第8話おまけ①「別の顔」






菩提樹

おまけ①「別の顔」


 おまけ 【 別の顔 】




























  午後十時過ぎ、すでにあゆみはぐっすり寝ていた。


  床宮も風呂から上がり、寝る準備を着々と始めていたときのこと。


  昼からずっと本を読んでいた門倉に、コーヒーを飲み終えた立花が、本を取り上げながら小さめの声で話しかける。


  「ちょっと、付き合え。」


  「今からですか?」


  「そうだ。いいから、行くぞ。」


  床宮が自分の部屋に入って行ったのを確認すると、立花は門倉の手を強引に引いて、事務所から出て何処かに向かって歩き出した。


  どんどんと明るい場所へと入って行き、とある店の前で立ち止まる。


  「・・・おやじ。何ですか、此処は。」


  「見てわかるだろ。キャバクラだ。」


  「おやじ、帰りますよ。徘徊なら一人でしてください。」


  「目的を持って歩いてきたんだから、これは徘徊じゃねぇよ。いいから、入るぞ。」


  嫌がる門倉と殴り合いになりつつ、どうにかして店の中に入った。


  いつものスーツ姿では無く、上着を着ていない状態のため、一見ホストに見られそうな門倉の来店に、お店の女の子たちがザワつき始める。


  お店のママがやってきて、誰を指名するのかを聞くと、立花は即答した。


  「杏樹はいるか。」


  「杏ちゃんご指名ですね。」


  「・・・杏樹?」


  その時やっと、この店に来た理由が多少は理解できた門倉だが、わざわざ杏樹の店に来るという事は、仕事の内容か何かだろうと、勘違いする。


  仕事場では杏ちゃんと呼ばれている杏樹が、以前に一度見たことのある、派手な衣装を身に纏い、二人の席にやってきた。


  「ちゃお♪あらあら、今日は修司くんも来てくれたのね。」


  「・・・どうも。」


  門倉の浮かない表情を見て、門倉の意思で此処に来たのではないと判断出来た杏樹は、早速立花にお酒を注ぐ。


  優雅に足を組みながら、立花と世間話を始めてしまう。


  なぜか肩身が狭くなった門倉は、視線をテーブルに移して、ボーッとすることにした。








  門倉を放置したまま話し続けていた立花は、杏樹に門倉にもお酒を飲ませるように伝える。


  ニコリと笑って、少し苦めのお酒をグラスに注ぐと、門倉に微笑みながら手渡し、それを受け取ってしばらく眺める。


  「修司君、お酒呑めなかったかしら?」


  「いえ、呑めなくはないんですが、ここ数年呑んでいないので・・・。」


  ゴクリ、と一口。


  苦いお酒だが、美味しい様な、普通な様な、味の善し悪しが良く分からないまま、ちょびちょびと呑んでいく。


  途中、誰かが杏樹を指名したらしく、杏樹は少し離れた席へと行ってしまった。


  男二人になり、一気に空気は重苦しく感じる。


  「おやじ、何をしに来たんですか?」


  「・・・お前に、見せておいた方がいいと思ってな。」


  「何をですか?」


  「まぁ、いいから。」


  はっきりとした答えを言わないまま、濁した言葉を呑みこむように、お酒をグイッと一気に喉に流し込む。


  首を傾げて、ちらっと仕事中の杏樹を観察してみるが、特に変わった様子も無く、ニコニコと笑いながら接客している。


  再び視線を立花に戻すと、自分でお酒を注いで呑んでいる。


  グラスに残っているお酒を見て、グラスを回しながらお酒が揺れ動くのを、門倉は暇そうに見ていた。








  午後十一時半ごろになると、徐々に人が少なくなっていく。


  相変わらず杏樹は忙しそうで、なかなか立花たちの席に戻って来ることは無かった。


  キャバクラの裏側では、何か壮絶な事が起こっているのでは無いかと、色々ともめ事が起こらないかとか、喧嘩を始めないのかとか思ったが、何も起こらなかった。


  ウトウトしそうになり、門倉は必死に手の甲を抓って起きようとするが、脳が眠いと訴えているのが分かる。


  金額も分からないし、立花を置いて帰るわけにもいかないと思い、眠気と戦っていた。


  だが、ふと横で静かにしている立花を見てみると、グーグーと気持ちよさそうに眠っていた。


  「おやじ。おやじ。」


  肩を叩いたり、軽く揺さぶったりしていたが、門倉も眠気からか、立花の扱いが雑になってきて、叩く力にも加減が出来無くなったり、揺さぶりが強くなりすぎて、立花の首が吹っ飛ぶんじゃないかと思うほどに、ブンブン動かしていた。


