第3話絶望の飴






朝ぼらけ

絶望の飴



 他者を知ることは知恵。自分を知ることは悟り。


             老子




































 第三朝【絶望の飴】




























 「片丘千晃、29歳で死亡、か」


 ミソギを連れてコロッケを買いに行ったのは、ついさっきのこと。


 すでに20代のものとは程遠い功典の胃は、20代に入ったばかりの頃とは違い、だんだんと油ものが苦手になっていた。


 だからといって、全く食べていなかったかと問われると、そういうわけでもない。


 時には油の乗った肉を食べたくなるため、そう言う時には口にしていたが、しょっちゅう、ましてや毎日は難しくなってきた。


 野菜を取るようになったここ最近は、歳をとったものだと思う様になっていた。


 矢先、ミソギが精肉店に並んでいる美味しそうな揚げたてのコロッケを見つけ、精肉店の前から動こうとしなかったため、次回買いに来ようと約束してしまったのだ。


 その約束が果たされた先程、帰り道で1人の女性を見つけた。


 普通の人とは違った印象の女性を見て、一度は素通りをしようとした功典だが、女性がお腹を摩りながら寂しそうな顔をしているのを見て、そうはいかなくなった。


 人通りの少なくなった時を狙い、声をかければ、女性は驚いた表情で功典を見た。


 ここでは何だと、功典の部屋まで連れて行くことにした。


 初めて会った女性を部屋に連れて行くとはどういうことだと思ったかもしれないが、相手は幽霊であって、それに今日は珍しく気温も低くて外は寒いため、公園というのも功典にとっては辛いのだ。


 帰るとすぐにミソギはコロッケが食べたいとねだってきたため、一旦は話しを聞くから我慢するように言ったのだが、わんわんと騒ぎだしてしまった。


 女性は構わないと言ってくれたため、ミソギだけ先にコロッケを頬張っている。


 「名前は?歳は幾つ?」


 「片丘、千晃です。歳は、29でした」


 そして、冒頭に至る。


 「なんで亡くなったとか、覚えてる?」


 「それが、思い出せないんです」


 自分がどうして死んだのか、その時の記憶が無くなってしまう人がいるらしい。


 それは曇旺から聞いたことなのだが、理由としては“精神的な理由”のようだが、よく分からない。


 最初に出会った外村朔は、ちゃんと自分が自殺したことを覚えていた。


 それはもしかして、自殺という、自分が死ぬという事実を受け入れていたからなのだろうか。


 「でも、何か、大切なものを失ってしまったような気がするんです」


 「大切なもの・・・」


 功典は腕を組み、どうしたもんかと考える。


 千晃はずっと、自分のお腹を摩っているのを見て、功典は1つの仮設をたてる。


 「もしかして、妊娠してたとか」


 「妊娠・・・?」


 「まあそれも踏まえ、ちょっと調べてみるか。よし、ミソギ、コロッケ食い終ったか」


 「終わったよー。とってもねー、美味しかったの。ほくほくしててねー、ぽく大好きなのー。頬っぺたがねー、落ちちゃう」


 「なら、犬の本領見せてもらおうか」


 「食後のお昼寝?」


 「んなわけねぇだろ。お前、他の犬に謝れ」


 功典はミソギに千晃の匂いを嗅がせると、まずは千晃の住んでいた場所を探そうとする。


 すでに人間の姿になってしまっているミソギだが、普通の人間よりは多少、犬としての嗅覚は持ち合わせているため、こういう時は頼りになる。


 クンクンと千晃の匂いを嗅ぎ終えると、功典はミソギを先頭にして、千晃も連れて外へと出る。








 まずは今日辿ってきた道のりに戻り、それから道をひたすらに歩き続ける。


 「結構な距離だな」


 ゆっくりのペースで歩いたとは言え、かれこれ1時間以上は歩いただろうか。


 閑静な住宅街を抜けると、そこから先はアパートやマンションが多く立ち並んでいた。


 「あ、待てミソギ」


 とあるマンションに入ろうとしたミソギの首根っこを掴み、それ以上は入ると通報されそうなため、一旦は止める。


 マンションの中での大きめの建物で、家賃は幾らするんだろうとか、誰がこんなところに住むんだろうとか、色々思考が巡る。


 「このマンションに見覚えは・・・」


 「すみません」


 何も思い出せないことを申し訳なさそうに言う千晃。


 それでも、ミソギの嗅覚が、千晃は生前、ここにいたことは確かだ。


 千晃の職業は何だったのか、こんな立派なマンションに住めるほどの給料をもらっていたのか。


 顎に手を当ててマンションを眺めていると、そこに1人の男性がやってきて、部屋の鍵も使わず、掌紋と声紋を使って部屋に入って行き、オートロック式の鍵が閉まり中へと入って行った。


