第3話風化する日常





菩提樹

風化する日常




 たとえ今日負けても、人生は続くのさ。 メチージュ(米・テニスプレーヤー)






































  第三護 【 風化する日常 】




























  立花たちが辿りついたのは、どこにでもありそうな喫茶店。


  人が賑やかに集まる繁華街では無く、その裏通りに存在していて、知る人ぞ知る名店、といったところだろうか。


  喫茶店に入り、入口に取りつけられているベルが鳴ると、お店の人が人数を確認しに来た。


  立花が掌を見せて、キョロキョロと辺りを見渡すと、こちらに気付いた杏樹が、席から手を振ってきた。


  杏樹の待っている席に行くと、杏樹の向かい側に、腕組をしている男性がいた。


  立花たちに気付くと、スッと立ち上がり、ネクタイを締め直しながらお辞儀をし、名刺を渡してきた。


  「こちら、常連さんなの。黒川京介さん。」


  「黒川です。どうぞよろしく。」


  無理矢理連れて来られた床宮は不機嫌で、一人カウンターに座り、カフェオレとエビピラフを注文する。


  杏樹が黒川の隣に移動し、立花と門倉が隣に座る。


  ふと、テーブルの上に置かれた名刺に目を向けると、『代議士・黒川京介』と書かれている。


  「あの、黒川さんは、代議士でいらっしゃるんですか?」


  隣に杏樹がいるせいか、心なしかニヤケながら、黒川が答える。


  「ええ。何とか当選させていただきまして。」


  「黒川さんは、代々そういう家系なのよね?確か、お母様は、女性代議士として、一世を風靡したんじゃなかったかしら?」


  おだてる様な言葉に、素直というか、馬鹿というか、とても誇らしげに頷き、自分の母親の話をし始めようとした。


  適当に相槌を打っている杏樹を見ていると、さすがだ、と思うしかない。


  「それで、今回の依頼は、一体どういう内容で?」


  これ以上聞いていられないと思ったのか、立花が話題を切り替え、本来の目的である、ボディーガードの依頼内容について切り出す。


  黒川は、杏樹の方をちらちら見ていると、杏樹はニコッと笑い、安心させるように、黒川の手の上に、自分の手を重ねた。


  「私、代議士として、仕事をまっとうしている心算ですが、それを快く思わない輩もいるのです。」


  「例えば?」


  両手をクロスさせ、手の甲の部分を顎につけると、立花は話を続ける。


  「た、例えば・・・。」


  立花の問いかけに、おろおろし出した黒川は、また杏樹の方を見る。


  またもや、天使の微笑みのような、輝く笑顔を黒川に向けると、何故か杏樹が説明を始めた。


  「簡単に言うと、反政府の人間よね?」


  「そっ、そうそう。そうなんです。」


  なんとも、頼りなさそうな男だな、と思っていると、黒川は自分の鞄から何かを取り出して、それの説明を始めた。


  どうやら、地域発展を目指したもので、田んぼなどを開拓し、そこに研究所や高齢者向けの施設を建設しようと考えているらしい。


  一通りの説明を終えると、立花と門倉に意見を求めてきた。


  二人は互いの表情をちらっと確認すると、率直な意見を伝えた。


  「反対意見があるのであれば、その意見にも耳を傾けるのが、貴方のお仕事かと思います。」








  こうして、何に怯えているのかさえ、よく理解出来ぬまま、依頼を引き受けることになった。


  代議士というのは、あれほど口下手な人間でもなれるものなのかと、首を傾げたのは、門倉だけではないようだ。


  「急に呼び出して御免ね?」


  杏樹が、立花たちに向かって、両手を軽く合わせながら言う。


  「いや、いいんだ。それより、杏樹。あの男、代議士として勤まるのか?」


  「勤まらないんじゃない?」


  きっぱりと言い放った杏樹に、黒川を庇うと思っていた立花も、門倉も、床宮までもが驚いている。


  常連なだけに、黒川の性格や家柄、さらには黒川の母親の事も知っているのであろう。


  「黒川さん、見ての通りヘタレでしょ?なのに、女性の前では格好つけようとして、いつも失敗してるの。それに、極端にマザコン。母親が裏で何もしなかったら、絶対に代議士になんて、なれる人間じゃないわよ。」