  眠気に必死に耐えている門倉は、大きなバケツみたいなものに入っているアイスを数個掴み、それを一気に自分の口の中へと投げ入れる。


  ボリボリと音を立てながらアイスを食べていると、寒さからか、脳が少しだけ起きたような気がする。


  だが、それは気のせいのようだ。


  襲いかかって来る睡魔から逃げきれそうに無く、門倉は少しだけ寝ようと、掌で顔を覆うようにして、顔を床に向けて寝る準備を整えた。


  すると、店の入り口の方から、何やら叫び声が聞こえてきた。








  「ぼったくりじゃねぇのかよ!!ああん!?責任者を出せって言ってんだよ!」


  会計を済ませようとした客の叫び声だったらしく、察するに、金額がおかしくはないか、という事を言っているようだ。


  だが、此処はキャバクラであって、普通のお店よりも高いのは仕方が無い。


  もしもこの程度のことでお店が潰されてしまうのなら、日本中からホステスもホストも絶滅してしまうことだろう。


  そもそも、キャバクラに来るという事は、それくらい金銭的に覚悟して来た、という事だ。


  しばらく見ていようと、呑気にテーブルに出されているポッキーを口へと運んでいると、店のママが顔を出した。


  「お客様、何かありましたか。」


  丁寧な口調で尋ねると、男はまた同じようなことを、ぐちゃぐちゃと言いはじめた。


  さっきから同じ事しか繰り返さない男に、門倉はため息を吐きながら横を見ると、いつの間にか立花が起きていた。


  「おやじ、いつ起きたんですか。」


  「今だ。何やら騒がしくなってきたからな。」


  「ええ。止めに行った方がいいですか?」


  「いや、大丈夫だ。任せておけ。」


  「?誰にですか?」


  また、門倉の問いかけには答えずに、グラスにお酒を注いで呑み始めた立花。


  入口の方を向きながら、門倉が少し心配そうに見ていると、店の奥の方から、見覚えのある派手な女性が出てきた。


  「ママ、どうかした?」


  「あら、杏ちゃん。」


  お化粧直しでもしていたのか、メイクを綺麗にしてきた杏樹がママに話しかけると、簡単に事情を説明する。


  ママが杏樹に説明をしている間、男の視線は杏樹に向けられていた。


  杏樹の整った顔立ちを見ているのか、それとも大きく開かれた胸元を見ているのか、はたまたスラッと伸びた足を見ているのかは分からないが、鼻の下が伸びていることだけは分かった。


