第2話想いを砕く風





菩提樹

想いを砕く風


 人生には、全てをなくしても、それに値するような何かがあるんじゃないだろうか。


映画「風とライオン」より






































   第二護 【 想いを砕く風 】




























  久保田のボディーガードが始まり、店の外では床宮が待機し、中までは門倉が一緒に入ることになった。


  それはいいのだが、久保田という女性は、どうやら大手企業の女社長のようだ。


  盗み聞きしているわけでは無いが、自然と耳に入ってきてしまうものは仕方ない。


  今、久保田が接待している会社には、他の会社からも契約を迫られているらしく、色々と会社の待遇などで決めようとしているのだろう。


  久保田にとってはライバルとも言える会社には、これといった武器になりそうな技術や人材、お金の余裕も無いのだが、若い社員が多いという。


  それは、男性、女性に限った事では無いようなのだが。


  膝少し上の丈のスカートから見える、というか見せている(それが美脚なのか門倉は知らないが)脚を伸ばす。


  黒いストッキングが、より色っぽく、女性らしいラインを作りだしている。


  さらに、Yシャツのボタンを二つ開けて、胸元を中央に寄せる事で、胸を少しでも強調しようとしている。


  豪勢な食事が並んではいるが、当然ながら、門倉と床宮は食事出来ない。








  会食が終わったのは、夜十時の頃・・・。


  笑顔で相手を見送ると、次の瞬間、久保田は冷めた目つきに戻り、鬱陶しそうに髪の毛をかき上げる。


  Yシャツのボタンも閉め、上着を羽織る。


  来た時のように車に乗り込むと、柴田にどこかの居酒屋に寄る様に伝える。


  プライドの高そうな女社長が、居酒屋などに行くのかと思っていると、門倉と床宮に、疲れた声で聞いてきた。


  「貴方達、お酒呑めるの?強い?」


  久保田の問いかけに、二人揃ってキョトンとしてしまう。


  ポカン、と口を開けている床宮に対し、半開きになりそうになっていた口を閉じ、門倉は久保田に答える。


  「呑めないことはありませんが、何分、仕事中ですので。」


  「構わないわ。呑めるなら呑んで頂戴。そこにいる柴田、下戸なのよ。頼むわ。」


  「・・・はい。わかりました。」


  酒に呑まれる様なことがあれば、それは依頼人、つまりは久保田本人にも危険が及ぶかもしれない、ということなのだが、どうやら久保田もストレスが溜まっているようだ。


  サラリーマンが行き交う中、久保田は迷わずに、ある居酒屋に入っていく。


  そこが久保田の行きつけのお店であろうと、容易に理解できた。


  門倉と床宮も中に入り、久保田の隣と後ろの方の席に座ろうとするが、久保田によって阻止された。


  「ちょっと、話聞いてた?呑むって言ったんだから、一緒に呑むんでしょう?そんなに離れないで、二人とも隣に来なさいよ。」


  「ですが・・・。」


  「いいから。早く。」


  最後は、強引に久保田に腕を引かれて、隣に座ることになってしまった。


  お酒と枝豆、から揚げに焼きとりとモツ煮を頼み、三人の間に適当に並べると、割り箸を割って食べ始めた。


  一人で黙々と食べていた久保田に、店の主人が声をかける。


  「なんだい、今日は男と一緒かい?」


  「そうよ。羨ましいでしょ。」


  一応、軽い冗談を言える人なのだと、この時気付く。


  ちょびっとずつしか食べない二人を見て、久保田は不機嫌そうに、二人の後頭部を一斉に叩いた。


  「もっとガンガン食べなさい!最近の男って、どうしてそうチビチビ食べるのかしら?男のくせにダイエットでもしてるの!?」


  「いえ、そういうわけでは・・・。」


  門倉が否定をすると、いきなり口に、から揚げを放り込まれた為、言葉を発することが出来なくなってしまった。


  モツ煮が気に入った床宮は、ひたすらモツ煮を食べていた。








  「あの、久保田さん。そろそろ帰った方がいいかと・・・。」


  腕時計を見てみると、すでに深夜十二時を過ぎていた。


  確か、明日も会議やら何やらあるのだと、ブツブツ文句を言っていたため、門倉は何とかして、久保田を送ろうとする。


  だが、店の主人に愚痴を言い続けている久保田は、なかなか動こうとしない。


  まだお酒を呑もうとした久保田が、グラスを主人に渡そうとしたため、門倉は久保田の手首を掴み、止める。


  「家まで送ります。ちゃんと休んだほうがいいと思います。」


  ため息交じりに告げると、久保田はまじまじと門倉の方を見て、スーツの隙間に見えるネクタイを思い切り引っ張る。


  グイッと引っ張られ、久保田の顔が近距離に見える。


  「貴方・・・、よく見たらいい男ねぇ?」


  「はい?」


  「あーあ、酔ってるね。兄ちゃん、無事に送って行ってやってくれ。」


  デロンデロンになった久保田を、門倉と床宮でなんとか車まで運ぶと、柴田が御礼を言い、家まで送っていく。


  車の中でも、愚痴を言っているため、床宮が「はいはい」と応答する。


  立派なマンションの前に到着すると、駐車場に入り、裏口から部屋までエレベーターで昇っていく。


  いつも柴田はここまでしか送らないため、業務を終えて自然な流れで帰って行った。


  途中、口を押さえて吐き気を訴えた久保田の背中を、床宮が摩る。


  エレベーターが開くとすぐに部屋の鍵を開け、中に入ってトイレに向かって行った。


