第4話強さを求める理由





菩提樹

強さを求める理由



人生は全て次の二つから成り立っている。


したいけど、できない。 できるけど、したくない。


                                             ゲーテ


































 第四護 【 強さを求める理由 】




























  「凜・・・。」


  「そんな目で見んじゃねぇよ。」


  事務所に帰ってきた床宮の隣には、ちょこん、と小さな男の子が立っていた。


  それを見て、立花はとりあえず中に入る様に伝え、門倉を隣に座る様に指示すると、少年は遠慮なく堂々とソファに腰掛ける。


  キョロキョロと事務所の中を見渡すと、険しい表情を浮かべる。


  「なんか、思ってたよりも汚ぇな。」


  「クソガキが。黙ってろ。」


  コーヒー豆の袋をテーブルの上に置き、少年の頭をポカッと軽く殴ると、立花が話を切りだす。


  「で?何の依頼かな?」


  怖がらせないよう、出来るだけニッコリと微笑みながら話かける。


  少年はブラブラと足を動かしながら、立花の顔を見て「怖い」と言ったり、門倉を見て「パッツン」と呟く。


  短いだけでパッツンとは言わないと、門倉が説明をするが、適当に相槌を打たれる。


  何をしに来たのか、全く理解できないままの立花たちに代わり、お菓子を食べ続けているあゆみが、少年の頭を蹴りながら声をかける。


  「そこの少年。君は何をしに来たのかね?言ってごらんよ。」


  「あゆみ、止めなさい。」


  「止めろよ、おばさん。」


  ムッとした少年は、あゆみに向かっておばさん呼ばわり。


  それに対し、あゆみは何度も何度も少年の頭にチョップを喰らわし、さらに、頬っぺたをつねったり、デコピンを続ける。


  「いいか、少年よ。まだ十代の可愛い女の子をおばさんなんて呼ぶようじゃ、君はまだ子供なのだよ。もしも君が私をおばさんと呼ぶのなら、私が君をガキと呼んでも、君は拒むことは出来ないのだよ?分かるかな?」


  「ってーか、あゆみん、おじさん臭ぇよ。」


  床宮に口調のことをツッコまれたあゆみだが、そんなことお構いなし。


  「少年よ、名前を言いなさい。そしてついでにリンリンに着いてきた理由も言いなさい。」


  唇を尖らせていた少年だったが、部屋の中が沈黙に占拠されたことに耐えられなくなったのか、少しずつ話だした。


  「雄太。野崎雄太。」


  「何歳だ?」


  頬杖をついて、興味無さそうに床宮が聞く。


  「八歳。」


  「なんで此処に来た?」


  今度は、立花が腕組をしながら、ため息かじりに問いかける。


  「・・・。だって、こいつ、ぼでぃがぁど、してるって言うから・・・。」


  雄太が、床宮の方をちらっと見てそう言うと、雄太の背後霊のように立っているあゆみが、お菓子をボロボロ落としながら話に入る。


  そして、今までよりも強くチョップを喰らわす。


  「それは答えになって無いよ☆」


  余程痛かったのか、雄太は自分の脳天を両手で押さえながら、頭の上の方にいるあゆみを睨みつける。


  視線を床に戻し、ゆっくりと、先程から喋らない門倉を見る。


  視線を感じ、その視線の許へと辿っていくと、雄太が自分を見ていることに気付いた門倉は、何の感情もないような目つきで、じっと雄太を見る。


  「俺を、ぼでぃがぁど、してくれよ!」


  「何から?」


  「俺をいじめてる奴からだよ!お前らなら、何とか出来るんだろ?」


  「いじめ・・・?」








  雄太の口から出てきた言葉に、みなが一斉に反応を示す。


  「いじめって・・・誰から?」


  「クラスの奴らに決まってんだろ!あいつら、毎日俺の物隠したり、無視したり・・・。帰りに喧嘩売ってきたりしてよ!ムカつくんだよ!だから、お前ら、やっつけてくれよ!!」