 さすがこういうマンションは違うな、と思って見ていると、隣にいる千晃が口を少し開いていた。


 「あの人・・・」


 「知ってる人?」


 「どこかで会ったような気が」


 とにかく、今日は寒いし暗くなってきたからと、功典たちは一度帰ることにした。


 部屋に戻って温かい飲み物を飲んでいると、千晃が何か思い出したように口を開く。


 「そういえば」


 ミソギが功典のコロッケを食べようとしたが、さっき食べただろうと言ってささみを茹でたものを出すと、唇を尖らせていた。


 そんなミソギを見てみぬふりをし、千晃に何か思い出したのかと聞く。


 「病院に、行っていたような気が」


 「病院?」


 「ええ、何処の病院かは分からないんですけど」


 「・・・・・・」


 その言葉に、功典はすぐ反応する。


 「産婦人科とかかもな。妊娠してたとなれば、定期的に通ってただろうし。よし、明日はそっちを調べてみるか。ミソギ、分かったか」


 「功ちゃんのバーカバーカ。ぽくのことを都合の良い犬だと思ってる!」


 「面倒くせぇな。ほら、ビーフジャーキーやるから」


 「わーい!功ちゃん大好き!ありがとう!」


 機嫌がよくなったミソギの頭を撫で、今日は終わった。








 翌日、ミソギにもう一度千晃の匂いを嗅がせて、今度は産婦人科を重点的に周り、千晃の匂いがするかどうかを調べた。


 どのくらい時間がかかるか分からなかったため、朝早めに出て始めた。


 「ここも匂わない」


 「そうか、じゃあ次は」


 「えー!!お腹空いたよーー!!ぽく疲れた。ちょっと休みたい」


 「あ?まだそんなに時間経ってねぇぞ」


 やだやだと駄々をこねるミソギに、やれやれと功典は小休止を取ることにした。


 自販機で水とコーヒーを買い、水はミソギに与えて自分はコーヒーのプルタブを開ける。


 一息ついていると、千晃が話しかけてきた。


 「すみません、何も分からなくて」


 「あんたが悪いわけじゃない。謝るな。それに、あんたが忘れてることを思い出さないと、多分成仏もしないんだろうし」


 「思い出そうとすると、頭もお腹も痛くなるんです。情けない話ですが・・・」


 飲み干したコーヒーをゴミ箱に捨てると、功典はミソギの柔らかそうで実際はそうでもない頬っぺたを抓りながら言う。


 「情けなくなんかねぇよ。情けねえのは、あんたみたいな人を救ってやれねぇこのご時世だ」


 行くぞ、とミソギに言うと、ミソギはまだ遊び足りないとすでに泥んこになりながら言うが、功典に強く言われてしょぼんと項垂れながらも足を進める。


 それからすぐ、とある産婦人科の前に来ると、ミソギは何度もくんくんと匂いを嗅いでいた。


 「功ちゃん功ちゃん!!匂いがするよ!!」


 まるでここ掘れワンワンのように発見をしたミソギ。


 そこはやはり産婦人科で、千晃は妊娠をしていたことがわかった。


 詳しいことは調べられないが、その情報だけでも大きな成果を言っていいだろう。


 妊娠以外にもう一つ、手掛かりはある。


 あのマンションに住んでいる例の男だ。


 千晃の脳裏に薄らと灯っているその影があの男なら、きっと千晃の妊娠に関わっているのもあの男だ。


 「もう一回あのマンションに行ってみるか」


 「功ちゃんぽくね、泥んこで遊びたいのよ。それに思いっきり走りたいの」


 「はいはい、また今度な」


 適当にミソギをあしらいながら、以前行ったマンションへと向かう。


 あの時の男性が来るのをただ待つ。


 どのくらい待ったか、スマホに表示されている時計で確認をしてみると、すでに5時間は経っていた。


 ミソギは道路に丸まって寝ている。


 「あ」


 その時、あの男性が帰ってきた。


 功典は男性の方へ近づいて行き、声をかけてみる。


 人見知りであまり人とは関わりたくない功典だが、以前よりも随分と積極的に話しかけられるようになったものだ。


 「あのすみません」


 「はい?」


 「片丘千晃さん、という女性をご存知ですか?」


 「千晃?前付き合ってましたけど、それが何か?」


 やはり知っていたのかと、功典は千晃の妊娠についても聞いてみることにした。


 「千晃さんが妊娠してたって、聞いてますか?」


 瞬間、男性の表情が一変する。


 優しい顔つきだったはずだが、功典のことを睨みつけるような、鋭い目つきに変わる。


 「あいつが何を言ったか知らないが、俺は関係ない。そもそも、あいつの腹の子供が俺の子だって証拠、何もないだろ?あんたの子かもしれない」


 こいつは何を言ってるんだろうと、自分と千晃はそういうことではないと説明しようとするが、すでに男性は聞く耳を持っていない。


 「なんだ、あいつ俺のことばっかり責めてたけど、自分だって他の男と遊んでたんじゃないか。なのに俺のこと馬鹿にしやがって。こんな高級なマンションに、一時でも住まわせてやって、感謝してほしいくらいだよ」