  「修さん。俺、なんか疲れた。」


  「俺もだ。」


  無事に久保田を送る事が出来たのは良かったのだが、生憎、門倉も床宮も帰ることは出来ない。


  本来、玄関の外で待っているべきなのだろうが、久保田は泥酔していて、玄関に鍵をかけることも出来ないと判断し、さらに、重要書類と思われる資料などが、床に散乱しているため、それを片づけ始めた。


  テーブルの上に置いておくだけだったが、なんとも膨大な量であることが分かる。


  寝ている久保田を、ベッドまで運ぶことも考えたが、そこまでは仕事内容として入ってはいない。


  「修さん、どうすんだ?」


  「・・・。仕方ない。凜は部屋で待機。俺は玄関にいる。何かあったらすぐに連絡しろ。」


  嫌だ、と答えようとした床宮だが、門倉が無線で立花に現状報告をし始めたため、大人しく久保田の部屋の窓の開閉を確認し、入口付近に立つことにした。


  突然、ピーッという音がしたが、すぐにそれが固定電話の留守番電話のものであると分かった。


  数件のメッセージが入っているようだが、当然勝手に聞く事など、人として、仕事としてダメなので、久保田が起きて、気付く事だけを願う。


  カチカチ、と時計の針が進んでいく。


  午前七時になると、むくり、と身体を起こした久保田は、日課なのか、窓を開けると留守電を次から次へと聞いていく。


  適当に聞き流していた床宮だが、一件だけ、聞き過ごせない内容のものがあった。


  《・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・お前が、一番屈辱を味わう方法で、殺してやる!》


  ちらっと久保田を見てみたが、本人は気にしていないようだ。


  「あの、さっきのって・・・。」


  「ああ、あれ?いつものことよ。怨まれる事も多いの。一々気にしてられないわ。それに、所詮こういうことする奴は、堂々と人の前に出てくることも出来ないような、そんな奴ばかりよ。」


  そう言うと、久保田は着々と仕事へ向かう準備を始めた。


  「今からシャワー浴びるから。覗かないでね。」


  誰が覗くか、と言い返すことも出来ず、久保田がシャワーを浴びるために風呂場向かい、扉が閉まったのを確認すると、先程のことを門倉に報せる。


  留守電を調べてみたが、非通知からの電話で、番号を確認することは出来なかった。


  床宮からの連絡を受けた門倉は、起きているか分からない立花に連絡を入れる事にした。


  だが、なかなか繋がらず、少し経ってからまた繋げてみようと思った時、「はい」という、何とも単調な声が聞こえてきた。


  「おやじ?」


  《ブ―。残念ですが、あゆみですよー。倉ちゃんですか?おじちゃんは今、えっと・・・。杏樹さんのところに行ってますね。》


  「坂本さんの・・・?そうか、分かった。なら、今から言う事を伝えておいてくれ。」


  《アイアイサ―。》


  適当な返事が聞こえたが、サラサラと、紙か何かにメモを取っている音が聞こえた。








  「柴田、今日の予定は?」


  車の中で、優雅に足を組み、耳に髪の毛をかけながら、運転席にいる柴田に問いかけると、手帖を開く事も無く、予定を言って行く。


  全て頭に入っているのだろうが、そもそも、運転手と秘書が同じということに、問題があるように感じる。


  窓の外から見える風景の中からも、不審な人物はいないかを、瞬時に判断していく。


  会社に着くと、門倉が先に下りて、車の周辺を確認しながら久保田を誘導する。


  社長室まで行くにも、久保田専用エレベーターのように、久保田と門倉と床宮しか、エレベーターに乗らなかった。


  社長室に着くと、すぐに豪華な椅子に座り、足を組む。


  会議の責任者を呼び出し、今日の会議のプレゼンの内容と、資料などの誤りがないかを確認させる。


  朝食のサンドイッチを片手に持ち、コーヒーで流し込みながら、資料に目を通す。


  社長室の窓はとても大きく、射撃されたら一溜まりも無いため、床宮と門倉で厳重に辺りを見ながら、カーテンだけでも閉めさせてほしいと頼んだ。


  部屋が暗くなるから嫌だと言われたため、窓の外も、社長室の中も入口も外も、定期的に見回りを行った。


  お昼が過ぎた頃、会議が始まり、久保田は会議室へと入って行った。


  門倉と床宮は、目立たないよう、邪魔にならぬよう、部屋の隅の方で待機しつつ、会議に参加している人の、行動や目つきなどにも、神経を張り巡らせた。


  その時、耳につけてある無線から、声が聞こえてきた。


  《修司、凜、聞こえるか。》


  「聞こえます。何か分かったんですか。」


  《ああ。杏樹に調べてもらったんだが、久保田のマンションの電話番号、知ってる奴はまず少ない。会社関係者でも、十人いるかいないかだそうだ。情報漏洩は無いとすると、大分絞られた。》


  「分かりました。ありがとうございます。」


  《あのよー、おっさん。》


  会話を終わらせようとしていた門倉と立花の間に、床宮が無遠慮に入ってきた。


  声量でいうと、小さめの声で話しているのだが、緊張感の欠片も無い、スケボーでもいじっている時のような話し方だ。


  《なんだ、凜。》


  《さっきから考えてるんだけどよ、留守電に入ってた、「一番屈辱を味わう」って、何なんだろうな?》


  床宮から話を聞いていた門倉も立花も、意外な目線から入る床宮に、何も答えられなくなった。


  プライドの高い女性にとっての、一番の屈辱とは?


