第六show【気付かぬ不幸に通り過ぎる幸せを】







真夜中のサーカス団~不幸な貴方へ~

第六show 【 気付かぬ不幸に通り過ぎる幸せを 】




      孤独を愛せよ。さすれば、民衆を愛せる。     作家より










































































           第六show 【 気付かぬ不幸に通り過ぎる幸せを 】










































  「まあ、私に?」


  「すみれに似合うと思って」


  「ありがとう。私も、貴方にプレゼントがあるの」


  そう言って女は、手に持っていた大きめの紙袋を、そのまま男に渡した。


  紙袋を受け取った男が御礼も言わずにガサガサと漁ると、中から出てきたのは、ピカピカの革靴にブランドものの鞄と腕時計。


  男はそれらを眺めてニヤリと笑う。


  男が女に渡したものは、その半分にも、いや、五分の一にも満たないほどの金額の“ストラップ”。


  「前に、欲しいと言ってたから」


  照れながら言う女に、男は言い放つ。


  「お前、相変わらずうぜーな」


  「・・・え?どうしたんです?」


  「なんかよー、男に尽くすって聞いたから付き合ってみたけど、なんつーか、重すぎ?てか、メールとか電話とかめっちゃ迷惑だったんだよな。ま、こうしてやっと欲しかったもん貰ったから、結果良しとすっけど。じゃ、これで別れようぜ。俺、お前みたいな女、まっぴらごめんだな」


  大きな紙袋を片手に、男はその場から立ち去って行った。


  残された女は泣きもせず、だからといって嘆いたり怒ったりすることもなく、ただニコニコ笑みを変えぬまま首を傾げていた。


  そのまま踵を返し、鼻歌を奏でながら街へと消えていった。


  一六〇もない身長、薄いピンクのワンピースにブーツ、つけまつげなどのばっちりメイク、タレ目で、毛先を巻いたブラウンの髪の毛。


  哀碕すみれ、大学生の女の子。


  “十五人”


