら笑い、自分の剣の磨き具合をチェックする。


  自分の剣とカシウスの剣を見比べて、少し首を傾げると、遠目ながらもジッと剣の観察を始めてしまった。


  そこで、カシウスは自分から話しかけないとダメだと思い、口を開く。


  「あの、今回、どうして戦争なんて・・・。」


  「お前、良い剣使ってんな・・・。」


  「・・・。」


  上手く聞こえなかったのかと思い、話題を変えてもう一度話しかける。


  「あの、アリス様が自害した理由は・・・。」


  「なんでだ?予算が少ねぇのか?」


  「・・・。」


  ―会話が成立しない。


  言葉のキャッチボールが出来ない人なんだと判断したカシウスは、ため息をついて、ラビウスからの言葉を待つことにした。


  すると、ギラッとした目でカシウスを見てきて、見下されてるのかと思いきや、剣をのんびりとカシウスに向けてきた。


  「なんでお前らに喧嘩を売ったかって言うと、単に暇だったからだ。戦争という名の刺激を受けることで、俺の人生は謳歌する。・・・それから、アリスの自害については、俺も知らねえ。いきなり朝起きて報告を受けたんだ。まあ、大体の察しはついてんだけどな。」


  「?それは?」


  カシウスがラビウスをジッと見ているのに対し、ラビウスは視線を逸らして、髪の毛をかき乱している。


  口角が上がったかと思うと、首を一周回して、歪んだ表情を浮かべる。


  「カニバリズムに耐えきれなかったんじゃねぇか?」


  「カニバリズム・・・。」


  「オクタティアヌス家では代々、結婚前の共同の儀式として、カニバリズムを行ってる。奴隷たちを買ってきて、嫁も婿もみんなで喰うんだ。あ、言っとくが、美味くはねぇぜ?人間を喰うって言う感覚は俺にもわからねぇが、あんときは親父がいたしな。」


  「・・・そんなことを・・・。」


  アリスはさぞ驚いたことだろう。いや、驚くことも出来なかったかもしれない。


  ただでさえ、動物の死体を見ただけでも吐き気に襲われることもあるというのに、自分と同じ類のものが倒れ、それを自分が口にするなど、誰でも耐えられないことだろう。


  それを淡々と話しているラビウスや、オクタティアヌス家の人間がおかしいのだ。


  アリスが自害した理由は、その歪曲した儀式や、未来への絶望、結婚そのものに対する拒絶が幾つも合わさったことによるものだろう。


  結果的に、死を選んだアリスは、自分の幸せも掴めぬままの生涯を送った。


  クラウドは、アリスが亡くなったという報告を聞いた時、一体どういう気持ちだったのだろうか、それはカシウスにも分からない。


  大切な一人娘を失くしても尚、毅然とした態度で、ウェルマニア家の将来を案じていたクラウドまでも、オクタティアヌス家は殺したのだ。


  ふつふつと沸き上がってきた感情に気付いたカシウスは、自我を保とうと、頭を大きく振る。


  深呼吸を数回した後、視界の真ん中にラビウスを捉える。


  「アリスは良い女だったなぁ・・・。あ、これアルティアにも言った気がすんな・・・。」


  「・・・この半年間、なぜアリス様からの連絡が無かった・・・。クラウド様に、たった一度も・・・。」


  アリスの自害の理由が、オクタティアヌスの信じられない儀式にあったとして、半年もの間、一度もクラウドに連絡が無かったのがどう考えてもおかしかった。


  幸せに暮らしていると信じていたクラウドは、便りも書く暇が無いほどに楽しい時間を過ごしているのだろうと、良い方に良い方にと考えてはいたようだが、アリスの性格からして、クラウドには何があっても連絡は入れるはずだ。


