第4話雑草
朝ぼらけ
雑草
まだまだ自分の何分の一も知っちゃあいない。・・・だから生きることにせっかちなのさ。
ジェームズ・ディーン
第四朝【雑草】
「何が愉しんだかな」
「何がー?」
「ん?こいつらよ」
功典が指差したテレビの中には、自分よりも年上の人達を襲って金を取りあげるという、なんとも卑劣というか、暇だな、と思う様な事件が取り上げられていた。
襲われた人には何の非もないだろうし、そんなことをして金を稼ごうとする若者も若者だ。
「生き辛い世の中だもん。しょうがないよ」
「お前、どこでそんな言葉覚えてきたんだ。てか、俺の部屋で俺の金で生活してるくせによく言うな」
「犬だって大変だったんだよ。着たくもない服を着せられたり、暑い中散歩させられたり、それに大きくなると棄てちゃう人だって多いでしょ?売られる時だって、なんか切ない気持になるし、野良犬になって捕まっちゃうと、殺処分でしょ?酷いよ。ぽくたちだって必死で生きてるのにさ。人間の何が偉いのさ」
「何も偉くはねぇけど、一番つまらねぇ生き物だからな。食物連鎖の底辺だって知ればいいんだよ、俺たちなんか」
「功ちゃんはぽくたちの味方だもんね。ぽく、功ちゃん大好きだもん」
「はいはい」
今日は天気も良いし、ミソギでも連れて公園を走らせてやるかと思い、水を持って公園まで向かった。
すでに公園には先客が何人もいて、小さな子供を連れた母親だらけだった。
丁度良い日陰のベンチは取られてしまっているため、少し離れた木陰に両膝を曲げたスタイルでミソギを見守る。
「暑いですね」
「んー」
「あの坊やはあなたのお知り合いですか?」
「ええ、まあ」
「犬みたいに走る子ですね」
「まあ、もともと犬なんで・・・え?」
ふと、隣を見上げてみると、そこには知らない男が立っていた。
思わず功典は目を丸くし、立ち上がる。
「び、吃驚した・・・。あんた、ミソギのこと見えるのか?」
「ええ、私、死んでますからね」
「ああ、そういうこと」
80過ぎくらいに見える、眼鏡をかけた至って真面目そうな男。
名前は七碕大五郎というようだ。
1人で買い物の帰り、若者たちに暴力を振るわれ亡くなったそうだ。
実に理不尽な理由に、功典はその若者たちを恨んで世に留まっているのかと聞けば、そうでもないようだ。
「私も分からないのです。なぜこの世にまだいるのか。あの若者たちを恨んでも仕方ないことです。きっとあの若者たちの両親が愛情を注いであげられなかった結果なのでしょう」
柔らかく微笑む大五郎に、功典は何か尋ねてみようとしたその時、公園にいた母親がなにか叫んでいた。
何だろうと思っていると、大きな音が近づいてきて、功典たちの近くに襲いかかってきた。
「・・・!」
それは、近くのビルの上にあったクレーン車のようで、風によって動くようなものではないはずなのに、それが落ちてきたのだ。
単にバランスを崩しただけのようにも思えないが、功典の心臓はドクドクと波打つ。
「危ないですね。事故でもあったら大変だ」
「え、ええ。本当に・・・」
大五郎の家がすぐ傍にあるというので、ミソギを連れて向かう事にした。
「ここが私の家です」
今風の建物の家は、大五郎の息子夫婦が建ててくれたもののようだ。
庭には家庭菜園もあり、綺麗な花もあった。
「ここで妻と2人暮らしをしていました。私がこんなことになって、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。最期まで妻と共にいると約束したのに」
大五郎の家から出てきた女性は、庭に向かうとそこに実をつけていたプチトマトを収穫し、また家へと入っていった。
大五郎よりも少し若そうだが、それでも70は過ぎているだろう。
周りの家には近い歳の人はいないようで、皆若い夫婦ばかりだとか。
なぜこんなところに建てたかと言うと、大五郎の息子夫婦がこの近くに家を建てたようで、何かあってもすぐに駆けつけられるようにと、この場所にしたようだ。
妻にも恵まれ、息子にも息子の嫁にも恵まれ、孫にも恵まれ、とてもよい人生だったと大五郎は言っていた。
「もっと孫と遊びたかったですね。いつか毛嫌いされるんでしょうけど、それまでは懐いていて欲しかったです」
「あの、よろしかったら、明日もお話を聞かせていただけますか?」
「ええ、もちろんです」
何を未練に思っているのか全く分からないまま、功典は一度部屋へと帰ろうとする。
しかしその時、キキーッ、と強いブレーキ音が聞こえてきたかと思うと、後ろから車が突っ込んできた。
スレスレでミソギを引っ張りながら避けると、車は街路樹にぶつかって煙を出していた。
「・・・っ」
運転手を車から救出しようと向かえば、運転手は自分から出てきて、ハンドルが効かなくなったのだと慌てながら説明していた。