  これまでのまだ二十一年という短い人生の中で、付き合い、別れた男の数である。


  さきほどのような男ばかりではない、といいたいところだが、すみれはとにかく尽くす女なため、しかもそれは有名で、男たちは金目当てで言い寄ってくるだけである。


  今回のように、プレゼントを渡せば、男たちは次々にすみれから去っていく。


  しかしながら、幸か不幸か、すみれ自身はそれに気付いていない。


  「今度の相手も、縁が無かったのよ」


  その言葉で済ませてしまう。


  「ねえ、すみれ。いい加減、バイト代を全部男に貢ぐのやめなよ。じゃないと、一生、そのまま、都合のいい女だよ!?」


  男とはそういうものだと誤解しているすみれにとって、その周りにいる僅かな友人は救いのはずだ。


  だが、すみれはいつものようにニッコリ笑ってこう言う。


  「貢いでないわ。ただ、彼に似合うと思って。喜んで欲しいの。ただ、それだけなの」


  「だから、それをやめなって言ってんの。半年で何人の男と付き合って別れたのよ」


  「ええと、確か、四人かしら・・・・・・?まだ四人よ?きっと、これから、私を心から愛してくれる人に出会えるはずよ」


  友人は、呆れたため息を出すしかなかった。


  「あんた、幸せっちゃあ幸せな性格してるわ」


  言葉を聞いているのか、すみれは笑みを絶やすこと無く首を傾げていると、また、男から声をかけられた。


  黒い髪の毛は印象的で、見ただけでは知的な男だ。


  にやにやとしたいやらしい笑みではなく、効果音をつけるのならば“ニコリ”がとても似合うためか、すみれはすぐに顔を赤くした。


  それを横で見ていた友人は、心配そうにしていたが、見た目は悪いイメージがない男に何も言えず、見守るしか出来ない。


  「哀碕さん?」


  「はい」


  「ちょっと、いいかな?」


  「はい」


  男に呼ばれ、すみれは二人でどこかへと行ってしまった。


  人気の少ない校舎の裏側まで行くと、すみれの前を歩いていた男はゆっくりと後ろを振り返り、俯く。


  ごくり、と唾を飲むと、男は鼻の頭をかきながら顔をあげた。


  目が合うと、またもや集中的に顔に熱が集まるのを感じたすみれは、思わず両手で頬を隠した。


  「ずっと、好きだった」


  胸の鼓動は早まる。


  「付き合ってほしい」


  もうすでに答えなど決まっているすみれは、コクン、と大きく頷いた。


  「よかった」と言って眉を下げて笑う男に、すみれは余計にドキドキと心臓が動くのを感じた。


  戻ってきたすみれの表情に、付き合う事になったのだと即理解出来た友人は、助言でもした方が良いだろうかとも思った。


  だが、なんとも幸せそうに笑うすみれに、何も言えなかった。


  その日から、すみれはバイトも頑張る様になった。


  ピロリロリン・・・・・・


  携帯が鳴ればすぐに開きチェックすると、男からの連絡だ。


  ―From 小西 有志


     今日夜会える?―


  「フフフ」


  嬉しさで頬が常に緩みっぱなしのすみれは、男、小西からの連絡にすぐさま返事を返す。


  だからといって、バイトが疎かになるようなこともないため、バイト先の上司も先輩も何も言わない。


  いつもフワフワのスカートやワンピースを着ているすみれだが、一応男性と会うとなると、服装が多少気になるようで、鏡を何度も見る。


  ちょっと丈を短くしてみたり、顔を赤くして長く戻したり、忙しそうだ。


  だが、時間が近づいてきてしまい、すみれは時計を見た視線を鏡に戻し、何を想像しているのか、ニタ―っと笑って出かけた。


  待ち合わせ場所に着くと、小西が本を読んで待っていた。


  「ごめんなさい、待たせちゃって」


  「いいや、俺も今来たところだし。バイトお疲れ様」


  ニコッと笑い、本を閉じてポケットにしまうと、すみれの手を引いた。


  男の人に手を握られたことなど数えきれないほどあるが、すみれにとって、これが初めてのような恥ずかしさがあった。


  近くの珈琲館に寄って、少しばかり話をした。


  小さいお店だがとても雰囲気が良く、流れている音楽も静かで、店の主人も無口だが落ち着く。


  バイトが終わってからのため、あまり話せなかった。