  説明を聞き終えた杏樹は、男の方を見つめ、申し訳なさそうに眉をハの字に下げて、頭を下げて謝る。


  すると、それを見て調子に乗った音男が、杏樹の顎を掴み、顔を上げさせる。








  「なんだなんだ?お譲ちゃんみたいな美人さんがいたのか・・・。こりゃ失敗したな・・・。おい、今からタダで俺を接待しろ。そしたら、ぼったくりを帳消しにしてやるよ。」


  ニヤニヤと下卑た笑いをする男に、門倉はピンチだと思い、もう一度立花に確認を取る。


  「おやじ、やはり助けに行った方がいいんじゃ・・・。」


  「・・・黙って見てろ。」


  杏樹の方を見もせずに、立花はいたって落ち着いたまま、次々にお酒を注いでは呑み、また注いでは呑み、を繰り返していた。


  ついさっきまで自分を襲っていた眠気は、どこかに姿を隠してしまったようだ。


  男の誘いを断りきれずに、困ったような笑みを浮かべながら、なんとかお金を払って帰らせようとしてはいるようだが、男の方もなかなか引かない。


  杏樹が首を縦に振るまで、ずっと此処に居座る気かもしれない。


  顎を掴まれているため、顔を逸らす事も出来ないでいる杏樹は、視線を横の方にズラしていて、その姿さえも妖艶に感じる。


  頬を若干赤くしながら、涙目になり、男に今日は帰ってくれるように頼むが、益々色っぽくなっていく杏樹を見て、帰るどころか、余計に此処が気に入ってしまいそうだ。


  それはとても艶やかで、か弱い女性の象徴とも言える姿だった・・・。


  『だった』という事は、過去形ということだ。


  門倉は、見てはいけないものを見てしまった気がした。








  先程まで、実に女性らしく振舞っていた杏樹が、ほんの一瞬の間に、男の股間に蹴りを入れていて、しまいには、床に蹲っている男を見下している。


  何かの間違いだと思い、門倉は何度も目を擦るが、見間違いでも何でもない、事実・現実・真実であった。


  隣の立花は何の反応もないため、コレを知っていたのだろう。


  「・・・・ろよ。」


  「あ、ああ?」


  ボソッと杏樹が呟いた言葉を聞きとれず、蹲ったままの男が聞き返した。


  「いい加減にしろ、って、そう言ったんだよ。一回で聞き取れや、ボケが。それとも何か?お前はこんな簡単な言葉も理解出来ないような、小さい脳味噌しか持ってないのか?」


  「は・・・い・・・!?」


  あまりの杏樹の変わり様に、男は勿論、門倉もついていけていない。


  コツコツ、とヒールの音を響かせながら男に近づくと、杏樹はいつもの頬笑みでは無く、嘲るような笑みを男に向ける。


  その場から逃げようとした男の前に立ちはだかり、男の胸倉を掴みあげて、ドスのきいた声で男の心臓を抉る様に言う。


  「一昨日きやがれ。」


  勢いよく男を床に放り投げて、細長い指を優雅に動かし、中指だけを天井に向けてニッコリと微笑む。


  それを見ると、男は顔を真っ青にして、鬼から逃げるように走って去って行った。


  「あらやだ。あんな悲鳴上げちゃって。失礼しちゃうわ。」


  声もいつものトーンに戻り、表情も穏やかなものに変わると、門倉はもう一度自分の目をこする。


  「杏ちゃん、ありがとう。やっぱり杏ちゃんがいると助かるわ。」


  「いいのよ、ママ。いつでも言ってね。」


  ポカン、と口を開けたままの門倉に、立花は閉じろと注意する。


  口を開けたまま、険しい表情を立花に向けた門倉に、立花は頭をポリポリかきながら面倒臭そうに説明をする。


  「あれが杏樹の“素”だ。よく覚えておけよ。」


  思いもよらない杏樹の姿に、門倉が顔を引き攣らせていると、立花の隣に杏樹が座ってきて、そろそろお店が閉まると告げられた。


  だが、そんな言葉、門倉の耳にはほとんど届いておらず、引き攣っている頬筋をなんとか戻そうと、自分で自分の頬をずっと摩っている。


  「あら?修司君、どうしたの?」


  「え、い、いえ。何も・・・。おやじ、そろそろ帰りましょうか。」


  「そうだな。じゃ、杏樹、またな。」


  「ええ。また遊びに来てね。あ、そうだ。今度は凜くんも連れてきてよ。」


  「ああ、考えておく。」


  「・・・。」


  絶対に連れて来ない方がいいと、門倉は瞬時に判断したのだが、さっきの杏樹を見てしまっては、そんなことを容易に口に出すことも出来ない。


  杏樹に見送られながら事務所に向かって歩き出す。


  「・・・おやじ。」


  「なんだ。」


  「女って、怖いんですね。」


  「・・・そうだな。」


  事務所に着くと、寝ていたと思っていたあゆみが、トイレに行くのに起きていて、瞼を半分下げながら部屋を歩いていた。


  立花と門倉に気付くと、眠そうな顔でふにゃりと笑って近づいてくる。


  「おやすみ~。」


  そう言いながら、立花の胸元に倒れ込んでしまった。


  そんなあゆみを見て、門倉と立花は同じ事を思った。


  「おやじ。」


  「なんだ。」


  「あゆみがいつもより可愛く見えます。」


  「・・・俺もだ。」








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