  口調は優しいが、その口から出てくる言葉は、激しく毒づいていて、棘もいたるところについている。


  「ふあぁぁぁ・・・。龍平さん、私、もう帰っていいかしら。昨日から寝てないの。」


  「ああ。すまんな。」


  「こちらこそ。何かあったら、連絡頂戴?」


  「ああ。」


  身体をうーんと伸ばすと、杏樹は手をヒラヒラさせて、家路へと向かって歩き出した。


  立花は携帯を取り出し、どこかに連絡を取り始めたかと思うと、門倉と床宮を連れて、また別の場所へと向かった。


  何処へ行くのかと思っていると、そこは黒川の事務所だった。


  門倉はその時、ああ、と仕事の依頼があったことを思い出し、途端に、顔つきがキリッと変わる。


  「黒川さん。」


  「ああ、先程の・・・。」


  椅子に座り、何かの作業をしていた黒川は、立花たちが入って来ると、椅子に座ったままの状態で挨拶をする。


  その黒川の隣には、見張る様にしている中年女性が立っていた。


  それが黒川の母親であることは、誰が見ても明らかで、どことなく黒川にも似ているような気がする。


  母親は、立花に向かって告げる。


  「貴方達ね?京介を守ってくれるっていうのは・・・。三人でいいのかしら?もっと人数はいないの?貴方達だけで大丈夫なの?」


  初めて会ったというのに、次から次へと質問攻めにしてくる母親に、半分面倒臭さを感じながらも、丁寧な回答を心がける。


  「私、門倉と申します。こちらにいる床宮と共に、黒川様をお守りいたします。御安心ください。」


  門倉の言葉に、母親の顔つきが一気に曇ったのが分かった。


  そして、門倉と床宮を交互に見定め、靴から髪の毛の先まで見るように品定めをしたかと思うと、何とも不満げな声を出した。


  「二人?こちらの若いお二人が、うちの京介を守るっていうこと・・・?」


  「そうです。何が御不満でも?」


  はっきりと言われればまだ良いものを、母親は深いため息をつきながら、立花に向かって問いかける。


  毅然とした態度で立花が答えると、黒川を呼んでコソコソと相談し出した。


  「ちょっと京介、あの二人じゃ心配だわ。あのベテランっぽい人に守ってもらいなさい。」


  「う、うん。分かったよ。」


  聞こえていないとでも思っているのか、くるっと立花たちの方に向き直ると、ニコニコと笑みを見せながら、先程母親に言われた事を、そのまま口にする。


  「あ、あの。立花さんにもお願いしたいのですが。」


  「そうよ、それがいいわ!ねぇ?よろしいでしょう?なんてったって、京介はこれからの日本を担う、若き実力者よ!今何かあったら、日本全土の、いえ、世界中の人間が悲しみ、嘆き、悔やむことになるわ!」


