第2話弱き未来



朝ぼらけ

弱き未来



 我々はみな真理のために闘っている。だから孤独なのだ。寂しいのだ。しかし、だから強くなれるのだ。


             イプセン


































 第二朝 【弱き未来】




























 「ミソギ、邪魔」


 「えー、なんでなんで。もっと遊んでよー。ほら、こうしてお腹だしてるんだから撫で撫でしてよー」


 「お前今の自分の姿ちゃんと見ろ。その状態で俺が撫でてたら変態じゃねえか」


 「大丈夫だよ。ぽくしかいないから」


 「そういう問題じゃねえ」


 気持ちの良いある日、ミソギはごろごろと功典の周りを寝転がっており、触って触ってとお腹を出していた。


 普通の犬ならば触るところなのだが、こいつは、いや、ミソギは今人間の姿になっているため、触り心地が良いわけでもなんでもないのだ。


 ただ男が寝転がっているだけ。


 功典はため息を吐きながら外へ外出しようとしていると、ミソギはそれを感知し、玄関で待ちかまえていた。


 こうなると連れて行くしかなくなるため、面倒ではあるが散歩がてら連れて行くことにした。


 毎日毎日これの繰り返しだが、もう慣れた。


 今日も街を歩いていると、人混みの中、功典は何かに躓いた。


 なんだろうと思って足元を見てみると、そこには小さな子供がいた。


 迷子のようにも見えるが、きっと違うのだと分かったのは、その子供のことをみな見ていないからだ。


 見えていないのかもしれないが、これは嫌な予感がすると思いながらも、功典はその子を人混みから離れた場所へと連れて行こうとする。


 その時―


 「きゃあああああああ!!」


 「わああ!あぶねえ!!!」


 周りが急に騒がしくなったと思ったら、信号機がいきなり倒れてきて、功典の背中スレスレを通った。


 背筋が凍るとはこのことだろう。


 一瞬にして心臓の鼓動が速く波打ち、呼吸も止まっていたと思う。


 視線を感じてバッと周りを見渡すと、離れたビルの屋上に、あの嶽蘭がこちらを見ていた気がする。


 追いかけようとしたが、足元にいる子供を思い出し、再び顔をあげたときにはすでにそこには誰もいなくなっていた。








 「さてと、どうするか」


 「警察に届けよう!」


 「こいつが見えればな。それにしても、名前くらい言えねえのか?」


 「ゆーしねー、ママが良い」


 「・・・はあ」


 名前はゆうし、というようだが、なんの手がかりもない。


 このままにしてしまおうかと思っていると、それを察したのか、2人のもとへ曇旺がやってきた。


 「困ってるようだな」


 「ったりめぇだ」


 進展が全くないことを分かっていて、曇旺は楽しそうに功典とその子供のやりとりを見ていた。


 「ゆーしねー、ぴーしゃん好き。ママはダメってゆーの。1個ならいーの」


 「ダメだ。理解不能。ミソギ、お前なら話相手出来るかもしれねえ。知能が同じくらいだ」


 「ぽくはねー、功ちゃんの手料理よりも惣菜の春巻きが好きー。冷めてもねー、パリパリしてるのー。でも時々ふにゃってするの。悲しくなるの」


 「ゆーしもー。ぼーし、ほしい」


 「ぽくもね、散歩好きー」


 「・・・全く会話が成り立ってねえ」


 呆れている功典に対し、曇旺は楽しそうにケラケラと笑っている。


 ひーひーとお腹を抱えて泣きながら笑う曇旺は、煙草を一本口に咥えると、功典に向かって言う。


 「あー、面白ぇ。こいつを生んだ女の家の住所だ。あとはなんとかしろよ?」


 「・・・コレ先に渡せよ」


 忘れてたんだ、と明らかに嘘だろうという内容を平気で堂々と言った曇旺は、笑いながら去って行ってしまった。


 これを渡すだけならさっさと渡していけば良かったのに、と思いながら、住所の場所を調べ始める。


 駅で5駅ほど先の場所だと分かると、ミソギに子供の世話を任せ、功典は1人で住所の家へと向かう事にした。


 「えっと」


 目の前にある家は、アパートの一室だった。