  しかも、相手は女社長だ。


  《それも踏まえて、杏樹に頼んでおく。》


  《ラジャー。》








  会議が無事に終了すると、久保田は相手の社長と握手をし、笑顔で見送った。


  慌ただしく片づけをしている部下の脇を通り抜け、久保田は一人、先に社長室に帰って行った。


  椅子に座ると、眼鏡を取って目頭を押さえる。


  門倉は窓の外を一瞥し、次に社長室の中から、フロアにいる人間の動きを観察していく。


  足を組みながら、デスクの引き出しを開けて、中から目薬を取り出して、直接目に入れていく久保田に、窓の外を警戒している床宮が、口を開いた。


  「久保田さん。」


  「何?」


  「一番好きな事って、何ですか?」


  「はぁ?何?いきなり。」


  眼鏡をかけ直しながら、少しだけ怪訝な顔を浮かべた久保田に、人懐っこい笑みを作った床宮が、投げかける。


  ギィ、と椅子を回して、指を顎につけて考える仕草をすると、ため息をついて答えた。


  「お酒を飲むことね。」


  「じゃあ、一番嫌いな事は?」


  「嫌いな事?・・・そうね、何かしら。くだらない男に見下される事、かしら?」


  つまり、この女は、自分より下だと判断した人間が、自分に何か言うのが気に入らない、という事なのだろう。


  そして、久保田は口元を妖艶に歪め、頬杖をついて床宮をジッと見ると、長い脚を組み直す。


  「貴方、床宮くん、だったかしら?」


  「はい。」


  「じゃあ、貴方の好きな事は何?」


  「俺は、スケボーですね。」


  「嫌いな事は?」


  「・・・。」


  その久保田からの質問に対し、床宮はニッと笑いかけたが、目だけは笑っていないように見える。


  二人の様子を見ている門倉は、仕事に集中しながらも、会話にも耳を傾けた。


  「女が偉そうに、足組んでるのを見る事、ですかね?」


  「あら。」


  床宮の答えに、久保田はケラケラ笑いだし、デスク正面を向いて、資料に目を戻した。


  表情は真剣そのものになり、床宮も門倉も、容易に声をかけられる雰囲気では無くなってしまった。


  ふと、窓の外に目を戻してみると、先程までは無かった車が一台、停車しているのが見えた。


  すぐに下にいる警備員に確認を取ってもらおうと、門倉が無線で連絡をしようとすると、久保田に止められる。


  「私が呼んだ車よ。午後から柴田は休みを取ってるから、代理を頼んだの。」


  「そうでしたか。」


  そうは言うが、何も確認せずに乗せるわけにはいかないので、久保田が仕事を終え、車に乗り込むときに、全て確認した。








  居酒屋には寄らず、真っ直ぐにマンションに帰ると、久保田はシャワーを浴び始めた。


  《倉ちゃん、リンリン、こちらあゆみですけど何か?》


  「・・・。お前、暇なのか?」


  《やだ~、倉ちゃん。暇じゃないよ~。さっき杏樹って人が来てね、倉ちゃんたちに伝えておいてって。》


  「おやじは?」


  《おじちゃんは、隣でドラマ見てるよ~。》


  はぁ、とため息をつき、門倉は続きを聞く。


  《でね、久保田瞳(三十二)は、今の会社で社長になる前、社長秘書をやってたんだって。んで、色仕掛けとかで地位を手に入れたらしいんだけど、秘書時代にね、男がいたんだって。》


  「男?」


  《そっ☆でも、社長になるためには、その男と縁を切って、社長の女にならなくちゃいけなくて、それで別れたんだってさ。男の方は、まだ久保田瞳が好きなんじゃないかって、杏ちゃんが言ってたよ。「自分の事、ゴミのように簡単に捨てた久保田を、怨んだことでしょうね・・・」って。》