ふと寒気を覚え辺りを見渡すと、人だかりの中に、嶽蘭がこちらを凝視しているのが見えた。
「功ちゃん大丈夫?」
「あ、あの、お怪我はありませんか!?」
「大丈夫、です・・・」
ミソギの声と運転手の声が重なり、功典はとりあえず運転手の方に返事をする。
何が何でも自分を殺す気なんだと、功典はゴクリと唾を飲み込む。
警察にも事故の様子を簡単に説明をして、功典は部屋に戻ろうとすると、功典が住んでいるアパートの一室から火が出ていた。
煙草の火が火災の原因ではないかと言われているが、その部屋の住人は煙草など吸わないと否定しており、幸い、その小火程度で他の部屋にも被害は無かったため、功典は野宿をせずに済んだ。
「功ちゃんのお部屋、無事で良かったねー。燃えてたらぽくも一緒にお外でねんねしてたねー」
なんて呑気なことをミソギは言っていたが、功典は「ああ」と適当な返事を返すだけだった。
その日の夜は眠ることも出来ず、ただ目の前にあるいつもの殺風景な天井を見つめているだけで終わった。
翌日、また同じ公園に行って大五郎に会うと、また大五郎の家へと連れて行ってもらう。
そして大五郎の妻の様子をずっと見ていると、そこへ大五郎の息子たちもやってきて、妻を連れて孫と一緒に買い物へと向かうようだ。
「俺なりに、考えてみました。どうしてあなたがまだここにいるのか」
「何か、見つかりましたか」
「はい」
そう言うと、功典は大五郎に笑ってみせる。
「きっとあなたは、奥さんのことを愛しているんですね。だからこそ、残してきてしまったことを、悔やんでいる」
「・・・妻を残してきたこと」
「一生を添い遂げると約束して、その約束を果たせなかった自分。誰に何をされたとか、そういうことではなく、自分が愛したその人に、何も言わぬまま逝ってしまった自分。『行ってきます』と言って出かけたまま『ただいま』と言わずに最期を迎えてしまった。それがあなたの、未練なんだと思います」
功典の言葉に、大五郎は一歩、前に進んで。
「そうかも、しれませんね」
結婚してからずっと、退職をしても、その言葉を欠かしたことはなかった。
定年するまでも、定年してからも、毎日を同じように繰り返してきた幸せが、急に訪れなくなってしまった。
大五郎は丸まっている背中を少しだけ伸ばし、空を仰ぐ。
「私らの頃の結婚は、今のように、お互いが好きだから結婚するなんてものではなかった。きっと妻も、他に好いていた男がいたかもしれない。だからこそ、幸せにしてあげなければと思っていた」
仕事も一生懸命して、妻のご飯には毎日御礼を言って、休みの日には出来るだけ一緒に過ごして。
子供が出来てからも、子育てを手伝わねばと思ってはいたものの、なかなかそうはいかなかった。
おむつを替えることがどれだけ大変か、夜泣きする子供をあやして疲れている妻を、助けてやることも出来ず、変わってやるから寝ていろ、と言えるほどあやしが上手いわけでもなかった。
それでも大五郎を怒ることもなく、責めることもなく、毎日お仕事ご苦労様ですと労いの言葉をかけてくれた。
「子供の成長というのは、本当に早いもので、気付いた時にはハイハイをしていて、気付いたときには立っていて、気付いたときにはもう大人になっているんです」
「毎日の成長が、大きいですからね」
「ええ。写真もあまり撮ってやれなかった。小さい頃に描いてくれた似顔絵、今でもとってあるなんて言ったらきっと、笑われてしまうんでしょうね」
「棄てられませんよね、大切な思い出ですから」
大五郎自身は、自分が子供に何かしてやれたとは思っていないようだが、生前、妻から聞いたことがある。
それは、息子は大五郎のことを立派な父親だと思っている、ということだった。
小さい頃は、多少、もう少し一緒に遊んでほしいとか、仕事ばっかりな父親だ、と不満なこともあったようだが、大人になるにつれて、その考えは変わって行った。
大五郎は一家の大黒柱として、家族を守る為に必死になって働いてくれた。
時には辞めたいと思ったこともあるだろうが、それでも汗水たらしながら、頭をさげて、自分が泥水を飲んでも家族だけはと、1つの仕事に一生を捧げてきた。
その大五郎の背中を見た息子は、自分もこうでなければいけないと思っているようだ。
「今は男も育児休暇を取れるようですが、私らの頃はそんなものもなかった」
「家族を守ってきたあなたの姿は、奥さんも息子さんもわかってるんでしょうね」
「感謝しなければね。こんな私には、あまりにも恵まれた妻と息子だった」
残してきてしまったことは心残りだが、今こうして息子がちょくちょく妻に会いに来てくれていて、孫とも遊んで、幸せそうに微笑んでいる。
だが、独りになって大五郎の仏壇の前にくると、時折泣くのだ。