 空き部屋も多く、お世辞にも綺麗とは言えない古そうなアパートの前で佇んでいると、近所の人だろうか、そこを通りかかったので声をかけてみることにした。


 「すみません、少々お尋ねしますが、このアパートで以前子供が亡くなった、なんてことありました?」


 功典の言葉に、その女性は目を見開き、周りをキョロキョロと見渡したあと、功典の腕を引っ張って電柱の方に向かって行った。


 そしてコソコソと小さな声で、アパートの方を見ながら話した。


 「実はね、2カ月くらい前なんだけど、生まれて3年の赤ちゃんを置いて、夫婦が泊まりに出かけたんですって。丁度その日は炎天下でね、エアコンも入れずに、食事も与えないで放置してたもんだから、帰ってきたときにはもう亡くなってたんですって」


 「それは、事故、ということですか?」


 女性は大きく首を横に振った。


 「違うわよ。産んだときから育児放棄してたのよ。それでもほら、赤ちゃんだからお腹空くと泣くでしょ?仕方なく母乳とかミルクはあげてたみたいなんだけど、離乳食になってからはあまりあげてないみたいで。あそこの奥さん、派手な格好で良く出かけるの見てたし、旦那さんも仕事やってんだか分からない人でね」


 「ちなみに、その赤ちゃんの名前とかって分かります?」


 「えっとね、確か名字は嵐刃さんで、奥さんが夕史って呼んでたから、嵐刃夕史くんじゃないかしら」


 「夕史・・・」


 名前も一致したことから、功典はあの子供の名と、どうして亡くなったかという経緯を知った。


 結婚や子供が出来てしまうと自由が減ってしまうからと、子供を嫌う大人たちが多くなっているようだが、それでも自分の子供を可愛いと思うのが人間だろう。


 きっと育児放棄されてもなお、母親を頼るしかないあの子供は、母親を探して今もなお彷徨っていたのだろう。


 すると、女性が「あ」と声を出して、功典にある1人の女性の方を指差した。


 「あの人よ。嵐刃さんの奥さん。今日も派手ねぇ。あんなに肌を見せて、全く。子供が死んでからも遊んでばっかりよ」


 最近の母親は、なんて女性の愚痴が長引きそうだったので、功典は適当にあしらいながらも礼を言って去って行く。


 鍵を回して部屋の中に入ろうとする女性に、功典は思い切って声をかけてみる。


 「失礼ですが、嵐刃さんですか?」


 「・・・ええ、そうだけど、誰?」


 「あの、夕史くんのことで、ちょっとお話聞けないかと思いまして」


 「今更なに!?あんた児童なんちゃらの人?それとも警察!?もういいじゃない!終わったことよ!」


 「終わったことって・・・。あなたのお子さんが亡くなったんですよ?わずか3歳で」


 「だから何?私が悪いって言いたいの!?私だってまだ19よ!?子供の世話ばっかりしてらんないわ!子供もお金かかるし、毎日毎日泣いてるし」


 イライラしているのか、女性は盛った髪の毛をいじりながら、功典を睨みつけ、足も小刻みに動かしている。


 せめて線香だけでも、と言っていたものの、いらないと言われてしまった。


 墓も作っていないし、葬式は誰も呼ばずに簡単に火葬だけ済ませたらしい。


 逃げるようにして部屋に入ろうとした女性に、功典は思わず反射的に身体を動かし、足でドアが閉まるのを塞いだ。


 「何よ!まだ何かあるの!?」


 「あの、なぜ夕史という名前を?」


 「はあ?」


 「いえ、何か意味というか、理由があってそう名付けたのかと思いまして」


 「意味なんて無いわよ!適当につけたんだから!名前なんてなんでもいいじゃない!」


 そう言うと、女性は勢いよくドアを閉めてしまった。


 ドアの前でただ無機質な扉を見ることしか出来ない功典は、アパートに背を向けて歩きだした。


 その途中、夕史と同じくらいの歳の子供が、母親と手を繋いで楽しそうに歩いているのを見た。


 「ママ、くっくある。お姫様のくっく」


 「前も可愛いの買ったじゃない。じーじとばーばに、キラキラのやつ買ってもらったでしょ?」


 「くっくーほしい」


 泣きそうになりながらも靴が欲しいとねだる子供に、母親は「今履いてるくっくが寂しくて泣いちゃう」と言うと、子供は唇をとがらせながらも、母親に手を引かれて歩いていった。