  杏樹の真似をしているのだろうが、大して似ていない気もした門倉と床宮だが、あゆみからの報告を受けてすぐ、ある人物の事を思い浮かべる。


  それから、久保田の言っていた言葉も思い出す。


  ―くだらない男


  くだらない、の基準は知らないが、きっと社長以外の男は、皆くだらない人間だと思っていたのだろう。


  未練ったらしく、地位やお金のために、自分の事を捨てた女を恨み続けている、男の方にも問題はありそうだが、今はそうは言っていられない。


  「あゆみ。おやじに伝えておいてほしい事がある。」


  《ラジャッ!!》


  「あゆみん、俺もあるんだけど。」


  《あゆみん?・・・なんか可愛い!良いね、その響き!気に入っちゃったよ!》


  二人して馬鹿だ、と思いながらも、門倉は冷静に話す。


  切れ長の目からは、今回の脅迫の真相に迫っているのが感じられ、短い黒髪は、門倉の動きに合わせて、若干揺れる。


  門倉が話終わると、床宮も同じことを頼もうとしていたようで、あゆみにもう一度お願いをしておく。


  《オッケィ☆倉ちゃんとリンリンの正義の味方、あゆみんにお任せあれ☆》


  「・・・頼んだぞ。」


  頼りがいの無いあゆみの返答に、本当に任せて良いのかと思ってしまった。


  仕事一筋の女性が増えてきたのは、これからの事を考えると、良い傾向なのかもしれないが、その反面、男性が男性としての立場を失ってしまいそうで、恐ろしい。


  女性の考えや価値観を無視するわけではないが、恐ろしいほどの連携を持っている女性は、敵に回すと怖い。


  プライドを踏みにじられると、何をするか分からない人間も増えてきた。


  プライドなど、持っていて邪魔にはならないが、時には捨てなければいけない場合があるのだ。


  いつまでもしがみ付いていると、そのうち、プライドに愛想尽かされて、道端に放り投げられるのは、こちらの方だ。


  「修さん。」


  「なんだ?」


  「来週、久保田の会社が主催する、パーティーがあるだろ?」


  「ああ、そんなこと言ってたな。」


  しばらく沈黙が続いたあと、門倉と床宮は互いの顔を見て、またすぐに無線で連絡を入れた。


  「おやじ?俺と凜の勘なんですけど・・・。」








  ―翌週 パーティー当日


  紫のドレスに身を包み、長い髪の毛はアップにして後ろでまとめ、眼鏡では無く、コンタクトをしているのは、パーティーの主催者でもある、久保田瞳。


  ドレスには、太ももあたりまでの長いスリットが入っており、周りの親父共は、白く透き通った久保田の足を、じっと見ている。


  大きく開いた胸元には、青青しい宝石がついたネックレスをつけている。


  優雅に歩きながら、一人一人に挨拶をしていく。


  一方、いつもの黒のスーツを着ている、門倉と床宮、それから、応援に来た立花と城田、それからなぜかあゆみまで・・・。


  出来るだけ久保田の近くに移動し、近くでガードしようとした時、誰かに肩をポンッ、と叩けれた。


  「・・・ちゃお♪」


  「坂本さん・・・。どうしたんですか。」


  「どうしてった・・・。一応、手伝いに来てあげたのよ?私、こういうの慣れてるから。」


  モデルのように長身で細身、栗色の髪の毛はウェーブがかかっている。


  主役である久保田の邪魔にならないようにしているのだろうが、そのスタイルだけでも目立つというのに、ミント色のワンピースを綺麗に着こなしている。


  口紅は薄いオレンジだろうか、ピンクだろうか、そういう色だ。


  この女性は、坂本杏樹(二十三)、いつもはキャバ嬢として働いているが、その情報網を駆使して、立花に情報を流している。


  入口付近で警戒している立花に手を振ると、門倉にそっと耳打ちする。


  「久保田瞳、昔は結構派手に遊んでたらしいわよ。」


  身長は門倉の方が高いはずなのだが、杏樹が高いヒールを穿いているため、同じくらいの身長になってしまう。


  門倉の胸元についている無線に近づき、門倉だけでなく、みんなに聞こえるように話す。


  「同じキャバ嬢の友達にね、久保田瞳の昔の友人がいたの。その子に聞いたんだけど、成績優秀だった半面、男遊びが激しくて、とっかえひっかえしてたって。その中の一人が、修司君と凜くんの言ってた、『柴田』って男。でも、久保田瞳が高校生の頃だから、本人は覚えてない可能性が高いわね。」


  《俺の方はどうだった?》


  門倉の耳についている小さいイヤホンに、立花からの声が入る。


  杏樹にもついてはいるのだが、格好が格好なだけに目立ちやすく、今はまだつけていないようだ。


  イヤホンに耳を近づけて、立花からの声を聞くと、それに対して答える。


  「龍平さんの方も、ちゃーんと聞いて来たわよ?昔の男の中に、一人だけ、柴田と頻繁に連絡を取っていた男がいたの。どうやらその男が、久保田瞳が社長と付き合う前に、付き合ってた男のようよ。」


  《柴田との関係は?》


  今度は、床宮が話だした。


  ふと、料理が並べられているテーブルを見ると、あゆみがガツガツと食べているのが目に入るが、それに気付いた城田が止めに行く。


  仕方なく、隅の方まで戻ってきたあゆみの手には、生ハムやら温野菜やら、高級な肉などもズラリと盛られていた。


  「柴田とその男、ああ、名前は『古泉』ね。柴田と古泉の関係は、インターネットで知り合っただけのようよ。ほら、最近じゃあ、殺人サイトみたいなのとか、出会い系だって、同じようなものでしょう?『ムカつく女』みたいなサイトで知り合って、偶然、柴田もそのサイトを見て、意気投合したみたいね。」