  「・・・・・・。はぁ。」


  心底、くだらない親子ではあるが、権力者を相手にすることほど、面倒で慎重なことは無い。


  「御心配なく。私もサポートしますので。」


  立花がそう言うと、なんとか納得してくれたようで、少し、ほんの少しだけ大人しくなった。








  その頃、立花の事務所に、男が現れた。


  顎鬚を生やして、ある程度は整えてあるが、少しボサボサの髪の毛、好きなのか、下駄を履いている。


  一番目立つのは、何と言っても、独特のタレ目であった。


  ぽよん、と垂れているわけではなく、流し目のような雰囲気のタレ目を持っているその男は、事務所から出てきたあゆみを見て、うーん、と唸っていた。


  「あら、磯貝さん。どうぞ、あがってください。」


  「お、ポリ城。やっぱ、事務所ここだよな?このガキは誰だ?」


  なかなかお客を連れて戻って来ないあゆみを見に、入口の方に来た城田は、そこに磯貝がいることに気付き、声をかける。


  磯貝は、住所を間違えたかと思ったようで、あゆみを指さしながら聞いてきた。


  その指を握りしめて、あゆみはふにゃりと笑う。


  「あゆみだよ~。おじちゃんの姪なの。えっと、おじさんは和くんね!」


  「和くん?三十路超えたおっさんに、和くん?」


  「いいの、いいの。和くん、まあ、あがりなさいよ。」


  「じゃ、遠慮なく。」


  ダラダラとした歩きで、客人用のソファまで行くと、真ん中にドカッと座り、煙草の箱を取り出すが、しばらく何かを考えると、出さずにポケットにしまった。


  「煙草?良いわよ、吸っても。」


  城田が灰皿を用意しようと、磯貝にコーヒーを持ってきたが、また台所の方に向かおうとしたが、磯貝に止められる。


  「ああ、違うんだ。一日三本って決めてるからな。もう二本吸っちまったから、残りは風呂上がりに吸うんだ。」


  「和くん、偉いね~。ほら、お菓子あげる。」


  何処から持ってきたのか、あゆみは二袋のお菓子を持ってくると、それを皿に盛り付けながら、自分でもぐもぐ食べていく。


  そんなあゆみを、磯貝はじーっと見ているだけ。


  しばらくコーヒーを飲んで口を潤していると、事務所がガチャッと開く音が聞こえ、目的の人物が入ってきた。


  「ただい・・・あ?磯貝じゃねぇか。なんだ?」


  「よぉ、立花。」








  磯貝に、杏樹のお客から依頼が来た事を話すと、磯貝も手伝うと言ってくれた。


  その返答にホッとしながらも、相変わらず下駄を履いている磯貝に、立花は呆れたように話しかける。


  「お前、裸足で冷えないのか?」


  「ああ?ああ、これか?なんか楽なんだよ。それに、それを言うなら、床宮だって、いつも自由人だろ。」


  それに対して言い返せない立花は、無言で肯定を示す。


  だが、別に床宮は、性格が自由人というか、自分の軸を曲げていないだけであって、磯貝のように、見かけが自由なわけではない。


  城田がおかわりのコーヒーを運んでくると、あゆみにもミルクティーを持ってきた。


  静かにコーヒーを飲んでいると、ふと、磯貝が口を開く。


  「・・・。そういや、その黒川って男、評判最悪の代議士だろ?そんな奴守って、お前ら大丈夫なのか?」


  磯貝の言葉に、立花はカップを持っていた手を止めて、テーブルの上にそっと置いた。


  「ああ・・・。まあ、断るわけにはいかんだろ。あの状況で断れば、もっと面倒なことになってただろうしな。修司と凜で、なんとかしてもらおう。」


  「立花よ、お前、前よりも適当さに磨きがかかったな。」


  「褒め言葉として受け取っておこう。」


  時折、磯貝の下駄のカラン、という音が響き渡るが、呑気そうなタレ目の奥では、常に何かを考えているようだ。


  お昼すぎになると、磯貝は思い出したようにソファから立ち上がり、欠伸をしながら入口へと向かって歩き出した。


  「じゃあ、今から情報収集でも行ってくるわ。」


  「ああ、頼んだぞ。」


  事務所のドアが閉まっても、外からはカランカラン、と下駄の音が聞こえてくる。


  それがだんだん小さくなってくのを聞きながら、立花はあゆみからお菓子を奪い取り、テーブルの上に置いた。


  頬を膨らませて、怒りを表現しているが、すぐに城田にお昼ご飯を作ってくれるように頼むと、足をブラブラ動かし始めた。


  「倉ちゃんとリンリン、元気かな~。」


  「・・・。今朝会ったばかりだろう。」








  門倉と床宮は、苦労していた。


  開拓をする予定の場所を訪れ、土地の確認をしながら、どのような形にするのか、予算の見積もりなどを話し合っていた。


  建設現場の人とも話をし、問題点は無いかなど聞いた後は、同じ代議士の先生とやらと、お食事をしていた。


  黒川は、ニコニコと笑って誤魔化しながら、先生に御酌をしている。


  母親は母親で、ご機嫌取りの台詞を吐きながら、自分と息子の地位と名誉を手に入れようと必死である。


  「それで、黒川君。」


  「はい、何でしょう。」


  「反対派の年寄りがいると聞いたのだが、そっちは、どうなっているのかね?ちゃんと説得出来たのか?」


  「ええと・・・。」


  未だ、反対派がいる中で、無理にでも建設を進めようとしている為、答える事が出来なかった。


  代わりに答えたのは、黒川の母親だ。


  「先生、問題ありません。京介が、ちゃんと説明をして、みなさんに理解していただけるよう、全力を尽くしていきます。」


  「まあ、貴方がそう仰るのなら。・・・任せましたよ?」


  「ええ。さあ、先生。もっとどうぞ。」


  トクトクと、御猪口にお酒を注いでいく母親と、とりあえずこの場を乗りきれたと思っている黒川に、門倉も床宮も、正直、嫌気がさしていた。


  数時間に渡って食事をし、お開きになったのは、時計の針が上に真っ直ぐ伸びた頃。








  黒川の事務所の隣にある家に着くと、黒川の母親がくるりと振り返り、当然のように言ってきた。


  「貴方方は、玄関の外にいてくださる?」


  「「・・・はい?」」


  一瞬、何を言われているのか理解できず、頭に疑問符をつけたまま、二人は母親に聞き返した。


  「ですから、家の中にまでは入っていただかなくて結構です。貴方方は外から、京介を守ってくだされば、それでよいと言ったんです。」


  それでは、ボディーガードの意味が無いようにも感じたが、入るなと言われたのに、無理矢理入るわけにもいかず、何とか一人だけでも入れてもらおうとしたが、無駄な時間となった。


  門倉も床宮も、玄関の外で待機することになり、裏門なども頻繁に見に行ったり、物音にもいつも以上に敏感になる。


  無線で連絡を取り合っていた二人だが、途中、床宮からの返事が無くなった。


  「凜?どうした?」


  何かあったのかと、心配そうに無線に声をかけながら、床宮のいるはずの玄関の方へと急いでいく。


  無線から盛大なため息が聞こえてきて、現状を把握出来た門倉は、また巡回を続ける。


  「ちゃんと警備してるのか?」


  《してる。してるけどよ、修さん。馬鹿馬鹿しくねぇ?》


  「馬鹿馬鹿しい?」


  黒川本人の意思の無さや、母親の身勝手な物言いに対し、不満をぶちまける床宮は、今すぐ帰っていいと言われれば、きっとすぐに帰ってしまうだろう。


  床宮の気持ちが分からないでもないが、そうは言っていられないのだ。


  無線の向こうから聞こえてくる不満に、門倉がゆっくりと、低い声で、駄々をこねている子供をあやす様に話す。


  「凜、俺達の仕事は、依頼人を守ることだ。例えその途中で、馬鹿馬鹿しいと思っても、くだらにと思っても、守らなくちゃいけないんだ。分かるな?」


  《・・・。》


  拗ねているのか、答えない床宮に、門倉はそれ以上何も言わなかった。








  翌日、杏樹は十分に睡眠を取ったため、立花の事務所に向かっていた。


  フンフンと鼻歌を歌いながら歩いていくと、古びた事務所が見え、恋人にでも会いに行くかのように、急ぎ足で階段を駆け上がった。


  「ちゃお♪」


  事務所の扉を開けて、長い指をヒラヒラ動かしながら挨拶をすると、すでに起きて新聞を読んでいる立花から、返事が返ってきた。


  あゆみもソファに座り、テレビを見ていたのだが、そこには先客もいた。


  「あら、お久しぶりね?」


  「お、そうだな。相変わらず派手だなぁ・・・。」


  「和夫さん、貴方も相変わらず下駄なのね。」


  感動の再会、というわけでは無かったが、久しぶりに会った友人に、杏樹も磯貝も、心なしか嬉しそうだ。


  しばらくはお茶飲みをしたり、世間話をしていたのだが、立花がゴホン、とワザとらしく咳をし、本来の目的を思い出す。


  ポリポリとお菓子を食べているあゆみも、耳だけ傾けている。


  「で、磯貝、杏樹。何か掴んだのか?」


  その言葉に、磯貝はダルそうに髪の毛をボリボリかき、杏樹は口元を優雅に動かし、笑みを作った。


  まずは磯貝から話出した。


  「黒川の母親は、昔から金の亡者で、金の為に結婚し、金の為に仕事も辞めた。賄賂なんてしょっちゅうだ。息子の京介は、母親のいいなりで、小さい頃からカードを持ってたらしい。今回問題になってる開拓地の方も、金で手に入れたんだと。土地の所有者は、借金があって金に困ってるから、迷ったものの、手放した。」