  「そういう仕事じゃない。」


  きっぱりと、雄太の依頼内容を否定したのは、うんざりとした表情を浮かべている門倉だった。


  「何でだよ!同じだろ!!」


  「違う。」


  キ―キ―と喚きだした雄太の首根っこを掴み、床宮は事務所から追い出そうとした。


  だが、煙草の臭いが部屋に充満し、次の瞬間には、部屋中に広まった煙の許に目を向けると、立花が天井を見ながら息を吐いているところだった。


  そして、未だに床宮につままれながら、もがいている雄太を見て、一言。


  「いいんじゃねぇか?」


  「「はぁ?」」


  床宮と門倉は、同時に素っ頓狂な声を出してしまった。


  立花が、何も無かったように煙草を吸い続けていると、雄太をつまんだままの床宮が、立花に近づいてきた。


  「何考えてんだよ、おっさん!このガキに、依頼料が払えるとでも思ってんのか!?」


  「・・・どうなんだ?」


  尤もなことを言う床宮に、立花は煙草を吸いながら雄太を見て、確認を取る様に訊ねる。


  「お、お小遣いなら・・・ちょっとあるし、お年玉も、まだ残ってる・・・。」


  「幾らくらいだ?」


  「えっと・・・ご、五千円くらいならあるぞ!!!」


  八歳で、現金五千円持っていることはすごいと思うが、そんなお金で依頼を引き受けたことは無い。


  子供にとって、お札を持っているだけでもお金持ちになった気分なのだろうが、人生、それだけでは生きていけない。


  門倉も床宮も呆れていると、煙草を吸っていた立花が、フッ、と笑いだした。


  「・・・ハハハハハハハッ!!!そうか、五千円か・・・。まあ、いいだろう。修司、凜、依頼人の護衛、頼んだぞ。」


  「おやじ・・・今回は俺・・・。」


  「ダメだ。子供だろうが何だろうが、金を払って依頼をするんだ。敬意を持って接しろ。それから、あゆみ。」


  「はいはーい。なぁーに?」


  「依頼人に、空手でも教えてやれ。」


  「ラジャー☆」


  やる気満々のあゆみは、お菓子を食べるのを止めて、クルクルとその場で回り出した。


  「「・・・マジ?」」








  雄太の依頼を引き受けてしまった・・・。


  今雄太は学校に行っているのだが、教室の後ろには床宮が立っていて、教室の入り口には門倉が立っている。


  なんとも滑稽な風景だ。


  いつも通りに授業を受けて、休み時間にはノートと教科書を出し、真面目な空気を纏っている雄太。


  だが、二人が気になったのは、実際、雄太に話かける人が、誰一人としていなかったことだ。


  先生は少し話しかけることはあっても、同じクラスの子供も、他のクラスの子供も、全くと言っていいほどに、会話が無い。


  学校が終わって、雄太を家まで送り届けることになった。


  「おい、雄太!」


  そこに、雄太が言っていたいじめっ子と思われる子供が、数人、雄太の前に現れて、門倉と床宮を見て、笑う。


  「そこにいるの、もしかして警察か?お前も捕まったのか?ハハハハ!!!」


  「違ぇよ!こいつらはな、俺の手下だ!お前らなんか、あっという間にやっつけられるんだぜ!!」


  「いや、だから・・・。」


  そういう事を仕事としているわけではないと、門倉が説明をしようとする前に、子供たちが門倉たちに向かって走ってきて、足を蹴ったり、鞄でバンバン叩いてきた。


  正直、小学生の攻撃など、痛くも痒くもないのだが、何の反応も無いためか、子供たちは門倉と床宮が怯んでいると勘違いし、高笑いしながら蹴ったり叩いたりを続ける。


  小さい子供ながらに、力いっぱい蹴っているのだろうと、半ば同情の目を向けていると、雄太が叫んだ。


  「何してんだよ!早くやっつけろよ!」


  今にも泣きそうに、涙目になりながら門倉と床宮に叫ぶ雄太を見ると、ため息をつきながら、二人は動き出す。


  子供たちの首根っこを、いとも簡単に掴みあげると、自分の目線と同じ高さまで持ち上げる。


  軽々と持ち上げられた子供たちは、目を丸くして、下ろせ、と何度も大声を出している。


  このままでは、きっと自分たちが怪しい大人として通報されかねないため、門倉はドスのきいた声を出す。


  「子供を殴る趣味は無い。帰れ。」


  掴んでいた子供を離すと、子供たちは一斉にその場から離れ、雄太に馬鹿だの阿呆だのと叫びながら、走って帰っていく。


  無事に雄太の家まで着くと、雄太はランドセルから鍵を取り出し、ガチャリ、と開けて中に入っていく。


  覗く気はさらさら無かったのだが、雄太が思い切りドアを開けた為、中が見えてしまった。


  なんとも乱雑な部屋だった。


  鍵を閉めようとした時、雄太が門倉たちの方を見る。


  「サンキュな。明日も頼んだぞ。」


  そう言って、ドアが閉まり、ガチャ、と鍵を閉める音が聞こえた。


  「生意気。」


  床宮がポツリ、と呟くと同時に、門倉はさっさと事務所に向かって歩き出した。








  「雄太について、何か分かったのか?」


  事務所に帰り、呑気に煙草を吸っていた立花に訊ねると、やる気の無い返事が返ってきた。


  「ああ。磯貝から連絡があった。」


  身体をゆっくりと起こし、ポケットに入っている手帳を取り出すと、磯貝から聞いたことが書いてあるページを開く。


  ポリポリ、と頭をかき、大きな欠伸をする。


  「野崎雄太の父親は、殺人未遂での逮捕歴がある。それが、いじめの原因らしい。当然のように職は失い、今も無職だ。母親は、雄太がまだ二歳の頃に離婚して、父親に引き取られたようだ。」


  「普通、親権って、母親の方が有利なんじゃないですか?」


  門倉が立花に疑問を投げかけると、また深くため息をついた。


  「親権の争いどころか、いらないって言われたそうだ。それからすぐだな。父親はリストラされそうになって、会社の社長をナイフで刺した。幸い、命が助かったから、殺人未遂で済んだようだ。父親の御両親は、冥土の土産に保釈金二百万支払って、父親を勘当。初犯だったから、それほど長くは懲役を受けなかったようだが・・・。」