  それに違和感を持っていたカシウスは、ラビウスの妖艶な笑みを、怪訝そうに見つめながら問う。


  自分の剣を玩具の様にカラカラ遊んでいるラビウスは、カシウスのその質問に対して、一層妖しげで、歪んだ笑みを浮かべた。


  「・・・なんでか?そんなことか。答えは簡単だ。『俺がアリスを愛していたから』だ。それ以外の答えなんてねぇけど?」


  「?どういう意味だ?それは答えになっていない。」


  ククク、と喉を鳴らしながら笑っているラビウスを見て、なぜかカシウスは悪寒を感じた。


  それが一体なんなのか、ラビウスに会ってから数回聞いている笑い声であって、数回見ている笑みであるのに、二人に纏う空気が一変して凍りついたようだ。


  殺人を楽しむ狂った人間とも少し違っていて、自分以外の人間を手のうちで動かしている黒幕のようなものとも違っていて、ただ、『異変を感じた』。


  この男は、おかしい。それは最初から分かってはいたことだが、戦争に関しての異変では無く、人間の感情としての異変であった。


  戦争中なんて、精神的におかしくなる人間は大勢いるし、おかしくなって当然なのだ。


  それをどこまで自分で制御し、理性を保ちながら、生きる事だけを考えて戦えるかどうかなのだ。


  だが、今カシウスの目の前にいる男は全てが違う。


  儀式の内容を淡々と話すこともおかしいが、アリスが死んだのに悲しんだ様子も無いこともおかしいが、戦争中にも係わらず、暇つぶしのゲーム感覚でいることもおかしいが、どれもこれも今のラビウスの持つ雰囲気とは違う。


  ラビウスが喉を鳴らして笑うごとに、カシウスの鳥肌が増えていく。


  本能的に感じた危険信号に従い、カシウスは自分を守るために剣をラビウスに向けたまま、じっと睨む。


  「どういう意味か?そのまま受け取りゃあいい。俺の言ったことそのままを、な。まあ、お前みたいな餓鬼にはまだ分からねえだろうが、人にはそれぞれの愛し方ってもんがあるんだよ。それが正当かどうかなんて関係ねぇし、俺の愛し方を受け入れられねえなら、別にそれはそれで仕方ねえと思ってる。」


  「・・・お前の愛し方?」


  「半年間、俺はアリスを大事に大事に、それは国宝級の扱いをしてきたつもりだぜ?大切に大切にな?アリスを愛したからこそ、俺の傍から離れないように、強く強く切れない『運命の赤い糸』ってやつを繋いだまでだ。あ、でも冷たいのか?鎖だからな。」


  「・・・鎖?」


  「他人の目に晒されないように、地下牢に閉じ込めて、何重もの鎖で繋いで、幾らだって愛してやったのに・・・。なんでこんな一筋の俺の愛が受け入れられなかったんだ?アリスの怯えた顔は可愛かったんだけどな~・・・。ちゃんと躾として、いけないことしたら、それなりには叱ったぜ?お前はどう思う?俺の愛し方が受け入れられない理由について。」


  耳を疑うような驚愕の事実に、カシウスはしばらく放心していて、その間もラビウスはいつもの口調で話を続けていた。


  右から左に流れていく単純な作業なはずなのに、ラビウスの口から出てきた言葉は、なぜか脳内で留まり続けていて、一向に耳を抜けていこうとはしない。


  カシウスが感じていた『異変』は、コレだった。


  ラビウスの異常なまでの婚約者への執着心と、愛情であり、それの表現方法が異質だったことに気付く。


  単刀直入に言えば『監禁』、少し違った言い方をすれば『独占欲』、そしてこの愛情表現は、『狂愛』であると言える。


  ネジ曲がった感情を持っていたラビウスに、今頃気付いてももう遅い。


  現実は残酷などといった生温い言葉、誰が言ったかは知らないが、残酷などという甘いものではない。


  事実が現実で、現実は事実だ。


  「なぁ?どう思う?」


  声を出したら怒りが溢れてしまいそうだったが、黙っていたら気が狂いそうだった。


  「・・・それは、アリス様が本気でお前を愛して無かったからだ。」


  「・・・ほぉー・・・。こりゃまた、アルティアとは違う答えが返ってきたな。」


  カシウスの答えに興味を持ったようで、ラビウスは目を輝かせて、さらにカシウスに聞いてきたが、カシウスはそれを拒む。


  正直、ラビウスは、アリスが自分を愛していようがいまいが、自分がアリスを愛していようがいまいが、どうでも良かったのだ。


  人間そのものを信じていないのだから、所詮はいつか裏切られるものだと思っている。


  もし、自分の言葉や愛情で繋ぎとめておけないのならば、それを無理矢理にでも繋ぎとめておけるだけの『鎖』で繋いでおけばいいだけの話。


  それはまるで、『飼い犬』のように、だ。


  アリスが自害した時も、ラビウスは一滴の涙も流さなかった。


  それを知る由も無いカシウスは、一刻も早くラビウスを倒そうと、それだけを考えていた。


  「確かに、人の愛し方はそれぞれだ。だが、お前のソレは『愛し方』の一つでもなんでもない。お前は人間を愛してなんかいないから、そういう事が出来るんだ。価値観も生き方も信念も違えど、人間に産まれた以上、人間と正面から向かい合って愛する必要がある。お前はそれを拒絶しているに過ぎない。」