  《もぐもぐ・・・。でもさぁ~、杏ちゃん。なんでそんなにスタイル良いの?》


  いきなり、全く関係の無いことを聞いてきたあゆみにも、杏樹は的確に答える。 


  「それはね、『恋』をしてるからよ。」


  冗談なのか本気なのか、フフフ、と口元を綺麗に動かして笑う杏樹は、一応の報告を終えると、門倉から離れて、自然とパーティーの客人の中に紛れ込んだ。


  柴田を探してみるが、このパーティー会場には、まだ現れていないようだ。


  それに、杏樹の言っていた古泉という男の人相も分からないままだ。


  古泉が現れたときには、杏樹からの連絡があるらしいが、誰を見ても怪しく思えてきた仕方が無い。


  脅迫されている久保田本人は、未だに禿げている親父と談笑している。


  《あいつ、超禿げてる。》


  無線から、床宮の独り言が聞こえてきた。








  刻々と時間が過ぎていく中、久保田がパーティー会場の奥の方にある、壇上にあがり、マイクの前に立つ。


  よく分からないが、心にも無いような感謝の言葉を並べ、笑みを浮かべている。


  久保田が話しているためか、壇上の方へと、会場にいる人達は集まっていき、だんだんと動きが取りにくくなってしまう。


  少し距離を置き、辺りを見渡す。


  その時、無線から連絡が入った。


  《古泉発見。壇上付近、左の方。黒髪、一つ縛りで肩辺りまでの長さ。胸ポケットに薔薇があるわ。今、ワイングラスを手に持った。》


  「・・・了解。」


  壇上を見てみると、確かに、杏樹が詳細を言っていた、古泉であろうと思われる男を見つける。


  しばらく動向を見ていると、久保田の近くにいた柴田とアイコンタクトを取っていた。


  柴田が久保田から離れ、古泉の許へと、誰にもバレないように近づいていくと、何やら話しているのが分かった。


  そして、柴田は再び久保田の許に戻り、周りに合わせて拍手を送る。


  一方、古泉はワインを飲み干すと、脇にあるテーブルの上にグラスを置き、久保田を見ながらウロウロと歩き出す。


  杏樹が料理を取る素振りを見せながら、自然に古泉に接近していく。


  緊迫した空気の中、久保田の話が終わり、一斉に祝福をし始める。


  そのため、久保田の周りには、今まで以上に人が集まって行き、柴田はそんな久保田を眺めているだけ。


  《ねぇねぇ。》


  おそらく、料理を口に含んだまま話しているのだろう、あゆみが、唐突に無線を通して話出した。


  《古泉って人、トイレに行っちゃったよ。》


  バッと、古泉がついさっきまでいた方を見ると、古泉が確かに、お手洗いの方向に行くのが見えた。


  その背中を追うようにして、床宮もお手洗いに向かう。


  五分経っても古泉は出て来ず、床宮に連絡を取ると、個室に入ってしまったようで、中の様子も窺えず、とりあえず待機しているという。


  立花もトイレに向かい、二人で待ち構えることにした。


  四角いチョコレートケーキを、フォークで小さく切り、それを口へと運んでいく久保田は、何とも女性らしいとしか言いようが無い。


  柴田の方も観察していると、久保田の近くにずっといて、何かをする気配も無い。


  何も起こらないのが一番なのだが、きっとそうはいかないだろう。


  そんな事を考えていると、急に、火災警報の感知器が、会場内に鳴り響いた。


  それと同時に、それほど多くは無いものの、会場を混乱させるには十分な、発煙筒からと思われる煙が出てきた。


  「!!」


  柴田は、久保田を守る様にして屈んでいて、他の会場内にいた客人達は、我先にと出口に向かって走りだした。


  「おやじ、凜。今・・・。」


  きっと二人にも聞こえてはいるだろうが、連絡しておこうと思った門倉が、無線に話しかけたとき、立花の叫び声が聞こえてきた。


  「おやじ!?何があった?」


  《修司、こっちは大丈夫だ。それより、久保田瞳を!》


  「了解。」








  「龍平さん、大丈夫?」


  「ああ。なんとかな。」


  立花と床宮の許に駆けつけた杏樹が見たのは、立花によって押さえつけられた、古泉の姿だった。


  そして、杏樹と入れ替わりに出ていった床宮は、久保田の許へと向かっていた。


  「何があったの?」


  「・・・こいつ、トイレで発煙筒をつけて、感知器をワザと鳴らしたんだ。」


  古泉と柴田は、それぞれ発煙筒を持ち、違う場所でそれを使ったのだ。


  取り押さえようとしたときに、少しだけ頬に傷を作った立花に、ハンカチを差し出しながら、杏樹はニッコリと微笑む。


  「大した怪我じゃない。」


  「あら、でも、傷口からバイ菌が入っちゃうわ?」


  いらない、とハンカチを拒んだ立花の頬に、強引にハンカチを押し当てる。


  「あゆみと直子は?」


  「二人とも、久保田瞳のところに行ったわ。」


  「・・・そうか。」


  あゆみの事が心配なのか、鼻の頭の部分を、人差し指で摩っている立花を見て、また杏樹はクスクスと笑った。


  「相変わらず、心配症ね。大丈夫よ。」








  「柴田、どこまで行くの!?」


  息を切らせながら、久保田は柴田に引っ張られたまま、ひたすら走り続けていた。