  それでもすみれの心には沢山のものが埋まっていて、とても楽しくて幸せな時間だった。


  「じゃあ、またね」


  「はい。また」


  バイト帰りに会って話して、学校で多少あってもそこでは話さず、メールだけで言葉を交わしたり、そんなことを繰り返していた。


  付き合い始めてから数カ月、バイトが休みの日に、小西と会うことになった。


  一日中一緒にいられることがあまりないためか、すみれはワクワクしていて、新しく買ったワンピースにヒール、ネックレスをつけた。


  髪の毛も入念にチェックすると、小西に会いに行く。


  「今日は何処に行こうか。映画でも観る?」


  「いいですね、映画」


  映画館に行って、何を上映しているのかを見てみると、面白そうなギャグのものから、恋愛もの、アクションものまで一通りやっていた。


  すみれとしては、折角のデート、恋愛ものを見たいと思っていた。


  ちらっと小西の方を見てみると、視線は洋画のアクションものにいっていた。


  「これ見ようか」


  そう言って小西が指をさしたのは、すみれが見たいと思っていた恋愛ものだった。


  「いいんですか?嬉しい!てっきり、そっちが見たいんだと思ってました」


  「ああ、これ?前に友達と見たな―と思って」


  念願の恋愛ものを見られることになり、すみれは嬉しくて気持ち悪いくらい笑っていた。


  映画の中では、女性と男性のすれ違いや勘違い、少女マンガでも良くみるようなドキドキなシーンもあった。


  キスシーンでは、横にいる小西はどんな顔をしているのだろうと、覗き込もうと思っていたようだ。


  映画が終わって食事をし、買い物をするとあっという間に七時を過ぎてしまった。


  まだまだ時間はあると自分に言い聞かせていると、小西の携帯電話が鳴った。


  何やら相手は慌てているようで、小西もすぐに行くと言いだしてしまったが、すみれはニコリと笑って「いいですよ」と言うしかなかった。


  小西はすみれに背を向けて走って行こうとした。


  だが、すぐにすみれの方に戻ってきたかと思うと、まだ立ちつくしているすみれの腕を軽く引いて、唇を重ねた。


  付き合った男は沢山いるが、そのようなことをされたのは始めてのすみれ。


  一瞬、頭の中が真っ白になり、小西の顔がアップで目の前にあるのを確認すると、顔を真っ赤にした。


  「やっぱ止めた。こっちが優先」


  そう言うと、すみれの手を今度は強引に引いた。


  「ここ、俺の部屋」


  アパートの二階にあがり、廊下をずっと進んだ一番奥の部屋が、小西が大学に来て一人暮らしをするのに借りている部屋だそうだ。


  鍵を開けてすみれを中にいれると、そのまま布団に押し倒した。


  「いや?」


  「いや、じゃ、ないです」


  首筋に這う小西の唇の感触がくすぐったく、すみれは唇を強く結んで目を固く閉じた。








  翌日、学校に行ってすみれを見かけた友人が声をかけた。


  「おはよう、すみれ」


  「おはよう」


  「?どうかした?」


  「?どうして?」


  「なんか、変」


  フフフ、と笑って「いやね」と言うだけのすみれ。


  相変わらず小西との仲は続いているようで、これまで長くは続かなかったすみれの恋愛に、友人はひとまず安心していた。


  今までの男とは違い、金を請求してくることもないようだし、物を欲しがることもないようだ。


  安心していた。そして、油断もしていた。


  「すみれ、今日も、良い?」


  「良いわよ」


  これが、合図だった。


  メールのときもあれば、電話のときもあり、直接言ってくることが一番多かった。


  何を示唆しているのか、友人は隣で聞いていてもよく分からなかったが、お金のことではない、とだけは分かっていた。


  毎晩のように小西の部屋に行き、愛し愛される行為に、すみれは没頭していった。


  だが、それは友人は知らない。


  それを知っているのは、当人たちと、そして陰からすみれを観察していたこの男。


  「良くないね。うん。良くないな」


  自問自答をする男は、紫色のグラデーションがかかった髪の毛を後ろで一つに縛り、ゆらゆら揺らしていた。


  首と目の下にあるタトゥ―は、一際目立っている。