 確か母親に、欲しいものがあると恐竜のような泣き声を出された、と言われたことがある。


 自分にもそういう頃があったというのに、どうして笑って見ていられないのだろうか。


 五月蠅いと思っても、顔を見れば赦してしまうものじゃないのか。


 「ただいま」


 「功ちゃん、おかえりー」


 「えりー」


 ミソギの真似をして、後半だけを一緒に言いながら近づいてきた子供、夕史は、とても嬉しそうな笑みを浮かべていた。


 何か楽しいことでも合ったのだろうか、とにかくきゃっきゃと騒ぎながら、ミソギと追いかけっこをしていた。


 「功ちゃん、お腹空いたー」


 「空いた―」


 「ハンバーグ食べたい」


 「バーグ!!」


 そう言われ、近所のスーパーに行ったまでは良かったが、確か幽霊はお腹が空かないはずではないかと思い出したが、とりあえず3つ買って行った。


 そして帰ると、夕史はやはりお腹は空いていなかったようで、ただミソギの真似をしていただけのようだ。


 功典とミソギがご飯を食べている間、夕史は遊び疲れたのか、ぐっすりと功典の布団で寝てしまっていた。


 「おいしいねー。ぽく、パン好きー。バターいっぱい塗ってね、食べるのー」


 「今食ってるのはパンじゃねえぞ」


 「おいしいねー。ほっぺた落ちちゃうねー。ぼとって、落ちちゃうねー」


 マイペースなミソギを放って、功典は自分の分を食べ終えると、片づけてから、さっさとシャワーを浴びる。


 そしてシャワーが終わる頃にはミソギも寝ていたため、夕史を起こす。


 眠そうに瞼を摩りながら起きると、夕史に向かってこう言った。


 「お母さんのこと、覚えてるか?」


 「・・・ママ?」


 「今から俺が言うこと、理解出来るかは分からねえが、ちゃんと聞けるか?」


 「うん!」


 眠そうにしながらも、良い返事がきたため、功典は夕史にありのままを話すことにした。


 「夕史のママは」


 こんなに幼い子に、本当のことを話すべきなのか。


 もうこの世にはいないのに、自分は愛されていなかったなどという話をして、救われることなどあるのか。


 話すとは決めた功典だが、迷ってしまった。


 夕史にとって、何が良いのか。


 「夕史は、もう一回ママに会えたら、何したい?」


 「ママに?んーとね、ママに抱っこしてもらう!」


 「抱っこ、好きなのか?」


 「ママしてくれない。ゆーしがママのとこいくと、ママいやな顔するから。ゆーしは良い子でお留守番するの」


 「・・・・・・」


 夕史は下を向き、つまらなさそうに唇を尖らせる。


 功典は夕史の頭を撫でていると、夕史がゆっくりと顔をあげる。


 「夕史はママが好きなんだな」


 「うん!ママ好き!」


 「おと・・・パパは?」


 「パパね、痛いの。ゆーしのこと、痛くするの」


 暴力でも振るわれていたのだろうか、夕史は泣きそうな顔をしていた。


 「明日、ママに会いに行くか?」


 「・・・!!うん!!」


 結局こうなってしまったかと、功典は本当のことなど言えず、夕史に母親と会わせる約束をしてしまった。


 結果がどうなるか分からないが、もう一度会わせたら何か変わるかもしれない。


 その日は休むことにし、翌日、夕史とミソギを連れて母親のもとまで向かった。








 「ここで待ってれば会えるよ」


 母親のアパートの前の影に隠れて待つことにした功典たち。


 朝から見張っているというのに、なかなか出て来ない、もしくは帰って来ない部屋の住人に対し、ただ根気強く待つしかなかった。


 功典は待てるとしても、夕史は飽きていないかとそちらを見てみると、お留守番を頼んだはずのミソギときゃっきゃと楽しそうに、よくわからない遊びをしていた。


 まあいいかと腕組をして待っていると、お昼ごろになってようやく住人が現れた。


 「あ」


 何処かに泊まっていたのか、夕史の母親と、それから一緒に男性の姿。


 それが夕史の父親かどうかは分からないが、目元が似ているかと言えば似ている気はしない。