  会場から結構離れ、もう走れないと言って柴田の手を拒むと、その場で急停止して、深呼吸を繰り返した。


  はぁはぁ、よりも、ぜぇぜぇの方が、効果音的には合っているだろう。


  「すみませんでした。無我夢中で・・・。」


  ペコッと頭を下げながら、久保田に対して謝る柴田だが、心の底から謝っているようには見えない。


  そして、ゆっくりと顔を上げると、目は笑わずに、口元だけを動かす。


  「久保田瞳。」


  「!?柴田?」


  口調が明らかに変わった柴田に、久保田も違和感を感じたようで、少しだけ後ずさり、様子を見る。


  ポケットへと手を入れて、そこから柴田が取りだしたのは、見間違えるわけの無い、ナイフだ。


  「どうして、柴田が?」


  「・・・どうして?どうしてと仰いますと?」


  「なんで柴田なんかに、殺されなきゃいけないのよ!?」


  口からは、強気の言葉ばかりが出てくるが、じりじりと久保田に寄ってくる柴田から、逃げるように後ずさっている。


  ふと、柴田のもう片方の手には、ワインが握られていることに気付く。


  こんな場所にワイン、しかもボトルごと持っていたことに、奇妙な空気を感じる。


  柴田が、足下を少しだけ見たその瞬間、久保田は一気に足に力を入れて、その場から逃げようと試みる。


  だが、すぐに柴田に捕まってしまい、近くの地面に座らされ、棒か何かで後ろ手に縛られてしまう。


  「命乞いでもしますか?」


  「・・・!!馬鹿なこと言わないで!」


  「それにしても・・・。」


  久保田の言葉に、少しだけ表情を歪めた柴田だが、ゆっくりと膝を折っていき、久保田と目線を合わせる。


  ニヤリ、と笑うと、久保田の髪の毛や頬、首筋を触っていく。


  「今日は、一段と綺麗ですね・・・。」


  怖がっているような素振りを見せない久保田に、柴田は少しだけ機嫌を悪くしたのか、一瞬表情が停止したが、またすぐに笑う。


  そう言うと、スッと立ち上がり、ワインボトルをナイフを使って開ける。


  ボタボタと垂れ流れたワインを口に運ぶと、量にしてはそれほどではないが、ラッパ飲みをし、舌で唇を舐める。


  久保田のまとめてあった髪の毛を、強引に下ろすと、勢いよく髪の毛を掴む。


  「どうです?くだらない“男”に、人生を潰される御気分は・・・?」


  優秀な笑みを見せつけ、もう一度ワインを口に含み、久保田に吐きだそうと、久保田の髪の毛をさらに強く掴みあげる。


  バシャッ・・・―。


  ポタポタ、と滴り落ちていくワインは、身体を伝って地面に沁み込んでいく。


  「そこまでです。柴田さん・・・いえ、古泉さん。」


  久保田を庇い、ワイン塗れになった門倉と、後ろから悠々とやってきた床宮によって、柴田と名乗っていた男は、囲まれてしまう。


  「古泉?私は柴田ですよ。」


  「いいえ、貴方は古泉さんです。そこにいる久保田瞳が秘書時代に付き合っていた、古泉さんです。」


  「どういうこと?」


  柴田だと思っていた男は、古泉であるということに、久保田は戸惑いを隠せず、床宮に聞き返す。


  それに答えたのは、床宮ではなく、門倉だった。


  ワインで濡れたスーツを拭きながら、冷静に、淡々と答えていく。


  「我々が古泉だと思っていた男が、本当の柴田さん。貴方と柴田さんは、久保田さんに復讐するために、入れ換わりましたね。整形までして。」


  「整形・・・!?」


  何とか、門倉に肩を貸してもらって、立ち上がる事が出来た久保田は、自分の耳を信じられずにいた。


  顔は確かに柴田なのだが、雰囲気は本来の古泉のものになっている気がする。


  確認するようにジッと見ていると、古泉がニヤリと笑って、久保田に近づこうとするが、門倉と床宮が前に立ちはだかり、止める。


  「そうだ。俺が、“古泉”だ。」








  「いつ、気付いた?」


  古泉が、ワインボトルを地面に叩きつけ、苛立っているように見えるなか、笑いながら聞いてきた。


  「杏樹からの連絡が入った時だ。」


  床宮が、古泉と一定の距離を保ちながらも、古泉の細かな動きをも見逃さないように、目を光らせている。


  古泉はゆらゆらと、定まらない動きを繰り返して、久保田と視線を合わせようとする。


  「一番の屈辱を味わわせるって言ってたくせに、なーんかオドオドしてるわ、お前に動かされてるわ、脅迫電話かけてきた奴と、大分違う感じがしたんだよな。」


  耳にまでかかっている髪の毛が、風に乗ってゆらゆらと揺れていく。


  古泉はそれでもなお、余裕そうにニヤニヤしていて、久保田を眺めている。


  「・・・。ハハハ。瞳、覚えてるか?古泉だ。お前が仕事に困ってるときも、秘書になってからも、いつも助けてやったってのに・・・。お前は簡単に裏切ったよな?」


  「いい加減な事言わないで此処まで来たのは、私の実力よ。貴方のお陰何かじゃないわ。これっぽっちもね。」


  久保田の言葉にも、ハハハ、と最初は笑い返した古泉だが、ギリッと歯を噛みしめると、久保田を思いっきり睨みつける。


  ナイフを床宮に突きつけながら、前髪をかきわける。


  「俺と別れる前から、社長と寝てたことは知ってんだよ。それに、俺のことをクズだと思ってた事もな。お前はいつも男を見下してる。思い通りに動くと思ってる。だから、ネットで知り合った柴田って奴が、学生時代に瞳と遊んでたって知って、これは使えると思った・・・。瞳をどうにかして、今の地位から引きずりおろしてやろうと思ってな。」


  「古泉となった柴田は、柴田となった古泉に命令され、動いていた・・・。」


  「そうだ。」


  ちらっと久保田の方を見ると、古泉を睨むように、いや、見下すように見ていて、それに気付いた古泉は、久保田に向けてナイフを向ける。


  何か仕掛けてくるかと思ったが、いきなり逃げるように走りだした。


  その後を追って行く床宮に、到着した城田が、スケボーを投げ渡すと、素早く乗って軽やかに追いかける。


  古泉の背中に乗ろうとした瞬間、スケボーから足を外し、思いっきり蹴飛ばす。


  前のめりになって倒れた古泉だが、すぐに身体を起こし、また逃げ出してしまい、床宮も追いかけようとしたが、止まった。


  「あゆみん。」








  全速力で逃げようとした古泉の前には、か弱そうな(?)、可憐な(?)、可愛い(?)少女が立っていた。


  人質に出来ると考えたのか、ニヤッと笑った古泉は、迷わずにあゆみの許に向かい、ナイフを首につけようとした。


  だが、古泉の世界は反転した。


  それは、か弱く(?)、可憐で(?)、可愛い(?)少女によって、中段前蹴りをされたからであった。


  ドレスを身につけていたのだが、ヒラヒラの裾を両手で持ち上げて行ったため、見事に古泉の腹部と鳩尾の間くらいにあたった。


  地面に倒れた古泉の上に、床宮が体重をかけて乗って押さえる。


  「久保田さん、お怪我はありませんか。遅くなってしまい、申し訳ありませんでした。」


  「・・・。」


  久保田は何も言わず、汚れたドレスを見て、言い放つ。


  「どいつもこいつも・・・。男なんて、役に立たないわね。依頼料は、新しい秘書に直接届けさせるわ。」


  カツカツと、ヒールを鳴らして会場に戻って行ってしまった。


  久保田の背中を眺めていた門倉は、その場を床宮と城田に任せることにし、あゆみを連れて、久保田と会場に戻ることにした。


  門倉たちが去っていったあと、その場に残された床宮と城田は、警察に連絡して、到着するまで見張ることになった。


  「・・・。お前さ、そんなにあの女のこと、怨んでんのか?」


  待ってる間、暇だった床宮は、古泉に世間話程度に話しかけた。


  その問いかけに対して、古泉は無頓着な表情を浮かべたが、徐々に感情を露わにする。


  「当たり前だろう?あんなつまらない女、こっちが相手にしてやったっていうのに・・・。馬鹿にしやがって・・・!」


  どっちもどっちだ、と言おうとした床宮だが、言い返すのも馬鹿馬鹿しく感じ、適当に流した。


  いつまでもグチグチいっている古泉に、痺れを切らしたのは、城田だった。


  「つまらない女を相手にしたあんたも、十分、くだらない男よ。」


  「あぁ?」


  城田の言葉に、剥き出しの感情をそのままぶつける古泉は、縛られているにも関わらず、身体を乗りだして城田に近づこうとする。


  だが、城田が片手で一捻りすると、痛そうに顔を歪めて、すぐに大人しくなった。


  「あの久保田って人、誰も信じられなかったのよ。あんたみたいな男しか知らなかったから。だから、自分の居場所を、自分で見つけて、守ってきたの。」


  「おお、説得力がある。」


  そんな会話をしているうちに、警察が来て、古泉を引き渡す事が出来た。


  警察の車が小さくなって行くのを見ると、床宮と城田も、会場に戻る。


  「さすが、元警察官だな。俺にも護身術とか教えてくれよ。直子さん。」


  「断るわ。早く行くわよ。」








  会場に戻った門倉とあゆみは、久保田の後を追って、会場内を歩いていく。


  会場内はすでに、客人達が逃げたために静寂が訪れていて、久保田のヒールの音が、嫌に耳障りに感じる。


  立花と杏樹が隅の方にいて、門倉とあゆみの方に寄ってきた。


  「大丈夫そうだな。」


  「ブイッ。」


  門倉より先に返事したあゆみは、ブイサインを立花に送ると、再び、テーブルの上に残されている料理に手を伸ばした。


  濡れている門倉に、杏樹は立花とは別のハンカチを差し出す。


  それを受け取りつつ、久保田の方に目を向けると、久保田は壇上に腰掛けて、足を組んで座っていた。


  そして、何かの紙切れを出して、ペンを出してサラサラと書きだした。


  その後、コンタクトを外し、いつもの眼鏡をかけると、久保田は立ちあがって立花の前まで来た。


  「これを。」


  「これは?」


  久保田から、先程の紙切れを手渡された立花は、それが小切手であることを知ると、なんとも不思議そうな顔を久保田に向けた。


  新しい秘書に直接届けさせると言っていた久保田に、心の中で首を傾げた門倉。


  「これは依頼料では無く、チップのようなものです。」


  「しかし・・・。」


  「受け取ってください。こういう事態になるとは思っていませんでしたので、依頼料は低く設定しておりました。こんなことで、“借り”を作るのも御免なので、一応、助けていただいた御礼として、お受け取りください。」


  「借り・・・ですか。」


  久保田の選別した言葉に、違和感を持った立花だが、久保田は立花の目の前に差し出すばかりで、一向に引っ込めようとはしない。


  大人しく小切手を受け取った立花に、満足した久保田は、そのまま帰ろうとした。


  だが、静寂の中、虚しく響き渡った音に、久保田は足を止めて振り返る。


  依頼料の三倍はあった金額の書かれた小切手が、立花ではなく、裏口から入ってきた床宮によって、破かれていたのだ。


  ただのゴミとなった紙は、無残に床に落ちていく。


  「・・・人の親切心を、無駄にするのね?」


  「親切心?ハッ。馬鹿にすんじゃねぇよ。」


  拾ってきたのであろう、自分のスケボーを床に置いて、足でいじりながら、床宮は久保田に牙を向ける。


  あれほど気位が高い女性が、自分が優越感に浸るために行った行為を、握りつぶしてしまえば、それはきっと、酷い侮辱になり得る。


  カツ、と床宮をただ見ている久保田の目は、睨みつけているようにも見える。


  立花も門倉も、特に止めることは無く、様子を見ている。


  「こんなもん渡して、あんたは楽しいか?自己満足も程々にしな。あんたが思ってるほど、俺達は落ちぶれちゃいねぇんだよ。紙切れで命守れんなら、誰も苦労しねぇ。ちゃんと頭下げて、ありがとうの一言でもありゃ、それで十分なんだよ。」


  「・・・頭を下げる?私が?」


  「そうだ。」


  「そっちの方が馬鹿げてるわ。私は、取引相手と商談の時も、例え今殺されるとしても、絶対に頭なんか下げないわ。そういうのは、下っ端の人間がやればいいのよ?私はしなくていいの。」


  偉そうに、腕組をして床宮を見下すように見ている久保田に、足で弄っていたスケボーを、器用に自分の許に引きよせて、脇の下に移動させた。


  床宮の言葉を鼻で笑うと、久保田はクルッと踵を返し、会場を出ていった。


  「あゆみ、そろそろ帰るぞ。」


  「アイアイサ―。」


  料理を貪っていたあゆみを呼ぶと、立花は杏樹を送りに行き、門倉と床宮と城田に、先に帰る様に伝えた。








  数日後、久保田の言っていた、新しい秘書が事務所に訪れ、当初の依頼料の五倍のお金を置いていった。


  そんなに貰えないと伝えたが、久保田も意地なのか、絶対に置いてこいと言われたという。


  お金の入った封筒を開けぬまま、テーブルに放置しておくと、あゆみが興味津津に封筒を開けようとする。


  「あゆみん、止めとけよ。」


  「なんで~?」


  ガサガサと封筒をいじりだしたあゆみを、スケボーをいじっていた床宮が一喝する。


  「貰ったら、負けだろうが。」


  「負けって?あの女の人に?」


  キョトン、と首を傾げながら、床宮の顔を窺うように見たあゆみは、それでもまだ、封筒をガサガサいじっている。


  頬杖をついて、不機嫌なのを明らかに出す床宮に、城田がハーブティーを差し出す。


  「えー。勝ち負けなのー?じゃあ、負けでもいいじゃん。」


  「大人にはな、色々とあんだよ。あゆみん、分かるか?」


  「分かんない。てか、リンリン、大人って言えるような大人じゃないじゃん。」


  あゆみと床宮のやり取りを見ている門倉と立花は、同時にため息をついた。


  そして、立花は久保田の秘書が持ってきた封筒を持ち、戸棚の奥の方にしまうと、あゆみからブーイングが入る。


  それを無視していると、一本の電話が入る。


  「はい、こちら立花事務所。」


  《あら、龍平さん?杏樹です。》


  「杏樹、どうした?いつもは携帯にかけてくるのに。」


  《仕事相手がね、お願いしたい事があるって。話を聞くだけでも、して貰えるかしら?》


  「それは構わんが・・・。」


  ガチャ、と電話を切ると、立花は、未だにあゆみと言い合っている床宮の首根っこを掴み、門倉を呼ぶ。


  「ちょっと出かけてくる。直子、あゆみのこと頼んだぞ。」


  「はい。いってらっしゃい。」


  丁寧にお辞儀をする城田の隣で、あゆみは大ぶりに手を動かす。


  「おやじ、どこ行くんです?」


  「杏樹の店の近くの喫茶店だ。」





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