そんな妻の姿を見ているからこそ、大五郎は成仏するにも出来なかったのだろう。
「あなたの奥さんです。きっと、あなたのために、強く生きてくれますよ」
寂しいのは、突然寄りそってきた人を失ってしまった妻も同じだ。
もしかしたら、妻の方が心残りが多くあるのかもしれない。
天秤でどちらの悲しみが深いかなど測ることは出来ないが、今でもお互いを想い続けているのは同じだ。
ふと、大五郎の家のドアが開いて、中からは買い物にでも行くのだろうか、妻が鞄を持って出てきた。
「あら」
「こんにちは」
功典と目が合うと、にこりと微笑んできた。
「あなた、昨日もいたわね。何か御用?」
「いえ、用というほどでは・・・。あの、御主人にお世話になったことがありまして」
功典は、妻には見えない大五郎と共に買い物に付きそうことにした。
近所のスーパーまでは歩いて15分程度だが、それでも荷物を持って歩くには大変な距離ではないか。
簡単に買い物を済ませると、お昼御飯を食べていかないかと言われ、一度は断ったが、結局食べていくことにした。
「質素なご飯で申し訳ないわね」
「いいえ、そんなこと。いただきます」
出されたものは、ご飯とみそ汁、それに漬物と生姜焼きだった。
「ん、美味しい」
「良かったわ」
大五郎は、自分の仏壇の前に行くと、そこでじーっとしている。
自分の写真や、息子と孫が描いてくれた絵、大五郎が好きなおにぎりに、おかずとして生姜焼きが置いてある。
それから好きだった甘いチョコレートも。
「主人がね、好きだったのよ、生姜焼き。あの人が帰ってくるような気がして、作っちゃうの。ダメよね」
「帰ってきてるかもしれませんね。この大好きな匂いにつられて」
「ふふ、そうだと良いんだけど」
「御主人、あなたが自分のこと、好きでもないのに結婚してしまって、幸せにしてあげないとと言ってましたよ」
生前言っていたような口ぶりで妻に言うと、妻は口元を押さえてクスクス笑う。
「いやね、あの人ったら。私、あの人と結婚出来て、幸せだったのよ?」
確かに、時代の背景として、恋愛結婚が主流ではなかったが、大五郎の誠実さ、真面目さ、謙虚さ、優しさは、充分すぎるものだった。
自分を大切にしてくれていたのも分かっているし、子供が出来たときだって、仕事が終わってすぐに駆けつけてきてくれた。
「どんなに疲れていても、私や子供のことを気遣ってくれる人でね、むしろ、私の方が、あの人のことを幸せにしてあげられたのか分からなくて。もっと色々話せば良かったって思ってるの」
感じていることは同じなのだと、食事をしている場所にきた大五郎は思った。
決して妻は姿を見ることは出来ないし、決して話すことも、触れることも出来ない。
それでも、伝えたい事がある。
「ありがとう」
「え?」
「ありがとうと、言っている気がします」
「・・・・・・」
「どうかしましたか?」
何も言わなくなってしまった妻に、功典は首を傾げて聞く。
妻は少しだけ驚いたような顔をしていたが、すぐにまた笑った。
「ごめんなさいね。なんだか、あの人の声が聞こえたような気がしたから。気のせいよね」
歳を取るとこれだから嫌だわ、なんて言っていたが、功典は隣にいる大五郎の方をちらっと見てみる。
大五郎は眼鏡をずらして涙を拭いており、それは見てはいけないような気がして、しばらく目を逸らしていた。
「御馳走様でした」
「いいえ、大したお構いも出来なくて」
「失礼しました」
妻に背を向けて帰ろうとした功典に、妻が声をかける。
「ねえ、あなた」
「はい?」
「私からも、ありがとうって、伝えておいてくれるかしら?」
「・・・・・・はい、もちろんです」
大五郎の家から離れた公園に到着する頃、隣にいる大五郎の姿はほとんど消えていた。
「ありがとう、ありがとう」
そう言いながら功典に頭を下げながら、大五郎は完全に見えなくなってしまった。
「功ちゃん!!!!!どこに行ってたのおおお!?ぽく、ひとりになってとっても悲しかったの!!起きたら功ちゃんいないんだもん!!驚いて、もう一眠りしちゃったの!!」
「充分な睡眠が取れて何よりだな」
部屋に帰った途端、ミソギがジャンプで功典に抱きついてきた。
そういえば置いて行ったんだなと冷静に思って何気なしに部屋を見渡すと、そこにはありとあらゆる物が散乱していた。
「・・・・・・」
「功ちゃん?」
「ミソギ、5分で片づけろ」
「へ?」
「じゃねえと、今日から外で飼うぞ」
「功ちゃん!!!!鬼だ!!!」
「早くしろ。もう10秒は過ぎたぞ」
ミソギが外に出されることになるのは、それからすぐのことなのは、言うまでもない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます