第6話にわか雨
朝ぼらけ
にわか雨
一日のためなら、一生など棒に振ってもいい。
北杜夫
第六朝【にわか雨】
「功ちゃん?」
ミソギはふと、功典のことを思い出した。
そして辺りを見渡してみると、功典らしき姿が見えない。
いつもは適当な日陰で休んでいるのだが、公園内にはいないようだ。
ミソギは立ち上がって、顔も身体も砂まみれにしながら、功典を探し始めると、すぐ近くの道路わきで見つけた。
近くには歳老いた女性がいて、功典となにやら話しをしている。
「功ちゃん!功ちゃん!」
「ああ、ミソギか」
「あら、可愛いわんちゃんね」
「ぽくが見えるの?」
「ええ、見えるわよ」
女性は篠本倫子というらしく、歳は65だったようだ。
交通事故で亡くなってしまって、その理由は、道路に飛び出した子供を助けようとして、倫子が轢かれてしまったらしい。
「痛いよね、轢かれるの嫌だよね」
「そうね。でも不思議なものでね、そういうときって痛いとか感じないのよ」
「そうなの?でも怖いよ。ぽくは真っ暗闇が怖いの。誰もね、いないところを歩くのが怖いの」
ぶるぶると珍しく震えるミソギの頭をぽんぽんと軽く撫でると、功典は倫子に家は何処かと尋ねる。
「家は、私の家じゃないのよ」
「え?」
「息子の嫁と折り合いが悪くてね、息子ともあまり良くなかったんだけど」
倫子の話によると、倫子の旦那は10年以上前に他界し、1人暮らしをしていた。
息子は3人いるが、長男は生まれつき身体が弱く、早くに病死。
次男は結婚しているが倫子との仲は悪く、その嫁とも性格が合わなかった。
三男は結婚しているのかいないのか、海外を旅したり、短期バイトをしたりと、自由に生活をしているようだ。
問題となっているのが次男で、旦那が亡くなってからというもの、周りよりも大きめな家である倫子の家をくれとねだってきたそうだ。
自分の家があるだろうと言ったが、こっちの家の方が大きいから見栄えが良いと言って来て、来る度に荷物を持ってきては、旦那の物も全て捨てたり端に寄せて、自分たちの荷物で占領してしまった。
倫子が事故に遭ったときも、誰一人として見舞いにも来なかった。
三男は知る術がなかったとしても、連絡が行ったであろう次男夫婦は、まったくと言っていいほどだ。
倫子が亡くなると、その保険金は自分たちで全てもらい、もといた自分達の家も売り払い、倫子と旦那の家に堂々と暮らしている。
近所の人たちは、そういった倫子たち家族のいきさつを知っているからか、あまり快くは思っていないようだが、それでも気にせず住んでいるのだから、随分と図太い神経を持っているようだ。
「ごめんなさいね、こんな話ししちゃって」
「いえ、窺ったのはこちらで・・・」
「酷いよ!!そんなの酷いよ!!」
「おい、ミソギ・・・」
急にボロボロと大きな涙を流して泣きだしたのは、ミソギだった。
なんでお前が泣いてるんだよ、と心の中で思った功典だが、倫子もいる手前、言えずにいると、倫子はミソギの頭を優しく撫でた。
「なんて優しい子なんだろうね。私のために泣いてくれるなんて。嬉しいわ」
「だってだって!!ぽくなら悲しくて寂しくて、そんなの嫌だよ!!!」
周りの人には聞こえないとしても、聞こえている功典は、思った以上に破壊力のあるミソギの鳴き声に、思わず顔を顰める。
一方、倫子はミソギの頭を撫で続ける。
「よし、とにかく行ってみるか」
話しを聞く限り、正直クズにしか聞こえない次男だが、会ってみたら違う印象を持つかもしれないと、家まで行ってみることにした。
「・・・クズだ」
家まで行って、5秒で撃沈した。
なぜなら、家の前まで行っただけなのに、息子の子供に見つかって、警察を呼ぶと騒がれてしまったからだ。
面倒臭い奴だと思いつつ、一旦は影に隠れて様子を窺う。
すると、倫子のことなどまるで忘れたかのような生活ぶりに、ほとほと呆れてしまう。