  続けて、杏樹も話し出す。


  「建設完成予定は再来年の六月頃。建設にかかる費用は、事務所からも、市町村からも国からも出ないそうよ。とは言っても、費用の半分は出すようだけど、残りの半分は、協力し合いましょうって言って、反対している、その土地と、周辺の地域の税金から賄うらしいわ。どう考えても、難しいわよね。っていうか、無理?」


  村人が反対する理由が分かったが、そもそも、そんな施設や研究所など、本当に必要なものだろうか。


  確かに、土壌などの研究や、農業の研究に関して言えば、最適の場所なのかもしれないが、それなりの説得の仕方があるはずだ。


  そこまで頑なに反対されるのは、何故だろうか。


  立花が考えだすと、それを察知したのか、磯貝が答える。


  「あそこの土地、それほど価値は無いらしい。だが、そこに住んでる人が言うには、孫たちが遊びに来た時、四季折々の景色を見せたり、美味しいものを食べさせたいって、言ってるようだ。ま、これは、あの土地の近くに住んでる俺の旧友に聞いた話だから、みんながみんな、そうとは限らねえかもしれねぇけどな。」


  「それから、あそこって、お年寄りが多いでしょ?だから、老人ホームとかの施設を作って、お金稼ぎしようとしてるのかもね。自分で将来入る場所を、自分達のお金で作ってる・・・。なんか、嫌ね、そういうの。」


  すらっとした足を組み直しながら、杏樹はなんとも言えない、辛そうな表情を見せた。


  磯貝も、天井を見上げながら、本日一本目の煙草を口に含み、プハーッと息を吐くと、煙は天井に行くに従って、静かに消えていった。


  大人しく話を聞いていたあゆみは、ぱさぱさになった口内を潤すため、飲み物を流し込む。


  ハァ、とため息をついた立花は、一呼吸すると、磯貝と杏樹に伝える。


  「分かった。また何か分かったら、頼む。」


  それに対し、磯貝は煙草の火を灰皿に押しつけながら、「ああ」と返事をし、杏樹は杏樹で、艶めかしく笑って、「勿論よ」と答えた。


  磯貝と杏樹が事務所から出ていくと、あゆみが口を開いた。


  「おじちゃん、倉ちゃんとリンリンとこ、行かなくていいの~?あのおばちゃん、怒ったらヒステリー起こすと思うよ。」


  「・・・。それは困るな。」


  そう言うと、立花はおじさん臭い掛け声を言いながら、ソファから立ち上がり、腰辺りを手で摩る。


  それを見ていた城田が、部屋から立花のコートを持ってきて、手渡す。


  コートを受け取ると、立花も事務所から出ていった。








  「おはようございます。」


  丁寧にお辞儀をしながら、朝の挨拶をする門倉に対し、黒川と黒川の母親は軽く手を揺らした程度。


  黒川が車に乗り込むと、門倉は助手席に座り、床宮には後ろに乗る様に指示する。


  車の中でも、ぺちゃくちゃと喋っている母親に、黒川は何も言えず、ただ楽しそうに頷いているだけだ。


  手帳を取りだして、今日の予定を早口に告げると、早速、開拓の作業現場へと向かう。


  ガタボコしている道を抜けると、幾つかの家屋があり、そこから数人の村人であろう人達が、嫌そうな顔でこちらを見ている。


  車から下りて、設計図を見ながら指示を出している人物の許に着くと、昨日から何も変更が無い事を確認する。


  何事も無く話を終えて、再び車に乗ろうとしたとき、黒川の足下に、石ころが投げつけられた。


  大したことではないのだが、門倉と床宮はすぐに反応し、黒川の前に立ちはだかりつつ、床宮が黒川を押し込む形で車に乗せる。


  ふと、村人の一人と目が合ったかと思うと、ものすごい形相で、こちらを睨んでいた。


  手には農作業で使うのだろう、鍬が握られていて、今にも襲いかかってきそうだ。


  黒川を車に乗せた事を確認したかしないうちに、車を走らせるが、なおも石ころを投げつけられ、車に傷がついてしまう。


  床宮は黒川と一緒に車に乗ったため、門倉は立花に連絡を取る。


  「おやじ、今床宮が一人でガードしてます。応援に行ってください。」


  《わかった。》


  立花からの返事を確認すると、鍬を持った村人が、門倉の方に近づいてきた。


  村人と向かい合うように立っていると、村人が門倉を呼んだ。


  「そこの若いの、お前、あいつらの仲間か?」


  「仲間・・・。」


  眉を顰め、眉間にシワを寄せながら少し考えた後、門倉は答える。


  「その単語は適切ではありません。黒川さんとの関係を示すだけなら、“仕事”としか言いようがありません。仲間でも、敵でもありませんので。」


  若干曲がったネクタイを直し、Yシャツもピシッと直しながら、村人に敬語でそう告げると、村人は鍬を突き付けながら言い放つ。


  「いいか、あいつらに伝えておけ。ここはワシらの畑じゃ。お前ら何かに渡さんとな。」


  「・・・分かりました。一字一句間違えの無いよう、伝えておきます。」


  門倉が落ち着いた声で言うと、自力で山道を下って行った。








  門倉から連絡を受けた立花は、急いで床宮と合流した。


  「大丈夫、京介?もう怖くないからね。安心しなさい。」


  「う、うん、母さん。」


  子供じゃあるまいし、と言えない立花は、二人の傍にずっと立っている床宮に近づき、何があったのかを詳しく聞いた。


  ブスッとしながらも、立花に詳しく説明をする。


  磯貝の旧友が言っていたことを思い出し、自分達が本当に守るべきものは何なのか、頭を揺すって考えるのを止めた。


  立花の存在に気付くと、母親は黒川の両肩を抱きながら、叫ぶように話し出した。


  「ちょっと!京介に石が当たってたら、どうしてくれるの!?役に立たないじゃないの!!」


  「誠に申し訳ありません。」


  「そこにいる貴方の部下も、ノロノロとしちゃって・・・!!貴方方はどうなったって、困る人なんかいないだろうけど、京介がいなくなったら、みーんな、みーんなが困るのよ!?分かってらっしゃるの!?」