  我儘なガキだと思っていたが、どこかで寂しさを抱え、悔しさを抱えていたのだろう。


  カチャカチャと、いきなりスケボーをいじりだした床宮に、門倉が注意しようとすると、立花に止められた。


  いつになく、臍を曲げた様子の床宮に、門倉は首を捻る。








  床宮がお風呂に入っている間、門倉と立花は将棋をしていた。


  「ほう・・・そうきたか・・・。」


  門倉の一手に、立花は眉間にシワを寄せて考え込むが、今まで背筋を伸ばしていた門倉が、腰をゆっくりと曲げて、立花の顔を覗き込むように見上げた。


  「おやじ、凜のことなんですけど・・・。」


  「あ?凜がどうした?」


  「凜って、おやじが連れてきましたよね?何処から連れてきたんですか?」


  将棋の駒を指で弄びながら、立花はちらっと門倉を見ると、ちっとも目を逸らさないため、観念して話し出した。


  「凜はな、孤児院から引き取ってきたんだ。」


  「孤児院・・・?」


  ソファから立ち上がり、自分の分と門倉の分のコーヒーを淹れ、テーブルまで運んでくると、そのまま口をつける。


  御礼を言い、門倉も立花から渡されたコーヒーを飲む。


  なかなか話の続きを言おうとしない立花に、門倉から声をかけることも出来ず、立花が話し出すまで、ずっとコーヒーを啜っていた。


  「凜は、両親に捨てられた。理由は分からない。ある日の朝、孤児院の前に捨てられていたのを、孤児院の院長が見つけたそうだ。ただ、名札だけはついていたそうだ。“凜”ってな。床宮っていうのは、孤児院の院長の名字だそうだ。」