  学生のようにブレザーに身を包んではいるが、どう見ても学生ではなく、周りの本物の学生たちからは不審な目で見られている。


  そんな視線は気にもせず、すみれを見てため息を吐く。


  「今時、あんな子がいるんだね。あんな男もいるんだね。可哀そうな時代だ」


  すみれが小西の部屋から帰っていくと、小西はどこかに電話をかけていた。


  「ああ、俺。そうそう、今終わったとこ。うん。ハハハハハ、まじかよ」


  すみれと話しているときは紳士的なところもあるが、あんなのは小芝居である。


  電話の相手はきっと大学の友人であろうか、小西は特に気にすることもなく、すみれの名前を出していた。


  「哀碕さ、顔はまあまあ可愛いけど、あっちの方が可愛いぜ。そうそう。てか、感度めっちゃ良いし。結構はまってるぜ。お前でも抱けると思うから」


  自分がこんなことを言われているとは思っていないすみれは、きっと明日も明後日も、同じ過ちを繰り返すのだろう。


  学校でも徐々に噂は広まり、すみれは男なら誰にでも尽くす女と言われていた。


  それは、お金の面でも、それ以外でも。


  「すみれ、こんなこと言いたくないけど、小西くんと別れたほうが良いって。絶対、あいつのせいだよ。なんかされたんじゃないの?」


  「違うわ。何もされてない。恋人なら当然のことはしてるけど、変な噂をされるようなことをした覚えはないわ」


  「すみれ!」


  もう何を言っても、友人の忠告さえも耳に入れないすみれだが、小西の言葉だけは聞いていた。


  「もう勝手にすればいいわ」


  去っていく友人など見もせず、すみれは携帯の中の文字だけを目で追っていた。


  その日も、夜に小西に会う約束をしていたすみれの前に、一人の怪しい男が現れた。


  ブレザーを着ているが、明らかに自分よりも年上であろうその男に、すみれは首を傾げながらも横を通り過ぎようとした。


  「貴方にとって、幸せとは何ですか?哀碕すみれさん」


  「?」


  なぜ自分の名前を知っているのだろうかと、すみれは思わず通り過ぎた男を振り返るが、もうそこに男はいなかった。


  疲れているから、何か幻でも見たのだろうと、すみれは小西のアパートに向かう。


  ピンポーン、と鳴らせば中から小西が顔を出す。


  「待ってたよ」


  いつも変らぬ笑顔を見せてくれる小西に、すみれは益々気持ちを募らせていく。


  情事が終わってすみれが帰ると、しばらくして、入れ替わる様に別の女性がやってきた。


  「まだ哀碕さんと“ごっこ”してるの?」


  「そ。だって、お前あんまり会ってくんねえじゃん。それに、あっちも方も全然だし?」


  「万年発情期の男には飽き飽きしてるの」


  「へー?・・・の、割には挑発的な格好してんじゃん」


  薄手のコートの中は、女性らしく肩も胸元も身体のラインの見えるミニのドレスだった。


  豊満な胸を見ると、小西はゴクリと生唾を飲む。


  「友達の結婚式だったの」


  「ま、そういうことにしておくよ」


  肌を重ねていく二人の関係など知らないすみれは、一人で先程までの事を思い出しては顔を赤くしていた。


  それからというもの、あまり小西に誘われる事が無くなったすみれは、自ら連絡を取ってみた。


  なんとか会う事になり、いつものようにフワフワのピンクのスカートをはいていく。


  小西が近づいてくることにいち早く気付くと、すみれはパッと立ち上がる。


  いつものように笑顔をみせてくれると信じていた小西だが、すみれを見た途端に眉間にシワを寄せ、ため息を吐いた。


  「あのさ・・・」


  「何?」


  低い声を出した小西に、すれみは気付いていないのか、ニコニコと笑ったまま返事をした。


  すみれの反応に苛立ったのか、小西は小さく舌打ちをするが、それでもすみれは気付かなかった。


  逆に、小西の態度がおかしいため、体調が悪いと思ったすみれは、心配そうに顔を覗き込んだ。


  「大丈夫?どこか悪いんじゃ・・・」


  そう言うすみれの両肩を強く掴み、自分から離すと、小西はすみれを見て憐れむように微笑んだ。


  「ホントに、可哀そうな女だな」


  「え?」


  小西がそんなことをいうはずないと、すみれは驚くことはせずに、笑っていた。


  「今までの男には金や物をせびられ、ほいほいとあげてきて、騙されたことにさえ気付いてない。言っとくけどな、俺だって、お前のことなんか本気で好きじゃない」


  「何言ってるんですか?どうかしました?」


  状況が呑みこめていないというよりも、自分が何を言われていて、今までどういう気持ちで小西が接していたのかさえ、わかっていない。


  「俺、彼女いるんだ」


  「私ですよね?」


  「違う。別にいる。別っていうか、お前と付き合う前から、彼女とは付き合ってる。本気で。ただ、少し遠距離してたから、色々と処理に困っててさ。それで、利用した」


  「・・・?別の彼女?処理?利用?」


  「そう。だから、俺はこれっぽっちも、本気で抱いたことはない。ま、彼女が帰ってきたから、もう用済みってこと。だから、もう終わり。遊びはここまでってこと」


  「遊び?」


  学校の成績は決して悪くはないのだが、恋愛のことになると馬鹿というか、鈍いというか、頭の回転が遅くなり、話が全く通じない。


  「別れよう。けっこう良い思いさせてもらったよ。それにしても、俺が初めてだったとはね。意外だったけど、他の男が抱かなかった理由がわかるよ。お前、冗談通じないし」


  ―別れる


  その事実だけようやく理解できたすみれだが、悲しいとか虚しいとか、感情は捲り捲っているものの、それを表現出来ない。


  すみれは数十秒間、小西の顔を見つめていた。


  「わかった?理解出来た?もう俺帰るけど、いい?」


  「はい。わかりました。とても、楽しい時間でした。ありがとうございました」


  「・・・まじで馬鹿?」


  深深と頭まで下げて御礼を言うすみれに、小西は一言、冷たい言葉を浴びせて去って行った。


  一人で歩いていると、冷たい空気がいつも以上に頬に当たる気がする。


  コートを羽織っているため、少なくとも身体はそこまで寒くないはずなのだが、今日は特に冷える気がする。


  もしかしたら、全部気のせいかもしれない。


  小西に執着していたわけじゃないし、他の男も同じことだ。特別に尽くしてきた覚えもなければ、尽くそうとも思っていたわけじゃない。


  金を貸すと喜んでくれて、物を渡すと感謝されて、身も心も預けたら、自分を愛してくれていると思えた。


  それらは全部錯覚だったのだろうか。


  「お譲さん、お一人でどちらへ?」


  声をかけられ、すみれはニコリと笑って返事をする。


  「今から帰るところです」


  「夜は寒いし暗くて危険ですよ。お送りいたしましょうか」


  「平気です。すぐそこですから」


  暗くて顔が見えない相手にもそれなりの対応をしていると、ふと、相手の男がすみれに近づいてくる足音が聴こえた。


  都会の街中ならともかく、少し外れた場所は街頭が頼りのところもある。


  男が街頭の下に来た時、すみれは思わず声をあげる。


  「あ。貴方は」


  「覚えていてくださいましたか」


  数千人、数万人の人達とすれ違って来たが、これほどまでに印象に残った人は、すみれの人生にはいなかった。


  紫色のグラデーションの長髪、星と涙のタトゥー、だが、今はブレザーではない。


  お医者さんのような白衣を着て、首には寒いのは大きく太いマフラーをグルグルと巻き付けている。


  「私は、そうですね、ジョーカーとでも呼んでください」


  「ジョーカーさん?」


  「ええ。見たところ、哀碕様は“男性に依存する女性”ではなく、“尽くす女性”というわけでもなく、“愛し方をしらない女性”の御様子」


  「?愛し方を知らない?」


  心からの笑みなのか、それとも仮面なのか、そういったことさえ考えたことのないすみれは、ジョーカーの笑みに見惚れた。


  ジョーカーがすみれを通り越してどこかへ歩き出したため、すみれは慌てて後を追って行く。


  歩き慣れている道だったはずだが、急に車のヘッドライトに目がくらんだかと思うと、目を開けたら見慣れない場所に来ていた。


  「ここは・・・」


  立ち並ぶビルも人混みも、雑踏を何一つ感じない場所。


  そよ風が吹いていて、それは冷たくない人肌より少し涼しいくらいの、心地良いものだった。


  どんどん歩いていくジョーカーについていくと、ふと、灯りが見えることに気付く。


  小さなテントがぽつんと立っていて、その中に躊躇無く入っていくジョーカーに、ひたすらくっついていく。


  真っ暗な中を歩いていくと、どなり声が聞こえてきた。


  「ジョーカーはまだ戻ってきてないのか!!誰か探して来い!」


  それがジャックの声だとすぐに分かったジョーカーは、そういえばまだ何も連絡してないことを思い出した。


  すぐにジャックの部屋に行こうとしたとき、たまたま舞台の方に探しに来たルージュに会った。


  「・・・・・・」


  「・・・・・・」


  「・・・・・・」


  見事に三人とも無言。


  ジョーカーが次の客を連れてきたのだと理解出来たルージュは、一旦すみれを見た後、ジャックに報告に行こうとした。


  「ルージュ」


  行こうとしたが、ジョーカーに呼びとめられてしまった。


  「ちょっと、ここで哀碕さまとお話してて」


  「私、暇じゃない」


  「そこをなんとか。報告は自分で行くから」


  半ば強引にすみれを押し付けると、ジョーカーはさっさと舞台の裏側へと行ってしまった。


  取り残されたすみれとルージュは、とりあえず足下に並んである椅子に腰かけることにしたが、どちらも口を開かない。


  無口な上に無表情なルージュに、すみれが微笑みながら声をかける。


  「あの、ここはどういったところなんでしょうか?ジョーカーさんの後をついてきただけなので、ここがどこかも分からなくて」


  「・・・・・・あなたは、どうして笑ってるの」


  「え?」


  「楽しいことがあった?幸せなことがあった?なら、ここに来るわけない」


  言っていることがわからないすみれは、首を傾げて笑ってるしかなかった。


  じーっとすみれを観察しているルージュだったが、少しして飽きたのか、舞台の方に顔を向けた。


  「ルージュ、お前も戻って良いぞ」


  「・・・はい、団長」


  ルージュが立ち去っていったあと、すみれは次の男性へと視線を向けた。


  緑色の髪の毛が耳を隠していて、薄い青のワイシャツのボタンは上二つがしまっていなく、鎖骨が見えている。


  座っていてもわかるほどの背の高さは、先程出会ったジョーカー以上だろうか。


  ジョーカーと同じように、どこから出ている笑顔かも分からないような、そんな笑みをすみれに向けている。


  男の笑顔に、ついすみれも笑顔で返す。


  「哀碕すみれ様ですね。ジョーカーから話は聞きました。いかがでしょう。哀碕様の胸の奥に潜む悲しみや孤独を、ここで癒されては」


  「悲しみ?孤独?私、そういうものを感じたことないのですが」


  「・・・そうでしたか。失礼いたしました。では、次の出会いのために、哀碕様に幸福を感じていただきたいと思いますが、いかがでしょう。代金はいりませんので。是非」


  すみれの自覚の無さに、重症だと感じたジャックは、このまますみれを帰しても良いのでは、と思った。


  慈善事業ではないのだ。


  自分の不幸にも気付いていない人間を相手にするほど、余裕も時間もない。


  だが、ジョーカーが連れてきた人間を、そう簡単に帰すわけにはいかなかった。


  「人間のことを観察して、何億人といる人間の中から最適な人間を一人見つけて、怪しまれないように声をかけて、ここに連れてきて・・・」


  という、愚痴のような話が小一時間かかるのだ。


  それだけは面倒臭くて避けたいジャックは、にこやかに話を進めていくと、すみれも両手を交差させて祈るような格好をして「是非」と了承した。


  すみれを椅子に座らせて待ってもらい、ジャックは部屋へと戻る。


  そして、すぐに矛先が一人の男に向かった。


  「ジョーカー、お前は今回の寿命減らすからな」


  「わかってるよ。でもさ、不幸なのに不幸だって気付いていないのは、生きていくうえでは良いことでしょう?」


  「それとこれとは話は別だ」


  まだまだ言いたいことがあったジャックだが、すぐに準備に取りかかる様に団員たちに伝えた。


  いつもサーカスの練習をし、準備万端であるのはいいのだが、急に連れてこられても、着替えやら道具の確認やらをするようなのだ。


  だが、誰も文句は言わない。


  べったりと姉にくっつかれているアヌースだけが、棘のある口調で告げる。


  「邪魔」


  「いやーん。アヌース怖いー!でも、そんなとこも好きよ」


  着々と準備をしていく。


  ケントにバウラ、ルージュにエリア、キ―ラにマトン、アヌースにアイーダ。


  お得意のサーカスをしていくが、特にすれみが幸福そうになったようには見えなかった。


  もとから、幸せそうに笑っている女の子なのだから、大きく変化したことなど目に見えて分かるはずがなかった。


  それは連れてきた当の本人のジョーカーでも同じことで、すみれの表情を見ても何も分からない。


  「まあ、すごい。こんな素晴らしいもの、本当に代金はいいのでしょうか?少しだけ・・・」


  そう言って、鞄から財布を取り出し、気持ちのお金を払おうとしたすみれに、ジョーカーが近寄って行った。


  「いいんですよ、しまってください」


  顔をあげて見えたジョーカーの笑顔に安心したのか、すみれは目を細めた。








  「なんか、ああいう子のこと、ぶりっ子って言うんじゃない?」


  「アレが素なわけないじゃないの。ねー、アヌース」


  「知るか」


  二人の様子を覗いている他の団員たちは、すみれの性格が裏表のどちらかの話をしていた。


  女性陣としては、あのような性格を素だと認めることは出来ないらしく、次々に批判をしている。


  一方、男性陣はそれに対して反論をすることも同意をすることもなく、女性陣から出ている黒いオーラを見守るしかなかった。


  「ジョーカーが言うには、“愛し方を知らない”らしいよ」


  ライオンを寝かせてきたのか、ケントがニコニコ笑いながら来た。


  ジョーカーとすみれの様子を見て、「そういえば」と話を寿命のことに戻す。


  「ジャックが、今回はあんまり取れないっていって不機嫌だから、みんな、余計なこと言わないようにね」


  「何をしている」


  勘定がもう終わったのか、部屋から出てきてみんなが集まっている部屋まで来たジャックは、眼鏡をかけたままだった。


  だが、ケントの話とは逆に穏やかな顔をしていた。


  頭に?をつけていると、ジャックも眉間に深いシワを寄せて「ああ?」と言う。


  「なんでもないよ。今回はどうしたの?早いじゃない」


  全く不機嫌にはなっていなかったジャックに安心した一方、手に持っている勘定結果に唾をのんだ。


  「八年だ。宣言通り、ジョーカーはゼロ」


  「八年!?たった!?」


  基本寿命が五年なため、プラマイ寿命が三年しかないことになる。


  「仕方ないだろう。見て分かる通り、あの人間は自分に不幸が降り注いでいると思っていない。むしろ、自分は幸福ばかりとまで思っている。あのままじゃ、無理だ」


  そう言って、勘定した資料をテーブルに叩きつけると、部屋を出ていってしまった。


  そのころ、ジョーカーはすみれを家まで送っていくところだった。


  「わざわざありがとうございます。何か、御礼が出来ればよかったんですが」


  「いいんですよ、御礼なんて」


  ジョーカーには、ジャックしか知らない秘密が一つある。


  「それよりも」


  それは、人によっては優しく甘いというかもしれない。


  「僕が欲しいのは」


  それは、人によっては残酷で人でなしというかもしれない。


  「君の人生の一部だから」


  そう言って、ジョーカーはすみれの唇の端に、自分の唇を少し合わせた。


  瞬間、すみれは意識を手放して力無く地面に倒れそうになったのを、ジョーカーが支えてすみれの家まで連れて行った。


  鼻歌交じりにテントに帰ると、ジャックが腕組をして睨んできた。


  「そんな怖い顔して、どうしたの」


  「直接寿命を取るのは止めろと言ったはずだ。せいぜい取れても五年。それに、相手の記憶に強くイメージとして顔の印象は残る」


  「分かってるけど、今回貰えないからさ」


  「自業自得だろう。自分で捕まえてきた獲物が悪かっただけだ。恨むなら自分自身を恨め」


  「そうだね。今後は気をつけるよ」


  ジョーカーの秘密。


  奪われてはいけない二つのものが、一斉に奪われてしまう瞬間。








  「すみれ?なんか最近変わった?」


  「え?そうかな?ああ、あのね、三日前に告白されちゃって」


  「またー!?この際さ、社会人になってから新しい人見つけなって言ったじゃん。もうこの学校、てかこの地域周辺に、まともな男はいないよ!?」


  「でもね、家族がみんなガンで、お金が必要なんだって。可哀そうでしょう?」


  「・・・あんたね」


  明かなる嘘も見抜けない、相変わらず間抜けなすみれに、呆れや怒りやどうしようもないという色んな意味を含んだため息が出る。


  「五百万あれば、良い病院で検査出来るんだって。だから、今バイトかけもちして頑張ってるの。彼、私が必要だって言ってくれてるの」


  小さく肩を揺らして嬉しそうに笑うすみれは、誰が見ても幸せそうだ。


  「なんだか私、夢を見ていたみたいなの」


  「どんな?」


  「覚えてないの。でも、とっても楽しくて、心が一杯になったの」








  「あーあ。あっさり終わっちゃったな。もっと時間かかるかと思ったのに」


  「そうだな。まあ、でも良かったんじゃないか」


  マトンとケントがソファに腰掛け、話をしていた。


  その話はものの数分で終わり、互いの相棒の可愛らしさや涙ぐましい努力についての自慢話へと変わって行った。


  未だ、不幸な人間を探しているジョーカーは、大工の格好から何かのヒーローの格好など、不審者で逮捕されないのが不思議なくらいな変装をしていた。


  一見、幸せそうに、誰もがうらやむ幸福に包まれている人でも、不幸はあり、一見不幸そうに見える人ほど、自分を不幸だと思っていない。


  実に面白い世界だと、ジョーカーは駄菓子屋で買った小さい四角いグミを食べていた。


  アレ以来誰一人とも会っていない、部屋に籠りっきりの人がいた。


  部屋では何をしているのか、皆目見当もつかないが、きっと何か仕事に追われているんだろう、しかし仕事などあるのか。


  そう思いながらも、数か月もの間、顔を合わせていないため心配になったケントが、ジャックの部屋の前にいた。


  ノックして入ろうとすればすぐに出来るのだが、なかなか入れないでいた。


  「ジャック、入るよ?」


  一応、声をかけてみて、さらにノックもし、ゆっくりとドアを開けた。


  そーっと中を覗いてみると、部屋の中は真っ暗で小さな灯りも灯しておらず、中の様子を窺う事が出来なかった。


  しかし、ジャックのものと思われる、ただならぬ殺気と狂気と疲労と。


  色んなものが部屋中に充満する空気となって、ケントへと伝わってくる。


  ゾクッと背筋に冷や汗を感じたケントは、何も言わずに何もせずに、ドアをゆっくりと閉めて立ち去っていく。








  数日後―


  「ジョーカーから、招待する客を見つけたと連絡がきた。用意しておけ」


  いきなり顔を出し、言う事だけ言って、また自室へと戻ろうとしたジャックに、皆が返事も出来ずに口を開けていた。


  ジャックの後を追って、ケントは部屋を出て行った。


  「ジャック」


  「なんだ」


  「いや、すごく久しぶりに顔見たから。元気だったんだ」


  「元気で悪いか」


  「悪くないよ。また無理して、身体壊してるのかと思っただけ。じゃ、俺から出番でいいの?」


  「ああ。いつも通りだ」


  顔色も良好、口調も変わらないジャックに一安心し、ケントはライオンの檻まで向かった。


  部屋に戻ってドカッと椅子に座ると、ジャックは目頭を押さえて舌打ちをする。


  「俺の身体も、いよいよガタがきてるな」


  こだまさえしない声は、静かに消えた。


  「さあ、みんな。今回もしっかりやっていこう」


  「当然よ」


  「頑張ります」


  「私達に任せなさい!ね!アヌース!!!」


  「ひっつくな」


  コツコツ、と舞台裏に登場したジャックは、緩く微笑んだ。


  「頼んだぞ」








  幸か不幸か、人間には運命とか定めとか、生きる長さが決まっているんだとか。


  神とやらに握られている人生の中で、必死にもがくことはままならない。


  しかし、幸も不幸も感じる人次第。


  その小さな出来事は、果たして今だけの不幸か、未来への幸か。


  貴方も、もう少しだけ長く生きるつもりなら、全てを幸にする脳や言葉、感情や心臓を持つべきだ。


  でないと・・・・・・―


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