  「はい。すみません。」


  母親に罵られる度に、機械のようにペコペコと何度も頭を下げている立花に、床宮はその場から逃げるように飛び出した。


  「反省もしてないのね!本当、木偶の坊なんだからっ!!」


  「・・・。すみません。」


  飛び出していった床宮の後を追い、立花も外へと歩いてきた。


  肩を大きく動かして、不機嫌を露わにしている床宮の近くに行くと、頭を引っ叩いた。


  「何すんだよ!」


  「おら、戻るぞ。まだ仕事中だ。」


  「戻ってなにしろってんだよ!どうせ俺は役に立たねえよ!」


  地面を強く蹴りあげて、苛立ちを隠せないでいる床宮に、諭す様に言葉を投げかけるが、全てを捻くれて受け取ってしまう。


  いつまでも動こうとしない床宮に痺れを切らし、立花は床宮の胸倉を掴みあげる。


  「凜、いいか。役に立つかどうかは、これから決まるんだ。そんなに悔しいんだったら、お前の意地とプライド、見せてみろ。」


  そう言って、乱暴に突き放すと、立花は黒川の待つ部屋まで戻って行った。


  その立花の背中を見て、床宮は唇を噛みしめ、最後に、今まで以上に、一番強く地面を蹴って、立花の後を追いかけていった。








  なんとか黒川の事務所まで戻って来られた門倉は、立花とも合流でき、磯貝と杏樹からの情報のことも聞いた。


  「よく戻って来られたな。」


  「ヒッチハイクをしました。」


  門倉は、開拓地での出来事を話し、そこで会った村人の事も話す。


  磯貝の話と総合し、黒川が金で村人から土地を買ったことも、他の村人は何があっても施設なんか作らせないと言っていること、それを黒川は受け入れようとしていないこと、それを恨まれていることが、より詳しく理解出来た。


  母親の言う事を否定も出来ない黒川自身も悪いが、我が子を可愛がるあまりに、他の事に気を配れない母親も母親だ。


  黒川と母親は、今すぐに、石ころを投げてきた村人の事を訴えると言いだした。


  「ちょっと待ってください。怪我を負ったわけでもありませんし・・・。」


  冷静になって話し合った方がいいと、立花が黒川の母親にストップをかけたのだが、もはや、怒りに身を委ねてしまっているのか、一向に聞こうとしない。


  「京介、貴方に何かあれば、日本中の国民が困るの。分かってるでしょう?貴方に危害を加えようとしてる、あんな小汚い年寄りなんて、捕まえてもらいましょ!」


  母親の意見に、同意することしか出来ない黒川。


  母親はすぐに警察に届け出に行くと言いだし、運転手を呼び付けると、黒川を連れて車に乗り込んだ。


  立花も同行することにし、門倉と床宮は、いつもの定位置に座る。


  まさに今、あゆみの言っていた“ヒステリー”を起こしている状態だ。


  警察に乗り込み、勝手な妄想まで入れこんだ事情を説明すると、警察も、相手が代議士なだけあってか、断るに断れないでいた。


  身振り手振りを交えた激しい猛抗議の結果、なんとか注意します、と答えが返ってきた。


  「京介、明日、ちゃんと話し合いに行きましょう。」


  「え?でも・・・。」


  「いいわね!?このまま黙って引き下がれないわ!」


  強引に同意を求めると、黒川は通常の業務に戻った。








  立花だけは、黒川の家に入れてもらう事が出来、黒川の傍で見張ることが可能となった。


  ピリリリリー


  立花の携帯が鳴ったかと思うと、表示された名前を確認すると、黒川に聞こえないように場所を移動し、話出す。


  「磯貝か。何か分かったのか。」


  《ああ、まぁな。母親の方なんだが、昔脱税の疑いで家宅捜索されてるな。ま、そんときは何も出なかったらしいんだが、当時の関係者の話じゃ、脱税はやってたってよ。上手く隠して、難を逃れたようだ。今はどうかしらねぇが、立派な家に住んでるんだ。それなりに、金はあるんだろうな。》


  「そうか。その辺、もっと詳しく頼んだぞ。」


  《ああ。じゃあな。》


  電話を切って黒川のもとに戻ると、母親がほとんどの仕事をこなしており、黒川は助手のように、簡単な手伝いをしているだけだった。


  なんとも滑稽なその光景を見て、立花は思わずため息をついてしまう。


  外には、門倉と床宮がいるためか、立花からピリピリとした空気は感じられず、そこらへんにいる、ただのおじさんのようだ。








  その頃、家の外の二人は、手分けをして警戒を続けていた。


  《修さん、修さん。》


  「なんだ。」


  何とも緊張感の無い、何か面白いものでも見つけたかのような口調で、床宮が話しかけてきた。


  《あの爺さんたちが危ないってんならさ、此処で警備する必要って、無いんじゃねぇの?黒川が向こうに行かない限り、石一つ投げられないだろ?》


  「まあ。それもそうだが、そうはいかないだろ。依頼を引き受けた以上。それに、あの人達だけが狙ってるとは言い切れない。」


  《他からも恨み買ってそうだしな。でも、少しだけ寝たいって、俺の脳味噌が悲鳴を上げてるんだよ。どうすりゃあいい?》


  「・・・知るか。針で額でも刺しとけ。」


  《嫌だ、修さん。S発言。》


  無線の向こうにいる床宮を、今此処に連れてきて、説教の一つでもしたいと思った門倉だったが、自分は大人だと言い聞かせる。


  黒川の訪問者チェックも欠かさず行い、一日中、屋外警備が続いた。








  翌日、黒川の母親は、村人を訴えるために意気込んでいて、黒川はその気迫に圧倒されていた。


  いつものように、車に同乗すると、黒川の母親は何度も肩を激しく動かし、これから始まる事態に、興奮しているようだ。


  バックミラーを見ていると、先程からずっとついてきている車があった。


  尾行だろうか、とも思ったが、乗っている人物が分かった時、後ろにいる立花とミラー越しに目が合い、少しだけ、立花がニヤッと笑った気がした。


  昨日も来た場所に着くと、黒川の母親が、ズンズンと歩き出して、黒川がその後をいそいそとついていく。


  ―逆だろう・・・。


  心の中での言葉と同時に、身体から重苦しい息を吐きだす。


  ついてきた車から、知った顔の二人が下りてきた。


  「ちゃお♪」


  「その様子だと、何か掴んだようだな。」


  「まぁね。任せて。」


  モデルのような体系に、派手なメイク、この場所には一生縁の無さそうな格好で現れたのは、杏樹だ。


  その傍らで、杏樹のマネージャーのように、運転席から出てきたのは、磯貝だ。


  運転の為に運動靴を履いていた磯貝は、後ろに持ってきていた下駄に履きかえると、タレ目を擦りながら歩いてきた。


  黒川を嫌う村人が、次から次へとどんどん顔を出してきて、とことん嫌そうだ。


  「昨日、京介に石を投げてきたのは、どなた?」


  どこまでも届くような大きな声で、黒川の母親が叫ぶが、誰も彼もが出ていけだの、帰れだのと言うばかりで、自分だと出てくる者はいない。


  すると、門倉の視界に、昨日のお爺さんが目に映った。


  ものすごい形相で黒川を睨みつけていて、獣を銃で狙うように、鋭い視線で牙を向ける。


  「勝手に俺達の土地に手を出すな!」


  「そうだ!ここは、俺達の村だ!勝手にはさせねぇ!」


  「帰れ!!さっさと帰れ!!」


  飛び交う非難の言葉にも、母親は動じることなく、逆にフンッと鼻で笑うと、言い返した。


  「勝手?ちゃんとお金を払ったわ!それに、こんな畑やら田んぼやらで無駄に使われるよりも、未来の為に、私たちが有効に使ってあげるのよ?感謝してほしいくらいだわ!」


  この言葉に、昨日石を投げてきたおじいさんが、前に出てきた。


  そして、また地面に落ちている石を手に持ち、黒川の母親に向かって投げつけてきた。


  だが、その石は母親にあたることは無く、母親の前に立ちはだかった立花の額に、若干の傷を残す程度で当たった。


  おじいさんは、それを見て、悔しそうに表情を歪めている。


  「龍平さん、大丈夫?」


  「ああ、大したことはない。」


  杏樹が心配してかけよるが、掌を出して大丈夫である事を伝えると、杏樹は近づくのを止めた。


  「ここは・・・ここは・・・。」


  おじいさんが、口を震わせて、黒川たちを睨みながら叫んだ。


  「ここは、ワシたちの生きる場所じゃ・・・!」








  「生きる場所・・・ですって?」


  母親が、小馬鹿にしたように笑い、天にまで届くほど大声を出す。


  「こんな田舎が生きる場所?馬鹿馬鹿しいわ!家なんて、何処にでも作れるじゃないの!野菜だって、お米だって、お店に行けば何処でも買えるわ!」


  「何じゃと・・・!?」


  「土いじりしてるだけなんて、貴方方、必要ない人間なのね。」


  今までは野次を飛ばす程度だった村人も、今の母親の言葉に反撃をし始めたが、そんなもの聞こえないとでも言いたげに、無視をしている。


  カッとなったおじいさんが、母親に殴りかかろうと、拳を作って走りだした。


  ―ヒュッ


  風を切る音だけが耳に届き、沈黙が訪れた。


  おじいさんの腕を掴み取ったのは、今まで冷静に物事を聞いていた門倉で、それほど力を入れずに、優しく掴んでいた。


  門倉に掴まれた腕を何とか振りほどこうと、暴れるおじいさんだが、門倉が尚も離そうとせず、徐々に力が強くなっていくことに気付き、諦めたようだ。


  おじいさんが、これ以上何もしないと判断した門倉は、掴んでいた腕を離し、謝る。


  「すみません。痛くはありませんか。」


  「あ、ああ。平気だ。」


  一応確認してみたが、少しだけ赤くなっている程度だったため、門倉は安心した。


  だが、その門倉の取った行動を見て、狂うように叫び出した人物がいた。


  「ちょっと、貴方!どう言う心算!?そこの年寄りは、私に危害を加えようとしたのよ!?昨日は大事な大事な日本の宝物である京介を!!!殺人未遂で捕まってもおかしくないでしょ!?なぜ解放するのよ!捕まえておきなさい!」


  そんな罵声を浴びても、門倉は平然としていて、おじいさんの方がハラハラしているようにも見える。


  母親がギャンギャンと喚いていると、何処からか、煙草の臭いが漂ってきた。


  母親もそれに気付き、そちらの方へと視線を向けると、磯貝が何食わぬ顔で煙草を吸っていたのだ。


  それを見て、ポカンと口をだらしなく開けた母親。


  「ちょ、ちょっと!こんな時に、どういう神経してらっしゃるの!?」


  「あ?ああ、急に吸いたくなったもんで。」


  母親が怒っているのを止めようと、黒川がキョロキョロ見渡して、誰よりも頼りにしている杏樹の許へと向かった。


  「杏樹ちゃん。あの人になんとか言ってくれないか?母さんをこれ以上怒らせたら、どうなるか分からないよ。」


  おどおどしながらも、母親の怒りだけを心配する黒川に、杏樹はニコッといつものように笑うと、鋭い言葉を突き付ける。


  「黒川さんが今すべきことは、お母様を宥めることじゃなく、村の人への謝罪じゃなくて?」


  優しい笑みを向けられながらも、今の黒川にとっては、牙よりも棘よりも鋭い刃物で、身体を切り裂かれたような感覚に陥る。


  相変わらず笑っている杏樹は、黒川の母親の近くまで、ファッションショーのような歩き方で近づいていく。


  そして、鞄の中から何かの資料を取り出す。


  その紙を、母親の顔の前にズイッと突き付けて、穏やかな声で告げる。


  「お母様?脱税はいけませんよ?」


  「な、何の事?」


  フーッと息を吐き捨てながら、磯貝が煙草の火を消し、胸ポケットに入れてある携帯灰皿に吸い殻を入れる。


  杏樹の傍まで寄ると、続きの説明を始めた。








  「あんたが脱税してたのは、昔の関係者の話を聞いたから、確実だ。」


  「誰の事?それに、お金は出てこなかったはずよ?」


  磯貝の話に、腕組みをしながら反論する。


  「確かに、警察や査察官が事務所に入った時、あんたの近くに金は無かった。」


  「ほら、ごらんなさい。」


  「で~も。」


  ヒールでは歩きにくいだろうデコボコな場所も、平気で歩いている杏樹が、立花にも書類を手渡しながら続ける。


  「その時のお金の隠し場所、分かっちゃった♪」


  悪戯っ子のような笑みを浮かべた杏樹に、母親は目を大きく開き、顎が外れそうなほどに口を開け、驚いた表情を見せる。


  すぐに我に返ると、頭を思いっきりブンブンと振って、杏樹を見て笑う。


  「お金の隠し場所・・・?何のことだかさっぱりだわ。」


  「じゃあ、何でこの村にこだわる?」


  母親の余裕ぶった言葉に、素早く切り込んだ磯貝。


  ほんの一瞬、ビクッと肩を動かしたのを見逃さなかった立花は、磯貝と杏樹を見て、続きをするようにアイコンタクトで指示する。


  それは門倉と床宮にも分かり、黒川と母親をじっと見る。


  「そ・れ・は?此処に、埋めたからよね?お・か・ね❤」


  杏樹の挑発するような言い方に、母親は怒り心頭し、掴みかかる様に向かって行ったが、磯貝が杏樹の腕を引っ張ったため、容易く受け流せた。


  顔を真っ赤にし、見るからに怒っている。


  「どういうことだ?」


  ずっと話を聞いていた床宮だが、どうも一人だけ着いてこれていないようで、立花の肩をポンポン叩いて聞く。


  「つまり、だ。」


  ため息をつきながら、黒川の母親の許まで歩いていき、一度だけコホッと咳をする。


  「埋めた金を取り戻すために、何が何でもこの場所を掘り返すっていう理由、口実だな。が、欲しかったってことだ。」


  ギラッと母親を見る立花の目は、犯人を捉えた警察官のようだ。


  それでもなお、言い逃れをしようとしている母親を、黒川は庇うようにして立花たちの前に立った。


  「か、母さんは、そんなことしない!」


  「黒川さん。お金が出てきて、指紋を調べれば分かる事です。」


  「違うんだ!母さんじゃない!きっと、村人が腹いせにやったんだ!母さんがそんなことするわけが無い!」


  いつまでも母親にしがみ付き、一人で立つことすら出来ない黒川を、磯貝が母親から引き剥がすようにして首根っこを掴んだ。


  ヘナヘナと地面に座り込んで、意気消沈している。


  おじいさんは不安気に門倉を見ると、門倉は口元だけ少し緩め、落ち着いた声で伝えた。


  「もう大丈夫ですよ。一度詳しく調べるために、土を掘り返すかもしれませんが、その後はちゃんと元に戻ると思います。」


  「あ、ありがとうございます!!」


  嬉しそうに、涙を浮かべながら村人同士で励まし合い、何度も何度も御礼を言いながら、家へと帰って行った。








  警察に連絡し、黒川と母親は車の中でだんまりだ。


  「・・・なんかなぁ・・・。」


  「何だが?」


  「修さんはどう思う?黒川。あいつ、これからどうなんのかな。」


  「珍しいな。人の心配するなんて。」


  城田が車の中で待機をし、その隣には、なぜかお菓子をモリモリ食べているあゆみがいる。


  杏樹と磯貝も先に帰ってしまい、床宮は何気なく思ったことを、ふと、口に出していたようだ。


  「正義正義言ってたくせによ。」


  ちらっと、車の中にいる黒川と、黒川の母親の表情を見てみると、来るときとは正反対に、生気すら抜けてしまっている。


  脱税の証拠でもある書類を突き付けられては、もはや何の言い逃れも出来ない。


  ここまで、精一杯築き上げてきた地位も権力も信頼も、こんなにも簡単に崩れていってしまう。


  「・・・仕方無いな。」


  「何がだ?おっさん?」


  腕組をしながら、何処を見ているのか分からないが、遠くの空の方を見ている立花の言葉に、床宮は首を傾げる。


  同時に、門倉も立花の方に顔を向ける。


  「正義を語るだけなら、ガキにだって出来る。重要なのは、それを実行出来るかどうかだ。日本を良くするだか、世界を変えるだか、それは何でもいいが、綺麗事を並べたなら、責任もって行動しなきゃならねぇ。大人、特にあいつみたいな大人の代表はよ。」


  「え、あいつが俺達の代表なの?俺断る。」


  どうでもいいところに喰いついた床宮に、立花は笑い、門倉はため息をついた。


  しばらくして警察が到着すると、黒川の母親は事情聴取に連れて行かれ、黒川本人も、色々と話を聞きたいと言われて、警察に向かった。


  依頼料は、警察から戻ってきた黒川に、ちゃんとしたお金で貰う事が出来た。








  「それにしても、権力って怖ぇーな。」


  テレビから流れてくる、政治家の献金問題や、大学教授のセクハラなど、立場を利用した犯罪が多いことに、床宮も愕然とする。


  「時代が進んで、技術なんかが発展することは良い事だが、その一方で、心ん中が貧しくなっていってるのも事実だ。人間は、弱い生き物なんだよ。」


  足を組み、新聞を読みながら答える立花を見て、床宮は「んー」と唸っている。


  黒川の母親が捕まったことがニュースになり、黒川は謝罪のためにメディアの前に立つが、いつにもなく緊張しているように見える。


  謝罪文を読んでいるだけなのが分かる姿に、マスコミはどんどん突っ込んでいく。


  可哀そうかもしれないが、それだけのことをしていて、それだけのことをしているのだ。


  母親が脱税を行っていたことを知らなかったと言っても、きっと世間はその言葉を信じないだろう。


  冷めた目で黒川を、政府を見るのは目に見えている。


  「リンリン、おやつですよ~。」


  「お、サンキュ。」


  パタパタと、床宮の許まで来ると、あゆみはお菓子を盛った皿をテーブルの上に置き、それとは別の大きめの皿を持って、いつものソファに座った。


  「倉ちゃんも食べてね。このアールグレイのチョコレート、美味しいって書いてあったから、買ってみたんだ。」


  「ああ。」


  返事をしてはいるが、門倉はパソコンをカタカタいじっていて、お菓子の方もあゆみの方も、ちらっとも見なかった。


  「何してんだ?修さん。」


  「家計簿つけてる。」


  「え、何でそんなお母さん的ポジションになってんの?」


  「馬鹿言うな。いつもは城田さんがやってるんだ。今日は警察の方に手伝いに行ってるから、俺が代わりにやってるんだ。」


  元警察官の城田は、黒川の脱税に関して、警察に協力してほしいと頼まれた為、しばらく休むようだ。


  数字を打ちこんでいくと、赤字なのか黒字なのかがすぐに分かる。


  はぁ、と門倉がため息をつくと、立花が床宮に買い物を頼んだ。


  最初は嫌がっていた床宮だが、すぐ近くにある喫茶店に行って、いつも城田が予約して買っておいてくれるコーヒー豆を、受け取ってくるだけだと言われ、渋々出掛ける。








  「いつもの頼む。って言えば分かるって言われたんだけどよ、分かるのか?」


  「ああ、直子ちゃんの代わりの人かい?分かるよ。ちょっと待っててくれ。」


  ちょび髭を生やした、なんとものんびりとしたマスターが、店の奥の方に向かい、ゴソゴソと何かを探し出す。


  ほんの数十秒待つと、コーヒー豆の入った袋を渡された。


  袋を受け取り、立花に渡されていたお金を渡すと、おつりでコーヒーに合うクッキーを買って行くことにした。


  帰り道、床宮が欠伸をしながら、スケボーをそろそろ新しいのにしたい、と考えながら歩いていると、腹あたりに、何かの衝撃を感じた。


  ふと、視線を下に向けると、床宮の腹あたりまでしか背丈のない、ランドセルを背負った少年がいた。


  床宮を見上げるようにして見ると、可愛らしく無い言葉を発する。


  「邪魔なんだよ。どけよ、おっさん。」


  「おっさん!?」


  まさかのおっさん発言に、床宮は両膝を曲げて少年と目線を合わせると、眉間にシワを寄せながら言い返す。


  「まだ二十四の若者に、“おっさん”は無ぇだろ?ガキ!・・・あ?」


  しゃがんで少年の顔を間近で見てみると、少年の顔に、青痣があるのを見つけた。


  「おいガキ、その痣どうした?転んだのか?」


  「・・・うるせぇな。おっさん。」


  「あのなぁッ・・・。はぁ・・・。」


  コーヒー豆の袋を持っている手では無い方の手で、自分の紺の髪の毛をくしゃくしゃにすると、床宮は呆れたように立ち上がる。


  そのまま帰ろうとすると、少年が偉そうに、上から目線の言葉を投げてくる。


  「おっさん、仕事してんのか?」


  「・・・つくづく生意気なガキだな・・・。まあ、一応な。なんでだ?」


  「何の仕事してんだ?」


  「ああ?・・・なんてーか・・・ボディーガードって、知ってっか?」


  小学生には難しいかと思い、説明をしてあげようかと思った床宮に対し、少年から「知ってるよ」と答えが返ってきたため、口を閉ざした。


  そして、それから床宮を睨んでいるのか、品定めしているのか、そういう類の視線をし始めたため、床宮は何か用があるのかと聞く。


  「・・・あのよ、おっさん。」


  「おっさんじゃ無ぇ。まだピチピチのお兄さんだ。」


  「おっさん、俺のことも“ぼでぃがぁど”してくれるのか?」


  「・・・・・・・・・・・・・あ?」








  「凜のやつ、遅いですね。」


  「まさか、余計な仕事増やしてんじゃねえだろうな・・・。」


  門倉と立花は、軽くハハ、と笑い合っていた。


  その“まさか”の事態になることは、この後、数十分後に判明することとなる。






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