  カチャ、とコーヒーをテーブルに置くと、丁度床宮がお風呂から出てきた。


  将棋の途中だが、いつも床宮の後には門倉が入るため、自然と腰を上げて、お風呂に入る準備を始める。


  「修司、まだ勝負ついてないぞ。」


  ピタリ、と足を止めて、立花の方に振り返ると、笑いもせず、立花を見る。


  「おやじ。王手です。」


  床宮の話をし、さらにコーヒーを飲みながらも、続けていた将棋の駒を良く見てみると、すでに立花の王将に逃げ場は無かった。


  やられた、と言わんばかりに項垂れる立花に、床宮がアドバイスをする。


  「おっさん、将棋盤、逆にすれば勝てるぜ。」


  今の床宮に効果音をつけるとしたら、キラン、が一番似合っているだろう。


  親指をたてて、ウインクをしながら、とんでもないことを口にした床宮に、門倉だけでなく、立花も何も言えなかった。


  頭にタオルを軽く置いたまま、床宮はソファに座る。


  立花は将棋の盤と駒を片づけ、テーブルの隅の方に置くと、残っている冷めかけのコーヒーを飲み干す。


  「凜。」


  「あー?」


  適当な返事の床宮だったが、少しの間立花から何も言われないため、視線を立花と絡ませる。


  瞳の奥で、ギラッと光るような、人の心を射抜く目つきで見られ、床宮は一瞬怯みそうになるが、真剣な眼差しを返す。


  「あのガキ、助けてやれよ。」


  「・・・。」


  そう言うと、立花は将棋本を読み始めてしまった。


  何かを感じ取った床宮は、立花の言葉をしばらく頭に留めて考えると、ぶっきらぼうに答える。


  「・・・分かってる。」








  翌日、雄太を迎えに行くと、ニパッと明るい笑顔で出迎えてくれた。


  「遅かったな!」


  「丁度だ。」


  腕時計の文字盤を雄太に見せながら、門倉は、指をさして遅刻でないことをアピールする。


  門倉と床宮に挟まれる様な形で、雄太はいつもと同じ通学路を歩いていく。


  ちらっと、雄太の横顔を見てみるが、父親の罪を背負うにはあまりに幼い顔つきで、床宮は無意識に、雄太の頭をポンッと叩く。


  「何だよ?」


  「別にィ?」


  「その言い方、ムカつく!」


  「勝手にムカつけ。」


  子供のやり取りに、門倉はため息を吐く。


  学校に着き、いつものように時間が過ぎていくが、やはりいつものように、誰からも声をかけられず、一人で過ごしていた。


  雄太が休み時間にトイレに行くと言ったため、一応トイレまで着いていこうとしたが、流石に恥ずかしいらしく、来なくていいと言われた。


  十分という決められた時間の中で、トイレに行ったり、教室移動したり、小学生も大変だな、とウロウロする小学生に囲まれながら、門倉は思った。


  だが、次の授業が始まってしまうというのに、なかなか雄太が戻って来ない。


  何かあったのかと、床宮にトイレに行くように指示を出す。


  門倉から指示を受けた床宮が、男子トイレの前まで来て、ガバッと勢いよくドアを開けるが、雄太の姿が無かった。


  「おーい、ガキー。あ、雄太―?」


  返事も無いため、そのまま戻ろうとしたとき、ふと、奥の個室から、籠った声が聞こえてきた。


  ゆっくりと近づいていき、ドアノブにそっと手をかけて、回すと同時に一気にドアを引くと、そこに、口と手、足をガムテープで縛られた雄太がいた。


  「おい、大丈夫か!?」


  すぐに雄太に張り付いているガムテープを剥がして、とりあえず保健室に連れて行こうとしたが、雄太はそれを拒んだ。


  仕方なく教室に戻ると、二人に気付いた門倉の表情が、一気に曇る。


  遅れてきたため、雄太は軽く先生に注意され、自分の席に着くとノートと教科書を出して、授業に参加した。


  門倉は床宮と廊下に出て、事情を聞く。


  「そうか・・・。」


  放課後、門倉と床宮は、一応学校側に伝えておこうと、校長室や職員室に行ってみたが、誰もまともに聞いてはくれなかった。


  「どうなってんだ?この学校は・・・!」


  苛立ちを隠せない床宮が、壁を蹴りながら廊下を歩いていく。


  「仕方ない。いじめっていうのは、学校の評判も、学校にいる職員全員の評判も、下がってしまう問題だからな。よくあるだろ?ニュースとかで、いじめについての事実は確認出来ていないとか、気付かなかったとか・・・。一人くらい、気付いててもおかしく無いのに、そうやって言い逃れして、学校を守ろうとしてる。」


  「あー、あるな。時には、校長が追い込まれて、自殺したりっていうこともあるよな。」


  廊下全体に響くような、大きなため息を吐いていると、後ろから、誰かが床宮にぶつかってきた。


  「おい、雄太だろ。」


  前のめりに転びそうになったのを、何とか片足で踏ん張った床宮は、後ろを振り向かずに、自分にぶつかってきた相手に声をかける。


  足に絡みつくように腕を回している雄太を、離すわけでも無く、門倉は飄々と見ていた。


  ギャーギャーと戯れ始めた二人に、門倉は冷静に言葉を発する。


  「帰るぞ。」








  帰り道、昨日のように、いじめっ子達は現れなかったものの、きっと門倉と床宮がいなければ、また雄太をいじめに来るだろう。


  それを知っているからこそ、雄太は二人から離れない。


  「なあ、どうやったら、強くなれるんだ?」


  突然、雄太が二人を交互に見ながら聞いてきた。


  どう答えたらいいのか分からず、というよりも、この歳で強さを求めなければいけないほど、追い込まれているのかと、二人は互いの顔を見合わせる。


  「どうって言われてもなぁ・・・。」


  答えに困っているうちに、雄太の家の前に着いてしまった。


  そして、当たり前のように雄太の家の前にいたのは、誰であろう、事務所にいるはずのあゆみであった。


  「あ、リンリンに倉ちゃん☆それから雄太。」


  「あゆみ、何してるんだ?」


  雄太の家の前の、少し段になっているコンクリートの部分に座っていたあゆみは、ポンポンとお尻についた砂を落とすと、雄太に近づく。


  当然の疑問を門倉に問われ、あゆみはふにゃん、と笑みを作り、雄太に告げる。


  「私が空手教えてあげるよん。で~も、生半可な気持ちでやってもらっちゃあ、困るよ?あ、でも、空手は喧嘩の道具ではないんだよ?」


  あゆみの言葉に、目を大きく開いて輝かせた雄太は、一旦家にランドセルを置きに入ると、すぐにまた出てきた。


  その時、家の中にいるのであろう父親に、公園に行ってくる、と叫んでいた。


  それに対しての答えは聞こえなかったが、雄太はいつもの事だと言って、近くの公園まで、あゆみの手を引いて走って行った。


  門倉と床宮も、先に帰るわけにはいかないので、あゆみの先生ぶりを見ることになった。


  「ん~、まずは、柔軟しようね~。」


  のんびりとした口調で、柔軟体操を始めたあゆみに続き、雄太も素直に柔軟を始める。


  しばらく二人で繰り返し柔軟をすると、いきなり突き、蹴り、受けの練習を始めると言いだした。


  身体の軸をしっかり保ち、丹田への意識や下半身の安定感など、雄太に細かく指導をしているあゆみを見て、見学している二人も釘付けになる。


  二時間ほど練習をすると、すでに太陽が沈みかかっていた。


  「ま、今日はこの辺でいっか☆また明日ね。」


  「はいっ!」


  あゆみに正しく御礼を言うと、雄太は家に帰って行った。


  事務所への帰り道、とあるケーキ屋さんの前で立ち止まったあゆみは、今にも涎が垂れそうなほどに口を開けた。


  それを見て、門倉が小さくため息を吐く。


  「一つだけなら買ってやる。」


  「わーい!!倉ちゃんのそういう意外と優しいとこ、だ―い好き☆」


  「わかったから、早くしろ。」


  だが、その判断は不味かった。


  いや、ケーキ自体はとても美味しくて、決して間違ったものを選んだわけではないのだが、何と、あゆみはカットしてあるケーキではなく、ワンホールを買ったのだ。


  果物がたくさん挟んであり、チョコに包まれたミントチョコやストロベリーチョコが、色鮮やかさを演出している。


  そのワンホールのケーキを、あゆみはたったの十五分で平らげた。


  「・・・修司。」


  「・・・すみません。」








  門倉と床宮が、雄太の家まで迎えに行くと、その日出てきたのは雄太では無く、雄太の父親と思われる男性だった。


  「雄太なら、公園だ。」


  「公園?そうですか。すみませんでした。朝早くから。」


  「いや、こっちこそ、雄太の我儘に付き合ってもらってるみたいで、申し訳ない。」


  どんな父親かと思っていたが、話してみると、意外と言ったら失礼かもしれないが、真面目で、気配りも出来る、そんな雰囲気だった。


  以前の仕事で着ていたのであろうツナギが、壁にかけてあるのを見ていると、床宮が公園に行くと言いだしたため、ペコリと頭を下げて、門倉も公園に向かった。


  公園では、昨日あゆみから教わったこと、必死に練習している雄太がいた。


  「雄太!学校行く時間だぞ!」


  「あ、やっと来たのか!待ちくたびれたぜ!」


  「このッ。生意気なッ!」


  口ではそう言ってる床宮だが、雄太の頭をぐしゃり、と撫でている姿は、まるで兄弟のようだ。


  学校に着いて、授業が始まる前に、先生が昨日の雄太のいじめについての事を話すが、誰も関心が無いようだ。


  マニュアル的な、簡単な質問だけをするが、当然、誰も自分がやったなんて言うはずもない。


  雄太は何も言わずに、黙って下を向いている。


  先生も諦めたようで、授業を開始すると言って、教科書を開き、そこに書かれている問題文を読み始めた。








  家に帰ると、またあゆみが座って鼻歌を歌っていて、門倉たちに気付くと、ふにゃ、と笑いながら雄太に近づく。


  毎日毎日、雄太はあゆみから空手を教えてもらった。


  来る日も来る日も、とはいっても、それほど日にち自体は経っていないのだが。


  一週間ほど、みっちりとあゆみは雄太に空手を教えこみ、小学生にしては、結構強くなった方だと感じる。


  「それにしてもよ。」


  急に、床宮が退屈そうな表情と声を出し、隣で同じように暇を持て余している門倉に話しかけた。


  公園の隅の方に置いてある、子供用の、動物を象ったバネのついている遊戯に跨りながら、門倉も暇そうに答える。


  「なんだ?」


  「俺達、いつまで雄太の警護してればいいんだ?」


  「さあな。」


  よくよく考えてみれば、いじめから守るという事は、いじめを止めさせない限り、このボディーガードの仕事は続く、ということになる。


  門倉と床宮の力で、いじめを止めさせることは出来るが、それでは根本的な部分を解決出来ない。


  ちらっと雄太を見てみると、雄太は楽しそうに練習をしている。


  青々としている空を見ながら、門倉は床宮に告げる。


  「凜、決着をつけさせよう。」


  「は?誰と誰の?」


  よっこらせ、とおじさん臭い掛け声をかけて、遊具から下りた門倉は、腰をトントン、と叩きながら、雄太を見る。


  「雄太と、いじめっ子の、だ。」


  そう言って、雄太の方にどんどん近づいていくと、門倉は雄太と目線を合わせるように、膝を曲げてしゃがみ込む。


  切れ長の目は、雄太の心臓をグッと掴むように鋭く、雄太の肩がピクッと反応した。


  「野崎雄太。」


  門倉が、低く落ち着いた声で雄太のフルネームを呼ぶと、雄太は“気をつけ”の姿勢を取る。


  そして、「はい!」と返事をした雄太の頭の上に、門倉の大きな手を乗せて、雄太の意思を確認する。


  「強くなるってことは、誰かを守るってことだ。」


  「守る・・・?」


  「強くなったからって、誰かを傷つけるようじゃ、いじめてる奴らと同じだろ?それはただの暴力だ。」


  「暴、力・・・。」


  「お前は、何のために強くなりたかったんだ?いじめっ子を、いじめ返すためか?」


  「・・・。」


  雄太の沈黙は、門倉の言葉を肯定したものだと、床宮もあゆみも理解した。


  だが、門倉の言葉を復唱しながら聞いていた雄太は、正直な自分の気持ちを話し始めた。


  「最初は、あいつらを、一回くらい殴り返してやりたいって、思ってた。俺が強いこと分かれば、いじめてこないと思って・・・。」


  今までのいじめを思い出したのか、雄太は悔しそうに拳を作る。


  顔に残っている青痣を含め、ランドセルにもある、乱暴に扱われたと思われる傷跡、転ばされたのか、足に出来た不自然な痣、筆箱もボコボコになっていたし、体操着も何回か探しまわった。


  雄太が悪いわけでもないのに、親の会話を聞いた子供は、大人と同じ態度を取ってしまうものだ。


  男手一つで育ててきた雄太の父親にとって、会社から告げられたリストラの宣告は、想像以上に辛いものだっただろう。


  食べ盛り、遊び盛りの子供に、我慢をさせることは、親にとっては耐え難いと思う。


  働きたいと思っていても、世間が後ろ指をさして受け入れてくれなければ、雇ってくれないというのが現実だ。


  生活保護に関しても、父親には一応両親がいるため、勘当されていると言ったところで、保護を出してはくれない。


  父子手当も始まったが、行っている自治体はまだ少ない。


  現実を見れば、なんてことのない世界だ。


  他人は他人であって、結局手を差し出してくれる人など、一人だっていやしない。


  この歳で、雄太はそれを嫌って言うほどに感じてきて、見てきて、これからもそれを胸に隠して生きていかなければいけない。


  「でも、今は、ちょっと違う。」


  門倉が、真っ直ぐ雄太を見ていると、雄太も、何かを決意したような、そんな強い瞳で門倉を見る。


  「強くなって、いっぱい友達作りたいし、お父さんのことも、俺が守っていきたい・・・。強くなれば、友達出来るだろ!?だから・・・俺・・・。」


  小学生の子供の口から、まさかそんな言葉が出てくるとは思っていなかった床宮は、驚いた表情で雄太を見つめる。


  なかなか友達を作れない子供は、結構何処にでもいる。


  だが、いつの間にかなっているのが友達であって、作るために強くなりたいなど、子供が言う事なのだろうか。


  気がつくと、床宮は雄太の傍まで歩いていた。


  そして、雄太を強く、ギュッと、抱きしめた・・・―








  今にも泣きそうになっている雄太より、さらに泣きそうな顔の床宮に、門倉は何も言わずに様子を見ている。


  「雄太、雄太。」


  何度も雄太の名前を呼び、ゆっくりと身体を離して、雄太と視線を絡ませると、雄太の目から、僅かに涙が出ているのが分かった。


  床宮は両手で雄太の両頬をパンッと挟み、強い口調で伝える。


  「いいか、雄太。強くなくたって、友達は出来るんだ。お前が、他人の事を信じて、好きになって、優しくして、前見て生きてれば、必ずいつか、何でも言い合える友達が出来る。強くならなきゃ友達になってくれないような奴は、本当の友達じゃない。友達が出来て、そいつを守りたいって、ずっと一緒にいたいって思ったら、それから強さを求めれば、それでいいんだ。」


  「でも、それじゃ、遅いよ・・・。」


  「遅いなんて事は無い。」


  床宮と雄太の会話に、割って入った門倉は、ブランコの周りにある鉄の囲いの上に腰を下ろし、足を組んでいる。


  その後ろで、あゆみはギコギコとブランコに乗って遊んでいる。


  「確かに、コツコツと地道に特訓をすれば、プロレスラーも夢じゃないかもしれないが、その強さとお前の言ってる強さは、別物だ。」


  「倉ちゃん、それ笑ってもイイの?」


  「単なる力が欲しいのなら、毎日筋トレでもなんでもすればいい。だが、誰かを守りたい強さなら、その人の支えになれればいいんだから、遅いなんてことは無い。」


  「ねぇ、倉ちゃん、無視?倉ちゃんって、そういう人だったの?」


  あゆみを黙らせるために、門倉は隠し持っていたお菓子を投げて渡す。


  それに喰らいついてる間に、門倉は床宮と雄太の首根っこを掴んで、ズルズルと引きずり出した。


  何処に行くのかと思っていると、磯貝から貰った情報、雄太をいじめている子供たちが、いつも遊んでいる場所だった。


  ドサッとその場に置き去りにし、門倉は少し離れた場所に座る。


  「おい、雄太だぜ。」


  「なんだ?あいつ。」


  「おい!殺人犯!何しに来たんだよ!」


  ギッといじめっ子達を睨みつけるが、なかなか一歩を踏み出せないでいる雄太の背中を、床宮がトンッと軽く押す。


  「・・・負けんじゃねぇぞ。」








  ゆっくり、いじめっ子達の方へと歩いていく雄太。


  「あ、あのさ・・・。」


  勇気を振り絞って出した声は、冷たい音によって掻き消される。


  「いてッ・・・。」


  雄太に向けて投げられる石、そして、雄太に近づいてきて、髪の毛を引っ張ったり、蹴ったり、叩いたり・・・。


  痛みに耐える雄太は、ひたすら我慢をしていた。


  「修さん・・・。」


  「手ぇ出すなよ。」


  「・・・分かってるよ。」


  これは雄太の問題であって、大人が解決したところで、根本的には何も変わらない。


  雄太だけの戦いではなく、門倉と床宮にとっての戦いでのあるのだ。


  いじめっ子の一人が、雄太の両脇を抱えて動けないようにすると、他のいじめっ子が、雄太のお腹を殴り始めた。


  子供の力であって、それほど強くは無いのだろうが、受けている相手もまた子供だ。


  これは止めた方がいいと、門倉が動こうとしたとき、今まで大人しくしていた雄太が、いじめっ子のお腹を蹴り返した。


  それが合図であったかのように、雄太の反撃が始まった。


  反撃と言っても、何かされそうになったら避けるだけの事であり、空手は喧嘩の道具ではないと、あゆみから言われたことも、忘れない。


  自分に自信をつけたかった。


  それだけの理由なのかもしれないが、今の雄太にとって、自分がどうして強くなりたいと思ったのか、その答えはすでに分かっていた。


  ―自分に勝ちたかった。


  いじめっ子達の方が疲れてしまったようで、ヘナヘナになっている。


  雄太も、少しだけ息を切らしながら、いじめっ子の方に近づいていく。


  「なぁ。」


  「な、なんだよ!?まだやんのか!?」


  「ち、違う、よ・・・。そうじゃ、なくて・・・。」


  もじもじと、指先をいじる雄太が、助けを求める様に、門倉たちの方を見るが、顎でクイッと合図するだけだ。


  一度大きく息を吸い込み、フーッと吐き出すと、雄太は大きな声で言う。


  「お、俺と、友・・・友だ、ち、に・・・。」


  語尾を発するにつれて、徐々に小さくなっていく声に、雄太は顔を俯く。


  そして、門倉たちの方に走って行こうとすると、ズイッと床宮が立ちはだかり、雄太を見下ろしながら言う。


  「また、逃げんのか?」


  「に、逃げてなんかッ・・・!!」


  グッと唇を噛みしめて、雄太はくるっと踵を返したが、やはり足が動かない。


  それを見て、床宮は膝小僧で雄太の背中を突き、いじめっ子達のところに行くように言葉なく伝える。


  一歩、踏み出してはまた、一歩、と非常に遅い速度ではあるが、確実に進んでいく。


  「えっと、あのさ。」


  再挑戦した雄太だったが、いじめっ子達の親が迎えに来たようで、雄太を見て、子供たちを遠ざけるように移動させる。


  そして、何の罪も無い雄太に対し、とても残酷で、非情で、冷酷で、無情な言葉を突き付ける。


  「あなた、野崎さんの息子さんよね?ごめんね、うちの子と遊ぶの、止めてもらっていいかな?なんて言うか、・・・ねぇ?」


  一人の母親が言った言葉に、周りの母親達も頷いて同意を示すばかりだ。


  深く、深く、的確に雄太の心臓を貫き、抉るようにかき回す。


  「あら、太一、その傷、どうしたの?」


  さきほど、雄太に軽く蹴られただけの子供は、あることないこと母親に告げ口をする。


  「聞いてよ!あいつが蹴ってきたんだ!俺、何もしてないのに!!」


  「まっ、なんて・・・!雄太くんだったわね?止めてくれる?先生にこの事、言ったっていいのよ?全く、これだから“殺人者の子供”と同じ学校なんて・・・。」


  「校長先生と教育委員に、言った方がいいのかしら。」


  「そうね、そうしましょう。」


  勝手に話を進めていく母親たちは、雄太を蔑むように見ながら、家へと帰って行った。








  ぽつん、と残された雄太の背中は、夕陽を浴びながら泣いていた。


  門倉とあゆみはその姿をじっと見つめていたが、床宮だけは雄太に歩み寄り、肩に手を乗せた。


  ―パンッ


  乾いた音が辺りに響き、それが、床宮の手が振り払われた音であることは、すぐに理解出来た。


  驚いた顔の床宮と、顔をぐしゃぐしゃにして泣いている雄太が、そこにいた。


  「わあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!」


  思い切り泣きじゃくりながら、雄太が床宮のお腹あたりを、ポカポカと殴り始めた。


  その雄太の行動に対し、床宮はただ、黙って受け入れるしか無く、雄太が止めるまでずっと、気が済むまでずっと、黙って受け入れた。


  「嘘つき!!嘘つき!!やっぱり、友達なんか出来ないじゃんか!!」


  悲しそうな顔の床宮が、雄太の背中を両手でしっかりと掴み、ポンポンと、あやす様に叩くが、嗚咽交じりの泣き声は止まらない。


  幾ら馬鹿にされ、罵られ、叩かれても、それを受け入れることしか、今の床宮には出来なかった。


  「お前らなんか、大嫌いだ!!いなくなっちゃえ!!!」








  泣き疲れたのか、涙を流したまま寝てしまった雄太を家まで送ると、父親が出てきて、雄太を抱きしめる。


  門倉が、頭を深深と下げて、「すみません」と謝ると、父親は首を横に振り、「止めてください」と言ってきた。


  そもそも、雄太がいじめに合っている原因は自分にあるのだと、父親は父親で自分を責めていた。


  何も変える事が出来なかったが、雄太は逞しくなったと言われたことだけが、唯一の救いかもしれない。


  布団に寝ている雄太の頭をそっと撫でて、床宮は別れを告げる。


  「じゃあな、雄太。」


  雄太の父親に挨拶をし、事務所に向かって歩いていると、前方から見覚えのある下駄の男が現れた。


  「和さんじゃないですか。」


  「おお、門倉に床宮にあゆみか。ん?床宮、どうした?」


  「気にしないでください。ちょっと落ち込んでるだけです。」


  物珍しそうに、磯貝は床宮を観察していると、ギッと鋭い視線で睨まれた為、「おっかねぇな」と言いながら、肩を上下に動かした。


  少しだけ世間話をしたが、十分もしないうちに磯貝は帰ると言いだした。


  まだ視線を下に向けたままの床宮の頭をペシッと叩くと、カラン、と下駄を鳴らしながら、家路へと向かって歩き出す。


  「床宮、人生にはな、どうしようもないことなんて、山ほどあんだよ。一々気にしてたら、やってらんねぇぞ。」


  あゆみは磯貝に手を振りながら、ジャンプをしていた。


  事務所に着くと、立花が将棋の本を読んでいて、将棋盤もすでに用意してあり、帰ってきたばかりの門倉に、早速勝負を挑んだ。


  ネクタイを緩めてソファに座ると、門倉はメガネをかけ、本気モードに入る。


  あゆみは定位置に座ると、足をパタパタさせながらお菓子を頬張り始める。


  一方の床宮は、スケボーのある自分の椅子に座り、スケボーを手に持ったまま、ボーっとしていた。


  「・・・何かあったのか。」


  「ああ、平気ですよ。」








  それから数日後のこと。


  城田が事務所に戻ってきたため、のんびりとした朝を迎えられる。


  門倉が、朝起きたついでに新聞を取りに行ってみると、ゴミのようなものが、ぐしゃっと入っていた。


  「?なんだ?」


  立花に新聞を手渡してからソファに座ると、丁度城田がコーヒーを運んできてくれた。


  朝食のトーストとサラダを食べていると、部屋から床宮が起きてきて、スケボーを抱いたまま、またテーブルに頭をのっけて寝てしまう。


  それを見て、門倉がソファから立ち上がり、頭を強く叩く。


  「痛ぇ・・・。」


  不機嫌な顔で門倉を見るが、門倉は至って冷静なままで、床宮の顔の上に何かを置いた。


  「?なんだよ、この汚いのは。」


  「ポストに入ってた。」


  「は?ポスト?」


  疑問符しか出てこない床宮は、恐る恐るその小汚い袋らしきものを、指先でちょいちょいと開けていく。


  「あ。」


  中に入っていたのは、これまたぐしゃぐしゃになっている、お金であった。


  千円札が五枚入っており、十円玉が二枚に、一円玉が九枚も一緒に入っていた。


  それを見て、誰がこれを入れたのかすぐに分かり、床宮は椅子から勢いよく立ち上がると、何処かに走って行ってしまった。


  その様子を見て、門倉は微かに笑う。


  「あら?」


  床宮の朝食を運んできた城田が、さっきはいたはずの床宮がいなくなっていることに気付き、部屋中を見渡している。


  「ちょっと出かけました。」


  「こんな早くに?一人で?」


  準備した朝食をどうしようかと城田が悩んでいると、あゆみがシュバッと手を上げ、立候補をした。


  床宮の分も食べ終えると、ゴロゴロと寝そべる。


  「・・・あゆみちゃんの将来が心配だわ。」








  「はぁ・・・はぁ・・・。」


  床宮が来たのは、雄太の家だった。


  だが、雄太の家はすでに空家になっていて、人は住んでいなかった。


  近所の人に話を聞いたところ、父親が両親に頼んで、雄太だけでもそこで生活することになり、引っ越したのだという。


  父親も仕事がなんとか見つかって、雄太とはほとんど会えないほどに忙しく、距離もあるようだが、それでも頑張っているらしい。


  床宮は、手の中に握りしめているお金を、さらに強く握りしめながら、雄太の家を眺めた。


  その後、公園に行ったり、学校に行ったりしたが、ただ雄太との思い出が駆け巡るだけで、空いてしまった隙間には、冷たい風が吹き込む。


  もう一度公園に戻り、ブランコに乗って、キィキィと耳障りな金属音を聞いていると、背中をドンッと蹴られた。


  反射的に後ろを向くと、そこには雄太、ではなく、床宮を迎えに来た門倉の姿があった。


  着こなしているスーツのポケットに手を入れて、切れ長の目で床宮を見下ろし、短い黒髪が風に靡いている。


  「帰るぞ。」


  「・・・おう。」


  くるっと身体を反転させ、さっさと歩いてしまう門倉の後ろを、なんとか早足で追いつく。


  「修さん。」


  「なんだ。」


  「・・・何でもない。」


  「だったら言うな。」


  「修さん。」


  「なんだ。」


  「修さんって、俺の友達?」


  「は?」


  スタスタと動かしていた足のリズムが乱れ、門倉は床宮の方を見ると、床宮はキョトンとして答えを待っている。


  その質問にどういう答えがあるのかと、少しだけ考え、立花に言われたことを真似する。


  「・・・家族だ。」


  捨て台詞を吐いて、またスタスタと歩きだした門倉に必死に着いていきながら、床宮は隣で嬉しそうに笑っているのが分かる。


  「そっかぁ・・・。家族かぁ・・・。」


  なんだか、少し気持ち悪いとも思った門倉だが、あまりに床宮が嬉しそうにしているため、言うのを止めた。


  事務所に着く頃には、なぜかスキップをしていた床宮は、門倉よりも先に事務所に入る。


  「ただいまー。」


  「おかえり。」


  ただ、その言葉を言われるだけで、また床宮は笑った。








  「ごめんなさい、ごめんなさい・・・!!!!」


  部屋に響く女性の声、花瓶の割れる音、窓ガラスに当たる携帯電話、崩れていく食器棚、壊れていく日常―


  身体につけられる痣、愛しく抱きしめられる温もり、赦しを乞われて、精神が壊れる。


  そしてまた、女性は痣と傷を作っていく。


  そしてまた、女性は愛おしく抱きしめられる。


  そしてまた・・・―


  そして・・・―




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