 「あの」


 「あいつ、病院運ばれたってきいたけど、死んだんじゃなかったのか?運よく生き伸びちまったか?産んだら認知してくれとか、結婚してほしいとか、重いんだよな。俺はまだ遊びたいってのに」


 「・・・・・・」


 「ごめんねー、遅くなっちゃった。・・・知り合い?」


 男性の腕をぎゅっと掴んで、1人の女性が現れた。


 千晃とは別の印象、というより真逆の印象を持っているその女性に、男性は功典に向けていた顔を変えて笑みを作る。


 「なんでもないよ。行こう」


 もう話は終わったよな、と強制的に視線で訴えられたような気もするが、そんなことよりも、功典は身体が動いていた。


 男性の肩を掴んでこちらを向かせると、自分の額を思いっきり男性の額にぶつけた。


 いわゆる頭突きをすると、男性は足元をふらつかせながらもなんとか踏みとどまり、功典を睨みつけてきた。


 「何しやがる・・・!!」


 「・・・クズだな、お前」


 「なんだと!?」


 「きゃー!!ちょっと、大丈夫!?」


 女性が男性の額を見て何か騒いでいるが、そこを気にしている程暇ではない。


 男性も功典を睨んでいたが、そのうち、表情は怯えへと変わる。


 ミソギたちには決して見せないだろう冷めた目つきで男性を見ている功典には、きっと今何の感情もない。


 「お前の生き方をどうこう言う心算はねぇが、男として腹括れねえなら、二度と種蒔けねえようにしてやろうか」


 「・・・!!い、行こう」


 逃げるようにそそくさとマンションに入って行く男の背中を見届けると、功典は寝ているミソギを起こす。


 まだ眠そうに瞼を摩っているミソギに手を伸ばし、千晃の方を見ないのは、きっと千晃の目から大粒の涙が溢れているからだ。


 崩れるようにその場にへたり込んでしまった千晃は、自分の顔を覆うようにして両手で隠している。


 「思い出した・・・」


 か弱く、振り絞ったような震える声に、ただ耳を傾けることしか出来ない。


 その後、なんとか話せる状態になった千晃から聞いた話によると、千晃とあの男は付き合っており、ある日妊娠が分かった。


 男は仕事で忙しかったため、妊娠を告げるタイミングは少し後になってしまったらしい。


 子供が出来た、産みたい、と言えば、男はそれまでの優しい穏やかな顔を変えて、まるで汚いものを見るかのような顔つきで、こう言ってきた。


 「堕ろせ」


 孕ませたのが自分であるにも関わらず、男は躊躇なく堕ろすように言ってきたのだ。


 千晃は妊娠しにくい身体であって、ようやく出来た赤ちゃんをとても喜んでいた。


 これでようやく母親になれると思っていたところに、男からの冷たい一言は、あまりにもショックなことだった。


 結婚などそもそもする気がなく、認知もしたくない、養育費も一切払わない。


 それなら1人で産んで1人で育てると言ったのだが、どうやら男には当時から数人の女性と交際があり、その他の女性に子供が出来たという事実を知られたくなかった。


 だが、千晃のお腹は日に日に大きくなっていく。


 そこで、男は非道な真似に出る。


 「止めて!お願い!止めて!!!」


 泣き叫ぶ千晃、その千晃の上にのしかかり、暴力を振るわれるようになった。


 しかも、お腹を重点的に。


 結果として、千晃は病院に運ばれ、お腹の子供と共に亡くなってしまった。


 男は千晃が病院に運ばれたことは知っていたようだが、亡くなったというのは、千晃が会いに来なくなったことと、連絡が取れなくなったことから、そう思ったようだ。


 まだ啜り泣いている千晃に、功典は何を言えば良いのか分からない。


 「俺は男だから、あんたの気持を全部知ることは出来ない。けど、あんただって、あんな男のために泣くよりも、自分の子供のために泣いてやった方がいいんじゃないのか」


 千晃の涙は一度止まり、それから今度は別の涙が出てきた。


 「私がこの世に残っていたのはきっと、この子のために何も出来なかった自分を恨んでいたから・・・」


 「子供があんたを恨んじゃいねぇさ。自分のために必死でその命を懸けて守ろうとしてくれたんだ」


 「ふふ、ありがとう。いつまでもここにいちゃダメね。早く私も一緒に逝ってあげないと」


 薄く消えて行く千晃を見送ると、背後にいきなり男が現れる。


 「驚かせるなよ」


 「いやいや、良い仕事してたなーと思ってよ」


 「払うもん払ってもらわねえのに仕事とは言わねえぞ。ボランティアだ」


 「気をつけろよ」


 「は?」


 いきなりトーンを下げていう曇旺に、功典は怪訝そうな顔を向ける。


 「まだお前は狙われてるんだ。いつ死んだっておかしくねぇんだからな」


 「・・・・・・」


 功典の命を狙う影は、常に功典と共に動いているのだと、泥遊びをしているミソギを見ながら知らされた。




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