倫子のものも、倫子の旦那のものも、病気で亡くなった長男のものも、全てを綺麗さっぱり棄ててしまった家には、次男夫婦の物だけが揃っている。
家の塀なども色を上から塗っており、庭にあった倫子の花壇も、全て全て全て、無くなっている。
「救いようがねえよ」
ボソッと呟くと、急にもさもさとした何かが背後で動いた。
バッと勢いよく振り向くと、そこには大人しく公園で待っていろと言ったはずのミソギがいた。
「なんで着いてきた」
「功ちゃん最近ぽくのこと置いていくんだもん。寂しいよ」
「わかったわかった」
ぐりぐりと頭を功典の腰あたりに当てて、何かを訴えているミソギに、功典は頭を押さえて抵抗する。
「母親の金で贅沢三昧ってか。こういう奴ぁ、大嫌いなんだがな」
「ぽくも。ああいう人が、可愛いってだけでペットを飼って、勝手な理由で棄てるんだもん」
「飼われたペットも憐れだな」
見ているのも嫌になるほどだったが、帰ろうとしたとき、次男に見つかってしまった。
「おいあんた、さっきからずっとうちのこと見てるけど、どこのどいつだ?」
「・・・答える必要はない」
「警察呼ぶぜ」
「勝手に呼べよ。何もしてねぇし」
「ムカつくな、お前」
「お互いにな」
いきなり険悪ムードになるが、功典はため息を吐いて後ろを向く。
するといきなり、次男が功典に向かって殴りかかってきた。
腕に覚えがあるのかは知らないが、背中を向けた相手にいきなり殴りかかるとは、男として最低としか言いようがない。
ひょいっと避けると、次男は功典を挑発するかのようにニヤッと笑う。
「なんだよ、かかってこいよ。それとも怖いのか?」
「・・・・・・」
本当に一発殴ってやろうかと思った功典だが、そんな考えが浮かんだのはほんの一瞬のことで、ただ呆れた。
やる気のない功典の目つきに、次男は舌打ちをする。
そして勝手に喧嘩を売ってきた。
もちろん、買わないが。
「おいおい、逃げるなよ。安心しな。俺は少しボクシングを習ってただけだからよ」
「・・・断る」
「ああ?とんだ臆病もんだな?」
「あんたと同じレベルの人間になりたくないから」
「ああ!?」
功典の方に近づいてくると、次男は功典の胸倉を掴みあげた。
とはいえ、功典の方が背が高かったため、見下ろしているのは功典の方だが。
となりではミソギが次男に噛みついたり爪で何か攻撃をしているようだが、そんなもの物理的攻撃にはならない。
功典は次男を見てまたため息を吐いた。
「じゃあ分かった。殴れよ」
「あ?」
「俺の負けで良いよ。てか、同じ土俵に上がりたくねえし」
「てめぇ」
右手を思い切り引いて、功典を殴る準備をする次男に、さらに続ける。
「あんたの親の顔が見てみたいよ」
「俺の親は2人とももう死んでるよ。2人してくだらねえ親だったよ。親父は平凡なサラリーマンで、肺を患って死んだ。おふくろは仕事なんかしたことないお嬢様育ちで、兄貴と親父が死んでからはずっと、呆けたみたいになってたよ。とにかく、碌な親じゃなかった」
「・・・それでも、あんたを産んだ母親だろ」
「だから何だ?俺は親父もおふくろも恥ずかしくてしょうがなかった。だから死んでくれて嬉しいよ。せいせいしてる」
「あんたやっぱり、どうしようもないクズだな」
「!!この野郎!!」
「いて・・・」
「功ちゃん我慢できたねー。偉い偉い。良い子良い子してあげるー」
「しなくていい。それにしても、親が死んで嬉しいなんて、まともな精神とは思えねえよ」
「うちの子が、本当にすみません」
「悪いのはあなたじゃありません」
「ですが、私の子ですから」
「・・・・・・」
酷い言われようだというのに、親とはこういうものか。
育て方を間違えた、とは思えない。
子供のような反発心が、大人になっても拭いきれていないだけのようにも見える。
「お墓でも見てきますか」
「お墓、ないのよ」
「え?」
倫子の旦那が亡くなったとき、お墓は作ったのだが、倫子が亡くなったとき、次男が火葬だけで済ませて、墓の方も取っ払ってしまったという。
そこまでするとは、もう言葉がない。
御影石を使っていたため、表面を削って再利用するらしい。
「じゃあ、ちょっと、散歩でもしますか」
「お散歩大好きー!!!」
「お前の散歩じゃねえぞ」
えー、と文句を言いながらもミソギも連れて行く。
丁度、倫子が交通事故で亡くなった場所を通りかかると、そこに少年と、少年の母親と思われる女性がいた。
花束を道路の端に置くと、少年は小さな手をちゃんと合わせている。
「あの、もしかして、ここで亡くなったかたの・・・」
「ええ、この子が助けていただいたんです。でも女性の方が亡くなってしまって。本当に、感謝しているんです」
「おばあちゃん、遠くに行っちゃったんだって。だから、お花あげてるの」
「そう。綺麗なお花だね」
「実は、御礼をと思って住所を聞いて行ってみたんですけど、家には入れてもらえないし、お墓もないって言われてしまって」
「だからね!僕がお墓を作ったの!」
「お墓を作った?」
うん!と元気に返事をする少年が、母親にお墓まで行こうと言ったため、同行させてもらうことにした。
「ここは」
「私の両親のお墓があるお寺なんです。ここの住職さんに事情を説明したら、こんな素敵なものを用意してくださって」
風が、吹いた。
それは冷たくも温かくもない、ただ身体に沁みる風だった。
墓が並ぶそこのとある一角に、墓と呼ぶにはあまりにも小さな石があった。
しかしそこには倫子の名前が彫られており、両脇には花、そして水も供えられていた。
用意された石は、少年が倫子のために選んだものだそうで、月命日にはもちろん、それ以外の日にもちょくちょくここへ来ているそうだ。
「ありがとう、おばあちゃん!」
「この子の不注意で、申し訳ありません。助けてくださって、本当にありがとうございます」
「おばあちゃん、また来るね!」
功典たちにお辞儀をして、2人は帰っていった。
ふと、横にいた倫子がしゃがんでしまったため、功典も同じように両膝を曲げて倫子の顔を覗き込むようにしゃがんだ。
両手で顔を覆い隠している倫子の肩は、小さく震えていた。
それを見て、功典は視線を墓へと戻す。
「あなたが助けた命は、あなたのことを決して忘れませんよ」
ありがとう、ありがとう、と倫子は何度も何度も御礼を言っていた。
きっとそれは功典に向けられたものではなく、先程の少年へ向けたものだろう。
「立派なお墓ですね」
そう言うと、倫子はただ、何度も何度も頷いた。
倫子の身体がだんだんと消えて行くのを見て、功典は倫子が成仏するのだと分かった。
きっと倫子がこの世に留まってしまっていたのは、息子達を心配したからということもあるが、自分が生きてきたことへの証だったのかもしれない。
その場に功典とミソギだけになると、さて、自分たちも帰ろうかと踵を返す。
「!!」
振り返るとそこには、嶽蘭が立っていた。
しばらく黙ったまま、2人は互いを睨むわけでもなく、かと言って微笑むこともなく、時間だけが過ぎた。
先に口を開いたのは、嶽蘭だった。
「オレの運命を変えられる人間などいないはずだ。それなのに、こうも何度も運命を変えられては困る」
「俺に言われても。俺だってあんだけ死にかけて、今生きてるのが不思議なくらいだ」
「なら、ここでオレが直々に殺してやろうか」
「なに、神様ってのは、人間に直接手が下せるのかい。初耳だね」
「オレは運命を担う神だ」
すると、功典周りにだけ雨粒が生まれ、それが大きな粒となって功典の顔にすっぽりと収まった。
「!!!」
急に息が出来なくなってしまった功典は、ただもがくことしか出来ない。
「功ちゃん!!」
ミソギが功典を助けようと、水を引っかいたり飲もうと試みるが、物体がないように、それはびくともしない。
こんな風に息を止めるなんて、小さい頃に川遊びをしたとき以来ではないか。
苦しい思いをするならいっそのこと、このまま死んだ方が楽なのか。