 夕史が母親の姿に気付くと、拙い走り方で精一杯、全速力で母親の元まで走って行った。


 しかし、母親には夕史の姿が見えるはずもなく、ただ隣にいる男性に笑顔を向けながら、ハーフパンツのポケットから鍵を取り出す。


 「ママ!ママ!」


 駆け寄って行く見えない我が子に気付かぬまま、母親は楽しげに話す。


 「やっぱりまだ子供なんていらないしー。それに、子供ってまじ五月蠅いじゃん。いらないいらない」


 「深雪ってまじでガキ嫌いだよな。俺もそうだけど」


 「てかさ、妊娠とかもういいやって感じ。産みたくない。お金かかるし。毎日毎日泣きまくっててさ、何で泣いてるかわかんないし、五月蠅くて寝らんないし」


 「あれ?深雪ってガキいたっけ?」


 「前の旦那との子。でももう死んだ」


 「まじ?なんで?」


 「知らない。五月蠅くて寝らんないから、部屋に置いて旦那と2人でホテル行って、帰ってきたら死んでたの。警察とかにも色々聞かれてさ。近所のババアたちも説教してきて。最悪だったんだから」


 母親の足下に縋るようにそこにいる夕史と、その夕史を前にして本音を言う母親。


 夕史の姿は見えていないから仕方ないとは言え、何度“ママ”と呼んでもこちらを向いてくれないだけではなく、母親の足は夕史の身体を通りぬけ、父親ではなかったその男の身体も同じようにして夕史の存在を貫いて行く。


 「ママ!!ママ!!」


 先程よりも大きな声を出して、自分に気付いてくれと、自分のことを見てくれと願うが、それは叶わない。


 夕史には気付かぬまま閉じられたドアの前で、夕史は呆然とただそこに立ちつくしている。


 「・・・・・・」


 功典はゆっくりと夕史に近づき、場所を移動しようと言うが、夕史は未だ小さな声で「ママ」と言っていた。


 可哀そうなことをしてしまったと思いながらも、ずっとここにいるわけにもいかず、ミソギに頼んで夕史を抱っこして移動することにした。


 その間も、夕史は大泣きしながら「ママ」とずっと叫んでいた。


 近くの公園のベンチに座ろうとして功典だが、泣きじゃくっている夕史と目線を合わせるために両膝を曲げる。


 「ごめんな」


 ぽん、と夕史の頭の上に乗せられた功典の手に、夕史は真っ赤にした目をこちらに向ける。


 「お前はただ、母親に愛されたかっただけなんだもんな」


 「っく・・・わ、わかってた、もん」


 母親の温もりなど感じたこともなかった。


 母親の愛情を感じたこともなかった。


 小さいながらにも気付いていた夕史だが、それを受け入れることなど出来なかった。


 「・・・・・・」


 どうして良いか分からなかった功典は、触れられるはずなどないと分かっていたが、夕史の方に腕を伸ばす。


 「!!」


 なぜか、夕史の頬に触れることが出来た。


 理由は分からないが、とにかく、功典は夕史の小さな身体を持ちあげると、まだ泣いている夕史を抱っこした。


 それから肩車をして、高い高いをして、夕史の表情は笑顔へと変わっていた。


 「功ちゃん」


 「ん?」


 ミソギに声をかけられ、ミソギが指差している自分の両手の中にいるはずの夕史をよく見てみると、その身体は薄らと消えかかっていた。


 子供独特の高い笑い声がまだ耳に残る中、夕史は完全に姿を消してしまった。


 「最後に功ちゃんと遊べて嬉しそうだったね。良かったね」


 「・・・ああ」


 本当に夕史にとって幸せな時間かと聞かれれば、きっと違うんだろう。


 最も愛情を注ぐはずの人から愛情を貰えなくても、人は育つ。


 それでも、愛情がないと真っ直ぐ育たないのが人だ。


 「ミソギ」


 「なあに?」


 眠たそうに大きく欠伸をするミソギの横で、功典は夕暮れに近づいて行く空を仰ぐ。


 「帰るか」


 「うん!あ、功ちゃん功ちゃん、今日は夕飯何?ぽくねー、お寿司食べたいのー。安いやつでもいいからー」


 「寿司?お前シャリだけな」


 「えー、酷いよー。ぽくも美味しいところ食べたいー」


 「あー、金が飛ぶ」




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