  「・・・おー。言ってくれんじゃねぇの?餓鬼は餓鬼らしく、世界の表だけを見て楽しく生きてりゃいいってのに・・・。ああ、そうか。お前は産まれたときから、人間の愚かさを知ってるから、そういう可愛げのない性格になっちまったんだな。」


  挑発をしているのか、それとも、それがラビウスの性格なのか、後者の方かもしれないが、カシウスはその言葉にピクッと眉を潜ませる。


  産まれた環境や育ってきた環境が真逆と言ってもよいこの二人にも、共通点というものがある。


  それは、『現実否定の欲求』を持っていることだ。


  戦うことで、何か変化を求めているラビウスと、生き続けることで自分が変化しようとしているカシウス。


  ラビウスはまた喉を鳴らして笑うと、目つきだけが急に狩人へと変わり、剣を構えてカシウスに狙いを定める。


  カシウスも自分の剣を強く握りしめると、ラビウスに呼吸を覚られないように浅く、ゆっくりと肺へ酸素を送り込み、ラビウスの片足に力が入った瞬間、自分の足にも力を入れて攻撃を迎え撃つ。


  一気に攻めてきたラビウスは、のろのろと動いていた今までが嘘のように素早い。


  殺すことに躊躇などしていないのだろう。カシウスの肩を少し掠めた切っ先は、ラビウスの柔軟な手首の捻りによってカシウスに舞い戻って来て、身を屈めることでなんとか回避出来た。


  「・・・もうちょいだったな・・・。」


  「それがお前の爪の甘さだ。」


  「さっきからタメ口だけどよ、俺年上だぜ?年上は敬わなくちゃあいけねぇよ?多少の差だけどよ、それでも長く生きてんだからな?」


  軽く喉を鳴らして笑うラビウスを見ながら、思っていたよりも機敏に、無駄の無い動きをする相手に対しての対処法を考えていたカシウスは、こんな状況下においてもヘラヘラ笑っていられるラビウスの神経を疑う。


  自分自身しか信じられない、そんな人間はとても孤独だ。


  他人を無理に信じろとは言わないが、誰しも一人で生きていけるわけなく、一人で死んでいくだけなど寂しすぎる。


  だが、ラビウスは違うのだろう。寂しいとか、孤独だとか、そんなことに興味は無く、ただ自分の人生が、自分にとって愉しければそれでいいのだ。


  その方法が、手段が、誰かにとっての不幸であっても、地獄であっても、死よりも苦しい事だとしても、だ。


  『我儘』だとか、『自己中心的』だとか、『唯我独尊』だとか、そういうものとは違う。


  ただの『自己満足』なのだ。自分の欲求を満たす為なら何でもするのが、このラビウスという男であることを、もっと早く知るべきだった。


  口元を弧に描いたままカシウスを見ているラビウスが、剣を前に出して、自分の身体と垂直になる様にすると、剣を持っていない方の手で、切っ先側を指でなぞる。


  「にしても、黒髪を見ると嫌な英雄を思い出すな・・・。」


  「?」


  「お前も知ってんだろ、クラウディウス・オーディンだよ。小さい頃に親父に読め読めって言われて仕方なく読んだけどよ、あいつも確か黒髪だったよな?それに、読んだオーディンの雰囲気と、お前の綺麗事が重なるんだよ。俺にとってそれは気持ちいいもんじゃあねぇよ?英雄英雄言われてたって、人生は生きたもん勝ちだからな。死んだら何にも残らねえし、残ったとしても、名前以外は妄想や欲望が混雑した“昔話”になっちまう。それじゃあ、つまらねぇ作り話だろ?俺は死んでもそんなのは御免だな。・・・悪だろうと、強ければ生きる。物語になって終わりなんて、埃まみれになる本と一緒だろ。あ、俺は自分を悪だなんて思ってねぇよ?」


  ビュウッと、どこかの窓が開いているのか、風が吹いてきて、カシウスとラビウスの髪の毛を揺らしながら去っていく。


  鮮やかな紫色は、ワインよりも軽く揺れて、人の心を笑っているようだ。


  吸い込まれそうな黒色は、宵闇よりも人を惹きつけ、静寂を唄うようだ。


  二人は視線を逸らすことなく見合っていたが、何時か丁度の時間になり、大きな時計の音がボーン、と鳴ると同時に、剣の弾く音が城を占領した。


  悲しくも美しい音色を響かせて、それぞれの想いや未来を貫いて・・・。






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