すうっと目を閉じた。
意識が無くなったような気がした。
だが息苦しさがなくなって、呼吸も出来る感覚が戻ってきた。
「あれ?」
「功ちゃん!!生きてた!!」
ミソギが助けてくれたのだろうかと思ったが、どうやら違うらしい。
水に濡れたはずの髪の毛も濡れておらず、ただ鼓動が波打つだけ。
「曇旺、なんでお前が」
「おう、起きたか。てっきり逝っちまったかと思った」
煙草を吹かしながら、なんとも余裕そうに言う曇旺は、目の前にいる嶽蘭を見てニヒルに笑う。
一方、嶽蘭の方は曇旺を見て怪訝そうな表情を浮かべている。
「曇旺・・・?聞いたことないな」
「俺が自分でつけた名だからな。けど、俺はお前さんのこと知ってるぜ、嶽蘭よぉ」
功典たちと嶽蘭の間に立っている曇旺は、首を少し曲げて指先で首をかいている。
「自分でつけただと?」
「色んなことしてたらよぉ、そろそろ和風ッぽい名前もいいじゃねえかって思ってよ」
「ふざけてるのか」
嶽蘭の言葉にも、曇旺はケラケラ笑いながら、煙草の煙を吐く。
そして短くなった煙草を嶽蘭に向かって投げると、嶽蘭はそれをぐしゃっと潰して燃やして消した。
「俺の昔の名を教えてやろうか」
「偉そうに言うな」
「ある時は“アレス”、ある時は“エレボス”またある時は“クロノス”ってとこか?」
「!!!」
嶽蘭の目が、見開かれた。
一体何なんだろうと、わけの分からない功典は会話に参加することが出来ない。
「ま、そういうこった。わかったらとっとと消えな。まだまだこいつにはやってもらわねえといけねぇことがあるんだ」
「・・・なぜその男に固執する?」
「ある男に、頼まれちまってよ。断り切れずに約束しちまったんだ」
「どういうことだ?」
「お前に話す筋合いはねぇよ。おら、さっさと行かねえと、次の時間までに間に合わなくなっちまうぜ?」
「・・・・・・」
何の時間のことかもさっぱり分からないが、嶽蘭は一歩後ろに下がったかと思うと、曇旺を最後の一睨みする。
「間波奈功典」
「へ?」
「お前を必ず迎えに来る。その時までに、運命を受け入れておけ」
風と共に去って行った嶽蘭に、功典は首を傾げる。
一体何の話だったのかと聞くと、曇旺は煙草を吸い始めてしまった。
「二十年以上前、火事に巻き込まれたろ」
「え?ああ、うん。そんなこともあった」
「あんとき、お前は死ぬはずだった。だが、そうならなかった。なんでか覚えてるか?」
「聞いた話しだと、誰かが俺を助けてくれたって・・・」
「そうだ。お前を助けて死んだ男に、俺ぁ頼まれただけなんだよ」
「何を?」
「そりゃ・・・」
「功ちゃん!ぽく、お腹空いたよ!何か食べようよ!!」
急にミソギが身体を乗りだしてきて、功典はそういえばもうすっかり暗くなってきていたのだと分かる。
詳しいことも聞きたかったが、曇旺は今日はここまで、と言って去って行ってしまったため、それ以上を聞くことは出来なかった。
「ミソギ、そんな走るなって」
「だってだってー!!今日はぽくの大好きなグラタンなんだもん!!」
「冷凍だけどな」
「いいのー。チンってするとねー、あったかいのー。あちゅあちゅって食べるのがねー、美味しいのー」
「はいはいわかったよ」
暗くなった空にも、幾つのも星が見える。
少し肌寒さを覚える中、功典はまったく寒そうにしていないミソギを見て、毛皮が欲しいな、と思うのであった。
「功ちゃん!早く早く!!」
「はいはい、レンジもグラタンも逃げねえから」
「早くーーー!!!!」
「どんな距離から叫んでんだよ」
気付くと、50メートル以上も先にいるミソギが、大きな声を出して呼んでいたため、功典は元気っていいな、と思うのだ。
帰ってすぐにチンをしたグラタンを食べて、ミソギが早速火傷をしたのは、言うまでもない。
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